2008年1月11日金曜日

山形大学の取り組み(2)

就任時には、「天下り学長」として揶揄された結城氏でしたが、わずか4か月で見事なリーダーシップを発揮され、学内の混乱を収め、改革に邁進しておられるようです。
就任時にこぞって批判の的とした報道は、少し反省しなければなりませんね。
最近報じられた結城氏へのインタビュー記事をご紹介します。

「学生中心主義」目指す 「天下り」批判から4カ月、結城・山形大学長に聞く


文部科学次官だった結城章夫氏(59)が9月に山形大の学長に就任して、4カ月近くがたった。
学内外から「天下り」と批判され、投票で対立候補に敗れながらも「逆転勝ち」した学長選。しこりは残っていないか。大学は何かが変わったのか。山形大で結城学長に聞いた。

《交付金減、厳しい現場実感》

▼学長就任から3カ月がたちました

運営費交付金が減り、さらに(独立行政法人と同様に)5年で5%の人件費カットもあり、大学への締め付けが現場に効いているな、と実感しています。思い切った選択と集中をしないと、大きな効率化はできない。やりたくはないですが、このままでは、いずれ学科やコースの一つをあきらめざるを得ません。

▼学長として取り組んでいることは

教育、研究、社会貢献どれも大事ですが、山形大は教養教育で勝負しようと思っています。教養教育の充実には、カリキュラムを変え、先生の考え方を「学生中心」に変えないといけない。2年くらいかかる仕事かなと思います。どこをどう変えればいいかをじっくり考えています。学生と直接話をしたり、米沢市(工学部)や鶴岡市(農学部)のキャンパスに出向いたりすることにも力を入れています。

▼公約に掲げた事務の効率化は進んでいますか

事務の効率化や意思決定の迅速化の経験は、私は大学の先生よりも長(た)けていると思います。現在、事務手続きを大幅に見直す案を考えており、08年度はすっきりした簡素な体制で始めたいと考えています。
月~木曜の朝10時から、私と5人の副学長で「コーヒータイム」という時間を作りました。ごく簡単に30分ほど議論することで情報や問題意識を共有でき、すばやい意思決定ができるようになりました。

▼学長選の対立候補2人を副学長にしました

小山清人さん(前工学部長)は学内意向投票であれだけの票が入る人望、能力がある人。「使わない手はない」と思っていました。ああいう(意向投票で敗れたが学長選考会議で逆転で当選した)経緯があったので「工学部から1人副学長を出してほしい」と相談しました。結局、本人が入ってくれたので、「我が意を得たり」です。
中島勇喜さん(前農学部長)は学長選の公開討論会で人柄がよくわかった。農学部から副学長が欲しかったので、直談判してお迎えしました。

▼学長選のしこりは

少なくとも私はほとんど感じていません。小山さん、中島さんも私の執行部で活躍してもらっていますし。
学長選のあり方は、学長選考会議が全責任を持って決めるのが大原則です。学内意向投票をやるのか、その結果に縛られるのか参考にするだけなのか、この点も選考会議が決めることです。

▼文科省出身者が国立大学長に就くケースは続くと思いますか

それは各大学の判断ですね。経済界や別の省庁の役人がやったっていい。だんだんそうなっていくのではないでしょうか。それでも文科省出身者ばかりになるのはまずい。また、そんなことにはならないですよ。

▼「天下り」批判をどう思いますか

私は、文科省にコネを使うつもりはまったくありません。研究費は研究者の実力で取ってくるべきだし、私がいるから運営費交付金が増えるとは思いません。交付金は、その大学の努力と成果に応じて配分されるべきです。ただ、相談があれば、「こうしたら補助金を取りやすいですよ」というアドバイスはしていきたいと思います。

《混乱収め、学内好意的に》

結城学長に対する教職員の評価は4カ月の間に急上昇した。ある副学長は「腰が軽くごり押しもしない。それでも意思決定はしっかりやる。学長選考会議は見る目があった」と絶賛する。学長選で結城氏を「天下り」と批判し対立候補を支援した教授も、新学長の言動に好意的だ。ただ、「大学の常識」を知らないと実感したこともあった。

山形大では、警察官が学内に入ると、いつどこで何をしたのかといった情報を、学長や学部長らの会議に報告する。結城学長は9月の会議で中止を求めた。しかし、「大学の自治の歴史を見れば、警察と緊張関係になることもある。報告するのが筋だ」と教員に説得されると、あっさり報告の継続に応じたという。

教職員らの意向投票で敗れた結城氏が最終的に学長に選ばれた直後、対立候補だった小山前工学部長は法的措置も辞さない構えを見せた。しかし、1カ月後、小山氏は結城学長の要請に応えて副学長に就任した。「混乱の長期化は学生に悪影響を及ぼす。周囲にも『執行部に入って学内の意見を大学経営に反映すべきだ』という意見が多かった」と説明する。

結城氏の学長就任について、他の国立大の学長はどう考えているのか。ある学長は「保身のためなら許されないが、不退転の意志を持ってやるなら問題ない」などと賛成する。しかし、別の学長は「補助金を多く欲しい、という狙いが露骨すぎる。国立大にとって自殺行為だ」と問題視するなど、賛否は分かれる。

ただ、国立大の学長が文科省出身者ばかりになることには反対の意見が強い。ある学長は「3分の1を超えたら、時には国と一線を画す国大協の姿勢も変わってしまう」と心配する。 (2007年12月25日)



就任時には、元事務次官が国立大学の学長になることの是非について、多くのマスコミが批判的に報じていましたが、結局は一過性のものとなりました。

当時は、以下のようなあまりにも厳しすぎる論調の報道もありました。
個人的には、言論の自由は認めながらも、偏った方向に世論を誘導する危険性をはらんでいるなあと感じていましたし、そもそも山形大学自身の判断として、学外者の入った透明性の高い学長選考会議で決定され、手続き等においても法的に何ら問題がないとされているのに、なぜ、そこまで批判の的とするのだろうととても不思議でした。

天下り学長が示す危機 公共事業化する研究開発


官僚の天下りに、政治家の口利き、そして各種の談合。このトライアングルが税金を浪費する公共事業の基本骨格だが、国の科学技術予算にも、同じ負の構造が浮かんできた。研究教育事業の発注官庁である文部科学省の前事務次官が、受注業者である国立大学法人山形大学長に就任した。究極の天下り。政府の研究開発政策が公共事業化している実態を、これほど明白に示すものはない。

投票結果はライバルに完敗なのに、強引にトップの座についても居心地は良くないに違いない。参院選の大敗後も続投を決めた安倍晋三首相の場合は突然、職責を放り出してしまった。

安倍続投の根拠として、盛んに「参院選は政権選択の選挙ではない」といわれた。法制度上は負けても辞めなくていいという程度の話なのに、自民を大敗に追いやった民意を軽んじてもいいと勘違いしたのが、破綻の始まりではないだろうか。

山形大学の場合は、教職員の投票では、次点だった候補者、一月前まで文部科学事務次官だった結城章夫氏が、外部有識者と学部長らで構成する学長選考会議で逆転選出された。

山形大に限らず、法人化された国立大の場合は、教職員の投票はあくまで参考で、学長選考会議が最終的に決める。この制度は国立大学の法人化に際して、従来の「教職員自治」の継続を嫌った文科省が強く推し進めて導入したもの。実際に、教職員の投票結果とは違う結論が出るケースがいくつも出てきて、滋賀医大、新潟大などでは訴訟になっている。

文科省が力を入れて導入した学長選考法によって、文科省の高級官僚の学長への天下りが可能になったというのでは、語るに落ちたといわれてもしかたない。閉鎖的な教職員の自治を脱して、外部の知恵や感覚を大学経営に反映させたいというのなら、選考会議は公平で透明でなければならない。

山形大の選考会議の外部委員は、結城前次官をスカウトした前学長が指名したのだという。まるで前任者が後継者を決めて、それを会議が承認するかのような不透明さが、お手盛りという批判を浴びている。

結城氏自身も、伊吹文明文科相も、文科省やその職員が学長就任を働きかけたのなら別だが、個人が応募して正統な手続きで選ばれた以上問題ない、と天下りを否定している。

だが、これは国土交通省の事務次官がゼネコンの社長に就任するのよりもっと直接的な天下りといっていい。国家公務員法で、直接的に利害関係のある企業等への再就職は退職後2年間は制限されている。文科省はいまや地方国立大学の生殺与奪の権限を手にする官庁である。

プライドの高い大学人は、学問的な業績のない行政官が、大学の学長や理事になるのは「天上がり」だというかもしれないが、そういうプライドなら早く捨てた方がいい。国立大学が法人化されて、文部科学省は運営費交付金のさじ加減から、大学評価、競争的資金の配分、そして人事まで、大学への支配力を飛躍的に高めている。

87の国立大学法人のうち、50を超す大学が事務局長を役員の理事とし、文科省から受け入れている。3年前の法人化で、経営に余裕のない地方国立大学が、こぞって文科官僚を理事として迎えることは予測されたが、旧帝大などの有力大学も戦略的に、文科省との関係を強めている図が見てとれる。

まさに国立大学から文科省立大へのまっしぐらの中で、天下り学長騒動は起きた。今回は医学部が一丸となって結城前次官の学長就任に動いたことから、重粒子線治療装置など大型医療施設の山形大への誘致計画が背後にあるのではないか、という指摘もされている。

重粒子線治療装置については、他の国立大学に導入された際にも、学術振興より地域振興などへの政治的配慮が大きく働いたのではないか、ともいわれた。この分野は肝心の医学的な研究や検証よりも、公共事業として議論されることが多いのが気になるところだ。

閉鎖的な独善を排し、自立的で開かれた大学をどうつくるのか。「研究バブル」の潤沢な予算、目前で揺れるニンジンに飛びつくと、大学人の自由からの逃走という図が見えてくる。(2007年9月23日 日本経済新聞)



おそらく元事務次官が国立大学の学長になったのは歴史的に見て初めてのケースであり、文部科学省と国立大学の利害関係に着目しての非難だったのでしょうが、今や国立大学に対する国の財政支援は、機関補助から個人補助へ、あるいは国公私立大学間の競争的環境の中での資源配分へのシフトが加速しており、昔のように役所の担当者が、配分先の文部科学省OBの顔を思い浮かべながら鉛筆をなめていた時代と違って、第三者機関によるレビューや審査を通じた透明性の高い配分方式が採用されています。

したがって、中央の役所から予算を獲る学長、そのためには中央に顔が利く学長が有利という発想はもはや通用しなくなってきているのではないかと思うのですが。

繰り返しになりますが、山形大学における学長選考は適正な手続きにより行われ、最終的には学外者が半数を占める学長選考会議で決定されました。例え、国の時代から続けてきた人気投票(現在では意向調査という言葉が多く使われているようですが)で、次点だったとしても、学長選考会議において、山形大学の学長としてその手腕を見込まれたのは結城氏であったわけですから、このことを十分尊重することが大事なのではないだろうかと思います。

余談になりますが、仮に、結城氏の心の中に従来の天下りに乗りたいとの気持ちがあったとしたら、おそらく山形大学の学長選には出馬しなかったのではないかと個人的には思います。自分の故郷のためにできることは何か、純粋に考えられたのではないだろうかと思います。

なぜならば、法人化後の国立大学の学長は極めて激務ですし、私立大学のように法人経営の責任者である理事長と教学組織の責任者である学長がいる組織と違い、1人で全ての責任を負わなければならない立場に置かれているからです。

いわゆる「天下り」とは、そんな国立大学の学長になることではなく、従来からの悪しき慣例、つまりは、中央のお役所が所管している旧特殊法人や関連民間法人等に再就職し、仕事の割にはお高い報酬をいただくことをいうのではないでしょうか。