2007年11月17日土曜日

事務改革と事務職員

最近、あちこちの国立大学で、事務改革への取組みが加速しています。一つの要因として、今夏、教育再生会議が策定した「第2次報告」や、経済財政諮問会議が策定した「経済財政改革の基本方針2007」において、「大学事務局の改革、事務職員の一層の資質向上と合理化等経営の効率化」が国の重要政策として明確に位置付けられたからなのかもしれません。

国立大学における事務改革は、私立大学や民間企業に比べればかなり遅れているような気がします。これまで手をこまねいていたわけではないのでしょうが、事務改革の主役たる事務職員の多くに改革に向けた意識や緊張感が不足し、スピード感のない取り組みの結果が現状に至っているのでしょう。

国立大学財務・経営センターの天野郁夫氏は、国立大学事務職員の現状について次のように述べられています。

「教員中心の大学運営の下、しかも文部科学省所属の国家公務員としてルーティンワークに従事してきた職員たちは自立的な大学経営に必要な職務能力に欠ける、というよりこれまで能力開発の機会を与えられてこなかった。企業会計原則による新しい会計システムにせよ人事・労務管理にせよ、また経営体としての新規事業の企画立案にせよ、事務局にとってはすべてが新しい挑戦であり、それに対応しうる人材は質・量ともに十分でない。」

このように、法人化以前の国立大学の事務職員は、法律上文部科学省の地方行政組織として位置付けられた大学という名の役所の中で、国の定めた法令等を遵守し、与えられた任務のみを適切に処理するということを業務の中心としてきました。このため、法人化後に求められる自主・自律の精神の下、大学の将来を見据え、自分の頭で考え企画立案し、自分自身で行動するという意識を持つ、あるいはそういう文化を持つ事務組織に変容させることはなかなか容易ではありません。

また、平成19年6月4日に開催された経済財政諮問会議では次のような議論が行われています。

「事務局・事務職員の改革・合理化が必要ではないか。国立大学の事務局・事務職員の比率は、私学に比べてはるかに大きい。なぜそんなに多くの事務職員がいるのか。こういうところは自然減を活用するなど、まだまだ切り込む余地があるのではないか。」(平成19年第16回経済財政諮問会議議事要旨から抜粋)

上記は、東京大学、国際基督教大学にお勤めの現職教員の発言です。客観的事実としてはそのとおりだと思います。国立大学の事務職員数については、私立大学との比較により非難を受けることはこれまでもたびたびあったわけですが、それにはやむを得ないそれなりの理由があると思います。何が問題となってそういうことになっているのか、お二人はちゃんと分析、理解した上で総理大臣の前で発言されているのか疑問に思います。

現在の国立大学は、法律上は独立した法人となっていながら、与えられた裁量権が極めて限定的であり、文部科学省を中心とした国の関与がほとんど減っていません。このことが、思い切った人員削減ができない大きな理由の一つとして挙げられるのではないかと思います。国立大学は、未だに文部科学省という中央の役所の出先機関としての業務を行っていますし、そのために膨大な調査資料、要求資料の作成などを課せられています。調達業務を例にとっても、煩雑な国の制度が適用されていますし、会計検査院の検査対象機関にもなっています。

また、私立大学と国立大学では教員の業務の範囲、量がかなり違うようです。国立大学では事務職員が行っているような業務(の一部)を、私立大学では教員が行っており、事務職員の数を最小限に抑えることができる効率的な体制になっているようです。

このように、国立大学では、文部科学省など国との関係において膨大な業務を強いられていることや、教員との役割分担の違いなどによって、私立大学のようなスリムな事務体制になっていないのです。

今後、国立大学は、毎年の運営費交付金の削減や、総人件費改革による人件費削減に対応した業務改革、組織改革をより進めていかなければなりません。法人化後3年半が経過した今、国立大学は、もはや甘えの通じない状況に置かれていることを十分認識し、すぐにでも改革に着手、あるいは加速しなければ、10年後の将来は極めて危ないものになるでしょう。社会から淘汰されるかもしれないという危機感を持って変革への努力を積み重ねていくことが必要なのだろうと思います。