2009年12月24日木曜日

国立大学の予算と経営努力

国の予算編成も大詰めを迎え、いよいよ民主党政権になって初めての予算案が25日を目途に閣議決定されるようです。

この予算のうち、教育や科学技術に目を移せば、これまで、行政刷新会議による事業仕分けで、予算の大幅削減などが打ち出された事業の関係者、とりわけ学界を中心とした個人やグループが記者会見し、来年度の予算確保を求める声明を発表するなど、従来にはなかった抗議活動が積極的に展開されてきました。

様々な要因が考えられますが、国立大学が法人化された際、国立大学全体としての自主性・自立性に基づいた判断ができず、声を上げる前に政治や行革に押し流された苦い経験が今回のような行動を誘引したこともその一つになっているかもしれません。

また、声明は、予算の縮減で、教育研究水準の低下や優秀な学生の確保・育成が損なわれ、地域における高度人材育成の中核拠点が崩壊するといった内容がほとんどで、国立大学の場合、法人化後、運営費交付金が毎年1%づつ削減されるなど、大学経営上の深刻な状況が続いてきただけに、事業仕分けの結果がそのまま予算化されることに対する危機感が学長さん達にこういった行動を決断させたのかもしれません。

地方大学に比べれば、資金的にさほど困窮していないであろう東京大学までもが、大学のホームページに「明日の日本を支えるために-教育研究の危機を越えて-」と題する特設コーナーを設けて社会に訴える活動を行ったほどですから、事の深刻さがひしひしと伝わってきます。

さて、去る12月14日(月曜日)に、九州地区国立大学の学長さん達が共同記者会見を行ったことをもって、全ての国立大学の声明発表がひととおり終わりました。各地区の声明文を全て通読してみましたが、各地区の主張そのものは全く同感、国民の皆さんにも十分理解していただける内容ではないかと思いますし、随所にそれぞれの地区の特色というか、代表で執筆された学長さんの強い思い入れが表れていたような気がしました。しかし、僭越ながらあえて苦言を呈するならば、「教育」「学生」「人材育成」「人づくり」といったキーワードよりも、「研究」「科学技術」「経済」「競争」「地域社会」といったキーワードが多用され、「教育者よりも研究者の目線」で書かれた文章という印象を強く持ちました。大学教員の発想は相変わらず世間離れしているようです。

また、これらの主張がどこまで説得力があるのかについては、大学に身を置く立場としては、やや疑問に思うところがあります。この日記でも既にコメントしたことがあり繰り返しになりますが、果たして各国立大学は本当に真剣に血の出るような経営努力をしているのか、学長さんたちの主張と大学経営の実態に乖離があるのではないかという疑問です。

今国立大学においては、確かに国の時代に比べれば、いわゆる「人、物、金、スペース」といった資源の不足感は否めませんし、声を大にして社会に訴えることも必要なことですが、それでは国立大学(の学長さん)は、国立大学とは縁もゆかりもない社会の人達、あるいは、私立大学に多額の授業料を負担している保護者からいただく運営費交付金という名の税金を無駄なく効果的に使っているのかと問われた時に、果たして1円単位できちんと説明や証明ができるのか甚だ疑問の点があります。

国立大学の経営トップである学長さん方は、これまで、運営費交付金の削減で「資金が足りなくなり、教育研究や学生サービスに悪影響が出た」「教職員の定年退職後不補充により、特に卒業研究指導など教育への悪影響(が出ている)」「交付金の削減をやめ増大に転じることが必要」「高等教育の公財政投資を欧米並みに、現在の国内総生産(GDP)比0.5%から1%に増加させることが必要」といった国民の心に全く響かない具体性のない言葉のつながりを、教員出身者らしく能弁に語ってきましたが、それだけでは全く説得力がありません。「私達はここまでこういった努力や改革をやってきた、しかしそれもこういった点で限界域に達している」ということを、客観的なデータなど、誰もが納得できる具体的なエビデンスに基づいて説明しなければ誰も理解してくれないのではないかと思います。多額の税金や学費によって賄われていることの意味を、大学のホームページ等できちんと説明している国立大学はまだまだ少数のような気がします。

大学の中には、学長さんや役員さんの目には留まらない、留まってもあえて放置されている「あるべき姿と実態との大きな乖離」(=緊急に解決すべき課題)がいくつもあります。また、大学の外からみた評価や会計検査院による無駄遣い検査において、毎年のように指摘されているにも関わらず手をこまねいている課題も少なくありません。今の国立大学には、予算(税負担)の増額を国民に求める前に改善しなければならない課題が山ほどあるのではないでしょうか。

法人化後、国立大学の財務会計制度が格段に改善されました。年度内に消化できない予算については、「経営努力」という美名のもとに翌年度に繰り越して使用することが可能になりました。文部科学省が国立大学に繰り越しを承認した金額は、キャッシュベースで約1,500億円(平成19年度現在)に上ります。

なお、このお金は、平成22年度からの次期中期目標期間には繰り越せないしくみになっていますから、全国の国立大学では、今年度中に全ての積立金(税金)を無理やり消化することになります。予算消化(予算の無駄遣い)に奔走するという悪弊の時代に逆戻りすることになります。予算が厳しく教育に支障を来しているという学長さん達のコメントとの整合性を国民はどう理解すればいいのでしょうか。


それでは、日本の北から順に学長さん方の主張をそのまま全文ご紹介しましょう。皆さんはどのようにお感じになりますか。

北海道地区(北海道、北海道教育、室蘭工業、小樽商科、帯広畜産、旭川医科、北見工業の7大学) (平成21年12月2日)

大学界との「対話」と大学予算の「充実」を -平成22年度予算編成に関する緊急アピール-

平成22年度の予算について、これまでに行われた事業仕分けの結果やこれを受けての行政刷新会議の議論に接し、今後行われる予算の編成に向けて、道内の7国立大学は下記の点について緊急のアピールを行います。


1 大学予算の縮減は、国の知的基盤、発展の礎を崩壊させます。

わが国の高等教育への公財政支出の対GDP比、政府支出に占める投資額の割合などの指標は、先進諸国中最低レベルの水準です。総理は、所信表明演説の中で、「コンクリートから人へ」の投資の転換を強調されました。資源小国であるわが国にとって国力の基盤は何よりも「知」と「技」にありますから、今後の国づくりは、国家の知的基盤である大学の教育研究の振興を抜きには考えられません。大学に対する公的投資の拡充に向け、政治のリーダーシップを強く発揮されることを切に望みます。

2 国立大学財政の充実に関する基本姿勢を貫いて下さい。

道内7国立大学における運営費交付金は、5年間で73億円の減少、道内単科大学の2校分の消失に相当します。選挙時の民主党の政策文書には、「世界的にも低い高等教育予算の水準見直しは不可欠」、「国立大学法人に対する運営費交付金の削減方針を見直し」等の記述があります。
日本の教育研究の水準の維持・向上、教育の機会均等の確保に関わる国立大学の存在意義に照らして、「見直し」の原点に立ち返ったご対応(削減方針の撤廃、国立大学への投資の充実)を願う次第です。

3 政府と大学界との「対話」は、大学政策にとって必須不可欠です。

大学は、公共的な使命を果たし、社会に貢献し得る存在です。他の分野にも増して、大学に関わる政策形成過程は、透明で開かれたものであるべきであり、それには政府と大学界との緊密な「対話」が必須不可欠であると考えられます。
今後、国立大学政策に関して政府と大学界は、新たな国づくりに向けた対話を深めることが最も大切です。

終わりに

北海道の国立大学は、それぞれの地域に根ざし、地域と一体となって、教育・文化の振興、地域を支える人材の育成、産業の発展、地域医療の充実などに取り組んでいます。今後とも北海道の国立大学が「知の拠点」として、重要な役割を果たしていくためには、若手研究者育成、先導的な教育研究等を推進するための各種競争的資金、地域科学技術振興予算、運営費交付金等の確保・充実が必須であり、平成22年度予算においても、必要な予算が確保されるよう、ご理解とご支援を切にお願いいたします。

東北地区(弘前、岩手、東北、宮城教育、秋田、山形、福島の7大学)(平成21年12月8日)

大学予算の充実で地域の知的基盤の強化を

全ての国立大学法人を会員とする国立大学協会は、さる11月26日「大学界との『対話』と大学予算の『充実』を」とした、平成22年度予算編成に関する緊急アピールを発表しました。これは、これまでの概算要求の内容や予算編成の動向、さらに行政刷新会議の下で行われた事業仕分け結果に対し、以下の三点について意見表明したものです。
  1. 大学予算の縮減は、国の知的基盤、発展の礎を崩壊させます。
  2. 国立大学財政の充実に関する基本姿勢を貫いてください。
  3. 政府と大学界との「対話」は、大学政策にとって必須不可欠です。
東北地方の国立大学は、各地域における知の拠点として、これまで地域の振興に重要な役割を果たしてきました。一方、この地域は人口減少と高齢化が進み、産業活動の展開が不十分であるとともに、高等教育機関への進学率が全国平均を下回っており、人材育成を通じた地域への貢献、産学官連携に基づく地域の振興は喫緊かつ重要な課題となっております。我々、地方における国立大学はこのような課題に対し、今後も主体的に取り組む大きな使命があると考えています。

しかしながら、先の行政刷新会議における事業仕分けにおいて、「地域科学技術振興・産学官連携」関連事業が廃止となり、「競争的資金(先端研究)」や「国立大学運営費交付金(特別教育研究経費)」が予算縮減となったことは、地方国立大学が地域において築いてきた知的基盤を脅かすものであり、事態を深く憂慮するものです。

これらの事業の廃止・削減により、地域から大学に寄せる負託に十分応えることが出来なくなり、ひいては地域の知的創造サイクルに重大な影響を与えることが懸念されます。関係者の方々には、上記の点をご賢察の上、地方における国立大学の存在意義に照らして、関係事業の継続及び関係予算の確保・充実を図るなど、地域の高等教育及び科学技術の振興に係る各施策の推進について、積極的なお取組みをいただくことを切に願うものであります。

東海・北陸地区(富山、金沢、福井、岐阜、静岡、浜松医科、名古屋、愛知教育、名古屋工業、豊橋技術科学、三重、北陸先端科学技術の12大学) (平成21年11月27日)

地域を支える人材育成と研究開発(共同声明) -最先端技術を支える国立大学の基礎研究力を次世代へ-

現在、平成22年度の概算要求総額95兆円を削減するために、行政刷新会議による「事業仕分け」作業が行われました。そこでは、可能な限り無駄な支出を排除するために、様々な角度から予算案の見直しが検討されています。こうした作業などは、国の予算配分にあたって、国民に対して透明性を高めるという観点から意義のあるプロセスであると考えられます。しかしながら、資源の乏しい我が国が、国家の将来を託すために行っている政策的投資、例えば、人材育成、学術の推進、研究開発、国際化などが、当面する予算削減の視点と即効性の観点から議論されることに、われわれ東海・北陸地域において教育・学術研究を担う大学人として大きな危惧の念を抱いております。

人材育成

国立大学は、教育の機会均等を担う公共的性格の下で、優れた教育を提供し、人材の育成に寄与しています。地域になくてはならない優れた資質を有する医師や教員の養成もその大事な役割です。特に、この東海・北陸地域は、自動車産業を初めとして材料、エレクトロニクスなどの最先端技術開発を必要とする様々な基幹産業のみならず、農業、水産、製薬などの地場産業に及ぶ幅広い分野で日本の発展を支えています。そこで中心となって働いている人々の多くは、地域の要請に応え、我々が育ててきた人材であると自負しており、地域に根ざした大学の存在を無視して語ることは出来ません。

基礎研究の重要性

昨年は、名古屋大学関係者がノーベル賞を同時に受賞するというビッグニュースが日本中を駆け巡りましたが、こうした研究の成果も、一朝一夕に可能になるものではなく、十数年から、時には数十年にわたる地道な研究活動があって初めて達成された快挙です。また近年、省エネルギー・CO2排出量の削減は、国家的な重要課題となっていますが、例えば、LEDによる照明は、まさに省エネルギー・CO2排出量の削減に大きな役割を果たしています。これは、本年京都賞を受賞された赤﨑勇博士(名古屋大学特別教授)の二十数年にわたる息の長い研究の成果が「青色発光ダイオード」の発見に繋がり、その後、幾多の研究者の努力によって初めて実現したものであります。

大学の地域貢献

各大学は、地元産業界との共同研究などにより優秀な人材の育成や再教育を行うとともに、研究成果の還元により様々な機能を支え地域の発展・活性化に貢献しています。例えば、福井大学では福井県内を中心に企業215社と連携、産学官連携プロジェクト・共同研究プロジェクトを推進し地域産業の活性化に資するとともに、福井県の教員数の4割、医師数の3割、エンジニア・科学研究者の3割を大学の卒業生が占めています。

憂慮すべき事態

ここで挙げた例は、大学が日本を支える産業、技術革新、学術研究で果たしてきた役割のほんの一部でしかありません。そして、それは日々の継続的、かつ地道な努力によって積み上げられてきたものばかりなのです。万に一つでも、目前の予算的都合からその価値を忘れ、ないがしろにするようなことが始まるとすれば、それは、今後数十年の長期にわたって、日本経済や産業、特に先端技術開発に大きなダメージを与え続ける事が危惧されます。
法人化以降、毎年運営費交付金が1%減額され、今年度の運営費交付金は、法人化初年度と比較して720億円が削減となっています。各大学では、様々な経費節減努力を行ってきましたが、限界に達しています。この状況が続くと地域の教育・研究・医療の拠点としての機能が弱体化し、地域の発展を阻害しかねない状況となります。

日本の高等教育への公財政支出(対GDP比)は、OECD加盟国中最下位であり、高等教育費の伸び率は、OECD加盟国中、日本が唯一のマイナス(△2.6%)とのことであります。一方で、欧米や中国などを中心に各国は、現在の経済危機を乗り越え、さらに国家の持続的発展のための戦略に基づいて大学予算を含む教育研究・学術関連予算の大幅な引き上げを行っています。資源の乏しい日本が生き残るには、技術発展を生み出す「人」への投資が不可欠です。このような中、知識創造の源である高等教育機関への投資をひとり日本のみが減らし続ければ、世界の中で日本は着実に落伍していきます。

まとめ

こうした状況に危機感を抱いた東海・北陸地域の国立大学の学長が、本日、一堂に会し、共同声明を発表することになりました。政策決定過程の透明性を高める試みの意義は否定しませんし、また、私たちは各種業務の効率化や経費節減などの改革努力を今後も惜しまず実行してまいります。

政府におかれましては、われわれの声や幅広い国民の声に耳を傾けていただき、大学界との密接な対話などにより我が国の持続的発展と国際社会における役割を再度確認され、日本が進むべき方向とその将来像を明確にした上で、教育研究・学術予算を吟味されることを強くお願いするものであります。

中国地区(鳥取、島根、岡山、広島、山口の5大学)(平成21年12月9日)

-国家百年の計における国立大学再生を-(共同声明)

財政状況が厳しい我が国において、平成22年度予算の編成に向けて、新たな手法である行政刷新会議による「事業仕分け」は、国民に対して透明性を高めるという観点から意義のあるプロセスであると認識しております。

しかしながら、行政刷新会議ワーキンググループの事業仕分け評価結果では、大学関係の基盤的経費、学術・科学技術振興予算など高等教育機関としての大学が果たすべき役割・機能が衰退するような根幹に係る予算の削減や見直し等が提案されております。今回の事業仕分けについては、当面する予算削減の視点と即効性の観点から議論され、また、国立大学への事実誤認もあります。地方において未来社会を担う人材育成と人類の発展に資する科学研究を推進し地域貢献を使命とする高等教育機関の責任者として、資源の乏しい我が国においては、「人材」が国の基盤をなし、その人材育成を支えているのは国立大学です。明治期以来の我が国の高等教育施策の根幹をなし、国の発展の原動力となっているのは周知の事実です。
このままでは、とりわけ地方国立大学の衰退が危惧されます。そこで、以下の要望について、政府責任者として国家百年を見据えた長期的な視点に立ち、国立大学のこれまで果たしてきた役割・実績や重要性をご認識いただき、内閣として政治主導のご判断をいただきますよう強く要望いたします。

人材育成の確保

国立大学は、教育の機会均等を担う公共的性格の下で、優れた教育を提供し人材の育成に寄与しています。地域になくてはならない優れた資質を有する教員、医師、法曹人の養成も大事な役割であります。特に地方国立大学においては、比較的低所得者層の子弟を多く受け入れて教育の機会均等に大きく寄与しており、昨今の経済不況の中にあって、その役割とともに地域社会からの期待も一層増しています。

ワーキンググループの評価結果に基づく事業仕分けにより施策が行われると、各国立大学の教育研究水準の低下や優秀な学生の確保・育成・輩出が損なわれ、地域における高度人材育成の中核拠点が崩壊しかねません。このことは、地域が期待する教員・行政・企業・医療現場などで活躍する優秀な人材育成、高度で先進的な医療の提供、地域企業等への研究成果の還元にも大きな影響を与えることとなります。

基盤研究の推進

国立大学は、高度な学術研究や科学技術の振興を担い、国力の源泉としての役割を担ってきました。特に地方国立大学は、地域へ安定的かつ持続的に大きな経済効果を発揮しており、大学の研究による「新しい産業の創出と地域産業・地域文化の活性化」という地域の未来に繋がる経済基盤の創出や安心安全社会の実現という重要な役割を果たしています。
第3期科学技術基本計画の中で科学技術の戦略的重点化として、基礎研究の推進の重要性が謳われています。第4期においても、引き続き基礎研究の充実・拡充の方向で議論がなされていると承知しております。人類の英知を生み知の源泉となる基礎研究は、その研究成果が人類社会の課題解決に資するとともに、長年にわたる地道な研究活動の成果により日本人研究者がノーベル賞を受賞されたことは周知の事実です。
ワーキンググループの評価結果に基づく事業仕分けにより施策が行われると、学問分野を問わず、基礎研究や萌芽的な研究の芽を潰すなど、これまで積み上げてきた我が国の国立大学の研究基盤が歪みを生じ、やがては根底から崩壊することが危惧されます。その結果、地域や国全体の経済成長の衰退、さらに国際競争力の低下に繋がり科学技術創造立国としての価値がなくなることとなります。

以上のように、中国地方の各国立大学では、世界水準の教育研究活動を推進するとともに、地域の特色を活かした教育研究や地域のニーズに応えるための様々な取り組みを積極的に展開しています。これらの取り組みの基盤的経費である国立大学運営費交付金の毎年度の減額に対して、各大学では教育研究経費の削減、人員の効率化を図りながら懸命な経営努力に邁進しているところであります。
選挙時の民主党の政策文書には「世界的にも低い高等教育予算」や「国立大学法人に対する運営費交付金の削減方針」の「見直し」との記述があり、また、これまでの国会審議においてもこの方針に沿った対応がなされたものと承知しております。
国立大学法人の果たしてきた役割や重要性をご理解いただくとともに、内容について再度精査いただき、教育研究基盤確立のため、内閣として政治主導の判断をいただきますよう強く求めます。

四国地区(徳島、鳴門教育、香川、愛媛、高知の5大学)(平成21年11月30日)

四国地域の国立大学における教育研究水準の維持・向上等について(共同声明)

四国地域の各国立大学では、世界水準の教育研究活動の推進とともに、地域の特色を活かした教育研究や地域の企業・住民等のニーズに応えるための取組を積極的に行っております。
さて、先般の行政刷新会議WG「事業仕分け」では、科学技術の振興事業、大学の教育研究にかかる各種経費、事業について「廃止」、「予算要求縮減」等が結論づけられております。
各大学では、これまでに国立大学の基盤的経費である運営費交付金の毎年度1%の削減により、教育、研究、診療に多大な影響が及んでいるところですが、今回の「事業仕分け」で俎上にあがった各種経費、事業は、教育研究水準の維持・向上、特色ある教育研究活動の推進及び地域貢献に不可欠なものであり、それらの廃止、縮減等は、特に教育研究基盤が脆弱な四国地域の各国立大学の教育研究水準の低下、教育研究基盤の崩壊をひきおこし、地方における優れた高等教育を受ける機会を失わせることになります。さらには大学の機能低下による地域への貢献の減退、ひいては地域経済の浮揚や県民生活の向上に悪影響をもたらします。
四国地域での優れた高等教育機会の確保、教育研究水準の維持・向上、特色ある教育研究の萌芽を育て、振興するために、下記のように平成22年度予算における大学に対する公的投資の確保・拡充を強く要望します。


1 大学予算の縮減は四国地域における高等教育機関、四国発の特色ある教育研究、地域の発展の礎を崩壊させます

四国地域の各国立大学は、優れた高等教育機会の確保、特色ある教育研究推進、地域医療の充実、地域の企業等との共同研究推進など、多様な分野における世界的な教育研究活動とともに地域の発展の礎としての機能を果たすべく腐心してまいりました。
これらの取組の基盤的経費である国立大学法人運営費交付金の毎年度の減額に対して、各大学では経営努力により教育研究経費の削減、人員の効率化を図ってまいりましたが、この削減方針が続く場合には大学の運営基盤が崩れ、各分野にわたる教育研究水準や学生支援の低下をもたらすものと思われます。これは、地域が期待する力量のある教員、行政・企業・医療現場等で活躍する優秀な人材の育成・確保、地域住民への高度で先進的な医療の提供、地域企業への研究成果の還元等にも大きな影響を与えることとなります。
各国立大学が、先端的、個性的、魅力的な教育研究環境づくりに取り組むことができるよう、教育研究活動及び経営基盤である国立大学法人運営費交付金について、従来の削減方針の撤廃、予算の拡充を強く要望します。

2 競争的資金(科学研究費補助金、グローバルCOE、GP事業等)の拡充が必要です

科学研究費補助金、グローバルCOE、GP事業、学術国際交流事業その他競争的資金は、運営費交付金とならんで国立大学が先端的、個性的な取組を進めるための教育研究資源の重要な柱となっています。
先日の「事業仕分け」では、各種制度の統合・合理化、予算要求の縮減等の評価結果とされていますが、この結果は、特に地方国立大学にとっては、
  • 競争的資金獲得競争でのスタートラインからの脱落
  • 特色ある教育研究の推進の停滞
  • GP経費を活用した先導的かつ当該大学で不可欠な教育改革の取組の衰退
  • 現在進行中の個性的な大学教育・学生支援事業にあっては、今まで構築されてきたシステム、軌道に乗りつつある組織的な取組の継続が困難
  • 若手研究者をはじめとした各研究者の教育研究活動の減退、教育研究環境の魅力の減少による優秀な研究者の確保が困難
  • 大学のみならず地域全体の国際化の停滞
  • 企業との共同研究を行う際にも、基幹となる研究成果が必須であり、仮に国からの競争的資金が大幅に減少されれば、教員の研究のみならず、研究を通じた学生の教育、共同研究、受託研究にも影響を与え、地域への人材供給、成果の還元
も困難をもたらします。
このため、各種競争的資金制度を柔軟なものとする方向での調整にご尽力頂くとともに、関係予算の拡充を要望します。

3 地域科学技術振興・産学官連携関係事業の廃止は地域における産学官連携を崩壊させます

「事業仕分け」評価結果では関係事業が全て廃止とされていますが、対象となる「知的クラスター創成事業」、「都市エリア産学官連携促進事業」、「地域イノベーション創出総合支援事業」は大学と県内企業の研究者と共に共同研究を推進し、大学の基礎研究成果を地域へ還元する取組です。地域に立脚する四国の大学として当該事業が廃止されることは、地域との連携のツールを失うことであり、地域経済の活性化に対しても極めて憂慮すべきことと考えております。
また、「産学官連携戦略展開事業」は、地域における産学官連携コーディネータの配置等により、民間での経験と高い識見を持つ者を大学として活用するプログラムでありますが、これらの事業が中止されることは各地域で整い始めた産学官連携体制を後戻りさせることとなります。このように一定期間内に計画を立てて進めている研究や各種事業について、人件費に関わる部分など最低限必要な経費は継続いただくよう強く要望します。

九州地区(福岡教育、九州、九州工業、佐賀、長崎、熊本、大分、宮崎、鹿児島、鹿屋体育、琉球の11大学)(平成21年12月14日)

地域の知の拠点である大学への公的投資の充実を -平成22年度予算編成に関する共同声明-

資源に乏しい我が国が、人口減少下においても持続的な成長を可能とするとともに、地球規模の課題解決に先導的役割を果たしていくためには、その核となる人材を育成し、新たな価値や技術を絶えず創造していくことが必要不可欠であります。その中で、大学は学術の中心として、創造性豊かな優れた人材を育成し、新たな「知」を創出、継承するという社会的責務を担っています。
先般、平成22年度予算編成に向け、行政刷新会議の下で試みられた「事業仕分け」作業において、高等教育や学術研究に係る多くの事業について縮減や見直し等の方針が示されました。科学技術や教育の分野も含め、予算編成過程の透明性を高めていくことは大切なことであります。しかしながら、人材育成や教育・研究活動は継続性が重要であり、またその成果が社会に還元されるまでに時間を要することが少なくないことを理解していただいた上で、中長期的な展望に立った戦略的なビジョンを明らかにし、それに沿って議論が行われる必要があると考えます。国際的な競争が激化する中で、仮に我が国だけが大きな中断をするような事態となれば、我が国の持続的な発展や世界の中での我が国のプレゼンスに取り返しのつかない深刻な影響が出かねないと、危惧の念を抱いています。
このため、国家百年を見据えた長期的な視点に立った、大学や科学技術分野に対する公的投資の確保・拡充に向け、地域の皆様をはじめ多くの国民の方々に、下記各事項の重要性についてのご理解とご支援をお願いします。

1 国立大学運営費交付金等公的投資の充実

知識基盤社会において我が国社会が持続的な発展を続けていけるよう、新たな「知」につながる基礎的な研究活動を担うとともに、産業界をはじめ社会のあらゆる場で活躍できる多様な人材を絶えず育成、輩出することが大学に求められています。このような社会の要請を受け、九州地域の各国立大学法人においても、それぞれの個性・特色を活かした組織的・体系的な教育研究、医療活動が展開されています。
その一方で、大学における教育研究を支える基盤的経費は減少傾向にあります。法人化以降、国立大学法人運営費交付金は毎年1%減額され、平成21年度の運営費交付金は法人化初年度と比較して720億円の削減にも及び、その規模は福岡教育大学、佐賀大学、熊本大学、宮崎大学、鹿児島大学、鹿屋体育大学、琉球大学の7学分の運営費に相当します。これまで各大学では様々な経費削減努力を行ってきましたが、仮に運営費交付金や特色ある教育研究の取組みを支援するプログラムの予算が大幅に削減されることとなれば、教育研究の水準の維持・向上は困難となり、国際競争の中で我が国の大学の地位の低下は必至と考えられます。
選挙時の民主党の政策文書(「民主党政策集INDEX2009」)にも、「先進国中、著しく低いわが国の教育への公財政支出(GDP(国内総生産)比3.4%)を、先進国の平均的水準以上を目標(同5.0%以上)として引き上げていきます。」、「国公立大学法人に対する運営費交付金の削減方針を見直します。」と明記されています。新政権発足に際してこの政策が実行されることを当然ながら期待していました。長期的な展望に立って、大学における教育研究の充実のための公的投資が着実に拡充されることを切に願います。
また、高等教育機関への公的投資に当たっては、次代を担う「人づくり」を充実する必要があります。特に、優秀な学生が安心して進学し、教育・研究に専念できるよう十分な給付型の経済支援の充実が重要です。

2 科学研究費補助金の抜本的拡充

イノベーションの源泉は研究者の自由な発想に基づく研究活動にあり、新たな「知」を創造し続ける多様で重厚な知的基盤があってこそ、学問が発展し、社会経済に大きな変革がもたらされます。ノーベル賞を受賞された日本人研究者の研究成果からも明らかなように、長年にわたる研究の試行錯誤や切磋琢磨の中から、多くの新たな「知」や革新的な技術が生まれています。
基礎研究に対する投資の中でも、「科学研究費補助金」は制度発足以降、あらゆる分野にわたって大学等の研究者の自由な発想に基づく研究活動を支え、我が国の基礎科学力の強化において重要な役割を果たしていますが、近年、応募件数が増加する一方で科学研究費補助金の直接経費は伸びず、結果として新規採択率は低落傾向にあり、研究者個人に配分される研究経費も減額されています。また平成22年度の「概算要求の見直し」に伴い、すでに「若手研究(S)」と「新学術領域研究(研究課題提案型)」の新規課題募集が停止されていますが、これによる若手研究者の育成や新しい研究課題の提案に大きな影響が出ることは必至です。
諸外国が基礎研究への公的投資を拡大している状況において、仮に我が国がこれまで以上の予算の縮減を行った場合、我が国の国際競争力の低下が危ぶまれます。絶えざるイノベーションの創出のためには、目先の成果にとらわれず、研究開発の萌芽期を支える公的投資の着実な拡充が必要不可欠であります。

3 地域社会に貢献する大学への支援強化

地域の人材・知識が集積するいわば「知の拠点」である大学が、地域の中小企業や地方公共団体と協同して地元産業の技術課題や新技術創出に取組むことは、大学等の萌芽的な基礎研究活動を通じて創出された研究成果をイノベーションに結び付け、社会に還元していく手段として有効であり、大学を核とした人材の創出と地域活力の好循環を形成するものとして期待されています。また、平成18年に改正された「教育基本法」では、これまでの教育・研究という基本的役割に加え、「大学で生まれた成果を広く社会に提供し、社会の発展に寄与する」ことが大学の役割として明記されました。九州地域においても、近年、各大学を中心とした様々な産学官連携による取組みを通じて、地域産業の発展を牽引する人材の育成や魅力ある地域社会づくりが活発化してきています。
一方、先日の「事業仕分け」作業の議論においては、「地域科学技術振興・産学官連携」事業については「廃止」との方針が示されました。しかしながら、これらの事業を通じて、各地域では大学と地域の中小企業とが協同した技術開発や地域の課題対応のための研究活動、またそれらの活動を通じた人材育成が着実に進められ、成果が集積されてきています。例えば、福岡県を中心とする北九州地域では、「知的クラスター創成事業」を通じた、「学」がリードする効果的な産官学連携の取組みにより、「シリコンシーベルト福岡」と呼ばれる先端的なシステムLSIの世界をリードする開発拠点が整備されてきており、システムLSI関連企業もプロジェクト開始時の約9倍となる189社が集積してきております。仮に「知的クラスター創成事業」が中断・廃止されれば、計画の失速だけでなく集積した関連企業189社の雇用にも影響が及ぶことは必至です。
地域経済の活性化とともに、地域住民の質の高い安全・安心な生活の実現のため、地域における国立大学の存在意義をご理解いただくとともに、地域の科学技術の振興に係る関係事業の継続及び予算の確保・充実を切に願います

4 最後に

国民の皆様におかれましては、各大学とも引き続き国民の負託に応えるべく積極的に社会貢献に努めてまいりますので、各大学がこれまで地域の「知の拠点」として人材育成や地域の科学技術振興を通じて果たしてきた役割をご理解いただくとともに、より一層のご支援をお願いいたします。

2009年12月23日水曜日

再び”フテンマ”

普天間基地移設問題の解決は越年となりました。米国の国務長官は在米大使を呼び、変わらぬ米国の強い意思を伝える行動に出ています。鳩山総理にどのような戦略があるのか注視していかなければなりません。

今日は産経新聞に掲載された関連記事「詳説戦後・沖縄の米軍基地」をご紹介します。教科書では学び得ない生きた歴史を知ることはとても重要なことですし、今後多くの国民の皆さんが沖縄問題に関心を持ち、今の平和の礎がどのような経緯でもたらされたのかを正確に知っておくこと、沖縄の犠牲の上に私達日本人の平和がもたらされていること、だがしかし、今でも沖縄は犠牲者であり続けていることを理解し、沖縄の基地問題の解決を自分自身のこととして真剣に考え解決する責務があることを自覚しなければなりません。

沖縄の真の平和や安寧は、私達日本人の強い願いと実行力にかかっているといっても過言ではないのです。


「死にもの狂い」が結実 普天間返還


鳩山由紀夫首相は15日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先の決定を、来年に先送りすることを決めた。平成18年に日米両政府は移設先をキャンプ・シュワブ沿岸部(同県名護市辺野古)とすることで合意しているが、鳩山政権の決定先送りで、問題の決着はさらに混迷を極めそうだ。普天間飛行場返還合意の舞台裏、戦後の沖縄の米軍基地の歴史を検証する。

橋本政権が誕生して1カ月余りたった平成8年2月21日。自民党総裁室に、首相の橋本龍太郎と、地方分権推進委員会委員長を務めていた秩父小野田会長の諸井虔らが顔をそろえた。会談の目的は沖縄問題だったが、報道陣をはじめ外部には伏せられた。

諸井は沖縄県知事の大田昌秀を囲む会に参加しており、「沖縄の思い」を橋本に伝えるために足を運んだのだった。「普天間飛行場の返還を、日米首脳会談で出してくれれば、沖縄の県民感情は和らぐ」。諸井は「大田の話」と前置きした上で、こうアドバイスした。

日米首脳会談は、3日後の23日(日本時間24日)、米国のサンタモニカで行われることになっていた。橋本政権には、沖縄の米軍基地問題の解決が重くのしかかっていた。7年9月の米兵少女暴行事件を契機に、沖縄では米軍への反発が一気に広がっていたからだ。諸井の言葉を受けて橋本は早速、検討に乗り出した。

しかし、首相官邸執務室で開かれた訪米勉強会では、外務官僚が強硬に反対した。「そんなことを首相が言えば恥をかく」「安全保障の『あ』の字も分かっていないと思われる」・・・。橋本の悩みは深まる一方だった。

しかし、橋本は決断した。首脳会談で「フテンマ」と具体名を出し、米大統領のクリントンに返還を迫ったのだ。首相就任後初の日米首脳会談で、安全保障関係を揺るがしかねないテーマを切り出すことは“賭け”だった。

「大統領の沖縄問題に対する真摯な態度がうかがえた。その場の雰囲気で決断したというしかない」

橋本に政務秘書官として仕えた江田憲司(現みんなの党幹事長)は振り返る。

こうして普天間飛行場返還をめぐる日米交渉は始まった。橋本は師と仰ぐ元首相の竹下登に、頻繁に電話をかけて相談を重ねた。当時、竹下の弟で秘書だった亘(現自民党副幹事長)は、竹下がこうアドバイスしていたのを記憶している。

「交渉には勝ちはない。でも負けもない。そういうものだと思ってやりなさい」

駆け引きしながら相手を説得し、双方が歩み寄る形で合意を見いだす・・・。橋本はこのころ記者団に「ボクは本気で、死にもの狂いで交渉しているんだよ」と苦しい胸の内を明かしている。

橋本は4月17日のクリントンとの2度目の首脳会談に向けて、自ら米駐日大使のモンデールとひざ詰めの直接交渉を行った。その結果、日米両政府は普天間飛行場の全面返還で合意。同月12日、首相官邸でモンデールと共同記者会見を行い、これを発表した橋本は会心の笑みを浮かべた。会見を終えて、公邸に戻った橋本は、先回りして待ちかまえていた江田と抱き合い、交渉の成功を喜んだ。

ところが、その後に難しい問題が控えていた。移設先をどこにするかだった。9月初旬、橋本は膠着(こうちゃく)状態に陥った移設先問題で頭を痛めていた。移設先に浮上した嘉手納基地(沖縄県嘉手納町、沖縄市、北谷(ちゃたん)町)やキャンプ・シュワブなどはいずれも、地元の強い反発を受けた。

そんな折、橋本は羽田空港に向かう車中で、海上構造物の技術やコストの検討を江田に命じた。江田は「(海底にくいを打ち込んで櫓(やぐら)を造り、その上に滑走路を載せる)桟橋方式(QIP)なら実用化されているし、生態系を保護でき、いつでも撤去できます」と答えた。橋本も「それはいい」と満足げな表情を浮かべた。

「撤去可能な海上ヘリポートを建設する可能性を、日米両国の技術を結集して研究する」

同月17日、首相就任後、初めて沖縄入りした橋本は、地元自治体関係者ら約250人を前に、海上ヘリポート構想を打ち出した。橋本は「撤去可能とすることで、基地の恒常化を回避でき、地元の理解も得られる」と踏んでいた。

橋本はその後、移設先はキャンプ・シュワブ沖とする方向で検討を進めた。しかし、1年余りたった9年12月21日、名護市で海上ヘリポート建設の是非を問う住民投票が行われた。結果は反対が54%と賛成の46%を上回り、キャンプ・シュワブ沖ヘの移設は難しい情勢となった。

3日後の24日。名護市長の比嘉鉄也は、首相官邸に橋本を訪ねた。重苦しい空気の中、比嘉は決意を伝えた。

「移設を容認します。その代わり私は腹を切る(辞職する)。後任には、助役の岸本(建男)を出して、必ず勝ちます」

橋本は起立して比嘉の言葉に耳を傾けた。「悲壮な決意で国の重い責任について、辞任までして活路を見いだすことに、心から敬意を表します」と答える橋本の目から、涙がこぼれ落ちた。

比嘉は橋本に「メモを1枚ください」と求めると、沖縄に伝わる琉歌(りゅうか)をしたためた。

「義理んむすからん ありん捨ららん 思案てる橋の 渡りぐりしや」

義理捨てがたく、橋を渡ろうか悩んでいるが、渡らなければならないという心境を詠んだものだった。太平洋戦争での沖縄戦の悲惨さ、米軍基地を抱え続けてきた戦後の歴史。しかし、移設先が決まらなければ「最も危険な基地」といわれる普天間飛行場が残る。言うに尽くせない比嘉の苦渋の選択が、普天間返還の歯車を回した。

それから12年。日米合意にこぎつけた普天間移設は、今なお迷走を繰り返している。(肩書は当時、敬称略)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091223/plc0912231837010-n1.htm


模索続いた辺野古での「共存の道」

「(名護市の)辺野古は米軍基地とうまく付き合ってきた歴史がある。だから住民にも抵抗が少ない。普天間移設を受け入れたのもそれが背景にある」

名護市議会議長を務める島袋権勇(61)は、辺野古の歴史を振り返ってこう語る。島袋は生まれも育ちも辺野古。戦後の沖縄米軍基地の歴史を目の当たりにしてきたひとりだ。

辺野古が最初に、米軍基地問題と直面したのは昭和31年、キャンプ・シュワブ建設のための軍用地接収だった。当時は米軍基地建設のための土地収用に反対する「島ぐるみ闘争」が展開され、沖縄各地で米軍と住民が激しく対立していた。

しかし、その状況下で辺野古の住民は米軍と協議のうえ、軍用地収用に合意した。それにあたっては、土地賃貸料の前払いや代替地主の生活安定の貸付金制度、軍作業への住民の優先雇用など、住民側の要望が数多く採り入れられた。また、米軍との話し合いの場として「親善委員会」も設置された。

辺野古が米軍用地の収用を受け入れた背景について、島袋は「当時、辺野古の住民は、山から薪を切り出して細々と生計を立てていた。しかし、米軍を受け入れることで、この『山依存の生活』から脱却して、新たなまちづくりをしたいという思いがあった」と解説する。

それでも当初、辺野古住民133世帯のうち13世帯は軍用地接収に反対した。「反対した世帯は戦争で家族を失うなど悲惨な体験をした人々だった。苦渋の決断だったと思うが、最後は地区としてのまとまりを優先して同意してくれた」と、島袋は語る。

以後、辺野古住民と米軍は、親善委員会でさまざまな問題を話し合ってきたこともあり、良好な関係を築いてきた。また、米軍兵や家族が名護市の行事に参加したり、米軍のパーティーに名護市の住民が招かれるなど、交流を深めている。辺野古は米軍と対立するのではなく、受け入れる道をあえて選択し、話し合いや交流を深めることで「共存の道」を歩んできたのだ。

しかし、沖縄全体の戦後の歴史に目を転じると、米軍用地の収用をめぐって住民と米軍が対立を繰り返してきたことは間違いない。20年4月、沖縄に上陸した米国は軍政府を設置し、日本の司法権、行政権の行使を停止、強制的な土地収用による基地建設を始めた。

27年のサンフランシスコ講和条約発効で日本は独立を果たしたが、沖縄は米国の施政下に残った。中国の存在や朝鮮戦争といった極東情勢緊迫化で、軍事拠点としての沖縄の重要性はさらに高まり、米軍は基地建設を推進した。

28年、米国は「土地収用令」を公布。これは米軍が土地を収用する場合、まず協議を行うが、地主が拒否しても、米軍は最終的に収用宣告して土地を強制的に取得できるというものだった。そのため、沖縄住民は各地で米軍のブルドーザーの前に座り込むなどして抵抗した。

これを受け、沖縄住民側は自治組織としての琉球政府や立法院などが、適正補償など4原則を掲げ、米国側と折衝を重ねた。しかし、米国側は31年、逆に新規の軍用地接収を肯定した「プライス勧告」を発表。怒った沖縄住民の反対運動は一気に沖縄全体に広がった。これが「島ぐるみ闘争」である。

その結果、34年1月に「土地借賃安定法」などが公布され、軍用地取得、地代評価と支払い方法などについて一応の制度的な確立がはかられ、「島ぐるみ闘争」も終結した。しかし、これで米軍用地の収用問題が解決したわけではなく、米軍基地拡張が続く中、沖縄住民の反発は続いた。

47年5月、沖縄返還協定が発効し、施政権は米国から日本に返還されたが、同時に日米安保体制のもと、沖縄の米軍基地を維持する重要性も確認された。以降、一部基地の返還や整理・縮小が行われてきたが、日本復帰から今日までに返還された基地は、面積にして18.7%、まだ県全体の10.2%を米軍基地が占めているのが現状だ。

島袋は「日本の国防上も米国の戦略上も、沖縄に米軍基地が必要だという現実は分かっている。住民生活が米軍基地に依存している面もある。それを理解して、辺野古は米軍基地を『良き隣人』として受け入れ、うまく付き合う努力をしてきたのだ」と語る。

基地をめぐって米軍と住民が対立してきた沖縄の戦後。しかし、その中でも「共存」と「協調」という道があることを、辺野古の歴史は物語っている。(敬称略)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091223/plc0912231842011-n1.htm


不透明な沖縄負担軽減策

安全保障問題に詳しい森本敏・拓殖大大学院教授は「日本政府は移設先の決定を先送りして、他の移設先も検討するということだが、米国は決して妥協はしないだろう」と話す。さらに来年1月に名護市長選を控えており、森本氏は「県外移設を主張する候補が勝てば、名護市への移設は難しくなる」と懸念を示す。

普天間飛行場の移設を前提に、沖縄の海兵隊約8000人(家族を含めると約1万7000人)と海兵隊司令部が米グアム島に移転することが決まっており、米政府はこのための経費を来年度予算に盛り込んでいる。しかし、「普天間移設が決まらなければ、米政府は2011年度、予算措置を講じない可能性が強い」(森本氏)という。

そうなれば、海兵隊のグアム移転も進まず、普天間飛行場が残り続ける「最悪のシナリオ」に陥る。森本氏は「普天間移設は沖縄の負担軽減策とパッケージであり、移設が決まらなければ負担軽減は進まない」と指摘する。

沖縄の米軍基地問題をめぐっては、基地のさらなる整理・縮小、沖縄県振興策、日米地位協定改定など課題が山積だ。しかし、普天間飛行場移設が決まらなければ、これらの日米交渉が進まず、結果として沖縄の負担が軽減されない可能性がある。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091223/plc0912231843012-n1.htm

2009年12月15日火曜日

普天間問題は毅然とした態度で

前回に続き、沖縄問題です。

政府は、今日(15日)、米軍普天間飛行場の移設問題に関する政府方針として、日米で合意した現行の名護市辺野古キャンプ・シュワブ沿岸部への移転計画を排除しない形で移設候補地を検討するという”期限なき結論先送り”の決定を行いました。今後ともアメリカの強力な反発を受け続けることになるでしょう。

はっきり言って、「日米合意」と「沖縄県民の生命」を天秤にかけている政府のふがいな状況に失望している国民の皆さんも多いのではないでしょうか。

”アメリカの圧力に屈する日本政府”という構図は、何もいま始まったわけではありませんが、多くの日本国民が望んだ政権交代という激変を”弱日強米”の崩壊に結び付けてほしいと心から願うばかりです。

今の「アメリカに弱い日本」を私たちにわかりやすく説明してくれている論考がありましたので、全文(消去される可能性もあるため)ご紹介します。


恫喝に怯むDNA

アメリカのいつもの恫喝に怯んで「日米関係は危険水域だ」と叫ぶ人たちがいる。これを見てアメリカは「百年以上も昔から日本は何も変わっていない。日本には恫喝が一番だ」と思っているに違いない。ペリー来航の時から日本人の中には恫喝されると及び腰になるDNAがある。

江戸時代の日本は「鎖国」によって国を閉ざしていた訳ではない。海外渡航を禁じてはいたが、外交と貿易は徳川幕府が独占して行っていた。長崎だけが窓口の一種の管理貿易体制である。従って江戸時代の日本には海外から様々な知識や情報が流れ込んでいた。日本が「鎖国」を続けた理由は、自給自足できる勤勉な国が外国との交流で植民地化される危険を冒す必要はないと考えたからではないか。

しかし産業革命で生産力を高めた欧米列強はアジアに植民地を求めてきた。中国がアヘン戦争によって列強の支配下に置かれると、その情報はいち早く日本に伝えられ、日本人は強い危機感を抱いた。中国との貿易でヨーロッパに遅れをとったアメリカは、中継地として日本を開港させる必要があり、ペリーが艦隊を率いてやって来たが、アメリカのやり方は交渉ではなく恫喝だった。

他の国はみな幕府の指示に従い長崎を窓口に交渉した。しかしアメリカだけは江戸湾に軍艦を乗り入れ、空砲を撃って江戸市中を恐怖に陥れた。ペリーは「開港するか戦争するかを来年までに返事せよ」と通告して日本を去る。これで日本は大騒ぎとなるが、及び腰の幕府の姿に200年以上続いた支配体制が揺らぎ始めた。「恫喝されて不平等条約を結ぶ幕府を許さない」と「尊皇攘夷」運動が高まった。

幕末に「富国強兵」を説いた儒学者横井小楠は、アメリカのやり方を「覇道」と批判、「アメリカに王道を説くべし」と言った。福井藩の俊才橋本左内は「日本はロシアと提携してアメリカに抗すべし」と主張した。しかし幕府は彼らを弾圧、アメリカの要求通りに条約を結んだ。だが恫喝に屈した幕府はほどなく「尊皇攘夷」派に打倒された。

幕府を倒した明治の官僚国家は日露戦争に勝利して世界を驚かせた。中でもアメリカは、ペリーの恫喝に屈した日本が半世紀も経ずに軍備を整え、ロシアのバルチック艦隊を破った事に恐怖した。日本はアメリカの「仮想敵国」となり、日本攻撃のための「オレンジ作戦計画」が作られ、ハワイが要塞化されて太平洋艦隊が配備された。

第二次世界大戦でアメリカは「オレンジ作戦計画」のルート通りに日本を攻め、敗れた日本はアメリカに占領された。間もなく冷戦が起きて日本の基地が必要となったアメリカは、反共の防波堤を堅固にするため、日本を世界に冠たる工業国に育て上げ、日本は世界第二位の経済大国に上り詰めた。しかし冷戦が終息に近づくと今度はそれがアメリカと日本との間に「経済戦争」を引き起こす。

再びアメリカの恫喝が始まった。80年代には日本製品をハンマーで叩き壊すTV映像が次々に送られて来た。「自動車の街デトロイトには反日の嵐が吹き荒れ、日本人は石を投げられる」と知日派アメリカ人たちが真顔で言う。「投げられようじゃないか」と私がデトロイトに行くと、反日の火の手などどこにもなかった。日本車がすいすいと走り回り、みんなが日本車を欲しがっていた。騒いでいたのはワシントンで、メディアと政治家が恫喝の発信源だった。

90年代の初め、日本の新聞の1面に「貿易摩擦を続けるならアメリカは日本から軍隊を引き上げる」との大見出しが踊った。何の事かと思ったら、下院議員が記者会見で「日本を制裁するため在日米軍撤退法案を議会に提出する」と言ったという。アメリカの政治専門チャンネルC-SPANで早速記者会見の映像を見た。記者会見した議員は伏し目がちで、アメリカ人記者から「撤退して困るのはアメリカでは」と質問されるとしどろもどろになった。選挙区向けのお粗末なパフォーマンスを日本の新聞は何で1面トップに掲載するのかと腹が立った。

宮沢総理が国会で「最近のアメリカ経済はマネーゲームになり、物を作る労働の倫理観が薄れた」と発言したら、それが「アメリカ人は怠け者」とアメリカに伝えられ、アメリカ議会が大問題にした。「戦争に勝った国がなんで怠け者なんだ」から「日本にもう一度原爆を落とさないとアメリカの強さが分からない」まで恫喝のオンパレードになった。敗戦国は叩くものだとアメリカは思っている。

そんな恫喝にいちいち反応していたら何も問題は解決しない。ところがこの国のメディアは過剰に反応する。そして情けないのはその報道を鵜呑みにする政治家がいる。昔はそうした報道で政治家に食い込み、「私がアメリカ側と接点を作って上げる」とマッチポンプを専門にするゴロツキ特派員がいた。

しかし「経済戦争」が激しかった頃のアメリカは本音では日本に一目置いていた。置いていたから色々恫喝してきた。日本側はアメリカの顔を立てる振りをしながらしっかり実利を確保した。なかなかに見応えのある交渉を行い「経済戦争」の勝者は日本だった。しかし湾岸戦争を契機に日本はアメリカに見くびられるようになる。

1兆円を超す日本の資金提供は湾岸戦争に大きく貢献した。しかし日本は誰からも感謝されなかった。人的貢献が無かったからだと説明されたがそれは嘘である。勢いのある経済大国日本を本気で怖れるようになったアメリカは、日本が独自の中東戦略を持たず、ひたすらアメリカに協力を申し出た事で日本をバカにした。中東の石油は日本経済の生命線である。それなのに他人任せである事が分かった。経済戦争であれだけ煮え湯を飲まされたが、本物の戦争が起これば何でもアメリカの言いなりになる。そこから「日本イジメ」が始まった。

アメリカは戦後の日本に決して自立できる軍事力を持たせず、自衛隊をいびつな形に作り上げてきたにもかかわらず、「ショウ・ザ・フラッグ」だの「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」だの言って、日本に人的貢献を求めた。憲法を作ったのはアメリカだから、憲法の制約があることも百も承知である。その度に日本政府は苦渋の決断を迫られ、「安全だから軍隊を出す」という世界大爆笑の間抜けな論理を真面目に言う羽目になった。

「アジアは世界で唯一冷戦が残っている」と日本に言って基地を存続させながら、アメリカは着々と中国や北朝鮮と手を組む準備を進めている。アメリカの頭の中は「冷戦後」だが日本の頭は今でも「冷戦中」である。小泉政権時代に某外務大臣が米中の蜜月関係に懸念を表明すると、「文句があるならもう一度戦争して勝ったらどうか」とアメリカの高官から言われたという。これに日本は反論できない。

利権まみれの政治のせいで13年間何も進まなかった普天間問題をじっと見てきたアメリカが移設を急ぐ理由は何もない。民主党政権が誕生すれば自民党と政策が異なるのもアメリカは先刻承知である。しかしそれをただで認めてしまったらアメリカは何の利益も得られない。恫喝に怯む日本のDNAを百年以上も見続けてきたアメリカだから今回のような動きは当然である。試されているのは新政権の外交力だ。決着のさせ方でアメリカの日本を見る目が決まる。
(筆者:田中良紹、2009年12月14日  THE JOURNAL掲載)
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2009/12/post_201.html

2009年12月13日日曜日

沖縄の未来

この日記では、時折、”沖縄”を取り上げています。それは、日本の平和の原点が沖縄にあると思うからです。でも、本土の多くの人々は、沖縄の苦しみや悲しみを他人事のように考えているように思えてなりません。

今、日本は普天間基地の移設問題で揺れています。日本の安全保障の犠牲者ともいえる沖縄。米軍基地の存在が沖縄の自立を阻み、地球に稀なる生物の絶滅を誘う厳しい現実が目の前にあります。

この現実を変えることができる日はいつ来るのでしょうか・・・。


埋め立ての島

午後の日差しを浴びて、海面の照り返しが目を射抜く。そのまばゆさに慣れると、水平線に重なるように人工的な灰色の護岸が浮かび上がってくる。

沖縄本島の沖縄市東海岸に、泡瀬干潟の埋め立て現場を訪ねた。経済的合理性のないまま事業を進めることは違法だと福岡高裁が判決で断じた後も、市は埋め立てをあきらめようとはしていない。

沖縄が全国有数の埋め立て県だということを知る人は少ないだろう。戦後、「銃剣とブルドーザー」と呼ばれた米軍による強権的な土地収用により、沖縄本島の2割を基地が占めるまでになった。

嘉手納基地の一部を擁する沖縄市は、市域の3割超が軍用地だ。新たな土地を求める視線は、海へ向かうしかなかった。

頼みの綱が土木事業だけだという現実。これは、基地負担の見返りの巨額公共事業に首まで浸かり、自立の手がかりすらつかめない沖縄経済の一断面でもある。

「春にはアオサを採り、汁にして食べる。昔は海水をそのままにがりにして豆腐を作ったもんだ」。海岸沿いを散歩する地元男性(63)に声をかけると、そんな言葉が返ってきた。この南西諸島最大級の干潟は、サンゴやコメツキガニの仲間など100種以上の希少生物を育む。

米軍基地に追い立てられて、人が海を埋める。まるで陣取りゲームのように。では、海の生き物や、海と共生する暮らしはどこへ向かうのだろう。

男性は目を細めて言った。「埋め立てれば元には戻せんからね」(2009年12月11日 朝日新聞夕刊、論説委員室から)


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泡瀬干潟埋立計画

泡瀬干潟の埋め立て計画は、コザ市と美里村が合併したところまでさかのぼる。海のないコザ市は海を求めて合併したといっても過言ではない。計画が現実味を帯びだしたのは、1984年に起工した新港地区埋立事業に端を発する。この事業では、埋立地に特別自由貿易地域が設置され、港湾には4万トン級の船舶が入港できるようにするため、航路を水深13mまで浚渫する計画となっている。その浚渫残土の処分が課題となり、1986年に残土処理策として泡瀬干潟の埋立構想が現実のものとなり始めた。

当初の構想では、陸続きで219haから340haの海域を埋め立てるものだったが、1989年に泡瀬復興期成会など地元の団体から海岸線と砂州を保全する要望が出て、後に埋立地を沖に出し、人工島を作る形(出島方式)での185haの埋め立てに変更される。

計画では、まず、ほとんど国がその費用を負担するかたちで埋立地が作られる(国が175ha、沖縄県が10ha分を負担)。そして埋立地のうち90haを沖縄市が購入する義務を負い、「マリンシティー泡瀬」として開発する。マリンシティー泡瀬では、ホテルやシュッピング街、情報教育の拠点、住宅地などを民間に分譲する予定になっている。

しかし、出島方式では砂州はそのものは残されるものの、海草などの生育地ともなっている周辺の浅海域が大きく消滅することや、渡り鳥への影響も大きいと考えられることなどから環境への影響が甚大であるとして埋立に慎重な意見が出されたり、反対運動がされるようになった。また、1990年代後半からは、平成不況や自治体の財政悪化の流れから、約650億円と見られている総事業費の負担も問題視されるようになった。

なお、泡瀬干潟の埋立地では、企業誘致や観光開発などの経済効果が期待されているが、隣の新港地区の埋立地(特別自由貿易地域)の企業誘致が低調で遊休地も多くあることや、隣接する泡瀬通信施設影響で土地利用が制限されるなどの事情から、経済効果を疑問視する声もある。

そうした中、1999年3月には沖縄市漁業協同組合と南原漁業協同組合(勝連漁協)との間で漁業補償が妥結。補償額は19億9800万円だった。なお、この漁業補償においては、当初、沖縄県が提示した額が約7億円だったのに対し最終的3倍近くに膨れ上がるなど、交渉の不透明さが報道されている。

2000年12月に、沖縄県知事によって公有水面埋立法にもとづく承認がなされるが、その際にクビレミドロをはじめとする泡瀬干潟の貴重な生物の保全措置を行うこと、漁業生産の基盤である海草・藻類の保全に万全の対策をとること、漁業権の変更や消滅に関する権利者の同意に疑義があることなどの意見が沖縄総合事務局に提出された。

一方、沖縄総合事務局は2001年に「環境監視・検討委員会」を設立。埋立てによって消滅する海草移植(ミティゲーション)などの検討が行われ、2002年には沖縄総合事務局は「海草移植は可能」と判断し、泡瀬地区埋立事業は着工された。しかし、海草移植の検討が不適切であり、手法の確立はできていないとして一部の委員が辞任。日本自然保護協会、WWF、日本弁護士連合会などが意見書を提出。その後も、工事の妥当性をめぐって学会や委員会委員などからも意見書などが出されている。

なお、地元自治体である沖縄市では、2006年4月に埋立事業に対して比較的慎重であると見られていた元衆議院議員の東門美津子が市長に当選。就任後、埋立て事業をはじめとする一連の開発事業のについて市民の賛否が分かれたままであるとして、「東部海浜開発事業について熟慮し、市長としての方向性を示すことを目的として、2006年12月より『東部海浜開発事業検討会議』を設置して検討を行っていた。

民主党は同事業を「環境負荷の大きい公共事業」と位置付けており、自由民主党から政権交代に伴い、2009年10月4日、前原誠司国土交通・沖縄・北方担当大臣より、1期工事の中断と2期工事中止の方針を東門美津子沖縄市長へ伝えた。

また市民など500名以上で構成された原告により県知事・市長を訴え、裁判となった。
  • 2005年5月、提訴
  • 2008年11月、那覇地裁は経済的合理性を欠くとして、沖縄県知事・沖縄市長は今後、埋立事業の公金を支出してはならないと命じた(原告側一部勝訴)
  • 翌日、県知事・市長が福岡高裁那覇支部へ控訴
  • 2009年10月15日、福岡高裁那覇支部は一審判決支持し、控訴棄却、公金支出の差し止めを命じた。
(wikipedia)


普天間飛行場返還を巡る動き

当基地は市街地中心部を占めていること、また、基地建設当時の土地収用の事情から、当初より返還を求める主張があった。沖縄で米軍駐留に対する大規模な反対運動が起こった(→沖縄米兵少女暴行事件)のを契機として、日米で構成する日米安全保障協議委員会(「2プラス2」)は1995年11月、沖縄における施設及び区域に関する特別行動委員会(SACO)を設置する。同行動委員会が在沖縄米軍のあり方を全面的に見直し、検討の結果、1996年12月2日の最終報告で5年後から7年後までの全面返還を発表した。しかし、この全面返還は、条件として「十分な代替施設が完成し運用可能になった後」とし、代替施設として1,300mの撤去可能な滑走路を備えたヘリポート(いわゆる「海上ヘリポート」)を挙げている。

SACO最終報告では、海上ヘリポートの建設地として沖縄本島東海岸沖としか明記されなかったが、1997年には名護市辺野古のキャンプ・シュワブ地域が移設候補地とされた。当初は代替施設建設に名護市議会や市長も反対していたが、北部地域振興策などが提起されるに従い、当該振興策を条件に建設賛成へと市長・市議会の意見も変化した。1997年に行われた名護市条例に基づく「名護市における米軍のヘリポート基地建設の是非を問う市民投票」(名護市民による住民投票)では反対の票が半数を占めたものの、直後の市長選挙では建設推進派の市長が、その後の選挙でも一貫して基地建設推進派の市長が、当選してきた。

また、沖縄県も、当時の大田昌秀知事は建設反対を表明していたが、1998年に初当選した稲嶺惠一知事は、「建設後15年間は軍民共用の空港、その後の返還」を条件として建設賛成を表明した。その際、稲嶺の公約として、施設の概要が「撤去可能なヘリポート」だったのを、「県民の財産になる施設」として、恒久的な滑走路を持つ飛行場に変更された。ただし、ほぼ同時期に進行中であった那覇空港の拡張の検討立案につき、競合する当施設案について稲嶺がその経済的合理性を顧慮した形跡はない。稲嶺は2期8年のあいだ県知事であったが、その間の各種の交渉にあっても、稲嶺の主張する15年期限は米国が容認するものではなく、辺野古での海兵隊飛行場施設案の具体化のみが進行した。結局、15年期限は日米両当局から何の具体的考慮もされることなく、知事の任期切れに先立ち稲嶺は基地建設容認を撤回した。稲嶺後を選択する県知事選挙においては、仲井真弘多は、当基地の危険性除去を主眼とし、15年期限や軍民共用などの条件を最初から付けないという公約を明らかにして当選した。もっとも、稲嶺は自身の後継として仲井真を支持しており、その判断の整合性には批判があった。建設容認を主張する仲井真が当選したことにより施設案の具体化は進められ、固定翼機の飛行ルートが極力海上のみになるよう滑走路2本をV字型に配置した飛行場案に決定し、環境アセスメントもその案に従って実施されることになった。仲井真は、環境アセスメント再実施に至らない範囲の建設位置の沖合移動を主張している。ただし、米国側は、当初の案どおりの実施を主張し、双方の妥協は今のところ見えていない。また、沖合移動の幅も数十メートル程度のものであり、それで仲井真の主張するところの負担軽減が実現するとは言い難い。

一方、2008年6月の沖縄県議会議員選挙で、当該建設案に反対する議員が議会の過半数を占め、その後の県議会で、当該建設に反対する内容の決議がなされた。2009年8月の衆議院議員総選挙でも、沖縄県内の全選挙区において、当該建設案に反対する議員が当選した。これらの複雑な現地事情から、SACO最終報告の発表から10年を経過した2009年に至っても、同基地返還の具体的な見通しは立っていない。

飛行場として使用されてきた土地については、有害危険物質の流出による土壌汚染が懸念されているほか、遺跡の発掘調査や、沖縄戦の際の不発弾の処理も必要である。さらに、沖縄戦とその後の当基地の建設によって形状が変化した土地につき、詳細な測量による地主毎の所有地境界の明確化も必須である。これらの作業のためには、日本側による基地への立ち入りと調査が必要であるが、米軍基地に関する日米地位協定による制限のため、そのような調査は未だ行われていない。また、同協定によって、米国側は土地明け渡しの際に原状回復義務を負わない。加えて、当基地に限らず米軍用地返還の際には跡地利用に関して各業界の莫大な利権が絡むため、その利害調整は極めて難しい作業である。さらに、軍用地料を受けている地主にとっては返還は地料収入が断たれることでもあり、その対策も必要になってくる。このように、基地返還は日米両国政府間の交渉のみでは済まない事情があり、当基地にあっても返還に向けた作業は遅れている。

沖縄に駐留する第3海兵遠征軍の名前の通り、そもそも海兵隊は海外に遠征に行くための組織であり、航空機の航続距離延伸等の技術的革新で、海兵隊が沖縄に常駐する必要が薄れてきているとの指摘がたびたび出されている。一方空軍や陸軍の駐留の是非については海兵隊とは話が別との指摘も多い。(wikipedia)

2009年12月12日土曜日

事業仕分け

国の予算編成作業が大詰めを迎える中、先が見えない普天間移設問題や景気・雇用浮揚対策の予算積み増し問題でぎくしゃくした連立政権の絆を確認しあうために、のんきに夕食をともにする3党の親分たち、税収不足から国債発行額の上限設定もうやむやになる予算編成方針など、不安定な政治情勢が停滞しているこのごろです。

こんな中、行政刷新会議による事業仕分け関連のニュースだけは健在で、連日のように紙面をにぎわせています。特に、教育・科学関連の学者さんたちは、徒党を組んで声明を連発するなど抗議活動に忙しい毎日を過ごしているようです。

去る10日に配信された「鳩山内閣メールマガジン第10号」(2009.12.10)に、事業仕分けの草分け的存在でもあり、行政刷新会議事務局長でもある構想日本代表の加藤秀樹(かとうひでき)さんのコメントが寄せられていましたのでご紹介します。

事業仕分けの壺

行政刷新会議による国の事業仕分けが終わりました。怒涛のような一カ月でした。身内のことを言うのは少し気がひけるのですが、寝食の暇もなく準備作業にまい進した事務局のスタッフ、同じくひと月間本業をそっちのけにしてでもヒアリングや勉強に時間をさき、会場の体育館での足の冷えや腰痛と闘いながら仕分けに参加して頂いた評価者(仕分け人)の方々には、本当に頭の下がる思いです。

ここでは事務局長という立場ではなく、7年前から県や市などで事業仕分けを続けてきた構想日本の一員として、国の事業仕分けを通して考えたことを書いてみます。

行政の事業仕分けを始めたのは、行政改革や地方分権が、10年、20年と議論されても、実際にはほとんど進んでないからです。これを変えるには、行政の現場で行われている事業が本当に住民の役に立っているのか、国民の利益につながっているのか、一つ一つチェックしていくしかないのではないかと考えたのです。そして事業をチェックしていけばその背後にある組織や制度も洗い直せる、それを日本中でやっていけば、議論を繰り返すよりも確実に行政改革や地方分権が実現出来ると考えたのです。

その際、必ず守るルールをいくつか決めました。特に重要なのが、1)行政の現場で実際に事業がどのように実施され、税金が使われているか知っている外部の人に加わってもらい2)公開の場で議論することです。両方とも、県や市でも大きい抵抗にあいました。

今回の国の事業仕分けでも同様の批判がありましたが、当初から「仕分け人」なんて、何の資格もない外部の素人になんで評価されないといけないのか、という声が強くあったのです。しかし、公務員という『専門家』が、場合によっては審議会という更に『専門家』に議論してもらって実施してきた政策や事業の中に、現に多くの首をかしげるような事業や無駄使いがあるのです。

私は仕分けで最も大切なことは現場を知っていることだと思います。仕分けでは、市の生涯学習や町づくりでも、国の科学技術でも、趣旨や目的などが否定される事は殆どありません。趣旨や目的を見る限り日本中に無駄な事業は一つもないと思います。問題は、現場で実際に、その趣旨や目的通りに行われているか、なのです。

例えば文科省の「子ども読書応援プロジェクト」。子どもの読書を応援するという趣旨には仕分け人もみんな賛成です。ところが、予算の大部分が指導者向け啓発資料の作成などに使われて、肝心の子供の読書応援の効果が不明確といった意見が多数でした。以上のことから、事業仕分けでは政策の良し悪しは問わない、つまり『政策仕分け』ではないということをお分かり頂けたでしょうか。

また、多くの報道では事業仕分けは予算を切る手法のように言われます。しかし、実際にやっていることは、これまでに使われた税金の使い方チェックです。その結果無駄が多いのならば次の年の予算は少し考え直してみようという材料提供なのです。このあたりのことを、もっと広く理解して頂けるよう、説明していかないといけないと思っています。


事業仕分けの結果を受け、行政刷新会議が2度ほど開かれています。どのような議論が展開されているかは次の議事要旨をご覧ください。