2009年7月15日水曜日

沖縄・子乞いの島

「誰でもいいから殺して自分も死にたかった。」 最近、ガソリンをまいて放火し人の命を奪ったいたましい犯罪が起こりました。職がない・生活していけない・夢も希望も失った人間が自暴自棄になって、いとも簡単に無差別殺人に走る恐ろしい時代になりました。自殺者も激増しているといいます。

こういった死に直面した人の原因や動機は様々でしょうが、彼らが生きる力を失っていることは確かです。では、彼らの中に再び生きる力を蘇らせるためにはどうしたらいいのでしょうか。

私達の国は、戦争に敗れて以来、国民の懸命な努力によって今日のような世界のリーダーとしての立派な国に成長しました。敗戦時の荒廃と貧困から必死になって抜け出してきたという実績、それを支えた国民の生きる力は、今日社会問題化している課題の解決にとって一つの手がかりになるのではないかと思います。特に、あの戦争で我が国最大の悲劇が繰り広げられた沖縄に目を向け考えてみることも必要かと思います。

戦争の傷跡が未だに残っている、騒音を響かせる米軍基地が島の主要部分を占める、米軍人による人権を無視した犯罪が耐えないなど、沖縄の人々にとって戦争はまだ終わっていません。しかし、戦争のために全てを失った沖縄の人々が、今も犠牲者として暗く悲しい生き方をしているでしょうか。いいえそうではありません。あの戦争の悲劇を二度と繰り返さないという誓いを心に秘め、悲しみや悔しさを乗り越え今という時を懸命に生きています。また、沖縄は、海・空・山という大自然に恵まれ、子ども達は、この雄大な自然に包まれ生きるとともに、人情味ある多くの年老いた村人たちによるコミュニティが、平和の大切さや命の大切を教え伝えてくれます。

私はこんな沖縄に接したくて、毎年家族とともに沖縄を訪問することにしていますが、年に一度のわずかな時間の滞在であっても、沖縄の人々と交わるうちに、心が癒され、人間としての生き方を学ぶことができているような気がしています。

そんな沖縄にも、少子化の波が押し寄せています。日本人として、沖縄の心の文化が損なわれようとしている厳しい現実に目を背けるわけにはいきません。


子乞いの島(2009年7月8日 朝日新聞 論説委員室から)

沖縄本島から南西約450キロ。鳩間島はイリオモテヤマネコで知られる西表島の北に浮かぶ周囲3.9キロ、面積がわずか1平方キロしかない小さな島である。

鳩間小学校の在籍者が先月19日付けで初めてゼロになった。通っていた小学生2人はきょうだい。石垣島に住む母親の体調が悪化し、そのそばで暮らすことになったのだ。島の人口は50人を割り込んだ。

廃校の危機はかつてもあった。以前はカツオ漁が盛んで、1949年には人口が650人に達し、小中学校の在校生は120人もいた。だが、その後は人口流出が始まり、74年に中学校がいったん廃校し、小学校も児童が1人になった。

「廃校の次は廃村しかない」。住民は里親制度などで養護施設の子らを受け入れて学校を存続させてきた。ジャーナリスト、森口 豁さん(71)は住民の奮闘を「子乞い-沖縄・孤島の歳月」(凱風社)にまとめた。作品は連続テレビドラマ「瑠璃の島」にもなった。

これまで数十人の子どもを受け入れた通事建次さん(62)によると、幸い今も転入の希望者は沖縄本島や本土に数人はいるという。廃校はなんとか避けられそうだ。ただ高齢化で、里親のなり手が少なくなっている現実は重い。

60歳を超えた夫婦までが見ず知らずの異郷の子を引き取り、親代わりを務める。廃村への危機感もあるとはいえ、そんな共同体社会が存続してきたことは奇跡的なことに見える。