2009年7月21日火曜日

地方国立大学と地域貢献

前回の日記では、「国立大学の存在意義」について触れましたが、現在我が国には86の国立大学が設置され、規模・教育研究分野・立地条件等により、それぞれの使命や役割が異なっています。特に、地方に位置する国立大学は、大都市圏に立地する大学と異なり、立地する地域に根ざした取り組みを一つの特色としてその存在意義を確かなものにする戦略を考えていかなければなりません。また、国立大学の教育研究成果の地域への還元の期待は高く、地方国立大学における地域貢献は、大学が生きていく上で不可欠な存在意義のひとつになっています。

地方国立大学は、大都市圏にある大学に比べ、寄付金や研究資金など外部からの資金獲得面において劣性に立たされています。このため、大学経営は、税金を原資とした運営費交付金へ依存せざるを得ません。しかし、そういった資金獲得面の制約の中でも、地方国立大学は、他大学にはない特色や個性を発揮しながら様々な改革努力を重ね、いわゆるリージョナルセンターとしての役割を果たしていかなければなりません。

現在、中央教育審議会など政府レベルでは、少子化など今日の大学を取り巻く状況を踏まえ、「質の保証」、「国際競争力の向上」など様々な課題について、我が国の大学の将来展望と対策についての議論が進められています。中でも、「人口減少期における我が国の大学の適正規模」といった課題の解決策として、いわゆる「機能別分化」を超えた取り組みの一つとして、今後、経営上危機的な状態にある私立大学や、国の政策に適合しない分野を有する国立大学については、収容定員の適正化のほか、組織的連携、つまり大学の統合・再編といった大胆な改善手法を求められる可能性は十分にあります。

こういった状況を踏まえれば、地方大学における地域貢献は、当該大学の存在意義をより強力に主張していくためにも、より積極的な方向に変容していくことになっていくことでしょう。しかし、このことが一方では、国立大学の存在意義に疑問を呈することにもなりかねないことを注意しておかなければなりません。

最近では、立地する地域の自治体や企業等との間で、連携協力のための協定を締結する大学が多く見受けられるようになりました。特定の事項に関する協定もあれば、総合的相補的関係を主眼とした包括的な協定を締結する大学もあります。こういった動き、つまり協定締結の結果として、それまで不可能であった様々な活動が推進され、多くの成果が生まれているのではないかと思います。

ただし、協定締結に当たっては主に次の2点について注意することが必要ではないかと思われます。

一つ目は、「地域貢献=協定締結」ではないということ。つまり、協定締結はあくまでも地域との連携の橋渡しのための手段であって、決して協定締結自体が目的ではないということです。締結数を増やすことに貴重な時間と労力を費やすのではなく、締結によって得られるであろう大学にとってのメリットを戦略的に研究し、協定に基づく具体的な連携活動を通じてどのような成果が得られたのかをきちんと評価することが重要だと思われます。しかし、実際はなかなかそこまでいっていないのが実状でしょう。

二つ目は、大学と連携先は対等であり、連携により得られる成果は互いにとって「WIN-WIN」の関係でなければ長続きしないということです。大学の構成員の中には、社会連携や地域貢献を、社会や地域への「奉仕」、「サービス」と捉えている人が少なくありません。学校教育法の改正により、大学の使命として、教育、研究に加え「社会貢献」が位置づけられたことにより、大学はそれまで以上に地域社会を意識せざるを得なくなりました。しかし、大学は「社会奉仕団体」に変わったわけではありません。大学の中で培われた教育・研究の成果を地域に還元することが求められているのであって、その方法まで法律で縛られているわけでもありません。大学にとってのメリットがほとんど期待できない事業や活動を半ばボランティア的に行うことは意味のない連携の形態ではないかと思います。

地域社会、特に地方の自治体などから、大学に対して様々な要望が示され、これに対して大学は、大学としてできることを種々検討し、実現に向けた仕組みや体制を整備していくわけですが、なかには、どうしてそこまで大学が自らを犠牲にしてやる必要があるのか疑問に思うものがあります。うがった見方をすれば、大学をうまく利用してやろうという自治体の戦略にまんまと引っかかっただけではないか、地域貢献という名の下に、結局大学は自治体に使われているだけではないかという、地域への奉仕者としての大学の存在に少々空しく感じる時があります。

地方国立大学は、立地する地域に根ざし地域とともに生きていかなければその存在価値を見いだすことはできなくなってきていることは確かですが、決して地域のために存立するのではなく、地域に位置しながらも、高等教育機関としての基本的な使命をまずは基本にしっかり据え、加えて国際的視点を忘れることがあってはならないと思います。そしてその基本的なスタンスについての理解を地域社会に求めることにより、対等関係の連携が可能になっていくのだろうと思います。

今回は、「地方」国立大学の存在意義について触れた論考をご紹介します。


「・・・地方国立大学の意義」(教育評論家 梨戸茂史)

”地方”国立大学と一言で言うけれど実はそう単純ではない。戦前の高等教育機関は、帝国大学、官立大学、高等学校、大学予科、専門学校、実業専門学校、高等師範学校、師範学校などと呼ばれていた(このうち官立大学は、東京文理大<筑波大>、東工大、東京商科大<一橋大>、神戸商科大<神戸大>、広島文理大<広島大>の5校に旧官立医科大系の千葉、新潟、金沢、岡山、長崎、熊本の6校があり合計11大学のこと)。戦後これらが再編、統合されて新制大学となり49年には「国立大学」として一斉に出発Lた。それぞれの大学の沿革を見ればその成り立ちやどのような学校が一緒になって今の大学になっているのかがわかる。

ところで、一般に「地方」国立大学とはどこを言うのかあまりはっきりした定義はない。東京以外が「地方」というわけでもなさそうだ。一般には”地方”にあっても旧帝大は除かれるようだし、一部の旧官立系も入らなそうだ。戦後、「駅弁大学」だとか、統合してもキャンパスが元の学校の位置にバラバラにあったせいで「たこ足」大学だとか言われた大学がそれに当たっているようでもあるが、はっきりしない。

この「地方」国立大学の存在意義は何だろうか。まず、東京、大阪などの大都市圏を除いてみれば、国立大学の学生定員の7割がこれらの外にある。一方私立大学の定員はその55%がこの大都市圏だ。そして、医学部や教員養成学部での医師や教員など地方で必要とされる人材を養成するのも大事な役割だ。さらには地域振興や産学連携という形で地域の産業とも結びつく。三重大の例でいえば共同研究や受託研究の受け入れ件数で全国13位。県や市町村など地域の文化や社会への貢献もある。一方、大学がなくなればその地域から若年人□が流失する。大学がなくなれば経済的に困難な家庭出身の若者の高等教育を受ける機会が失われる。また、経済効果をみれば、学生や教員、物の購入やサービスなど、一大学当たり、生産誘発効果で400億から700億、雇用創出効果は6000から9000億という試算もある(日本経済研究所2007年3月)。

研究面でも幅広い研究のすそ野を形成している。どこの大学もすぐに産業に役立つ研究に集中するのでは将来の社会に必要な研究につながらない。遠い将来に花開く研究や到底役立たないと黒われるような研究がトップの研究を支えるのだ。ノーベル賞の研究でもわかるように、科学とは本質的に予見できないものであり、試行錯誤や失敗の中から素晴らしい発見や発明が生まれている。生物の多様性がそれぞれの種を発展させるのと同じようにいろいろな大学が広く日本全国に存在する必要がある。その上、地方国立大学は単科の大学では困るのだ。その地域の人材養成に必要な文科系から理系にいたる総合大学でなくてはならない。地域の産業を支えるのは工学部だし、地域の文化的、経済的、社会的発展を担う存在でもある。これを一言でいえば、地方国立大学は地方を担い、地方の「知の拠点」になっている。岐阜大の元学長の黒木先生のことばが身にしみる。「岐阜大学は、岐阜の大学と書いて、本当に、岐阜のことを考えています。しかし、東京大学は、東京の大学と書きながら、東京のことなど考えていないし、石原知事も東大よりは首都大学東京を信頼しています」(黒木登志夫「落下傘学長奮闘記」〉。(文部科学教育通信 No223 2009.7.13)