2009年11月28日土曜日

毎度後手の国大協

行政刷新会議が国立大学運営費交付金の見直しを求めたことを受け、国立大学協会は26日、予算充実を求める緊急アピールを発表しました。

毎度のことですが、国立大学協会のスピード感のなさにはがっかりします。ただ今回の声明文は従来より少しはわかりやすくなっているような気がします。今後とも、論文調・官僚用語の多用による紋切り型の文章はやめ、仕分け人のように国民にわかりやすく歯切れ良く訴えることが肝要かと思います。優秀な学長さんたちの集まりなのですからよくおわかりかとは思いますが。

声明文の全文を掲載します。



大学界との「対話」と大学予算の「充実」を
-平成22年度予算編成に関する緊急アピール-


平成22年度予算について、本協会は、去る10月13日に政府への要望を行ったところですが(「平成22年度国立大学関係予算の確保・充実について(要望)」)、その直後に明らかになった概算要求の内容や予算編成に関する動向、行政刷新会議の下で行われているこれまでの事業仕分けの結果に接し、ここに、下記の点について緊急のアピールを行います。


1 大学予算の縮減は、国の知的基盤、発展の礎を崩壊させます。

これまで大学予算は削減を迫られてきましたが、平成22年度概算要求においても、多くの事業が厳しく抑制されています。社会的な問題となっている医師不足解消のための医師養成や大学病院の機能強化、大学奨学金等の充実といった重要課題については、「事項要求」という位置付けに止められています。万一、このような状況を踏まえた適切な対応がなされないならば、これまで大学が国民からの負託に応えるために行ってきた様々な取組の継続は困難となり、大学改革は頓挫してしまいます。その影響は、日本の未来を担う若者に対し、直接に及ぶことになるだけでなく、日本国民の市民生活を支える国力基盤の弱体化につながることになります。

かねて、公財政支出の対GDP比、政府支出に占める投資額の割合などの指標を通じ、日本の大学関係予算の貧しさはつとに指摘されてきました。私たち大学関係者は、先進諸国中最低レベルの公的投資の水準や家計における重い教育費負担といった問題の是正を訴え続けてまいりました。総理は、所信表明演説の中で、「コンクリートから人へ」の投資の転換を強調し、「すべての意志ある人が質の高い教育を受けられる国を目指していこう」という意思を示されました。「「架け橋」としての日本」という国づくりについても、資源小国であるわが国にとって国力の基盤は何よりも「知」と「技」にありますから、国家の知的基盤である大学の教育研究の振興を抜きには考えられません。その言葉の実行のためにも、事業内容の必要な精査は行いつつも、大学に対する公的投資の拡充に向け、政治のリーダーシップを強く発揮されることを切に望みます。

2 国立大学財政の充実に関する基本姿勢を貫いて下さい。

民主主義における選挙結果の重みに照らし、予算編成に当たってマニフェストの内容が重視されることは当然であると私たちは理解しております。

かねて私たちの訴えてきたとおり、国立大学法人運営費交付金は法人化以降5年間で720億円もの減少を見、その規模は小規模な国立大学23校分の消失に相当します。こうした一律的な削減方針の見直しは喫緊の課題と考えますが、今回の概算要求では、大学病院の経営改善や医師不足対策などの特別な事項を除けば、基礎的な経費は引き続き減額されています。さらに、こうした概算要求の規模さえも維持できないとなれば、私たちと国民との間の約束でもある新たな中期目標・計画(第2期:平成22~27年度の6年間)の策定・実行にも支障が生じかねません。事業仕分けの中では、基礎研究、哲学など多様な学術、芸術・文化の重要性、地方の大学の存在意義などについても意見が示されており、運営費交付金の必要性が理解されたものとして心強く受け止めております。こうした意見が適切に反映されることを望みます。

また、基盤的経費を確実に措置するとともに、大学間の競争的環境を醸成することを通じて各大学の改革への取組を促すような国公私立大学共通の競争的経費の充実が必要であり、この二つの仕組みをバランスよく組み合わせた支援が必要です。特に、世界トップレベルで活躍できる優秀な次の世代の育成のためには「グローバルCOE」や「国際化拠点整備事業」などの補助金の充実が不可欠です。

選挙時の民主党の政策文書には、「世界的にも低い高等教育予算の水準見直しは不可欠」、「国立大学法人に対する運営費交付金の削減方針を見直し」、「国立大学病院運営費交付金については、・・・速やかに国立大学法人化直後の水準まで引き上げ」等の記述があります(「民主党政策集INDEX2009」)。これまでの国会審議においても、こうした方針に沿った対応がなされてきたものと承知しています。

日本の教育研究の水準の維持・向上、教育の機会均等の確保に関わる国立大学の存在意義に照らして、「見直し」の原点に立ち返ったご対応(削減方針の撤廃、国立大学への投資の充実)を願う次第です。

3 政府と大学界との「対話」は、大学政策にとって必須不可欠です。

大学は、教育基本法の定めるとおり、その自主性・自律性が尊重されることが求められます。また、それ故にこそ、公共的な使命を果たし、社会に貢献し得る存在です。他の分野にも増して、大学に関わる政策形成過程は、透明で開かれたものであるべきであり、それには政府と大学界との緊密な「対話」が必須不可欠であると考えられます。その際、法人化以降の政策の成果と課題を検証することは、もとより重要なことです。大学にとって、運営の自由度の拡大や民間的マネジメントの導入など、法人化そのものには極めて大きな意義・メリットがあり、これを最大限生かすべく、引き続き努力を重ねてまいります。しかしながらこれまで、それを生かすための財政措置が不十分であったという点に課題があります。こうした反省に立って、今後、国立大学政策に関して、政府と大学界は、新たな国づくりに向けた「対話」を深めることが最も大切です。

総理は、所信表明演説の中で「絆」の大切さを語られました。私たちは知の共同体である大学間の「絆」を強め、そのことをもって国民からの負託に応えていこうと考えています。政府関係者をはじめとする各界において、このことを改めて御理解をいただき、大学界との「対話」の窓を閉ざされぬよう、また、本アピールの内容を真摯に受け止めて下さるよう、お願いします。このことを通じて鳩山首相の提唱された「大学の教育力・研究力の強化」を実現していただきたいと願うものであります。

2009年11月26日木曜日

国立大学の命運やいかに(続編)

行政刷新会議ワーキンググループによる事業仕分けについては、昨日「国立大学運営費交付金」をはじめ、高等教育関係予算が俎上に上がり、評定結果が明らかになりました。

各種報道の論調を整理すると、国立大学については、「経営改善努力の継続、人件費・組織・教員配置の見直し、民間人登用による大学運営の見直し」などを促す指摘とともに、法人化した効果の検証も合わせて求められたようです。

評価の内容を眺めてみると至極当然、ごもっともの指摘が並んでいます。特に「法人化をしたことの意味」については、制度設計時の趣旨を活かした大学経営が実行されていないことはまさしく事実であり、大学人は大いに反省すべきこところです。

この際、各大学の学長はじめ教職員全員が、「新しい「国立大学法人」像について」(平成14年3月26日 国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議)を読み返し、法人化の原点に立ち返って考えることが必要なのではないでしょうか。

それにしても、この仕分け作業、国民に対する透明性・説明責任の観点では高く評価されるのではないでしょうか。インターネットを活用したライブ中継はもとより、配付された資料、仕分け人の意見、評定結果などがほぼリアルタイムに提供されています。素晴らしい方法です。


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当日の配布資料(行政刷新会議)


国立大学運営費交付金関係のビデオ映像


評価コメント(行政刷新会議)


国立大学運営費交付金(特別教育研究経費を除く)
  • 独立行政法人化そのものの見直しが必要。
  • 各大学の積立金についても可能な限り考慮しての国庫支出を。どんなに「大学側からの強い要請」があるとしても、天下り、現役出向は完全廃止し、その分だけのコスト削減(=交付金削減)を行う。
  • 日本の高等教育の基盤として制度改革に努力し、足腰の強い、国際的にも評価されるものになって欲しい。そのための基本構想なしに、なし崩しにやっていると全体の力は落ちてしまう。
  • 官僚出身者や出向者が効率的な経営を行うことは難しい。
  • 独立行政法人化そのものを見直す(概ね3年以内)。国立大学の意義、目的、役割を再整理する。独立行政法人のままなら、文部科学省からの出向を禁止すべき。
  • 政策を明示した配分基準を明確化。国としての責任を持つ高等教育のグランドデザインができていない。個別の「指導」はあっても、政策の方向性が明示されていないので、競争的資金への関心、評価の甘さにつながる。政策の明確化と大学の方向性とのバランスを見直すべき。
  • 国立大学法人の理事長・学長の一体化を見直し、理事長と学長を完全に分離した上で、理事長は民間経営者を充てるよう改善が必要(概ね1年以内)。国立大学法人の運営費交付金を一律に削減することは限界である。外部資金や間接経費が入る大学と入らない大学が現実にある以上、弱い大学に目配りした税金の配分が問われているのであるから、運営費交付金に傾斜を付けた配分を行うべきである。
  • 法科大学院などは無駄。他にも効率化の余地があるのではないか。1割程度削減はできるのではないか。
  • 年1%削減したが、ベースは平成16年度の足りらずまい(支出-収入)であるため、大学間・地域によりひずみが生じていないか。全ての大学についてゼロベースで見直しするべき。大学間格差についての整理。
  • 法人化の成果について検証し、大学のガバナンスのあり方を見直すべき(概ね1年以内)。
  • 国立大学を法人化して本当に良かったのかどうか検証が必要。
  • 算定方法の透明化。真に教育・研究のあり方を問う。機能分化を促進する。
  • 経営マネージメントのできる人材の登用を図るべき。地方国立大学、公立大学、私立大学含め、統合を図り、より特色ある大学としての存在感を示すべき。ガバナビリティのある人材の登用による職員意識改革を徹底すること。これこそ、大学経営モデル事業としてトライすべき(大都市圏、地方拠点都市、ローカル県)。
  • 人文系教育への充実について、今の方法では機能しない。新しい方針とそれに見合った予算措置をすべき。ガバナンスを大学に任せるなら各大学のガバナンスに民間人を入れるべき。理事長が無理なら、評議会、教授会に入れるなど、明確な権限を持った民間人をおくべき。

国立大学運営費交付金のうち特別教育研究経費(留学生受入促進等経費、厚生補導特別経費、プロジェクト経費)
  • プロジェクト経費のうち、一研究所の研究成果が国民にどうのように還元されてきたかが不透明である。ビックサイエンスであれば競争的資金を獲得すべきである。ただし教育研究の推進経費はメリハリ分として別途確保する必要がある。
  • 科研費・競争的資金との比較をした時の違いが分からない。文科省の裁量がききすぎる可能性がある。明確な制度設計すべき。
  • 運営費交付金として反映すべき性格のもの。単純に考えるべき。
  • 運営交付金化すべき。
  • 競争的に配分される資金については、国立・公立・私立を問わず、各大学の競争により、インセンティブとすべきではないか。
  • 交付金に入れ込んで議論。
  • 政策と現場の照合、縮減すべき。
  • BIG PROJECTとの説明がされたが、本当に見直すべきプロジェクトはないのか。という視点から検討、縮減すべき。
  • スバルなど特定の交付金以外は、結果的にはほぼ全体に行き渡るので基盤的教育研究経費に回すべき。
  • 大学の先端的取り組み部分と重なっている部分は統合すべき。
  • ほとんどがビック・プロジェクトであるが、一部は3-52の事業とも重なる。
  • 運営費交付金の見直しに連動。
  • たくさん問題はありますが、ここでこの予算を切ることで国立大学全体の活性を落とすのでなく、システム作りを要求していくことで将来、国の資金を有効に使って。
  • 国立大学法人化が本当に良かったのかどうかの検証に合わせて見直しが必要。現状では要求通り。

ワーキンググループの評価結果(行政刷新会議)


国立大学運営費交付金(特別教育研究経費を除く)
国立大学のあり方を含めて見直しを行う(見直しを行う 15名(複数回答))
  • 経営改善努力の継続(民間的経営手法の徹底)を反映 8名
  • 資金の効率化・重点化の観点から人件費・物件費の見直し 7名
  • 社会のニーズ等を踏まえた組織・教職員数の配置の見直し 6名
  • ガバナンスのあり方の見直し(民間人の登用等) 5名
  • 独立法人化そのものの見直し 2名
  • 予算要求の1割削減 2名
  • 法人化の是非の検証 1名
  • 算定方法の透明化 1名
  • 大学間格差の整理 1名
  • 配分基準の明確化 1名
  • 現役出向の廃止 1名

国立大学運営費交付金のうち特別教育研究経費(留学生受入促進等経費、厚生補導特別経費、プロジェクト経費)
予算要求の縮減(廃止6名、予算要求の縮減6名(半額1名、1/3縮減1名、その他4名)、予算要求通り2名)

とりまとめコメント(行政刷新会議)


国立大学運営費交付金
国立大学運営費交付金(特別教育研究経費を除く)については、複数回答で15名全員が見直しを求めるという結果となった。大学の教育・研究については、しっかりやっていただきたいということで、皆さん異論はない。そのためのお金はしっかり整備すべき。

ただ現在の国立大学のあり方については、そもそも独法化したのがよかったかどうかということに始まって、運営費交付金の使い方、特に教育研究以外の分野における民間的手法を投入した削減の努力、あるいは、そもそも交付金の配分のあり方、こういったことを中心として、広範かつ抜本的に、場合によっては大きく見直すということも含めてその中で交付金のあり方について見直していただきたい。

特別教育研究経費については、予算要求通りが2名、廃止が6名、予算要求の縮減が6名となっており、結果にばらつきがあったものの、グループとしては、予算要求の縮減ということでお願いしたい。

大学の先端的取り組み支援
グローバルCOEプログラム及び組織的な大学院教育改革推進プログラムについては、予算要求通り2名、廃止3名、来年度の予算計上見送り1名、予算要求の縮減8名であり、その内訳は、半額3名、1/3 程度を縮減3名、その他2名(2割縮減1名、9割縮減(グローバルCOEプログラムの廃止)1名であり、散らばりがあるが、WGとしては、1/3程度の予算要求の縮減と結論する。

グローバルCOEプログラムは廃止すべきとの指摘や、対象が広すぎるとの指摘が複数あり、より絞り込んだ形で企画をしていただきたい。

国際化拠点整備事業(グローバル30)、大学教育充実のための戦略的大学連携支援プログラム及び大学教育・学生支援推進事業については、廃止4名、予算計上見送り2名、予算要求通り2名、予算要求の縮減6名(半額2名、1/3 縮減1名、その他3名)であり、かなりばらつきが大きいが、WGとしては、予算要求の縮減と結論する。

そもそも大学の本務としてやるべきだという意見、結果・効果が不明だという意見、学生の雇用に関する課題は重要だという指摘も複数あった。

大学等奨学金/高校奨学金
大学等奨学金については、見直しを行わないという意見が2名、見直しを行うという意見が14名であった。借金であるから回収を強化すべきという意見が多い一方で、返済方法についての柔軟性や、給付型奨学金を検討すべきという意見があった。また、(独)日本学生支援機構のあり方については見直しが必要であるとの意見が複数あった。当WGとしては、回収の強化、給付型奨学金、経済状況への柔軟な対応、独立行政法人のあり方、といった点を中心に、見直しを行う方向でまとめる。

高等学校等奨学金事業交付金については、見直しを行わないという意見が6名、見直しを行うという意見が10名であった。見直しを行うとした意見の内訳は、高校実質無償化との関係の整理が8名、返済時の運営効率化が1名、給付型奨学金の検討が1名であった。当WGとしては、高校実質無償化制度との関係を整理し、分かりやすく説明して頂くことも含め、役割分担についてもしっかりと整理するよう、見直しを行う方向でまとめる。

鳩山メールマガジン(2009年11月26日 第8号)から


「しがらみ」との決別(内閣総理大臣 鳩山由紀夫)
先般、旧政権の下で作られた補正予算を約3兆円、無駄あるいは不要不急との理由で執行停止させましたが、今月11日からは、来年度の政府予算の無駄を徹底的に排除するために、行政刷新会議の指導によって「事業仕分け」を精力的に進めています。「事業仕分け」とは、事業が本当に国の仕事として必要なのか、地方自治体に任せるべきものか、民間に行わせるべきものか、はたまた不要なものか仕分けることです。私も、24日に仕分けの現場を訪問し、実際のやりとりを視察して来ました。

この「事業仕分け」では、3つのワーキングチームがそれぞれ1つの事業について1時間かけて議論していました。たった1時間でどれほどの見直しができるのか、結論ありきの議論ではないか、との御意見をいただいていました。

しかし、実際に見てみると、議論はスピード感溢れるテンポで進められていました。双方から、丁々発止のやりとりが展開されており、しっかりと検討が深められているな、と実感しました。まさに、お互いに国民のみなさんのために仕事をしている、という熱気を強く感じました。何より、多くの一般の方々がそれぞれの会場で、オブザーバーとして熱心に議論を聞いておられますから、訊くほうも答えるほうも真剣勝負です。傍聴したいけれど会場に入りきれない方々が、100名を超えてセンターの外で待っておられる姿を見て、申し訳ないと思うと同時に、いかに国民のみなさんが、国民に開かれた政治を待ち望んで来られたか、その現実を実感したところです。

この行政刷新会議の「事業仕分け」が見直している事業は、言うまでもありませんが、国が必要だと思って始めた事業です。ですから事業のタイトルから見ると、簡単に、「要らない」と切り捨てることはできないものばかりなのは、当然です。

私が視察をしたときには、ちょうど青年海外協力隊の事業が俎上に上っていました。この事業を全く不要と切り捨てる方は少ないでしょう。海外で立派な仕事を行ってくださった青年たちも沢山います。ただ、本当に無駄はないのでしょうか。一人当たりに掛かる経費は妥当なのでしょうか。白熱した議論が進みました。結果は「縮減」だと伺いました。本当に事業にふさわしい青年たちを集めた協力事業と呼べるよう、さまざまな角度から検討する必要がやはりあると思います。

一つひとつの事業について、本当に国民のために無駄遣いなく実施されているのか、コストは適正なのか、民間の方にも参画いただき、厳しく判断することは正しいと思います。国民のみなさんからお預かりした貴重な税金ですから、みなさんに本当に必要と思っていただける事業、政策だけに厳選していく必要があるからです。

これまでの長年にわたる「しがらみ」と決別し、「行政の垢(あか)」を落とさなければならないのです。

成果が見込まれない事業はきっぱりやめる、効率化に向け組織のあり方や契約のやり方を見直す、天下り先の法人に無駄に積まれている基金などは国に返してもらうなど、やるべきことは本当に山積しています。

今後は、事業仕分けの結果を類似の事業にも拡大しながら、無駄を排除し、来年度予算の編成作業を進めてまいります。

未来は変えられる(行政刷新会議ワーキンググループ評価者、前滋賀県高島市長 海東英和
私は、行政刷新会議の事業仕分けで評価者を務めています海東英和です。滋賀県高島市で、事業仕分けを用い、合併で肥大化した財政の健全化を図り、自治力を高めてきました。

今回の国の事業仕分けは、政権交代直後なればこその希望を見出す棚卸です。12月予算編成までの短期間にこれだけの準備が整ったことは、何と言われようと刷新会議事務局の踏ん張りのお陰です。公開事業仕分けによって、国民の手に予算を取り戻す革命的作業が目の前で展開されているのです。議論の時間は1時間ですが、事前に、財務省、主管省庁から説明を受け、論点を伝え、現場調査もして臨んでいます。

外郭団体のほとんどには、省庁OBのグリーン席があり、出身省庁から継続的に事業・予算が供給され養われています。事業の重複を点検する仕組みもなく、監査も形骸化し、人件費など管理費が予算の3割から5割を占める委託もあり、廃止や見直し評価が相次ぎました。

不必要な団体を経由させ税金を無駄遣いすることは国民に対する背任です。1団体で3割が管理費で目減りすると、2団体では0.7×0.7で49%になり、3つの団体を経ると100あった予算は34になります。現場に直接届けば予算半分で十二分な仕事ができそうです。

また国債を発行して得たお金で外郭団体に基金を積み、それら団体が国債で運用する現状は、タコが自分の足を食べるに等しく、経費で目減りする額は不要な国民負担です。基金を一旦国庫に返納し、必要な事業を精査の上予算化する判断は、金利に関わらず妥当な見直しであると思います。

医療現場が悲鳴をあげているのに、医師は足りている、看護師は足りているとしてきた無責任な体質と仕組みも問われました。20年の特許期間を過ぎても高い薬価を見直し、国民の医療費負担を減らす方向に動き出したことも仕分けの賜物です。

残念なのは、タイ焼きの頭としっぽだけを編集し、あんこの部分を伝えない報道です。毛利衛さんの科学未来館について一部報道では、税金が科学技術振興機構と科学技術広報財団の2団体を経由していることが不透明とされたのに肝心の議論は報道されません。中抜き報道の弊害は大きいと思いますし、すべての国会議員が中抜き報道だけで判断せず、実際の作業を見る責任があると思います。

今回の仕分けは、政府の予算が半分で済む可能性に気づかせてくれます。事業量を洗い直して7割にし、その7割の事業の執行方法を見直して予算を7割にできたら予算総額は0.49で半分になるのです。

税で行う責任範囲と適切な執行方法を確認できれば、地域主権を礎に心豊かな未来が描けると思いませんか。国民の意思で未来は変えられる。仕分けから始まるものがある。「志湧け?!」ですね。

関連報道

国立大運営費に厳しい指摘 事業仕分け(2009年11月25日 朝日新聞)
仕分け、国立大運営費は見直し(2009年11月25日 共同通信)
事業仕分け:国立大交付金見直し(2009年11月25日 毎日新聞)
事業仕分け 国立大法人運営費交付金も「見直し」に(2009年11月25日 読売新聞)
国立大交付金は「見直し」-仕分け後半2日目(2009年11月25日 時事通信)
国立大へ厳しい目 仕分け人「経営努力が感じられない」(2009年11月26日 朝日新聞)


最後に、国立大学運営費交付金の事業仕分けに関し、国立大学の実態や課題を最もわかりやすく客観的にまとめていると感じた記事を全文転載します。前回の日記でご紹介した大手9大学の学長さん方も、一般の国民の皆様に理解いただくためには、このような分析と解説を行うべきと考えますがいかがでしょうか。

国立大運営費交付金、「位置付けの見直しを」-事業仕分け(2009年11月25日 ロハスメディカル)

「事業仕分け」を行う行政刷新会議のワーキンググループは25日、国立大が2004年度に法人化されて以降、毎年1%ずつ削減されている国からの「国立大学法人運営費交付金」について、位置付けなど在り方自体を見直すよう求める判定を出した。議論は文科省から国立大への出向職員や、大学経営と教育研究のバランスの問題などに集中。大学附属病院については、法人化以降の収入が全体で「1225億円の増」と数字が読まれた以外、議論はなかった。

国立大が法人化した2004年度以降、大学の運営費交付金は年に1%ずつ削減されており、多くの大学から経営難を訴える声が上がっている。法人化前に医学部を有した国立大の場合、病院建物の建造や医療機器の購入などの際に国から一部融資を受けている。各大学は大学病院で得た報酬から毎年返還しているため、病院収入が増えても経営状況の改善につながりにくい。医学部のある42国立大学が抱える国からの借入金総額は1兆35億1132万4000円(国立大学協会調べ)。このため、大学附属病院の運営が困難に陥っているとして、国立大学医学部長会議常置委員会(安田和則委員長)は交付金増額と借入金の解消を求めていた。

民主党はマニフェストで国立大学病院への運営費交付金の水準回帰をうたっている。文科省の来年度予算の概算要求では、国立大学法人運営費交付金に今年度予算を13億円上回る1兆1708億円を計上。医学部の教育環境整備や授業料免除枠の拡大、救急や周産期医療に関する診療部門への支援を行うとしていた。

事業仕分けWGの議論で財務省側は、運営費交付金が削減されている一方で、「大学事業費自体は増えている。教育経費・研究経費で見ると、平成16-20年度までで700億円余の増加。他の研究費補助金や外部資金の増加によって収入自体伸びている」と主張。加えて、余剰金が発生しているとして、「運営交付金は700億円減少しているが、余剰金が平成16-20年度合計で2000億円余、2300億円ぐらいと思うが発生しており、『目的積立金』として積み立てられて各大学の判断で使われている」と指摘。民間的な経営手法の導入や学生のニーズに合った教員配置など、大学運営の在り方を見直すべきと主張した。

議論では、他分野の「仕分け」でも目立つ「天下り問題」が最初に盛り上がり、医学部や附属病院については「(法人化以降の)附属病院の収入は1225億円の増」と数字が読まれたこと以外は俎上に乗らなかった。仕分け人が文科省から国立大への現役出向職員が198人いる事について、「大学ごとに独自性を生かしてやって下さいと言っているのに、出向はないのではないか」などと大声で指摘する姿が目立った。

このほか、法人化したこと自体がよかったのかという”そもそも論”に加え、経営効率の追求や競争的資金の獲得など法人としての経営的な側面について、また経営と教育研究機関としてのバランスをどう取るかといった問題、地方と都市部の国立大で抱える悩みが違う事なども議論された。ほかには科学技術研究分野への支援に偏っているとの指摘があり、基礎研究の質の低下などが疑問視された。

議論の結果としては、15人の仕分け人全員が「見直しを行う」との結論で一致した。内容(複数回答)としては、「経営改善の努力の継続を反映すべき」8人、「資金効率化・重点化の観点から人件費・物件費の見直し」7人、「社会のニーズ等を踏まえた組織、教員数の配置の見直し」6人、「民間人登用などガバナンスありかたの見直し」5人、「独法そのものの見直し」2人、「その他」」1人ずつ(法人化の是非の検証、算定方法の透明化、大学間格差の整備、予算要求削減縮減、配分基準明確化、予算要求の1割削減、現役出向の廃止)。

グループの結論は次のようにまとめられた。「大学教育研究については、国立大としてしっかりやっていただきたいことについては皆さん異論はない。いろんなそれに必要なお金は整備すべきということにも異論はない。ただ、現在の国立大の在り方は、そもそも独法化がよかったかどうかに始まり、交付金の使い方、特に研究開発以外の分野における民間手法導入した削減努力、交付金の配分の在り方、これを充実して、広範かつ抜本的に法人化以降の流れを大きく検証した上で、場合によっては大きく見直すことを含め、その中で交付金の在り方について、位置付けを見直して頂きたいという整理になる」

2009年11月24日火曜日

国立大学の命運やいかに

今日から、行政刷新会議による事業仕分けの後半戦が始まりました。今日は鳩山首相も視察に訪れたようで、益々熱気を帯びてくる事業仕分けです。

いよいよ明日には、「国立大学の運営費交付金」が舞台に上がります。「大学の先端的取り組み支援」、「大学等奨学金・高校奨学金」に関する事業仕分けも予定されています。

この国民監視下の事業仕分け、既にいろんな場所でいろんな意見が飛び交っていますが、最近では、科学技術予算の大幅削減に対する強い危機感の表れか、学長や学部長さんの集まり、学者さんの集まりによる抗議の連呼もますます盛んになってきています。

今日は、東京大学や京都大学など国立7校(旧帝国大学)と早稲田大学、慶応義塾大学の私立2校の総長・塾長さんが、東京都内で記者会見を開き、政府の行政刷新会議の「事業仕分け」によって学術・大学関連の予算が大幅に削減される恐れがあるとして、「大学の研究力と学術の未来を憂う」と題する共同声明を発表しました。

種を撒き育てる学術研究分野にメスが入る、一見無駄に見えても単純に成果だけを見て判断するのはどうか、経済界、ひいては町工場にも懸念が広がっています。

一方、将来のことよりも、まずは疲弊した国民生活を何よりも重視すべきだとの意見もあります。立場や生活環境で意見は随分変わってきます。なかなか難しい問題ですが、最終的には政治判断で決すべきことでしょう。

さて、本日の9大学の学長さん達の共同声明をご紹介したいと思います。これまでこの日記でも何度か申し上げてきたところですが、こういった声明は、大学に勤める人間にはよく理解できるものの、はっきり言って、自前主義といいますか、学者のご都合主義のような感じがしてなりません。したがって国民の耳には全く入らないと思います。

高額所得学者の目線でいくら偉そうなことを言ったって、グローバリズム(国際競争力)を主張したって、苦しい生活の中から税金を納めている国民にはほとんど無意味ですし、説得力はないと思います。国民生活には論文は不要なのです。なぜ学術研究は必要なのか、科学技術の進歩は国民の生活にどう関わるのか、どれほど重要なのかなど、国民目線に立ってもっとわかりやすく説明しなければ国民は納得できないと思うのです。

国立大学協会会員大学の皆様(抜粋)

御承知のとおり、政府の行政刷新会議における「事業仕分け」では、科学技術・学術関係予算事業、国立大学運営費交付金など、多くの大学関係予算事業が俎上に載せられております。

そのうち科学技術・学術関係予算事業に対しては、先般、大幅な削減方針が打ち出されました。これに対しては、すでに、日本学術会議、総合科学技術会議有識者、各種の学会など、大学関係者が各所で抗議の声を挙げ始めております。

以前より、これからの科学技術・学術研究の在り方について国立私立の枠を超えて懇談の機会を持とうというご提案があったところ、たまたまその集まり(国立7校、私立2校の9大学が集まりました)がちょうどこの大幅な削減方針が示された直後のタイミングとなったことから、上記のようにさまざまな抗議の動きが高まっている中で、とにかく、これらの大学だけでも早急に声明を出そうという話になりました。そこで、本日11月24日(火)に、添付ファイルのような共同声明「大学の研究力と学術の未来を憂う」を公表いたしましたので、ご報告申し上げます。

今週に行政刷新会議で審議される予定の運営費交付金などについても、同様の厳しい結論が出される可能性があることは決して杞憂ではなく、事業仕分けの動向を見定めながら国立大学協会としても迅速な意見表明などを行っていく必要があります。現在の政府方針の下では、利害関係者の団体である国立大学協会は、行政刷新会議に対する組織的な働きかけ等の自粛が求められており、その活動は制約されていますが、平成22年度予算編成について国立大学協会としての緊急アピールを行うことができるように、すでに理事会にて文案の検討を進めております。

最終的な予算決定まではなお曲折が予想されますが、国立大学としては今後、機を逸することなく、さまざまなレベルでの訴えを、繰り返し波状的に、政府や国民に対して行っていく必要があると考えております。例年とは大きく様相を異にした政治情勢の中で、定型的な団体の要望活動に止まらず、各学長の皆様にもそれぞれに、いろいろな形で各方面への積極的な働きかけをお願いすることになろうかと思います。また、その際は、従来にも増して、私立大学関係者等との連携協力も、取組の成果を挙げていく上で大切になるものと考えております。

大学の研究力と学術の未来を憂う(共同声明)-国力基盤衰退の轍を踏まないために-

学術は、国家としての尊厳の維持に欠くべからざるものであり、日本の国力基盤を支える科学技術の源泉です。とりわけ基礎研究の中心的担い手である大学の果たすべき役割や使命は益々重要となっています。世界的な教訓として、大学の発展が国富をもたらし、人類文明の高度化に寄与してきたこと、逆に大学の弱体化が国力基盤の劣化を招いた例は枚挙に暇がありません。

この観点から、諸外国では国家戦略として大学や基礎科学への公的投資を続伸させています。一方、日本では、大学への公的投資は削減されてきており、OECD諸国中、最低水準にあります。この上、さらに財政的支援の削減がなされるとすれば、科学技術立国の基盤の崩壊、学術文化の喪失に至ることを強く憂慮するものであります。

もとより、私たちは、国家財政の危機的な状況を理解しています。また、政策決定過程の透明性を高める試みの意義を否定するものでもありません。しかし、科学技術予算の大幅な削減の提案など、現下の論議は、学術や大学の在り方に関して、世界の潮流とまさに逆行する結論を拙速に導きつつあるのではないか、それによって更なる国家の危機を招くのではないかと憂慮せざるを得ません。大学は人づくりの現場であり、大学の土壌を枯らすことは次世代の若者の将来を危うくしかねません。このような情勢にあって、学術の中心であることを自らのミッションの要とする研究大学の長の有志9人の連名により、声明を発することとしました。

私たちは、科学技術立国によってこそ日本の未来が開けるものと信じています。激しい競争の中で、世界の知の頂点を目指すことを放擲するならば、日本の発展はありえません。幅広い国民からの声に耳を傾けつつ、大学界との密接な「対話」により、国の将来を誤らない政治的判断が下されると期待しています。政府関係者におかれましては、下記各事項の重要性をご理解いただき、国家百年、人類社会への日本の役割と責任を視野に入れ、学術政策の推進に当たられることを切に願うものであります。


1 公的投資の明確な目標設定と継続的な拡充

欧米や中国などの諸外国では、それぞれの国の未来をかけて、基礎研究に多額の投資を続けています。特にオバマ政権は、アメリカ史上最大規模の基礎研究投資の増加を決断しました。中国をはじめとするアジア諸国の積極的な国家戦略、学術面の台頭も看過できません。一方で、日本の投資規模は不十分であり、大学予算に至ってはOECD諸国中最低水準にあり、こうした事態が今後も続くようなことになれば、世界における日本の学術研究の地位の低下は必至と考えられます。そのような事態を回避し、学術の振興及びこれと不可分な大学の発展の振興に向け、公的投資を継続的に拡充していくことが必要です。政治のリーダーシップによって、明確な投資目標を掲げ、着実に実行することを期待します。

2 研究者の自由な発想を尊重した投資の強化

基礎研究に対する投資の中でも、あらゆる分野にわたって研究者の自由な発想に基づく研究を支援する科学研究費補助金の拡充を図ることは、学術振興の第一の基盤であり、これによって、研究の多様性と重厚性が確保され、イノベーションをもたらす科学技術の発展へとつながるものです。当面、概算要求どおりの規模を確保することを強く望みます。

3 大学の基盤的経費の充実と新たな枠組みづくり

基礎研究に対する投資については、科学研究費補助金等の競争的資金のみならず、大学に対する基盤的経費を含めて充実を図ることが必要です。国立大学に係る運営費交付金や施設整備費補助金、私学助成、さらには競争的資金における間接経費等を大幅に拡充し、大学における研究基盤を磐石なものとすることが不可欠です。基盤的経費を削減する旧来の政府方針の撤廃が必要です。

さらに、大学の機能別分化を促進するため、大学をシステム改革できる学長提案型の資金制度の創設が必要です。新たな枠組みづくりに当たっては、国家形成に重要な役割を担っている研究大学の活動基盤について、日本の学術政策上の位置付けに応じた適切な支援が検討されるべきです。

4 若手研究者への支援

学術振興に向けた公的投資に当たっては、次代の科学技術・学術を担う「人づくり」を併せて充実する必要があります。特別研究員事業など、若手研究者に対する支援、優秀な大学院生、特に多くの博士課程の学生に対する十分な給付型の支援の充実が望まれます。

また、優れた若手研究者が安心して研究を続けられるよう、大学間の連携で安定的な雇用を実現するための支援をお願いします。

5 政策決定過程における大学界との「対話」の重視

新たな政権の下、各年度の予算編成に止まらず、学術政策の基本政策がどのように審議・決定されていくかについて、私たちは十分な情報を持っていません。例えば、総合科学技術会議の見直し後、科学技術振興基本計画がどのように策定され、前述のような私たちの願いが反映されるのか、強い関心を持っています。政策決定過程において、大学界との「対話」の機会が十分に確保されることを希望します。


(関連記事)

事業仕分けに危惧と緊急提言 ”短期的成果主義”脱却を(2009年11月23日 共同通信)

行政刷新会議による事業仕分けで科学技術関連予算の凍結、削減が相次いだことに、全国の国立10大学の理学部長会議が23日、短期で成果が上がる研究や産業に直接結び付く研究を重視する「短期的成果主義」による拙速な判断を危惧するとの緊急提言を発表した。名を連ねたのは北海道、東北、筑波、東京、東京工業、名古屋、京都、大阪、広島、九州の10大学の理学部長。・・・

(関連)緊急提言 事業仕分けに際し、”短期的成果主義”から脱却した判断を望む-科学技術創造立国を真に実現するために-(国立大学法人10大学理学部長会議)

事業仕分けで予算削減警戒 9大学総長・塾長が共同声明(2009年11月24日 朝日新聞)

東京大や京都大など国立7校と早稲田大、慶応義塾大の私立2校の総長・塾長らが24日、東京都内で記者会見を開き、政府の行政刷新会議の「事業仕分け」によって学術・大学関連の予算が大幅に削減される恐れがあるとして、「大学の研究力と学術の未来を憂う」と題する共同声明を発表した。25日の仕分けでは国立大の運営費交付金などの予算が検討される。声明は、研究者の自由な発想を尊重した投資の強化▽政策決定過程における大学界との「対話」の重視――などを求めている。・・・

2009年11月23日月曜日

規範意識の低下

社会規範を守る意識の低下を指摘する記事を目にすることが多くなりました。社会・経済構造の変化とともに、凶悪犯罪は増え、犯罪者の低年齢化が進んでいます。街中ではマナーを守らない大人や若者を多く目にするようになりました。

理由も対策も様々あろうかと思います。親、地域、学校、職場、政府それぞれがそれぞれの立場で、時代に合ったあるべき姿を真剣に考えていかなければ最悪の結果を更新するだけの世の中になってしまいます。

最近では、大学で人間として基本的なマナーを教えなければならなくなってきています。社会の衰退に不安を覚えるのは私だけでしょうか。

最近の関連記事を抜粋して3つほど。




社説:犯罪白書 「規範意識」が低下した(2009年11月19日 毎日新聞)

安藤隆春警察庁長官は今月6日、日本記者クラブの講演で「日本の良好な治安を支えてきた国民の高い規範意識と、学校や地域などの共同体の存在感が共に低下しているのではないか」と懸念を示した。各地の少年補導員に聞いたとして長官が披露した話を一部紹介したい。

最近の非行少年は、万引きをしても「皆がやっているのに、何で悪いのか」という反応が返ってくる。家庭や学校に居場所がなく、親の年齢や職業、自分の住所さえ知らない。一方の親は「代金を払えば済むのに、なぜ警察に通報したんだ」と店に食ってかかる、というのだ。

いかにも寒々しい風景だ。若者が社会ルールを守る意識に乏しいのは親世代に責任があることを示す。この話の教訓として、防犯教育の必要性も指摘しておきたい。罪を犯せばペナルティーがある。例えば窃盗でも最高10年の懲役だ。また、被害に遭わないためにはどうするか。警察は学校と連携し一部で防犯教室を実施しているが、さらに積極的な展開が必要ではないか。


通勤車内で飲食する大人たち すたれる公共マナー 寛大な風潮が助長か(2009年11月17日 産経新聞)

近距離の電車やバスの中で、おにぎりや弁当、ハンバーガーなどを食べている若者やサラリーマンを見かけたことはありませんか。低下する大人の飲食マナー。個人の良識に委ねられる部分が大きいとはいえ、迷惑行為に目をつぶらない社会のコンセンサスが問われそうだ。

10月初旬、東京郊外を走る私鉄車内。大学名の入ったジャージー姿の女子大生3人が、熱々のおでんを食べながら談笑している。見かねた高齢の男性が「行儀が悪いな」と一喝。それでも女子大生たちは悪びれる様子もなく、食べ続けていた。

別の日の昼下がり。地下鉄車内では、携帯電話片手にコンビニ弁当をかき込むサラリーマンの姿があった。車内で立ったままおにぎりを食べるOL、揺れるバスの中でホットコーヒーを飲む男性会社員・・・。いずれもここ半年間で、電車やバスの車内で見かけた光景だ。20~30代の大人の飲食マナーが低下していることをうかがわせる。

迷惑行為を引き起こす背景に詳しい名古屋大大学院の吉田俊和教授(教育心理学)は「社会全体が迷惑行為に寛容であるため、当事者は『沈黙=黙認』と勘違いし、まねする人が増殖しているのではないか」と分析する。そのうえで、「幼少のころから公共の場での振る舞いを家庭でしっかりトレーニングする必要がある」と指摘している。


京大 授業で「社会常識」・・・新入生に来年度試行(2009年11月21日 読売新聞)

京都大は、学生の相次ぐ薬物事件などを受けて、新入生を対象に法令順守などを教える初年次教育を2010年度から実施する方針を固めた。これまで教員の間では「学生はもう大人。そこまでやる必要はない」との意見が多数派だったが、次第に危機感が広がったためで、交通マナーを教える講義も予定されている。自由の学風、自学自習の伝統で知られた京大の<方向転換>は、大学全入時代を迎えた大学の役割変化を象徴するものとして注目されそうだ。

法令順守については、薬物の危険性を科学的に解説するビデオを見せるほか、過去の学生による事件を例に人権の大切さなどを教える。スピードを出して歩道を走るなど、大学周辺で苦情の多い自転車のマナーについても教育する。さらに、自分の将来像をイメージさせるキャリア教育や、カルト集団、自殺願望への対処方法などのメンタルヘルス教育も行う。

西村周三副学長は「法令順守などは当然のことで、あえて大学で教えるかどうかは悩ましいところだが、入学直後は非常に重要な時期だと考え、実施に踏み切る」としている。

こうした動きは他の大学にも広がっており、立命館大では、2、3年生有志が、1年前期の基礎演習の授業時間に、大学生活の送り方などを指導。オリエンテーションでは薬物の危険性も教えている。大麻所持や振り込め詐欺事件に絡んで逮捕者が相次いだ関西大では、新入生らを対象に「スタディ・スキル科目」を実施。来年度からは、薬物の危険を教えるなど、法令順守やモラルの教育にも力を入れるという。

2009年11月18日水曜日

世界の子どもを思う

少し前になりますが、10月28日(水曜日)の朝日新聞に、国連児童基金(ユニセフ)親善大使の黒柳徹子さんのインタビュー記事「世界の子どもを思う」が載っていました。ほぼ一面にぎっしりと書かれた記事に絶句し、平和で飽食の生活に浸りきった私の人間としての小ささ、座して何もできない自分の無能さを痛感させられた記事でした。

この記事を是非多くの方にお伝えしたいと考え、ネットを通じて探しましたが残念ながら見当たりませんでしたので、主な部分について転載しご紹介したいと思います。

この四半世紀で、世界の子どもの置かれた状況は変わったのでしょうか。

25年前、5歳未満で死んでしまう子どもは、世界で年間1400万人いました。今は880万人です。世界中の人が悲惨な境遇にある子どものことを考えるようになった結果でうれしい。でも戦争や貧困がもたらす悲劇は続いています。

今年は、内戦が終結したネパールを訪れ、14歳で兵隊になった女の子に会いました。大人が銃を渡し、人を撃つと「偉い」と褒める。「怖い」と言うと麻薬を打って感覚をまひさせる。今は社会から、「人殺し」扱いです。

時代や場所やそのあらわれ方は変わっても、問題はなくならない。

そう。そして大人の世界の問題は全部子どもたちにしわ寄せが行っちゃう。

民族対立による内戦で大虐殺が起き、80万人が殺されたと言われるルワンダ。目の前で、お母さんがレイプされたり、兄や姉が働かせるためにどこかへ連れて行かれたり、そして自分も手足を切られたり。凄惨な状況です。子どもには内戦の理由などわからない。親が殺されたのは「言うことを聞かぬ悪い子だったから」と、自分を責めていました。

隣のコンゴ(当時はザイール)東部のゴマの難民キャンプに避難していた5歳ぐらいの子どもの話です。親が亡くなった理由を尋ねると「わからない」という。でも、後から追いかけてきて「本当は知っているよ。殺されたんだ」と言います。なぜ最初に答えなかったか聞いたら、「だってさっき通訳していた人が殺したんだもの」。20万人もいる難民キャンプに殺した側も殺された側もいて、自分の親を殺した人間にあってしまう。10年後の再訪では、いつもお漏らししている5歳の女の子に会いました。レイプされて膀胱が裂けてしまったのだそうです。地元にはエイズウイルス(HIV)に感染しても「処女と交われば治る」という迷信があり、そのためだと。

中米最貧国の一つハイチでは、女の子が40円ほどで売春をしていた。家族を養うため、明日食べるものがないという理由で。「エイズになっても、明日死ぬことはないでしょ」と言うんです。

悲惨な状況に置かれた子どもたちを訪ねて、やるせなさを感じませんか。

そんなことありません。途上国では、えんぴつやノート、何十円のワクチンで、学校に行ったり、予防接種を受けたりすることのできる子どもたちが、1人でも2人でも増やせる。少しずつできる範囲で、続けないとだめです。

どうして子どもたちのところに平和が来ないの、とは思います。でも親善大使にならなければ、ぼんやりと一人の芸能人で終わっていた。世界の子どもの9割が、戦乱や貧困の被害を受けている。このことを知らず死んでいたら情けなかった。現場の現実にはつらいこともありますが、やらせていただいてよかった。

支えになったことは何でしょう。

最初に訪問したタンザニアで、飢餓に苦しむ子どもたちに会いました。うなって、はっているだけの6歳の男の子がいた。栄養失調は食べ物がなくて死んでいく怖さと思っていましたが、子どもの時にちゃんとした栄養を与えられないと、脳に障害を起こして、しゃべることも歩くことも立つこともできなくなる。手を取って話しかけると、泥をつかんで私の手に入れてくれた。感情があるんだとわかりました。子どものすごさ、純粋さをわかっているつもりだったけど、そうではなかった。

大使になってまだ3年目に行ったインドでは、ワクチンの予防接種1本で死なずにすむ破傷風で、子どもが死んでいきます。電球の光を浴びるとぶるぶる震えてしまうんです。「がんばってね」と声をかけたら、10歳の少年に「あなたの幸せを祈っています」と言われました。大人が忘れてしまった、生きていく強さを、子どもは持ち続けていました。

コートジボワールではHIVに感染した子どもの孤児院に行きました。病気の進行を防ぐ薬はある。でも貧しいところには回ってこない。みんなわかってるんです。13歳の子が「心配しないでください。僕たちは絶望していませんから。希望をもっていますから」と話す。そして私の帰り際に言うんです。「こんな遠くまで、差別されている私たちのところに来て話を聞いてくれてありがとう」。どうしてそんなに人のことを思いやれるのか。めったに泣かないんですけど、その時は本当に涙が出ました。

日本に暮らす私たちと、9割の子どもたちをつなぐものは何でしょう。

難民キャンプで、「お母さん」って泣いている子どもに会ったことがないんです。ちっちゃいのに、泣いてもお母さんは来ないってわかっているんですね。それに泣くには栄養も必要なんです。内戦が続いたエチオピアで「大きくなったら何になりたい」と子どもに聞きました。そうすると「生きていたい」と。いつ死んでしまうかわからない難民キャンプでも、自殺する子は一人もいません。恵まれている日本では、子どもが自殺します。とても残念です。

私が子どもの時は戦争でした。64年前までの日本も、子どもの兵隊を作ってました。戦争が始まると、家族は一瞬にして崩壊した。父は出征し、弟は薬がないから亡くなり、母と青森に疎開して。平和や幸せがいかにもろいか。母は大豆を15粒、煎って袋に入れて私に持たせていた。それが1日のごはん。学校に行く前に3粒ぐらい食べて、水を飲んでおなかでふくらませた。防空壕の中で「死んじゃうかもしれないから食べちゃおうかな」とも思うけれど、帰って何もないと困るからと残し、家に戻って残りの5粒ぐらいを食べる。若い人も、映画やテレビを通じ、他人事でなく考えてほしい。

昨年のクリスマス、あるお母様から募金を頂きました。5歳の子どもに、クリスマスにほしいものを紙に書いて靴下に入れておきなさいと言ったそうです。そうしたら、「サンタさん、プレゼントはいらないからたべものをアフリカのこどもにあげてください」と書いたって。小さいときに人を思いやる気持ちを持つのはとてもいいことだと思うんです。一番大切なのは関心を持つことなんです。


いかがでしょうか。私と同様にこの記事に感銘された方々が、既にブログ等で感想を述べられています。少しだけですがご紹介します。

2009年11月16日月曜日

始まるか 行刷・財務 VS 文科

行政刷新会議の「事業仕分け」作業が日々勢いを増す中、本日(16日)文部科学省のホームページに次のような記事が掲載されました。

行政刷新会議事業仕分け対象事業についてご意見をお寄せください(文部科学省)

現在、政府の行政刷新会議は「事業仕分け」を行っており、文部科学省関係の事業についても以下の表のとおり対象となっております。

この事業仕分けを契機として、多くの国民の皆様の声を予算編成に生かしていく観点から、今回行政刷新会議の事業仕分けの対象となった事業について、広く国民の皆様からご意見を募集いたします。

予算編成にいたる12月15日までに下記のアドレスまでメールにてお送りください(様式自由、必ず「件名(タイトル)」に事業番号、事業名を記入してください。)。
http://www.mext.go.jp/a_menu/kaikei/sassin/1286925.htm


上記の文章に続き、各事業の詳細(番号、事業名、資料へのリンク先、事業仕分けの結果)が一覧化され、意見の提出先として、政治主導を意識してか「担当副大臣・政務官のメールアドレス」が記載されてあります。

文部科学省は、この意見募集の目的を、「事業仕分けを契機として、多くの国民の皆様の声を予算編成に活かしていく」ためとしていますが、真意のほどはよくわかりません。

少しうがった見方をすれば、今後の予算編成における行政刷新会議・財務省連合軍からの猛攻撃に備えた理論武装を国民に求めているのかもしれません。

いずれにしても、行政刷新会議が求める効率性一辺倒の政策決定が、この国の教育にとって果たしてどれだけの意味があるのかを直接国民に問うことはとても大事なことだと思います。

(関連記事)事業仕分けに反撃?文科省、HPで意見募集(2009年11月17日 朝日新聞)

2009年11月11日水曜日

08年度の国立大業務実績評価結果

文部科学省の国立大学法人評価委員会(野依良治委員長)は11月6日(金曜日)開催の総会で、国立大学等の全90法人に対する2008年度の業務実績評価をまとめ、公表しました。

この法人評価は、大きく、1)業務運営の改善・効率化、2)財務内容の改善、3)自己点検・評価及び情報提供、4)その他業務運営の4項目を「特筆すべき進捗状況にある」「順調に進んでいる」「おおむね順調に進んでいる」「やや遅れている」「重大な改善事項がある」の5段階で評価したもので、報道によれば、4項目とも「重大な改善事項がある」との評価の法人はなく、どの項目も92~99%の法人が「おおむね順調」以上だったようですが、福島大学など12法人が、いずれかの項目で「やや遅れている」とされています。

このうち、12法人(秋田大学、弘前大学、福島大学、政策研究大学院大学、上越教育大学、北陸先端科学技術大学院大学、山梨大学、信州大学、愛知教育大学、兵庫教育大学、奈良先端科学技術大学院大学、鳴門教育大学)が、大学院修士、博士、専門職学位のいずれかで定員充足率が90%を満たしておらず、定員充足に向けた取り組みが必要として改善を促されいています。中でも弘前大学、山梨大学の博士課程と信州大学の法科大学院は、2007年度も充足率が9割を切っていたのに定員を見直しておらず、評価委員会は速やかな定員削減を求めています。

また、業務運営関係では、7法人で学外の有識者も含めた経営協議会での適切な審議がなされておらず、このうち東京学芸大学は、決算に関する経営協議会が定足数を満たさず不成立、また、教職員の給与改定など経営協議会で審議すべき事項なのに報告で済ませた例が室蘭工業大学、福島大学、筑波技術大学、埼玉大学、信州大学、京都工芸繊維大学で見つかっています。


国立大学の第一期中期目標期間も今年度が最終年度です。その前年度の評価において「重大な改善事項」の指摘はなかったものの、国立大学法人法に定められた経営協議会において審議すべき事項を審議していないなどといった”法令遵守違反”がまかり通っていること自体由々しき問題です。大学のガバナンスが機能していないことを如実に表していると言えるでしょう。第二期に向けた検証と改善が求められます。

(参 考)

国立大学法人等の平成20年度に係る業務の実績に関する評価結果について(文部科学省)

国立大学法人評価委員会は、国立大学法人法に基づき、文部科学省に設置されており、国立大学法人等の各事業年度及び中期目標期間に係る業務実績に関する評価を行うこととしています。この度、11月6日に国立大学法人評価委員会総会が開催され、平成20年度の業務実績に関する評価結果がとりまとめられましたので、お知らせします。・・・
http://www.nicer.go.jp/lom/data/contents/bgj/2009110904037.pdf

(関連記事)

国立大大学院、12校が充足率9割切る 文科省評価委08年度調べ(2009年11月6日 共同通信)http://www.47news.jp/CN/200911/CN2009110601000651.html

国立大学:業務「不十分」計19法人 定員不足など--08年度評価(2009年11月7日 毎日新聞)http://mainichi.jp/life/edu/news/20091107ddm012010135000c.html

2009年11月10日火曜日

教育は人なり

去る11月4日(水曜日)、文部科学省は「公立学校教職員の人事行政の状況調査について」という報告書を公表しました。

主な内容は、1年間の試用期間後に正式採用とならなかった学校教員は平成20年度:315人で過去最多。そのうち88人(30%)は精神疾患による依願退職。また、教育委員会が、学習計画が立てられない、子供とコミュニケーションが取れない、間違いが多いなど「指導力不足」と認定した教員は306人(前年度比65人減)、そのうち40~50代のベテランが245人(80%)、全体で78人が研修後に現場復帰したが、50人が依願退職。といった驚くべき内容でした。

このような学校教員の実態は、近年、以下のように、不祥事で懲戒処分を受ける教員の存在と相まって、教員不信を高める要因にもなっており、深刻な問題となっています。


わいせつ、放火、覚せい剤・・・教職員懲戒免98人、4~10月 教委「危機的状況」(2009年11月5日 読売新聞)

酒気帯び運転や生徒へのわいせつ行為などで懲戒免職になった教職員が、今年4~10月の7か月で98人に上ることが4日、読売新聞のまとめでわかった。覚せい剤を乱用したなどとして逮捕される事案も相次ぎ、深刻な事態になっている。各教育委員会は「危機的な状況」と受け止めているが、有効な再発防止策を見つけられないのが現状だ。・・・
http://osaka.yomiuri.co.jp/edu_news/20091105kk02.htm


このたび文部科学省が公表した報告書の内容は、既に多くのメディアを通じて発信され、社説・論評はもとより、ブログ等個人レベルにおいても様々な受け止め方が社会に披露されていますが、まだ報告書に目を通しておられない方のために、簡単に要点をご紹介しておきましょう。

なお、詳細をお知りになりたい方は文部科学省のホームページをご覧ください。

公立学校教職員の人事行政の状況調査について(平成21年11月4日 文部科学省)

1 調査の目的

都道府県・指定都市教育委員会の教職員の人事管理に係る施策の企画・立案に資するため、公立学校(小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校)教職員の人事行政の状況について調査

2 調査結果(事項)
  1. 指導が不適切な教員*1の人事管理に関する取組等について
  2. 優秀教員表彰の取組について
  3. 公立学校教員の公募制・FA制等の取組について
  4. 公立学校における校長等の登用状況等について
  5. 民間人校長及び民間人副校長等の任用状況について
3 上記のうち、「指導が不適切な教員の人事管理に関する取組等」

学校教育の成否は、学校教育の直接の担い手である教員の資質能力に負うところが大きいことから、教員として適格な人材を確保することは重要な課題。このような中、児童生徒との適切な関係を築くことができないなど、指導が不適切な教員の存在は、児童生徒に大きな影響を与えるのみならず、保護者等の公立学校への信頼を大きく損なうもの。このため、教育委員会においては、指導が不適切な教員に対し継続的な指導・研修を行う体制を整えるとともに、必要に応じて免職するなどの分限制度を的確に運用することが必要。

本調査は、各教育委員会におけるこのような指導が不適切な教員に対する人事管理システムの適切な運用を促進するため、その取組状況について把握するとともに、併せて希望降任制度及び条件附採用制度の実施状況についてとりまとめたもの。なお、この調査は平成20年度の各教育委員会の人事管理システムによる指導が不適切な教員の状況等をまとめたものであるが、教育公務員特例法の改正により、平成20年度から指導が不適切な教員に対する指導改善研修の実施が任命権者に義務づけられたため、全ての教育委員会においてそれぞれの人事管理システムを同法にのっとった制度として整備・運用されているところ。文部科学省では、適正な運用を行うための参考となるよう、平成20年2月に指導が不適切な教員に対する人事管理システムのガイドラインを策定。

平成20年度における指導が不適切な教員の認定者は306名
  • 学校種:小学校(55%)、中学校(23%)、高等学校(16%)、特別支援学校(6%)
  • 性別:男性(73%)、女性(27%)
  • 年代:40代(44%)、50代(36%)、30代(15%)、20代(5%)
  • 在職年数:20年以上(60%)、10~20年未満(25%)、5年以下(9%)、6~10年未満(6%)
指導が不適切な教員の認定者数等の推移

12年度65人
13年度149人
14年度289人
15年度481人
16年度566人
17年度506人
18年度450人
19年度371人
20年度306人

認定者中の退職者数等の推移(依願退職、転任、分限免職、懲戒免職を含む。)

12年度22人
13年度38人
14年度59人
15年度96人
16年度112人
17年度111人
18年度115人
19年度92人
20年度50人

なんとも驚くべき実態です。

私は学校教員ではありませんので断言はできませんが、教員という仕事は本当に大変ですが、一つの物事をやり遂げる達成感や充実感を児童・生徒とともに感じることができる素晴らしい仕事であり、一生をかけるに足るやりがいのある仕事ではないかと思います。

そのため、教員には、「子どもたちと向き合い、コミュニケーションを取りながら関係を作り上げていく力」とともに、子どもたちの教育をめぐって、「同僚の教師、保護者、地域住民と共通の認識、理解を共有しながら連携、協力して仕事をする力」が求められています。

しかし、現実には、上記文部科学省の報告書に見られるような「指導力不足教員」が数多く存在することも事実です。また、それは、文部科学省の教員勤務実態調査によれば、教師の1日の残業は約2時間で、教科指導だけでなく雑多な校内業務に追われていること、さらには、いわゆる「モンスターペアレント」と呼ばれる保護者らへの対応など心身の負担が増えていることなど、教員を取り巻く厳しい職場環境にその一因があることも十分理解できるところです。

さりながら、この問題、学校現場にだけその責任を押しつけていいのかどうか、教壇に立つ力を与え、学校現場に教員の卵を供給する大学に責任は全くないと言い切れるのかどうか、よく検証しなければならないと思います。

大学にいると、時折、最近の教員養成の動向を聞く機会があります。中でも教育実習については、様々な苦労話や愚痴が聞こえてきます。挨拶ができない、身だしなみが悪い、茶髪、社会的なマナーが身についていないなど、教育実習に対する心構えの甘さが服装の乱れにつながっているという声もあります。教師としてどうかと言う以前に社会人としての自覚がなさすぎるといった声も聞こえてきます。また、元気・積極性がない、児童・生徒とのコミュニケーションがうまく取れない(コミュニケーション能力が足りない)、教育実習を辞退する学生が多いといった問題も増えてきているようです。

こういった状況から、学校現場における「指導力不足教員」の増加には、大学における教員養成の不十分さが大きく影響していることがわかります。大学は、「指導力不足教員」を生み出している教員養成機関としての責任を痛感しなければなりません。

教員を養成する大学は、現在の学校現場が抱えている生徒指導、学校経営、キャリア教育など学校現場と密着した現代的な問題に対して役立つ教員としての基礎的な資質、保護者や地域社会に対して柔軟に対応できる強い精神力、そして、教員としての志(魂)を持つ学生をしっかり育成することが必要です。

また、大学は、卒業していく学生の品質補償を担う責任があります。そのためには、自らの教育の中身が、学生や学校現場のニーズに沿ったものであるか不断に確認するとともに、講義をはじめとする教育の内容を教育委員会をはじめとする外部に公表することが重要になります。

最近、愛知教育大学が国立大学協会との共催で開催した教員養成シンポジウムの中で、前宮城教育大学長の横須賀薫・十文字学園女子大特任教授は「教師の力が衰えたのは、指導力を支える学芸の修得を怠ったためだ。子供の自ら学ぶ力は、自ら学ぶ教師によってしか生み出せない。教員養成と免許のあり方を根本から見直すべきだ」と強調されています。教員養成を使命とする大学・学部は十分自覚しなければならない指摘だろうと思います。



最後に、このたび文部科学省が公表した調査結果の中に「民間人校長及び民間人副校長等の任用状況について」という項目がありました。教員出身でない者を公立学校の校長に任用しているのは、43教育委員会96名、教員出身でない者を公立学校の副校長等に任用しているのは、15教育委員会45名(いずれも平成21年4月時点)という結果でした。

このことが、どのような効果をもたらしているか詳しくは私にはよくわかりませんが、ふと、以前あの「夜スペ」で一躍有名になった、前杉並区立和田中学校校長の藤原和博さんのことを思い出しました。リクルートという一流民間企業から公立中学校長へ転進。当時、東京都内の公立中学では初めての民間人出身の校長として公立校の教育改革に取り組まれてきた藤原さんの問題意識や教育に対する姿勢は、一部その手法において批判もありますが、多くの教師や教育関係者の共感を呼んだことは確かです。

藤原さんは、最近、NHKのテレビ番組「知る楽・仕事学のすすめ」に出演されました。その模様をネットで知ることができますのでご紹介します。

藤原和博「異なる力」をつなげる方法
藤原和博「会社はビジネススクール」
藤原和博「組織内個人」を目指せ
藤原和博「とにかく踏み出せ」


(関連記事)

採用されない新人教員、過去最多 3割は精神疾患(2009年11月4日 産経新聞)
教員の質向上策 研修効果を検証し改善進めよ(2009年11月5日 読売新聞)
指導力不足教員 もっと実態に踏み込め(2009年11月5日 毎日新聞)


*1:知識、技術、指導方法その他教員として求められる資質能力に課題があるため、日常的に児童等への指導を行わせることが適当ではない教諭等のうち、研修によって指導の改善が見込まれる者であって、直ちに分限処分等の対象とはならない者であり、認定された教員に対して、指導改善研修を受ける者の能力、適性等に応じた指導の改善を図るために必要な研修を実施することが義務付けられており(教育公務員特例法第25条の2第1項)、各教育委員会において研修内容や研修場所等を定めることになる。なお、指導改善研修の期間は1年を超えてはならないこととなっているが、特に必要があると認めるときには、指導改善研修を開始した日から引き続き2年を越えない範囲内で、これを延長することができることとなっている(教育公務員特例法第25条の2第2項)。

2009年11月3日火曜日

今、国会論戦がおもしろい

昨日(11月2日)、衆議院予算委員会を舞台に、鳩山内閣発足後初めての本格的な論戦の火ぶたが切られました。

国民が政権交代を選択し約1か月半、高い国民の支持率を基盤に、鳩山内閣は精力的に様々な政治課題に取り組んでいます。

これまで野党として国会に臨んできた民主党が支える政権は、これからは野党の追及に対応することになります。どのような答弁を展開していくのか大変興味があり、テレビ中継を録画して見てみました。

論戦の内容は、既に新聞等で詳細にわたり報道されていますので、今回は、鳩山総理や閣僚の皆さんの答弁ぶりを中心に目で見て感じたことをご紹介したいと思います。

まず、会議場である委員会室の風景としてこれまでと変わった点。
  1. 必要に応じ答弁を行っていた政府委員と呼ばれる役人や、答弁内容担当の役人の姿が消えた代わりに、各省庁の副大臣、政務官の席が議場側面に設けられ、各氏とも真剣な面持ちで質疑応答を聴きメモをとっていました。中には求められ答弁を行った政務官もいました。”政治主導”の実践でしょうか。

  2. 民主党委員席の後ろの壁際には、おそらく1年生議員だと思われますが、大勢の議員が肩を寄せ合って窮屈そうに列席(一部立ち見)していました。委員会現場での”実習”だったのでしょうか。であれば新人としての積極的な姿勢が評価されます。
次に、鳩山総理をはじめとする閣僚の答弁について。
  1. 政治主導と豪語しているだけあって、誰一人として、役人が作成した答弁メモを持たず、自分の言葉でわかりやすく答えていました。当然ながら以前のように役人が”耳打ち”する姿もありません。話しぶりも、野党(自民党)議員の挑発にも乗らず、常に冷静かつ謙虚でした。

  2. 質問に対して、複数の大臣が発言を求めて挙手を行うなど、国民への説明を積極的に果たそうという姿勢が見受けられました。

このように、鳩山内閣の国会対応は、これまでの自民党政権下における対応とは全く様変わりし、その真摯な姿勢にテレビをご覧になった多くの国民の皆様は、民主党に対する更なる希望と期待を感じたのではないかと思います。今後は、質問者も含め、”政治家の質”がためされます。それを評価するのは私達国民です。

それにしても、前自民党政権が残した、借金問題、沖縄問題、年金問題など多くの課題の解決に向け、今や、民主党政権が必死になって取り組んでいるという矛盾した現実や、そのことを下野した自民党が平然と説教がましく批判しているという構図は、民主党自身やるせない思いでしょうし、国民から見ても同様に感じます。

願わくば、政権経験者としての自民党は、国会の場で、もっと国民目線の超党的議論ができないものかと思うのですが、いかがでしょうか。


(関連記事)

鳩山由紀夫の「ゆう&あい」 新しい国づくり(2009年11月2日 鳩山内閣メールマガジン第4号)

新しい政権の新しい国会がスタートしました。
10月26日に始まった第173臨時国会は、政権交代をしてから初めての国会です。冒頭の所信表明演説、それに続く各党からの代表質問への答弁は、私たち政治家自身が考え、できるだけわかりやすい言葉で、国民のみなさまに向けたメッセージでありお答えとなるよう、努めてまいりました。
私自身はもちろんですが、各大臣も、いかに国民のみなさまに伝わる答弁となるかを考える中で、国民のみなさま方の思いとひとつになるということが大事であると思ってきたからです。
前政権がそうであったように、有能な官僚たちに作ってもらった原稿を読むだけなら、誰が首相でも大臣でも、本会議をこなすことは可能です。私も、外交日程が続いていた中で、新しい政権が発足して初めての、一番大事な所信表明演説を練り上げることは、正直、体力的にきついと感じることもありました。
しかし、そこで思い浮かべたのは、私たちに期待をし、これからの日本の将来への望みを託して一票を投じてくださった国民のみなさま方の姿です。
私がこの政権で何をしたいのか、どんな国づくりをしたいのか、なんとしてでもその決意を、自分の言葉で述べなければならないと思ったのです。各大臣も同じ思いでいてくれたものと思っています。そして、私たちの内閣が、そのような国会運営を行っていくことが、政治主導の一つでもあると思っています。
さて、その「国づくり」-私が目指す国は、一人ひとりの能力を生かしながら、人と人とが支え合う、「自立と共生」の友愛社会です。それは、政治と国民、官と民間、国と地方、それぞれの関係にも当てはまります。一人ひとりの、個々の企業の、またそれぞれの地域の力が十分に発揮されるために、それを阻む法律や規制、悪しき慣習は改めていかなければなりません。
敗戦の荒廃の中で力を失った国民や地域が、まずは「国主導」で再建にあたったことは、その時代には当然のことであったと思います。しかし、それから60年以上が経ち、日本も大きく変わりました。「誰かがやってくれるだろう」という他人依存から脱し、一人ひとりが何をできるのかを考え、国民のみなさま方にも大いに力を発揮していただきたいのです。
そのために、私が大事にしたいのは「弱い立場の人々、少数の人々の視点を尊重する」という友愛政治の原点です。本当に助けが必要な人やところには、社会がきちんと手を差し伸べる。政治の役割は、その枠組み作りをすることだと思っています。
私たちの新しい政権による国会は、すべてがチャレンジです。しかし、私たちが常に国民のみなさまの方を向き、国民のみなさまのための国会を行い、「政治が変わったな」「何か日本も変わりそうだ」と実感していただけるよう、全閣僚、全議員をあげ、精一杯努力してまいります。国民のみなさまにも、大いに政治に参加をしていただき、そして新しい「私たちの日本」を、共に作っていこうではありませんか。


「最初はかなり緊張」=衆院予算委で鳩山首相(2009年11月2日 時事通信)

鳩山由紀夫首相は2日夕、就任後初めて臨んだ衆院予算委員会での論戦について「最初のうちはかなり緊張した。しかし、(国民には)国会が少しずつ変わってきていると理解いただけたのではないか」と振り返り、「これからもっと慣れてくれば、さらに活発な論戦ができるのではないか」と語った。首相官邸で記者団の質問に答えた。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009110200890&m=rss


質問取りでもさや当て ねじれ国会の意趣返し?(2009年11月2日 産経新聞)

2日の衆院予算委員会で、自民党は事前の「質問通告」を拒否した。与党時代に民主党に苦しめられた意趣返しのようだが、政府側は官房副長官まで質問内容を事前に教えてもらう「質問取り」に奔走。低レベルの「政治主導」が繰り広げられた。・・・
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091102/plc0911022353016-n1.htm


衆院予算委、攻守逆転で自民「ネチネチトリオ」炸裂(2009年11月2日 産経新聞)

鳩山由紀夫内閣発足後初の衆院予算委員会が2日、開かれ、本格的な国会論戦が始まった。野党・自民党は大島理森幹事長、町村信孝元官房長官、加藤紘一元幹事長と重鎮3人が次々に質問に立ち、現政権の経済・外交政策などを執拗(しつよう)に追及した。首相は「守りの答弁」に徹したが、攻守が逆転した国会審議の厳しさを痛感したのか、硬い表情を最後まで崩さなかった。・・・
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091103/plc0911030001000-n1.htm


社説:衆院予算委 異彩を放った加藤質問(2009年11月3日 毎日新聞)

鳩山政権発足後、初の衆院予算委員会が2日始まった。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題など喫緊の課題が論戦の中心となる中で、異彩を放ったのは「この国は何を目指すのか」をテーマにした加藤紘一・元自民党幹事長の質問だった。鳩山政権への追及が甘いとの指摘は当然出るだろうが、政治家同士が理念を語り合うという試みは評価したい。・・・
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/archive/news/20091103ddm005070096000c.html

2009年11月2日月曜日

教員の基礎資格の高学歴化

今、政権交代に伴う、いくつかの大きな教育政策の転換が大きく取り沙汰されています。

そのうち、教員養成に関わる政策課題としては、「免許状更新講習制度の廃止」問題、さらには、「教員養成6年制の導入」問題があります。

先日、我が国の教員養成系大学・学部が加盟する日本教育大学協会が、この二つの政策課題について各会員校へ意見聴取を行い、その結果、会員校からは主に次のような意見が出されたようです。抜粋・編集しご紹介します。

「免許状更新講習制度」の廃止について

賛成意見
  • 10年研修等など教員研修システムの中での検討課題が残されており、廃止に異議はない。
  • 「最新の知識技能を身に付ける」という点で意味のないことではないが、日々の実践と学んだ知識技能を結びつけるのは、個々の教員まかせとなりその効果は限定的。
  • 教員免許状の発行権者でも任命権者でもない大学に、免許状の失効にかかわる権限・責任が任されていること、不適格教員の排除も目的とされているところがあること、受講料負担を含め、個人の責任とされていること、など問題が多い。
  • 将来的なことを考えるとできるだけ早く廃止すべき。今後の教員養成制度を構築するなかで、免許状更新講習制度は大幅に変更せざるを得ない。
  • 実施する大学の負担が非常に大きいし、受講生、学校、教育委員会の負担の重さもあり、中止することもやむを得ない。
  • 「更新制」と「更新講習制度」は分けて考えるべき。30時間の座学中心の講習制度は、現場のニーズに合致しているか疑問。別の形の研修制度と組み合わせるのが現実的ではないか。
  • 各都道府県により講習内容がまちまちであり、教員の質保証の妥当性が充分あるとは言い難い。
  • 10年経験者研修との関連性が明確でないし、免許状更新講習制度は知識のリニューアルが目的であり、問題教師の排除を目的とするものではないことが理解されていない。
  • 教員研修は県教育センター中心に実施され、県も市町村も学校もそれぞれの企画が特色をもって行われていることが多く、現行の研修制度に屋上屋を架す制度の感が否めない。免許状更新講習は教育委員会の各種研修に吸収するのが妥当。
  • 受講者(教員)は、実践現場の対応に追われ全体に時間的なゆとりがなくなり、子どもと向き合う時間不足から焦燥感を抱いている。免許状更新講習のため学校を空けることで、かえって学校現場が忙しくなり、従来の学校単位の実践的な研修が弱くなっている。学校がもつ基本的業務を見据えて、学校本来の機能回復を念頭に制度設計をやり直すことが必要。
  • 学校内の教員同士の模擬授業などの実践的な研修が、その学校の児童生徒の学力向上に資することは、全国学力状況調査で明らか。教師の専門性の向上にとっては、それぞれの学校現場に密着した研修システムを構築し、こうした学校現場の取り組みを大学が支援することが「教員の資質能力の保持」に必要ではないか。
  • 小・中・高及び特別支援を含む全ての校種の教員に対して同じ講習でよいのか、10年に1回、30時間の講習で「更新」の意味があるか問題が多い。

反対意見
  • 教員という職業は高度に専門的な職業であり、常に継続的な研修・研究が必要。免許状更新講習制度は大学を中心とした外部機関が研究的視点から行うところに意義がある。
  • 大学側の負担が大きいにもかかわらず取り組んだのは真の教員研修研究の体制づくりにつなげられる可能性をもつと理解・納得したから。発足して1年で廃止することは政策的観点から理解できない。
  • 始めたばかりの制度を評価や分析、総括しないまま廃止することは反対。効果を判定した上で廃止するどうかを決めるべき。

「教員養成6年制」の導入について

賛成意見
  • 6年制を実現する場合、単純に期間を延長して6年間で教員免許を与えるのではなく、4年卒業後教員として10年程度経験した者に、5~6年の期間中に大学院で修士の学位を取得させ免許状を更新する制度が望ましい。
  • 修士の学位を取得した者にその後15年程度の教職を約束し、その後何らかの研修を経て終身雇用あるいは管理職への登用する制度を検討すべき。
  • 6年一貫教育の意義は、平成9年の教育職員養成審議会答申「新たな時代に向けた教員養成」でも指摘されている。
  • 教員養成大学・学部は、学部課程の教育システムの改善と大学院へ連続するカリキコラムのグランドデザインを策定する責任がある。
  • 高度な教員養成をめざして県・市とも連携し「実践性」「総合性」「地域性」の理念をもとに、学部と大学院をつなげたカリキュラムに実現を図ることが必要。
  • 教育に関する優れた実践力・指導力を有する教員の養成は欧米並みの最低5年以上の高等教育による教員養成が望ましい。
  • 教職大学院の教育課程で示されている指導力の養成に加えて、本来の教科に関する知識の蓄積と授業力の強化も不可欠であり、教職大学院と教育学研究科修士課程とを融合させた教員養成を進める必要。
  • 教員養成の高度化・専門職化の観点からは4年制の教育で不十分であることは明白。
  • 開放制における教員免許取得を今後も維持するならば、一般学部から教員になる方法として、教職大学院の在り方を早急に検討すべき。
  • 教科専門の在り方を抜本的に見直すことも必要で、学部間・大学間の連携を大胆に推し進めることもあわせて検討すべき。
  • 教科の力が不足していることに対する危惧からは6年制への移行に賛成だが、教員を目指す学生を対象とする奨学制度の整備が不可欠。
  • 学部4年+修土2年の連続したカリキュラムの策定、ニーズを調査した上で学部に6年一貫コースを設けてはどうか。
反対意見
  • 将来的には6年制に移行すべきと考えるが、現在の体制のまま安易に移行することは反対。
  • 教員養成の真のカリキュラムを開発し、それを日本のスタンダードなものとして、それの試行の結果、6年制への移行がどうしても必要であるとの結論を得られた特に移行すべき。
  • このまま6年制に移行するならば、緒についたばかりの教職大学院制度への問題も生じる。
  • 具体的な制度設計が示されない段階では、十分な検討は困難。必要なことは教員に求められている資質能力の水準についての到達目標を明らかにすること。そのうえで、学部4年の制度で済むのか、6年制が必要なのか問われるべき。
  • 理念的、理想的には是とするが、その具体的制度設計については多くの課題があり、十分な現状分析を踏まえた検討が必要。
  • 免許制度との関連で、どのような制度設計がなされるのが不透明。
  • 6年制になることにより、教員養成学部に進学を希望する受験生の確保が問題となり、薬学部の修業年限問題の鉄を踏まないことが肝要。
  • 6年制よりも4年制を基本として、新任教員の研修の在り方を見直すことが先決。
  • 現在の教員養成が開放制と免許主義に基づいてい行われている以上、それを制度改革として教員養成6年制を導入するのは困難。
  • 現在の修士課程を足せばいいという議論ならば暴論であり、6年間かけて何を教育するのか議論が必要。免許更新講習の廃止の議論は容易いが、教員養成6年制問題は安易に考えることはよくない、時間をかけて議論しそれを国民に知らせることが大切。

その他の意見

  • 現在、教育批判(国民総教育評論家)に一般論に流されず、国として幼児からの教育はどうあるべきか、これとの関連で国は高等教育(教員養成教育)にどうかかわる(責任をもつ)べきかについて、本質的な議論をなすべきで、現状の対症療法的・対策論的な議論だけではないものを組織すべきである。
  • 教員養成大学(単科大学)や総合大学の中での教育学部は、免許状の関係から開設授業科目が多いため、教員や設備への財政措置が十分でなく大学運営が危機的状況である。
  • 教員養成大学の人件費比率は7~8割であるが、これは法人化前からの構造であり、その中で人件費の抑制及び効率化係数による運営費交付金の削減は、大学存立の危機に関わる極めて大きな問題である。
  • 法人化後、財政面で大学運営に競争的原理が持ち込まれたことにより、大学間格差がさらに拡大し特に教員養成系大学は早晩経営が成り立たなくなる。
今後の教員養成制度、教員免許制度に関する政府の正式な政策方針は未だ示されていません。関係者はマスコミ報道に翻弄されることなく、冷静な判断のもと、迅速で的確な検討を進めることが求められています。