2009年6月16日火曜日

健全な労組活動を

6年前まで、国立大学の職員は国家公務員だったこともあって、私はこれまで労働組合又はこれに類似する団体に加入したことがなく、したがって組合活動なるものを経験したことがありません。これは幸せなことなのか不幸せなことかよくわかりませんが、組合員になって大学職員のために健全な組合活動というものをしてみたかったと思うことはあります。なぜならば、私のこれまでの経験から申し上げれば、大学における組合活動は決して大学の構成員のためになっているようには思えないからです。

組合員を経験したことのない私が組合活動について軽々に申し上げることは適切ではないのかもしれませんが、大学の組合員の方々、あるいは組合は、正直申し上げて、現在大学に突きつけられている厳しい現実を自分のこととして受け止めているようには見えませんし、経営改革や教育改革など大学の発展に資するような取り組みをしているようには思えません。逆に何かにつけ足かせになるような行動しかしていないように思えます。

法人化後、国から絶大なる権限を付与された学長や役員のリーダーシップがなかなか発揮できない理由の一つとして、遠い昔から非難され続けている「学部の自治」というものがあります。未だに、教授会の威信を維持・拡大しようとする勢力が大学の中にはいます。その多くは現在組合活動を行っている方々もしくは過去にそのような立場にあった方々ではないかと思います。

経営トップの考えや行動に対して、民主主義とか合意形成というの美名の下に、事あるごとにクレームをつける、あるいは、意志決定プロセスにちょっとした齟齬(屋上屋を重ねる会議での審議の順番が変わった程度のもの)があったものなら、鬼の首をとったかのように執拗な非難を繰り返す、60年代の学生運動を思わせるような激高した論調で書かれたビラをメール等を通じてまき散らす、最悪の場合は、学長や役員を全く根拠のない思い込みによって中傷し辞任に追い込む運動を展開する、などなど恐ろしいことをライフワークのようにしている組合員もしくはそのOBの方々がいることを時折耳にします。また、以下のような記事の当事者になっている方々もいます。


「教員の政治活動禁止」徹底を要求 自民の日教組議連が文科省に(2009年6月16日 産経新聞)

自民党有志議員による「日教組問題究明議員連盟」(会長・森山真弓元文相)は16日、教職員に選挙運動の禁止を徹底させる通知の内容を次期衆院選ではこれまでより厳しくするよう文部科学省に求めた。会合に出席した文科省側は「検討する」とのみ回答した。議連は内容が不十分な場合は、独自案を作成する方針だ。文科省は、国政選挙や統一地方選が行われるたびに、教職員の政治活動は禁止されているとする通知を各都道府県と政令市に出している。ただ議連側が「政府案に反対するデモ行進に教員が参加した場合、人事院規則違反ではないのか」と質問すると文科省側が明確にこたえられず、「現状の通知は(抜け穴が多い)ザルで意味がない」とのとの批判が相次いだ。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090616/stt0906162019015-n1.htm


このようなことをする暇と体力が有り余っているのであれば、教育・研究、そして大学経営という教職員としての本分に少しでも力を注いでいただきたい、例えば、科学研究費補助金の申請書の一本でも書いていただきたいと思います、そのほうがいろんな意味で大学にとってはありがたいことなのではないかと思います。

あまり迂闊なことを書いて、おしかりを受けてもいけません。私は、組合員の方々は同じ大学の構成員ですし、現実を斜に構えて見るのではなく真正面から素直に受け止めていただき、「組合益」ではなく、一緒になって「大学益」を追求していただきたい、ポジティブで紳士的な活動に心がけ、愛する大学の発展に力を注いでいただきたいと心から願っています。

先日、文部科学教育通信に掲載された、梨戸茂史さんの記事を久々にご紹介したいと思います。こういった皮肉を受けることが無くなることを祈るばかりです。


・・・おかしな話

「週刊ダイヤモンド」に櫻井よしこ氏のコラム「オピニオン縦横無尽」なるページがある。この3月7日号のタイトルは「『早寝・早起き・朝ご飯」教育は憲法違反なのか?」である。陰山英男先生らが教育現場からの体験から、賢く健康な子どもを育てるための親や教師の心がけとして「早寝・早起き・朝ご飯」を提唱。この実践は夜更かしせず早めに寝て十分な睡眠をとり早起きししっかり食事。

こうして充実した国語、算数教育を受けた子どもたちの素晴らしい成果は多くの報道で伝えられている。これに対して日本教職員組合系の教育総研ではこれは”憲法違反”だとしているそうだ。ここの運営委員のI氏の主張(2007年12月20日付のコラム)が引用してある。いわく「近代立憲主義における政治体制においては(中略)価値における多様性が大前提である」そしてこの論理から「『早寝・早起き・朝ご飯』は、人の生活の仕方、生き方という、憲法の下でけっしてその価値の優劣を示してはいけないごとがらに踏み込もうとする違憲のスローガンである」となる。おまけに「少なくとも、夜更かしや朝食を食べないことが公共の福祉に反しないことは確かである」と続く。実にびっくりしましたね。櫻井氏だって「・・・食事も取らずに登校し、朝礼で貧血を起こしてばったり倒れる子どもは今、珍しくない。『公共の福祉に反しない』などという前に、子どもの心身の健康を考えるのが、教師の責務であろう」と述べる。常識ではないか。その後に大分県教組の建国記念日の話も載っているが割愛する。日教組を批判して大臣のイスを蹴った方がいたが、こういう話を聞いたら納得してしまった。

一方、世の中不況と言われ小泉構造改革への批判が巻き起こっている。そんなときこの思想的推進者で市場原理主義を提唱していた学者が懺悔の書を出版。3月半ばで13万部という経済書にしてはベストセラーだそうだ。間違ったのだからお詫びというのは一応筋の通った話ではあるが釈然としない。「経済情勢が変わるくらいで、立場を簡単に変えるべきではない」とか「彼らの政策で首をつった人もいるかもしれない。倫理的・道義的責任を自覚しているのか」という厳しい批判もある。おかげで”国立”大学は”法人化”し、弱小大学は経営の危機にあるのだ。

世の中は大型補正で景気対策に走っている。少し前にも書いたが後世のためになる予算支出というのが大事。フランス文学者の鹿島茂先生の面白いアイデア(2009年2月7日、日経新聞コラム)を紹介したい。「授業料一切無料の国公立学校(高校・大学・大学院)を設立」するというもの。グランド・ゼコール並みの給付金制度をつくり、衣食住にも心配することなくひたすら勉強に集中できるような教育機関をつくるという。かつての日本は今のアメリカ並みの格差社会だったが、当時は師範学校と陸軍幼年学校があり極貧の家庭に生まれ旧制中学に進めなくてもどちらかで勉強ができた。師範学校を出た講談社の野間清治や作家の菊池寛、幼年学校は詩人の三好達治の例があるそうだ。

そして「こうした授業料一切免除・衣食住の心配皆無の国公立学校が日本のどこかに存立しているということは、親の事情で格差社会のドン底に落とされた子どもたちに無限の夢を与える」と言う。前向きの明るい提言だ。しかし組合の方々はまた反対されるのでしょうかね。師範学校や幼年学校の例だから。(文部科学教育通信 No219 2009.5.11)