2009年12月15日火曜日

普天間問題は毅然とした態度で

前回に続き、沖縄問題です。

政府は、今日(15日)、米軍普天間飛行場の移設問題に関する政府方針として、日米で合意した現行の名護市辺野古キャンプ・シュワブ沿岸部への移転計画を排除しない形で移設候補地を検討するという”期限なき結論先送り”の決定を行いました。今後ともアメリカの強力な反発を受け続けることになるでしょう。

はっきり言って、「日米合意」と「沖縄県民の生命」を天秤にかけている政府のふがいな状況に失望している国民の皆さんも多いのではないでしょうか。

”アメリカの圧力に屈する日本政府”という構図は、何もいま始まったわけではありませんが、多くの日本国民が望んだ政権交代という激変を”弱日強米”の崩壊に結び付けてほしいと心から願うばかりです。

今の「アメリカに弱い日本」を私たちにわかりやすく説明してくれている論考がありましたので、全文(消去される可能性もあるため)ご紹介します。


恫喝に怯むDNA

アメリカのいつもの恫喝に怯んで「日米関係は危険水域だ」と叫ぶ人たちがいる。これを見てアメリカは「百年以上も昔から日本は何も変わっていない。日本には恫喝が一番だ」と思っているに違いない。ペリー来航の時から日本人の中には恫喝されると及び腰になるDNAがある。

江戸時代の日本は「鎖国」によって国を閉ざしていた訳ではない。海外渡航を禁じてはいたが、外交と貿易は徳川幕府が独占して行っていた。長崎だけが窓口の一種の管理貿易体制である。従って江戸時代の日本には海外から様々な知識や情報が流れ込んでいた。日本が「鎖国」を続けた理由は、自給自足できる勤勉な国が外国との交流で植民地化される危険を冒す必要はないと考えたからではないか。

しかし産業革命で生産力を高めた欧米列強はアジアに植民地を求めてきた。中国がアヘン戦争によって列強の支配下に置かれると、その情報はいち早く日本に伝えられ、日本人は強い危機感を抱いた。中国との貿易でヨーロッパに遅れをとったアメリカは、中継地として日本を開港させる必要があり、ペリーが艦隊を率いてやって来たが、アメリカのやり方は交渉ではなく恫喝だった。

他の国はみな幕府の指示に従い長崎を窓口に交渉した。しかしアメリカだけは江戸湾に軍艦を乗り入れ、空砲を撃って江戸市中を恐怖に陥れた。ペリーは「開港するか戦争するかを来年までに返事せよ」と通告して日本を去る。これで日本は大騒ぎとなるが、及び腰の幕府の姿に200年以上続いた支配体制が揺らぎ始めた。「恫喝されて不平等条約を結ぶ幕府を許さない」と「尊皇攘夷」運動が高まった。

幕末に「富国強兵」を説いた儒学者横井小楠は、アメリカのやり方を「覇道」と批判、「アメリカに王道を説くべし」と言った。福井藩の俊才橋本左内は「日本はロシアと提携してアメリカに抗すべし」と主張した。しかし幕府は彼らを弾圧、アメリカの要求通りに条約を結んだ。だが恫喝に屈した幕府はほどなく「尊皇攘夷」派に打倒された。

幕府を倒した明治の官僚国家は日露戦争に勝利して世界を驚かせた。中でもアメリカは、ペリーの恫喝に屈した日本が半世紀も経ずに軍備を整え、ロシアのバルチック艦隊を破った事に恐怖した。日本はアメリカの「仮想敵国」となり、日本攻撃のための「オレンジ作戦計画」が作られ、ハワイが要塞化されて太平洋艦隊が配備された。

第二次世界大戦でアメリカは「オレンジ作戦計画」のルート通りに日本を攻め、敗れた日本はアメリカに占領された。間もなく冷戦が起きて日本の基地が必要となったアメリカは、反共の防波堤を堅固にするため、日本を世界に冠たる工業国に育て上げ、日本は世界第二位の経済大国に上り詰めた。しかし冷戦が終息に近づくと今度はそれがアメリカと日本との間に「経済戦争」を引き起こす。

再びアメリカの恫喝が始まった。80年代には日本製品をハンマーで叩き壊すTV映像が次々に送られて来た。「自動車の街デトロイトには反日の嵐が吹き荒れ、日本人は石を投げられる」と知日派アメリカ人たちが真顔で言う。「投げられようじゃないか」と私がデトロイトに行くと、反日の火の手などどこにもなかった。日本車がすいすいと走り回り、みんなが日本車を欲しがっていた。騒いでいたのはワシントンで、メディアと政治家が恫喝の発信源だった。

90年代の初め、日本の新聞の1面に「貿易摩擦を続けるならアメリカは日本から軍隊を引き上げる」との大見出しが踊った。何の事かと思ったら、下院議員が記者会見で「日本を制裁するため在日米軍撤退法案を議会に提出する」と言ったという。アメリカの政治専門チャンネルC-SPANで早速記者会見の映像を見た。記者会見した議員は伏し目がちで、アメリカ人記者から「撤退して困るのはアメリカでは」と質問されるとしどろもどろになった。選挙区向けのお粗末なパフォーマンスを日本の新聞は何で1面トップに掲載するのかと腹が立った。

宮沢総理が国会で「最近のアメリカ経済はマネーゲームになり、物を作る労働の倫理観が薄れた」と発言したら、それが「アメリカ人は怠け者」とアメリカに伝えられ、アメリカ議会が大問題にした。「戦争に勝った国がなんで怠け者なんだ」から「日本にもう一度原爆を落とさないとアメリカの強さが分からない」まで恫喝のオンパレードになった。敗戦国は叩くものだとアメリカは思っている。

そんな恫喝にいちいち反応していたら何も問題は解決しない。ところがこの国のメディアは過剰に反応する。そして情けないのはその報道を鵜呑みにする政治家がいる。昔はそうした報道で政治家に食い込み、「私がアメリカ側と接点を作って上げる」とマッチポンプを専門にするゴロツキ特派員がいた。

しかし「経済戦争」が激しかった頃のアメリカは本音では日本に一目置いていた。置いていたから色々恫喝してきた。日本側はアメリカの顔を立てる振りをしながらしっかり実利を確保した。なかなかに見応えのある交渉を行い「経済戦争」の勝者は日本だった。しかし湾岸戦争を契機に日本はアメリカに見くびられるようになる。

1兆円を超す日本の資金提供は湾岸戦争に大きく貢献した。しかし日本は誰からも感謝されなかった。人的貢献が無かったからだと説明されたがそれは嘘である。勢いのある経済大国日本を本気で怖れるようになったアメリカは、日本が独自の中東戦略を持たず、ひたすらアメリカに協力を申し出た事で日本をバカにした。中東の石油は日本経済の生命線である。それなのに他人任せである事が分かった。経済戦争であれだけ煮え湯を飲まされたが、本物の戦争が起これば何でもアメリカの言いなりになる。そこから「日本イジメ」が始まった。

アメリカは戦後の日本に決して自立できる軍事力を持たせず、自衛隊をいびつな形に作り上げてきたにもかかわらず、「ショウ・ザ・フラッグ」だの「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」だの言って、日本に人的貢献を求めた。憲法を作ったのはアメリカだから、憲法の制約があることも百も承知である。その度に日本政府は苦渋の決断を迫られ、「安全だから軍隊を出す」という世界大爆笑の間抜けな論理を真面目に言う羽目になった。

「アジアは世界で唯一冷戦が残っている」と日本に言って基地を存続させながら、アメリカは着々と中国や北朝鮮と手を組む準備を進めている。アメリカの頭の中は「冷戦後」だが日本の頭は今でも「冷戦中」である。小泉政権時代に某外務大臣が米中の蜜月関係に懸念を表明すると、「文句があるならもう一度戦争して勝ったらどうか」とアメリカの高官から言われたという。これに日本は反論できない。

利権まみれの政治のせいで13年間何も進まなかった普天間問題をじっと見てきたアメリカが移設を急ぐ理由は何もない。民主党政権が誕生すれば自民党と政策が異なるのもアメリカは先刻承知である。しかしそれをただで認めてしまったらアメリカは何の利益も得られない。恫喝に怯む日本のDNAを百年以上も見続けてきたアメリカだから今回のような動きは当然である。試されているのは新政権の外交力だ。決着のさせ方でアメリカの日本を見る目が決まる。
(筆者:田中良紹、2009年12月14日  THE JOURNAL掲載)
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2009/12/post_201.html