2008年9月3日水曜日

教員評価に対する抵抗

大学には様々な改革課題が山積していますが、とりわけ「教員評価制度の導入と円滑な運用」は、多くの大学において難解な課題の一つになっているのではないないでしょうか。
この日記でも一度ご紹介しました*1が、教員評価に対する教員の抵抗は、引いては大学の改革を遅らせ、世間の常識との乖離を益々拡げていくばかりです。
今日は、なぜ教員評価をしなければならないのか、なぜ教員は教員評価の導入や運用に抵抗するのかなどについて触れた3つの寄稿等(抜粋)をご紹介します。

教員にも通信簿 (2008年8月26日 朝日新聞)
(全文はこちら→http://www.asahi.com/edu/university/zennyu/TKY200808250166.html

各教員の業績を段階や数値ではじき出す個人評価制度を導入する動きが、大学で広がっている。日本では「客観性に疑問」「順位付けにつながる」と根強い反対があったが、少子化やグローバル化を受け、学生サービス改善や教員資質の向上といった時代の要請に一斉に応え始めた格好だ。給与や人事査定に直結させる大学も出始める一方で、過度の「市場原理」の浸透を懸念する声も漏れる。

◆自己評価 上司が加減点

岡山大が04年度から本格実施した個人評価制度は、教授から助手までの全専任教員約1300人が対象だ。教育、研究、社会貢献、管理・運営の4領域ごとに、学部長や研究所長が前年度や過去数年の活動を3段階評価。4段階の総合評価も行う。基になる自己評価の提出期限が9月末のため、夏季休暇中の今が記入の追い込み期。項目は膨大だ。

岡山大がこの制度の試行に踏み切ったのは02年。長崎大などとともに国立大では最も早かった。米国の大学を参考に当時副学長だった千葉喬三学長が音頭を取ったが、教員有志は度々「公平な評価は困難」「大学の自由や多様性を失わせる」などと懸念を表明した。

当時は一助教授だった神崎浩・農学部長は「研究面はともかく、教育が数値化されることへの根強い反感があった」と話す。「ただ、大学教員に必要なのは特定の領域に偏らないバランス。明らかに改善が必要な人もおり、底上げの効果はあると今は理解されている」

昨年度からは新たに、最終的な総合点を昇給や勤勉手当の差に反映させる制度も導入した。個人評価は絶対評価のため上位2段階で教員全体の95%を占めたが、給与査定は必然的に相対評価になる。

千葉学長は「主目的は待遇査定ではなく、あくまで説明責任と自己改善」と説明する。「個人評価は店の領収書と同じ。クライアントである学生の授業料と税金で成り立っている以上、活動を目に見える形で示す義務がある。プロ意識を高め、国際的な競争の中で大学全体が信用を得るためにも、必須だ

◆国立は9割導入 法人化後に加速

個人評価制度の全国状況を調べている大川一毅・岩手大准教授によると、国立大での導入がより進んでいる。国立大は法人化後、中期計画の達成度を検証されることになったが、多くの大学が計画に個人評価の検討を盛り込んだためだ。積極的に導入している大学が法人評価委員会から高評価を得ているという背景もある。

大川准教授と奥居正樹・広島大准教授による今年1月の調査では、全国国立大の87%が個人評価を実施しており、06年の48%から急増した。

ただ、実施した評価が反映される分野については、41%の大学が「検討中」とし、評価を活用しきれていない実情も浮かぶ。

制度導入にあたり障害・課題となった点については、46%の大学が「昇給・昇進への反映」を挙げ、「労力・コストの増加」(51%)に次いで多かった。評価結果が人事・給与査定に利用されることへの危惧(きぐ)が、教員の間で依然として高いことを物語る。

大川准教授は「導入自体が目標だった段階は終わった。ただ、米国のように、結果を個人に帰(き)し、解雇も引き抜きも当たり前という世界がよいとは思えない。各大学は、評価結果を大学の責任でとらえ、組織改善にいかす態勢を整えるべきだ」と指摘する。


【関連ブログ】

「FDの取り組み、「手段」と「目的」が入れ替わらないように気をつけよう」(大学プロデューサーズノート)
http://www.wasedajuku.com/wasemaga/unipro-note/2008/09/fd.html



大学教員の評価制度と改革の方向性 (日本総研 主任研究員 久保田智之)

1 なぜ評価をしなければならないのか

そもそも素朴な疑問として評価を行う必然性はどこにあるのでしょうか?

第一の論点は、教育というものには評価はふさわしくない、教育は神聖なものである、という意見です。評価は、それ自体としては必要ないかもしれません。しかし、大学の組織改革の過程では必ず出てくる課題です。なぜならば、現状の大学組織では、学生や卒業生、地域住民に対して十分なアカウンタビリティを果たせていない、と考えられているからです。教育を施し、どの程度有用な学生が社会に対して供給できたのかを大学側が十分説明する必要があります。そのためには、教員の評価が避けては通れない課題となります。

第二に、評価制度を実施しなければならないとしても、評価には必ず主観が混じるので恣意的になるのでは、望ましい評価はできないという意見です。この点、評価制度では必ずしもガチガチの評価項目で行い、客観性を具備しないと評価ができないわけではありません。教員評価の場合、教育・研究という目的に即して、その学校に応じた形での評価の導入・検討こそが必要です。大事なことは、評価制度を実施して大学が変わるわけではないということです。評価をして、教員をぎゅうぎゅうと締め付けることが改革ではありません。評価することこそが切り札のようにとらえてはいけません。自らがなした事柄(教育、研究、その他の大学運営など)について、どの程度達成できたのかを振り返ることは、どのような場面でも必要であると思います。大学の教育、研究の現場ではこのことをこれまで怠っていたように思えます。評価は、その人物を判定するわけではありません。大学がその人に対して期待していることに対して、各教員がどの程度の実績を残したのかを確認し、説明責任を果たすことが必要なのです。

第三の論点は、評価基準をどうするかということと、そもそも誰が評価者か、という点です。評価制度を実効性のあるものとするためには、そもそも評価という制度があること、および、ルールが存在することそのものが評価への信頼感と納得性を生みます。誰が、どのような形でするのかが問題なのではなく、どのような形で評価が行われるのかが明確な形になっていることが重要なのです。また、評価制度構築のプロセスにおいて、構成員から隠れて制度構築するのではなく、オープンな議論の下で基準、方法を検討していくことが納得性を高める要素にもなります。

第四の論点としては、教員に対して評価制度を導入する際に考えられる、次の点です。
「研究の評価は難しい。学問の創造性を損なう。」
「現在は評価されていないことでも、将来的にはノーベル賞的業績もある.」
「現在の生産性のみで評価されている。だから、先進性、質的側面に対する評価をどのようにするのか。」
これらの点に関しては次のように考えることができるのではないでしょうか。そもそも教員に対してなぜ評価制度を導入するのかを考えてみる必要があります。これまで、教員に対しては外部からの評価はほとんど行われてきませんでした。このため、あくまでも教員自身のモラルとモチベーションに依存して研究と教育がなされてきました。しかし、昨今の状況を鑑みると、研究の生産性という点、また産業界やその他官界などに人材を供給する機能という点では、大学は時代とマッチしなくなっている面がではじめています。教育面において、社会の要請に充分に応えることができなくなってきたことは否めません。

これは、ひとえに人事システムのみの問題とはいえませんし、人事システムの再構築によって解決する問題でもないことは承知しています。しかし、人事システムにおいて、外部からの評価を絶えず行い、自らの行動に対してチェックを入れる、自分自身の立場としては振り返りをおこなう必要があります。評価の目的は、すべての教員に対して自分の1年間なら1年間の行動をチェックし、振り返ることにあります。そのひとつの契機として、またシステムとして評価制度を導入する意義はきわめて高いと考えられます。

2 人事評価を行う目的

毎年の職務の結果に対して評価を行うことを人事評価といいます。人事評価は、人物の善し悪しを判定するのではなく、仕事の遂行結果において現れるその人の仕事ぶりを様々な角度(各項目に分けて)から分析・評価することです。人事評価の目的をまとめると次のとおりとなります。
  1. 教員の資質の向上と自らの能力開発の一助とする
  2. 教員の自己啓発及び職務改善に結びつけていく
  3. 適材適所の人材配置及び学校組織の活性化
  4. 昇給や賞与などの処遇への活用していく
人事評価は、主に教員の能力開発と資質の向上をはかるための施策の一つです。賃金に関しては、その結果として決まるのです。また、賃金は、行動心理学的にみても働く人にとってモチベーション(動機づけ)の最大要素でもあります。よって、人事評価を通じて働きぶりや能力の伸長度により賃金に格差をより強くつけていくこと自体は、働く人にとってモチベーションをあげていく有効な方法といえます。

3 評価制度についての不信感

評価を実施する場合、評価する側の一方的な判断により評価すると公正さを欠くことになります。よって、評価制度という一定の仕組みとルールを作り、これに則って評価を行うことで、それ以外の恣意的な要素が排除されることとります。評価される側は納得感を持ちます。ルールと仕組みを持つことこそが必要なのです。

4 評価者に対する不信

人事評価は、評価する人と評価される人との信頼関係がベースとなります。相互に理解がないと信頼関係は成立しません。評価される側の仕事の内容をできる限り把握できるしかけが必要となります。事実を積み上げていく必要があります。

最近の人事評価は、評価者が一方的に評価(査定)するというのではなく、複数による評価、自己による目標管理など双方向型の評価を行い、一方的な評価による弊害を避ける工夫がなされています。もちろん評価者訓練もその一環です。いかに評価を適切に行うかの工夫とその後の運用が重要なのです。

5 評価のしくみ及び評価基準の曖昧さに対する不信

評価制度をつくる段階で、一方的に評価する側が作ってしまった場合には評価のしくみや評価基準の曖眛さに対する不信が発生しやすくなります。評価される側は、いざ評価される段階になってもどのような基準で評価されているのかわからなければ、評価制度自身に対する不信感を抱きます。評価制度自身は公開しながら作成していくことが肝要です。

作成された評価制度は必ずしも万能ではありません。また、時代や環境に応じて期待される人材像に変化が生じ、評価する観点も徐々に変化します。評価のしくみ及び評価基準は常に進化を遂げていくものであり、曖昧さを払拭するための見直しが必要となってくるのです。


大学教員処遇における評価反映の論点 (日本総研 主任研究員 赤堀新一)

1 社会は大学をどう見ているのか

大手メディア、特に新聞における「大学」をテーマとする記事の頻度は確実に高まりつつある。国際基督教大学の絹川正吉先生は、その著書の中で「社会が大学を評価できていない、社会が大学の実態を充分把握できていない」(地域科学研究会「大学教育のエクセレンスとガバナンス」2006年)と指摘されており、その認識はしばらくは変わらないものと考えられる。しかし、少しずつではあるが、社会は大学に関心を向けつつあると言える。

それは、少子化による定員割れ、産学官連携といった現象面から学校法人としてのガバナンスヘの批判や知の拠点としての文化的発展への期待とも理解される。言い換えれば、社会から見て「大学」は、特別扱いされる存在ではなくなりつつあると解釈される。今まで、自治体、病院、学校法人、大手メメディアは、その社会的使命を果たす上で収益や競争原理を無秩序に導入することに強い抵抗感があり、それは道理として間違いではなかった。しかし、民間の企業がイノベーション、組織改革を断行する中で、大学特に教員組織において自らの手による自己改革の難しさを露呈する結果ともなっている。

2 教員評価制度導入の論点

最近の議論では「教員評価」そのものを根幹から否定する意見は影を潜めつつあるが、一方で評価に対する不信感には根強いものがあることも事実であり、以下の指摘に集約される。
  1. 現在を基点とし、研究・教育実績では将来を予知する創造的なテーマは除外されてしまう。現在評価されていないことでも、将来的にノーベル賞的業績もありえる。
  2. 「評価する者(評価者)」、「評価される者(被評価者)」の区別、序列関係は教員の多様性を損なう。
  3. 文系を中心に、「評価基準」そのものが定性的となることから客観性を担保できない。
  4. 教育評価に関して、評価に参画する学生そのものの姿勢・態度・資質そのものに問題がある。
  5. 評価項目そのものが抽象的であり、評価者の解釈のバラツキから客観性に乏しい。
しかしながら、繰り返しになるが、社会的使命を果たす上で教員層自らの力での自己改革が難しいことは明白な事実であり大学組織全体で仕組みとして構築せざるを得ない段階と判断される。

総論では特に異論はないものの、評価システムの具現化や運用を想定する場合には、以下の議論をクリアーする必要がある。

第一の論点は、評価項目は分野横断的に行えるか、否かである。大きくは理系と文系を同じ評価項目・要素で設定できるかである。一般的には、一理系は国際的・数値的基準を相対的に反映しやすい、文系は定性的な基準に落とし込まれると想定される。結論から言えば、一定の範囲で共通要素として扱えるものと独自に設定せざるを得ないものになるだろう。大中の区分を決め、その中の小項目は原案をもとに該当組織の中で詰めをしていくものと考えられる。

第二の論点は、評価者におけるコントロールの権限に関する問題である。組織の慣行や風土を考察すると、大学組織は、元々上司と部下という関係にはなっていない。学部長は方法の周知徹底者というより、各教員の意見のとりまとめ役になっている。一度限りの評価者訓練を実施した程度では、評価者のマネジメントスタイルの変化には繋がらない。しかし一方で、評価者訓練の場は、建学理念・方針に基づく判断のものさしを議論する場には成り得るはずである。評価のバラツキがなぜ生まれ、どう認識すべきかを知ることで、組織評価は基準づくり・見直し・運用も進化していくからである。

第三の論点は、寛大化傾向である。元々、日本の伝統的組織は人の和を重視してきた経緯がある。評価基準そのものをみるのではなく、実態よりも甘く評価することで人間関係を円滑に進める組織の傾向は充分予想される。また、本来の目的は差をつけることそのものではないことから、極端な評価を強要することも現実的ではない。

そこで考えられるのが、「絶対評価/相対配分」という考え方である。昇給・賞与・昇任(昇格・昇進)において、その運用原資は無尽蔵なものではなく、一定の秩序を持って運用されるものでなければならない。一方、評価は自己評価、一次評価は一定の手順を経て組織として尊重されるものでなければならない。

今回は、大学のシステムの中でも最も難解といわれる評価と処遇について言及した。現実を見据えると、一定の組織に汎用的に活用できるモデルが完成したと言える段階ではない。しかしながら、今後の環境変化を考えると、先送りも限界に近づきつつある。従って、学内外の関係者が知恵を結集することで、より現実を踏まえたモデルを構築し、教員はもとより事務職員との協働を踏まえた試行が望まれる