2009年3月10日火曜日

経営人材の発掘と育成

大学経営改革の方向性について書かれた論考「大学法人の組織的特徴(構造的陥穽)と改革の方向」(日本総研主席研究員 三宅光頼氏)のうち、今回はシリーズの第4回目(最終回)として、「なぜ大学組織では、経営人材の発掘と育成が進まないのか」に視点を当ててみたいと思います。

(第1回目)大学の存在意義と自治
(第2回目)戦略とイノベーション
(第3回目)マネジメントのオープン化


1 組織の「宿命的構造」

なぜ学校法人組織では、経営側の人材の発掘と育成が進まないのでしょうか。

理由は明確です。大学は自分自身を開発する手段を有効に持ち得ない宿命的な構造になっているからです。その「宿命的構造」とは、外形的には過度のフラット化構造と細分化構造、そしてトリレンマ構造(教員・職員・会議体)の3つの構造にあり、内容的にはフロー不問、機会不問、リポート(コミュニケーション)不問の3つの機能の不問状態にあります。

機能不問というのは、機能不全ということではなく、そもそも一般的な組織だったら持っていると思われる機能を全く必要とせず存在(存続)し得るという意味です。フラット化構造として、学長(総長・理事長など)の下に法人本部・学部が極めて並列的に特徴なく羅列された組織が多く見受けられます。

細分化構造とは、それぞれの並列組織が研究棟の教職員室としてパーテーション化されて配置されています。これはあらゆる階層のあらゆる組織に及び、ワンフロアー化されています。

そして3つめがトリレンマ構造です。多くの教員は教育サービスの高度化を図ることに専念義務を負っており、その範囲での決定権限は絶大です。しかも大半は自己完結で内部交流がありません。むしろ、外部と開かれていることのほうが多いかもしれません。

一方、職員は事務の処理と合理化の機能を有しておりますが、授業情報も就職情報も教務情報も研究開発情報も、基本は「受注もしくは外注」であり、内製されるものはほとんど皆無です。したがって、ここから企画提言される機会もほぼ皆無となります。

会議体(理事会/教授会など)は、重要な意思決定機関ですが、個々人の教員や職員のポストの独立性がそのまま会議内でも距離感をもって温存され、一体感を伴わない意思決定がなされます。かつての一部上場企業の取締役会そのものの様相です。実態は、それ以上かもしれません。取締役会の求心力は「利害と責任」ですが、多くの高等教育機関の理事会の求心力は「無関心」であり、受忍限度を超えた火の粉がかからない限り、粛々と決定されるからです。

2 なぜ、大学法人は次世代人材を発掘・育成できないか

まず、誤解を防ぐ必要がありますが、大学に次世代人材や経営者人材がいないわけではありません。むしろ学歴的、素材的に見た場合他の業種業界より候補者は山ほどいるといえるでしょう。重要なのは素材の優秀さだけではなく、経験値と心構えです。

また、ここで求められる人材像(次世代人材)の定義を、次期経営者(理事長・学長等)、高度専門研究者(たとえばノーベル賞候補クラス)、高度人材開発の人材開発担当者(世界的著名人の同窓が多いなど)の3つに絞ったとき、そのいずれも機能が未熟であると言わざるを得ません。

まず、経験値からいうと、民間企業と大学が決定的に異なるのは人事ローテーションの頻度とレベルです。多くの大学の人事ローテーションは、大きく3つに分かれます。

第一は、教育職に見られるパターンで、大学間をより有利な条件で異動転籍するパターンです。具体的には、講師から助教授、助教授から教授、教授から学長といったパターンです。もちろん、地方から都心、無名校から有名校、低偏差値校から高偏差値校、科研費の額などのインセンティブも重要な条件です。この場合の欠点は人事記録が分断され、教育暦、研究暦、事務暦が非連続となり、属人情報が非連続となることです。研究暦は多くは自己管理されますから粉飾・底上げされ、実績にいたっては捏造される可能性も排除できません。教育暦にいたっては、一まず評価すら実施されないことが多いため、評価実績にいたっては教育に関してはレピュテーション(名声)のみを頼りにすることになります。ただし、その名声ですら、エビデンスは不詳とならざるを得ません。

第二は、事務職に見られるパターンで、構内各課(教務課・就職課・学生課・会計課など)を運がよければ2つ程度経験できる範囲です。しかもこの異動基準は、退職者補充もしくは玉突き人事が大半であり、キャリア開発のためのローテーションはもちろん、次世代人材の帝王学的異動は皆無です。

第三の人事はあまり多くはないかもしれません。それは複数の法人内の組織間(すなわち大学・短大小中高等の間で)の経営層の異動です。

自己責任と管理PL(損益計算書)を自前で持つ法人は別ですが、多くは、理事会や評議会の下にすべての組織が組み込まれることが多いため、異動はもとより組織間で自己完結し限定的となります。そこでは担当者の単純な補充としての異動はあっても、経営層の責任変更による異動は少なくなります。その理由は単純です。学校法人の教員も事務員も人数が限られ、どんなマンモス大学でも、せいぜい100名程度で運営可能です。民間企業で100名といえば中小中堅企業であり、人事制度すら必要としないことが多い規模です。しかも、多拠点化することはほとんど無く同じ敷地内に混住します。複雑になりようのない組織なのです。そうした組織の長は体験を積み重ねているといった人材育成の方法論が効果的に機能しにくくなります。そうであれば最初から経営者として理事会や評議会に理事、評議委員といして参画し情報共有したほうが効果的といえるでしょう。組織構造そのものが、次世代人材の発掘と育成といったミッション形成意欲に乏しくなる構造を持っています。

ミッション経営意欲が乏しくなる点が「心構え」の点で人材の発掘と育成を阻害する第二の要因と直接つながるものです。多くの高等教育機関は、その歴史に「建学の理念」を持っています。建学の理念はミッジョン(存在意義)そのものであり、その進化と実践に次世代人材は行動を傾注することになります。勢い、行動は修正的となり過去の集積と継続的反復的となります。ミッションの苔層化となり、時代環境への適合や新たな概念の導入といったものへの感度と感性が低くな'るのはやむを得ません。