2008年4月28日月曜日

食いものにされているのではないか文教施設予算

文部科学省の前文教施設企画部長が収賄の疑いで先日逮捕されました(逮捕時、国立高等専門学校校長)。
最も襟を正すべき文部科学省の役人がこのような不祥事を起こしたことは、国民はもとより教育関係者にとっては正直言って大きな衝撃です。

多くの様々な教育問題に立ち向かって懸命に努力している人達を愚弄する教育担当官庁の役人の犯罪。その背景にはいろいろと根深い事情があるやに報道されていますが、いずれにしても、後を絶たないこの類の話にはただただあきれ、閉口するばかりです。


天下り100人超=施設部門から-文科省 (2008年4月15日 時事通信)
文部科学省や国立大学の施設担当部署を経験した職員で、2001年から5年間に建設、設備工事会社に再就職したのは100人を上回っていることが15日、時事通信の集計で分かった。

国立大の施設整備をめぐっては、同省の元幹部が警視庁に収賄容疑で逮捕された。集計では同省や国立大の施設部門が、天下り先として業界に依存してきた実態が浮き彫りになった。

人事院が毎年発表する「営利企業への就職の承認に関する年次報告」などを基に、文科省文教施設企画部(旧文教施設部)や地方工事事務所、国立大の施設担当部署に勤務した同省OBの再就職先をまとめた。

この結果、少なくとも建設会社に34人、空調や電気などの設備工事会社に69人が再就職したことが判明。これら103人のうち、同省文教施設企画部を最後に退職したのは8人、国立大からの退職者は95人に上った。

再就職後の肩書は「顧問」「技術部長」が目立った。設備会社で設計積算統括部の担当部長に就いた大学職員もいた。

前同省文教施設企画部長大島寛容疑者(59)が逮捕された汚職事件で、贈賄側の会社顧問倉重裕一容疑者(58)がかつて在籍した五洋建設には、大学の施設部長1人が建築部調査役として再就職していた。

103人以外には、建材会社や設計会社に入った工事事務所長、大学課長がいた。大学病院の管理課を辞め、空調会社に再就職した例もあった。


国立大法人化で天下りが「隠れみの」に (2008年4月15日 時事通信)
全国で年間20人前後が建設・設備業界に天下っていた国立大学だが、2006年以降は職員の再就職の実態を把握することが難しくなった。国立大を経て退職する文部科学省職員も多いが、「大学法人化」以後は、国立大が国の再就職公表制度の対象から外れたためだ。専門家は「国立大が文科省職員天下りの隠れみのになっているのでは」と指摘している。

国家公務員が在職中の職務と関係がある企業に就職するには、退職後2年間は人事院の承認が必要。同院は毎年、各省庁の職員の再就職先を取りまとめて公表している。

文科省に所属していた国立大も公表対象だったが、04年度からは行財政改革の一環で同省から切り離されて「国立大学法人」*1となった。職員の身分は公務員ではなくなり、06年からは再就職の人事院承認も要らない。

主な国立大8校に職員の再就職について問い合わせたところ、「把握していない」(東北大)、「民間に準じた扱いなので公表していない」(信州大)といい、大学側が自主的に公表している例はなかった。

一方、文科省との人事交流は従来と同様に続いている。90ある国立大(自然科学研究機構など大学共同利用機関も含む)の施設担当部の部長のうち、31人は同省文教施設企画部で勤務した経験がある。同省職員が国立大に出向したまま、退職してしまうケースも多いという。

五十嵐敬喜法政大教授(公共事業論)は「国立大学法人が文科省の隠れみのになっているのではないか」と指摘。「日本道路公団や郵政の民営化と同じで、職員の顔触れは変わらないのに情報公開が後退している」と批判している。

(国立大施設系職員の再就職)

2001年
・東北大施設部長 → 建設(建築部調査役)
・三重大施設部長 → 設備(顧問)
・広島大施設部長 → 建設(建築本部長補佐) など18名

2002年
・秋田大施設部長 → 建設(技術部長)
・東京大機械設備課長 → 設備(技術顧問)
・名古屋大施設部長 → 設備(技術総括部顧問) など20名

2003年
・室蘭工業大施設課長 → 設備(設備本部技術顧問)
・岡山大施設部企画課長 → 建設(建築本部理事・部長)
・山口大施設部長 → 設備(技術顧問) など23名

2004年
・福島大施設課長 → 設備(工事本部理事)
・名古屋大施設部長 → 設備(営業本部工事部部長)
・広島大施設部長 → 設備(支店技術顧問) など16名

2005年
・新潟大施設部長 → 建設(支店駐在技術部長)
・信州大施設部企画課長 → 設備(工事本部技術顧問)
・九州大施設部長 → 設備(技術顧問) など18名

文部科学省には、国立学校や公立学校の建物などの施設整備予算を担当する部署があり、出先の国立大学を含めると、かなりの数の技術系職員が配置されています。国土交通省(旧建設省)に次ぐ職員の多さではないかと思います。(国立大学にこれほどのお抱え職員が必要なのだろうかという問題は従来からあるのです。)

今回逮捕された文教施設企画部長(旧文教施設部長)という職は、いわゆる文部科学省のキャリア技官(国家公務員Ⅰ種)のトップとして、国立大学関係だけでも年間約1千億円もの工事予算を作成・配分する立場にあるとともに、国立大学に配置する施設系部課長(管理職)の人事権を持つ最上の立場にあります。

また、その傘下にいる文部科学省、国立大学の技術系職員は、一般行政職とは全く別枠の組織や人事構造の中で異動し退職を迎えることになっており、話を簡単にして申し上げれば、極めて閉鎖的な透明性の低い環境下に置かれ仕事をする体制になっています。(一部にはこれが不正を生む温床になっているのではないかとの意見もあります。)

したがって、現役とOBが節度のない馴れ合い的関係になるのは必然的であり、そこに建設会社がつけこみ、多くの天下りを雇用し営利を求める行動に出るという悪循環が生まれているようです。

今回の事件では、逮捕された元文教施設企画部長のほか、文部科学省の役人や国立大学の現役職員と業者との会食やゴルフを通じた癒着の実態が報道されています。また、大学現場からも情報が漏洩していたのではとの疑いも一部報道されています。

国立大学では、今でも建設会社に天下った管理職OBが、何人かの営業部隊を引き連れ、後輩や顔見知りの管理職を訪ね、適当な世間話に花を咲かせ、情報収集と名刺配りにいそしんでいる光景をよく見かけます。退職後の生活がかかっている状況は理解できますが、あくまでも不正を伴わない営業で終わってほしいものですし、現役職員の方は、脇の甘さを常に確認しなければなりませんね。

大学は教育機関であるとともに公共的な機関でもあります。したがって、大学職員には高い倫理観とともに自律性が求められます。先輩やOBから強い要請があっても、不正は絶対に実行してはなりません。大学職員の高い倫理感が、大学の公益性と社会からの信頼を支えているのです。


(参考)

文部科学大臣記者会見(平成20年4月15日)概要

記者)
国立大学の施設発注を巡る汚職事件について、省内に調査チームを立ち上げられましたが、調査の進捗状況を聞かせて下さい。

大臣)
本件については、4月7日以降、警察の捜査の状況も見守りつつ、調査チームにおいて、省内幹部並びに文教施設企画部の幹部OB等に対して事実関係の聞き取り調査、加えて再発防止に対する検討を行ってきました。

事実関係の聞き取り調査の進捗状況については、まず、文教施設企画部の課長補佐級以上の職員の中には、倉重容疑者と面識のある者がおり、この中には、ゴルフや会合の際に倉重容疑者と一緒になったことがあるとする者もいるということですが、記憶上のことですから、必ずしも明確でない者もいるために、さらに詳しい事情について、引き続き調査することとしています。またOBについては、文教施設部長又は文教施設企画部長及び技術参事官のOBを聞き取りの範囲として行ったわけですが、その中に倉重容疑者と面識のある者がおり、この中には、先程同様、ゴルフや会合の際に倉重容疑者と一緒になったことがあるとする者も若干名いたわけですが、この件についても必ずしも記憶が明確でない者もいるため、さらに詳しい事情について引き続き調査をすることとしています。その他の省内幹部、これは文教施設企画部以外の課長級以上ですが、これまでのところ、倉重容疑者の名前を聞いたことがあるという者はいたものの、面識がある者は確認されていません。なお、これらの詳しい中身については、捜査に支障を及ぼすおそれもあると考えられますので、現時点では、これ以上詳しく申し上げることは差し控えさせて頂きたいと思います。

次に、現在、五洋建設及びペンタビルダーズ株式会社が工事を受注した国立大学法人等について、その過程に問題がなかったか等についても調査していまして、今週半ばくらいには一定の状況が把握できると思っています。国立大学法人等での調査ですから、時間が少し掛かっているとご理解下さい。

一方、先週火曜日の記者会見でも報告しましたが、これらの作業と並行して、本件が生じた要因の検証ですとか、これからの再発防止策の検討を指示していまして、

1点目は、国立大学法人等の施設整備事業のプロセスに問題がなかったか。例えば、個別事業について公表の時期は、予算が確定してから各大学に通知をするということが一般的です。これは全ての予算がそうだと理解していますが、予定されていることとしてあらかじめオープンとすることが可能かどうか。今までの段階で分かっていることは、その情報の提供が受注に有利に働いたということですから、こういった点について、今、制度的な問題として何ができるか検討しているところです。
2点目は、これは人事の問題ですが、硬直的といわれている文教施設企画部の人事異動の在り方に問題はなかったか。施設系職員にも従来に比べ広く他局課での経験を積ませるという人事配置は、過去に比べると格段に進んでいると考えているところですが、なお工夫する余地はないか検討しています。

3点目は、職員の服務規律について、これは個人の倫理の問題になると思いますが、これまでも色々な機会を通じて、しっかりと守るようにと徹底してきたつもりですが、なお改善をすべき点がないか検討を始めています。

これらを総合的に勘案して、再発防止の検討を指示しているところです。なお、事件の実態、全容がより明らかになってきたときには、よりしっかりとした調査・検討をしたいと考えています。我が省は捜査機関ではありませんから、調査は聞き取りが中心になりますし限界はあると思いますが、先程も言いましたように、まだ記憶に頼っているところも若干あるわけですから、引き続き、できるだけ事実関係の調査を行うとともに、再発防止策の検討をしっかりと進めていきたいと考えているところです。

記者)
今の件ですが、面識はあるが記憶が曖昧という部分は、ちょっと矛盾しているような感じがするのですが、これはどういう意味でしょうか。

大臣)
名前は聞いたことはあるが面識がないということはあるわけです。随分以前の話もあるわけですから、あれが倉重容疑者だったかなとか、あれが倉重容疑者のことかもしれないというふうなことだと思います。これは若干私の推測もありますが、私自身も、例えば、5年前にゴルフをしたときにいたのかなと言われればいたような気もするというのは、あるのではないでしょうか。今のご質問に対しては、そういうことを言った者に対して再度調査をして、記憶を辿ってもらって、より鮮明なものにしたいということです。記憶ですから、確かでないということはあると思います。ただ、色々な話を聞いて記憶が確定する場合もありますし、やはりはっきりしないということはあると思います。そういう意味だとご理解頂ければ結構です。

記者)
一般の人に分かり易く解釈したいのですが、要するに、倉重容疑者と一対一で会っていたが何処で何時会ったのかという記憶が曖昧なのではなくて、大勢の中の一人が倉重容疑者だったのかどうかという意味で記憶が薄いということなのでしょうか。

大臣)
必ずしもそうとは特定できないと思います。これは色々なケースがあると思います。私が具体的に面接をしたわけではありませんから、もし必要であれば調査チームから答えさせますが、一般的に私が理解していますのは、名前を聞いてそういう人がいたということは聞いたことがあるとか、会ったことがあるが記憶が定かではないというのは、あの人が多分そうだったのだろうと思うというふうなことではないかと。ただ、面識があるというのは、はっきりと相手が倉重容疑者で、かつ、顔も覚えているといったような認識だと思いますので、そういうことを面接で発言した者に対しては、より詳しく聞くということではないかと思います。何か補足することありますか。

担当者)
今、大臣が言われたとおりです。

記者)
何人から聞き取り調査をした結果、およそ何人がそういうふうに面識がある、ないし知っていると答えたかを教えて下さい。

担当者)
審議官級以上が32名で、文教施設企画部以外の課長級以上が75名いますが、今一人まだ確認ができていません。75名のうち74名です。それから文教施設企画部の課長補佐級以上に聞き取りをした対象は32名です。そのうち、面識があるとか記憶があるといった者の人数については、曖昧な部分がありますので控えさせて頂きたいと思います。

記者)
OBには何人聞いたのですか。

担当者)
OBは8名です。

記者)
つきあいとか、ゴルフというものを確認された中で、一番古いのは何年前でしょうか。

大臣)
中身については、今警察による捜査もありますので、今の段階では控えさせて頂きたいと思います。

記者)
その中身なのですが、例えばゴルフによる接待そのものは、捜査に関係なくいけないものだと思うのです。その部分については、捜査に関係なく文科省として一定の説明をする責任があるのではないかと思うのですが、如何でしょうか。

大臣)
先ほど申し上げましたように、捜査に支障があってはいけませんので、今の段階ではその件についても差し控えさせて頂きたいという判断をしています。

記者)
聞き取り調査の質問項目といいますか、内容というのは、倉重容疑者との面識とかの他に、どういうことを聞かれたのでしょうか。

大臣)
基本的には、倉重容疑者を知っているかということから始めまして、先程言いましたように、名前は聞いたことがあるかとか、あるなら面識があるかとか、ゴルフに行ったことがあるかというような質問項目だと思いますが、正確を期すために担当から発言させます。

担当者)
今大臣が申し上げましたように、基本的には、倉重容疑者を知っているかということから始めまして、知っているという職員に対しては、面識があるかとか、食事をしたかとか、ゴルフをしたかとか、そういった具体的なつきあいの程度について聞いています。その他関連して、「櫟の会」とか「文施OB会」といった名前も出ていますので、それについても知っているかどうかといったことを聞いています。その他、関連事項をケースバイケースで聞いています。

記者)
現在調査されています、五洋建設とぺンタビルダーズ株式会社が受注した大学の工事件数は、どれくらいですか。

担当者)
今確認して後ほどお答えします。

記者)
文教施設企画部の者が、ゴルフをしたり会食をしたり、知っていようが知っていまいが、同席することだけで服務規程違反になるのですか。

大臣)
これは公務員倫理として内規があった時代と、国家公務員倫理法ができた以降では、法律的には扱いが違うと思いますが、従来は文部省の内規として倫理規程があったわけですから、そういった意味では、今のご質問の趣旨が法律違反かということであれば、国家公務員倫理法制定後は法律違反になると思います。

記者)
そうしますと、現職職員の中にこういった違法行為をした者がいる可能性が非常に高いという状況にあると、そういう認識でよろしいのでしょうか。

大臣)
先程も言いましたように、聞き取りを受けている者も、私は悪意があってとは思っていませんが、記憶が少しはっきりしないという点もあるわけですから、なお慎重に、そのことも含めて、それが何時だったのかがしっかりと確認をした上で、お答えをさせて頂きたいと思っています。

記者)
それは刑事的な処分だけではなくて、文科省内としての処分も含めて考えるということですか。

大臣)
それは全体像が、ある程度、最後まではっきりしなければできないものではないと思いますが、少なくとも個人との関係においては、何らかの確証が得られた段階でやらなければいけないと考えているところです。捜査もまだ進行中ですし、そういったものについて我々は何も別に隠そうという意図は全然ありません。事実、そんなことができる時代ではないと私は思っています。ただ、不確定な部分がある中で、今、予見をもって皆さんにお答えすることは、むしろ適当ではないと。そこの部分は、はっきり言える段階できっちりと報告させて頂きたい。先程も言いましたが、我々がやっていることには、私自身も限界はあると思っています。でも、こういうことが起こったわけですから、我が省としての国民に対する説明責任ということで、然るべき時期にしっかりと報告したいと思っています。

担当者)
先程ご質問がありました受注実績ですが、文部科学省が把握しているもので、まず五洋建設は、過去5年間で延べ8大学、30億9,270万2千円です。それからペンタビルダーズは、過去5年間で延べ3大学1機関、3億6,634万5千円ということです。

記者)
確認ですが、先程、倉重容疑者を知っていた現職の者がいたという表現だったのですが、複数いたということでよろしいのでしょうか。

大臣)
はい、複数です。

記者)
これまでの調査で、ゴルフとか会合をしていたという文教施設企画部の人がいたことについて、大臣の今のご所見を伺えますか。

大臣)
これは残念の一言だと思います。特に、そういうことが過去において度々指摘をされて、そして国家公務員倫理法という法律までできたわけです。そのことを考えれば、それ以前でも問題がないとは言えないとは思いますが、それ以降においては、たとえゴルフのプレー費を自分で負担しても、そういうことはしないようにということが、はっきりと決められているわけですから、やはりまず公務員というのは、法を執行するわけですから、自分自身も法をしっかり守るというのは基本です。公務員制度改革がこれから議論をされるわけですから、やはりこういうことが具体的に発覚したということについて、非常に残念だと思っています。


*1:国立大学は2004年度、国立大学法人法に基づいて文部科学省から独立した。全国に86あり、法人ごとに建設・設備工事を発注している。研究施設の不足や老朽化が課題となっており、同省は06年4月にまとめた「第2次国立大学等施設緊急整備5カ年計画」で、10年度までに約1兆2000億円の費用が必要と試算。08年度当初予算では、各国立大への補助金などとして約921億円の施設整備費を計上した。

2008年4月25日金曜日

教職協働に向けた大学職員のとるべき道

前回に続き「教職協働」に関する話題です。前回は、教職協働に向けた課題の一つとして、教員と職員の関係改善、教員の職員に対する意識改革についてやや辛口のコメントを交え書かせていただきました。

大学に内存する問題から目をそらしていては、いつまでたってもあるべき姿は現実のものとはならず、明日への一歩を踏み出すことはできません。

私が尊敬し愛読させていただいているブログの一つに「大学プロデューサーズ・ノート」があります。少々古い時期のものですが、教員と職員の関係について触れている「就職先は「母校の職員」変わる東京大学」(2006年10月13日)の一部をご紹介します。(全文は、この日記の最後にある「大学教育」をクリックしてください。ブログを移転されましたが、現在でもランキングの上位に位置しています。)

「会議となると、教員が前に座り、職員は後ろの席でメモを取り始める。それが当たり前になっていた」という東京大学・上杉理事のご指摘が紹介されておりますが、これはおそらく、日本のほとんどすべての大学に当てはまるものだと思います。

ちょっと東大から話がそれますが、我が国の大学では、未だに教員=アタマ、職員=手足という役割分担を行っている大学が少なくないのです。

以前の記事で、広報の素人である教員が持ち回りの「広報委員会」で意見を集めて広報方針を立て、(プロであるはずの)職員はただ決定事項を拝領し粛々と実行のための事務処理に努めるという、大学に見られがちなガバナンス構造について書きました。こういった組織風土は、変えようと思ってもなかなか変わるものではありません。

このような二元体制になってしまう理由は色々あると思いますが、ここでは簡単に3つだけご説明します。
  • 教員、職員それぞれが「こうあるべきだ」という意識を変えられていない
  • 両者の属する組織のガバナンスが違っている
  • 教員と職員のスキル・能力に大きな格差がある
職員のことを、あたかも召使いか何かであるかのように思っている教員というのは、おそらく全国どこの大学にもいます。心の底で「職員が考えた案なんか信用できるか」という意識を持っておられる方も、残念ながら、少なくないと思います。

またそれをいいことに、自ら意見を出さず、責任もとらないポジションに甘んじている職員が、やはりどこの大学にもいると思います。「それは先生方がお考えになることだから」という言葉を、口癖のように使う職員です。

こうした役割分担を感じさせるのが、「事務方(ジムカタ)」という言葉です。「これ、あとはジムカタでやっといて」、「それはジムカタが用意します」など、この言葉には、何か顔の見えないサーバント集団というニュアンスが漂っています。

教員は個別の名前で呼ばれるのに、職員は一律に「ジムカタ」と呼んで無礼にならないのは、はじめから職員には、誰でもできる雑用仕事、手間仕事しかやってこないということの表れだとマイスターは思っています(マイスターが嫌いな言葉ナンバーワンです)。

こういった相互認識が根強く残っていると、教員と職員はいつまで経っても本当の意味で協働できません。

ガバナンスの違いも、両者の距離を拡げている要素の一つです。大学職員は、行政や会社に似た、ピラミッド型の連絡組織を形成しています。トップの方針に従って、上意下達で動く組織です。

かたや大学教員は、一応学部学科組織に所属してはいるものの、組織人と言うより、個人営業主に近い意識を持っている方も少なくないようです。大学に雇われているという意識よりも、自分は参加する学会や学術コミュニティの一員だという意識の方が大きいように思われます。加えて教員組織では、教授会に代表されるように、多くのことが合議制で決定されます。企業でいう「上司」にあたる役割の方がいないことも多く、トップダウン型の指令伝達には向いていません。

このように、同じ大学という組織に所属してはいても、教員と職員のガバナンスは全然違います。職員は「教員は勝手なことばっかり言う」とこぼし、教員は「ウチの職員は官僚的でアタマが固い」とこぼす原因はこれです。

教員と職員のスキル・能力に存在する非対称性も問題です。多くの教員は、東大などの研究大学で博士号を取り、自分の専門性を身につけています。そしてその専門性を磨き上げるべく、普段から様々な努力をしています。

一方職員はというと、学部卒でこれといったスペシャリティもなく、ただ漫然と仕事をこなしているだけの方も多いです。これでは、話を聞いてもらえなくなるのも無理からぬことです。職員も専門性を身につけるべきだとよく言われますが、それはこういうことです。

他にも色々と考えられますが、主に以上のようなところが、<教員=アタマ、職員=手足>となってしまう原因ではないかとマイスターは思います。

大学における教員と職員の位置付けの問題とともに、「職員の意識や教員とのスキル・能力の格差の問題」が指摘されています。

確かに、教職協働を実質的に成功させるためには、教員の意識変革にだけ期待するのではなく、教員に対抗できる職員自身の専門的スキルの向上、職能開発に向けた努力が不可欠なのだろうと思います。

教職協働に向けた大学職員の向かうべき方向性について、示唆に富む一つの論文を見つけました。
執筆時期はよくわかりませんが、中央大学の横田利久氏が書かれたもので、「あらたな教職協働に向けた職員の実践的課題を考える」というテーマです。

はじめに-教職協働に向けた「大学職員の専門性」とは

あらたな教職協働の必要性が指摘されている。そしてその在り方としては多くの場合、教学分野では教員と職員とがより高い次元で協働しあうべきこと、経営分野では教員の兼務に代わって職員がより重要な役割を担うべきことが述べられているが、いずれにおいても必須課題として職員の専門性を高めることが求められている。

実際、その養成に関する大学院や学会も近年できはじめてもいる。大学をめぐる環境の激変と経営困難化のもとで、教員と職員とのあらたな分業・協働関係の構築が求められるのは当然であり、教職協働を伴わない大学改革は改革とはいえない。「大学職員の専門性」は「現状では、大幅な権限を委譲するだけの品質保証、信頼性を担保しえているわけではない」ことも確かであり、それを高めることが急務ではあるが、よく考えると疑問もわいてくる。

そもそも「大学職員の専門性」とは何なのか*1。アカデミックな専門性なのか実務的・実践的な意味の専門性でよいのか、それは従来のゼネラリスト/スペシャリスト論や近年の職員アドミニストレーター論などとどう関係するのか、専門職と専門性とはどう関連させるのか、要するに職員はもっとプロになれということなのか、等々である。

私自身は今のところ、特殊な専門職をのぞけば、教員のような専門そのものではなく、「高度なマネジメント(それは十分専門性を持っている)を下支えする程度の専門性」でいいではないかと安直に思っているが、どうもことはそう単純にはいかないようで、育成方法や処遇・採用の問題まで直ちに議論が及んでなかなかすっきりいかない。

誠に残念ながら昨年急逝された孫福弘氏(当時横浜市立大学最高経営責任者)はこれらに関して「ゼネラリスト型というよりは、何らかの専門性(スペシャリティー)をもってそれをベースに仕事をするという、スペシャリスト型を加味した新しいスタッフである。しかし、これまでのスペシャリストのように、狭い専門性の中に閉じこもるのではなく、組織全体の展望を視野に入れたなかでの専門性の生かし方を常に考える、いわばゼネラリストとスペシャリストのハイブリッド型プロフェッショナルである」と分かり易く述べておられる。

大学行政管理学会大学職員研究グループでも昨年秋来、この「大学職員の専門性」が集中討議されている。この問題はあげればきりがなく、それだけで紙幅が尽きてしまうことから、今後さまざまな場で議論が深まることを期待して横に置くこととし、ここでは、教学分野で教職協働を推進していくための職員サイドの課題として、別に2つを取り上げてみたい。

決定的に重要なミドルの役割

教職協働推進にもっとも基本的で重要な環境条件は、組織ミッションが明確にされていることであり、そのためにトップや現場ミドル(ここでは職員管理・監督職レベル)のリーダーシップが発揮されていることである。

例えば、「学生の満足度向上」(早稲田大学)、「学生の学びと成長」(立命館大学)、「教育付加価値日本一」(金沢工業大学)といったミッションが全学的に共有されていれば、全ての大学構成員を励ましその下での教職協働は比較的容易となる。

とはいえ、うちはトップがだめで全学的なミッションが共有されていないから教職協働は無理だなどとミドルが言い訳をしてはならない。「大学運営の大半は職員の意欲と工夫、努力、それに政策でいくらでも変えられる」。大学は分権的であるため、実践の場である各機関にいけばいくほどミドルが、そのトップ(教学機関長)や審議組織・メンバーに働きかけ、部下をして教職協働に挑戦させることが可能である。教職協働のしかけづくりでもその組織風土づくりにおいても、ミドルの役割が決定的に重要なのである。

実際、大学改革先進校(つまり教職協働先進校)である立命館は、トップダウンでもボトムアップでもなく、ミドルアップダウン方式が改革を支えている。良い教職協働は、直接的な仕事の成果とともに、副次的効果を生む。教員と職員との信頼関係を築き上げ、パートナーである教員への理解を深め、自らの業務遂行能力を高め、さらに専門性開発への動機付けを得るなど、職員を大きく成長させる。それがまたあらたな教職協働の原動力となる。立命館を始め改革の進んでいる大学は明らかにこのサイクルがまわっている。

しかしながら、未だ多くの大学におけるミドルは、官僚的縦割り組織における「管理」機能は果たしていたとしても、こうした新たな挑戦的課題へのリーダーシップ発揮は十分とはいえない。むしろ失敗や問題発生をおそれ消極的なミドルや、自分は内心そうしたいと思っていてもそのためのリーダーシップ発揮をためらうミドルが多いと感じている。

リーダーシップには様々な定義があるが、一つは「一定の目標を達成するために、個人あるいは集団をあるべき方向に向かわせるための影響力の行使」である。そう考えると、ためらうミドルは主観的な意図とは別に後ろ向きのリーダーシップを発揮していることになる。大学職員はまじめで素直な人が多いから、自然とミドルの色に染まってくるからである。

こうしたこともあってか、大学のミドルは、民間の中堅社員と比べると「『課題形成、課題解決、課題共有』に力の差がある」と指摘されている。このことは、「大学職員現状意識調査」アンケート結果(2003年8月大学行政管理学会会員に実施。回答者数343通。回答率45.4%。大学行政管理学会誌第7号)からも垣間見られる。回答者の8割以上が課長職以上にもかかわらず、「後輩の指導がうまいと思いますか?」という設問に「いいえ」と答えた職員は60.9%に上っている。

一方、同じ調査で「自分には向上心があると思いますか?」という問いには、「はい」と答えた職員は95.0%に上っているから、あながち謙遜の結果とはいえない。要するに、後輩や他者への指導は下手だが、自分はちゃんと自己啓発しているということであり、教員集団と同様の発想で水平・分散的に「管理」している傾向が、アドミニストレーターをめざす学会の会員ですらみられる。

しかし例えば、大谷大学教育研究支援課では「教員の本務である教育研究にかける時間シェアを最大化する」ことを滝川義弘課長が組織ミッションに掲げて万事取り組んでいる。こうした課とそうでない大学・課とでは、課員の意識や業務対応はまるで違ったものとなろう。

ミドルのリーダーシップの発揮は教職協働推進に向けた大きな課題である。

教員・研究者への理解と職員の自己確立

教職協働に向けて職員に求められる基本姿勢としてもっとも大切なことは、パートナーである教員・研究者の特性と彼らの立場をよく理解し自らを律することである。

大学教員は基本的にその専門分野の研究業績によって採用され評価されている。実際、主に教育と研究のどちらに関心があるかという国際調査においても、日本の大学教員は国際的に見て突出して研究重視である。そして、教員は改革に参画しても個人の授業負担・研究義務は軽減されない。それによって改革が進んでも、給与も身分も別にかわらない。学者の世界で評価を得るにはとにかく研究業績をあげるしかない。

教員にとっては、改革の「時間コスト」も参画へのリスクもすべて自分持ちだ。にもかかわらずこの間の大学改革で教員は、忙しくなる一方である。大学間の労働移動性も高い。こうした中で、いわば「持ち回りの雑用」意識を超え、高い代償を支払って改革課題に参画をしてもらうことは容易ではない。

しかし、職員はそうではない。職員は組織で仕事をしているため人的手当をはじめ負担増はある程度組織が対応してくれる。その仕事ぶりによって、たぶん生涯を過ごすであろう当該大学において、給与も身分も声望もあがる可能性が大きい。

要するに職員にとっては、プロの職業人でありたいとする限り、改革への参画は大きなチャンスでありいいことずくめなのだ。しかも職員は割にたやすく、組織バリアーの中に逃避し組織を言い訳に使うことが可能である。(逃避の容易さは教員も同じだが、ここでは言及しない。)

いかに職能が異なるとはいえ、教員と職員とではこうした見事なまでのアンバランスが厳然として存在しているもとで教職協働を推進するためには、先ず「教員の教育や行動を変えるのは何かを見極める必要」(濱名篤関西国際大学教授)がある。

そして、「職員の専門性」の課題はひとまず置くとしても、せめて我々は自らも多様な形態で学びを継続し、それによる教育・研究への理解を深めつつ、「組織における個の確立」を図っていきたい。そうしなければ、パートナーシップの担い手としてはとうてい十分ではない。

おわりに-志の高い元気な提案・説得型の職員に

あらたな教職協働は、最終的には、「『教師が教育と研究に専念できる』システム」を目指さねばならない。

まずは、職員一人一人が、「学生のため」をより深く広い視野で捉えた上で業務の中核に据え、改革への志と気概を自らの実践の中でしめしていくこと。職員の責任において本来可能なことは教員に投げずに実践し、教員の責任において対応すべきことは堂々と主張すること。そして、これらの結果を率直に相互点検・評価できる風土をつくっていきたい。

あらたな教職協働は、教員と職員との間にそうした一定の緊張関係が必要であるが、「学生のため」が相互理解・了解を進めるキーポイントになる。だから、打たれ強く粘り強い提案・説得型の職員になってほしい。いきなりは難しそうだと思ったら、まずはとにかく言い訳や責任転嫁をせず元気にひたむきに仕事に取り組むことだ。そうした職員の立ち居振る舞いが教員を励ますことにもなる。

大学経営分野の教職協働という点では、日本福祉大学の執行役員制(教員5人、職員5人)が現在もっとも先進的な到達点であるが、これとて一朝一夕にここまできたわけではない。知多半島移転後の諸課題に対する20数年にわたる、教員との激論を含む教職協働の取り組みの成果である。

道は厳しいがまずは職員からである。「職員が変わらなければ大学は変わらない」(日本福祉大学常任理事福島一政氏)のである。


*1:肥塚浩立命館大学教授は、「職員の専門性」を高度なあるいは特殊な専門的知識や技術とともに、マネジメント能力を高めることによるマネジメントの専門性の2つをあげている。 また、「大学職員の専門性」に関わって、職員の必要な能力として次の5点をあげている。  1)高等教育の現状について、その歴史的経緯を踏まえ、かつ将来性を見据えた調査分析を行う能力、 2)課題を発見し、政策立案できる能力、 3)課題を解決する実践能力、 4)実践した仕事の達成水準の評価とそれを次の課題にフィードバックする能力、 5)大学の構成員およびステークホルダーとコミュニケーションする能力

2008年4月24日木曜日

大学経営において職員と教員は対等である

ここしばらくは、職員(事務職員)に関わる能力開発や組織・業務の改革について書いてきました。

しかし、残念ながらそれだけでは大学の改革を進めることはできません。
なぜならば、大学というところは、文部科学省や自治体などの役所と違って、単一の職種で組織が構成されているのではなく、様々な職種の人達が働く職場だからです。

大学は、民間企業のように、理事長あるいは学長の一声に構成員全てが素直に従うような職場ではなく、長年の慣例に従った合意形成を重んじるがため、一つのことを決めるのに屋上屋を重ねる手続きを踏んで、ようやく数ヵ月後に動き出すといったスピード感のない体質が現在でも残っています。民間企業がそんなことをやっていたらすぐにつぶれてしまいますよね。部局(教授会)自治を背景とした悪しき民主主義が相変わらずはびこっていると言っても過言ではないでしょう。

そんな中で、教員と職員との関係改善は、大学経営の健全化を図る上で重要な課題の一つです。これまで多くの大学では「教員が上で職員が下」という身分格差が当然のこととされ、「職員は教員の下働きを行う者」という取り扱われ方でした。

知識基盤社会の到来、18歳人口の減少、大学間競争の激化と個性化の重視など、大学を取り巻く環境が大きく変化している中で、大学経営の強化が従前にも増して重要になってきているにもかかわらず、大学の中で「教職協働」がなかなか進まないのは、職員の能力開発不足ももちろんですが、教員の職員に対する蔑視意識が根強く存在しているからにほかありません。(すべての教員がそうであるということではありませんが。)

とても残念なことではありますが、先月、このような記事が報じられました。


三重大准教授「辞めてしまえ」 パワハラで出勤停止処分 (2008年3月7日 中日新聞)

三重大国際交流センターの男性准教授(53)が、複数の職員に「おまえなんか早く辞めてしまえ」などと計18回にわたり、暴言を浴びせたり、ひぼう中傷メールを送ったりするパワーハラスメント(職場上の地位を利用した嫌がらせ)を繰り返したとして、同大は7日、出勤停止6カ月の懲戒処分にした。

同大によると、准教授は一昨年8月から昨年9月までの約1年間、同センター職員らに「事務が何をえらそうなことを言っているんだ」と直接言ったり、自分の書いた文書を手直しした職員について「わび状を出せ」などと書いたメールを12人のセンター職員全員に送りつけたりした。

職員らは「夜も寝られない」「出勤するのが怖い」などと訴え、一昨年8月に苦情を申し立て、同大が調査していた。

准教授は1997年に日本語教育担当として採用され、センター教務主任。以前にも女性非常勤講師に中傷メールを何度も送り付け、ノイローゼにさせて厳重注意を受けていた。

准教授は、こうした発言などをしたことは認めているが、「職員の方が自分をなめている」などと話しているという。豊田長康学長は「教員が人権侵害行為を行ったことは誠に遺憾」とコメントした。


暴言の准教授懲戒処分 三重大 教職員に「辞めろ」 反省も見られず (2008年3月8日 読売新聞)

三重大(津市)は7日、同大国際交流センターの男性准教授(53)が、複数の職員に対し、何度も「辞めろ」と暴言を浴びせたなどとして、同日付で出勤停止6か月の懲戒処分にしたと発表した。

同大によると、准教授は2006年8月から昨年9月にかけ、同センターの他の准教授や助教、非常勤職員ら計10人に、「早く辞めてしまえ」などの暴言を浴びせた。また、他の教職員に、職員を名指しして「辞めさせてください」と中傷するメールを送った。

同大は06年8月、職員らから「出勤するのが怖い」などと申し立てを受け、調査委員会を設置して調査を開始。暴言が長期間にわたって執拗(しつよう)に繰り返されたうえ、准教授は04年2月にも女性非常勤講師に2年間にわたって「なぜ言うことを聞かないのか」などの内容のメールを送り続けたとして口頭厳重注意を受けていることなどから、重い処分にしたとしている。

大学に対し、准教授からも「自分が被害を受けている」と申し立てがあったため調査が長引いたという。

准教授は調査に対し、発言の事実は認めながらも、「言うことを聞かない相手が悪い」などと説明しているといい、大学側は「反省の態度がみられない」と指摘している。豊田長康学長は「三重大に対する社会の信頼を著しく損なうものであり、深く陳謝する。今後は教員の資質を向上させ、信頼回復に努める」とのコメントを出した。


事件性の大きさ故報道されたものと思いますが、伝聞も含め経験的に申し上げれば、類似した事例は、これまでも多くの大学において日常的に発生していたのではないかと思います。本件のような事例は、完全なる人権侵害であり、個人的には、6月の出勤停止という量定はかなり甘すぎるのではないかと思います。これが、職員に起因する事件であれば、大学はもっと重い処分を行ったでしょう。

職員と教員の不公平な取り扱いは、国立大学の場合、現在でも制度上存在しています。例えば、学長選挙(現在は意向投票といった名称に変わりました)の選挙権は、国の時代、職員には全くありませんでした。法人化された今でも、幹部職員にしか認めていない大学が多いと聞きます。また、懲戒処分の判断を行う委員会は、対象となる職種(職員と教員)ごとに設置され、教員の処分についての職員の発言権が認められていない大学も少なくありません。さらに、大学の意思決定を行う重要な会議の構成員は、ほとんどが教員で占められています。

このように、社会から見れば、実に不思議な世界が、大学の中には至極当然に存在しており、そんな大学に、国民の税金を原資とした多額の運営資金が投入されていることについて、国民はもっと厳しいチエックを入れるべきでしょう。

「教職協働」という言葉が重んじられる時代になりました。職員であろうが教員であろうが、専門や分野が異なろうが、両者とも、少なくとも大学に生活の糧を求める人間であることは間違いないし、自分の将来を託す覚悟で多額の授業料を収めている学生やその保護者に対し、恥ずかしくない仕事をしなければなりません。

人間としての「イコールパートナーシップ」や相手を尊重する心が基礎にあってこそ、大学におけるそれぞれの使命を果たすことができるのではないかと思います。


最後に古い記事になりますが、Between(2002年5月)という雑誌に掲載された、立命館大学の川本理事長のインタビュー「職員と教員は共通の視点に立ち、大学運営に平等に参画する」をご紹介します。

日本で初めてのインスティチュート制度導入や立命館アジア太平洋大学(以下、APU)の開学など、先進的な教育改革を進める立命館。その背景には、学生を中心に職員と教員が共通の視点に立ち、教職協働を推進。業務会議の教育効果により職員が学園運営や教育に関しても積極的な提言を行い、改革に参画する気風がある。自身も職員であった川本理事長に、あるべき大学職員像と課題を聞いた。

大学職員の職務とは何か、職員に求められる能力、私立大学が抱える今後の課題について、川本理事長は次のように話す。

大学職員とは何か

大学に限らず『働きがいのあるところ』という視点で職場をとらえる必要があります。自己の成長はもちろんですが、社会性、公共性などを総じて考えてみる。

大学は、将来を担う人間を養成する場であり、職員はそうした社会的、歴史的使命に参画することができる。また、急速に成長していく学生の変化や成長過程を見て刺激を受け、職員自身も成長できる。

また、疑問点があれば、教員に尋ねたり、図書館で調べるなど、勉強するには事欠かない場所である。こうした恵まれた環境の職場はほかにはないということを自覚すべきであると思います。さらに職員の役割は何なのかをもっと明確に自覚すべきだと思います。

私は、大学の教員はアクター、アクトレスであると考えます。学生は、その演技のすばらしさに感動して、自分たちも勉強しようという気持ちになる。どういう演劇の筋書きにするのか、どの俳優に第何幕に登場してもらうのか、照明をどうするかなど、演技者の力を最大限に発揮できる条件と舞台を作る。これが、まさに職員の仕事です。職員の力量が高くなかったら、教員の力量は発揮されない。同時に、職員は、専門を教育し、研究しているという教員の力量を正当に評価し、そこから学ぶ姿勢を持たなければなりません。

一方で、学生に焦点をあてれば、教員であろうと職員であろうと、良い学生を育てるという意味においては、学園で働いている全員が平等なのです。そうした視点に立てば、職員も自分の意見を堂々と言える。自分の職務に対する確信も持てるわけです。

社会変化に対応し科学的に分析する能力を

職務に関していえば、学生の全体像、各学部の現状や変化や方向性、さらには大学全体の運営に関し、データを持ち、相対的・全体的に把握することができるのは教員ではない。資料を読み解き、科学的に分析して、問題の本質を導き出すのは職員なのです。

社会の変化に対応し、これからの大学は激しい勢いで変化していきます。こうした中で職員の力量が問われてくる。まず、調査・分析する能力が必要となります。地域的、国際的、歴史的な調査の上から未来を予測しなければならない。

もちろん、職員自身の資質や能力が問われるわけですが、これに関しては体系的に学ばせる必要があると考えます。特に若い職員には一定の責任を持たせ、実践する等の訓練が重要です。学際的な問題から、学生を理解し援助していくのに必要な学生論、大学論とその管理運営論、大学財政論などを系統的に学ぶ、プロフェッショナルスクールが必要だと感じています。

問われる大学組織のあり方

現実の大学のあり方にも問題はあります。大学を組織的に整備し直す必要があるでしょう。まず、学長、理事会、教授会の権限の明確化、そして教員を説得できる知識と経験を持った職員の存在。また、こうした組織の指導者の存在も重要です。本学では、私自身も職員でしたが、APUでも職員が副学長になっています。職員の上層部への登用は、全職員にとって大きな励みになる。

一方、大学は教育研究機関であるわけで、大学の最高責任者は学長であり、事務局全体としても教育研究に奉仕するという姿勢を忘れてはならない。しかし、学長を選ぶ選挙に職員が参加している大学が日本にいくつあるでしょうか。教育や研究を支えるために一日中働いているのに、その代表たる学長を選ぶ権限を与えられていないことに職員は憤りを持たないといけない。総長選挙も、学部長選挙も職員全員が参加する。そのことが、職員に誇りを持たせる。そうした素地がなければ、職員にどんな改革案を提案させても効果は上がりません。職員を大学業務の一歯車とせず、学園の全体像が見えるようにすることが重要でしょう。


立命館では、90年代から、学園における事務体制整備の取り組みの中で、「職員像」「業務像」を明確にしていった。川本理事長が述べるように、立命館の職員は科学的な調査・分析の下、学園に関する政策提言も行う。実際、政策にかかわるプロジェクトを組む際には、立命館の職員は事務局にとどまらず、委員として参加し、意見を述べる。

職員だけではない。「全学合意の原則」の理念の下、理事会はもちろん教員、職員、学生すべてが参加して議論する場がある。その全学協議会では、これまで、新学部・新キャンパス創設やAPUの開学など、学園づくりにかかわる主要なテーマが議論されてきた。

業務会議での教育力を重視

このような場で職員が意見を述べるには、当然、それなりの知識とデータに基づいた理論的な提言ができる力量が必要になる。

立命館では、各部課全員で、学園の方針から業務に至るまで、さまざまなテーマについて議論する『業務会議』を週に1回設けている。職員が議論に集中できるよう会議は半日をかけ、その間、窓口は閉鎖する。

各部課の業務課題はもちろん、基本的な学園課題の政策文書についても必ず討議される。中教審答申やロースクールをめぐる問題など、高等教育分野の機軸となる答申や文書については各部課共通で議論されてきた。職員は、学園政策文書や高等教育関係の答申などを事前に読み、業務会議で論議し、理解を深めていく。この教育的側面は大きいという。さらに全学課題や政策目標を共有化するなど、『業務会議』がきちんと機能すれば、人事制度による研修よりもはるかに職員の力がつくと見ている。

また、各部課においては、夏休みに合宿形式の研修などを実施している。研修で議論されるテーマは、各部課で独自に設定されることもあるが、学園の重要課題を統一的なテーマとして与える場合もあるという。

職員業務知識テキストの作成

『業務会議』を通じて、職員は大学を取り巻く状況や学園の課題について相応の知識を身に付け、理解を深める。職員が政策提起を行うには、業務の基礎的な知識を確実に身に付けておく必要がある。

そこで、現在、各部課の基本手順、基礎知識等のマニュアル化、および全学共通の業務手引きである『立命館職員業務知識テキスト』の作成を目指し、準備が進められている。各部課で必要な業務知識のリスト化を要請。以後、これを集約して組み替え、共通化していく予定である。これには研修的な側面もあるため、若手職員を中心としたプロジェクトチームの編成を検討している。

教職協働と『3つの成果』

立命館では、各学部の学生実態調査とその分析を教員と職員が協同で実施し、問題点を明らかにしていこうとする取り組みや、リエゾンオフィススタッフとして、職員が教員と共に企業に赴き、共同研究の実施に関する提案を行うなど、教職協働が盛んに行われている。

また、教育政策などの教学文書を書ける程度の力量を持つ職員もいるという。しかし、職員がそれを業務として実行し、その結果を残さなければ、学生のためにはならない。この視点から、01年5月にある制度が導入された。

それは、課長・事務長に対して与えられた課題『3つの成果』である。テーマは任意であるが、担当部課における自己の成果目標を3つあげ、1年後に結果を報告するというもの。この成果目標と結果の両文書は学内ネットに掲示され、全職員が閲覧できるようになる。管理職に、成果実績という訴えかけをし、仕事の焦点を「学生や教育研究の視点から具体的に何かを変える」方向に、かつ「結果からフィードバックして業務を見直す」という取り組みを進めていく方針で、今後は、全体的な制度としての拡充を検討している。

2008年4月23日水曜日

事務改革の取組み-京都大学の巻

前回ご紹介した豊橋技術科学大学とは一味違った京都大学における事務改革をご紹介します。

少し古い話になりますが、「今、ここから一歩踏み出そう!『私』の隣に座る『あなた』へのメッセージ」と題した若手事務職員を中心としたプロジェクトチーム「KUF」による提言が京都大学のホームページで公表されています。

若手事務職員中心の改革行動は、少なくとも国立大学が国の時代にはあまり耳にしませんでしたし、将来の京都大学を担う事務職員の真摯な取組姿勢は、おそらく全国の若手事務職員に勇気とやる気を十分に与える契機になったことでしょう。

京都大学のホームページに書かれた彼らからのメッセージは次のようなものでず。


学生及び教職員の皆様へ(KUFプロジェクト・チーム)

7月25日(火曜日)に、京都大学における事務改革のひとつの取組として、若手事務職員の提言を役員等に聞いていただくという趣旨で「役員等と若手事務職員との懇談会」が開催され、私たち若手事務職員有志から成るKUF(Kyoto University's Future)プロジェクト・チームが、「今、ここから一歩踏み出そう!」というテーマでプレゼンテーションを行いました。

KUFプロジェクト・チームでは、京都大学及び京都大学職員の将来について、今後も本学の学生及び教職員の皆様とともに考えていき、よりよい京都大学を創っていきたいという思いから、4ヶ月間の活動の成果を綴った「KUFプロジェクト報告書」及び「理想の京都大学職員像」を広く皆様にご覧いただくこととしました。

是非、ご意見やご感想をいただき、私たちの次のステップへつなげていきたいと考えています。


「KUF」の報告書における前文は次のとおりです。

1.はじめに

「こうやってみんなで話すっていう雰囲気が今はないよね。」「今日は楽しかった。また集まろう!」

2004年、冬 。私たちの「 若手勉強会」を 立ち上げるきっかけとなる出来事でした。場所は、京都大学近くのカフェ・レストランのソファー席。その後に発起人となる若手職員数名は、わずかな期間しか京都大学での勤務経験のない職員ではありましたが、京都大学、日本の大学、世界の大学を取り巻く環境がめまぐるしく変わっていく様子を目の当たりにし、京都大学職員として自分たちはどうあるべきなのか、何をすべきなのかについて悩んでいました。そしてこの日、たまたま集まって語り合ううちに、お互いを尊敬し、意見を交わすことの大切さと楽しさを深く感じ取ったのでした。

それから「若手勉強会」の立ち上げまでには、それほどの日数を要しませんでした。「大学に関連する諸問題について自主的に学習し議論していく「場」を一緒に持ちませんか。」-こう呼びかけて開催の日を待ちました。

記念すべき第1回「若手勉強会」の開催日は、2005年2月17日。初めは、参加者は数名であり、互いの業務を紹介する形式の勉強会が続きました。その後、勉強会の形式は多様化し、本学の役員、幹部職員、教員、他大学の役員及び幹部職員等優れた専門知識を持つ方々を学内外から講師として招いて講義をしていただいたり、ワ ークショップ形式でコーチングを体験したり、民間企業の若手社員を招いて各々の置かれる職場環境を比較したりして、現在に至るまで月2回の頻度で勉強会を開催してきました。また、当初は数名であった勉強会の出席者は、時に数十名を越えるまでになりました。

それから 、 定期的な勉強会の開催だけでなく、メーリングリスト「Young_Administrators」を通じて、情報及び意見交換も行ってきました。現在、このメーリングリストへの登録者は事務職員だけでなく教員をも含み、その数は50名を超えました。

「若手勉強会」の立ち上げから1年余。メンバーの間に、ただ話を聞いて座って勉強するだけではなく、何か行動をしてみたい、という気持ちが芽生えはじめた頃でした。時機を得たように、「 役員の皆様の前でプレゼンテーションをしないか」というお話をいただき、私たちはプロジェクト・チームを結成することにしました。

「私たちの働く京都大学の将来について、真剣に考えてみたい。」「 私たち京都大学職員は、京都大学の中でどのような役割を演じ、どのように進んで行くべきなのかを考えてみたい。」「 私たちのメッセージを伝えたい。」、 そんな思いから若手勉強会のメンバーのうち、16名で京都大学将来プロジェクト・チーム(Kyoto University’s Future Project Team:以下「KUFプロジェクト・チーム」と呼ぶ)を結成しました。

KUFプロジェクト・チームは、4月からの約4ヶ月間、京都大学について、そして京都大学職員の現在と将来について、様々な角度から話し合いを行い、その成果を報告書というかたちでまとめました。

本報告書では、日々の業務の中で迷いやためらいを抱く若手職員の「私」が、「 理想の京都大学職員像」を目指して、「 今、ここから、何をはじめればよいのか」を考えていきます。「私」は、特に優れた能力を持つ職員でもなく、特に積極的な職員でもありません。

自分の周囲が少し変わりはじめ、自分自身も何かをはじめたいけれど、中々はじめの一歩を踏み出せずにいる、それが「私」です。

ここに登場する「私」の姿は、KUFメンバーの私たちの姿であり、隣に座る私たちの同僚の姿であり、そして、これを読んでいる「あなた」の姿でもあります。

「あなた」も、「私」と一緒に理想の京都大学職員を目指してみませんか?


「KUF]の報告書は次のような構成になっています。

1  はじめに
2  「私」は、こんな京都大学職員になりたい!
2-1 「私」のいる場所、京都大学
2-2 「私」が目指す理想の京都大学職員像
2-3 「私」が選べる様々な道のり
3  「私」は、こんな風にはじめたい!
3-1 決められる「私」、決めていい「私」
3-2 意見が言える「私」、意見を聞ける「私」
3-3 自分をほめる「私」、「あなた」をほめる「私」
3-4 京都大学とともに歩む「私」、京都大学の中にいる「私」
3-5 京都大学を創る私、だから行動する「私」!


京都大学のホームページで公表されている「KUF」の活動報告書には次のようなものがあります。是非、ご一読ください。

2008年4月22日火曜日

事務改革の取組み-豊橋技術科学大学の巻

近時、多くの大学で力を入れて取り組まれていることの一つに「事務改革」があるのではないでしょうか。

事務職員個々人の職能開発も重要な課題ではありますが、組織改革、業務改善、人事評価制度の構築など、大学として取り組まなければならない課題は多く、スピード感をもって改革に邁進することが、大学間競争に勝ち抜く絶対条件になっているといっても決して大げさではありません。

また、事務改革を大学全体として着実に進めていくためには、学長をはじめとする経営トップが、大学にとって、事務組織の果たすべき役割や機能を強化することが不可欠であるとの十分な認識の下、事務改革を事務職員に丸投げすることなく、自らが改革の推進役として、強力なイニシアティブを発揮することが極めて重要なのではないかと思います。

この日記でも登場したことのある山形大学前学長の仙道氏など、事務改革や事務職員の職能開発の推進に情熱を注がれてこられた(あるいは注がれている)学長は決して少なくないと思います。

これからご紹介するのは、豊橋技術科学大学(国立大学法人)における事務改革の取組みについて、前学長の西永頌(ただう)氏が執筆されたもの(文部科学教育通信 No184 2007-11-26掲載、執筆当時は学長)です。

豊橋技術科学大学が自身のホームページで紹介されている資料を拝見した時に、大規模大学に比べスタッフ数等においてハンデのある単科大学でもここまでできるのかと正直驚き、感心させられました。

西永学長の下で成し遂げた事務改革は、多くの大学の手本となることでしょう。

はじめに

本学は、「技術科学」の教育・研究を使命とし設立された工科系の単科大学です。小規模大学ではありますが、先の21世紀COEプログラムに2件、今年度のグローバルCOEプログラムにも1件採択されるなど、研究力に自負をもっています。しかしながら、本学が日本で、世界で、存在感をより高め、この時代の荒波に打ち勝つためには、教員の教育・研究力を高めることはもちろん、教員とともに歩むべき事務局、事務職員の改革も必須であると考えています。

また、教育再生会議における第2次報告(平成19年6月)の「地域・社会に貢献する大学・大学院の再生」の中で「国立大学は、大学事務局の改革を進め、事務職員の一層の資質向上と合理化等、経営の効率化を行う」ことが掲げられているように、事務局の改革は、本学を含む国立大学にとって共通の課題ともなっています。さらに言えば、事務局の改革、経営の効率化は、程度の差こそあれ、すべての大学にとって必要なことでもあり、改革等の経験を共有し、それを財産とし、各大学が切磋琢磨していく必要があるとも考えています。

本学では、事務改革の実現を目指して、平成18年3月に事務改革大綱を策定し、同4月に事務改革推進本部を立ち上げ、平成19年3月には事務改革の実行計画である「事務改革アクションプラン」を策定しました。現在は、この事務改革アクションプランに基づき、計画の実行、実行状況の検証、計画の見直しのPDCAサイクルを回しているところです。

事務改革大綱

本学では、平成18年3月に、執行部が中心となり、事務改革の憲法とも言える事務改革大綱を定め、学内に周知をしました。事務改革大綱は、事務改革の基本的な考え方などをまとめたもので、これから事務改革を進めなければならない旨を謳ったものです。事務量は増加し、かつ、その質も高度化、専門化が求められている中で、総人件費改革により人件費は削減していかなければならないという難問を解決していくには、私や執行部がただ命令をするだけでは駄目で、認識を共有し、共に考え、空気を変えていくことが必要です。この時点では細かい改革の内容は決まっていませんでしたが、まず基本方針を周知することで、事務改革が必要性であるとの認識の浸透を図ることにしました。

事務改革推進本部

平成18年4月に、事務改革を全学的に推進するため、事務改革推進本部を設置しました。この事務改革推進本部の構成員は、私(本部長)、事務局長(副本部長)、将来構想担当の学長補佐(教員3名)、部課長、課長補佐となっています。

従来、国立大学では、事務局と教員の問には、大なり小なり壁があったのが事実と思いますが、事務局の改革には教員の協力が必要不可欠であることから、学長である私が先頭に立ち、また、学長補佐の教員も構成員に加えました。

また、これからの大学運営を担う中堅若手職員の企画・立案能力の涵養を図りつつ、その意見を取り入れるため、事務局長を主査とし、係長3名、係員4名からなる検討部会を事務改革推進本部の下に設置し、事務改革に関する調査・分析及びそれらに基づく改革の原案の作成を担わせることとしました。

そして、事務改革推進本部の発足後すぐに本部会議を開催し、改めて事務改革の必要性を説明し、事務改革の進め方などについて議論をしました。また、本部会議では、検討部会で調査・分析すべき事項を整理しましたが、検討部会には、その調査・分析事項以外にも、必要と思うことを自由にやり、柔らかい頭で自ら企画するように指示をしました。

第1回の事務改革推進本部会議後には、教授会、全教職員を対象とする職員連絡会で事務改革推進本部での議論の内容等を説明し、全教職員の意識改革を促しました。

改革に向けての助走段階

まずは、検討部会が過去の本学の事務改革の状況と他の国立大学の組織改革の状況等を調査・分析し、これらに基づく種々の提案をし、その後、事務改革推進本部でその内容について議論をし、整理をしました。

本学では、過去においても、度々事務の合理化等の試みをしており、その時々で、多くの改善の提案がなされていましたが、その実行は一部に止まっていました。その原因としては、事務職員の共通認識が形成されていなかったこと、改善の計画が曖昧であったことなどが考えられました。これらを踏まえて、今般の事務改革においては、今までにはなかったヴィジョン、行動指針を示し、共通認識を形成すること、改善策については、担当や実施時期、決定プロセスを明示し、検証する仕組みとすることを決定しました。

他の国立大学の組織改革については、チーム制や理事直結制などについて、長所短所を考察し、現場レベルでのヒアリングを実施しました。それぞれの制度には長所短所があり、まだ新たな体制が根づいていない大学もあるようですが、まず、何かを変えてみようと挑戦していくことが大事だと感じています。カイゼンに百点満点、完壁はなく、終わりはないとも言われるように、短所があったとしても継続的に改善していけばよく、先陣を切って挑戦をしている大学に敬意を感じています。本学においては、現在、新しい体制の具体案を詰めているところですが、まず、何かを変え、そして徐々に百点に近づけるようにしていきたいと考えています。

本部会議におけるこれらの議論に際しては、大学をよりよくしたいという熱意の伝わってくる意見を言う者も多くいましたが、現状を維持したい意思が透けて見える意見を言う者、自分のセクションのことのみを考えて意見を言う者がいたのも事実です。意識の改革は簡単ではありませんが、まず、私と事務局長が強い意志と熱意をもって事務改革に取り組み、職員一人一人の意識改革をアシストしていきたいと考えています。

重点課題の整理

事務改革推進本部では、事務改革にあたっての重点課題を、人事制度改革、事務の簡素化・合理化、事務職員の再配置、事務組織の再編成と設定し、これら重点課題を整理しました。

人事制度改革については、その基本方針として、「戦略的な人材育成と研修制度」、「適正な評価」、「能力・適性に応じた採用・異動・昇任・降格」、「持続的な成長のための人事計画」、「能力・実績に基づく給与体系」を掲げ、今まで通り、昨年と同じ、というような意識を変え、現状を十分に検証し、具体的な取組につなげていくこととしました。「ヒト」は財であり、その能力、専門性、意欲の向上を図ることが、事務改革の実現に重要な役割を果たすことから、4つの重点課題の中でも、特に重要な課題と考えております。

事務の簡素化・合理化については、まず、すべての業務の洗い出しを行った上で、事務局の業務を総覧し、権限の委譲、不要な事務手続きの廃止、事務の一元化を図っていくこととしました。事務職員の心身の健康及び両立支援のため、また、人件費の抑制のためにも、時間外労働を削減していく必要があり、事務の簡素化・合理化を図り、効率的な事務局運営をしていく必要があります。

事務職員の再配置については、国の行政機関(国立大学法人を含む)の人件費抑制政策が継続されるものと仮定し、これを前提条件として、事務職員の適正な配置を検討をすることとしました。また、この事務職員の再配置にあたっては、上記の事務の簡素化・合理化に加え、課長補佐職の在り方、管理職の在り方、柔軟な組織運営等も併せて検討・見直しをしていくこととし、真に実効性のある改革となることを目指しました。

事務組織の再編成については、先行して事務組織改革を実施している他大学の組織体制を参考にさせていただきながら、大学を取り巻く環境、本学の実情等を踏まえて、本学に合った組織体制を考えていくこととしました。

業務調査

事務の簡素化・合理化、事務職員の再配置の具体的な計画を立案するためには、業務の内容、業務量の洗い出しが必要であり、管理職を除く全事務職員を対象に業務調査を行いました。この業務調査では、規則等に表れない業務などもすべて洗い出し、また、その業務が常勤職員でなければできない業務なのか、その業務がその係のすべての業務のうち何割を占める業務なのか、その業務の改善策と、その改善策がなぜ実施できていないのかなども調査することとしました。細かい作業が日常業務に付加されることとなり、現場には不満の声もあったようですが、「学長室だより」(その時々の重要課題につき、電子メールにより、状況や考え方などを全職員に配信)により事務改革の必要性を改めて説明し、共通理解を深めるよう図りました。

また、この業務調査には業務の洗い出しの目的に加えて、すべての事務職員を事務改革アクションプランの策定過程に参画させるという目的もありました。業務調査の際に現場の職員から提案された業務の改善策の多くを事務改革アクションプランに反映し、事務改革アクションプランが事務改革推進本部や検討部会だけで作ったものとならないようにし、すべての事務職員が参画する事務改革の取組、という意識を芽生えさせるよう図りました。

トップダウンで物事を決めていくことは、生まれ変わった国立大学を表象しており、国立大学法人化のひとつの目玉でしたが、改革を実行していくには、強いリーダーシップは当然必要ながら、それだけでは足りず、そこで働く一人一人の意識改革が最も大事であると考えています。

ヴィジョンと行動指針

先に述べたとおり、改革に最も大事なことは意識の部分だと思っております。そこで、意識改革、目指す方向性の明確化のために、ヴィジョンと行動指針を設定することとしました。このヴィジョンと行動指針は、現在、事務局の各所にポスターを掲示し、啓発に努めています。

ヴィジョンの内容は、本部会議で議論、検討し、決定したものですが、より高度化、専門化する業務に、積極的に取り組む事務職員の姿が思い浮かぶヴィジョンであり、希望の持てるものができたと感じています。

行動指針についても、いろいろ議論しましたが、最終的には7つとなりました。行動指針の一番目については、「学生の満足度を高めるため、ハード、ソフト両面での充実を図り、教育環境、事務体制の整備をし、学生をお客様として、継続的な対話を図り、入口から出口まで責任をもって対応する」ことを意図しています。学生は共に歩む仲間であり、また、時には指導しなければならない時もあり、お客様とは言えないのではないかとの意見もありましたが、今までサービス意識の薄かった国立大学としては、まずもって丁寧に対応することを職員に意識付ける必要があると考え、あえて「お客様」の語を用いています。

行動指針の2番目については、「教員・研究支援、高度な技術支援の内容を充実させるため、教員と連携し、また、大学運営においても事務職員ならではの視点を活かし、教員と共に行動する」ことを意図しています。今まで事務職員は、教員の下働きとの意識があり、一歩引いた位置から教員を支援していたようなところがあったように感じています。これからの時代は、事務職員も、教員と共に、大学運営に参画していくことが必要で、事務職員の優れている点を積極的に活用していく必要があります。

事務改革アクションプラン

このように、事務改革大綱の制定から始まり、重点課題の整理や業務調査、ヴィジョンと行動指針の設定を経て、具体的な実行計画、取組内容を決定し、事務.改革アクションプランとしてまとめるに至りました。



(参考)豊橋技術科学大学事務局における事務改革の取組(ホームページ掲載記事)

豊橋技術科学大学は、本(平成19)年3月に「事務改革アクションプラン」を策定しました。この「事務改革アクションプラン」では、ヴィジョン、行動指針を掲げ、事務改革のための具体的な取組を221項目設定しています。

なお、事務改革の取組を実効あるものにするために、取組状況の検証を半期毎に行い、その検証結果を公表しています。

http://www.tut.ac.jp/topics/h19/jimukaikaku.html

2008年4月21日月曜日

「新しい大学職員」の創造へ

大学を取り巻く状況が激変している中で、大学経営の重要性が益々高まっています。とともに、経営責任者である法人の長(理事長・学長)を支えるスタッフの力、特に大学事務職員の能力開発が緊要な課題になっています。

去る3月1日(土曜日)、東京において「大学事務職員の能力開発の在り方に関するシンポジウム」が開かれました。
このシンポジウムは、この日記でもよくご紹介している広島大学高等教育研究開発センター長の山本眞一氏が中心となって企画されたもので、「近年、関心と必要性が高まっている大学事務職員の能力開発の在り方について、科学研究費補助金による研究成果の発表を題材に、また、放送大学大学院の授業科目「大学のマネジメント」の開設を契機として、さまざまな立場からこの問題を議論する」ことを趣旨として実施されました。

シンポジウムの概要は、日本私立大学協会のホームページ(教育学術新聞)に記載されてありますので興味のある方はご覧ください。

このシンポジウムでは、文部科学省高等教育局企画官の鈴木敏之氏による講演のほか、山本氏から「大学職員のエンプロイヤビリティー向上方策について」と題する報告がありました。

これは、山本氏が科学研究費補助金による調査研究の一環として、平成19年1月、全国の大学(短期大学を除く)の事務職員3,670名に対して実施したアンケート調査の結果報告ですが、1,405名から得られた回答がよく分析されており、国公私立大学それぞれの特色がわかりやすく説明されました。

報告された資料のうち主な部分をご紹介します。

1 回答者のプロフィール

今回の調査は、事務局長(相当職を含む)から一般職員まで、幅広く調査対象としたため、職位や現職の分野もさまざまである。国立大学では総務、財務系の職員の回答が相対的に多く、私立大学では総務のほか、教務学生系職員の回答も多かった。
勤続年数について、私立は同一大学に長く勤務し、公立大学はその対極、国立大学は両者が合わさっているという特徴や、私立大学職員の学歴水準が相対的に高いのは、過去3回の調査と同じ傾向である。公立大学で現職位の年数が同一大学での勤務年数を上回るのは、県庁等での職位との連続性があるためと考えられる。

2 職員の能力開発の必要性(必要ありとの回答)

国立:98.3%、公立:91.4%、私立:97.8%、総計97.0%

3 能力開発が必要な理由

能力開発が必要な理由としては、既存事務の処理能力の向上というよりは、新たな事務分野の能力開発や企画立案能力、意識改革の必要性などを挙げる者が多い。

4 教員と職員の役割分担の在り方(職務の種類別)

全体的な傾向としては、教員との協働によって仕事を進めるべきであると考える者が多い。
しかし、総務系や財務系の職務については、職員が主体的に企画・立案すべきと考えている職員が多く、これに対して教務学生系や病院系については、教員との協働あるいは教員が企画・立案し職員が実施すべきと考えている者が相対的には多い。
また、国立と私立とでは、前者の方に職員が主体というよりは教員との協働を指摘する者が多いのは注目すべきであろう。

5 事務職員に必要な能力開発の分野

事務職員に必要な能力開発の分野と対象とする事務について聞いたところ、とくに総務系の事務に企画力を求める者が多かった。これには、大学の基本戦略や危機管理など経営の根幹に関わる事務がこれに関連しているからであろうと考えられる。
また教務学生系の事務で私立大学の回答者が企画力を高く挙げているのは、学生サービス・支援関係が大学事務の重要分野であることを示すものであろう。

6 能力開発のための有効な方策

大学院(修士課程)での訓練、既存のものを含む各種研修、何らかの形での専門資格の付与の3つの方策については、公立大学を除き、意見はかなり拮抗している。

7 能力開発のための制度と利用実態

研修制度を持つ大学は、公立大学を除くとかなり多く、特に国立大学の高比率は注目される。他方、学外の研修に対する経費補助は私立大学に多く、かつ利用率も高い。
国内外の大学での学修の奨励は制度化率が比較的低く、かつ利用率もかなり低い。
今後はこのような形態の能力開発をどのように進めるべきかも課題の一つではあるまいか。

8 自己啓発の実践

自己啓発は、職員の能力開発の基幹部分をなすものである。
これについて、さまざまな方法を挙げてその実践状況を聞いてみたが、全体的傾向として、私立大学職員が一番熱心で、これに国立大学、公立大学の順番に続いている。
ある国立大学で、自分のお金で大学問題に係る専門的図書を買っているかどうかを聞いたことがあるが、その回答率はきわめて低かったことを思い出す。公立大学は推して知るべしである。
自己啓発の基本は身銭を切ることであることを考えると、この辺りから大学職員の能力開発を考えなければならないのではあるまいか。

9 教員数と職員数(医療系を含む大学を除く)

今回の調査で、事務局長には、当該大学の教員数と職員数の現状(平成18年5月現在、学校基本調査の数値に対応)を聞いたが、病院系職員が多いであろう医療系分野をもつ大学を除いて集計すると、以下の図(省略)のようになった。
公立大学は人数的に小規模であること、また私立大学も小規模なものが圧倒的に多い。
なお、教員数と職員数は、前者が多い形でしかもかなり高い相関関係に立つ。
また私立大学の方が、国立大学に比べて職員数の教員数に対する比率が高いが、これは学校基本調査の全国データと一致するものである。

[自由記述] あなたは大学事務職員の役割や能力開発について、どのようにお考えですか。
  • 一部の教員の中には未だに事務職員を下に見る傾向があります。由々しい問題ではありますが、完全に解決するのは困難かもしれません。しかし、職員自らが卑屈になることなく、積極的に自信を持って仕事をしていくためにも職員の能力開発は重要で、職員の学歴にかかわらず、その能力によって専門資格などが付与される機会があれば歓迎です。(私立大学教務系課長補佐)
  • 中小規模の大学事務職員には専門に特化した能力ではなく、広くかつある程度、深い総合的業務処理能力が求められる。限られた人員配置の中で、大学制度の変化に順応し、教員との協働を進め、大学間競争を生き残る大学の構築に寄与するためには、専門特化型の職員ではなく、大学事務全般に通暁したハイレベルのゼネラリストが不可欠である。(公立大学事務局長)
  • 大学が生き残っていくためには、大学事務職員の能力開発は必要不可欠な事項であると感じます。事務職員自身が自身の能力を意識し、日々の業務に担わる必要を感じています。今までは「教員の補助的役割」という意識が強かったように感じますが、この意識をなくし、「大学を主体的に運営する専門家」という役割を担って、職務に担わるべきであると考えます。(国立大学経理系係員)
  • 今後、事務職員も企画・立案に参加することが望まれているが、長年の慣習により意識改革が進んでいないのが現状(特に50歳代以降は難しい)。若い人達をどんどん登用するとともにスキルアップを図ることが大切だと思います。(国立大学教務系課長補佐)
  • 大学事務職員の役割は、学生が充実した大学生活が送れること、教員の教育研究活動が活発に展開できるように支援すると同時に、大学運営の担い手としての自覚を持ち大学経営に参画することである。単に与えられた業務役割をこなすのではなく、大学全体の動きを理解したうえで自己の役割遂行にまい進することが重要である。(私立大学総務系課長)
  • アメリカでは、アドミニストレーターという教員でも職員でもない職が確立されているが、日本ではまだ確立されたものはない。教員の本来の役割が教育(授業)と研究にあるならば、それ以外の役割はすべてを職員が担うべきである。今日の大学を取り巻く情勢がスピードをあげて変化している中、大学を維持発展させていくためには、もはや教授会中心の大学運営では対応しきれないことは明らかである。(私立大学経理系課長)


放送大学大学院 「大学のマネジメント」

また、このシンポジウムでは、放送大学大学院修士課程において、この4月から新たに開講された「大学のマネジメント」の講師陣によるパネルディスカッション「これからの大学職員の能力開発について」も行われました。
聴講者からの質疑応答を含め熱い議論が展開されました。

既に受講されている方もいらっしゃるのかもしれませんが、「大学のマネジメント」は半年間開講され、全15回にわたるラジオ講座です。講義概要等は次のとおりです。

主任講師

山本 眞一氏(広島大学教授)
田中 義郎氏(桜美林大学大学院教授)

講義概要

近年、大学を巡る諸環境は大きく変化し、とくに18歳人口の減少は私学経営に大きな影を投げかけ、また国公立大学においては法人化後の大学運営に格段の工夫が求められている。さらに雇用構造の変化や科学技術の高度化、大学マーケットのグローバル化などに対応するためには、従来の大学事務処理を遥かに超えるマネジメントの革新が求められている。本科目では、これらの変化に対応するための知識や考え方を、大学事務職員を始めとする関係者に身に付けさせることを目的とする。

授業の目標

受講者が現職の大学職員あるいは管理職にある教員であることが多いとの前提の下、できる限り実践的かつ実際的な教育内容を提供するよう努める。このことにより、受講者に広く大学マネジメントに関する知識を提供するとともに、彼らが現実に直面している大学マネジメントの諸課題を適切に解決するための問題設定、解決に至るための複数の代替案の策定、採用すべき解決案の決定、実際のマネジメントへの応用など、幅広い実践力を身につけさせるようにする。

シラバス

全15回の講義内容は、放送大学のホームページをご覧ください。
http://www.u-air.ac.jp/hp/kamoku/H20/daigakuin/seisaku/s_8930392.html


「事務職員」から「大学職員」へ

大学事務職員の能力開発(職能開発)については、この日記でもご紹介した(2008-4-18 教職員の職能開発)ように、先に中央教育審議会がとりまとめた「学士課程教育の構築に向けて(審議のまとめ)」の中でもその重要性が指摘されています。

最近では多くの大学でSD(スタッフ・ディベロップメント)の取り組みが進められており、以前何度かこの日記でもご紹介したところですが、なかでも山形大学の取り組み(2007-12-17 大学職員の能力開発(3))には注目すべきものがあります。

SDを通じた大学経営人材の養成が今後大いに期待されるところですが、先日、国立大学財務・経営センターが配信したメルマガの中に、山形大学の樋口さんという職員の方が書かれた以下のような記事がありました。

大学職員の世界が閉ざされている限り、この国の高等教育に将来はないと言っても過言ではないと思いますし、そのために大学職員は、個別大学だけに通用する能力ではなく、普遍的な能力を身につけなければならないと思います。

山形大学の樋口さんのようなこころざしを持つ多くの「新しい大学職員」の出現を心から願ってやみません。

向上心のない職場には魅力を感じない(国立大学法人山形大学 樋口浩朗氏)

残念ながら、タイトルの言葉は私が言ったのではありません。

これは、昨年国立大学財務・経営センターが主催した国立大学法人若手職員勉強会への参加者55名に対し企画委員会リーダーである横浜国立大学の片平剛さんが行ったアンケート調査の「能力開発が必要である理由」への回答の一つです(「国立大学法人職員の能力開発に関する意識調査」集計結果より)。
私はこの言葉に大変共鳴し、蛍光ペンを引きました。今回はこの言葉に対する雑感を述べることによって、本メルマガの編集長からの宿題をこなさせていただきます。

平成20年度になりました。大学職員として16年目になります。山形大学に採用以来、学内では工学部や法人化対策室、学外では文部省教育助成局、吉林大学(中国)留学、国大協企画部を経て、昨年4月から企画部で将来構想や目標・評価などを担当しております。

同年代の本学職員の中では外部機関での経験が長いようです。しかし、決して山形大学が「向上心のない職場」だから外に出たのではありません。今思えば、向上心をもつために外の機関に出された(出していただいた)と感じています。

大学職員として16年目と書きましたが、意識上は「オレは国家公務員だぜ!」が11年、「大学職員にならなきやなあ・・・」が3年、文字通り「大学職員」と感じるようになったのは国大協出向期間が終了した昨年4月からです。
つまり、本気で大学職員と名乗る覚悟ができたのはこの1年のことです。公務員時代を経験した方なら、多かれ少なかれ「大学職員」を意識するようになったのは、法人化以降ではないでしょうか? 

その「大学職員」という言葉について、桜美林大学の舘昭教授は「教員も職員」であり、「日本の大学組織の弱体の原因はこうした職員概念の混乱にある」と述べています。法律上は事務職員と定義されています(学校教育法第92条)。

私は概念上の混乱があっても法律上の定義に反していても「大学職員」でありたいです。さらに言えばプロの大学職員になりたいのです。全く主観的な理由ですが「事務職員」には向上心が感じられません。満足できないのです。

「向上心のない職場に魅力を感じない」で、注意すべきことは、魅力を感じないからといって安易に異動を希望したり、転職してしまったり、キャリアプラトー化してはならないということだと思います。

今、大学は良かれ悪しかれ大注目されています。昨年は教育再生会議や経済財政諮問会議などの政府等会議による大学・大学院改革の提言ラッシュがありました。今月中には初の教育振興基本計画が閣議決定され、高等教育についてはそれなりの計画が盛り込まれる見通しです。
まさに大学職員にとっては捲土重来、これだけ向上心をかき立てられる機会はなかったのではないでしょうか。嘆く前に今の大学という職場でこの機会を活かすべきだと思います。

大学の外部環境はガバナンス上の機会であふれています(必要以上の危機感の煽動に要注意)。
一方、大学内部の職場環境については、向上心に支えられた自律と協調、そして貢献がキーワードだと思います。

前号の本メルマガで東京工業大学の渡部秀明さんは「老いも若きも世代や職位を超え、大学の活力を最大限に引き出すために、互いに協力し合い、心から融合すること」の大事さを指摘しています。全く同感です。
昨年度は「第1回国立大学一般職員会議」や「第1回国立大学若手職員勉強会」、「第1回国立大学附属病院若手職員勉強会」、「大学職員サミットやまがたカレッジ2007(→山形大学が会場!)」など、大学職員間でソーシャルキャピタル(社会関係資本)の形成を後押しするような活動が続きました。今年度はさらにこれらを活発にしたいものです。

実は、冒頭の調査結果には「自大学の発展及び自己成長のため」との回答もあります。
片平さんは「国立大学職員の職業、職務に対する倫理性の存在を発曵した」とまとめています。この発見によると「向上心のない職場に魅力を感じない」との回答は、国立大学職員の強い自負心の表れと捉えられます。

法人化後4年を経過し、平均年齢33.9歳の国立大学職員の一団が、自身の成長と自身の国立大学の発展を同一視している状況には、言いようのないワクワク感があります。このワクワク感を国公私の設置形態を超えた大学職員間で共有し、まずは日本国内でソーシャルキャピタルを形成していくことが、グローバル化の中で大注目されている日本の大学が“あるべき姿"になるための一つの手段になるのではないでしょうか。

2008年4月19日土曜日

あらためて、教育振興基本計画

昨日(18日)、中央教育審議会総会が開催され、「教育振興基本計画について(答申案)」が答申案どおり了承されました。

答申本文→http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/gijiroku/001/08041711.htm

この答申案については、この日記でも、特に我が国の教育を支える財政措置の保障に関する具体的記述に欠ける点について、教育現場で仕事をする立場、あるいは子どもを持つ親の立場から、少々辛口のコメントをさせていただきました。

本日(19日)の朝日新聞社説においても、同様の指摘が行われています。(20日付「山陰中央新報論説」を追加)
この社説(論説)は、国民の声そのものだと思います。政治家や役人は真摯に受け止め行動すべきです。


教育基本計画-中教審はどうしたのか (2008年04月19日付朝日新聞社説)

これでは話が違う。初めての教育振興基本計画をつくるため、文部科学相の諮問機関である中央教育審議会が出した答申のことである。

基本計画は、06年に改正された教育基本法に基づき政府が決める。「教育立国」を掲げ、10年先のあるべき姿を見据えて今後5年間に取り組むべき施策を示すものだという。

教育現場が抱える課題は多い。とくに深刻なのは学力低下問題だ。学力格差をどう縮めるか。考える力をどう育むのか。そのためには、教師の数や質の向上が欠かせない。

だから、この答申で最も注目されたのは、教員を増やすなど予算のかかる措置が具体的にどう描かれるかだった。日本の教育への公的支出の割合は、先進国のなかでも低い。教育への投資は、日本の教育を底上げするには避けて通れない課題である。

ところが驚いたことに、答申には具体的な提言が見あたらないのだ。

中教審は、授業時間と内容を増やす方針を盛り込んだ今回の学習指導要領改訂を答申する際にも、大前提として教員を増やすなどの条件整備が欠かせない、と明言していた。それを放棄したと言われても反論できまい。条件が追いつかないまま、ただがんばれと言われる現場はたまらない。

どうしてこんなことになったのか。答申には、財政措置の必要性にさらっと触れたのに続いて、こんな一文がある。「しかしながら、国の財政状況は大変厳しい状況にあり、これまでの歳出改革等の改革努力を継続する必要がある」。まるで財務省の審議会の答申かと見まがう内容である。

委員の片山善博・前鳥取県知事が「あまりに財政当局に近い内容で、省庁折衝の結果と答申が同じなら審議会はいらない」と怒ったのも当然だ。

答申づくりにあたって、文科省と財務省などとの事前折衝が行われ、財源の見通しがない具体策は盛り込まぬようタガをはめられた、ということのようだ。しかし、官僚たちの言い分を土台にして答申をつくるのでは、審議会で議論する意味がない。

教育現場にどんな環境整備が必要なのか、その設計図を描くことこそが中教審の使命ではないのか。それができないのなら、さっさと解散したらと言いたくもなる。

この答申を受けた基本計画は、来月にも閣議決定される。いま道路財源問題が政治の焦点になっている。財政状況が厳しいからこそ税金の無駄遣いをやめ、優先度の高い分野へ投入しなければならない。教育はその最たるものではないか。

教育が危うい。政府・与党にその自覚があるのなら、この答申にこだわらず、大胆な財政措置を基本計画のなかで打ち出してみてはどうか。


教育振興基本計画/学校現場への背信行為だ (2008年4月20日付山陰中央新報)

改正教育基本法で策定が義務付けられた「教育振興基本計画」について中央教育審議会が答申をまとめた。その内容に失望した。これまで積み上げた中教審の議論はどこに行ったのか。

基本計画は、今後10年を見通す教育のグランドデザインであり、当面する5年間の実行計画だ。なのに教育界にとっての悲願である教育予算増額の数値目標は財務省の反発で盛り込めず、教職員定数改善の具体的見通しも明記できなかった。情けない限りだ。

「教師が子どもと向き合う時間を確保するに当たっては、何よりも教職員定数の改善が必要」「確かな学力を確立するために…定数改善をはじめ、指導体制の整備を進める必要がある」。1月、中教審はこんな答申をだしたばかりだ。

1月答申を基に告示された学習指導要領改定では授業時間数や内容を大幅に増やし、手間暇かかる「活用」重視もうたっている。体験活動充実や小学校英語の導入など、それでなくても多忙化が言われる学校現場にさらに重い負担を課している。いずれも「多忙化で教材研究もできない現状を改善できるというのが前提」(委員)だったはずだ。

ところが肝心の基本計画の答申で具体的な定数改善の見通しを打ち出さないというのだから、教育現場ははしごを外されたような気分だろう。中教審は、自分たちの背後に現場があり、何より国の将来を担う子どもたちがいることを忘れているのではないか。

基本計画は、閣議決定事項であり、省庁間の調整は必要だろう。しかし、役所の都合ばかりをのみ込まされたような答申は、学校現場への背信行為に等しい。省庁間調整に任せるというのなら、文部科学省ははなから諮問などすべきではなかった。中教審をおとしめただけだ。

学校現場には目いっぱい要求するが、財務省など強い相手にはおずおずと引き下がるというのでは現場はたまったものではない。

文科省と財務省との調整で子どもに「丁寧に向き合うことのできる環境を実現する」という原案の表現は「向き合う環境をつくる」と書きかえられ、「多忙な教員」という現状認識も消えた。教職員定数改善に向けた芽はあの手この手で摘み取られている。学校現場の尻をたたくしか策がないというのでは安易に過ぎる。

答申は、既存の政策の寄せ集めと言ってもいい。

文科省は「教育投資の充実」「教職員定数の改善」というキーワードは入ったというが、「歳出・歳入一体改革との整合性を取る」という言葉と横並びで、玉虫色だ。

これから省庁間折衝が本格化するが、こんな腰の引けたものでは先が思いやられる。教育の基本計画を、責任の所在もはっきりしない省庁間の密室協議で決めていいのかという問題もある。

文科省にとっては、教育振興基本計画はこの十年近い教育改革の総決算のはずだ。教育基本法の改正や全国学力テストを実施したのも、ターゲットは基本計画のためだったと言っても過言でない。

これからの十年が懸かっている。文科省には自らの存在そのものが問われているとの覚悟を求めたい。

2008年4月18日金曜日

教職員の職能開発

去る3月25日に「学士課程教育の構築に向けて(審議のまとめ)」と題する報告書が、中央教育審議会大学分科会制度・教育部会によってとりまとめられたことは、既にこの日記でもご紹介した*1ところですが、この報告書の中では、教職員の職能開発の重要性、特にFDの実質化(中身の見直し)や、両輪としてのSDの重要性が提言されています。

個人的に重要と考える部分についてご紹介します。


職能開発の重要性


  • 言うまでもなく、学士課程教育の実践に直接携わっているのは教員であり、また、管理運営等を担っているのは職員である。ここまで述べてきた「3つの方針」に貫かれた教学経営を行う上で、これら教職員の資質・能力に負うところは極めて大きい。個々の教職員の力量の向上を図るとともに、教員全体の組織的な教育力の向上、教員と職員との協働関係の確立などを含め、総合的に教職員の職能開発を行うことが大切である。こうした認識に立って、本節では、ファカルティ・ディベロップメント(FD)やスタッフ・ディベロップメント(SD)それぞれの改善充実の方策について述べる。

求められるFDの実質化


  • これまでの大学改革では、教職員の職能開発のうち、特にFDの推進に力点が置かれてきた。FDについては、論者によって様々な定義や説明がなされるが、行政的には、「教員が授業内容・方法を改善し向上させるための組織的な取組の総称」とされてきている。制度上は、中央教育審議会の答申に基づき、平成11(1999)年、各大学がFDを実施することに関する努力義務が定められた。その後、FDの実施については、平成19(2007)年度から、大学院に関して義務化され、平成20(2008)年度からは新たに学士課程での義務化が予定されるなど、逐次、制度面の対応が図られてきた。また、平成18(2006)年12月に成立した教育基本法では、教員に関する条文の中で、教員は「絶えず研究と修養に励み、」職責を遂行しなければならないこと、そして、「養成と研修の充実が図られなければならないこと」が新たに規定された。

  • こうした制度化に伴ってFDは多くの大学に普及し、平成17(2005)年度の実施率は約8割となっている。相応の規模の大学では、大学教育センター等にFDセンターの機能を担わせており、これらの組織の関係者がFDの推進の牽引役として努力を払い、我が国の実情を踏まえた創意工夫が行われている。FDセンター等の関係者をネットワーク化したり、FDの専門的人材(ファカルティ・ディベロッパー)の配置・養成をしたりする取組の萌芽も見られる。

  • このようにFDの普及が図られ、見るべき取組も現れてきてはいるが、それが我が国全体として教員の教育力向上という成果に十分繋がっているとは言い切れない。各種の調査によれば、学生の教員に対する満足度は決して高いとは言えず、授業等の改善に対する要望も強い。また、国際比較調査によれば、FDによって、教員の資質能力が「はっきり高まった」と回答した学長の割合は、アメリカが半数近くであるのに対し、我が国は1割足らずに止まっている。

  • 現在のFDの在り方については、様々な調査結果などを踏まえると、例えば次のような課題があると考えられる。

  • 一方向的な講義に止まり、個々の教員のニーズに応じた実践的な内容に必ずしもなっておらず、教員の日常的教育改善の努力を促進・支援するものに至っていないこと

  • 教員相互の評価、授業参観など、ピアレビューの評価文化が未だ十分に根付いていないこと

  • 研究面に比して教育面の業績評価などが不十分であり、教育力向上のためのインセンティブが働きにくい仕組みになっていること

  • 教学経営のPDCAサイクルの中にFDの活動を位置づけ、教育理念の共有や見直しに生かしていく仕組みづくりと運用がなされていないこと

  • 大学教育センターなどFDの実施体制が脆弱であること(FDに関する専門的人材の不足、各学部の協力を得る上での困難、発達途上のFD担当者のネットワークなど)

  • 学協会による分野別の質保証の仕組みが未発達であり、分野別FDを展開する基盤が十分に形成されていないこと

  • 非常勤教員や実務家教員への依存度が高まる一方で、それらの教員の職能開発には十分目が向けられていないこと

  • こうした課題を抱える一方で、「大学全入」時代を迎え、学習意欲の低下や目的意識の希薄化といった学生の変化に直面し、個々の教員の力量向上のみならず、教員団による組織的な取組の強化が益々強く求められるようになってきている。先の調査でも、学長の多くはFDの必要性を認めており、その点で海外との温度差は無い。今必要なことは、制度化に止まらず、FDの実質化を.図っていくこと、そのための条件整備を国として進めていくことである。その際、FDを単なる授業改善のための研修と狭く解するのではなく、我が国の学士課程教育の改革が目指すもの、各大学が掲げる教育目標を実現することを目的とする、教員団の職能開発として幅広く捉えていくことが適当である。また、FDの実質化には、教員団の自主的・自律的な取組が不可欠であることに留意することが大切である。教員の個人的・集団的な日常的教育改善の努力を促進・支援し、多様なアプローチを組織的に進めていく必要がある。

教員の専門性の明確化と評価体制の確立


  • FDの目指すべき目標設定や教員の業績に対する評価を適切に行うという観点からすれば、大学教員に必要な「職能」や「教育力」の内容を明らかにしていくことも重要である。これまでも、海外では、国際機関、教員団体あるいは個々の大学が倫理綱領等の形態で、大学教員の役割・責務を明文化する取組が行われてきた。アメリカを中心に、教員の担う機能として「4つの学識」(発見、統合、応用、教育)があるという考え方も普及してきている。最近では、コンピテンシーの観点から、教員の教育力に関する枠組みを作成しようという動きも現れている。一方、我が国においては、私学団体等が教員の倫理綱領のモデルを提起したり、教育力の指針を提案したりする例はあるが、総じては、大学教員の公共的な役割・使命、専門性が必ずしも明確に認識されないままになっているきらいがある。ユニバーサル段階を迎え、大学の在りようが多様化し、「大学とは何か」が問われるのと同様、「大学教員とは何か」も自明ではなくなってきている。まずは、それぞれの大学あるいは大学間の協同で主体的な論議を行い、大学教員の専門性をめぐる共通理解をつくり、社会に宣明していくことが求められる。

  • 高度な専門職である大学教員について、共通して求められる専門性が存在する一方で、その多様な在り方も尊重されなければならない。大学が機能別に分化していく中、個々の教員についても、教育、研究、社会貢献、管理運営などに関して、当該大学において期待される役割の比重に相違が生じてくる。教員の業績評価に当たって、一律的な尺度によるのではなく、きめ細かな工夫が求められる。ただし、大学は、いかに機能別分化が進もうとも、第2節で触れたとおり、「教育」と「研究」との相乗効果が発揮されるような教育内容・方法を模索していく必要がある。このため、教員間の役割分担がなされるとしても、大学教育に携わる以上、各教員は、当該分野の先端の動向に接触し、専門的知見と知的誠実性を保持する努力を払う責務があると考える。

  • FDを実質化するためには、教育業績の評価を適切に行うことが不可欠である。教育業績の評価は、研究業績の評価に比して難しい面があり、諸外国でも様々な試行錯誤が行われている。我が国では、未だ普及の途上にあるが、ティーチング・ポートフォリオ(大学教員による教育業績記録ファイル)など、特定の指標によるのではなく、多面的な評価を導入・工夫していくことが必要である。また、学生による授業評価の結果は、業績評価の指標としての信頼性には課題もあるが、教員の自己評価やFDの活動に活かしていくことは重要であると考える。

大学院における大学教員養成機能の充実等


  • 生涯を通じた職能開発を考える上では、大学教員となって以降のFDの問題だけを対象とすることは適当でない。大学教員となる前の段階、大学院における大学教員の養成機能(いわばプレFD)の在り方を見直すことが必要である。各大学院において意図的・組織的にプレFDがなされなければ、ユニバーサル段階の大学教員となるべき備えはできない。

  • 平成17(2005)年の中央教育審議会答申「新時代の大学院教育」は、「大学院に求められる人材養成機能」として4つを掲げ、そのうちの一つに「確かな教育能力と研究能力を兼ね備えた大学教員の養成」を位置づけている。教育を担う者としての自覚や意識の涵養、教育方法等の学習がなされるよう、個々の大学において、あるいは大学間の連携によって、TAの活動等の充実をはじめ、組織的な取組の展開を図っていくことが求められる。こうした取組は、ポスドク段階のキャリア形成支援という観点からも重要となる。

  • なお、学校教育法の改正により、講座制や学科目制に関する規定が廃止され、教員組織の編制について各大学の裁量が拡大した。講座制等は、その弊害が指摘される一方で、職能開発の機能を事実上担ってきた面もある。講座制等を廃止する場合、十分に職能開発の機能が確保されるよう、適切な組織・体制の在り方を検討していくことも求められる。

職員の職能開発


  • 職員については、大学の管理運営に携わったり、教員の教育研究活動を支援したりするなどの重要な役割を担っている。職員の大学における位置づけ、教員との関係については、国公私立それぞれに状況の相違があるが、大学経営をめぐる課題が高度化・複雑化する中、職員の職能開発(スタッフ・ディベロップメント(SD))は益々重要となってきている。教員一人当たりの職員数が低下していく傾向にあること等も、個々の職員の質を高めていく必要性を一層大きなものとしている。職員の間でも、大学院での学習を含め、自己啓発の重要性への意識が高まり、学会や職能団体の発足など、職能開発の推進に向けた機運が醸成されつつある。

  • 高度化・複雑化する課題に対応していく職員として一般的に求められる資質・能力には、例えば、コミュニケーション能力、戦略的な企画能力やマネジメント能力、複数の業務領域での知見(総務、財務、人事、企画、教務、研究、社会連携、生涯学習など)、大学問題に関する基礎的な知識・理解などが挙げられる。その上で、新たな職員業務として需要が生じてきているものとしては、例えば、教育方法の改革の実践を支える人材(例えば、インストラクショナル・デザイナー、ファカルティ・ディベロッパーなど)、研究コーディネーター、学生生活支援ソーシャルワーカー、インスティテューショナル・リサーチャー(学生を含む大学の諸活動に関する調査データを収集・分析し、経営を支援する職員)などがある。国際交流を重視する大学であれば、留学生受入れ等に関する専門性のある職員も必要となろう。これらの業務には、学術的な経歴や素養が求められるものもあり、教員と職員という従来の区分にとらわれない組織体制の在り方を検討していくことも重要である。さらに、財務や教務などの伝統的な業務領域においても、期待される内容・水準は大きく変化しつつある。それぞれの大学において、新旧様々な業務について、職員に求められる能力とは何かを分析し、明確にしていくことが求められる。

  • 専門性を備えた職員、アドミニストレーターを養成していくためには、大学としてFDと同様、学内外でのSDの場や機会の充実に努めていくことが必要である。職員に求められる業務の高度化・複雑化に伴い、大学院等で専門的教育を受けた職員が相当程度存することが、職員と教員とが協働して実りある大学改革を実行をしていく上で必要条件になってくると言っても過言ではない。なお、教職員の協働関係の確立という観点からは、FD及びSDの場や機会について、両者を峻別する必要は無く、目的に応じて柔軟な取組をしていくことが望まれる。

  • 以上のようなことから、SDの推進に向けた環境整備について、FDと並ぶ重要な政策課題の一つとして位置づけるべき時機を迎えていると考える。また、我が国の大学をめぐっては、教育研究活動を支援する人材の量的な不足という問題があることにも留意する必要がある。職員の質・量それぞれの課題について適切な対応をしなければ、大学改革を推進していく上での隘路となる恐れがある。

大学間の協同の必要性


  • こうした教職員の職能開発に関する課題を乗り越え、実効ある取組を進めていくには、個々の大学の努力に期待するのみでは限界がある。FDやSDの取組が活発な海外の事例を見ると、拠点的組織やネットワーク、学会や職能団体など、個別大学の枠を超えた支援の体制や基盤が発達していることが伺える。特に、イギリスでは、教員の教育力向上を大学改革の重要な柱として位置づけ、国が積極的に関与・支援を行っている。

  • こうした事例を参照しながら、大学問の協同の体制づくりに向け、関係者が主体的努力を払うとともに、国としても、大学教育を振興する基盤整備の一環として、適切に関与していくことが求められる。その際、国立大学等の大学教育センター等における取組が各地域で進展しつつある中で、FD及びSDの大学間連携や支援に関する組織的な役割や貢献を果たし、ネットワークを広げていくことを期待したい。


去る4月11日付で文部科学省が配信したメルマガには、上記に関連した次のような記事が掲載されてありました。

編集後記


我が家の4月のカレンダーには城趾公園の桜の風景と、皆川盤水の句「満面にふくらんで来し朝桜」。今年は開花が早く、東京界隈は既に葉桜です。

3月末には京都・山形と続けて出張しましたが、かたや開花直前、かたや雪模様と、地域間の風土の違いを実感しました。

この出張の目的は、いずれもFD関係の行事への参加でした。

20年度からの「義務化」に当たって、各地でFDの機運が盛り上がっているようです。

あるセッションを覗くと、テーマは「高等教育センター若手教員の奮闘」でした。

様々な事例発表の後、コメント役の先生が、FDの推進を担う若手に対し、「あと10年の辛抱」と締め括っていました。経営者の意識改革、教員の世代交代などを待つならば「10年」ということのようです。

このたび、学士課程教育に関する大学分科会の中間報告について、パブリックコメントが開始されました。この報告書のポイントの一つは、「FDの実質化」です。

大学経営にあたられる方々が本報告を参照され、FDの企画・実施に生かしていただきたいと願います。

ただし、審議会の提言は金科玉条ではありません。

上記のコメント役の先生の言われたように、大学の風土に応じた「ローカライズ」が大切なのでしょう。FDの開花に向け、少しでも「辛抱」の時間を短くするよう、奮闘する先生方、大学を応援したいと思います。

2008年4月17日木曜日

評価と資源配分

国立大学法人は今年、第1期中期目標期間(平成16~21年度)の業績評価(暫定評価)を受けることになっています。

そして、この評価の結果は、各大学へ配分される次期中期目標期間の運営費交付金の算定に反映されることになっています。

この評価結果の資源配分への反映については、法人化当初から予告されてはいましたが、具体的な考え方や内容はこれまで全く明らかにされていませんでした。

しかしながら、今期の中期目標期間もあと2年足らずとなったこともあり、また、昨年の夏閣議決定された「経済財政改革の基本方針2007」(いわゆる骨太方針)*1を踏まえ、去る4月14日、文部科学省は、全国の国立大学長を召集し、「第2期中期目標期間における国立大学法人運営費交付金の配分に関する見直しの方向性」について説明を行いました。

配付された資料の内容は次のとおりです。


(方向性1)
第1期中期目標期間における各大学の努力と成果を評価し、資源配分に適切に反映させることを通じ、競争的環境を醸成し各大学の切磋琢磨を促す。



(方向性2)
第2期中期目標期間を通じ機動的に各大学の改革を支援し、教育研究水準の向上等に向けた各大学の継続的な努力や、大学の多様化、機能別分化を促す。



(方向性3)
各大学の特性・状況に配慮しつつ、大学経営の効率化を促す。


説明を直接聞いたわけではないので何とも言えませんが、資料を見る限りでは、事柄の重大さの割には、あまりにもあっさり、かつ抽象的な内容だったので拍子抜けしました。

おそらく、ルールの細かい制度設計は、現在、財務省との折衝を繰り返しながら進められているのでしょう。

国立大学自身はもとよりですが、文部科学省の担当者の皆様には、「国立大学の役割・使命・存在意義」を改めて問い直していただき、「経済格差が教育格差を産まない仕組み」と「努力する者が報われる合理的な制度」の構築に全力を傾注していただき、我が国の将来をかけ財務省との闘いに是非勝利していただきたいと切望いたします。

国立大学の予算に対する国民の興味関心は相変わらず希薄なようですが、報道は次のような記事を配信しています。

国立大の「努力」で交付金上下 外部の評価もとに (2008年4月14日 朝日新聞)

国立大の主な経費を支える運営費交付金について、文部科学省は個々の大学の「努力」を より反映するよう配分のルールを見直す方針を固めた。現在は、大部分が学生数などをもとに自動的に決まるが、10年度からは各大学の教育・研究や運営の改善ぶりについての外部評価の結果を反映させて配分額を決める。

文科省はこの方針を、14日午後に開かれた国立大の学長会議で説明した。

04年度に法人化された国立大は、学生が納める授業料や付属病院収入などの自己収入だけでは、必要経費の半分程度しかまかなえない。運営費交付金は、この収入不足を補うた めに国が出している補助金だ。主に教員の人件費や光熱費など大学の「基盤的経費」に使 われており、08年度予算では約1兆1800億円を計上している。

配分額の決定にあたっては、学生数などに連動して自動的に決まる割合が大きい。各大学の努力や成果が反映される「特別教育研究経費」は徐々に増えているが、それでも08年度で全体の6.7%の790億円に過ぎない。

新ルールで配分に反映させるのは、文科省の国立大学法人評価委員会による、学部ごとの 「教育や研究の水準」や大学全体の「業務運営の改善」についての評価結果。具体的な配 分方法が決まるのは09年度だが、大学の努力が現在より配分額の増減につながるようになる。

地方や文系単科という理由だけで不利になる配分にはしない見込みだ。

国立大は04年度から09年度までの6年間を第1期中期目標期間とし、中期計画に基づいて運営している。10年度に始まる第2期期間の交付金の配分額は、新ルールに基づき、07年度までの4年間の達成状況を判定した評価委の「暫定評価結果」をもとに決めるとしている。

運営費交付金の配分ルールについては、政府の経済財政諮問会議の民間議員が昨年2月、全面的な競争原理の導入を提案。だが、「地方や文系単科など半数の国立大が破綻(はた ん)する」などとして、与党や知事会などが反対。最終的に「骨太の方針07」では、「各大学の努力と成果を踏まえたものとなるよう、07年度内をめどに新たな配分のあり方への見直しの方向性を明らかにする」とトーンが弱まった。

国立大交付金に外部評価を反映 文科省 10年度から適用へ (2008年4月15日 西日本新聞)

文部科学省は14日、都内で開かれた国立大学長会議で、国立大の主要財源である「運営費交付金」の配分方法について、教育・研究水準の向上や経営効率化に向けた各大学の努力を外部機関と同省が評価、配分額に評価結果を反映させる方針を示した。来年夏までに評価と配分の詳細なルールを決め、2010年度交付分から適用を目指す。

教育・研究面の評価は独立行政法人大学評価・学位授与機構が、経営面の評価は同省の国立大学法人評価委員会がそれぞれ行う。各国立大は04年度の独立行政法人化以降、6年間の中期計画に基づいて運営しており、各計画期間ごとに評価結果を出し、次の6年間の配分額に反映させる。

同交付金は学生や教員の数を主な基準に算定され、08年度の総額は1兆1813億円。

05年度からは教員の資質向上などに取り組む大学を重点支援する特別枠も設けているが、割り当て額は全体の1割未満にとどまっている。

*1:国立大学法人運営費交付金の改革=文部科学省は、国立大学法人運営費交付金については、次期中期目標・計画(平成22年度~)に向け、各大学の努力と成果を踏まえたものとなるよう、新たな配分の在り方の具体的検討に早期に着手し、平成19年度内を目途に見直しの方向性を明らかにする。文部科学省は、運営費交付金の配分については、1)教育・研究面、2)大学改革等への取組の視点に基づく評価に基づき適切な配分を実現する。その際、国立大学法人評価の結果を活用する。

2008年4月14日月曜日

大学への財政投資の必要性

前回の日記では、中央教育審議会が示した「教育振興基本計画の答申案」について「骨抜きになった教育の未来」と題して少々辛口のコメントを書いてしまいました。

これまで政府系の会議などで、事あるごとに多くの有識者が「高等教育への公財政支出増の必要性」を訴えてきているにもかかわらず、一向にその気配すら伺えません。

「道路」も大事でしょうが、政治家も役所もこの国の行く末を大事に思う気持ちが本当にあるのであれば、もう少し「教育」について本気と思えるような行動をとって、先進国並みの公的負担を確保し、家計負担を少しでも低くすることにより、国民の生活に安心と希望を与えてくれてもいいような気がするのですが。

こだわるわけではありませんが、安西祐一郎慶應義塾長はじめ3人の有識者の方々が連名で出された提言の教育振興基本計画への反映は、我が国の教育の未来に希望をつなぐ意味で、多くの関係者が望んでいたことではないかと思います。財務省の経済原理によって軽々しく取り扱われるようなものではなかったのではないかと思います。

今日は、安西氏をはじめとする有識者の方々の提言について、山本眞一氏(広島大学高等教育研究開発センター長)が文部科学教育通信(No192 2008.3.24)に寄せられた「2025年の高等教育システム」の抜粋をご紹介します。


大学への公財政支出大幅増の提言

去る2月8日、中央教育審議会委員である安西祐一郎、郷通子、金子元久、木村孟の4氏の連名で「教育振興基本計画の在り方について」と題する文書が公表された。高等教育への大幅投資増を主張した「檄文」として紹介した新聞記事もあったようだが、文書の趣旨はその冒頭の「グローバルな知識基盤社会の時代を迎え、日本の大学教育の質の維持・向上をいかに図っていくかは緊要な課題である。人口減少社会の我が国が危機を乗り越え、活力を維持していく成否は、大学の在り方にかかっている」として、「教育振興基本計画」では、その理念を具現化することが必要である、という主張に表れている。

このような提言が改正教育基本法に基づく教育振興基本計画に盛り込まれるとすれば、これは高等教育関係者にとっては朗報に違いない。なぜならわが国の高等教育に対する公財政支出は、諸外国に比べて極めて貧弱であり、現状打破を図るには相当思い切った政策転換を行わなければ実現困難であるからである。文書では、「我々は、現下の厳しい財政事情について決して無理解ではない」と断りつつ、先進諸国が高等教育への投資を競い合うように伸ばし、量の拡大と質の向上を共に追求している現実を無視することは「鎖国的発想」だとして、政策の転換を強く促している。

大学は構造転換に耐えられるか?

もっとも、この文書は公財政支出の大幅増に向けた政策提言として高く評価されるだろうが、高等教育を専門とする者から見ると、いくつかの点についてさらに検討を要するように思われる。その一つは、2025年の我が国の大学在学者数に関しての点である。文書では、大学・短大学生255万人は、過去10年間のトレンド及び18歳人口の将来推移に基づく推計、大学院生数は、過去のトレンドを参照し、10年間で1割増加すると仮定して試算、社会人学生数は、履修証明プログラムの普及等を勘案し、米国の在籍者比(2割)程度と想定、留学生数は、過去8年間のトレンドに基づいて推計、とある。

これらの推計の根拠の是非はともかくとして、仮にこのような数字が現実のものとなった場合、我が国の大学システムには根本的な変革が必要だが、大多数の学生を日本人の若者の依存してきたこれまでの大学システムは、はたしてその変革に耐えられるだろうか。学生数の見積もりの中でも、社会人学生80万人というのは、衝撃的な数値である。これまでのように若く社会経験も未熟な学生を念頭に置いた教育指導には、根本的な見直しが迫られるであろう。

成熟した社会人学生は、教師のいい加減な教育を決して見過ごさないであろうし、それがさらに進めば、研究者養成を意識の底に置いたアカデミックな教育ですら批判の対象になるのではあるまいか。今のように社会人学生が少数にとどまっている間は、社会人学生の中にも「学問の香り」が好きで大学に来ている者が多いであろうが、知識社会における生きる術を学ぼうとして多数の社会人学生が押し寄せるようになれば、そのような甘い考えでない学生がマジョリティーになるのは目に見えている。

「人材」への投資の必要性

このことは将来の大学教師の養成や研究者としての訓練にも影響を与えることであろう。先日、ある雑誌記事で、文系オーバードクターを解消するには、純粋基礎学問だけではなく応用分野も訓練することが大事だとの主張を読んだことがある。院生の就職先の拡張方策として理解しているが、このことは大学に残って教育研究を続ける場合にも大いに当てはまる。

また、消費者意識の強い社会人学生や同じく主張力のある留学生が増えれば、大学経営にも大きな影響が出てくるであろう。教員の自治は大事だが、大学経営にもますます企業的マインドが必要になってくる。経営革新に備えた人材養成と確保はますます喫緊の課題になるであろう。もちろん大学というものは、この文書のような将来図式ともなれば、これまでのようなアカデミックな世界に閉じたものであることは許されないだろうから、当然と言えば当然である。

次に検討を要するのは、公財政支出5兆円の主張の根拠である。我が国の縦割り行政の中で、高等教育に資源をより多く振り向けることは容易なことではあるまい。この点、文書では、2025年の学生一人当たり高等教育費を現在のアメリカ並みと仮定し、その費用の負担を、現在の公費4割・私費6割から公費5割・私費5割に改めるとして計算をしている。諸外国との現状比較は重要だが、それだけで財政当局を納得させ、政治家の支持を取り付けるのは簡単ではない。おそらくその財政支出の内訳が求められてくるのではあるまいか。

この点でいつも疑問に思うのは、国による人件費および人員抑制政策である。もちろん無駄な人件費を削ることが重要であることは言うまでもない。しかし、我が国の大学は、欧米の大学に比べて教員の数はともかくその質について、また彼らをサポートする人員について質・量とも不十分であることはつとに知られた事実である。この問題を解決しないで諸外国と競争できるような大学システムを構築することはほとんど不可能ではあるまいか。

思うに、大学というものは「人材」の缶詰のようなものである。「人材」は教育を受ける学生だけのことではない。教職員も「人材」であり、その質が大学の良否を決める。そうであれば、人件費に十分な投資をしている大学が悪いはずがない。あえて極論すれば、「人件費比率の高い大学は良い大学である。ただし質が高くかつ有益な教育・研究が行われているならば」とでも言えるほどの世論の理解が得られることが、これからの国際競争力の高い大学づくりに必要なのではないかと思うのだが、いかがなものであろうか。

2008年4月7日月曜日

骨抜きになった教育の未来

「教育振興基本計画」(答申案)

去る4月2日に開催された中央教育審議会教育振興基本計画特別部会において「教育振興基本計画」の「答申案」が示されました。
答申案本文:http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo7/shiryo/08040303.htm

2月29日に示された「答申素案」については、既にこの日記でもご紹介したところ*1ですが、今回の「答申案」は、基本的には「答申素案」をベースにしつつも、十分満足のいく出来にはなっていないようです。

まずは今回の「答申案」の中心部分となる章「今後5年間に総合的かつ計画的に取り組むべき施策-特に重点的に取り組むべき事項」のうち、高等教育関係の主な部分をご紹介します。


キャリア教育・職業教育の推進と生涯を通じた学び直しの機会の提供の推進

○専門的職業人や実践的・創造的技術者の養成の推進

大学・短期大学、高等専門学校・専修学校等における実践的な職業教育を促す。特に、国際的に活躍できる高度専門職業人を養成するため、専門職大学院等の教育の高度化を促すとともに、各分野の評価団体の形成を促進する。
さらに、実践的・創造的な技術者を養成するため、高等専門学校の振興のための計画を策定し、その実現に向けた取組を行う。

○生涯を通じて大学等で学べる環境づくり

個人のキャリア形成や地域活動への参画等のため、生涯にわたる学習へのニーズに対応し、大学・短期大学、専修学校等における社会人等受入れに必要な環境の整備を促すとともに、大学等と産業界等との連携による取組への支援により、大学等における社会人受入を促す。



大学等の教育力の強化と質保証

○社会からの信頼に応え、求められる学習成果を確実に達成する学士課程教育等の実現

学士課程で身に付ける学習成果(「学士力」)の達成等を目指し、各大学等において教育内容・方法の改善を進めるともに、厳格な成績評価システムを導入するよう優れた取組を促す。
また、教員の教育力の向上のための実効ある取組を全大学等で展開していくよう優れた取組を促す。
さらに、大学等の設置認可や認証評価制度、情報公開を含めた包括的な教育の質保証の在り方について、中央教育審議会において検討し、必要な方策を講ずる。

○国公私を通じた大学間の連携による戦略的な取組の支援

全国各地域において、大学間の連携により、各大学等の教育研究資源を有効に活用し、地域貢献等を推進するための取組が充実したものとなるよう支援する。
また、国公私を通じ複数の大学等が学部・研究科等を共同で設置できる仕組みを平成20年度中に創設する。
あわせて、大学等が社会的要請の高い人材育成について地域や産業界と連携して行う優れた取組を支援する。



卓越した教育研究拠点の形成と大学等の国際化の推進

○世界最高水準の教育研究拠点の形成と大学院教育の振興

平成23年度までに、世界的に卓越した教育研究拠点の形成を目指し150拠点程度を重点的に支援する。
あわせて、すべての大学院において、大学院教育の組織的展開の強化を図り、国際通用性を確保し、高度な課題探求能力が育成されるよう、その優れた取組を支援する。
また、大学の教育研究水準の高度化を目指し、科学研究費補助金の拡充を目指すとともに施設・設備の整備や、国公私立大学を通じた共同教育研究拠点の整備を支援する。

○「留学生30万人計画」の策定・実施

大学等の国際化や国際競争力の強化、諸外国との相互理解の増進を図るため、2020年頃の実現を目途として「留学生30万人計画」を策定し、計画的に推進を図る。今後5年間においては、留学生の大幅な増加を目指す。


この「特に重点的に取り組むべき事項」は、「答申素案」では記載されていませんでしたが、この部分を読む限りにおいては、もっともなことが書かれてあり特に問題はありません。

しかし、このような多くの重要施策を確実に進めていくための「財政的裏付け」に関しては、今回の「答申案」は、関係者を落胆させただけのものとなりました。

特に、高等教育関係については、この日記*2でもご紹介したように、2月8日開催の中央教育審議会教育振興基本計画特別部会において、大学分科会を兼務する安西祐一郎慶應義塾長、郷通子お茶の水女子大学長、金子元久東京大学大学院教育学研究科長、木村孟独立行政法人大学評価・学位授与機構長の連名による意見書*3が提出されていただけに、今回の「答申案」の内容が、こういった有識者の意見を全く無視する形で取りまとめられ、「答申案」の前半に示された「目指すべき教育の姿」が単なる絵に描いた餅になってしまったことはとても残念でなりません。

特に、答申を締めくくる最後の重要な章である「施策の総合的かつ計画的な推進のために必要な事項」については、「答申素案」と「答申案」を見比べるだけでも次のような「やる気のなさ」が見えてきます。

まずは、最も重要と思われ多くの教育関係者が期待していた「教育に対する財政措置」については、「答申素案」では「現在検討中」として何も記載されていませんでしたが、「答申案」では、「教育に対する財政措置の効率的かつ効果的運用」という名称に変わり、まるで中央教育審議会の委員ではなく財務省の役人が書いたような月並みな内容になってしまっています。特に後段の部分は財政当局的意見です。


改正教育基本法第16条第4項には、国及び地方公共団体は、教育が円滑かつ継続的に実施されるよう、必要な財政上の措置を講じなければならない旨規定されている。我が国の教育に対する公財政支出は、全体のおよそ2割強を国が、8割弱を地方が占める構造となっており、我が国の教育の振興を図っていくためには、国と地方公共団体が、それぞれの役割を踏まえ、教育振興基本計画に掲げられた施策の推進について必要な財政上の措置を講じていく必要がある。

しかしながら、現在、国の財政状況は大変厳しい状況にあり、これまでの歳出改革等の改革努力を継続する必要がある。その際、限られた予算を最大限有効に活用する観点から、施策の選択と集中的実施、コスト縮減、効果的な実施に努める必要がある。

あわせて、我が国の教育の振興に当たっては地方公共団体の取組が不可欠である。各地方公共団体においても、その責任の自覚の下に、それぞれの実情を踏まえつつ、その地域における教育の振興に取り組まれるよう、強く期待したい。

さらに、企業や個人等からの寄附金、共同研究費等民間からの資金の活用について、各教育機関の自助努力を後押しするための税制上の措置の活用を含む環境整備等を進める必要がある。


国の財政危機を背景に教育費の負担を地方自治体や民間、個人に押し付けようとする無責任な財務省の腹のうちが見え見えの内容であり、中央教育審議会(あるいは文部科学省)の力のなさに、この国の将来がとても不安になりました。

このほかにも、「答申素案」ではわりと力強く明確に書かれてあった表現が「答申案」では形骸化している箇所が随所に見受けられます。

例えば、

○計画の実施に当たり国の果たすべき役割

政府は、関係府省間の緊密な連携を図りながら、計画に掲げられた施策を [着実に実施する必要] がある。

[その成果を見極めながら、効率的・効果的に実施する必要] に変更

○進捗状況の点検及び計画の見直し

教育振興基本計画を効果的かつ着実に実施するためには、定期的な点検とその結果のフィードバックが [必要] である。
このため関係府省には、毎年度、自らの施策の進捗状況について、 [適切な指標等も用いつつ] 点検を行うことが求められる。

教育振興基本計画を効果的かつ着実に実施するためには、 [事業量指標ではなく、成果指標による] 定期的な点検とその結果のフィードバックが [不可欠] である。
このため関係府省には、毎年度、自らの施策の進捗状況について、点検を行うことが求められる。 [その場合、十分な成果を上げることのできない施策については廃止するなどの対応も必要である。]

[中央教育審議会は、関係府省の行った施策の自主的な点検結果に基づき計画の進捗状況について点検を行った上で、必要に応じ、計画の見直しを含め、文部科学大臣に対して意見具申を行う。文部科学省は、具申された内容に基づき、必要に応じ、関係府省とも連携しつつ、所要の措置を講ずることが求められる。]

→ 全文削除

今回の教育振興基本計画は、政府が5年間に取り組むべき具体的方策について示すものであることから、策定から5年後を目途に見直しを行い、 [中央教育審議会の意見を聴いて、] 次期計画を策定する必要がある。

→ [中央教育審議会の意見を聴いて、] を削除



このように、今回示された「答申案」は、答申素案より大幅に後退したものであり、高等教育関係者はもとより国民の期待を大きく裏切る骨抜きの答申案と言わざるを得ないと思います。

まもなく答申が出されることになるのでしょうが、今後は理念よりも具体的施策とその確実な実行を願ってやみません。

参考までに、「答申案」についての報道の対応を見てみましょう。

教育投資額 明記せず 振興基本計画答申案を了承 委員からは批判も (2008年4月3日付毎日新聞)

今後5年間の教育の政策目標を定める「教育振興基本計画」について、中央教育審議会特別部会は2日、「確かな学力の保証」など9項目を今後重点的に取り組む分野とする答申案を了承した。教員増員や、教育投資などの数値目標は盛り込まず、委員からは「財務省の審議会の答申のようだ」と強い批判の声も出た。

基本計画は、改正教育基本法で政府に策定が義務付けられた。初めての計画となる今回、具体的施策としては、道徳の教材の国庫補助制度創設▽大地震で倒壊の恐れのある小中学校1万棟の耐震化支援▽幼稚園、保育園の機能を一元化した認定こども園の認定2千件以上-などが示された。福田康夫首相が掲げる「留学生30万人計画」は2020年ごろの実現を目指す。

昨年2月に始まった特別部会は当初、35人学級実現に必要な教員の増員数の試算が提示されるなど、教育予算拡充を目指した。しかし最終的には、財務省など関係省庁の了承を得られたものだけが、答申案にも盛り込まれた。教育投資については「メリハリをつけながら、真に必要な投資を行う」などの表現にとどまった。

これに対し、委員の片山善博・前鳥取県知事は「役人の密室協議で日本の教育が決まってしまう。闇で力を持った人が言うことを聞かせるのはいじめと同じ」と痛烈に批判した。しかし、ほかに目立った反論はなく、答申案は、さらに政府内調整を進めたうえで、4月中旬の中教審総会に提示される見通し。


教育予算額の記載なく、不満も 中教審部会(2008年4月2日付産経新聞)

中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)の特別部会は2日、校舎耐震化1万棟、認定こども園2000園の数値目標や道徳教材の国庫補助制度などを内容とする教育振興基本計画の答申案を了承した。教員の定数増や教育予算について具体的記載がなく、一部委員から「財政当局への配慮だ」と不満が出た。

答申案では、今後5年間に(1)社会全体で教育向上(2)社会の一員としての育成(3)知性豊かな人間育成(4)教育環境整備-に取り組むとした。

施策として、家庭・地域・企業との連携強化や生涯学習・スポーツの推進、高等教育の充実などを掲げたが、多くはこれまで教育再生会議などで示された内容。数値目標は、(1)平成32年ごろまでに留学生30万人(2)博士課程在学者の約2割に生活費相当額支給-などにとどまった。

教員定数、教育予算などは「必要な措置をする」との表現にとどまり、数値の提示はなかった。

これについて片山善博委員(慶大教授、前鳥取県知事)は「事前に行われた省庁間のやりとりを明らかにしてほしい」と述べ、財政当局に配慮し、教育予算が確保されていないと非難した。

教育振興基本計画は改正教育基本法で策定が定められ、中教審が昨年2月から審議を続けてきた。4月中にも閣議決定される。

2008年4月5日土曜日

大学職員という仕事

九州などではこの週末がちょうど桜の見頃を迎えるようですが、キャンパスに咲く満開の桜の下を通学する新入生の姿を見るのは毎年のことながらとてもいいものです。

新入生とともに足取りが軽やかなのは大学職員の新人さんです。
新社会人としての大きな夢と少しばかりの不安を持ちながらの仕事や生活のスタートだったここ1週間はとても大変だったのではないかと思います。お疲れ様でした。

今、大学はいろんな意味で変動の最中にあり、大学職員やその業務の在り方については、かつてない大きな変革が求められています。特に、若い職員の方々の肩には、将来の大学の運命がかかっていると言っても過言ではないほど、彼らの役割は今後益々重要となり、彼らが中核となり様々な分野で大学の改革を積極果敢に進めていくことが、引いては我が国の高等教育、国民生活の発展につながっていくものだと思います。

今日は、この春に新しく採用された大学職員の皆さんにエールを贈る気持ちで、上杉道世氏(前東京大学理事、現独立行政法人日本スポーツ振興センター理事)が書かれた「誇りある大学職員となる」(文部科学教育通信2008・1・14掲載)の主な部分をご紹介します。

教員と職員の関係を変える

大学職員をめぐる将来のイメージを私は次のように捉えている。

これまで職員と教員の関係は、職員は事務室にこもって、同じ大学の中なのに教員と職員の二つの別の世界があるかのようだったが、将来は、職員は学長や部局長と一体となって大学経営を担い、教員の教育研究を専門的な知識能力を持って直接に支えるようになる。
そのためには、これまで膨大に存在した間接業務を徹底的に縮小し、経営判断や教育研究に直結する業務を仕事の中心とする。これまで縦割り階層性のピラミッド型の組織であったが、フラットで柔軟な業務本位の組織になる。
職員は自分と大学の将来を見据えながら、幅広い経験を積むと同時に、各自の能力適性に応じて専門性を高めていく。職員はコミュニケーションを基本とした納得性の高い評価を通して、実力と業績に基づく処遇を受ける。
職員が教員や学生とともに働き、交流する機会が増え、大学経営と教育研究を支えているのだという実感を持つことができるようになる。これらを通して自分の存在感を持つことができる。誇りを持つことができる。

大学という職場のすばらしさ

世の人々から大学で見えるのは、もっぱら教員と学生の姿である。職員の姿はなかなか見えない。
大学は舞台芸術に似ている。ステージに立つスター(教員)が、すばらしいパフォーマンスをして拍手喝采を受ける。その舞台が成り立つためには、舞台装置を作り照明を当てる人がいる。台本を書き、切符を売り、物品を仕入れ、給料を計算し、経営判断をする人がいる。
魅力あふれる舞台が成り立つためには、有能で多彩な職員集団が不可欠である。

一方、最近の学生の職業に対する志向を見てみると、もちろん高い収入を目指してチャレンジする人もいるけれど、むしろ世の中の役に立つような仕事を真面目にやっていきたい、高い収入のために身を削って家庭生活も犠牲にするような職業生活ではなく、仕事も一生懸命して、幸福な家庭も築き、趣味や個人の生活も大事にしていきたい、という良質の学生層があることが感じられる。
そのような学生にとって、大学は好適な職場であろう。特に、仕事も生涯を通して一生懸命やりたいし、幸せな家庭を持ち子育てもしたいという有能な女性にとって、大学は両立を実現しやすい職場である。

今日、国立大学は大きく変わりつつある。一昔前のように、毎日早く帰れる、定年までのんびりすごせる安定した職場だという姿はもはや無い。次々と出てくる課題に対し、あるいは自ら課題を発掘し、知恵を出し、努力を重ね、切磋琢磨していかなければならない職場である。
逆に、各職員が力と個性を発揮し、物事を動かしているという実感を得られる変化の時でもある。なんとしても、能力の高い、やる気のある、積極果敢でチャレンジ精神に飛んだ若者に職員として参加してもらいたいものである。

そのためには、大学という職場の魅力をもう一度考えてみよう。
大学には教員と学生がいる。日々の仕事の場で、世界的に著名な学者や、知的な探究心に富んだ研究者や、青春の喜びや悩みを持ってすごしている学生と出会い、ともに活動するという職場はめったに無い。
企業などの世界で長く活動してきた方々が、最後は教育にかかわる仕事をしたいと希望することがしぱしばある。人の成長に貢献できるというのは大きな喜びであろう。

知的な好奇心に富んだ人にとって、あらゆる学問分野がそろっている環境も貴重である。宇宙の果ての謎から人間の心理の奥底まで、地球環境の変化から人間社会のうごめきまで、あらゆる事柄を研究している人たちが身近におり、学内の仕事の経歴の中で自然に接していくことができる職場である。

教育も研究も、基本に公共的な性格を持っている。直接あるいは間接に、社会のため、日本のため、世界のために役立つ仕事である。であればこそ、国民の税金が投入され、厳しさが増しているとはいえ、基本的には安定した職場である。

同時に今、国立大学はかつて無いほど変化しようとしている。ただの安定した職場ではなく、新しい課題にチャレンジし、新しいアイデアや工夫が次々に求められている、実力本位の職場になりつつある。

そして多くの国立大学は、それぞれの地域では知の拠点として、人々に知られ、頼られ、敬意を払われている職場である。職員が誇りを持って仕事ができる職場である。

世の中に数々の職業があり、それぞれ良い面を持っているが、その中でも大学職員という職業は、適性のある人にとっては恵まれた良い職業だと言えよう。

プロフェッショナルな職員となる

大学という恵まれた職場で、生涯を通して充実した仕事をしてもらうためには、高度な専門的知識や能力を持ち、積極的に行動するプロフェッショナルな職員になってもらわなければならない。

ではどのようにすればプロフェッショナルな職員が出現するのか。掛け声をかけているだけでは進展しないので、具体的な仕掛けを作っていかなければならない。

まず、それぞれの専門分野ごとに必要とされる知識や能力の体系を描いてみる。初めから理想的な人はいないので、レベルに応じていくつかの段階を考える必要があろう。
その知識と能力を養うのに必要な職務経験を人事で実現する。高度な専門性と幅広い視野を両立させることが大切であろう。その分野について、学内にどのような組織があり、どのようなポストがあるのか、全学的に合理性のある組織作りを進める。そしてその専門性の度合いと仕事の達成度を判定する仕組みをつくり、処遇の体系をつくる。これらは大学職員のあり方のトータルな改善の中で実現していくであろう。

2008年4月3日木曜日

高等教育政策の動向

恒例になりつつありますが、文部科学省高等教育局が配信しているメールマガジン(2008.3.31 No25)のうち主なものをご紹介します。

[政策動向] 中央教育審議会大学分科会第67回について


■大学分科会について-2つの評価機関の認証について答申-

3月25日、大学分科会(分科会長:安西祐一郎慶應義塾長)第67回が開催されました。

1)各部会等の審議状況について

○教育振興基本計画特別部会関係
 ・答申素案 等
○大学分科会制度・教育部会関係
 ・新制度(「共同学部・共同大学院」(仮称)制度)の概要(案)及び骨子(案)
 ・国公私立大学等を通じた大学間連携支援の在り方について(論点整理メモ)
○大学分科会大学院部会関係
 ・専門職大学院に関する今後の検討課題について(案)
 ・博士課程修了者等の諸問題について(論点整理メモ) 等
○大学分科会留学生特別委員会関係
 ・留学生特別委員会の設置
 ・「『留学生30万人計画』の骨子」を取りまとめるにあたっての検討課題(案)

2)「学士課程教育の構築にむけて」(審議のまとめ)

制度・教育部会長から「学士課程教育の構築に向けて(審議のまとめ)」について報告が行われました。

3)認証評価制度

認証評価制度や実施の在り方について専門的な調査審議を行うため、大学分科会の下にある現行の「評価機関の認証に関する審査委員会」を改組し、「認証評価特別委員会」を設置することが決定されました。
また、平成19年12月18日付けで諮問があった「特定非営利活動法人日本助産評価機構」及び「財団法人大学基準協会」に関する専門職大学院の認証評価機関としての認証について審議が行われ、答申されました。
具体的には、「特定非営利活動法人日本助産評価機構」については、専門職大学院の課程に係る助産分野の評価を行う機関として認証すること、「財団法人大学基準協会」については、専門職大学院の課程に係る経営分野(経営管理、会計、ファイナンス、技術経営)の評価を行う機関として認証することについてそれぞれ適当と認める旨答申されました。
今後、両法人は、文部科学大臣の認証を経て、平成20年度から当該分野の専門職大学院の評価を行う予定です。

4)その他

「大学における厳正な学位審査体制等の確立について」(平成20年3月19日19文科高第854号通知)等について報告されました。
■「学士課程教育の構築に向けて(審議のまとめ)」について

3月25日に開催された中央教育審議会大学分科会では、制度・教育部会(部会長:郷御茶の水女子大学長)から、「学士課程教育の構築に向けて(審議のまとめ)」の報告が行われました。
この報告書は、昨年9月に同部会の学士課程教育の在り方に関する小委員会が公表した「審議経過報告」を基に、その後の審議を踏まえて修正を行い、部会レベルで了解を得たものです。
今後、学士課程教育に関しては、今回の「審議のまとめ」に関する意見募集等を経て、夏前を目途に答申をまとめるべく、更に議論を進めていく予定です(近く報告書の全文を当省のウェブサイトに掲載し、パブリックコメントの開始について告知をさせていただきます)。

「審議のまとめ」は最終的な答申とは異なりますが、文部科学省としては、報告書の中でいただいた提言については、できるところから実行していくこととしております。
当面は、報告書の内容の周知を図るとともに、平成20年度からスタートする、学士課程教育の充実に関する新しい制度や予算事業(例えば、教育研究目的や成績評価基準等の明示、FDの実施に関する大学設置基準の改正、従来のGP事業を統合した「質の高い大学教育推進プログラム」や「戦略的大学連携支援事業」などの新規予算措置)の円滑な実施などに当たっていく予定です。

また、「審議経過報告」と同様、提言されている「改革の方策」については、「大学の取組」と「国による支援・取組」とが明確に区分して示されております。各大学におかれては、主として前者を参考にして主体的な改善の取組を進めていただきたいと思います。

【関連報道】

「大学淘汰不可避」 質向上求め提言 中教審 (2008年4月2日付産経新聞)


中教審大学分科会制度・教育部会は、大学の学部教育の質向上を求める提言をまとめた。

大学志願者数と定員が同数となる「大学全入時代」の到来を「少子化の中、学士レベルの能力を備えた人材の供給は重要」と積極評価。
その一方で「質の維持・向上の努力を怠り、社会の負託に応えられない大学の淘汰(とうた)は避けられない」と警告した。
平成19年度に57%となった大学・短大進学率について提言は「先進諸国に比べて高いとはいえない」との見方を示し、意欲や能力がある若者を積極的に大学に受け入れることが必要とした。
その上で、質向上の方策の1つに、大学に入学する際の高校生の学力をみる手段として、高校と大学が協力して実施する「高大接続テスト」(仮称)の創設を検討することなども求めた。
中教審は、引き続き大学改革に向けての審議を進め、夏ごろをめどに答申をまとめる予定。

努力怠る大学「淘汰は不可避」・中教審が報告案 (日本経済新聞)

大学の学部レベルの教育水準向上策を検討してきた中央教育審議会は、これまでの審議の結果を盛り込んだ報告案をまとめた。
大学を取り巻く環境が急速に変化する中で「質の維持向上への努力を怠る大学の淘汰は不可避」と強調。取り組みが不十分な大学に対しては補助を大幅カットするなど「厳格な対応が必要」と指摘している。
中教審がこうした報告などの中で、大学の将来について「淘汰」を明言するのは異例。「大学全入時代」の到来などで大学の経営が厳しくなっていることを受け、各大学に危機感を持ってもらう狙いがある。
報告の題名は「学士課程教育の構築に向けて」。冒頭で「我が国の大学の大きな問題の一つは『質』の管理が緩いことだ」と明確に指摘し、学生や社会のニーズを顧みない「旧態依然とした大学もある」と厳しく批判。
入り口から出口まで総合的に大学の質を保証する仕組みづくりが急務になっているとした。

■「教育再生懇談会」の開催について

平成20年3月25日に「教育再生懇談会」の初会合が首相官邸で開かれました。
福田首相は、あいさつで、教育再生会議のフォローアップに加えて、「各方面から学生の学力低下が危惧されている中、国際的に通用する人材育成のため、大学全入時代における高校教育、大学入試、更には大学教育の在り方、また、留学生受入れの拡大や英語教育の在り方についてもご議論いただきたい」と、大学生の質向上に向けた具体策をまとめるよう指示しました。
また、首相は、子どもにとって有害な情報への対策、幼児教育の在り方などについても議論するよう指示しました。
座長には、安西祐一郎慶應義塾大学塾長が互選で選出されました。
「教育再生懇談会」は、今後月1回のペースで会合を開き、フォローアップのために現場視察も行われる予定です。

【関連報道】

大学全入時代の対応検討へ=教育再生懇 (2008年3月25日付時事通信)


政府は25日、教育再生会議の後継組織「教育再生懇談会」(座長=安西祐一郎慶応義塾長)の初会合を首相官邸で開いた。主な役割は同会議報告書の具体化の点検だが、福田康夫首相は「21世紀にふさわしい教育の在り方の議論をお願いする」として、「大学全入時代」を見据えた学力確保の方策やインターネットの有害情報対策など、同会議が積み残した課題の検討も指示した。
首相が言及したのは、(1)大学全入時代の高校教育、大学入試、大学教育(2)国際競争力向上に向けた留学生受け入れ拡大や英語教育(3)ネット社会におけるコミュニケーション能力の養成や有害情報対策(4)家庭教育や幼児教育-など。同懇談会は毎月1回の会合でこうした問題を話し合うが、報告書をまとめるかどうかは未定。
安西座長は記者会見で、家庭教育に絡み「子どもと付き合う時間が長くできる雇用形態、社会の在り方も考えないといけない」と指摘した。

トピックス

■大学等に関する認可申請に係る不認可期間の決定について

文部科学大臣は、平成20年2月27日、学校法人夙川学院、学校法人純真学園の2学校法人に対し、「大学、大学院、短期大学及び高等専門学校の設置等に係る認可の基準」及び「学校法人の寄附行為及び寄附行為の変更の認可に関する審査基準」に基づき、不認可期間の決定を行いました。

具体的には、

1)学校法人夙川学院

平成19年4月に開設した神戸夙川学院大学に係る寄附行為変更認可申請において、
・運動場という重要な教育用の資産が寄附行為変更認可申請書に記載されていなかったこと
・また、当該事実を記載したとしても、校地を借用する場合は20年以上の借用保証が必要であるにも係らず、運動場計画時の借用期間が不足していたこと
等により、平成21~24年度開設までの大学等の設置に係る寄附行為変更を認可しないこととした。

2)学校法人純真学園

平成19年11月、純真短期大学の学科設置に係る認可申請書において、学長の個人調書に事実とは異なる記載がされていることが判明したことにより、平成21~22年度の開設までの大学等の設置に係る認可申請を認可しないこととした。

学校法人の寄附行為変更認可申請書及び大学等の設置認可申請書は、文部科学省における審査の前提となる大変重要なものでありますから、各申請者におかれましては、その内容の正確性・信頼性について、ご留意いただきますようお願いします。

(参考)
近年の審査を振り返って(大学設置・学校法人審議会 学校法人分科会長コメント)
大学設置・学校法人審議会会長コメント
 

■厳正な学位審査体制等の確立について(通知)

平成20年3月19日付けで高等教育局長から各国公私立大学長あてに「大学における厳正な学位審査体制等の確立について」の通知を行いました。

(通知内容)
昨今、学位審査に関連して審査委員が収賄罪により起訴された事件や学位取得に伴い金銭の授受があった事実が明らかになる不祥事がありました。

近年、大学院教育の組織的な展開の強化と学位の国際的な通用性・信頼性の確保がこれまで以上に求められている状況において、このような不祥事があったことは、学位の国際的な通用性・信頼性を損なうことにもなりかねず、極めて重大な問題であります。

各大学においては、今後かかる不祥事が生じることのないよう、下記事項に留意の上、改めて厳正な学位審査体制等を確立するようお願いします。

なお、このことに関しては、学位授与状況等調査において、その状況を調査することとしておりますので念のため申し添えます。また、今後かかる不祥事が生じた場合には、各大学において厳正に対処するとともに、文部科学省へすみやかに報告するようお願いします。

  1. 公開での論文発表会を実施すること、学外審査委員を積極的に登用すること等により、学位審査に係る透明性・客観性を確保するための体制を確立すること。

  2. 学位審査等に関わる教員の責務等を明確化するとともに、通報・相談窓口を設置し、それらを関係者に通知すること。また、問題が生じた場合には、公正な調査を実施し、その結果をすみやかに公表すること。

[政策担当者の目] 首尾一貫

小泉内閣の時、三位一体改革が金科玉条のごとく主張されたことは、皆さんの記憶に新しいでしょう。
その際、地方6団体(知事会、市長会など)からは、国の補助金を廃止して一般財源化すれば、地方の裁量度が増して、地方自治が実現できると盛んに主張がなされたところです。

これに対して、文科省は義務教育費国庫負担制度を廃止すると、地方への安定した財源がなくなり、教育の荒廃につながると主張し、徹底的に反対しました。

ところで、最近の道路特定財源の議論をみると、地方側は一般財源化すると地方の安定した財源が失われ、道路建設ができなくなると訴えています。
私は、道路財源の専門家ではないので安易な論評は控えたいと思いますが、道路財源をめぐる地方側の主張と、教育費をめぐる地方側の主張には矛盾があるように思えてなりません。
まさに、首尾一貫していないというのは、このようなことを指すのではないでしょうか?

2年前から、国立大学への運営費交付金や、私立大学への私学助成といった高等教育機関への基盤的経費に対する財政当局側の切り込みの動きが続いています。
私は、大学への基盤的経費をきちんと確保することが我が国の高等教育を安定させ、ひいては我が国が優れた人材を輩出し、かつ、世界をリードする科学技術を生み出す礎になると確信していますので、これからも引き続き、「首尾一貫」して、この問題から逃げずに取り組んで行きたいと思っています。


編集後記

大学分科会にて、学士課程教育に関する中間報告書(「審議のまとめ」)がまとめられました。
幾つかの新聞で報道されましたが、どうしても部分的な報道に止まり、メッセージが正確に伝わらないという心配を抱きます。
近く意見募集も予定しておりますが、本文は50頁程度なので、大学関係者の皆様には、ウェブサイト等を通じて全体を御覧いただければと思います。

提言のキーワードの中には、「幅広い学び」、学士課程の達成目標としての「学士力」などがあります。
カルロス・ゴーン氏は、「大学は土台づくり」と題するある新聞のコラムの中で、慌ててキャリア・プランを作ろうと焦る最近の学生の動きをたしなめた上で、勉強の方法を勉強し、学問のロジックを身に付けることの重要さを説いています。
優れた経営者の考え方と、今般の中教審の提言との間にズレは無いということを強く感じました。

しかし、一方では、3月末のある週刊誌にて、「「就活」が壊れる」という特集が組まれ、採用活動の早期化をめぐる問題の広がり、大学教育への負の影響が報じられていました。
産業界の有り様もなかなか一括りに論じられません。
「審議のまとめ」の提言を契機に、大学と産業界との関係も、改めて見直していくことが望まれます。

2008年4月1日火曜日

人事は人材育成の視点で

今日から4月。新しい年度の始まりです。

ある意味では暦年の元旦に相当する日でもあり、新人から年配の方に至る多くの方々が心新たに1年のスタートを切る大事な日と言えるのかもしれません。

最近は、多くの国立大学で、年度決算や法人評価の作業の関係から、従来の4月から7月に定期異動の時期を変更するところが増えているようですが、いずれにしても、人事異動は、それぞれの方にとっては、人生に影響を与える大変重要な転機といっても過言ではなく、中には複雑な想いで今日という日を迎えられた方もおられるのではないかと思います。

恐らく一般のサラリーマンの方でも同様なのでしょうが、思い通りにならなかった異動であったとしても、今日からは気持ちを切り替え、前向きに、そして愚直に生きていくことがなにより大事ではないかと僭越ながら思う次第です。

3月30日に放映されたNHK大河ドラマ「篤姫」では、島津斉彬が、慕っていた篤姫を追って江戸行きを志願していた肝付尚五郎(のちの小松帯刀)ではなく、他人のために自分は何をなすべきかを常に考えていた西郷吉之助(のちの西郷隆盛)を参勤の供に選んだ場面がありました。尚五郎は得心いかず意気消沈しますが、師匠から、薩摩でしかできないことをすべきではないかと諭されました。

両者とも我が国の歴史に名を残す重要人物になっていくわけですが、いわゆる人事異動による心の迷いはいつの時代にもあったのだと内心ほっとしたような気がします。

そうは言っても、やはり人事異動はサラリーマンにとっては極めて大事なものです。
今日は、上杉道世氏(前東京大学理事、現独立行政法人日本スポーツ振興センター理事)が、文部科学教育通信という雑誌に載せられた「人事は人材育成の視点で」をご紹介します。
人事担当者や管理職員の方々にはよく読んでいただきたい内容です。

大学職員のキャリアプランを考える

人事異動について、従来のイメージはどうだっただろうか。自分の人事については、いろいろな思いがあってもじっと抑えて「おまかせします」と言うのが美徳のようだった。

一方、人事担当者の方は、個々の職員の情報収集はある程度やっていたが、人事異動案の作成に当たっては、全員をもれなく全部のポストに貼り付けるのが最優先であり(これは確かに必要なことだ)、その際に、対象となるポストの序列と、職員の年齢や経歴の序列を組み合わせて、バランスの取れた出来上がりを目指すのが大事だった。

しかし、職員は一方的に動かされるだけの将棋の駒ではない。能力適性もさまざまであり、得手不得手もあり、職業生活に求める価値観も一人一人異なっている。大学の業務も極めて多様であり、所要の専門的能力を計画的に育てていく必要がある。

大学全体としては、持っている人的資源を必要な業務に最適に配置することが必要であるし、職員個人としてみれば、仕事との幸福な出会いが実現できるようにしていかなければならない。そして人事異動は、その職員にとって能力を高め視野を広げる効果があるように、人材育成の視点から行われなければならない。

そのためには、どのような手段があるのか。
まず、職員の能力適性や将来の希望に関する情報をよく把握しなければならない。東京大学では、毎年一度職員調書を作成する際に、現在の業務についてどのように考えるか、そして、将来どのような職務分野に進みたいか、そのためどのような研修や能力向上策を経験したいかなどを記述させるようにした。また単に書類に書くだけではなく、これに基づいて上司が職員と話し合うことを呼びかけた。

職員一人一人が、自分のキャリアプランを考え、形成していけるようにしていきたい。
自分が将来どの分野で活躍し、いつごろどのような経験を積み、どのような専門性を身につけていくのか、おおよその希望あるいは見通しを自覚的に持つようにしたい。特に女性職員にとっては、出産育児の負担がかかりやすい実態があり、これに対しライフプランとキャリアプランを組み合わせた職業生活の見通しを持つことが有益であろう。

これらの前提として、大学側としてどのような人事異動の方針あるいはガイドラインを用意しているかを示していく必要がある。

人事異動のガイドライン

人事異動の方針あるいはガイドラインは、大学の規模やおかれている状況により異なるものであるが、ここでは私の段階での東京大学の例をお示ししよう。
もちろんこれはガイドラインであるから、個々の職員によって例外的なケースはありうるものである。

まず、新規採用後の最初の配置は、本部とした。
従来、本部や部局に分散して配置し、しかもいったん部局に配置となると、長く部局勤務が続く傾向があり、これは職員の能力を停滞させ、本部と部局がよその会社のような疎遠な関係となる一因となるやり方だったと思う。私は、今後は少数精鋭の採用を行うこともあり、全員にいったん本部経験をさせ、全学の動きを見る習慣を身につけさせたいと考えた。したがってこの新人の本部勤務の期間は、単に担当の仕事をするだけでなく、さまざまな機会に本部全体の業務の状況が把握できるような経験をさせるよう上司と人事課は配慮しなければならない。

次に、本部勤務の後は、部局を経験させる。
採用後十年間程度は、比較的短期間にいくつかの異なる部局、異なる分野を経験させ、自分の専門性を見いだす期間とする。この年代の人事異動は本部主導で本人の経歴をよく考え、能力向上の観点から計画的に実行しなければならない。

次に、おおむね30代半ばぐらいから(当然人によって異なるが)、各自の専門分野を明確にし、比較的長期間一カ所にじっくりと勤務し、当該部局、当該分野に精通した職員となる。従来、2~3年で異動を繰り返すケースが多かったが、やはり一つの仕事を成し遂げるにはもう少し長い期間が必要であろう。

部局の意見とよくすり合わせるとともに、できるだけ職員の能力適性や希望に応じた異動を実現したい。私は、これからは各職員が、何らかの専門分野を持ちながら幅広い経験もあわせて持っているという姿にしていきたいと考えている。また、他大学他機関の経験も有益であり、私立大学や民間企業にも機会を広げていきたい。

最後に、管理職への登用であるが、法人化と同時の4月人事から、課長・事務長への登用試験を行った。法人化とともに、幹部職員の全国異動の規模が縮小し、学内からの登用が増加することが予想された。一方、学内の事務長・課長の実態を見ると、受け身で、力量が不十分な人がいたりして、部局長からも、ともに部局運営を担ってくれる人が欲しいと言われていた。

それまでの幹部登用は、こつこつ真面目にやってきた人の定年前の処遇のようであったが、これを実力本意にし、自ら手を上げて、私はこのような幹部になりますと宣言した者を登用する仕組みとした。学内から登用希望者を公募し、論文作成し、上司の評価を聞き、役員による面接を行って判定している。これを4年間行った結果、幹部は活性化し、若手や女性の登用も進んだと考えている。

人材育成を支える研修の展開

私は研修を幅広く考えたいと思う。人事課の研修係が担当している研修事業は重要だが、人材育成の観点で活用できる活動はほかにもいろいろある。

まず、上述した人事異動の仕組みそのものが人材育成の観点から組み立てられていることが重要である。部下職員の人事に対する態度を上司の評価に組み入れ、幹部が職員の人材育成を真剣に考えるようにしむけなければならない。

特別な時間を組んで一定の職員を集めて行うタイプの研修は、東京大学の場合、従来からかなり行われていた。問題は内容であって、講師の話を聞く時間は最小限とし、研修生自身が討議し、プランをまとめ、発表するという主体性を引き出すような方法を大幅に取り入れた。通常業務と切り離すのではなく、通常業務の中で生かしていくという課題設定も含めた実践的な研修とした。

職員たちの自発的な動きを引き出すような試みも、研修的な意味を持っている。若手職員の自発的なプロジェクトをさまざまな形で推奨してきた。研修という名前は付けていないが、業務改善のワークショップや、評価のセミナーなど、新しい業務に取り組むときは、なるべく多くの職員に直接説明し、意見交換する手法を展開した。

個人単位のものとしては、自己啓発型の研修を奨励している。大学の業務として必要なものは職務の一環としての研修で行ってもらうが、個人に利益が還元される要素があり職務にも役立つ研修は、職務専念義務免除や休職で行けるように制度改正した。資格の取得や専門的能力の向上や大学院での学習など職務外での勉強に活用されている。

そのほか挙げていくときりがないが、型にはまって考えないで、活用できるあらゆる手法を動員して職員の能力向上を図っていくことが大切であろう。

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