2007年11月15日木曜日

国立大学の法人化

国立大学が法人化され、3年半が経過しました。いよいよ来年度は、平成21年度までの中期目標期間(6年間)に係る法人評価が前倒しで実施されます。

現在、文部科学省に設置された国立大学法人評価委員会、大学評価・学位授与機構の両者による周到な準備が進められており、評価結果は、第2期中期目標期間の運営費交付金の算定に反映されることになっています。初の中期評価の成果やいかに。

でもその前に、国立大学が法人化されたことそのものについては何の検証もなされなくていいのでしょうか。
この制度改革がどれだけの成果を我が国、あるいは国民にもたらしたのか。人材育成、学術研究の進展にどれだけ寄与したのか。それとも単なる人減らし、金減らしで終わったのか。文部科学省はしっかり検証してその結果を国民の前に明らかにしてもらいたいものです。

以下は、国立大学財務・経営センターの天野郁夫氏のレポートの一部です。


国立大学の法人化は、さかのぼれば明治以来の課題であり、第2次大戦後も何度か検討されてきた。
その狙いは、戦前期には何よりも大学の自治・学問の自由の確立に、戦後は教育研究の活性化にあったと見てよいだろう。
ところが、21世紀に入ってようやく実現された、その積年の課題である法人化の強い推進力となったのは、そのいずれでもなく、行財政改革の強い圧力であった。
それは、今回の法人化が、教育研究の活性化を謳いながら、実際には、管理運営の合理化・効率化を最優先の目的に実現されたものであることを示唆している。
「法人化の効果」についての学長たちの意見は、そのことを裏書するものといってよいだろう。
つまり、今の時点で法人化がもたらした「効果」は、何よりも大学の経営、組織運営にかかわる部分で大きく、それが教育研究の自由化や活性化にどのように結びつくのかは、まだほとんど見えていないのである。

科学技術立国のための大学改革の必要性を強調する一方で、政府は厳しい財政事情を理由に、物的にも人的にも新たに資源を投入することなしに、国立大学の法人化を推進してきた。
これまで行政機関の一部であり、「親方目の丸」で文部科学省の全面的な管理下にあった国立大学を独立させ、自律的な経営体にすれば、さまざまな新しい費用が発生する。政府はその費用について、それぞれの大学が自力で捻出し、負担することを求めてきた。

新たにコストが発生するのは、何よりも「国立・大学」が「大学・法人」化した、その「法人」にかかわる部分においてである。
財務担当理事対象の調査結果によれば、法人化前と比較して、増加した経費は1位が「全学的な重点・競争的配分経費」(71%)、2位「学長等による裁量的経費」(5%)、3位「全学共通経費」(46%)の順であるのに対して、減少した経費では「各教員の基盤的な研究費」(76%)、「各教員の基盤的な教育費」(50%)が、他を大きく引き離して1位、2位を占めている。
つまり法人化のしわ寄せば、教育研究の基盤的な部分に最も強く及んでいるのである。

法人化に伴って激増した、たとえば経営戦略・計画の策定、自己点検評価の実施、実績報告書の作製、財務諸表の作成や分析といった、管理運営関連の業務が、職員だけでなく教員の時間を奪い、「法人」への出向者を増やしていることも、すでに指摘したとおりである。
教育研究活動の活性化に向けられるべき資源は、その点でも奪われているといわねばなるまい。

今回の私たちの調査は、初めに断ったように、あくまでも学長・理事という、経営体化した国立大学の最高経営層を対象としたものである。
現場の教職員、とりわけ教育研究活動(さらには新たに加わった社会貢献活動)の直接の担い手である一般の教職員が、法人化の現実をどう見ているのかは、当然のことながら、今回の調査結果からは明らかではない。
ただ、学長の「法人化の効果」に関する意見に見られた、「教員の意識改革」に対する、相対的に低いプラス評価の数値は、経営層と教員層、「法人」と「大学」の間に、法人化の現実についての認識と評価について、大きなズレがあることを予想させる。
一般の教員が法人化された大学をどのように見ているのか、また別種の調査が必要とされるだろう。

いずれにせよ、2002年に法人化が決定されてからの、嵐のような4年間のあと、いま国立大学法人に必要とされているのは、さらなる変動ではなく安定であろう。
中期目標・計画の策定は、6年間の自律的な大学経営を保障する、政府と国立大学法人との「契約」だったはずである。
にもかかわらず毎年、予算編成のたびに人件費をはじめとする運営費交付金の減額や、自己収入の中核を占める授業料の増額が取りざたされ、実際にもそれが起こる現状では、長期的な展望にたった大学経営は難しい。
何よりも、教育研究活動のあり方を、じっくり考える時間と資源を持つことは不可能である。

運営費交付金の相次ぐカットで、経営の強制的な合理化に成功しても、教育研究活動の衰退を招いたのでは、科学技術立国の基盤づくりが目標だったはずの、法人化の意義は失われる。
安定的な、教育研究活動の活性化を可能にする大学経営の確立のために、いま何をすべきなのか。
これまで見てきたような現実と課題を踏まえて、大学以前に政府・文部科学省自身が、立ち止まってじっくり考えてみるべきときが来ているのではないか。