2009年12月24日木曜日

国立大学の予算と経営努力

国の予算編成も大詰めを迎え、いよいよ民主党政権になって初めての予算案が25日を目途に閣議決定されるようです。

この予算のうち、教育や科学技術に目を移せば、これまで、行政刷新会議による事業仕分けで、予算の大幅削減などが打ち出された事業の関係者、とりわけ学界を中心とした個人やグループが記者会見し、来年度の予算確保を求める声明を発表するなど、従来にはなかった抗議活動が積極的に展開されてきました。

様々な要因が考えられますが、国立大学が法人化された際、国立大学全体としての自主性・自立性に基づいた判断ができず、声を上げる前に政治や行革に押し流された苦い経験が今回のような行動を誘引したこともその一つになっているかもしれません。

また、声明は、予算の縮減で、教育研究水準の低下や優秀な学生の確保・育成が損なわれ、地域における高度人材育成の中核拠点が崩壊するといった内容がほとんどで、国立大学の場合、法人化後、運営費交付金が毎年1%づつ削減されるなど、大学経営上の深刻な状況が続いてきただけに、事業仕分けの結果がそのまま予算化されることに対する危機感が学長さん達にこういった行動を決断させたのかもしれません。

地方大学に比べれば、資金的にさほど困窮していないであろう東京大学までもが、大学のホームページに「明日の日本を支えるために-教育研究の危機を越えて-」と題する特設コーナーを設けて社会に訴える活動を行ったほどですから、事の深刻さがひしひしと伝わってきます。

さて、去る12月14日(月曜日)に、九州地区国立大学の学長さん達が共同記者会見を行ったことをもって、全ての国立大学の声明発表がひととおり終わりました。各地区の声明文を全て通読してみましたが、各地区の主張そのものは全く同感、国民の皆さんにも十分理解していただける内容ではないかと思いますし、随所にそれぞれの地区の特色というか、代表で執筆された学長さんの強い思い入れが表れていたような気がしました。しかし、僭越ながらあえて苦言を呈するならば、「教育」「学生」「人材育成」「人づくり」といったキーワードよりも、「研究」「科学技術」「経済」「競争」「地域社会」といったキーワードが多用され、「教育者よりも研究者の目線」で書かれた文章という印象を強く持ちました。大学教員の発想は相変わらず世間離れしているようです。

また、これらの主張がどこまで説得力があるのかについては、大学に身を置く立場としては、やや疑問に思うところがあります。この日記でも既にコメントしたことがあり繰り返しになりますが、果たして各国立大学は本当に真剣に血の出るような経営努力をしているのか、学長さんたちの主張と大学経営の実態に乖離があるのではないかという疑問です。

今国立大学においては、確かに国の時代に比べれば、いわゆる「人、物、金、スペース」といった資源の不足感は否めませんし、声を大にして社会に訴えることも必要なことですが、それでは国立大学(の学長さん)は、国立大学とは縁もゆかりもない社会の人達、あるいは、私立大学に多額の授業料を負担している保護者からいただく運営費交付金という名の税金を無駄なく効果的に使っているのかと問われた時に、果たして1円単位できちんと説明や証明ができるのか甚だ疑問の点があります。

国立大学の経営トップである学長さん方は、これまで、運営費交付金の削減で「資金が足りなくなり、教育研究や学生サービスに悪影響が出た」「教職員の定年退職後不補充により、特に卒業研究指導など教育への悪影響(が出ている)」「交付金の削減をやめ増大に転じることが必要」「高等教育の公財政投資を欧米並みに、現在の国内総生産(GDP)比0.5%から1%に増加させることが必要」といった国民の心に全く響かない具体性のない言葉のつながりを、教員出身者らしく能弁に語ってきましたが、それだけでは全く説得力がありません。「私達はここまでこういった努力や改革をやってきた、しかしそれもこういった点で限界域に達している」ということを、客観的なデータなど、誰もが納得できる具体的なエビデンスに基づいて説明しなければ誰も理解してくれないのではないかと思います。多額の税金や学費によって賄われていることの意味を、大学のホームページ等できちんと説明している国立大学はまだまだ少数のような気がします。

大学の中には、学長さんや役員さんの目には留まらない、留まってもあえて放置されている「あるべき姿と実態との大きな乖離」(=緊急に解決すべき課題)がいくつもあります。また、大学の外からみた評価や会計検査院による無駄遣い検査において、毎年のように指摘されているにも関わらず手をこまねいている課題も少なくありません。今の国立大学には、予算(税負担)の増額を国民に求める前に改善しなければならない課題が山ほどあるのではないでしょうか。

法人化後、国立大学の財務会計制度が格段に改善されました。年度内に消化できない予算については、「経営努力」という美名のもとに翌年度に繰り越して使用することが可能になりました。文部科学省が国立大学に繰り越しを承認した金額は、キャッシュベースで約1,500億円(平成19年度現在)に上ります。

なお、このお金は、平成22年度からの次期中期目標期間には繰り越せないしくみになっていますから、全国の国立大学では、今年度中に全ての積立金(税金)を無理やり消化することになります。予算消化(予算の無駄遣い)に奔走するという悪弊の時代に逆戻りすることになります。予算が厳しく教育に支障を来しているという学長さん達のコメントとの整合性を国民はどう理解すればいいのでしょうか。


それでは、日本の北から順に学長さん方の主張をそのまま全文ご紹介しましょう。皆さんはどのようにお感じになりますか。

北海道地区(北海道、北海道教育、室蘭工業、小樽商科、帯広畜産、旭川医科、北見工業の7大学) (平成21年12月2日)

大学界との「対話」と大学予算の「充実」を -平成22年度予算編成に関する緊急アピール-

平成22年度の予算について、これまでに行われた事業仕分けの結果やこれを受けての行政刷新会議の議論に接し、今後行われる予算の編成に向けて、道内の7国立大学は下記の点について緊急のアピールを行います。


1 大学予算の縮減は、国の知的基盤、発展の礎を崩壊させます。

わが国の高等教育への公財政支出の対GDP比、政府支出に占める投資額の割合などの指標は、先進諸国中最低レベルの水準です。総理は、所信表明演説の中で、「コンクリートから人へ」の投資の転換を強調されました。資源小国であるわが国にとって国力の基盤は何よりも「知」と「技」にありますから、今後の国づくりは、国家の知的基盤である大学の教育研究の振興を抜きには考えられません。大学に対する公的投資の拡充に向け、政治のリーダーシップを強く発揮されることを切に望みます。

2 国立大学財政の充実に関する基本姿勢を貫いて下さい。

道内7国立大学における運営費交付金は、5年間で73億円の減少、道内単科大学の2校分の消失に相当します。選挙時の民主党の政策文書には、「世界的にも低い高等教育予算の水準見直しは不可欠」、「国立大学法人に対する運営費交付金の削減方針を見直し」等の記述があります。
日本の教育研究の水準の維持・向上、教育の機会均等の確保に関わる国立大学の存在意義に照らして、「見直し」の原点に立ち返ったご対応(削減方針の撤廃、国立大学への投資の充実)を願う次第です。

3 政府と大学界との「対話」は、大学政策にとって必須不可欠です。

大学は、公共的な使命を果たし、社会に貢献し得る存在です。他の分野にも増して、大学に関わる政策形成過程は、透明で開かれたものであるべきであり、それには政府と大学界との緊密な「対話」が必須不可欠であると考えられます。
今後、国立大学政策に関して政府と大学界は、新たな国づくりに向けた対話を深めることが最も大切です。

終わりに

北海道の国立大学は、それぞれの地域に根ざし、地域と一体となって、教育・文化の振興、地域を支える人材の育成、産業の発展、地域医療の充実などに取り組んでいます。今後とも北海道の国立大学が「知の拠点」として、重要な役割を果たしていくためには、若手研究者育成、先導的な教育研究等を推進するための各種競争的資金、地域科学技術振興予算、運営費交付金等の確保・充実が必須であり、平成22年度予算においても、必要な予算が確保されるよう、ご理解とご支援を切にお願いいたします。

東北地区(弘前、岩手、東北、宮城教育、秋田、山形、福島の7大学)(平成21年12月8日)

大学予算の充実で地域の知的基盤の強化を

全ての国立大学法人を会員とする国立大学協会は、さる11月26日「大学界との『対話』と大学予算の『充実』を」とした、平成22年度予算編成に関する緊急アピールを発表しました。これは、これまでの概算要求の内容や予算編成の動向、さらに行政刷新会議の下で行われた事業仕分け結果に対し、以下の三点について意見表明したものです。
  1. 大学予算の縮減は、国の知的基盤、発展の礎を崩壊させます。
  2. 国立大学財政の充実に関する基本姿勢を貫いてください。
  3. 政府と大学界との「対話」は、大学政策にとって必須不可欠です。
東北地方の国立大学は、各地域における知の拠点として、これまで地域の振興に重要な役割を果たしてきました。一方、この地域は人口減少と高齢化が進み、産業活動の展開が不十分であるとともに、高等教育機関への進学率が全国平均を下回っており、人材育成を通じた地域への貢献、産学官連携に基づく地域の振興は喫緊かつ重要な課題となっております。我々、地方における国立大学はこのような課題に対し、今後も主体的に取り組む大きな使命があると考えています。

しかしながら、先の行政刷新会議における事業仕分けにおいて、「地域科学技術振興・産学官連携」関連事業が廃止となり、「競争的資金(先端研究)」や「国立大学運営費交付金(特別教育研究経費)」が予算縮減となったことは、地方国立大学が地域において築いてきた知的基盤を脅かすものであり、事態を深く憂慮するものです。

これらの事業の廃止・削減により、地域から大学に寄せる負託に十分応えることが出来なくなり、ひいては地域の知的創造サイクルに重大な影響を与えることが懸念されます。関係者の方々には、上記の点をご賢察の上、地方における国立大学の存在意義に照らして、関係事業の継続及び関係予算の確保・充実を図るなど、地域の高等教育及び科学技術の振興に係る各施策の推進について、積極的なお取組みをいただくことを切に願うものであります。

東海・北陸地区(富山、金沢、福井、岐阜、静岡、浜松医科、名古屋、愛知教育、名古屋工業、豊橋技術科学、三重、北陸先端科学技術の12大学) (平成21年11月27日)

地域を支える人材育成と研究開発(共同声明) -最先端技術を支える国立大学の基礎研究力を次世代へ-

現在、平成22年度の概算要求総額95兆円を削減するために、行政刷新会議による「事業仕分け」作業が行われました。そこでは、可能な限り無駄な支出を排除するために、様々な角度から予算案の見直しが検討されています。こうした作業などは、国の予算配分にあたって、国民に対して透明性を高めるという観点から意義のあるプロセスであると考えられます。しかしながら、資源の乏しい我が国が、国家の将来を託すために行っている政策的投資、例えば、人材育成、学術の推進、研究開発、国際化などが、当面する予算削減の視点と即効性の観点から議論されることに、われわれ東海・北陸地域において教育・学術研究を担う大学人として大きな危惧の念を抱いております。

人材育成

国立大学は、教育の機会均等を担う公共的性格の下で、優れた教育を提供し、人材の育成に寄与しています。地域になくてはならない優れた資質を有する医師や教員の養成もその大事な役割です。特に、この東海・北陸地域は、自動車産業を初めとして材料、エレクトロニクスなどの最先端技術開発を必要とする様々な基幹産業のみならず、農業、水産、製薬などの地場産業に及ぶ幅広い分野で日本の発展を支えています。そこで中心となって働いている人々の多くは、地域の要請に応え、我々が育ててきた人材であると自負しており、地域に根ざした大学の存在を無視して語ることは出来ません。

基礎研究の重要性

昨年は、名古屋大学関係者がノーベル賞を同時に受賞するというビッグニュースが日本中を駆け巡りましたが、こうした研究の成果も、一朝一夕に可能になるものではなく、十数年から、時には数十年にわたる地道な研究活動があって初めて達成された快挙です。また近年、省エネルギー・CO2排出量の削減は、国家的な重要課題となっていますが、例えば、LEDによる照明は、まさに省エネルギー・CO2排出量の削減に大きな役割を果たしています。これは、本年京都賞を受賞された赤﨑勇博士(名古屋大学特別教授)の二十数年にわたる息の長い研究の成果が「青色発光ダイオード」の発見に繋がり、その後、幾多の研究者の努力によって初めて実現したものであります。

大学の地域貢献

各大学は、地元産業界との共同研究などにより優秀な人材の育成や再教育を行うとともに、研究成果の還元により様々な機能を支え地域の発展・活性化に貢献しています。例えば、福井大学では福井県内を中心に企業215社と連携、産学官連携プロジェクト・共同研究プロジェクトを推進し地域産業の活性化に資するとともに、福井県の教員数の4割、医師数の3割、エンジニア・科学研究者の3割を大学の卒業生が占めています。

憂慮すべき事態

ここで挙げた例は、大学が日本を支える産業、技術革新、学術研究で果たしてきた役割のほんの一部でしかありません。そして、それは日々の継続的、かつ地道な努力によって積み上げられてきたものばかりなのです。万に一つでも、目前の予算的都合からその価値を忘れ、ないがしろにするようなことが始まるとすれば、それは、今後数十年の長期にわたって、日本経済や産業、特に先端技術開発に大きなダメージを与え続ける事が危惧されます。
法人化以降、毎年運営費交付金が1%減額され、今年度の運営費交付金は、法人化初年度と比較して720億円が削減となっています。各大学では、様々な経費節減努力を行ってきましたが、限界に達しています。この状況が続くと地域の教育・研究・医療の拠点としての機能が弱体化し、地域の発展を阻害しかねない状況となります。

日本の高等教育への公財政支出(対GDP比)は、OECD加盟国中最下位であり、高等教育費の伸び率は、OECD加盟国中、日本が唯一のマイナス(△2.6%)とのことであります。一方で、欧米や中国などを中心に各国は、現在の経済危機を乗り越え、さらに国家の持続的発展のための戦略に基づいて大学予算を含む教育研究・学術関連予算の大幅な引き上げを行っています。資源の乏しい日本が生き残るには、技術発展を生み出す「人」への投資が不可欠です。このような中、知識創造の源である高等教育機関への投資をひとり日本のみが減らし続ければ、世界の中で日本は着実に落伍していきます。

まとめ

こうした状況に危機感を抱いた東海・北陸地域の国立大学の学長が、本日、一堂に会し、共同声明を発表することになりました。政策決定過程の透明性を高める試みの意義は否定しませんし、また、私たちは各種業務の効率化や経費節減などの改革努力を今後も惜しまず実行してまいります。

政府におかれましては、われわれの声や幅広い国民の声に耳を傾けていただき、大学界との密接な対話などにより我が国の持続的発展と国際社会における役割を再度確認され、日本が進むべき方向とその将来像を明確にした上で、教育研究・学術予算を吟味されることを強くお願いするものであります。

中国地区(鳥取、島根、岡山、広島、山口の5大学)(平成21年12月9日)

-国家百年の計における国立大学再生を-(共同声明)

財政状況が厳しい我が国において、平成22年度予算の編成に向けて、新たな手法である行政刷新会議による「事業仕分け」は、国民に対して透明性を高めるという観点から意義のあるプロセスであると認識しております。

しかしながら、行政刷新会議ワーキンググループの事業仕分け評価結果では、大学関係の基盤的経費、学術・科学技術振興予算など高等教育機関としての大学が果たすべき役割・機能が衰退するような根幹に係る予算の削減や見直し等が提案されております。今回の事業仕分けについては、当面する予算削減の視点と即効性の観点から議論され、また、国立大学への事実誤認もあります。地方において未来社会を担う人材育成と人類の発展に資する科学研究を推進し地域貢献を使命とする高等教育機関の責任者として、資源の乏しい我が国においては、「人材」が国の基盤をなし、その人材育成を支えているのは国立大学です。明治期以来の我が国の高等教育施策の根幹をなし、国の発展の原動力となっているのは周知の事実です。
このままでは、とりわけ地方国立大学の衰退が危惧されます。そこで、以下の要望について、政府責任者として国家百年を見据えた長期的な視点に立ち、国立大学のこれまで果たしてきた役割・実績や重要性をご認識いただき、内閣として政治主導のご判断をいただきますよう強く要望いたします。

人材育成の確保

国立大学は、教育の機会均等を担う公共的性格の下で、優れた教育を提供し人材の育成に寄与しています。地域になくてはならない優れた資質を有する教員、医師、法曹人の養成も大事な役割であります。特に地方国立大学においては、比較的低所得者層の子弟を多く受け入れて教育の機会均等に大きく寄与しており、昨今の経済不況の中にあって、その役割とともに地域社会からの期待も一層増しています。

ワーキンググループの評価結果に基づく事業仕分けにより施策が行われると、各国立大学の教育研究水準の低下や優秀な学生の確保・育成・輩出が損なわれ、地域における高度人材育成の中核拠点が崩壊しかねません。このことは、地域が期待する教員・行政・企業・医療現場などで活躍する優秀な人材育成、高度で先進的な医療の提供、地域企業等への研究成果の還元にも大きな影響を与えることとなります。

基盤研究の推進

国立大学は、高度な学術研究や科学技術の振興を担い、国力の源泉としての役割を担ってきました。特に地方国立大学は、地域へ安定的かつ持続的に大きな経済効果を発揮しており、大学の研究による「新しい産業の創出と地域産業・地域文化の活性化」という地域の未来に繋がる経済基盤の創出や安心安全社会の実現という重要な役割を果たしています。
第3期科学技術基本計画の中で科学技術の戦略的重点化として、基礎研究の推進の重要性が謳われています。第4期においても、引き続き基礎研究の充実・拡充の方向で議論がなされていると承知しております。人類の英知を生み知の源泉となる基礎研究は、その研究成果が人類社会の課題解決に資するとともに、長年にわたる地道な研究活動の成果により日本人研究者がノーベル賞を受賞されたことは周知の事実です。
ワーキンググループの評価結果に基づく事業仕分けにより施策が行われると、学問分野を問わず、基礎研究や萌芽的な研究の芽を潰すなど、これまで積み上げてきた我が国の国立大学の研究基盤が歪みを生じ、やがては根底から崩壊することが危惧されます。その結果、地域や国全体の経済成長の衰退、さらに国際競争力の低下に繋がり科学技術創造立国としての価値がなくなることとなります。

以上のように、中国地方の各国立大学では、世界水準の教育研究活動を推進するとともに、地域の特色を活かした教育研究や地域のニーズに応えるための様々な取り組みを積極的に展開しています。これらの取り組みの基盤的経費である国立大学運営費交付金の毎年度の減額に対して、各大学では教育研究経費の削減、人員の効率化を図りながら懸命な経営努力に邁進しているところであります。
選挙時の民主党の政策文書には「世界的にも低い高等教育予算」や「国立大学法人に対する運営費交付金の削減方針」の「見直し」との記述があり、また、これまでの国会審議においてもこの方針に沿った対応がなされたものと承知しております。
国立大学法人の果たしてきた役割や重要性をご理解いただくとともに、内容について再度精査いただき、教育研究基盤確立のため、内閣として政治主導の判断をいただきますよう強く求めます。

四国地区(徳島、鳴門教育、香川、愛媛、高知の5大学)(平成21年11月30日)

四国地域の国立大学における教育研究水準の維持・向上等について(共同声明)

四国地域の各国立大学では、世界水準の教育研究活動の推進とともに、地域の特色を活かした教育研究や地域の企業・住民等のニーズに応えるための取組を積極的に行っております。
さて、先般の行政刷新会議WG「事業仕分け」では、科学技術の振興事業、大学の教育研究にかかる各種経費、事業について「廃止」、「予算要求縮減」等が結論づけられております。
各大学では、これまでに国立大学の基盤的経費である運営費交付金の毎年度1%の削減により、教育、研究、診療に多大な影響が及んでいるところですが、今回の「事業仕分け」で俎上にあがった各種経費、事業は、教育研究水準の維持・向上、特色ある教育研究活動の推進及び地域貢献に不可欠なものであり、それらの廃止、縮減等は、特に教育研究基盤が脆弱な四国地域の各国立大学の教育研究水準の低下、教育研究基盤の崩壊をひきおこし、地方における優れた高等教育を受ける機会を失わせることになります。さらには大学の機能低下による地域への貢献の減退、ひいては地域経済の浮揚や県民生活の向上に悪影響をもたらします。
四国地域での優れた高等教育機会の確保、教育研究水準の維持・向上、特色ある教育研究の萌芽を育て、振興するために、下記のように平成22年度予算における大学に対する公的投資の確保・拡充を強く要望します。


1 大学予算の縮減は四国地域における高等教育機関、四国発の特色ある教育研究、地域の発展の礎を崩壊させます

四国地域の各国立大学は、優れた高等教育機会の確保、特色ある教育研究推進、地域医療の充実、地域の企業等との共同研究推進など、多様な分野における世界的な教育研究活動とともに地域の発展の礎としての機能を果たすべく腐心してまいりました。
これらの取組の基盤的経費である国立大学法人運営費交付金の毎年度の減額に対して、各大学では経営努力により教育研究経費の削減、人員の効率化を図ってまいりましたが、この削減方針が続く場合には大学の運営基盤が崩れ、各分野にわたる教育研究水準や学生支援の低下をもたらすものと思われます。これは、地域が期待する力量のある教員、行政・企業・医療現場等で活躍する優秀な人材の育成・確保、地域住民への高度で先進的な医療の提供、地域企業への研究成果の還元等にも大きな影響を与えることとなります。
各国立大学が、先端的、個性的、魅力的な教育研究環境づくりに取り組むことができるよう、教育研究活動及び経営基盤である国立大学法人運営費交付金について、従来の削減方針の撤廃、予算の拡充を強く要望します。

2 競争的資金(科学研究費補助金、グローバルCOE、GP事業等)の拡充が必要です

科学研究費補助金、グローバルCOE、GP事業、学術国際交流事業その他競争的資金は、運営費交付金とならんで国立大学が先端的、個性的な取組を進めるための教育研究資源の重要な柱となっています。
先日の「事業仕分け」では、各種制度の統合・合理化、予算要求の縮減等の評価結果とされていますが、この結果は、特に地方国立大学にとっては、
  • 競争的資金獲得競争でのスタートラインからの脱落
  • 特色ある教育研究の推進の停滞
  • GP経費を活用した先導的かつ当該大学で不可欠な教育改革の取組の衰退
  • 現在進行中の個性的な大学教育・学生支援事業にあっては、今まで構築されてきたシステム、軌道に乗りつつある組織的な取組の継続が困難
  • 若手研究者をはじめとした各研究者の教育研究活動の減退、教育研究環境の魅力の減少による優秀な研究者の確保が困難
  • 大学のみならず地域全体の国際化の停滞
  • 企業との共同研究を行う際にも、基幹となる研究成果が必須であり、仮に国からの競争的資金が大幅に減少されれば、教員の研究のみならず、研究を通じた学生の教育、共同研究、受託研究にも影響を与え、地域への人材供給、成果の還元
も困難をもたらします。
このため、各種競争的資金制度を柔軟なものとする方向での調整にご尽力頂くとともに、関係予算の拡充を要望します。

3 地域科学技術振興・産学官連携関係事業の廃止は地域における産学官連携を崩壊させます

「事業仕分け」評価結果では関係事業が全て廃止とされていますが、対象となる「知的クラスター創成事業」、「都市エリア産学官連携促進事業」、「地域イノベーション創出総合支援事業」は大学と県内企業の研究者と共に共同研究を推進し、大学の基礎研究成果を地域へ還元する取組です。地域に立脚する四国の大学として当該事業が廃止されることは、地域との連携のツールを失うことであり、地域経済の活性化に対しても極めて憂慮すべきことと考えております。
また、「産学官連携戦略展開事業」は、地域における産学官連携コーディネータの配置等により、民間での経験と高い識見を持つ者を大学として活用するプログラムでありますが、これらの事業が中止されることは各地域で整い始めた産学官連携体制を後戻りさせることとなります。このように一定期間内に計画を立てて進めている研究や各種事業について、人件費に関わる部分など最低限必要な経費は継続いただくよう強く要望します。

九州地区(福岡教育、九州、九州工業、佐賀、長崎、熊本、大分、宮崎、鹿児島、鹿屋体育、琉球の11大学)(平成21年12月14日)

地域の知の拠点である大学への公的投資の充実を -平成22年度予算編成に関する共同声明-

資源に乏しい我が国が、人口減少下においても持続的な成長を可能とするとともに、地球規模の課題解決に先導的役割を果たしていくためには、その核となる人材を育成し、新たな価値や技術を絶えず創造していくことが必要不可欠であります。その中で、大学は学術の中心として、創造性豊かな優れた人材を育成し、新たな「知」を創出、継承するという社会的責務を担っています。
先般、平成22年度予算編成に向け、行政刷新会議の下で試みられた「事業仕分け」作業において、高等教育や学術研究に係る多くの事業について縮減や見直し等の方針が示されました。科学技術や教育の分野も含め、予算編成過程の透明性を高めていくことは大切なことであります。しかしながら、人材育成や教育・研究活動は継続性が重要であり、またその成果が社会に還元されるまでに時間を要することが少なくないことを理解していただいた上で、中長期的な展望に立った戦略的なビジョンを明らかにし、それに沿って議論が行われる必要があると考えます。国際的な競争が激化する中で、仮に我が国だけが大きな中断をするような事態となれば、我が国の持続的な発展や世界の中での我が国のプレゼンスに取り返しのつかない深刻な影響が出かねないと、危惧の念を抱いています。
このため、国家百年を見据えた長期的な視点に立った、大学や科学技術分野に対する公的投資の確保・拡充に向け、地域の皆様をはじめ多くの国民の方々に、下記各事項の重要性についてのご理解とご支援をお願いします。

1 国立大学運営費交付金等公的投資の充実

知識基盤社会において我が国社会が持続的な発展を続けていけるよう、新たな「知」につながる基礎的な研究活動を担うとともに、産業界をはじめ社会のあらゆる場で活躍できる多様な人材を絶えず育成、輩出することが大学に求められています。このような社会の要請を受け、九州地域の各国立大学法人においても、それぞれの個性・特色を活かした組織的・体系的な教育研究、医療活動が展開されています。
その一方で、大学における教育研究を支える基盤的経費は減少傾向にあります。法人化以降、国立大学法人運営費交付金は毎年1%減額され、平成21年度の運営費交付金は法人化初年度と比較して720億円の削減にも及び、その規模は福岡教育大学、佐賀大学、熊本大学、宮崎大学、鹿児島大学、鹿屋体育大学、琉球大学の7学分の運営費に相当します。これまで各大学では様々な経費削減努力を行ってきましたが、仮に運営費交付金や特色ある教育研究の取組みを支援するプログラムの予算が大幅に削減されることとなれば、教育研究の水準の維持・向上は困難となり、国際競争の中で我が国の大学の地位の低下は必至と考えられます。
選挙時の民主党の政策文書(「民主党政策集INDEX2009」)にも、「先進国中、著しく低いわが国の教育への公財政支出(GDP(国内総生産)比3.4%)を、先進国の平均的水準以上を目標(同5.0%以上)として引き上げていきます。」、「国公立大学法人に対する運営費交付金の削減方針を見直します。」と明記されています。新政権発足に際してこの政策が実行されることを当然ながら期待していました。長期的な展望に立って、大学における教育研究の充実のための公的投資が着実に拡充されることを切に願います。
また、高等教育機関への公的投資に当たっては、次代を担う「人づくり」を充実する必要があります。特に、優秀な学生が安心して進学し、教育・研究に専念できるよう十分な給付型の経済支援の充実が重要です。

2 科学研究費補助金の抜本的拡充

イノベーションの源泉は研究者の自由な発想に基づく研究活動にあり、新たな「知」を創造し続ける多様で重厚な知的基盤があってこそ、学問が発展し、社会経済に大きな変革がもたらされます。ノーベル賞を受賞された日本人研究者の研究成果からも明らかなように、長年にわたる研究の試行錯誤や切磋琢磨の中から、多くの新たな「知」や革新的な技術が生まれています。
基礎研究に対する投資の中でも、「科学研究費補助金」は制度発足以降、あらゆる分野にわたって大学等の研究者の自由な発想に基づく研究活動を支え、我が国の基礎科学力の強化において重要な役割を果たしていますが、近年、応募件数が増加する一方で科学研究費補助金の直接経費は伸びず、結果として新規採択率は低落傾向にあり、研究者個人に配分される研究経費も減額されています。また平成22年度の「概算要求の見直し」に伴い、すでに「若手研究(S)」と「新学術領域研究(研究課題提案型)」の新規課題募集が停止されていますが、これによる若手研究者の育成や新しい研究課題の提案に大きな影響が出ることは必至です。
諸外国が基礎研究への公的投資を拡大している状況において、仮に我が国がこれまで以上の予算の縮減を行った場合、我が国の国際競争力の低下が危ぶまれます。絶えざるイノベーションの創出のためには、目先の成果にとらわれず、研究開発の萌芽期を支える公的投資の着実な拡充が必要不可欠であります。

3 地域社会に貢献する大学への支援強化

地域の人材・知識が集積するいわば「知の拠点」である大学が、地域の中小企業や地方公共団体と協同して地元産業の技術課題や新技術創出に取組むことは、大学等の萌芽的な基礎研究活動を通じて創出された研究成果をイノベーションに結び付け、社会に還元していく手段として有効であり、大学を核とした人材の創出と地域活力の好循環を形成するものとして期待されています。また、平成18年に改正された「教育基本法」では、これまでの教育・研究という基本的役割に加え、「大学で生まれた成果を広く社会に提供し、社会の発展に寄与する」ことが大学の役割として明記されました。九州地域においても、近年、各大学を中心とした様々な産学官連携による取組みを通じて、地域産業の発展を牽引する人材の育成や魅力ある地域社会づくりが活発化してきています。
一方、先日の「事業仕分け」作業の議論においては、「地域科学技術振興・産学官連携」事業については「廃止」との方針が示されました。しかしながら、これらの事業を通じて、各地域では大学と地域の中小企業とが協同した技術開発や地域の課題対応のための研究活動、またそれらの活動を通じた人材育成が着実に進められ、成果が集積されてきています。例えば、福岡県を中心とする北九州地域では、「知的クラスター創成事業」を通じた、「学」がリードする効果的な産官学連携の取組みにより、「シリコンシーベルト福岡」と呼ばれる先端的なシステムLSIの世界をリードする開発拠点が整備されてきており、システムLSI関連企業もプロジェクト開始時の約9倍となる189社が集積してきております。仮に「知的クラスター創成事業」が中断・廃止されれば、計画の失速だけでなく集積した関連企業189社の雇用にも影響が及ぶことは必至です。
地域経済の活性化とともに、地域住民の質の高い安全・安心な生活の実現のため、地域における国立大学の存在意義をご理解いただくとともに、地域の科学技術の振興に係る関係事業の継続及び予算の確保・充実を切に願います

4 最後に

国民の皆様におかれましては、各大学とも引き続き国民の負託に応えるべく積極的に社会貢献に努めてまいりますので、各大学がこれまで地域の「知の拠点」として人材育成や地域の科学技術振興を通じて果たしてきた役割をご理解いただくとともに、より一層のご支援をお願いいたします。

2009年12月23日水曜日

再び”フテンマ”

普天間基地移設問題の解決は越年となりました。米国の国務長官は在米大使を呼び、変わらぬ米国の強い意思を伝える行動に出ています。鳩山総理にどのような戦略があるのか注視していかなければなりません。

今日は産経新聞に掲載された関連記事「詳説戦後・沖縄の米軍基地」をご紹介します。教科書では学び得ない生きた歴史を知ることはとても重要なことですし、今後多くの国民の皆さんが沖縄問題に関心を持ち、今の平和の礎がどのような経緯でもたらされたのかを正確に知っておくこと、沖縄の犠牲の上に私達日本人の平和がもたらされていること、だがしかし、今でも沖縄は犠牲者であり続けていることを理解し、沖縄の基地問題の解決を自分自身のこととして真剣に考え解決する責務があることを自覚しなければなりません。

沖縄の真の平和や安寧は、私達日本人の強い願いと実行力にかかっているといっても過言ではないのです。


「死にもの狂い」が結実 普天間返還


鳩山由紀夫首相は15日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先の決定を、来年に先送りすることを決めた。平成18年に日米両政府は移設先をキャンプ・シュワブ沿岸部(同県名護市辺野古)とすることで合意しているが、鳩山政権の決定先送りで、問題の決着はさらに混迷を極めそうだ。普天間飛行場返還合意の舞台裏、戦後の沖縄の米軍基地の歴史を検証する。

橋本政権が誕生して1カ月余りたった平成8年2月21日。自民党総裁室に、首相の橋本龍太郎と、地方分権推進委員会委員長を務めていた秩父小野田会長の諸井虔らが顔をそろえた。会談の目的は沖縄問題だったが、報道陣をはじめ外部には伏せられた。

諸井は沖縄県知事の大田昌秀を囲む会に参加しており、「沖縄の思い」を橋本に伝えるために足を運んだのだった。「普天間飛行場の返還を、日米首脳会談で出してくれれば、沖縄の県民感情は和らぐ」。諸井は「大田の話」と前置きした上で、こうアドバイスした。

日米首脳会談は、3日後の23日(日本時間24日)、米国のサンタモニカで行われることになっていた。橋本政権には、沖縄の米軍基地問題の解決が重くのしかかっていた。7年9月の米兵少女暴行事件を契機に、沖縄では米軍への反発が一気に広がっていたからだ。諸井の言葉を受けて橋本は早速、検討に乗り出した。

しかし、首相官邸執務室で開かれた訪米勉強会では、外務官僚が強硬に反対した。「そんなことを首相が言えば恥をかく」「安全保障の『あ』の字も分かっていないと思われる」・・・。橋本の悩みは深まる一方だった。

しかし、橋本は決断した。首脳会談で「フテンマ」と具体名を出し、米大統領のクリントンに返還を迫ったのだ。首相就任後初の日米首脳会談で、安全保障関係を揺るがしかねないテーマを切り出すことは“賭け”だった。

「大統領の沖縄問題に対する真摯な態度がうかがえた。その場の雰囲気で決断したというしかない」

橋本に政務秘書官として仕えた江田憲司(現みんなの党幹事長)は振り返る。

こうして普天間飛行場返還をめぐる日米交渉は始まった。橋本は師と仰ぐ元首相の竹下登に、頻繁に電話をかけて相談を重ねた。当時、竹下の弟で秘書だった亘(現自民党副幹事長)は、竹下がこうアドバイスしていたのを記憶している。

「交渉には勝ちはない。でも負けもない。そういうものだと思ってやりなさい」

駆け引きしながら相手を説得し、双方が歩み寄る形で合意を見いだす・・・。橋本はこのころ記者団に「ボクは本気で、死にもの狂いで交渉しているんだよ」と苦しい胸の内を明かしている。

橋本は4月17日のクリントンとの2度目の首脳会談に向けて、自ら米駐日大使のモンデールとひざ詰めの直接交渉を行った。その結果、日米両政府は普天間飛行場の全面返還で合意。同月12日、首相官邸でモンデールと共同記者会見を行い、これを発表した橋本は会心の笑みを浮かべた。会見を終えて、公邸に戻った橋本は、先回りして待ちかまえていた江田と抱き合い、交渉の成功を喜んだ。

ところが、その後に難しい問題が控えていた。移設先をどこにするかだった。9月初旬、橋本は膠着(こうちゃく)状態に陥った移設先問題で頭を痛めていた。移設先に浮上した嘉手納基地(沖縄県嘉手納町、沖縄市、北谷(ちゃたん)町)やキャンプ・シュワブなどはいずれも、地元の強い反発を受けた。

そんな折、橋本は羽田空港に向かう車中で、海上構造物の技術やコストの検討を江田に命じた。江田は「(海底にくいを打ち込んで櫓(やぐら)を造り、その上に滑走路を載せる)桟橋方式(QIP)なら実用化されているし、生態系を保護でき、いつでも撤去できます」と答えた。橋本も「それはいい」と満足げな表情を浮かべた。

「撤去可能な海上ヘリポートを建設する可能性を、日米両国の技術を結集して研究する」

同月17日、首相就任後、初めて沖縄入りした橋本は、地元自治体関係者ら約250人を前に、海上ヘリポート構想を打ち出した。橋本は「撤去可能とすることで、基地の恒常化を回避でき、地元の理解も得られる」と踏んでいた。

橋本はその後、移設先はキャンプ・シュワブ沖とする方向で検討を進めた。しかし、1年余りたった9年12月21日、名護市で海上ヘリポート建設の是非を問う住民投票が行われた。結果は反対が54%と賛成の46%を上回り、キャンプ・シュワブ沖ヘの移設は難しい情勢となった。

3日後の24日。名護市長の比嘉鉄也は、首相官邸に橋本を訪ねた。重苦しい空気の中、比嘉は決意を伝えた。

「移設を容認します。その代わり私は腹を切る(辞職する)。後任には、助役の岸本(建男)を出して、必ず勝ちます」

橋本は起立して比嘉の言葉に耳を傾けた。「悲壮な決意で国の重い責任について、辞任までして活路を見いだすことに、心から敬意を表します」と答える橋本の目から、涙がこぼれ落ちた。

比嘉は橋本に「メモを1枚ください」と求めると、沖縄に伝わる琉歌(りゅうか)をしたためた。

「義理んむすからん ありん捨ららん 思案てる橋の 渡りぐりしや」

義理捨てがたく、橋を渡ろうか悩んでいるが、渡らなければならないという心境を詠んだものだった。太平洋戦争での沖縄戦の悲惨さ、米軍基地を抱え続けてきた戦後の歴史。しかし、移設先が決まらなければ「最も危険な基地」といわれる普天間飛行場が残る。言うに尽くせない比嘉の苦渋の選択が、普天間返還の歯車を回した。

それから12年。日米合意にこぎつけた普天間移設は、今なお迷走を繰り返している。(肩書は当時、敬称略)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091223/plc0912231837010-n1.htm


模索続いた辺野古での「共存の道」

「(名護市の)辺野古は米軍基地とうまく付き合ってきた歴史がある。だから住民にも抵抗が少ない。普天間移設を受け入れたのもそれが背景にある」

名護市議会議長を務める島袋権勇(61)は、辺野古の歴史を振り返ってこう語る。島袋は生まれも育ちも辺野古。戦後の沖縄米軍基地の歴史を目の当たりにしてきたひとりだ。

辺野古が最初に、米軍基地問題と直面したのは昭和31年、キャンプ・シュワブ建設のための軍用地接収だった。当時は米軍基地建設のための土地収用に反対する「島ぐるみ闘争」が展開され、沖縄各地で米軍と住民が激しく対立していた。

しかし、その状況下で辺野古の住民は米軍と協議のうえ、軍用地収用に合意した。それにあたっては、土地賃貸料の前払いや代替地主の生活安定の貸付金制度、軍作業への住民の優先雇用など、住民側の要望が数多く採り入れられた。また、米軍との話し合いの場として「親善委員会」も設置された。

辺野古が米軍用地の収用を受け入れた背景について、島袋は「当時、辺野古の住民は、山から薪を切り出して細々と生計を立てていた。しかし、米軍を受け入れることで、この『山依存の生活』から脱却して、新たなまちづくりをしたいという思いがあった」と解説する。

それでも当初、辺野古住民133世帯のうち13世帯は軍用地接収に反対した。「反対した世帯は戦争で家族を失うなど悲惨な体験をした人々だった。苦渋の決断だったと思うが、最後は地区としてのまとまりを優先して同意してくれた」と、島袋は語る。

以後、辺野古住民と米軍は、親善委員会でさまざまな問題を話し合ってきたこともあり、良好な関係を築いてきた。また、米軍兵や家族が名護市の行事に参加したり、米軍のパーティーに名護市の住民が招かれるなど、交流を深めている。辺野古は米軍と対立するのではなく、受け入れる道をあえて選択し、話し合いや交流を深めることで「共存の道」を歩んできたのだ。

しかし、沖縄全体の戦後の歴史に目を転じると、米軍用地の収用をめぐって住民と米軍が対立を繰り返してきたことは間違いない。20年4月、沖縄に上陸した米国は軍政府を設置し、日本の司法権、行政権の行使を停止、強制的な土地収用による基地建設を始めた。

27年のサンフランシスコ講和条約発効で日本は独立を果たしたが、沖縄は米国の施政下に残った。中国の存在や朝鮮戦争といった極東情勢緊迫化で、軍事拠点としての沖縄の重要性はさらに高まり、米軍は基地建設を推進した。

28年、米国は「土地収用令」を公布。これは米軍が土地を収用する場合、まず協議を行うが、地主が拒否しても、米軍は最終的に収用宣告して土地を強制的に取得できるというものだった。そのため、沖縄住民は各地で米軍のブルドーザーの前に座り込むなどして抵抗した。

これを受け、沖縄住民側は自治組織としての琉球政府や立法院などが、適正補償など4原則を掲げ、米国側と折衝を重ねた。しかし、米国側は31年、逆に新規の軍用地接収を肯定した「プライス勧告」を発表。怒った沖縄住民の反対運動は一気に沖縄全体に広がった。これが「島ぐるみ闘争」である。

その結果、34年1月に「土地借賃安定法」などが公布され、軍用地取得、地代評価と支払い方法などについて一応の制度的な確立がはかられ、「島ぐるみ闘争」も終結した。しかし、これで米軍用地の収用問題が解決したわけではなく、米軍基地拡張が続く中、沖縄住民の反発は続いた。

47年5月、沖縄返還協定が発効し、施政権は米国から日本に返還されたが、同時に日米安保体制のもと、沖縄の米軍基地を維持する重要性も確認された。以降、一部基地の返還や整理・縮小が行われてきたが、日本復帰から今日までに返還された基地は、面積にして18.7%、まだ県全体の10.2%を米軍基地が占めているのが現状だ。

島袋は「日本の国防上も米国の戦略上も、沖縄に米軍基地が必要だという現実は分かっている。住民生活が米軍基地に依存している面もある。それを理解して、辺野古は米軍基地を『良き隣人』として受け入れ、うまく付き合う努力をしてきたのだ」と語る。

基地をめぐって米軍と住民が対立してきた沖縄の戦後。しかし、その中でも「共存」と「協調」という道があることを、辺野古の歴史は物語っている。(敬称略)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091223/plc0912231842011-n1.htm


不透明な沖縄負担軽減策

安全保障問題に詳しい森本敏・拓殖大大学院教授は「日本政府は移設先の決定を先送りして、他の移設先も検討するということだが、米国は決して妥協はしないだろう」と話す。さらに来年1月に名護市長選を控えており、森本氏は「県外移設を主張する候補が勝てば、名護市への移設は難しくなる」と懸念を示す。

普天間飛行場の移設を前提に、沖縄の海兵隊約8000人(家族を含めると約1万7000人)と海兵隊司令部が米グアム島に移転することが決まっており、米政府はこのための経費を来年度予算に盛り込んでいる。しかし、「普天間移設が決まらなければ、米政府は2011年度、予算措置を講じない可能性が強い」(森本氏)という。

そうなれば、海兵隊のグアム移転も進まず、普天間飛行場が残り続ける「最悪のシナリオ」に陥る。森本氏は「普天間移設は沖縄の負担軽減策とパッケージであり、移設が決まらなければ負担軽減は進まない」と指摘する。

沖縄の米軍基地問題をめぐっては、基地のさらなる整理・縮小、沖縄県振興策、日米地位協定改定など課題が山積だ。しかし、普天間飛行場移設が決まらなければ、これらの日米交渉が進まず、結果として沖縄の負担が軽減されない可能性がある。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091223/plc0912231843012-n1.htm

2009年12月15日火曜日

普天間問題は毅然とした態度で

前回に続き、沖縄問題です。

政府は、今日(15日)、米軍普天間飛行場の移設問題に関する政府方針として、日米で合意した現行の名護市辺野古キャンプ・シュワブ沿岸部への移転計画を排除しない形で移設候補地を検討するという”期限なき結論先送り”の決定を行いました。今後ともアメリカの強力な反発を受け続けることになるでしょう。

はっきり言って、「日米合意」と「沖縄県民の生命」を天秤にかけている政府のふがいな状況に失望している国民の皆さんも多いのではないでしょうか。

”アメリカの圧力に屈する日本政府”という構図は、何もいま始まったわけではありませんが、多くの日本国民が望んだ政権交代という激変を”弱日強米”の崩壊に結び付けてほしいと心から願うばかりです。

今の「アメリカに弱い日本」を私たちにわかりやすく説明してくれている論考がありましたので、全文(消去される可能性もあるため)ご紹介します。


恫喝に怯むDNA

アメリカのいつもの恫喝に怯んで「日米関係は危険水域だ」と叫ぶ人たちがいる。これを見てアメリカは「百年以上も昔から日本は何も変わっていない。日本には恫喝が一番だ」と思っているに違いない。ペリー来航の時から日本人の中には恫喝されると及び腰になるDNAがある。

江戸時代の日本は「鎖国」によって国を閉ざしていた訳ではない。海外渡航を禁じてはいたが、外交と貿易は徳川幕府が独占して行っていた。長崎だけが窓口の一種の管理貿易体制である。従って江戸時代の日本には海外から様々な知識や情報が流れ込んでいた。日本が「鎖国」を続けた理由は、自給自足できる勤勉な国が外国との交流で植民地化される危険を冒す必要はないと考えたからではないか。

しかし産業革命で生産力を高めた欧米列強はアジアに植民地を求めてきた。中国がアヘン戦争によって列強の支配下に置かれると、その情報はいち早く日本に伝えられ、日本人は強い危機感を抱いた。中国との貿易でヨーロッパに遅れをとったアメリカは、中継地として日本を開港させる必要があり、ペリーが艦隊を率いてやって来たが、アメリカのやり方は交渉ではなく恫喝だった。

他の国はみな幕府の指示に従い長崎を窓口に交渉した。しかしアメリカだけは江戸湾に軍艦を乗り入れ、空砲を撃って江戸市中を恐怖に陥れた。ペリーは「開港するか戦争するかを来年までに返事せよ」と通告して日本を去る。これで日本は大騒ぎとなるが、及び腰の幕府の姿に200年以上続いた支配体制が揺らぎ始めた。「恫喝されて不平等条約を結ぶ幕府を許さない」と「尊皇攘夷」運動が高まった。

幕末に「富国強兵」を説いた儒学者横井小楠は、アメリカのやり方を「覇道」と批判、「アメリカに王道を説くべし」と言った。福井藩の俊才橋本左内は「日本はロシアと提携してアメリカに抗すべし」と主張した。しかし幕府は彼らを弾圧、アメリカの要求通りに条約を結んだ。だが恫喝に屈した幕府はほどなく「尊皇攘夷」派に打倒された。

幕府を倒した明治の官僚国家は日露戦争に勝利して世界を驚かせた。中でもアメリカは、ペリーの恫喝に屈した日本が半世紀も経ずに軍備を整え、ロシアのバルチック艦隊を破った事に恐怖した。日本はアメリカの「仮想敵国」となり、日本攻撃のための「オレンジ作戦計画」が作られ、ハワイが要塞化されて太平洋艦隊が配備された。

第二次世界大戦でアメリカは「オレンジ作戦計画」のルート通りに日本を攻め、敗れた日本はアメリカに占領された。間もなく冷戦が起きて日本の基地が必要となったアメリカは、反共の防波堤を堅固にするため、日本を世界に冠たる工業国に育て上げ、日本は世界第二位の経済大国に上り詰めた。しかし冷戦が終息に近づくと今度はそれがアメリカと日本との間に「経済戦争」を引き起こす。

再びアメリカの恫喝が始まった。80年代には日本製品をハンマーで叩き壊すTV映像が次々に送られて来た。「自動車の街デトロイトには反日の嵐が吹き荒れ、日本人は石を投げられる」と知日派アメリカ人たちが真顔で言う。「投げられようじゃないか」と私がデトロイトに行くと、反日の火の手などどこにもなかった。日本車がすいすいと走り回り、みんなが日本車を欲しがっていた。騒いでいたのはワシントンで、メディアと政治家が恫喝の発信源だった。

90年代の初め、日本の新聞の1面に「貿易摩擦を続けるならアメリカは日本から軍隊を引き上げる」との大見出しが踊った。何の事かと思ったら、下院議員が記者会見で「日本を制裁するため在日米軍撤退法案を議会に提出する」と言ったという。アメリカの政治専門チャンネルC-SPANで早速記者会見の映像を見た。記者会見した議員は伏し目がちで、アメリカ人記者から「撤退して困るのはアメリカでは」と質問されるとしどろもどろになった。選挙区向けのお粗末なパフォーマンスを日本の新聞は何で1面トップに掲載するのかと腹が立った。

宮沢総理が国会で「最近のアメリカ経済はマネーゲームになり、物を作る労働の倫理観が薄れた」と発言したら、それが「アメリカ人は怠け者」とアメリカに伝えられ、アメリカ議会が大問題にした。「戦争に勝った国がなんで怠け者なんだ」から「日本にもう一度原爆を落とさないとアメリカの強さが分からない」まで恫喝のオンパレードになった。敗戦国は叩くものだとアメリカは思っている。

そんな恫喝にいちいち反応していたら何も問題は解決しない。ところがこの国のメディアは過剰に反応する。そして情けないのはその報道を鵜呑みにする政治家がいる。昔はそうした報道で政治家に食い込み、「私がアメリカ側と接点を作って上げる」とマッチポンプを専門にするゴロツキ特派員がいた。

しかし「経済戦争」が激しかった頃のアメリカは本音では日本に一目置いていた。置いていたから色々恫喝してきた。日本側はアメリカの顔を立てる振りをしながらしっかり実利を確保した。なかなかに見応えのある交渉を行い「経済戦争」の勝者は日本だった。しかし湾岸戦争を契機に日本はアメリカに見くびられるようになる。

1兆円を超す日本の資金提供は湾岸戦争に大きく貢献した。しかし日本は誰からも感謝されなかった。人的貢献が無かったからだと説明されたがそれは嘘である。勢いのある経済大国日本を本気で怖れるようになったアメリカは、日本が独自の中東戦略を持たず、ひたすらアメリカに協力を申し出た事で日本をバカにした。中東の石油は日本経済の生命線である。それなのに他人任せである事が分かった。経済戦争であれだけ煮え湯を飲まされたが、本物の戦争が起これば何でもアメリカの言いなりになる。そこから「日本イジメ」が始まった。

アメリカは戦後の日本に決して自立できる軍事力を持たせず、自衛隊をいびつな形に作り上げてきたにもかかわらず、「ショウ・ザ・フラッグ」だの「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」だの言って、日本に人的貢献を求めた。憲法を作ったのはアメリカだから、憲法の制約があることも百も承知である。その度に日本政府は苦渋の決断を迫られ、「安全だから軍隊を出す」という世界大爆笑の間抜けな論理を真面目に言う羽目になった。

「アジアは世界で唯一冷戦が残っている」と日本に言って基地を存続させながら、アメリカは着々と中国や北朝鮮と手を組む準備を進めている。アメリカの頭の中は「冷戦後」だが日本の頭は今でも「冷戦中」である。小泉政権時代に某外務大臣が米中の蜜月関係に懸念を表明すると、「文句があるならもう一度戦争して勝ったらどうか」とアメリカの高官から言われたという。これに日本は反論できない。

利権まみれの政治のせいで13年間何も進まなかった普天間問題をじっと見てきたアメリカが移設を急ぐ理由は何もない。民主党政権が誕生すれば自民党と政策が異なるのもアメリカは先刻承知である。しかしそれをただで認めてしまったらアメリカは何の利益も得られない。恫喝に怯む日本のDNAを百年以上も見続けてきたアメリカだから今回のような動きは当然である。試されているのは新政権の外交力だ。決着のさせ方でアメリカの日本を見る目が決まる。
(筆者:田中良紹、2009年12月14日  THE JOURNAL掲載)
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2009/12/post_201.html

2009年12月13日日曜日

沖縄の未来

この日記では、時折、”沖縄”を取り上げています。それは、日本の平和の原点が沖縄にあると思うからです。でも、本土の多くの人々は、沖縄の苦しみや悲しみを他人事のように考えているように思えてなりません。

今、日本は普天間基地の移設問題で揺れています。日本の安全保障の犠牲者ともいえる沖縄。米軍基地の存在が沖縄の自立を阻み、地球に稀なる生物の絶滅を誘う厳しい現実が目の前にあります。

この現実を変えることができる日はいつ来るのでしょうか・・・。


埋め立ての島

午後の日差しを浴びて、海面の照り返しが目を射抜く。そのまばゆさに慣れると、水平線に重なるように人工的な灰色の護岸が浮かび上がってくる。

沖縄本島の沖縄市東海岸に、泡瀬干潟の埋め立て現場を訪ねた。経済的合理性のないまま事業を進めることは違法だと福岡高裁が判決で断じた後も、市は埋め立てをあきらめようとはしていない。

沖縄が全国有数の埋め立て県だということを知る人は少ないだろう。戦後、「銃剣とブルドーザー」と呼ばれた米軍による強権的な土地収用により、沖縄本島の2割を基地が占めるまでになった。

嘉手納基地の一部を擁する沖縄市は、市域の3割超が軍用地だ。新たな土地を求める視線は、海へ向かうしかなかった。

頼みの綱が土木事業だけだという現実。これは、基地負担の見返りの巨額公共事業に首まで浸かり、自立の手がかりすらつかめない沖縄経済の一断面でもある。

「春にはアオサを採り、汁にして食べる。昔は海水をそのままにがりにして豆腐を作ったもんだ」。海岸沿いを散歩する地元男性(63)に声をかけると、そんな言葉が返ってきた。この南西諸島最大級の干潟は、サンゴやコメツキガニの仲間など100種以上の希少生物を育む。

米軍基地に追い立てられて、人が海を埋める。まるで陣取りゲームのように。では、海の生き物や、海と共生する暮らしはどこへ向かうのだろう。

男性は目を細めて言った。「埋め立てれば元には戻せんからね」(2009年12月11日 朝日新聞夕刊、論説委員室から)


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泡瀬干潟埋立計画

泡瀬干潟の埋め立て計画は、コザ市と美里村が合併したところまでさかのぼる。海のないコザ市は海を求めて合併したといっても過言ではない。計画が現実味を帯びだしたのは、1984年に起工した新港地区埋立事業に端を発する。この事業では、埋立地に特別自由貿易地域が設置され、港湾には4万トン級の船舶が入港できるようにするため、航路を水深13mまで浚渫する計画となっている。その浚渫残土の処分が課題となり、1986年に残土処理策として泡瀬干潟の埋立構想が現実のものとなり始めた。

当初の構想では、陸続きで219haから340haの海域を埋め立てるものだったが、1989年に泡瀬復興期成会など地元の団体から海岸線と砂州を保全する要望が出て、後に埋立地を沖に出し、人工島を作る形(出島方式)での185haの埋め立てに変更される。

計画では、まず、ほとんど国がその費用を負担するかたちで埋立地が作られる(国が175ha、沖縄県が10ha分を負担)。そして埋立地のうち90haを沖縄市が購入する義務を負い、「マリンシティー泡瀬」として開発する。マリンシティー泡瀬では、ホテルやシュッピング街、情報教育の拠点、住宅地などを民間に分譲する予定になっている。

しかし、出島方式では砂州はそのものは残されるものの、海草などの生育地ともなっている周辺の浅海域が大きく消滅することや、渡り鳥への影響も大きいと考えられることなどから環境への影響が甚大であるとして埋立に慎重な意見が出されたり、反対運動がされるようになった。また、1990年代後半からは、平成不況や自治体の財政悪化の流れから、約650億円と見られている総事業費の負担も問題視されるようになった。

なお、泡瀬干潟の埋立地では、企業誘致や観光開発などの経済効果が期待されているが、隣の新港地区の埋立地(特別自由貿易地域)の企業誘致が低調で遊休地も多くあることや、隣接する泡瀬通信施設影響で土地利用が制限されるなどの事情から、経済効果を疑問視する声もある。

そうした中、1999年3月には沖縄市漁業協同組合と南原漁業協同組合(勝連漁協)との間で漁業補償が妥結。補償額は19億9800万円だった。なお、この漁業補償においては、当初、沖縄県が提示した額が約7億円だったのに対し最終的3倍近くに膨れ上がるなど、交渉の不透明さが報道されている。

2000年12月に、沖縄県知事によって公有水面埋立法にもとづく承認がなされるが、その際にクビレミドロをはじめとする泡瀬干潟の貴重な生物の保全措置を行うこと、漁業生産の基盤である海草・藻類の保全に万全の対策をとること、漁業権の変更や消滅に関する権利者の同意に疑義があることなどの意見が沖縄総合事務局に提出された。

一方、沖縄総合事務局は2001年に「環境監視・検討委員会」を設立。埋立てによって消滅する海草移植(ミティゲーション)などの検討が行われ、2002年には沖縄総合事務局は「海草移植は可能」と判断し、泡瀬地区埋立事業は着工された。しかし、海草移植の検討が不適切であり、手法の確立はできていないとして一部の委員が辞任。日本自然保護協会、WWF、日本弁護士連合会などが意見書を提出。その後も、工事の妥当性をめぐって学会や委員会委員などからも意見書などが出されている。

なお、地元自治体である沖縄市では、2006年4月に埋立事業に対して比較的慎重であると見られていた元衆議院議員の東門美津子が市長に当選。就任後、埋立て事業をはじめとする一連の開発事業のについて市民の賛否が分かれたままであるとして、「東部海浜開発事業について熟慮し、市長としての方向性を示すことを目的として、2006年12月より『東部海浜開発事業検討会議』を設置して検討を行っていた。

民主党は同事業を「環境負荷の大きい公共事業」と位置付けており、自由民主党から政権交代に伴い、2009年10月4日、前原誠司国土交通・沖縄・北方担当大臣より、1期工事の中断と2期工事中止の方針を東門美津子沖縄市長へ伝えた。

また市民など500名以上で構成された原告により県知事・市長を訴え、裁判となった。
  • 2005年5月、提訴
  • 2008年11月、那覇地裁は経済的合理性を欠くとして、沖縄県知事・沖縄市長は今後、埋立事業の公金を支出してはならないと命じた(原告側一部勝訴)
  • 翌日、県知事・市長が福岡高裁那覇支部へ控訴
  • 2009年10月15日、福岡高裁那覇支部は一審判決支持し、控訴棄却、公金支出の差し止めを命じた。
(wikipedia)


普天間飛行場返還を巡る動き

当基地は市街地中心部を占めていること、また、基地建設当時の土地収用の事情から、当初より返還を求める主張があった。沖縄で米軍駐留に対する大規模な反対運動が起こった(→沖縄米兵少女暴行事件)のを契機として、日米で構成する日米安全保障協議委員会(「2プラス2」)は1995年11月、沖縄における施設及び区域に関する特別行動委員会(SACO)を設置する。同行動委員会が在沖縄米軍のあり方を全面的に見直し、検討の結果、1996年12月2日の最終報告で5年後から7年後までの全面返還を発表した。しかし、この全面返還は、条件として「十分な代替施設が完成し運用可能になった後」とし、代替施設として1,300mの撤去可能な滑走路を備えたヘリポート(いわゆる「海上ヘリポート」)を挙げている。

SACO最終報告では、海上ヘリポートの建設地として沖縄本島東海岸沖としか明記されなかったが、1997年には名護市辺野古のキャンプ・シュワブ地域が移設候補地とされた。当初は代替施設建設に名護市議会や市長も反対していたが、北部地域振興策などが提起されるに従い、当該振興策を条件に建設賛成へと市長・市議会の意見も変化した。1997年に行われた名護市条例に基づく「名護市における米軍のヘリポート基地建設の是非を問う市民投票」(名護市民による住民投票)では反対の票が半数を占めたものの、直後の市長選挙では建設推進派の市長が、その後の選挙でも一貫して基地建設推進派の市長が、当選してきた。

また、沖縄県も、当時の大田昌秀知事は建設反対を表明していたが、1998年に初当選した稲嶺惠一知事は、「建設後15年間は軍民共用の空港、その後の返還」を条件として建設賛成を表明した。その際、稲嶺の公約として、施設の概要が「撤去可能なヘリポート」だったのを、「県民の財産になる施設」として、恒久的な滑走路を持つ飛行場に変更された。ただし、ほぼ同時期に進行中であった那覇空港の拡張の検討立案につき、競合する当施設案について稲嶺がその経済的合理性を顧慮した形跡はない。稲嶺は2期8年のあいだ県知事であったが、その間の各種の交渉にあっても、稲嶺の主張する15年期限は米国が容認するものではなく、辺野古での海兵隊飛行場施設案の具体化のみが進行した。結局、15年期限は日米両当局から何の具体的考慮もされることなく、知事の任期切れに先立ち稲嶺は基地建設容認を撤回した。稲嶺後を選択する県知事選挙においては、仲井真弘多は、当基地の危険性除去を主眼とし、15年期限や軍民共用などの条件を最初から付けないという公約を明らかにして当選した。もっとも、稲嶺は自身の後継として仲井真を支持しており、その判断の整合性には批判があった。建設容認を主張する仲井真が当選したことにより施設案の具体化は進められ、固定翼機の飛行ルートが極力海上のみになるよう滑走路2本をV字型に配置した飛行場案に決定し、環境アセスメントもその案に従って実施されることになった。仲井真は、環境アセスメント再実施に至らない範囲の建設位置の沖合移動を主張している。ただし、米国側は、当初の案どおりの実施を主張し、双方の妥協は今のところ見えていない。また、沖合移動の幅も数十メートル程度のものであり、それで仲井真の主張するところの負担軽減が実現するとは言い難い。

一方、2008年6月の沖縄県議会議員選挙で、当該建設案に反対する議員が議会の過半数を占め、その後の県議会で、当該建設に反対する内容の決議がなされた。2009年8月の衆議院議員総選挙でも、沖縄県内の全選挙区において、当該建設案に反対する議員が当選した。これらの複雑な現地事情から、SACO最終報告の発表から10年を経過した2009年に至っても、同基地返還の具体的な見通しは立っていない。

飛行場として使用されてきた土地については、有害危険物質の流出による土壌汚染が懸念されているほか、遺跡の発掘調査や、沖縄戦の際の不発弾の処理も必要である。さらに、沖縄戦とその後の当基地の建設によって形状が変化した土地につき、詳細な測量による地主毎の所有地境界の明確化も必須である。これらの作業のためには、日本側による基地への立ち入りと調査が必要であるが、米軍基地に関する日米地位協定による制限のため、そのような調査は未だ行われていない。また、同協定によって、米国側は土地明け渡しの際に原状回復義務を負わない。加えて、当基地に限らず米軍用地返還の際には跡地利用に関して各業界の莫大な利権が絡むため、その利害調整は極めて難しい作業である。さらに、軍用地料を受けている地主にとっては返還は地料収入が断たれることでもあり、その対策も必要になってくる。このように、基地返還は日米両国政府間の交渉のみでは済まない事情があり、当基地にあっても返還に向けた作業は遅れている。

沖縄に駐留する第3海兵遠征軍の名前の通り、そもそも海兵隊は海外に遠征に行くための組織であり、航空機の航続距離延伸等の技術的革新で、海兵隊が沖縄に常駐する必要が薄れてきているとの指摘がたびたび出されている。一方空軍や陸軍の駐留の是非については海兵隊とは話が別との指摘も多い。(wikipedia)

2009年12月12日土曜日

事業仕分け

国の予算編成作業が大詰めを迎える中、先が見えない普天間移設問題や景気・雇用浮揚対策の予算積み増し問題でぎくしゃくした連立政権の絆を確認しあうために、のんきに夕食をともにする3党の親分たち、税収不足から国債発行額の上限設定もうやむやになる予算編成方針など、不安定な政治情勢が停滞しているこのごろです。

こんな中、行政刷新会議による事業仕分け関連のニュースだけは健在で、連日のように紙面をにぎわせています。特に、教育・科学関連の学者さんたちは、徒党を組んで声明を連発するなど抗議活動に忙しい毎日を過ごしているようです。

去る10日に配信された「鳩山内閣メールマガジン第10号」(2009.12.10)に、事業仕分けの草分け的存在でもあり、行政刷新会議事務局長でもある構想日本代表の加藤秀樹(かとうひでき)さんのコメントが寄せられていましたのでご紹介します。

事業仕分けの壺

行政刷新会議による国の事業仕分けが終わりました。怒涛のような一カ月でした。身内のことを言うのは少し気がひけるのですが、寝食の暇もなく準備作業にまい進した事務局のスタッフ、同じくひと月間本業をそっちのけにしてでもヒアリングや勉強に時間をさき、会場の体育館での足の冷えや腰痛と闘いながら仕分けに参加して頂いた評価者(仕分け人)の方々には、本当に頭の下がる思いです。

ここでは事務局長という立場ではなく、7年前から県や市などで事業仕分けを続けてきた構想日本の一員として、国の事業仕分けを通して考えたことを書いてみます。

行政の事業仕分けを始めたのは、行政改革や地方分権が、10年、20年と議論されても、実際にはほとんど進んでないからです。これを変えるには、行政の現場で行われている事業が本当に住民の役に立っているのか、国民の利益につながっているのか、一つ一つチェックしていくしかないのではないかと考えたのです。そして事業をチェックしていけばその背後にある組織や制度も洗い直せる、それを日本中でやっていけば、議論を繰り返すよりも確実に行政改革や地方分権が実現出来ると考えたのです。

その際、必ず守るルールをいくつか決めました。特に重要なのが、1)行政の現場で実際に事業がどのように実施され、税金が使われているか知っている外部の人に加わってもらい2)公開の場で議論することです。両方とも、県や市でも大きい抵抗にあいました。

今回の国の事業仕分けでも同様の批判がありましたが、当初から「仕分け人」なんて、何の資格もない外部の素人になんで評価されないといけないのか、という声が強くあったのです。しかし、公務員という『専門家』が、場合によっては審議会という更に『専門家』に議論してもらって実施してきた政策や事業の中に、現に多くの首をかしげるような事業や無駄使いがあるのです。

私は仕分けで最も大切なことは現場を知っていることだと思います。仕分けでは、市の生涯学習や町づくりでも、国の科学技術でも、趣旨や目的などが否定される事は殆どありません。趣旨や目的を見る限り日本中に無駄な事業は一つもないと思います。問題は、現場で実際に、その趣旨や目的通りに行われているか、なのです。

例えば文科省の「子ども読書応援プロジェクト」。子どもの読書を応援するという趣旨には仕分け人もみんな賛成です。ところが、予算の大部分が指導者向け啓発資料の作成などに使われて、肝心の子供の読書応援の効果が不明確といった意見が多数でした。以上のことから、事業仕分けでは政策の良し悪しは問わない、つまり『政策仕分け』ではないということをお分かり頂けたでしょうか。

また、多くの報道では事業仕分けは予算を切る手法のように言われます。しかし、実際にやっていることは、これまでに使われた税金の使い方チェックです。その結果無駄が多いのならば次の年の予算は少し考え直してみようという材料提供なのです。このあたりのことを、もっと広く理解して頂けるよう、説明していかないといけないと思っています。


事業仕分けの結果を受け、行政刷新会議が2度ほど開かれています。どのような議論が展開されているかは次の議事要旨をご覧ください。

2009年11月28日土曜日

毎度後手の国大協

行政刷新会議が国立大学運営費交付金の見直しを求めたことを受け、国立大学協会は26日、予算充実を求める緊急アピールを発表しました。

毎度のことですが、国立大学協会のスピード感のなさにはがっかりします。ただ今回の声明文は従来より少しはわかりやすくなっているような気がします。今後とも、論文調・官僚用語の多用による紋切り型の文章はやめ、仕分け人のように国民にわかりやすく歯切れ良く訴えることが肝要かと思います。優秀な学長さんたちの集まりなのですからよくおわかりかとは思いますが。

声明文の全文を掲載します。



大学界との「対話」と大学予算の「充実」を
-平成22年度予算編成に関する緊急アピール-


平成22年度予算について、本協会は、去る10月13日に政府への要望を行ったところですが(「平成22年度国立大学関係予算の確保・充実について(要望)」)、その直後に明らかになった概算要求の内容や予算編成に関する動向、行政刷新会議の下で行われているこれまでの事業仕分けの結果に接し、ここに、下記の点について緊急のアピールを行います。


1 大学予算の縮減は、国の知的基盤、発展の礎を崩壊させます。

これまで大学予算は削減を迫られてきましたが、平成22年度概算要求においても、多くの事業が厳しく抑制されています。社会的な問題となっている医師不足解消のための医師養成や大学病院の機能強化、大学奨学金等の充実といった重要課題については、「事項要求」という位置付けに止められています。万一、このような状況を踏まえた適切な対応がなされないならば、これまで大学が国民からの負託に応えるために行ってきた様々な取組の継続は困難となり、大学改革は頓挫してしまいます。その影響は、日本の未来を担う若者に対し、直接に及ぶことになるだけでなく、日本国民の市民生活を支える国力基盤の弱体化につながることになります。

かねて、公財政支出の対GDP比、政府支出に占める投資額の割合などの指標を通じ、日本の大学関係予算の貧しさはつとに指摘されてきました。私たち大学関係者は、先進諸国中最低レベルの公的投資の水準や家計における重い教育費負担といった問題の是正を訴え続けてまいりました。総理は、所信表明演説の中で、「コンクリートから人へ」の投資の転換を強調し、「すべての意志ある人が質の高い教育を受けられる国を目指していこう」という意思を示されました。「「架け橋」としての日本」という国づくりについても、資源小国であるわが国にとって国力の基盤は何よりも「知」と「技」にありますから、国家の知的基盤である大学の教育研究の振興を抜きには考えられません。その言葉の実行のためにも、事業内容の必要な精査は行いつつも、大学に対する公的投資の拡充に向け、政治のリーダーシップを強く発揮されることを切に望みます。

2 国立大学財政の充実に関する基本姿勢を貫いて下さい。

民主主義における選挙結果の重みに照らし、予算編成に当たってマニフェストの内容が重視されることは当然であると私たちは理解しております。

かねて私たちの訴えてきたとおり、国立大学法人運営費交付金は法人化以降5年間で720億円もの減少を見、その規模は小規模な国立大学23校分の消失に相当します。こうした一律的な削減方針の見直しは喫緊の課題と考えますが、今回の概算要求では、大学病院の経営改善や医師不足対策などの特別な事項を除けば、基礎的な経費は引き続き減額されています。さらに、こうした概算要求の規模さえも維持できないとなれば、私たちと国民との間の約束でもある新たな中期目標・計画(第2期:平成22~27年度の6年間)の策定・実行にも支障が生じかねません。事業仕分けの中では、基礎研究、哲学など多様な学術、芸術・文化の重要性、地方の大学の存在意義などについても意見が示されており、運営費交付金の必要性が理解されたものとして心強く受け止めております。こうした意見が適切に反映されることを望みます。

また、基盤的経費を確実に措置するとともに、大学間の競争的環境を醸成することを通じて各大学の改革への取組を促すような国公私立大学共通の競争的経費の充実が必要であり、この二つの仕組みをバランスよく組み合わせた支援が必要です。特に、世界トップレベルで活躍できる優秀な次の世代の育成のためには「グローバルCOE」や「国際化拠点整備事業」などの補助金の充実が不可欠です。

選挙時の民主党の政策文書には、「世界的にも低い高等教育予算の水準見直しは不可欠」、「国立大学法人に対する運営費交付金の削減方針を見直し」、「国立大学病院運営費交付金については、・・・速やかに国立大学法人化直後の水準まで引き上げ」等の記述があります(「民主党政策集INDEX2009」)。これまでの国会審議においても、こうした方針に沿った対応がなされてきたものと承知しています。

日本の教育研究の水準の維持・向上、教育の機会均等の確保に関わる国立大学の存在意義に照らして、「見直し」の原点に立ち返ったご対応(削減方針の撤廃、国立大学への投資の充実)を願う次第です。

3 政府と大学界との「対話」は、大学政策にとって必須不可欠です。

大学は、教育基本法の定めるとおり、その自主性・自律性が尊重されることが求められます。また、それ故にこそ、公共的な使命を果たし、社会に貢献し得る存在です。他の分野にも増して、大学に関わる政策形成過程は、透明で開かれたものであるべきであり、それには政府と大学界との緊密な「対話」が必須不可欠であると考えられます。その際、法人化以降の政策の成果と課題を検証することは、もとより重要なことです。大学にとって、運営の自由度の拡大や民間的マネジメントの導入など、法人化そのものには極めて大きな意義・メリットがあり、これを最大限生かすべく、引き続き努力を重ねてまいります。しかしながらこれまで、それを生かすための財政措置が不十分であったという点に課題があります。こうした反省に立って、今後、国立大学政策に関して、政府と大学界は、新たな国づくりに向けた「対話」を深めることが最も大切です。

総理は、所信表明演説の中で「絆」の大切さを語られました。私たちは知の共同体である大学間の「絆」を強め、そのことをもって国民からの負託に応えていこうと考えています。政府関係者をはじめとする各界において、このことを改めて御理解をいただき、大学界との「対話」の窓を閉ざされぬよう、また、本アピールの内容を真摯に受け止めて下さるよう、お願いします。このことを通じて鳩山首相の提唱された「大学の教育力・研究力の強化」を実現していただきたいと願うものであります。

2009年11月26日木曜日

国立大学の命運やいかに(続編)

行政刷新会議ワーキンググループによる事業仕分けについては、昨日「国立大学運営費交付金」をはじめ、高等教育関係予算が俎上に上がり、評定結果が明らかになりました。

各種報道の論調を整理すると、国立大学については、「経営改善努力の継続、人件費・組織・教員配置の見直し、民間人登用による大学運営の見直し」などを促す指摘とともに、法人化した効果の検証も合わせて求められたようです。

評価の内容を眺めてみると至極当然、ごもっともの指摘が並んでいます。特に「法人化をしたことの意味」については、制度設計時の趣旨を活かした大学経営が実行されていないことはまさしく事実であり、大学人は大いに反省すべきこところです。

この際、各大学の学長はじめ教職員全員が、「新しい「国立大学法人」像について」(平成14年3月26日 国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議)を読み返し、法人化の原点に立ち返って考えることが必要なのではないでしょうか。

それにしても、この仕分け作業、国民に対する透明性・説明責任の観点では高く評価されるのではないでしょうか。インターネットを活用したライブ中継はもとより、配付された資料、仕分け人の意見、評定結果などがほぼリアルタイムに提供されています。素晴らしい方法です。


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当日の配布資料(行政刷新会議)


国立大学運営費交付金関係のビデオ映像


評価コメント(行政刷新会議)


国立大学運営費交付金(特別教育研究経費を除く)
  • 独立行政法人化そのものの見直しが必要。
  • 各大学の積立金についても可能な限り考慮しての国庫支出を。どんなに「大学側からの強い要請」があるとしても、天下り、現役出向は完全廃止し、その分だけのコスト削減(=交付金削減)を行う。
  • 日本の高等教育の基盤として制度改革に努力し、足腰の強い、国際的にも評価されるものになって欲しい。そのための基本構想なしに、なし崩しにやっていると全体の力は落ちてしまう。
  • 官僚出身者や出向者が効率的な経営を行うことは難しい。
  • 独立行政法人化そのものを見直す(概ね3年以内)。国立大学の意義、目的、役割を再整理する。独立行政法人のままなら、文部科学省からの出向を禁止すべき。
  • 政策を明示した配分基準を明確化。国としての責任を持つ高等教育のグランドデザインができていない。個別の「指導」はあっても、政策の方向性が明示されていないので、競争的資金への関心、評価の甘さにつながる。政策の明確化と大学の方向性とのバランスを見直すべき。
  • 国立大学法人の理事長・学長の一体化を見直し、理事長と学長を完全に分離した上で、理事長は民間経営者を充てるよう改善が必要(概ね1年以内)。国立大学法人の運営費交付金を一律に削減することは限界である。外部資金や間接経費が入る大学と入らない大学が現実にある以上、弱い大学に目配りした税金の配分が問われているのであるから、運営費交付金に傾斜を付けた配分を行うべきである。
  • 法科大学院などは無駄。他にも効率化の余地があるのではないか。1割程度削減はできるのではないか。
  • 年1%削減したが、ベースは平成16年度の足りらずまい(支出-収入)であるため、大学間・地域によりひずみが生じていないか。全ての大学についてゼロベースで見直しするべき。大学間格差についての整理。
  • 法人化の成果について検証し、大学のガバナンスのあり方を見直すべき(概ね1年以内)。
  • 国立大学を法人化して本当に良かったのかどうか検証が必要。
  • 算定方法の透明化。真に教育・研究のあり方を問う。機能分化を促進する。
  • 経営マネージメントのできる人材の登用を図るべき。地方国立大学、公立大学、私立大学含め、統合を図り、より特色ある大学としての存在感を示すべき。ガバナビリティのある人材の登用による職員意識改革を徹底すること。これこそ、大学経営モデル事業としてトライすべき(大都市圏、地方拠点都市、ローカル県)。
  • 人文系教育への充実について、今の方法では機能しない。新しい方針とそれに見合った予算措置をすべき。ガバナンスを大学に任せるなら各大学のガバナンスに民間人を入れるべき。理事長が無理なら、評議会、教授会に入れるなど、明確な権限を持った民間人をおくべき。

国立大学運営費交付金のうち特別教育研究経費(留学生受入促進等経費、厚生補導特別経費、プロジェクト経費)
  • プロジェクト経費のうち、一研究所の研究成果が国民にどうのように還元されてきたかが不透明である。ビックサイエンスであれば競争的資金を獲得すべきである。ただし教育研究の推進経費はメリハリ分として別途確保する必要がある。
  • 科研費・競争的資金との比較をした時の違いが分からない。文科省の裁量がききすぎる可能性がある。明確な制度設計すべき。
  • 運営費交付金として反映すべき性格のもの。単純に考えるべき。
  • 運営交付金化すべき。
  • 競争的に配分される資金については、国立・公立・私立を問わず、各大学の競争により、インセンティブとすべきではないか。
  • 交付金に入れ込んで議論。
  • 政策と現場の照合、縮減すべき。
  • BIG PROJECTとの説明がされたが、本当に見直すべきプロジェクトはないのか。という視点から検討、縮減すべき。
  • スバルなど特定の交付金以外は、結果的にはほぼ全体に行き渡るので基盤的教育研究経費に回すべき。
  • 大学の先端的取り組み部分と重なっている部分は統合すべき。
  • ほとんどがビック・プロジェクトであるが、一部は3-52の事業とも重なる。
  • 運営費交付金の見直しに連動。
  • たくさん問題はありますが、ここでこの予算を切ることで国立大学全体の活性を落とすのでなく、システム作りを要求していくことで将来、国の資金を有効に使って。
  • 国立大学法人化が本当に良かったのかどうかの検証に合わせて見直しが必要。現状では要求通り。

ワーキンググループの評価結果(行政刷新会議)


国立大学運営費交付金(特別教育研究経費を除く)
国立大学のあり方を含めて見直しを行う(見直しを行う 15名(複数回答))
  • 経営改善努力の継続(民間的経営手法の徹底)を反映 8名
  • 資金の効率化・重点化の観点から人件費・物件費の見直し 7名
  • 社会のニーズ等を踏まえた組織・教職員数の配置の見直し 6名
  • ガバナンスのあり方の見直し(民間人の登用等) 5名
  • 独立法人化そのものの見直し 2名
  • 予算要求の1割削減 2名
  • 法人化の是非の検証 1名
  • 算定方法の透明化 1名
  • 大学間格差の整理 1名
  • 配分基準の明確化 1名
  • 現役出向の廃止 1名

国立大学運営費交付金のうち特別教育研究経費(留学生受入促進等経費、厚生補導特別経費、プロジェクト経費)
予算要求の縮減(廃止6名、予算要求の縮減6名(半額1名、1/3縮減1名、その他4名)、予算要求通り2名)

とりまとめコメント(行政刷新会議)


国立大学運営費交付金
国立大学運営費交付金(特別教育研究経費を除く)については、複数回答で15名全員が見直しを求めるという結果となった。大学の教育・研究については、しっかりやっていただきたいということで、皆さん異論はない。そのためのお金はしっかり整備すべき。

ただ現在の国立大学のあり方については、そもそも独法化したのがよかったかどうかということに始まって、運営費交付金の使い方、特に教育研究以外の分野における民間的手法を投入した削減の努力、あるいは、そもそも交付金の配分のあり方、こういったことを中心として、広範かつ抜本的に、場合によっては大きく見直すということも含めてその中で交付金のあり方について見直していただきたい。

特別教育研究経費については、予算要求通りが2名、廃止が6名、予算要求の縮減が6名となっており、結果にばらつきがあったものの、グループとしては、予算要求の縮減ということでお願いしたい。

大学の先端的取り組み支援
グローバルCOEプログラム及び組織的な大学院教育改革推進プログラムについては、予算要求通り2名、廃止3名、来年度の予算計上見送り1名、予算要求の縮減8名であり、その内訳は、半額3名、1/3 程度を縮減3名、その他2名(2割縮減1名、9割縮減(グローバルCOEプログラムの廃止)1名であり、散らばりがあるが、WGとしては、1/3程度の予算要求の縮減と結論する。

グローバルCOEプログラムは廃止すべきとの指摘や、対象が広すぎるとの指摘が複数あり、より絞り込んだ形で企画をしていただきたい。

国際化拠点整備事業(グローバル30)、大学教育充実のための戦略的大学連携支援プログラム及び大学教育・学生支援推進事業については、廃止4名、予算計上見送り2名、予算要求通り2名、予算要求の縮減6名(半額2名、1/3 縮減1名、その他3名)であり、かなりばらつきが大きいが、WGとしては、予算要求の縮減と結論する。

そもそも大学の本務としてやるべきだという意見、結果・効果が不明だという意見、学生の雇用に関する課題は重要だという指摘も複数あった。

大学等奨学金/高校奨学金
大学等奨学金については、見直しを行わないという意見が2名、見直しを行うという意見が14名であった。借金であるから回収を強化すべきという意見が多い一方で、返済方法についての柔軟性や、給付型奨学金を検討すべきという意見があった。また、(独)日本学生支援機構のあり方については見直しが必要であるとの意見が複数あった。当WGとしては、回収の強化、給付型奨学金、経済状況への柔軟な対応、独立行政法人のあり方、といった点を中心に、見直しを行う方向でまとめる。

高等学校等奨学金事業交付金については、見直しを行わないという意見が6名、見直しを行うという意見が10名であった。見直しを行うとした意見の内訳は、高校実質無償化との関係の整理が8名、返済時の運営効率化が1名、給付型奨学金の検討が1名であった。当WGとしては、高校実質無償化制度との関係を整理し、分かりやすく説明して頂くことも含め、役割分担についてもしっかりと整理するよう、見直しを行う方向でまとめる。

鳩山メールマガジン(2009年11月26日 第8号)から


「しがらみ」との決別(内閣総理大臣 鳩山由紀夫)
先般、旧政権の下で作られた補正予算を約3兆円、無駄あるいは不要不急との理由で執行停止させましたが、今月11日からは、来年度の政府予算の無駄を徹底的に排除するために、行政刷新会議の指導によって「事業仕分け」を精力的に進めています。「事業仕分け」とは、事業が本当に国の仕事として必要なのか、地方自治体に任せるべきものか、民間に行わせるべきものか、はたまた不要なものか仕分けることです。私も、24日に仕分けの現場を訪問し、実際のやりとりを視察して来ました。

この「事業仕分け」では、3つのワーキングチームがそれぞれ1つの事業について1時間かけて議論していました。たった1時間でどれほどの見直しができるのか、結論ありきの議論ではないか、との御意見をいただいていました。

しかし、実際に見てみると、議論はスピード感溢れるテンポで進められていました。双方から、丁々発止のやりとりが展開されており、しっかりと検討が深められているな、と実感しました。まさに、お互いに国民のみなさんのために仕事をしている、という熱気を強く感じました。何より、多くの一般の方々がそれぞれの会場で、オブザーバーとして熱心に議論を聞いておられますから、訊くほうも答えるほうも真剣勝負です。傍聴したいけれど会場に入りきれない方々が、100名を超えてセンターの外で待っておられる姿を見て、申し訳ないと思うと同時に、いかに国民のみなさんが、国民に開かれた政治を待ち望んで来られたか、その現実を実感したところです。

この行政刷新会議の「事業仕分け」が見直している事業は、言うまでもありませんが、国が必要だと思って始めた事業です。ですから事業のタイトルから見ると、簡単に、「要らない」と切り捨てることはできないものばかりなのは、当然です。

私が視察をしたときには、ちょうど青年海外協力隊の事業が俎上に上っていました。この事業を全く不要と切り捨てる方は少ないでしょう。海外で立派な仕事を行ってくださった青年たちも沢山います。ただ、本当に無駄はないのでしょうか。一人当たりに掛かる経費は妥当なのでしょうか。白熱した議論が進みました。結果は「縮減」だと伺いました。本当に事業にふさわしい青年たちを集めた協力事業と呼べるよう、さまざまな角度から検討する必要がやはりあると思います。

一つひとつの事業について、本当に国民のために無駄遣いなく実施されているのか、コストは適正なのか、民間の方にも参画いただき、厳しく判断することは正しいと思います。国民のみなさんからお預かりした貴重な税金ですから、みなさんに本当に必要と思っていただける事業、政策だけに厳選していく必要があるからです。

これまでの長年にわたる「しがらみ」と決別し、「行政の垢(あか)」を落とさなければならないのです。

成果が見込まれない事業はきっぱりやめる、効率化に向け組織のあり方や契約のやり方を見直す、天下り先の法人に無駄に積まれている基金などは国に返してもらうなど、やるべきことは本当に山積しています。

今後は、事業仕分けの結果を類似の事業にも拡大しながら、無駄を排除し、来年度予算の編成作業を進めてまいります。

未来は変えられる(行政刷新会議ワーキンググループ評価者、前滋賀県高島市長 海東英和
私は、行政刷新会議の事業仕分けで評価者を務めています海東英和です。滋賀県高島市で、事業仕分けを用い、合併で肥大化した財政の健全化を図り、自治力を高めてきました。

今回の国の事業仕分けは、政権交代直後なればこその希望を見出す棚卸です。12月予算編成までの短期間にこれだけの準備が整ったことは、何と言われようと刷新会議事務局の踏ん張りのお陰です。公開事業仕分けによって、国民の手に予算を取り戻す革命的作業が目の前で展開されているのです。議論の時間は1時間ですが、事前に、財務省、主管省庁から説明を受け、論点を伝え、現場調査もして臨んでいます。

外郭団体のほとんどには、省庁OBのグリーン席があり、出身省庁から継続的に事業・予算が供給され養われています。事業の重複を点検する仕組みもなく、監査も形骸化し、人件費など管理費が予算の3割から5割を占める委託もあり、廃止や見直し評価が相次ぎました。

不必要な団体を経由させ税金を無駄遣いすることは国民に対する背任です。1団体で3割が管理費で目減りすると、2団体では0.7×0.7で49%になり、3つの団体を経ると100あった予算は34になります。現場に直接届けば予算半分で十二分な仕事ができそうです。

また国債を発行して得たお金で外郭団体に基金を積み、それら団体が国債で運用する現状は、タコが自分の足を食べるに等しく、経費で目減りする額は不要な国民負担です。基金を一旦国庫に返納し、必要な事業を精査の上予算化する判断は、金利に関わらず妥当な見直しであると思います。

医療現場が悲鳴をあげているのに、医師は足りている、看護師は足りているとしてきた無責任な体質と仕組みも問われました。20年の特許期間を過ぎても高い薬価を見直し、国民の医療費負担を減らす方向に動き出したことも仕分けの賜物です。

残念なのは、タイ焼きの頭としっぽだけを編集し、あんこの部分を伝えない報道です。毛利衛さんの科学未来館について一部報道では、税金が科学技術振興機構と科学技術広報財団の2団体を経由していることが不透明とされたのに肝心の議論は報道されません。中抜き報道の弊害は大きいと思いますし、すべての国会議員が中抜き報道だけで判断せず、実際の作業を見る責任があると思います。

今回の仕分けは、政府の予算が半分で済む可能性に気づかせてくれます。事業量を洗い直して7割にし、その7割の事業の執行方法を見直して予算を7割にできたら予算総額は0.49で半分になるのです。

税で行う責任範囲と適切な執行方法を確認できれば、地域主権を礎に心豊かな未来が描けると思いませんか。国民の意思で未来は変えられる。仕分けから始まるものがある。「志湧け?!」ですね。

関連報道

国立大運営費に厳しい指摘 事業仕分け(2009年11月25日 朝日新聞)
仕分け、国立大運営費は見直し(2009年11月25日 共同通信)
事業仕分け:国立大交付金見直し(2009年11月25日 毎日新聞)
事業仕分け 国立大法人運営費交付金も「見直し」に(2009年11月25日 読売新聞)
国立大交付金は「見直し」-仕分け後半2日目(2009年11月25日 時事通信)
国立大へ厳しい目 仕分け人「経営努力が感じられない」(2009年11月26日 朝日新聞)


最後に、国立大学運営費交付金の事業仕分けに関し、国立大学の実態や課題を最もわかりやすく客観的にまとめていると感じた記事を全文転載します。前回の日記でご紹介した大手9大学の学長さん方も、一般の国民の皆様に理解いただくためには、このような分析と解説を行うべきと考えますがいかがでしょうか。

国立大運営費交付金、「位置付けの見直しを」-事業仕分け(2009年11月25日 ロハスメディカル)

「事業仕分け」を行う行政刷新会議のワーキンググループは25日、国立大が2004年度に法人化されて以降、毎年1%ずつ削減されている国からの「国立大学法人運営費交付金」について、位置付けなど在り方自体を見直すよう求める判定を出した。議論は文科省から国立大への出向職員や、大学経営と教育研究のバランスの問題などに集中。大学附属病院については、法人化以降の収入が全体で「1225億円の増」と数字が読まれた以外、議論はなかった。

国立大が法人化した2004年度以降、大学の運営費交付金は年に1%ずつ削減されており、多くの大学から経営難を訴える声が上がっている。法人化前に医学部を有した国立大の場合、病院建物の建造や医療機器の購入などの際に国から一部融資を受けている。各大学は大学病院で得た報酬から毎年返還しているため、病院収入が増えても経営状況の改善につながりにくい。医学部のある42国立大学が抱える国からの借入金総額は1兆35億1132万4000円(国立大学協会調べ)。このため、大学附属病院の運営が困難に陥っているとして、国立大学医学部長会議常置委員会(安田和則委員長)は交付金増額と借入金の解消を求めていた。

民主党はマニフェストで国立大学病院への運営費交付金の水準回帰をうたっている。文科省の来年度予算の概算要求では、国立大学法人運営費交付金に今年度予算を13億円上回る1兆1708億円を計上。医学部の教育環境整備や授業料免除枠の拡大、救急や周産期医療に関する診療部門への支援を行うとしていた。

事業仕分けWGの議論で財務省側は、運営費交付金が削減されている一方で、「大学事業費自体は増えている。教育経費・研究経費で見ると、平成16-20年度までで700億円余の増加。他の研究費補助金や外部資金の増加によって収入自体伸びている」と主張。加えて、余剰金が発生しているとして、「運営交付金は700億円減少しているが、余剰金が平成16-20年度合計で2000億円余、2300億円ぐらいと思うが発生しており、『目的積立金』として積み立てられて各大学の判断で使われている」と指摘。民間的な経営手法の導入や学生のニーズに合った教員配置など、大学運営の在り方を見直すべきと主張した。

議論では、他分野の「仕分け」でも目立つ「天下り問題」が最初に盛り上がり、医学部や附属病院については「(法人化以降の)附属病院の収入は1225億円の増」と数字が読まれたこと以外は俎上に乗らなかった。仕分け人が文科省から国立大への現役出向職員が198人いる事について、「大学ごとに独自性を生かしてやって下さいと言っているのに、出向はないのではないか」などと大声で指摘する姿が目立った。

このほか、法人化したこと自体がよかったのかという”そもそも論”に加え、経営効率の追求や競争的資金の獲得など法人としての経営的な側面について、また経営と教育研究機関としてのバランスをどう取るかといった問題、地方と都市部の国立大で抱える悩みが違う事なども議論された。ほかには科学技術研究分野への支援に偏っているとの指摘があり、基礎研究の質の低下などが疑問視された。

議論の結果としては、15人の仕分け人全員が「見直しを行う」との結論で一致した。内容(複数回答)としては、「経営改善の努力の継続を反映すべき」8人、「資金効率化・重点化の観点から人件費・物件費の見直し」7人、「社会のニーズ等を踏まえた組織、教員数の配置の見直し」6人、「民間人登用などガバナンスありかたの見直し」5人、「独法そのものの見直し」2人、「その他」」1人ずつ(法人化の是非の検証、算定方法の透明化、大学間格差の整備、予算要求削減縮減、配分基準明確化、予算要求の1割削減、現役出向の廃止)。

グループの結論は次のようにまとめられた。「大学教育研究については、国立大としてしっかりやっていただきたいことについては皆さん異論はない。いろんなそれに必要なお金は整備すべきということにも異論はない。ただ、現在の国立大の在り方は、そもそも独法化がよかったかどうかに始まり、交付金の使い方、特に研究開発以外の分野における民間手法導入した削減努力、交付金の配分の在り方、これを充実して、広範かつ抜本的に法人化以降の流れを大きく検証した上で、場合によっては大きく見直すことを含め、その中で交付金の在り方について、位置付けを見直して頂きたいという整理になる」

2009年11月24日火曜日

国立大学の命運やいかに

今日から、行政刷新会議による事業仕分けの後半戦が始まりました。今日は鳩山首相も視察に訪れたようで、益々熱気を帯びてくる事業仕分けです。

いよいよ明日には、「国立大学の運営費交付金」が舞台に上がります。「大学の先端的取り組み支援」、「大学等奨学金・高校奨学金」に関する事業仕分けも予定されています。

この国民監視下の事業仕分け、既にいろんな場所でいろんな意見が飛び交っていますが、最近では、科学技術予算の大幅削減に対する強い危機感の表れか、学長や学部長さんの集まり、学者さんの集まりによる抗議の連呼もますます盛んになってきています。

今日は、東京大学や京都大学など国立7校(旧帝国大学)と早稲田大学、慶応義塾大学の私立2校の総長・塾長さんが、東京都内で記者会見を開き、政府の行政刷新会議の「事業仕分け」によって学術・大学関連の予算が大幅に削減される恐れがあるとして、「大学の研究力と学術の未来を憂う」と題する共同声明を発表しました。

種を撒き育てる学術研究分野にメスが入る、一見無駄に見えても単純に成果だけを見て判断するのはどうか、経済界、ひいては町工場にも懸念が広がっています。

一方、将来のことよりも、まずは疲弊した国民生活を何よりも重視すべきだとの意見もあります。立場や生活環境で意見は随分変わってきます。なかなか難しい問題ですが、最終的には政治判断で決すべきことでしょう。

さて、本日の9大学の学長さん達の共同声明をご紹介したいと思います。これまでこの日記でも何度か申し上げてきたところですが、こういった声明は、大学に勤める人間にはよく理解できるものの、はっきり言って、自前主義といいますか、学者のご都合主義のような感じがしてなりません。したがって国民の耳には全く入らないと思います。

高額所得学者の目線でいくら偉そうなことを言ったって、グローバリズム(国際競争力)を主張したって、苦しい生活の中から税金を納めている国民にはほとんど無意味ですし、説得力はないと思います。国民生活には論文は不要なのです。なぜ学術研究は必要なのか、科学技術の進歩は国民の生活にどう関わるのか、どれほど重要なのかなど、国民目線に立ってもっとわかりやすく説明しなければ国民は納得できないと思うのです。

国立大学協会会員大学の皆様(抜粋)

御承知のとおり、政府の行政刷新会議における「事業仕分け」では、科学技術・学術関係予算事業、国立大学運営費交付金など、多くの大学関係予算事業が俎上に載せられております。

そのうち科学技術・学術関係予算事業に対しては、先般、大幅な削減方針が打ち出されました。これに対しては、すでに、日本学術会議、総合科学技術会議有識者、各種の学会など、大学関係者が各所で抗議の声を挙げ始めております。

以前より、これからの科学技術・学術研究の在り方について国立私立の枠を超えて懇談の機会を持とうというご提案があったところ、たまたまその集まり(国立7校、私立2校の9大学が集まりました)がちょうどこの大幅な削減方針が示された直後のタイミングとなったことから、上記のようにさまざまな抗議の動きが高まっている中で、とにかく、これらの大学だけでも早急に声明を出そうという話になりました。そこで、本日11月24日(火)に、添付ファイルのような共同声明「大学の研究力と学術の未来を憂う」を公表いたしましたので、ご報告申し上げます。

今週に行政刷新会議で審議される予定の運営費交付金などについても、同様の厳しい結論が出される可能性があることは決して杞憂ではなく、事業仕分けの動向を見定めながら国立大学協会としても迅速な意見表明などを行っていく必要があります。現在の政府方針の下では、利害関係者の団体である国立大学協会は、行政刷新会議に対する組織的な働きかけ等の自粛が求められており、その活動は制約されていますが、平成22年度予算編成について国立大学協会としての緊急アピールを行うことができるように、すでに理事会にて文案の検討を進めております。

最終的な予算決定まではなお曲折が予想されますが、国立大学としては今後、機を逸することなく、さまざまなレベルでの訴えを、繰り返し波状的に、政府や国民に対して行っていく必要があると考えております。例年とは大きく様相を異にした政治情勢の中で、定型的な団体の要望活動に止まらず、各学長の皆様にもそれぞれに、いろいろな形で各方面への積極的な働きかけをお願いすることになろうかと思います。また、その際は、従来にも増して、私立大学関係者等との連携協力も、取組の成果を挙げていく上で大切になるものと考えております。

大学の研究力と学術の未来を憂う(共同声明)-国力基盤衰退の轍を踏まないために-

学術は、国家としての尊厳の維持に欠くべからざるものであり、日本の国力基盤を支える科学技術の源泉です。とりわけ基礎研究の中心的担い手である大学の果たすべき役割や使命は益々重要となっています。世界的な教訓として、大学の発展が国富をもたらし、人類文明の高度化に寄与してきたこと、逆に大学の弱体化が国力基盤の劣化を招いた例は枚挙に暇がありません。

この観点から、諸外国では国家戦略として大学や基礎科学への公的投資を続伸させています。一方、日本では、大学への公的投資は削減されてきており、OECD諸国中、最低水準にあります。この上、さらに財政的支援の削減がなされるとすれば、科学技術立国の基盤の崩壊、学術文化の喪失に至ることを強く憂慮するものであります。

もとより、私たちは、国家財政の危機的な状況を理解しています。また、政策決定過程の透明性を高める試みの意義を否定するものでもありません。しかし、科学技術予算の大幅な削減の提案など、現下の論議は、学術や大学の在り方に関して、世界の潮流とまさに逆行する結論を拙速に導きつつあるのではないか、それによって更なる国家の危機を招くのではないかと憂慮せざるを得ません。大学は人づくりの現場であり、大学の土壌を枯らすことは次世代の若者の将来を危うくしかねません。このような情勢にあって、学術の中心であることを自らのミッションの要とする研究大学の長の有志9人の連名により、声明を発することとしました。

私たちは、科学技術立国によってこそ日本の未来が開けるものと信じています。激しい競争の中で、世界の知の頂点を目指すことを放擲するならば、日本の発展はありえません。幅広い国民からの声に耳を傾けつつ、大学界との密接な「対話」により、国の将来を誤らない政治的判断が下されると期待しています。政府関係者におかれましては、下記各事項の重要性をご理解いただき、国家百年、人類社会への日本の役割と責任を視野に入れ、学術政策の推進に当たられることを切に願うものであります。


1 公的投資の明確な目標設定と継続的な拡充

欧米や中国などの諸外国では、それぞれの国の未来をかけて、基礎研究に多額の投資を続けています。特にオバマ政権は、アメリカ史上最大規模の基礎研究投資の増加を決断しました。中国をはじめとするアジア諸国の積極的な国家戦略、学術面の台頭も看過できません。一方で、日本の投資規模は不十分であり、大学予算に至ってはOECD諸国中最低水準にあり、こうした事態が今後も続くようなことになれば、世界における日本の学術研究の地位の低下は必至と考えられます。そのような事態を回避し、学術の振興及びこれと不可分な大学の発展の振興に向け、公的投資を継続的に拡充していくことが必要です。政治のリーダーシップによって、明確な投資目標を掲げ、着実に実行することを期待します。

2 研究者の自由な発想を尊重した投資の強化

基礎研究に対する投資の中でも、あらゆる分野にわたって研究者の自由な発想に基づく研究を支援する科学研究費補助金の拡充を図ることは、学術振興の第一の基盤であり、これによって、研究の多様性と重厚性が確保され、イノベーションをもたらす科学技術の発展へとつながるものです。当面、概算要求どおりの規模を確保することを強く望みます。

3 大学の基盤的経費の充実と新たな枠組みづくり

基礎研究に対する投資については、科学研究費補助金等の競争的資金のみならず、大学に対する基盤的経費を含めて充実を図ることが必要です。国立大学に係る運営費交付金や施設整備費補助金、私学助成、さらには競争的資金における間接経費等を大幅に拡充し、大学における研究基盤を磐石なものとすることが不可欠です。基盤的経費を削減する旧来の政府方針の撤廃が必要です。

さらに、大学の機能別分化を促進するため、大学をシステム改革できる学長提案型の資金制度の創設が必要です。新たな枠組みづくりに当たっては、国家形成に重要な役割を担っている研究大学の活動基盤について、日本の学術政策上の位置付けに応じた適切な支援が検討されるべきです。

4 若手研究者への支援

学術振興に向けた公的投資に当たっては、次代の科学技術・学術を担う「人づくり」を併せて充実する必要があります。特別研究員事業など、若手研究者に対する支援、優秀な大学院生、特に多くの博士課程の学生に対する十分な給付型の支援の充実が望まれます。

また、優れた若手研究者が安心して研究を続けられるよう、大学間の連携で安定的な雇用を実現するための支援をお願いします。

5 政策決定過程における大学界との「対話」の重視

新たな政権の下、各年度の予算編成に止まらず、学術政策の基本政策がどのように審議・決定されていくかについて、私たちは十分な情報を持っていません。例えば、総合科学技術会議の見直し後、科学技術振興基本計画がどのように策定され、前述のような私たちの願いが反映されるのか、強い関心を持っています。政策決定過程において、大学界との「対話」の機会が十分に確保されることを希望します。


(関連記事)

事業仕分けに危惧と緊急提言 ”短期的成果主義”脱却を(2009年11月23日 共同通信)

行政刷新会議による事業仕分けで科学技術関連予算の凍結、削減が相次いだことに、全国の国立10大学の理学部長会議が23日、短期で成果が上がる研究や産業に直接結び付く研究を重視する「短期的成果主義」による拙速な判断を危惧するとの緊急提言を発表した。名を連ねたのは北海道、東北、筑波、東京、東京工業、名古屋、京都、大阪、広島、九州の10大学の理学部長。・・・

(関連)緊急提言 事業仕分けに際し、”短期的成果主義”から脱却した判断を望む-科学技術創造立国を真に実現するために-(国立大学法人10大学理学部長会議)

事業仕分けで予算削減警戒 9大学総長・塾長が共同声明(2009年11月24日 朝日新聞)

東京大や京都大など国立7校と早稲田大、慶応義塾大の私立2校の総長・塾長らが24日、東京都内で記者会見を開き、政府の行政刷新会議の「事業仕分け」によって学術・大学関連の予算が大幅に削減される恐れがあるとして、「大学の研究力と学術の未来を憂う」と題する共同声明を発表した。25日の仕分けでは国立大の運営費交付金などの予算が検討される。声明は、研究者の自由な発想を尊重した投資の強化▽政策決定過程における大学界との「対話」の重視――などを求めている。・・・

2009年11月23日月曜日

規範意識の低下

社会規範を守る意識の低下を指摘する記事を目にすることが多くなりました。社会・経済構造の変化とともに、凶悪犯罪は増え、犯罪者の低年齢化が進んでいます。街中ではマナーを守らない大人や若者を多く目にするようになりました。

理由も対策も様々あろうかと思います。親、地域、学校、職場、政府それぞれがそれぞれの立場で、時代に合ったあるべき姿を真剣に考えていかなければ最悪の結果を更新するだけの世の中になってしまいます。

最近では、大学で人間として基本的なマナーを教えなければならなくなってきています。社会の衰退に不安を覚えるのは私だけでしょうか。

最近の関連記事を抜粋して3つほど。




社説:犯罪白書 「規範意識」が低下した(2009年11月19日 毎日新聞)

安藤隆春警察庁長官は今月6日、日本記者クラブの講演で「日本の良好な治安を支えてきた国民の高い規範意識と、学校や地域などの共同体の存在感が共に低下しているのではないか」と懸念を示した。各地の少年補導員に聞いたとして長官が披露した話を一部紹介したい。

最近の非行少年は、万引きをしても「皆がやっているのに、何で悪いのか」という反応が返ってくる。家庭や学校に居場所がなく、親の年齢や職業、自分の住所さえ知らない。一方の親は「代金を払えば済むのに、なぜ警察に通報したんだ」と店に食ってかかる、というのだ。

いかにも寒々しい風景だ。若者が社会ルールを守る意識に乏しいのは親世代に責任があることを示す。この話の教訓として、防犯教育の必要性も指摘しておきたい。罪を犯せばペナルティーがある。例えば窃盗でも最高10年の懲役だ。また、被害に遭わないためにはどうするか。警察は学校と連携し一部で防犯教室を実施しているが、さらに積極的な展開が必要ではないか。


通勤車内で飲食する大人たち すたれる公共マナー 寛大な風潮が助長か(2009年11月17日 産経新聞)

近距離の電車やバスの中で、おにぎりや弁当、ハンバーガーなどを食べている若者やサラリーマンを見かけたことはありませんか。低下する大人の飲食マナー。個人の良識に委ねられる部分が大きいとはいえ、迷惑行為に目をつぶらない社会のコンセンサスが問われそうだ。

10月初旬、東京郊外を走る私鉄車内。大学名の入ったジャージー姿の女子大生3人が、熱々のおでんを食べながら談笑している。見かねた高齢の男性が「行儀が悪いな」と一喝。それでも女子大生たちは悪びれる様子もなく、食べ続けていた。

別の日の昼下がり。地下鉄車内では、携帯電話片手にコンビニ弁当をかき込むサラリーマンの姿があった。車内で立ったままおにぎりを食べるOL、揺れるバスの中でホットコーヒーを飲む男性会社員・・・。いずれもここ半年間で、電車やバスの車内で見かけた光景だ。20~30代の大人の飲食マナーが低下していることをうかがわせる。

迷惑行為を引き起こす背景に詳しい名古屋大大学院の吉田俊和教授(教育心理学)は「社会全体が迷惑行為に寛容であるため、当事者は『沈黙=黙認』と勘違いし、まねする人が増殖しているのではないか」と分析する。そのうえで、「幼少のころから公共の場での振る舞いを家庭でしっかりトレーニングする必要がある」と指摘している。


京大 授業で「社会常識」・・・新入生に来年度試行(2009年11月21日 読売新聞)

京都大は、学生の相次ぐ薬物事件などを受けて、新入生を対象に法令順守などを教える初年次教育を2010年度から実施する方針を固めた。これまで教員の間では「学生はもう大人。そこまでやる必要はない」との意見が多数派だったが、次第に危機感が広がったためで、交通マナーを教える講義も予定されている。自由の学風、自学自習の伝統で知られた京大の<方向転換>は、大学全入時代を迎えた大学の役割変化を象徴するものとして注目されそうだ。

法令順守については、薬物の危険性を科学的に解説するビデオを見せるほか、過去の学生による事件を例に人権の大切さなどを教える。スピードを出して歩道を走るなど、大学周辺で苦情の多い自転車のマナーについても教育する。さらに、自分の将来像をイメージさせるキャリア教育や、カルト集団、自殺願望への対処方法などのメンタルヘルス教育も行う。

西村周三副学長は「法令順守などは当然のことで、あえて大学で教えるかどうかは悩ましいところだが、入学直後は非常に重要な時期だと考え、実施に踏み切る」としている。

こうした動きは他の大学にも広がっており、立命館大では、2、3年生有志が、1年前期の基礎演習の授業時間に、大学生活の送り方などを指導。オリエンテーションでは薬物の危険性も教えている。大麻所持や振り込め詐欺事件に絡んで逮捕者が相次いだ関西大では、新入生らを対象に「スタディ・スキル科目」を実施。来年度からは、薬物の危険を教えるなど、法令順守やモラルの教育にも力を入れるという。

2009年11月18日水曜日

世界の子どもを思う

少し前になりますが、10月28日(水曜日)の朝日新聞に、国連児童基金(ユニセフ)親善大使の黒柳徹子さんのインタビュー記事「世界の子どもを思う」が載っていました。ほぼ一面にぎっしりと書かれた記事に絶句し、平和で飽食の生活に浸りきった私の人間としての小ささ、座して何もできない自分の無能さを痛感させられた記事でした。

この記事を是非多くの方にお伝えしたいと考え、ネットを通じて探しましたが残念ながら見当たりませんでしたので、主な部分について転載しご紹介したいと思います。

この四半世紀で、世界の子どもの置かれた状況は変わったのでしょうか。

25年前、5歳未満で死んでしまう子どもは、世界で年間1400万人いました。今は880万人です。世界中の人が悲惨な境遇にある子どものことを考えるようになった結果でうれしい。でも戦争や貧困がもたらす悲劇は続いています。

今年は、内戦が終結したネパールを訪れ、14歳で兵隊になった女の子に会いました。大人が銃を渡し、人を撃つと「偉い」と褒める。「怖い」と言うと麻薬を打って感覚をまひさせる。今は社会から、「人殺し」扱いです。

時代や場所やそのあらわれ方は変わっても、問題はなくならない。

そう。そして大人の世界の問題は全部子どもたちにしわ寄せが行っちゃう。

民族対立による内戦で大虐殺が起き、80万人が殺されたと言われるルワンダ。目の前で、お母さんがレイプされたり、兄や姉が働かせるためにどこかへ連れて行かれたり、そして自分も手足を切られたり。凄惨な状況です。子どもには内戦の理由などわからない。親が殺されたのは「言うことを聞かぬ悪い子だったから」と、自分を責めていました。

隣のコンゴ(当時はザイール)東部のゴマの難民キャンプに避難していた5歳ぐらいの子どもの話です。親が亡くなった理由を尋ねると「わからない」という。でも、後から追いかけてきて「本当は知っているよ。殺されたんだ」と言います。なぜ最初に答えなかったか聞いたら、「だってさっき通訳していた人が殺したんだもの」。20万人もいる難民キャンプに殺した側も殺された側もいて、自分の親を殺した人間にあってしまう。10年後の再訪では、いつもお漏らししている5歳の女の子に会いました。レイプされて膀胱が裂けてしまったのだそうです。地元にはエイズウイルス(HIV)に感染しても「処女と交われば治る」という迷信があり、そのためだと。

中米最貧国の一つハイチでは、女の子が40円ほどで売春をしていた。家族を養うため、明日食べるものがないという理由で。「エイズになっても、明日死ぬことはないでしょ」と言うんです。

悲惨な状況に置かれた子どもたちを訪ねて、やるせなさを感じませんか。

そんなことありません。途上国では、えんぴつやノート、何十円のワクチンで、学校に行ったり、予防接種を受けたりすることのできる子どもたちが、1人でも2人でも増やせる。少しずつできる範囲で、続けないとだめです。

どうして子どもたちのところに平和が来ないの、とは思います。でも親善大使にならなければ、ぼんやりと一人の芸能人で終わっていた。世界の子どもの9割が、戦乱や貧困の被害を受けている。このことを知らず死んでいたら情けなかった。現場の現実にはつらいこともありますが、やらせていただいてよかった。

支えになったことは何でしょう。

最初に訪問したタンザニアで、飢餓に苦しむ子どもたちに会いました。うなって、はっているだけの6歳の男の子がいた。栄養失調は食べ物がなくて死んでいく怖さと思っていましたが、子どもの時にちゃんとした栄養を与えられないと、脳に障害を起こして、しゃべることも歩くことも立つこともできなくなる。手を取って話しかけると、泥をつかんで私の手に入れてくれた。感情があるんだとわかりました。子どものすごさ、純粋さをわかっているつもりだったけど、そうではなかった。

大使になってまだ3年目に行ったインドでは、ワクチンの予防接種1本で死なずにすむ破傷風で、子どもが死んでいきます。電球の光を浴びるとぶるぶる震えてしまうんです。「がんばってね」と声をかけたら、10歳の少年に「あなたの幸せを祈っています」と言われました。大人が忘れてしまった、生きていく強さを、子どもは持ち続けていました。

コートジボワールではHIVに感染した子どもの孤児院に行きました。病気の進行を防ぐ薬はある。でも貧しいところには回ってこない。みんなわかってるんです。13歳の子が「心配しないでください。僕たちは絶望していませんから。希望をもっていますから」と話す。そして私の帰り際に言うんです。「こんな遠くまで、差別されている私たちのところに来て話を聞いてくれてありがとう」。どうしてそんなに人のことを思いやれるのか。めったに泣かないんですけど、その時は本当に涙が出ました。

日本に暮らす私たちと、9割の子どもたちをつなぐものは何でしょう。

難民キャンプで、「お母さん」って泣いている子どもに会ったことがないんです。ちっちゃいのに、泣いてもお母さんは来ないってわかっているんですね。それに泣くには栄養も必要なんです。内戦が続いたエチオピアで「大きくなったら何になりたい」と子どもに聞きました。そうすると「生きていたい」と。いつ死んでしまうかわからない難民キャンプでも、自殺する子は一人もいません。恵まれている日本では、子どもが自殺します。とても残念です。

私が子どもの時は戦争でした。64年前までの日本も、子どもの兵隊を作ってました。戦争が始まると、家族は一瞬にして崩壊した。父は出征し、弟は薬がないから亡くなり、母と青森に疎開して。平和や幸せがいかにもろいか。母は大豆を15粒、煎って袋に入れて私に持たせていた。それが1日のごはん。学校に行く前に3粒ぐらい食べて、水を飲んでおなかでふくらませた。防空壕の中で「死んじゃうかもしれないから食べちゃおうかな」とも思うけれど、帰って何もないと困るからと残し、家に戻って残りの5粒ぐらいを食べる。若い人も、映画やテレビを通じ、他人事でなく考えてほしい。

昨年のクリスマス、あるお母様から募金を頂きました。5歳の子どもに、クリスマスにほしいものを紙に書いて靴下に入れておきなさいと言ったそうです。そうしたら、「サンタさん、プレゼントはいらないからたべものをアフリカのこどもにあげてください」と書いたって。小さいときに人を思いやる気持ちを持つのはとてもいいことだと思うんです。一番大切なのは関心を持つことなんです。


いかがでしょうか。私と同様にこの記事に感銘された方々が、既にブログ等で感想を述べられています。少しだけですがご紹介します。

2009年11月16日月曜日

始まるか 行刷・財務 VS 文科

行政刷新会議の「事業仕分け」作業が日々勢いを増す中、本日(16日)文部科学省のホームページに次のような記事が掲載されました。

行政刷新会議事業仕分け対象事業についてご意見をお寄せください(文部科学省)

現在、政府の行政刷新会議は「事業仕分け」を行っており、文部科学省関係の事業についても以下の表のとおり対象となっております。

この事業仕分けを契機として、多くの国民の皆様の声を予算編成に生かしていく観点から、今回行政刷新会議の事業仕分けの対象となった事業について、広く国民の皆様からご意見を募集いたします。

予算編成にいたる12月15日までに下記のアドレスまでメールにてお送りください(様式自由、必ず「件名(タイトル)」に事業番号、事業名を記入してください。)。
http://www.mext.go.jp/a_menu/kaikei/sassin/1286925.htm


上記の文章に続き、各事業の詳細(番号、事業名、資料へのリンク先、事業仕分けの結果)が一覧化され、意見の提出先として、政治主導を意識してか「担当副大臣・政務官のメールアドレス」が記載されてあります。

文部科学省は、この意見募集の目的を、「事業仕分けを契機として、多くの国民の皆様の声を予算編成に活かしていく」ためとしていますが、真意のほどはよくわかりません。

少しうがった見方をすれば、今後の予算編成における行政刷新会議・財務省連合軍からの猛攻撃に備えた理論武装を国民に求めているのかもしれません。

いずれにしても、行政刷新会議が求める効率性一辺倒の政策決定が、この国の教育にとって果たしてどれだけの意味があるのかを直接国民に問うことはとても大事なことだと思います。

(関連記事)事業仕分けに反撃?文科省、HPで意見募集(2009年11月17日 朝日新聞)

2009年11月11日水曜日

08年度の国立大業務実績評価結果

文部科学省の国立大学法人評価委員会(野依良治委員長)は11月6日(金曜日)開催の総会で、国立大学等の全90法人に対する2008年度の業務実績評価をまとめ、公表しました。

この法人評価は、大きく、1)業務運営の改善・効率化、2)財務内容の改善、3)自己点検・評価及び情報提供、4)その他業務運営の4項目を「特筆すべき進捗状況にある」「順調に進んでいる」「おおむね順調に進んでいる」「やや遅れている」「重大な改善事項がある」の5段階で評価したもので、報道によれば、4項目とも「重大な改善事項がある」との評価の法人はなく、どの項目も92~99%の法人が「おおむね順調」以上だったようですが、福島大学など12法人が、いずれかの項目で「やや遅れている」とされています。

このうち、12法人(秋田大学、弘前大学、福島大学、政策研究大学院大学、上越教育大学、北陸先端科学技術大学院大学、山梨大学、信州大学、愛知教育大学、兵庫教育大学、奈良先端科学技術大学院大学、鳴門教育大学)が、大学院修士、博士、専門職学位のいずれかで定員充足率が90%を満たしておらず、定員充足に向けた取り組みが必要として改善を促されいています。中でも弘前大学、山梨大学の博士課程と信州大学の法科大学院は、2007年度も充足率が9割を切っていたのに定員を見直しておらず、評価委員会は速やかな定員削減を求めています。

また、業務運営関係では、7法人で学外の有識者も含めた経営協議会での適切な審議がなされておらず、このうち東京学芸大学は、決算に関する経営協議会が定足数を満たさず不成立、また、教職員の給与改定など経営協議会で審議すべき事項なのに報告で済ませた例が室蘭工業大学、福島大学、筑波技術大学、埼玉大学、信州大学、京都工芸繊維大学で見つかっています。


国立大学の第一期中期目標期間も今年度が最終年度です。その前年度の評価において「重大な改善事項」の指摘はなかったものの、国立大学法人法に定められた経営協議会において審議すべき事項を審議していないなどといった”法令遵守違反”がまかり通っていること自体由々しき問題です。大学のガバナンスが機能していないことを如実に表していると言えるでしょう。第二期に向けた検証と改善が求められます。

(参 考)

国立大学法人等の平成20年度に係る業務の実績に関する評価結果について(文部科学省)

国立大学法人評価委員会は、国立大学法人法に基づき、文部科学省に設置されており、国立大学法人等の各事業年度及び中期目標期間に係る業務実績に関する評価を行うこととしています。この度、11月6日に国立大学法人評価委員会総会が開催され、平成20年度の業務実績に関する評価結果がとりまとめられましたので、お知らせします。・・・
http://www.nicer.go.jp/lom/data/contents/bgj/2009110904037.pdf

(関連記事)

国立大大学院、12校が充足率9割切る 文科省評価委08年度調べ(2009年11月6日 共同通信)http://www.47news.jp/CN/200911/CN2009110601000651.html

国立大学:業務「不十分」計19法人 定員不足など--08年度評価(2009年11月7日 毎日新聞)http://mainichi.jp/life/edu/news/20091107ddm012010135000c.html

2009年11月10日火曜日

教育は人なり

去る11月4日(水曜日)、文部科学省は「公立学校教職員の人事行政の状況調査について」という報告書を公表しました。

主な内容は、1年間の試用期間後に正式採用とならなかった学校教員は平成20年度:315人で過去最多。そのうち88人(30%)は精神疾患による依願退職。また、教育委員会が、学習計画が立てられない、子供とコミュニケーションが取れない、間違いが多いなど「指導力不足」と認定した教員は306人(前年度比65人減)、そのうち40~50代のベテランが245人(80%)、全体で78人が研修後に現場復帰したが、50人が依願退職。といった驚くべき内容でした。

このような学校教員の実態は、近年、以下のように、不祥事で懲戒処分を受ける教員の存在と相まって、教員不信を高める要因にもなっており、深刻な問題となっています。


わいせつ、放火、覚せい剤・・・教職員懲戒免98人、4~10月 教委「危機的状況」(2009年11月5日 読売新聞)

酒気帯び運転や生徒へのわいせつ行為などで懲戒免職になった教職員が、今年4~10月の7か月で98人に上ることが4日、読売新聞のまとめでわかった。覚せい剤を乱用したなどとして逮捕される事案も相次ぎ、深刻な事態になっている。各教育委員会は「危機的な状況」と受け止めているが、有効な再発防止策を見つけられないのが現状だ。・・・
http://osaka.yomiuri.co.jp/edu_news/20091105kk02.htm


このたび文部科学省が公表した報告書の内容は、既に多くのメディアを通じて発信され、社説・論評はもとより、ブログ等個人レベルにおいても様々な受け止め方が社会に披露されていますが、まだ報告書に目を通しておられない方のために、簡単に要点をご紹介しておきましょう。

なお、詳細をお知りになりたい方は文部科学省のホームページをご覧ください。

公立学校教職員の人事行政の状況調査について(平成21年11月4日 文部科学省)

1 調査の目的

都道府県・指定都市教育委員会の教職員の人事管理に係る施策の企画・立案に資するため、公立学校(小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校)教職員の人事行政の状況について調査

2 調査結果(事項)
  1. 指導が不適切な教員*1の人事管理に関する取組等について
  2. 優秀教員表彰の取組について
  3. 公立学校教員の公募制・FA制等の取組について
  4. 公立学校における校長等の登用状況等について
  5. 民間人校長及び民間人副校長等の任用状況について
3 上記のうち、「指導が不適切な教員の人事管理に関する取組等」

学校教育の成否は、学校教育の直接の担い手である教員の資質能力に負うところが大きいことから、教員として適格な人材を確保することは重要な課題。このような中、児童生徒との適切な関係を築くことができないなど、指導が不適切な教員の存在は、児童生徒に大きな影響を与えるのみならず、保護者等の公立学校への信頼を大きく損なうもの。このため、教育委員会においては、指導が不適切な教員に対し継続的な指導・研修を行う体制を整えるとともに、必要に応じて免職するなどの分限制度を的確に運用することが必要。

本調査は、各教育委員会におけるこのような指導が不適切な教員に対する人事管理システムの適切な運用を促進するため、その取組状況について把握するとともに、併せて希望降任制度及び条件附採用制度の実施状況についてとりまとめたもの。なお、この調査は平成20年度の各教育委員会の人事管理システムによる指導が不適切な教員の状況等をまとめたものであるが、教育公務員特例法の改正により、平成20年度から指導が不適切な教員に対する指導改善研修の実施が任命権者に義務づけられたため、全ての教育委員会においてそれぞれの人事管理システムを同法にのっとった制度として整備・運用されているところ。文部科学省では、適正な運用を行うための参考となるよう、平成20年2月に指導が不適切な教員に対する人事管理システムのガイドラインを策定。

平成20年度における指導が不適切な教員の認定者は306名
  • 学校種:小学校(55%)、中学校(23%)、高等学校(16%)、特別支援学校(6%)
  • 性別:男性(73%)、女性(27%)
  • 年代:40代(44%)、50代(36%)、30代(15%)、20代(5%)
  • 在職年数:20年以上(60%)、10~20年未満(25%)、5年以下(9%)、6~10年未満(6%)
指導が不適切な教員の認定者数等の推移

12年度65人
13年度149人
14年度289人
15年度481人
16年度566人
17年度506人
18年度450人
19年度371人
20年度306人

認定者中の退職者数等の推移(依願退職、転任、分限免職、懲戒免職を含む。)

12年度22人
13年度38人
14年度59人
15年度96人
16年度112人
17年度111人
18年度115人
19年度92人
20年度50人

なんとも驚くべき実態です。

私は学校教員ではありませんので断言はできませんが、教員という仕事は本当に大変ですが、一つの物事をやり遂げる達成感や充実感を児童・生徒とともに感じることができる素晴らしい仕事であり、一生をかけるに足るやりがいのある仕事ではないかと思います。

そのため、教員には、「子どもたちと向き合い、コミュニケーションを取りながら関係を作り上げていく力」とともに、子どもたちの教育をめぐって、「同僚の教師、保護者、地域住民と共通の認識、理解を共有しながら連携、協力して仕事をする力」が求められています。

しかし、現実には、上記文部科学省の報告書に見られるような「指導力不足教員」が数多く存在することも事実です。また、それは、文部科学省の教員勤務実態調査によれば、教師の1日の残業は約2時間で、教科指導だけでなく雑多な校内業務に追われていること、さらには、いわゆる「モンスターペアレント」と呼ばれる保護者らへの対応など心身の負担が増えていることなど、教員を取り巻く厳しい職場環境にその一因があることも十分理解できるところです。

さりながら、この問題、学校現場にだけその責任を押しつけていいのかどうか、教壇に立つ力を与え、学校現場に教員の卵を供給する大学に責任は全くないと言い切れるのかどうか、よく検証しなければならないと思います。

大学にいると、時折、最近の教員養成の動向を聞く機会があります。中でも教育実習については、様々な苦労話や愚痴が聞こえてきます。挨拶ができない、身だしなみが悪い、茶髪、社会的なマナーが身についていないなど、教育実習に対する心構えの甘さが服装の乱れにつながっているという声もあります。教師としてどうかと言う以前に社会人としての自覚がなさすぎるといった声も聞こえてきます。また、元気・積極性がない、児童・生徒とのコミュニケーションがうまく取れない(コミュニケーション能力が足りない)、教育実習を辞退する学生が多いといった問題も増えてきているようです。

こういった状況から、学校現場における「指導力不足教員」の増加には、大学における教員養成の不十分さが大きく影響していることがわかります。大学は、「指導力不足教員」を生み出している教員養成機関としての責任を痛感しなければなりません。

教員を養成する大学は、現在の学校現場が抱えている生徒指導、学校経営、キャリア教育など学校現場と密着した現代的な問題に対して役立つ教員としての基礎的な資質、保護者や地域社会に対して柔軟に対応できる強い精神力、そして、教員としての志(魂)を持つ学生をしっかり育成することが必要です。

また、大学は、卒業していく学生の品質補償を担う責任があります。そのためには、自らの教育の中身が、学生や学校現場のニーズに沿ったものであるか不断に確認するとともに、講義をはじめとする教育の内容を教育委員会をはじめとする外部に公表することが重要になります。

最近、愛知教育大学が国立大学協会との共催で開催した教員養成シンポジウムの中で、前宮城教育大学長の横須賀薫・十文字学園女子大特任教授は「教師の力が衰えたのは、指導力を支える学芸の修得を怠ったためだ。子供の自ら学ぶ力は、自ら学ぶ教師によってしか生み出せない。教員養成と免許のあり方を根本から見直すべきだ」と強調されています。教員養成を使命とする大学・学部は十分自覚しなければならない指摘だろうと思います。



最後に、このたび文部科学省が公表した調査結果の中に「民間人校長及び民間人副校長等の任用状況について」という項目がありました。教員出身でない者を公立学校の校長に任用しているのは、43教育委員会96名、教員出身でない者を公立学校の副校長等に任用しているのは、15教育委員会45名(いずれも平成21年4月時点)という結果でした。

このことが、どのような効果をもたらしているか詳しくは私にはよくわかりませんが、ふと、以前あの「夜スペ」で一躍有名になった、前杉並区立和田中学校校長の藤原和博さんのことを思い出しました。リクルートという一流民間企業から公立中学校長へ転進。当時、東京都内の公立中学では初めての民間人出身の校長として公立校の教育改革に取り組まれてきた藤原さんの問題意識や教育に対する姿勢は、一部その手法において批判もありますが、多くの教師や教育関係者の共感を呼んだことは確かです。

藤原さんは、最近、NHKのテレビ番組「知る楽・仕事学のすすめ」に出演されました。その模様をネットで知ることができますのでご紹介します。

藤原和博「異なる力」をつなげる方法
藤原和博「会社はビジネススクール」
藤原和博「組織内個人」を目指せ
藤原和博「とにかく踏み出せ」


(関連記事)

採用されない新人教員、過去最多 3割は精神疾患(2009年11月4日 産経新聞)
教員の質向上策 研修効果を検証し改善進めよ(2009年11月5日 読売新聞)
指導力不足教員 もっと実態に踏み込め(2009年11月5日 毎日新聞)


*1:知識、技術、指導方法その他教員として求められる資質能力に課題があるため、日常的に児童等への指導を行わせることが適当ではない教諭等のうち、研修によって指導の改善が見込まれる者であって、直ちに分限処分等の対象とはならない者であり、認定された教員に対して、指導改善研修を受ける者の能力、適性等に応じた指導の改善を図るために必要な研修を実施することが義務付けられており(教育公務員特例法第25条の2第1項)、各教育委員会において研修内容や研修場所等を定めることになる。なお、指導改善研修の期間は1年を超えてはならないこととなっているが、特に必要があると認めるときには、指導改善研修を開始した日から引き続き2年を越えない範囲内で、これを延長することができることとなっている(教育公務員特例法第25条の2第2項)。

2009年11月3日火曜日

今、国会論戦がおもしろい

昨日(11月2日)、衆議院予算委員会を舞台に、鳩山内閣発足後初めての本格的な論戦の火ぶたが切られました。

国民が政権交代を選択し約1か月半、高い国民の支持率を基盤に、鳩山内閣は精力的に様々な政治課題に取り組んでいます。

これまで野党として国会に臨んできた民主党が支える政権は、これからは野党の追及に対応することになります。どのような答弁を展開していくのか大変興味があり、テレビ中継を録画して見てみました。

論戦の内容は、既に新聞等で詳細にわたり報道されていますので、今回は、鳩山総理や閣僚の皆さんの答弁ぶりを中心に目で見て感じたことをご紹介したいと思います。

まず、会議場である委員会室の風景としてこれまでと変わった点。
  1. 必要に応じ答弁を行っていた政府委員と呼ばれる役人や、答弁内容担当の役人の姿が消えた代わりに、各省庁の副大臣、政務官の席が議場側面に設けられ、各氏とも真剣な面持ちで質疑応答を聴きメモをとっていました。中には求められ答弁を行った政務官もいました。”政治主導”の実践でしょうか。

  2. 民主党委員席の後ろの壁際には、おそらく1年生議員だと思われますが、大勢の議員が肩を寄せ合って窮屈そうに列席(一部立ち見)していました。委員会現場での”実習”だったのでしょうか。であれば新人としての積極的な姿勢が評価されます。
次に、鳩山総理をはじめとする閣僚の答弁について。
  1. 政治主導と豪語しているだけあって、誰一人として、役人が作成した答弁メモを持たず、自分の言葉でわかりやすく答えていました。当然ながら以前のように役人が”耳打ち”する姿もありません。話しぶりも、野党(自民党)議員の挑発にも乗らず、常に冷静かつ謙虚でした。

  2. 質問に対して、複数の大臣が発言を求めて挙手を行うなど、国民への説明を積極的に果たそうという姿勢が見受けられました。

このように、鳩山内閣の国会対応は、これまでの自民党政権下における対応とは全く様変わりし、その真摯な姿勢にテレビをご覧になった多くの国民の皆様は、民主党に対する更なる希望と期待を感じたのではないかと思います。今後は、質問者も含め、”政治家の質”がためされます。それを評価するのは私達国民です。

それにしても、前自民党政権が残した、借金問題、沖縄問題、年金問題など多くの課題の解決に向け、今や、民主党政権が必死になって取り組んでいるという矛盾した現実や、そのことを下野した自民党が平然と説教がましく批判しているという構図は、民主党自身やるせない思いでしょうし、国民から見ても同様に感じます。

願わくば、政権経験者としての自民党は、国会の場で、もっと国民目線の超党的議論ができないものかと思うのですが、いかがでしょうか。


(関連記事)

鳩山由紀夫の「ゆう&あい」 新しい国づくり(2009年11月2日 鳩山内閣メールマガジン第4号)

新しい政権の新しい国会がスタートしました。
10月26日に始まった第173臨時国会は、政権交代をしてから初めての国会です。冒頭の所信表明演説、それに続く各党からの代表質問への答弁は、私たち政治家自身が考え、できるだけわかりやすい言葉で、国民のみなさまに向けたメッセージでありお答えとなるよう、努めてまいりました。
私自身はもちろんですが、各大臣も、いかに国民のみなさまに伝わる答弁となるかを考える中で、国民のみなさま方の思いとひとつになるということが大事であると思ってきたからです。
前政権がそうであったように、有能な官僚たちに作ってもらった原稿を読むだけなら、誰が首相でも大臣でも、本会議をこなすことは可能です。私も、外交日程が続いていた中で、新しい政権が発足して初めての、一番大事な所信表明演説を練り上げることは、正直、体力的にきついと感じることもありました。
しかし、そこで思い浮かべたのは、私たちに期待をし、これからの日本の将来への望みを託して一票を投じてくださった国民のみなさま方の姿です。
私がこの政権で何をしたいのか、どんな国づくりをしたいのか、なんとしてでもその決意を、自分の言葉で述べなければならないと思ったのです。各大臣も同じ思いでいてくれたものと思っています。そして、私たちの内閣が、そのような国会運営を行っていくことが、政治主導の一つでもあると思っています。
さて、その「国づくり」-私が目指す国は、一人ひとりの能力を生かしながら、人と人とが支え合う、「自立と共生」の友愛社会です。それは、政治と国民、官と民間、国と地方、それぞれの関係にも当てはまります。一人ひとりの、個々の企業の、またそれぞれの地域の力が十分に発揮されるために、それを阻む法律や規制、悪しき慣習は改めていかなければなりません。
敗戦の荒廃の中で力を失った国民や地域が、まずは「国主導」で再建にあたったことは、その時代には当然のことであったと思います。しかし、それから60年以上が経ち、日本も大きく変わりました。「誰かがやってくれるだろう」という他人依存から脱し、一人ひとりが何をできるのかを考え、国民のみなさま方にも大いに力を発揮していただきたいのです。
そのために、私が大事にしたいのは「弱い立場の人々、少数の人々の視点を尊重する」という友愛政治の原点です。本当に助けが必要な人やところには、社会がきちんと手を差し伸べる。政治の役割は、その枠組み作りをすることだと思っています。
私たちの新しい政権による国会は、すべてがチャレンジです。しかし、私たちが常に国民のみなさまの方を向き、国民のみなさまのための国会を行い、「政治が変わったな」「何か日本も変わりそうだ」と実感していただけるよう、全閣僚、全議員をあげ、精一杯努力してまいります。国民のみなさまにも、大いに政治に参加をしていただき、そして新しい「私たちの日本」を、共に作っていこうではありませんか。


「最初はかなり緊張」=衆院予算委で鳩山首相(2009年11月2日 時事通信)

鳩山由紀夫首相は2日夕、就任後初めて臨んだ衆院予算委員会での論戦について「最初のうちはかなり緊張した。しかし、(国民には)国会が少しずつ変わってきていると理解いただけたのではないか」と振り返り、「これからもっと慣れてくれば、さらに活発な論戦ができるのではないか」と語った。首相官邸で記者団の質問に答えた。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009110200890&m=rss


質問取りでもさや当て ねじれ国会の意趣返し?(2009年11月2日 産経新聞)

2日の衆院予算委員会で、自民党は事前の「質問通告」を拒否した。与党時代に民主党に苦しめられた意趣返しのようだが、政府側は官房副長官まで質問内容を事前に教えてもらう「質問取り」に奔走。低レベルの「政治主導」が繰り広げられた。・・・
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091102/plc0911022353016-n1.htm


衆院予算委、攻守逆転で自民「ネチネチトリオ」炸裂(2009年11月2日 産経新聞)

鳩山由紀夫内閣発足後初の衆院予算委員会が2日、開かれ、本格的な国会論戦が始まった。野党・自民党は大島理森幹事長、町村信孝元官房長官、加藤紘一元幹事長と重鎮3人が次々に質問に立ち、現政権の経済・外交政策などを執拗(しつよう)に追及した。首相は「守りの答弁」に徹したが、攻守が逆転した国会審議の厳しさを痛感したのか、硬い表情を最後まで崩さなかった。・・・
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091103/plc0911030001000-n1.htm


社説:衆院予算委 異彩を放った加藤質問(2009年11月3日 毎日新聞)

鳩山政権発足後、初の衆院予算委員会が2日始まった。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題など喫緊の課題が論戦の中心となる中で、異彩を放ったのは「この国は何を目指すのか」をテーマにした加藤紘一・元自民党幹事長の質問だった。鳩山政権への追及が甘いとの指摘は当然出るだろうが、政治家同士が理念を語り合うという試みは評価したい。・・・
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/archive/news/20091103ddm005070096000c.html

2009年11月2日月曜日

教員の基礎資格の高学歴化

今、政権交代に伴う、いくつかの大きな教育政策の転換が大きく取り沙汰されています。

そのうち、教員養成に関わる政策課題としては、「免許状更新講習制度の廃止」問題、さらには、「教員養成6年制の導入」問題があります。

先日、我が国の教員養成系大学・学部が加盟する日本教育大学協会が、この二つの政策課題について各会員校へ意見聴取を行い、その結果、会員校からは主に次のような意見が出されたようです。抜粋・編集しご紹介します。

「免許状更新講習制度」の廃止について

賛成意見
  • 10年研修等など教員研修システムの中での検討課題が残されており、廃止に異議はない。
  • 「最新の知識技能を身に付ける」という点で意味のないことではないが、日々の実践と学んだ知識技能を結びつけるのは、個々の教員まかせとなりその効果は限定的。
  • 教員免許状の発行権者でも任命権者でもない大学に、免許状の失効にかかわる権限・責任が任されていること、不適格教員の排除も目的とされているところがあること、受講料負担を含め、個人の責任とされていること、など問題が多い。
  • 将来的なことを考えるとできるだけ早く廃止すべき。今後の教員養成制度を構築するなかで、免許状更新講習制度は大幅に変更せざるを得ない。
  • 実施する大学の負担が非常に大きいし、受講生、学校、教育委員会の負担の重さもあり、中止することもやむを得ない。
  • 「更新制」と「更新講習制度」は分けて考えるべき。30時間の座学中心の講習制度は、現場のニーズに合致しているか疑問。別の形の研修制度と組み合わせるのが現実的ではないか。
  • 各都道府県により講習内容がまちまちであり、教員の質保証の妥当性が充分あるとは言い難い。
  • 10年経験者研修との関連性が明確でないし、免許状更新講習制度は知識のリニューアルが目的であり、問題教師の排除を目的とするものではないことが理解されていない。
  • 教員研修は県教育センター中心に実施され、県も市町村も学校もそれぞれの企画が特色をもって行われていることが多く、現行の研修制度に屋上屋を架す制度の感が否めない。免許状更新講習は教育委員会の各種研修に吸収するのが妥当。
  • 受講者(教員)は、実践現場の対応に追われ全体に時間的なゆとりがなくなり、子どもと向き合う時間不足から焦燥感を抱いている。免許状更新講習のため学校を空けることで、かえって学校現場が忙しくなり、従来の学校単位の実践的な研修が弱くなっている。学校がもつ基本的業務を見据えて、学校本来の機能回復を念頭に制度設計をやり直すことが必要。
  • 学校内の教員同士の模擬授業などの実践的な研修が、その学校の児童生徒の学力向上に資することは、全国学力状況調査で明らか。教師の専門性の向上にとっては、それぞれの学校現場に密着した研修システムを構築し、こうした学校現場の取り組みを大学が支援することが「教員の資質能力の保持」に必要ではないか。
  • 小・中・高及び特別支援を含む全ての校種の教員に対して同じ講習でよいのか、10年に1回、30時間の講習で「更新」の意味があるか問題が多い。

反対意見
  • 教員という職業は高度に専門的な職業であり、常に継続的な研修・研究が必要。免許状更新講習制度は大学を中心とした外部機関が研究的視点から行うところに意義がある。
  • 大学側の負担が大きいにもかかわらず取り組んだのは真の教員研修研究の体制づくりにつなげられる可能性をもつと理解・納得したから。発足して1年で廃止することは政策的観点から理解できない。
  • 始めたばかりの制度を評価や分析、総括しないまま廃止することは反対。効果を判定した上で廃止するどうかを決めるべき。

「教員養成6年制」の導入について

賛成意見
  • 6年制を実現する場合、単純に期間を延長して6年間で教員免許を与えるのではなく、4年卒業後教員として10年程度経験した者に、5~6年の期間中に大学院で修士の学位を取得させ免許状を更新する制度が望ましい。
  • 修士の学位を取得した者にその後15年程度の教職を約束し、その後何らかの研修を経て終身雇用あるいは管理職への登用する制度を検討すべき。
  • 6年一貫教育の意義は、平成9年の教育職員養成審議会答申「新たな時代に向けた教員養成」でも指摘されている。
  • 教員養成大学・学部は、学部課程の教育システムの改善と大学院へ連続するカリキコラムのグランドデザインを策定する責任がある。
  • 高度な教員養成をめざして県・市とも連携し「実践性」「総合性」「地域性」の理念をもとに、学部と大学院をつなげたカリキュラムに実現を図ることが必要。
  • 教育に関する優れた実践力・指導力を有する教員の養成は欧米並みの最低5年以上の高等教育による教員養成が望ましい。
  • 教職大学院の教育課程で示されている指導力の養成に加えて、本来の教科に関する知識の蓄積と授業力の強化も不可欠であり、教職大学院と教育学研究科修士課程とを融合させた教員養成を進める必要。
  • 教員養成の高度化・専門職化の観点からは4年制の教育で不十分であることは明白。
  • 開放制における教員免許取得を今後も維持するならば、一般学部から教員になる方法として、教職大学院の在り方を早急に検討すべき。
  • 教科専門の在り方を抜本的に見直すことも必要で、学部間・大学間の連携を大胆に推し進めることもあわせて検討すべき。
  • 教科の力が不足していることに対する危惧からは6年制への移行に賛成だが、教員を目指す学生を対象とする奨学制度の整備が不可欠。
  • 学部4年+修土2年の連続したカリキュラムの策定、ニーズを調査した上で学部に6年一貫コースを設けてはどうか。
反対意見
  • 将来的には6年制に移行すべきと考えるが、現在の体制のまま安易に移行することは反対。
  • 教員養成の真のカリキュラムを開発し、それを日本のスタンダードなものとして、それの試行の結果、6年制への移行がどうしても必要であるとの結論を得られた特に移行すべき。
  • このまま6年制に移行するならば、緒についたばかりの教職大学院制度への問題も生じる。
  • 具体的な制度設計が示されない段階では、十分な検討は困難。必要なことは教員に求められている資質能力の水準についての到達目標を明らかにすること。そのうえで、学部4年の制度で済むのか、6年制が必要なのか問われるべき。
  • 理念的、理想的には是とするが、その具体的制度設計については多くの課題があり、十分な現状分析を踏まえた検討が必要。
  • 免許制度との関連で、どのような制度設計がなされるのが不透明。
  • 6年制になることにより、教員養成学部に進学を希望する受験生の確保が問題となり、薬学部の修業年限問題の鉄を踏まないことが肝要。
  • 6年制よりも4年制を基本として、新任教員の研修の在り方を見直すことが先決。
  • 現在の教員養成が開放制と免許主義に基づいてい行われている以上、それを制度改革として教員養成6年制を導入するのは困難。
  • 現在の修士課程を足せばいいという議論ならば暴論であり、6年間かけて何を教育するのか議論が必要。免許更新講習の廃止の議論は容易いが、教員養成6年制問題は安易に考えることはよくない、時間をかけて議論しそれを国民に知らせることが大切。

その他の意見

  • 現在、教育批判(国民総教育評論家)に一般論に流されず、国として幼児からの教育はどうあるべきか、これとの関連で国は高等教育(教員養成教育)にどうかかわる(責任をもつ)べきかについて、本質的な議論をなすべきで、現状の対症療法的・対策論的な議論だけではないものを組織すべきである。
  • 教員養成大学(単科大学)や総合大学の中での教育学部は、免許状の関係から開設授業科目が多いため、教員や設備への財政措置が十分でなく大学運営が危機的状況である。
  • 教員養成大学の人件費比率は7~8割であるが、これは法人化前からの構造であり、その中で人件費の抑制及び効率化係数による運営費交付金の削減は、大学存立の危機に関わる極めて大きな問題である。
  • 法人化後、財政面で大学運営に競争的原理が持ち込まれたことにより、大学間格差がさらに拡大し特に教員養成系大学は早晩経営が成り立たなくなる。
今後の教員養成制度、教員免許制度に関する政府の正式な政策方針は未だ示されていません。関係者はマスコミ報道に翻弄されることなく、冷静な判断のもと、迅速で的確な検討を進めることが求められています。

2009年10月30日金曜日

教授会の責任と権限

教授会で各教員への予算配分を巡り、自分に配られる研究費が少ないと少数の教員が反発、収集がつかなくなり、なんと”投票”を行って決着をつけた大学があるそうです。わずかな研究費の多寡に固執し、多くの教員の貴重な時間と労力を費やすおろかなこのような行為が常態化している国立大学の醜態を、教員の雇用主である(血税を注いでいる)国民の皆さんは、どうお感じになるでしょうか。

当然ながら怒り心頭といったところでしょう。感情的に申し上げれば、このような常識やモラルに欠けた教員は即刻首にしてしまえ! 民間企業であれば許されないことだ、こんな教員を野放しにしている国立大学も潰してしまえ! ということになるのでしょうか。

国立大学では、教員の給与・退職金などの人件費や研究費は、運営費交付金という税金によって賄われています。そのことを全く認識していない教員は、まるで自分の既得権のように研究費の拡大を大学に対して要求してきます。これは、税金の負担増を国民に求めているようなものです。とても最高学府に勤め学生を教え導く立場の人間のやることではないように思われます。情けない限りです。

聞くところによれば、これは文系学部で起こったできごとのようですが、一般的に考えれば、文系では、高額な実験設備を使って新たな知見を生み出すような研究をしている理系と違って、例えば、フィールドワークや書籍による調査研究が中心であり、旅費、学生のアルバイト代、書籍代程度の割と少額な研究費で1年間を過ごしていけるような研究が多く、教授会という場で目くじらを立て騒ぎ立てるほどお金に困るような研究はほとんどないと思います。(確かにお金はいくらあっても困らないわけですが・・・)

それにしても、わずかな予算の分配について、わざわざ”投票”までやるとは・・・。社会から隔絶した”村社会”ならではの光景です。思えば、予算の配分に限らず、教授会というところは昔から些末なことに貴重な時間と労力を費やし、不毛な議論を長時間にわたって続けてきたようです。その教授会の構成員たる教員には高額な人件費が支払われており、これは、学生の教育やそれを支える研究のために国民が汗水流して働き納めた税金なのです。


以前、「パーキンソンの凡俗の法則」というものをご紹介しました。
http://d.hatena.ne.jp/asitano1po/20090915#p1

ここで指摘されていること-根本的で重大な組織の問題、「何をやるか」「どうやってやるか」という戦略や方針、多くの人に影響を与えるような決断などは、権限のある人や管轄部署にお任せして責任を放棄し、一方で、どちらでも良いようなこと、分かりやすいことに対しては急に生き生きして口を出す人が増える-は、まさに、教授会や各種委員会の内情そのもののような気がします。
さて、社団法人関西経済同友会が、今年7月に「社会が求める大学の人材輩出戦略-まずは学部教授会の改革から」というタイトルの提言を行っています。この中で、「何故大学は情勢変化に適応できないのか?」ということについて、「権限はあるが責任は問われない教授会が、学長や理事長による大学の組織運営を阻害している。学生は学部の壁に囲まれ、自由な学習の機会を得られずにいる。」という指摘とともに、その主な理由を次のように述べています。”図星”といったところでしょうか。

1 リーダーシップの不在と大学運営の稚拙さ

大学が情勢変化に適応するためには、学長・理事長の強いリーダーシップが不可欠である。しかしながら次のような要因により、それが発揮されていない。
1)学長は通常、理事会の任命ではなく、学内選挙で選出される。このため、産業界や社会のニーズに治った改革を推進する意欲をもった人が選ばれることは稀である。仮に、そのような人が選ばれても、在任中に学内の教職員にとって痛みを伴う改革を進めれば再選は難しくなる。従って、社会のニーズに沿って連続的に改革が進む情勢にはない。
2)学長は教育・研究者から選ばれるため、大学の管理運営の専門性や経験をもった人は少ない。また、学長を支える大学職員の専門性は、必ずしも高いとは言えない。さらに、多くの私学では学長と理事長とは別のポストになっているため、学長は教育に、理事長は経営に責任を持つというように、教育と経営が一体化していない。

2 最大の阻害要因は教授会自治

学校教育法は、「教授会は重要な事項を審議する」ことを定めている。しかし、教授会は教員の人事権、カリキュラムや科目の編成権、学生の成績や身分などを決める大きな権限を有するが、大学全体の経営や運営に関する責任を問われないため、自ら所属する学部の利益のみを優先する傾向が強い。このため、教授会自治の名のもとで、本来あるべき学長や理事長による適正な大学全体の経営や運営を阻害する最大の要因となっている。

教養教育は学士課程教育の重要な一角を担う教育であるにも関わらず、専門教育を担当する教員の関心は薄く、その教育体制は学外講師(非常勤講師等)に依存する傾向が強い。教育上の責任体制も不明確なままである。また、教員人事は各学部教授会の専決事項となっており、大学全体で調整がおこなわれていない結果、同じ分野の教員を複数の学部で抱えるという、人的資源の無駄が発生するケースも多い。その結果、産業界からのニーズが高いにも関わらず、教養教育は専門教育と比して、相対的に軽視される傾向にある。

3 高い学部の壁

多くの大学では、「学部間の壁」が高く、学生が自由に他学部の科目を履修したり、単位が授与されたりする仕組みになっていない。このため、所属する学部の専門を超えて、様々な分野から課題を多角的に捉え、学生間で議論し、問題を発見解決する学び方のニーズが高まっている。また、学生が多様化していることから、学生自らの興味・関心に則した主体的な学びの場を保証する必要がある。

4 未発達の認証評価システムと情報開示の不十分さ

文部科学省による高等教育政策が、護送船団方式」から規制緩和による自己責任に転換されたことを受けて、第三者認証評価機関による定期的認証評価の義務化などが導入されたが、その内容は十分に定着したとは言い難い。その理由のひとつとして、各大学が明確な目的・目標を定め、その達成に向けて、予め検証可能な指標を定めていないことが挙げられる。また大学の教育を社会の変化に応じられるものとするためには、何よりも、社会の直接的な評価を加えることが重要であり、まずは大学からの積極的な情報開示が重要となるが、大学側の姿勢は必ずしも前向きではない。

5 研究中心の大学運営からの脱却

日本の大学は、歴史的に研究重視の東京大学をヒエラルキーの頂点として構成されてきたことから、研究を担う「教員中心」の大学運営がなされ、新設の大学もこれを真似てきた。しかし、大学進学率が50%を超えてユニバーサル段階に入った現在、大学は教育を中心とした「学生中心」の大学づくりに大きく舵を切っていくことが重要である。特に、「ゆとり教育」世代の大学入学にともない、学力と学習意欲の両方が低下した学生が数多く大学に入学してくる状況の中では、全ての大学が教育を重視した大学運営に転換することが求められている。しかし、教育実践の改善に組織的に取り組む姿勢が、教員個人にも大学側にも十分に育っていないため、問題認識は共有しつつも、改善に向けた取り組みは進をでいるとは言い難い。

さらに、上記のような問題の解決に必要な条件として、次のような”提言”を行っています。

提言1 教育中心の大学に! 「大学は教育機関としての使命を全うすべき」

産業界が大学卒業者に求めているのは、高度な専門学力だけでなく、「社会力」*1である。そのため大学は、教育機関としての使命を自覚し、その遂行に全力を尽くす必要がある。その際、学士課程教育に占める教養教育の重要性を認識し、その教育上の責任体制を明確にするべきである。また、研究か教育かの選択ではなく、研究も教育の一環であるという原点に立ち返り、優れた研究実践が優れた教育実践を生み出す仕組みをつくるべきである。

提言2 大学はミッションを明確に ! 「各大学・学部は、それぞれの個性にあった特色ある教育を行うべき」

グローバル化、高度技術化した現代社会では、時代の変化に柔軟に対応し、社会や企業を改善する人材が求められている。にもかかわらず大学のミッションには、依然変化に対応する柔軟性や特色が見えない。各大学・学部・大学院は、それぞれのミッションを明確化し、その実現に向けた教育プログラムを体系化して、特色ある人材を育成し、ニーズに応じて企業が人材を選択できる機会を提供すべきである。

提言3 まずは学部教授会の見直しから! 「リーダーシップと責任の所在を明確にした組織に改革すべき」

上記の実現に向けて、大学は自らの統治能力を高め、急ぎ組織改革に取り組むべきである。そのためには、学部自治の見直しが最優先課題になる。「権限は有するが大学経営や運営への責任は問われない」学部教授会の存在が、本来あるべき学長のリーダーシップの最大の阻害要因になっている。また、学部の壁を取り払い、学生が自由に学部間を往来し、他学部の科目の履修や単位取得ができるような、学生ファーストの視点に立った経営を行うべきである。

提言4 情報開示の徹底を! 「大学は改革の達成状況を広く社会に開示し、その評価を通じて改革を促進すべき」

すでに企業では情報開示を徹底し、行政でも情報開示を進めている。大学だけが特別な存在ではありえない。各大学は学部ごとにミッションの達成状況を数年に一度、社会に発表し、在校生や父母、OB・OGに加え、その学部出身者が就職している企業等の関係者による評価を受け、その結果を公表するシステムを導入する必要がある。


偏った考え方かもしれませんが、大学には、日本国憲法第23条「学問の自由は、これを保障する」によって保障された学問の自由の精神に由来する(教育研究に関する大学の自主性を尊重する)制度又は慣行である「大学の自治」があり、その本来の意味、あるべき姿が歪曲して解釈され、「学問の自由」がいつのまにか「教員の自由」となり、それを保障する法律(教育公務員特例法)を錦の御旗にして、「教授会」を核とした悪しき大学運営が長きにわたり続けられてきたような気がします。

これまでの歴史や伝統にピリオドを打つことはなかなか容易ではありませんが、教員自身の良識に我が国の将来はかかっているといっても過言ではないでしょう。「教授会の責任と権限」を国民の前にさらけ出し、透明性が確保された中での真摯な行動がいま求められています。


(参考)日本国憲法第23条に関する最高裁判所判例

大学における学問の自由を保障するために、伝統的に大学の自治が認められている。この自治は、とくに大学の教授その他の研究者の人事に関して認められ、大学の学長、教授その他の研究者が大学の自主的判断に基づいて選任される。また、大学の施設と学生の管理についてもある程度で認められ、これらについてある程度で大学に自主的な秩序維持機能が認められている。

このように、大学の学問の自由と自治は、大学が学術の中心として深く真理を探求し、専門の学芸を教授研究することを本質とすることに基づくから、直接には教授その他の研究者の研究、その結果の発表、研究結果の教授の自由とこれらを保障するための自治とを意味すると解される。」(昭和38.5.22最高裁判所判決(東京大学ポポロ事件判決)


*1:普遍的な教養や倫理観、他者と連携・協調できるコミュニケーション能力、またチャレンジ精神やリーダーシップ力、学習を継続する力など、社会において必要とされる資質や能力

2009年10月29日木曜日

国立大入試と新型インフル対策

既に報道されていることですが、国立大学協会は、去る26日に開催した総会において、新型インフルエンザに感染して平成22年度の国立大学2次試験を受けられない受験生のために、本試験の概ね1週間後に追試験を実施することや、大学入試センター試験を参考にした合否判定を行うことなどを内容とした特例措置を各大学が講じることを決めました。

また、大学入試センター試験の追試験実施期日の変更に伴う2次試験実施日程の変更、新型インフルエンザの流行による影響やリスク等に関する情報の収集・分析や各大学が参考となる指針の検討・作成を行うワーキンググループの設置も合わせて決めたようです。

国立大学協会から各大学に通知された内容をご紹介します。


平成22年度国立大学一般入試に係る特例措置について


1 基本的方向性

新型インフルエンザの流行が想定されることに鑑み、社会的な要請を踏まえ、公平性に留意しつつ、各大学の実情に応じて、志願者の受験機会の確保に向けた準備を行う。

新型インフルエンザの感染が社会的規模で受験生に影響を及ぼす事態が発生し、従来の季節性インフルエンザの流行と異なって通常の入試実施体制では受験機会の確保が困難と認められる場合には、原則として各国立大学は、平成22年度入学者選抜に関しての特例措置を迅速かつ的確に講じるものとする。

2 個別学力検査等について

(1)前期・後期日程試験(本試験)

原則として所定の期日により実施するものとする。

(2)追試験等

受験機会を確保する観点から、各大学は、平成22年度に限った特例措置として、追試験の実施や大学入試センター試験を参考とした合否判定などの諸方策を実施する可能性を想定し、必要な準備を遺漏なく行う。

追試験を実施する場合の実施方法・手続きなどに関しては、下記を参照し、各大学の実情に応じて適切に行うものとする。その際、予め予備問題を作成するなど適切な代替の選抜方法により対応するものとする。

ただし、二重合格が起こらないようにすることを前提として、当該大学の責任において、独自の方法により追試験その他の諸方策を実施することを妨げない。

なお、各大学における特例措置への対応については、所定の期日までに入試委員会に報告するものとする。

1)追試験対象者及び認定方法

平成22年度に係る特例措置のため、新型インフルエンザ罹患者及び罹患の疑いのある者を対象とすることを基本とする。ただし、各大学が特に認める者を追試験対象者に加えたり、合理的な方法により追試験受験者の絞り込みを行ったりすることを妨げない。

認定方法は、本試験の1週間前から本試験当日までの間に追試験受験申請書及び診断書を提出させるなど、平成22年度大学入試センター試験における認定方法を参考に各大学において定めるものとする。なお、申請時に診断書等の提出がなかった者の取扱いについて、予め定めておくことが望ましい。

2)追試験実施期日

本試験の概ね1週間後に実施するものとする。

3)合格発表

前期日程と後期日程それぞれの本試験と追試験あわせて合格者の決定・発表を行うものとする。なお、所定の合格発表日を変更する場合は次のとおりとする。

前期日程:後期日程試験に影響を及ぼさない3月10日(水)までに発表することが望ましい。
後期日程:3月24日(水)までに行う。

4)追試験実施日程等の通知

志願者へ受験票を送付する際、実施日程等について通知するものとする。

3 その他

(1)強毒性の新型インフルエンザ発生等により、大学入試センター試験や個別学力検査等を4月以降に実施せざるを得ないなど、入学者選抜実施日程が大きく変更される場合等については、文部科学省を含め関係機関において別途協議するものとする。

(2)新型インフルエンザの流行を想定し、入試の特例措置の実施に関する各大学の最終判断の参考となる指針・目安等について検討するワーキンググループを理事会の下に設置する。ワーキンググループ及び事務局は、関係機関との連携を図りつつ、関連情報の収集・分析を行うとともに、会員大学・受験生等への適切な情報提供に努める。


(関連)平成22年度大学入学者選抜に係る新型インフルエンザ対応方針(平成21年10月7日 文部科学省)

2009年10月24日土曜日

行刷会議が始動、国立大もねらわれた

内閣府に設置された「行政刷新会議」がいよいよ本格的な仕事に着手しました。当面の大きな課題は、各省庁から寄せられた来年度の概算要求の絞り込みです。

行政刷新会議は、「国民的な観点から、国の予算、制度、その他国の行政全般の在り方を刷新するとともに、国、地方公共団体及び民間の役割の在り方の見直しを行う」(平成21年9月18日閣議決定)ことを目的に、民主党政権発足に合わせ設置された機関です。

今後、我が国の行政全般にわたる無駄遣いを洗い出し、それを国民の前にさらけだし、税金を「生き金」として使うという本来あるべき姿を徹底して追求していっていただきたいと思います。

なお、この行政刷新会議において示された「事業見直しの視点」の中には、「国立大学法人向け支出についても聖域なく見直しを行う」と書かれてあり、会議の今後の動向は十分注視していかなければなりません。

国立大学は、純粋な行政機関ではなく、教育や研究といった特性に十分配慮した見直しが必要になります。しかし、国民の税金が運営資源として投入されている以上、少なくとも大学の運営の仕方や人件費・一般管理費などの行政的経費については、行政刷新会議を通じた国民のチェックが求められるのは当然のことです。

また、いわゆる「天下り」「渡り」に該当するかどうかは別として、文部科学省所管の独立行政法人や公益法人同様に、事実上文部科学省が人事権を発動し、ほとんどの大学に配置され高い報酬を得ている役員の在り方についても、この際十分に検証する必要があるのではないかと思います。


参考までに、去る10月22日(木曜日)に開催された、行政刷新会議(第1回)で配付された資料のうち、国立大学法人に関係する部分についてご紹介します。


事業見直しの視点(案)

4 独立行政法人・国立大学法人、公益法人向け支出の見直し

独立行政法人・国立大学法人、公益法人向け支出については、上記1(事業等の全部又は一部の廃止を含めた見直しを行うもの)、2(事業の単価設定や実施方法を見直すなど事業等の効率化を図るもの)、3(特別会計)の視点に加え、国家公務員再就職者数に関する情報開示を踏まえつつ、以下の視点に基づき聖域なく見直しを行う。

▼事務・事業と組織形態の見直し等

  • 独立行政法人等で国民にとって真に不可欠とは言えないもの 
  • 独立行政法人等で民間企業でも実施できる事務・事業にも関わらず業務を独占しているもの 
  • 不要不急な基金等を有しているもの 
  • 地方公共団体、民間企業、教育機関、他の独法等が類似の事業を行っているもの 

▼財政支出の見直し

  • 事務・事業の重点化が徹底されていないもの 
  • 自主財源の確保や既存財源の活用が十分でないもの 
  • 職員数のスリム化や運営費などの支出の節約等、運営の効率化が進んでいないもの 
  • 国の既存の組織で行える財政支出を独立行政法人、公益法人が行っているもの 
  • 小規模な独立行政法人等で規模の経済が発揮されていないもの 
  • 独立行政法人、公益法人からの財政支出のうち随意契約や関連公益法人との契約が多いもの 
  • 公益法人との随意契約とする合理的な理由がないもの 
  • 独立行政法人が実施している個別の事業についての評価が行われていないか公表されていないもの 

(関連報道)特別会計、公益法人などにメス・・・刷新会議方針(2009年10月23日 読売新聞)

政府の行政刷新会議(議長・鳩山首相)は22日に開いた初会合で、2010年度予算の概算要求を「事業仕分け」の手法で見直す基準となる「事業見直しの視点」を決めた。95兆円超に膨れ上がった予算のうち、独立行政法人や公益法人向けの支出のほか、「無駄遣いの温床」との批判が強い特別会計や、随意契約のあり方を重点的に見直す。また、公益性の乏しい事業の廃止など、4原則を定めた。国家公務員の天下り先になっているとの批判が多い独立行政法人と国立大学法人、公益法人に対する支出は「聖域なく見直しを行う」と明記した。具体的には、民間企業でもできる事業を独立行政法人などが独占している場合や、当面使う予定のない資産を保有している場合は、その法人に対する支出を再検討する。また、法人の経営状態も審査し、自主財源の確保や運営の効率化が遅れている場合にも、支出の削減を検討する。09年度当初予算で、特別会計の総額は169兆円。また、独立行政法人と公益法人向け予算は、一般会計と特別会計あわせて3兆9775億円。国立大学法人には運営費交付金1兆1670億円などが支出されている。・・・

2009年10月23日金曜日

就学支援と大学経営

ちょっと前になりますが、経済協力開発機構(OECD)が行った教育調査の結果である「図表でみる教育」(2009年版)が公表されました。国際比較が可能な指標が掲載されてあり、教育の成果、教育への支出と人的資源、在学状況、教育環境などに関する情報が指標化されています。

結果は、「相変わらず我が国の教育に対する公財政支出は最低レベル」ということであり、中でも、我が国の高等教育への公財政支出がOECD加盟国中最下位であることは、これまでもよく引用されているところです。

我が国では、「教育の成果は個人に帰着する」という論理から、これまで教育費は、基本的には個人が負担すべきもの、つまり家計支出により賄うべきものという考え方が定着してきました。

しかし、最近の経済状況がもたらした所得格差、引いては教育格差が拡大している状況を反映してか、マスコミをはじめ政府部内においても、教育に対する公財政支出増加に向けた声が次第に大きくなりつつあります。

そもそも教育に対する公財政出の増加は、教育を担当する文部科学省が以前から機会あるごとに主張してきたことでしたが、経済至上原理を死守しようとする財務省を論破することができずに今日に至っています。

折しもこのたびの衆議院総選挙を通じて、政治家の皆さん方は、異口同音に国民の耳障りのいい教育の充実、票にならならないと言われてきた教育への財政出動を叫び立てることとなり、政権交代を果たした民主党は、その政権公約の中で、

  • 先進国中、著しく低い我が国の教育への公財政支出(GDP比3.4%)を、先進国の平均的水準以上を目標(同5.0%以上)として引き上げる(教育予算の充実)
  • 高等学校は希望者全入とし、公立高校の授業料は無料化、私立高校などの通学者にも授業料を補助(年12万~24万円程度)する(教育の無償化)
  • 学生・生徒に対する奨学金制度を大幅に改め、希望する人なら誰でもいつでも利用できるようにし、学費のみならず最低限の生活費も貸与する。親の支援を受けなくても、いったん社会人となった人でも、意欲があれば学ぶことができる仕組みをつくる(奨学金制度改革)
などについて主張しています。

政権公約として掲げた教育関連政策を民主党政権がどのように実現していくのか、そのために必要な財源をどのような手法で調達するのか、教育関係者をはじめ多くの国民の期待は大きいのではないかと思います。

さて、家計に占める教育費の負担を軽減することは、なにも政府だけの問題でも責任でもありません。この国の未来を託す若者を責任を持って育成し、しっかりとした人間として社会に送り出す使命を有するあらゆる教育機関においても、その公共的立場から、教育費の負担軽減、特に就学・進学困難な子どもや学生を救う手だてを考え実行する義務があります。

高等教育機関である大学には、そのための制度として、ほとんどの大学に授業料や入学料の「免除制度」が、また、文部科学省の外郭団体である日本学生支援機構(旧日本育英会)には「奨学金制度」が用意されています。これらの制度は、これまで高い能力を持つ多くの学生が、経済的理由による就学・進学を断念するという悲惨な状況を回避し、社会で遺憾なくその能力を発揮できるチャンスを提供するという重要な役割を果たしてきました。

また、最近では、資金的に裕福な大学の中には、余裕資金を活用した「大学独自の奨学金制度」を導入したり、銀行の教育ローンを借りる学生に対して、在学中の利子相当分を大学が負担するといった「利子補給型の奨学制度」を整備する大学も増えつつあります。

しかし、奨学金制度は、多くの場合貸与型であり、給付型の奨学金と違い返済義務を伴うため、敬遠される傾向があります。また、利子補給制度は、貸与する学生を銀行ないしは保証会社が決定する仕組みになっているため、学生の保護者に返済能力があることが求められ、真に家計が苦しい場合(返済が危ぶまれるような困窮者の場合)には、お金を貸してもらえないというデメリットがあります。

一方、「免除制度」は、一定の基準に基づくものの、基本的には大学の判断によって運用できるため、能力はあっても経済的に就学を断念せざるを得ない学生を救うには極めて効果的な制度です。

しかしながら、免除制度の拡充については、これまで国立大学は、一部の大学を除き総じて消極的な姿勢で臨んできたような気がします。法人化後、免除率の拡大は各法人の裁量とされてはいるものの、文部科学省から配分される運営交付金の算定ルールでは、国の時代の免除率が採用されており、その率を超えた免除率の拡大による収入減というリスクを乗り越えるだけの勇気と戦略がなかったからなのかもしれません。

最近の雇用状況の悪化など危機的な経済状況の重大さをようやく感じた文部科学省は、このたびの平成22年度概算要求において、運営費交付金算定上の免除率の拡大を盛り込みました。歓迎すべきことであり、是非とも実現してほしいと思います。


学生への支援にかかわっての大きな問題は、各大学の経営者の意識です。特に学生支援担当の理事、そして学長。奇をてらったようなことしか考えない、限られた期間の支援、しかもわずかな支援規模(額)しか生み出せないような器量、学生に目線を置いた社会に恥ずかしくない政策を打ち出せないような経営者ではどうしようもありません。

入学料にせよ、授業料にせよ、免除は、大学にとっては確かに収入減。しかしそれによって学生の就学を誘引し、学生確保を促進することが可能になります。支援を受けた学生は、卒業後、大学の強力な応援団になる可能性も広がるのです。

残念ながら、一部の大学の中では、毎年度、決して経営努力の結果ではなく、たまたま生じた多額の剰余金を翌年度に繰り越し積み立てた資金は、相変わらず無駄な「ハコもの」「コンクリート」に消え、それが次期学長選挙への実績と化し、学生のニーズに適切に対応した政策に重点化した使い方をしようなどという発想はなかなか出てきません。進言しても耳を貸さない経営者も多いと聞きます。学生ではなく、世間体に目線を置いた中途半端な方法しか生み出せない経営者、これこそ実は、大学にとっては大きなリスクなのではないでしょうか。

こういった経営者は、普段から小さなお金をどう使うかということだけをやってきているために、小さなお金を大きくして生きたお金として使うということを知らないし考えようともしません。また、当面使う目的のない多額の寄付金がありながら、底溜まりした預金は、家計の貯蓄と同様の発想で定期預金にするか、安全安心な国債をたんまり買い込んで、わずかな利ざやを楽しみにしているという始末です。

免除による収入減を避けたいのならば、余剰金や寄付金の底溜まりをなぜ有効に活用しようとしないのか、学生のための基金を作り、独自の奨学金制度をなぜ作ろうとしないのか、理解に苦しみます。

世は全入時代。学生あっての大学であるはずです。顧客は学生です。顧客満足度を第一に考え経営していかなければならないのに、自分達の懐具合だけを気にしているようでは、法人化の趣旨はいつまでも実現できないでしょう。

2009年10月21日水曜日

政権交代と大学

民主党政権が誕生したことに伴い、これまで自公政権によって作られ維持されてきたいくつかの教育制度が大きく変わろうとしています。

高等教育に関しては、今年4月に始まったばかりの教員免許更新制の廃止や、教員免許を与えている養成課程を4年制から大学院を含めた6年制に改めるなどです。学校現場や大学の戸惑いは隠せませんが、いずれにせよ、複眼的思考で慎重に検討していただきたいと思います。

さて、このたびの政権交代と大学との関わりについては、既に様々な立場の有識者が発言をされているところですが、今回は、山本眞一さん(広島大学高等教育研究開発センター長)が書かれた論考を抜粋してご紹介します。

政権交代と大学-総選挙の結果を受けて

優先課題にしたい高等教育

民主党のマニフェストを見れば分かるように、社会・経済の各般にわたり、これまでの政策を改め新しい方向を目指そうという動きは明らかである。「官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政治家主導の政治へ」、「各省の縦割りの省益から、官邸主導の国益へ」などこれまでの官僚主導の政策立案を見直す姿勢が明らかであり、これと既存の政策そのものの再評価が相まって、これまで「族議員」を楯として、ある意味では思いのままに政策を取り仕切ってきた各省庁の官僚諸君は、大いに慌てていることであろう。

もっとも大学にとって望ましい変化の方向、例えば国立大学の運営費交付金の水準回復や奨学金制度の充実などは、財源の問題さえ解決できるならば大歓迎である。ただし、言うは易しく行うは難しであって、結局はどの分野のどの政策に高い優先度がつけられるかということではないだろうか。私は、年金・医療、公共事業、高速道路料金、農業・産業政策、外交など、人々の大きな関心を引く諸問題の陰に隠れて、高等教育問題の優先度がどの程度考慮されるものか、若干の危惧を抱いている。いずれにせよ、大学は目下、国際水準からみて少ない公費負担の中で、不十分なインフラにもかかわらず過度の競争を強いられてきていることは間違いなく、高度な学術研究や多様な人材養成など社会の期待に応えることができるための基盤作りに、新政権が関心を持ってくれることを祈っている。

政治・政策は与件ではなく

今回の選挙結果を通じて大学が学ぶべきことは非常に大きいと思う。それは大学関係者を含む教育界の人間がこれまで前提としてきた政治の枠組みの根底さえも、人々の投票行動いかんによって変えられるということが現実になったということである。つまりわれわれ大学関係者にとって、政治や政策は与件ではなく、われわれもその決定過程に積極的に参画することによって変えていくことができるかもしれないということである。これは投票権を持つ個人のレベルの問題だけではない。大学や大学団体も、大学をより良いものにするには、与えられた土俵の枠内での競争に明け暮れるだけではなく、より根本的な解を求めて積極的に動くことも重要だということを理解すべきであり、このことはそれぞれの大学の経営戦略や高等教育政策のあり方にも一石を投ずるものであろう。今後はさまざまな新たなチャンネルを通して、われわれは大学の存在意義や社会的役割を政策決定者に伝え、また自らの改革努力を世論に訴えていかなければならない。

21世紀型市民を養成する

大学にとってより重要なことは、人材養成機能を通じて、政・官・学・民など社会の各般に、等しく優秀な人材を送り込むことだと私は思う。それぞれのセクターが対等な立場で切磋琢磨することが、わが国の社会を活性化させ、政治・政策をより健全なものにする。それには、それぞれのセクターが志の高い優秀な人材を確保しなければならない。人材養成に関して、昨年12月に出た中教審学士課程答申は重要な指摘を行っている。それは「国境を越えた多様で複雑な課題に直面する現代社会にあって、大学として、自立した21世紀型市民を幅広く育成することは、個人の幸福と社会全体の発展それぞれの観点で極めて重要であり、公共的使命と言える。」(第1章第1節)としていることである。この「自立した人材」こそ、これからの大学でしっかりと養成すべきものであり、いくら大学教育が大衆化したといっても、そこで養成される人材が「物言わぬ大衆」でよいはずはない。(出典:文部科学教育通信 No228 2009.9.28)