2010年8月31日火曜日

平成23年度大学関係予算 概算要求

財務省へ提出される文部科学省関係概算要求の概要が公表されました。
いくつかの記事を抜粋してご紹介します。

平成23年度予算 概算要求(文部科学省)

(関連記事)

2010年8月28日土曜日

情報公開と大学の役割

最近ちょっと気になる記事がありました。

社説:情報公開法 「知る権利」さらに尊重を (2010年8月26日 毎日新聞)

01年4月に施行された情報公開法について、政府の「行政透明化検討チーム」(座長・蓮舫行政刷新担当相)が、見直し案をまとめた。

法律の目的に「知る権利」を明記し、行政側の恣意(しい)的な判断で行政文書が不開示とされる範囲を大きく絞り込む内容となっている。適切な公開を求める国民の側に立ったものとして評価したい。

行政機関が保有する情報を、請求に応じて国民に開示するのが情報公開制度だ。だが、行政の裁量範囲が広く、国民の情報アクセスの手段として不十分だとの声が強い。

特に、外交・防衛や犯罪情報については、公開すれば国の安全などを害するおそれがあるとして、行政側の判断で不開示とする裁量が広く認められてきた。

見直し案は、一度出した不開示決定について、情報公開・個人情報保護審査会の答申後、さらに不開示にする場合、首相の同意が必要とする制度の新設を打ち出した。政治主導で、行き過ぎた不開示の決定に待ったをかけることが可能になる。

また、情報公開訴訟などの場で、裁判所が、行政側に文書を提出させて、裁判官が内容を直接確認できる「インカメラ審理」も導入する方針だ。従来に比べ、実効性のある司法判断が期待できる。

他にも国民が使いやすい制度改革が盛り込まれた。例えば、不開示の場合、具体的な理由を文書で示すことを行政側に義務づける。

請求から開示決定までの期限が現在の30日以内から14日以内へ短縮され、手数料の原則廃止、コピー代の引き下げと併せ、国民にとってはるかに使い勝手がよくなるだろう。

情報公開法の適用範囲も、今より広く独立行政法人などにも拡大される予定だ。

開示の前提となる公文書の作成や移管、廃棄などについては、統一基準を示す公文書管理法が昨年、全会一致で成立し、来年4月に施行される。各省庁でばらばらだった管理基準が改められ、役人の勝手な判断で公文書が廃棄できなくなった。

今回の見直し案に沿って、政府は来年の通常国会で情報公開法を改正する方針だ。成立すれば、公文書管理法と車の両輪となり、国民の「知る権利」を実質的に保障する道具となることが期待できる。

ただし、成立までの道のりは容易ではない。官僚側の抵抗が予想される。運用に関しても、開示請求の増加に対応する予算や人員の手当てができるのか懸念も残る。

だが、行政を透明化し、より開かれた政府を実現することは、与野党で大きく対立するテーマではあるまい。前向きな国会審議を望みたい。
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/archive/news/20100826ddm005070163000c.html


行政側の恣意的な判断によって、情報公開制度の趣旨が捻じ曲げられ運用されることは決してあってはならないことですし、適切な運用が図られるよう不断の改善を行っていくことは当然のことです。

国立大学法人においても、これまで、開示請求に対する真摯な対応が行われていなかった事例は皆無ではないと思われます。(下記過去記事参照)

(過去記事)大学の倫理観とディスクローズ(2007年11月27日)

ある大学では、開示・不開示の判断(最終的には学長の判断ですが)を行う委員会では、積極的な情報公開を行うべきという意見(主に事務職員)と、不開示を主張する意見(教員)とに分かれ、結果は一部開示となったものの、開示すべき法人文書がどういう文書なのかわからなくなるほど、真っ黒な墨塗りになってしまったそうです。

また、この委員会で交わされた議論の中には、まるで後ろめたいことをやっている悪者達の談合のように、国民が聞いたらびっくりするような閉鎖的、保身的な意見が数多く、まさに「大学の常識が社会の非常識」という言葉がぴったりの状況だったようです。

さらに、一部開示の決定に当たっては、不開示部分についての不服申し立てを受けることが前提となっていたとのことで、このような法律の目的や趣旨に従わない確信犯的な決定をした大学の責任は極めて重いのではないかと思います。

大学は、憲法により保障された神聖な学問の府として、こういった社会の求めに反した、あるいは国民を愚弄するような行為を決して行うべきではありませんし、社会との垣根をより高く頑強な壁にしてしまうこのような愚かな行為は、自ら堕落の道を目指して突き進んでいるようなものではないでしょうか。
http://daisala.blogspot.jp/2007/11/blog-post_483.html


しかし、記事にあるような「情報公開・個人情報保護審査会の答申後、さらに不開示にする場合には、首相の同意が必要」、「請求から開示決定までの期限が現在の30日以内から14日以内へ短縮」「手数料の原則廃止、コピー代の引き下げ」などについては、国民へのサービス向上を優先させるあまり、教育や研究といった大学の本来の使命・役割を怠る本末転倒の事態に陥らないよう、また、大学に対する個人的怨恨等、異常な精神状態にある者による制度の悪用によって、膨大な開示請求が繰り返され、担当者達は過重な労力を費やし疲弊しているケースがあるなどの現場の実態に十分目を向け、担当職員の負担軽減、コスト抑制といった観点も踏まえた上で、どのような在り方が望ましいのか慎重に検討されるべきと考えます。

2010年8月27日金曜日

あいた口がふさがらない

小沢氏出馬へ-あいた口がふさがらない (2010年8月27日 朝日新聞)

どうしてここまで民意とかけはなれたことができるのか。多くの国民が、あぜんとしているに違いない。
民主党の小沢一郎前幹事長が、党代表選に立候補する意向を表明した。政治とカネの問題で「責任を痛感した」と、幹事長を辞して3カ月もたっていない。
この間、小沢氏は問題にけじめをつけたのか。答えは否である。いまだ国会で説明もせず、検察審査会で起訴相当の議決を受け、2度目の議決を待つ立場にある。
鳩山由紀夫前首相にも、あきれる。小沢氏率いる自由党との合併の経緯から、この代表選で小沢氏を支持することが「大義だ」と語った。
「互いに責めを果たす」とダブル辞任したことを、もう忘れたのか。二人のこのありさまは非常識を通り越して、こっけいですらある。・・・


小沢氏出馬 国の指導者に不適格だ 「政治とカネ」で信頼失った (2010年8月27日 産経新聞)

「とことんクリーンな民主党」を実現すると鳩山由紀夫前首相が、小沢一郎前幹事長とともに身を引いてから2カ月余りで再び小沢氏を担ぎ出す所業には、開いた口がふさがらない。
小沢氏は東京第5検察審査会から「起訴相当」の議決を受け、再度同じ議決が出れば強制起訴される。
一連の疑惑を晴らそうとせず、国政の最高指導者を目指す姿には、強い疑問を呈さざるを得ない。
25日の講演でモラルの破綻(はたん)に言及したが、信なくば政治は成り立たない。
日本の最高指導者として不適格なことは明白である。・・・

2010年8月24日火曜日

大学予算に関する国会論議

第175回臨時国会参議院予算委員会において、8月4日には、櫻井充議員が、8月5日には、谷岡郁子議員が、それぞれ国立大学法人運営費交付金等に関する質問を行っています。(個人的には、なかなかいい質問ではなかったかと思います。)

長くなりますが、答弁も含め関係部分を抜粋してご紹介します。

来年の通常国会の予算審議で果たして同じことが言えるのか、総理大臣や文部科学大臣の言行一致が求められるところです。


平成22年8月4日

櫻井充君

それからもう一つは、教育の問題なんです。民主党の教育の政策を見てくると、私は、だれでもひとしく高校まで教育を受けられるようにという理念に対しては私はそれですばらしいことだと思っているんですが、一方、高等教育がどうなのかというと、ここが、何と言ったらいいんでしょうか、非常にお寒いんではないだろうかと。

要するに、先ほど二つ負担が重いんだということを申し上げましたが、例えば仙台で東京の大学に通うようになると、四年間で国立でも今だと一千万の仕送りをしなきゃいけないと、こういう負担を強いられるようでは相当大変だと思うんです。

私事で恐縮ですが、僕は大学6年間おやじが無職でして、一円も収入がありませんでした。ですが、自宅から通えて、たまたま国立大学に入れて、バイトでお金を稼いだから何とか卒業することができましたが、今の国立の授業料ではとてもじゃないけれどもなかなかみんな大学に通うことができないんではないのかなと、そう思っておりまして、まず、日本の高等教育をどう考えているのか、文部科学大臣に御答弁いただきたいと思います。

国務大臣(川端達夫君)

お答えいたします。
資源のほとんどない狭隘な郷土と、全世界でいえば少ない人口の中で日本がこれだけ発展し、今日まで先人の努力で発展したのは、まさに人材、そしてとりわけ科学技術を中心とした経済的にも支える人材が中心であったことは間違いない事実だというふうに思っております。そういう意味では、その人材をはぐくむのは当然ながら高等教育でありますので、高等教育における人材育成が国を支える、成長していくための根幹のテーマであることは間違いない事実だというふうに思っております。

そういう中で、しかし一方、先ほど御指摘ありましたけれども、高等教育への公財政支出は、OECDの世界の平均でいうと大体GDPの1%が日本は0.5%という、非常に少ない。同時に、その分の私の、要するに個人の負担と公財政の支出、公的支出の割合はほぼ日本は半分半分だと思います。アメリカで大体 1対2、フランスですと多分3対1ぐらいから4対1ぐらいで、公財政ということでは極めて負担が重い状況になっているということは間違いない現実だと思います。

そういう中で、今回の新経済成長戦略の中でも、その成長のエンジンとしての部分にまさに高等教育による人材育成というのを中心に据えて、今言われた意味で言いますと、奨学金の制度の充実、それから大学の質保証、国際化、大学院教育の充実強化、学生の職業教育の推進などを重点的に取り組んでいきたいという ふうに思っております。

櫻井充君

ありがとうございます。
そこで、まず国立大学についてなんですが、本来、運営交付金を減らさないという約束だったんではないんでしょうか。今運営交付金がどんどんどんどん減らされてきている現状をどうお考えでしょう。

国務大臣(川端達夫君)

国立大学法人に関する運営交付金の制度は、平成16年から法人化されました。この法人化に至るときに、例えばこの参議院の附帯決議においても、国立大学法人法制定の際の参議院附帯決議で、法人化前の公費投入額を踏まえ、所要額を確保するように努めることという附帯決議が付きました。したがいまして、法人化直後の平成16年度は法人化前と同じ水準の運営費交付金が確保されました。

しかし、その後、今日の予算委員会でもしばしば話題になりました骨太方針2006の方針で毎年度減少ということで、結果的に平成16年度は、スタートのときは前年並みが確保されたんですが、それ以降、平成21年度と比較しますと約720億円の減額ということになりました。どんどん減ってきたということであります。

そういう中で、それぞれの大学においては、人件費等の経費節減、外部資金の獲得などに必死に努力をしていただいておりますが、ここまで減ってくるということで、各大学が着実に教育研究を実施し得る必要額の確保が極めて厳しくなっているというのが現場から寄せられている声でございます。

そういう中で、今年度の予算編成がございます。平成22年度までは、それまでは従来いわゆる骨太方針に基づいて1%削減方針ということで毎年1%ずつ切っていくということが、骨太方針が年度的に終わりましたので何とか1%という減額目標はクリアするという意味で、ぎりぎり、0.9減ということに加えて 補正で医療機器のプラスをするということで、ほぼ21年度並みを、減額じゃなくて並みを維持できたというのがぎりぎりのところでございました。

そういう中で、今回の概算要求基準を含めて非常に厳しい編成方針の中でありますけれども、いろんな知恵を使う中で、大学の努力や無駄をなくすのは当然でありますけれども、大学の運営費交付金が適切に維持できるように最大限努力してまいりたいと思っております。

櫻井充君

ありがとうございます。
大臣、今のままの大学の在り方で予算だけを維持することがいいかどうかという、もうそろそろ総括をするべきだと思っているんですね。

例えば山形大学の医学部というのは、本来は地域の医師不足対策としてつくられた学部です。しかし、関東からみんな来て関東に帰っていくから、いつまでたったって地域の医師不足は解消しないんですよ。そうすると、何を申し上げたいのかというと、大学ごとにもうそろそろ、ここは例えば地域のための大学にしましょうと、皆さん、なかなか低所得で苦しんでいる方々もこうやって国立に入って、そしてまた地域で貢献できますよというような人材育成の在り方を考えて いかなきゃいけないんじゃないか。すべてがミニ東大を目指すようなことは非常におかしくて、5年ぐらい掛けて、例えばもう今、国の予算を減らすのをやめて、運営交付金を維持して、その代わりこの5年間でどういうふうに再建していくのかと、そういうことをもうちょっと明確なビジョンを打ち出していく必要性があるんじゃないのかなと、そう思いますが、いかがでしょう。

国務大臣(川端達夫君)

基本的には私も同じ認識を持っております。
大学の運営費交付金が骨太方針では非常に削られてきたという中でも、やはり大変厳しいという状況に置かれて初めてといいますか、何とか生き残るにはどうしたらいいんだろうということの危惧が出てきて努力されていることも事実だというふうに思います。

そういう中で、それぞれの大学には、非常に高度な最先端の研究をやっていくと、世界レベルで頑張るという機能を非常に強く持つ大学も当然必要でありますけれども、先生言われるように、地域に根差した、地域に非常に役に立つというか、今病院の話しされましたけど、人材を教育するということに力点を置いた大学、あるいはある部分に非常に特色を持った専門的な大学、それぞれ特色のある大学を目指していかないと結局学生の質も確保できなくなるという事態があるというふうに思っております。そういう部分で、自分たちの大学がどこに比重を置いてしっかり生きるのかと、そして、それを目指していくことには、我々もお手伝いとしてのいろんな政策それから財源の応援をするというふうな仕組みも是非とも考えたい。

同時に、民間企業ですといわゆる格付という評価ありますね、スリーAであるとかAABであるとか。そういう部分が大学の評価機構というのはあるんですが、今までの大学としての運営をしてきた人が中心となってやっているだけではなくて、大学がそれぞれの特徴を生かして、こういうことで頑張ると、ここはここに非常に特色を発揮しているということが一定何らかの評価されるようなことも考えていきたいと今思っております。

そういう意味で、大学教育改革に関する意味では、いわゆる複数大学の連携、あるいは機能分化、それから検証、そのことを総合的に考えて今支援体制を検討しているところでございます。

櫻井充君

ありがとうございました。
もう一つ、その学部のところで申し上げれば、例えば歯学部などはもう国立のある部分、いや、全部なくせとは申し上げません。もちろん必要なんですが、もう過剰になっている歯医者さんのことを考えてくると、大変申し訳ないんですが、廃止した方がいいんではないだろうかと思うところもあるわけです。多額の税金が使われているわけですね。ですから、その人材育成として、この国のこれからの、産業だけではなくて社会全体としてどういう人たちを育成していかなきゃいけないのかということ全体を考えた上で教育政策を僕は行っていかなければいけないと思っているんです。

そういう意味で、総理に御決意も含めて御答弁いただきたいんですが、先ほど、元気な日本を復活させるとおっしゃいました。しかし、そのことを実現してい くためには、やはり何といっても人材を育成していくということが極めて大切なことだと思っているんです。そういう点から、総理がお考えになっている教育の在り方などについて御答弁いただければと思います。

内閣総理大臣(菅直人君)

今の御質問にストレートに答えることになるかは分かりませんが、一つは、賃金カーブというものと子供の教育費という問題、私、幾つかの場面で考えさせられました。かつては年功序列、終身雇用で、最初のうちは給料がそう高くないけれども年齢に沿ってだんだん上がっていくと。そうすると、自分の子供が中学から高校、場合によっては大学に行って、そのカーブに沿って何とか教育費を払うことができると。しかし、最近はどちらかといえば、能力主義といえばある意味ではいいことでありますが、高い能力の人は例えば初めから8百万円もらえるけれども、しかし、低い能力の人は例えば4百万円であれば年功が上がっても給料が変わらない。そうなると、つまりは結婚して子供がだんだん大きくなったときの教育費が払えない家庭がどんどん出てくる。

こういうことを考えますと、まず基本的には、今回、高校の無償化まで我が党のマニフェストで進んだわけでありますが、やはり特に大学教育というか高等教育を含めて、社会的にそういう存在に力を入れなければならないということを考えますと、ある意味では教育予算という概念を超えて、その部分を個人が負担するというのから社会そのものが負担する、そういう社会に変えていくということが一つは大変に必要だろうと、こう思っております。

それから、その上で、高等教育の在り方というのは大変いろいろ議論が多いところでありますけれども、先日、都道府県の議長さんが官邸に来られたときに、逆に獣医さんが非常に自治体は足らないという話がありました。そういう意味では、今、歯学は少し多い状況だということがありましたが、まさに社会のニーズに合わせてそういった在り方も対応していく必要があるのではないかと思っております。

その上で、やはりまさに日本がここまである意味では経済的にも国としても大きな存在に世界の中でなり得たのは、まさに勤勉な国民とそしてその中で頑張る人たちがいた、その科学技術を含めた力によるわけですから、この分野については長期的な展望の中でしっかりした人材教育をやっていかなければならない、このように思っております。

櫻井充君

ありがとうございます。
今、総理からお話がありましたが、親の年収によって親が子供に進学してほしい先の割合というのは全然違っています。年収が4百万円以下ですと、大体、大学、大学院を含めて40%ぐらい、それから1千万を超えると大学、大学院を合わせて90%ぐらいなんです。ですから、親の所得によって自分の進むべき道が決まってしまうというのは、非常に子供たちにとって夢を持てない社会になってしまうと思うので、そういったことも踏まえて、是非人材教育の面に力を入れていただきたいと思っていますし、あわせて、これは要望しておきたいのは、科学技術の予算もセットで是非増やしていただければ有り難いなと、そう思いますので、これは要望として申し上げておきたいと思います。

それからもう一つ、これは前回の予算委員会でも申し上げたんですが、今どうも、医療全体の在り方で申し上げると、大学病院が行っている医療というのは、 もう本来大学病院がやるべきような医療じゃないことをやっているわけです。例えば、東大は1400人も外来を診ていますと言っています、地域医療に貢献していますと言っていますが、もう冗談じゃないわけですよ。東北大学はショートステイサージャリーといって胆石とか盲腸の手術までやっているんです。こうやって収入を上げなきゃいけないんですよ。だけど、こんなの大学病院の仕事じゃなくて、まさしく民業圧迫ですよ。

むしろ、やらなきゃいけないことは何かというと、特定機能病院としての役割を果たすこと、教育それからもう一つは研究をきちんと行っていくということが大事なことなんですが、残念ながら、多額の借金を抱えてそれの返済にきゅうきゅうとしているから本来の大学病院の役割がもう果たせなくなっています。

大学病院を中心としてピラミッド型の医療制度構築を考えていることからすると、財投から今8900億でしたか、この間川端大臣から御答弁ありましたが、まずこの借入れをチャラにして、チャラではないな、ゼロにしていただければ有り難いなと。つまり、そうすることによってこの金利負担だけで年間大体4百億ぐらい拠出していると。運営交付金入れているのは、もうざる、本当に消えていくわけですよ。だから、今のその大学の医療の在り方全体を考えてくると、まずここを変えないと何ともならないと思うんです。1兆円もないんですから、ここは何とかまず返済をしていただきたいと思っているんですけど、大臣、いかがでしょう。

国務大臣(川端達夫君)

私が答えていいのかどうかあれですけれども、先生御指摘のとおり、国立大学の附属病院が平成16年の法人化の際に建物、設備の整備に要した経費に係る借入金約1兆10億円を承継しまして、21年度末で元金として9200億円あります。

それで、国立大学の附属病院は、今おっしゃいましたように、人材の養成と新しい診断方法の開発、高度な研究医療、地域高度医療の最後のとりでとしての役割が大きくあるわけですが、附属病院収入で借入金の返済と附属病院経費を賄うことができない場合には、不足する部分を附属病院運営交付金として処置して病院運営に支障を来さないよう国が責任を持って運営財源を確保する仕組みとしていますが、一方で、いわゆる普通の経営においての経営改善努力をしなさいということで、毎年運営交付金の部分に関して減額されるという仕組みを同時に取り入れてきました。 

そういう部分で、おっしゃるように、本来やるべき高度医療等々への新たな設備投資のお金がない、これ以上借りられない、と同時に、本来民業でやるようなものまで利益を上げるために一生懸命やらなければならないということに陥っていることはもう御指摘のとおりでありまして、この大きく借財している部分をどういうふうにするのか。今の仕組みのままではもう限界に来ていることは事実でありますので、引き続き大きな課題として我々としても検討し、政府全体の仕組みの中で提言をしてまいりたいというふうに思っております。

また一方では、そういう中でありますが、平成22年度予算では、いわゆる教育研究医療機関の充実とか勤務改善のための附属病院の支援の充実と、それから附属病院の経営改善係数の中で高度医療に関して、要するに地域医療でない部分に関しては保険の点数が高く付く等々で、よりそちらがやれるようにという改善はさせていただいておりますし、診療報酬の改定も含めて少しは経営改善に資していますが、根幹にある9200億円の分はこれからもしっかりと対応できることの検討と同時に、先生おっしゃいましたように、いわゆる附属病院、大学の病院が本来の機能をしっかり果たしていけるということがより充実してできるようにということの施策はいろいろと考えてまいりたいと思っています。

櫻井充君

ありがとうございます。
今診療報酬の話が出ましたが、結局、大学に診療報酬、ある部分つくって付けてしまったがゆえに、地域医療のところは全く付かなかったんですよ。このことを考えても、大学の、これは野田大臣に聞いた方がいいんでしょうね、お願いだけしておきましょう、答弁もしてください、一応、前向きに考えると。ここの、今9200億円に増えていましたが、その9200億の分を、とにかく国債を発行するなりどうするか、ちょっとここはこれから考えなきゃいけないことですけど、それを4百億から毎年そうやって返しているわけですから、ここら辺のところをまず一括して借金を返済していただきたいんですが、いかがでしょう、財務大臣。

国務大臣(野田佳彦君)

現状の厳しさは先ほどの文科大臣のあの御答弁にも表れていたとおりであります。そういうことを踏まえて、櫻井委員の御提言を承りました。

櫻井充君

ありがとうございます。本当にありがとうございます。


平成22年8月5日

谷岡郁子君

おはようございます。民主党・新緑風会の谷岡郁子でございます。
今日は私は、高等教育がいかに強い経済をつくるための最も大事な基盤であり、また社会保障費を増やしながらできる典型的な例であるかということについて、論拠を挙げながら議論をしたいというふうに思っております。

すべての人に家庭環境の差なく夢とチャンスがある社会というものを保障するという意味での社会保障、そして一方では、人的資源の価値の増加という意味での強い経済のための最大効果のある投資というふうに私は高等教育を考えているわけでございます。しかるに、現在これが崩壊の危機に立っていると、そのように思っております。とりわけ、今政府から挙げられております概算要求どおりにこの基盤的な整備の予算というようなものを削るようなことがありますと、日本の大学は崩壊してしまいかねない、そして、それは日本の知的基盤であると同時に経済成長基盤を大きく損なうものであると、その危機意識に立ちまして、今日は、なぜその予算が必要なのかという点について総理を中心に是非御議論をお願いしたいと思いますので、よろしくお願いをしたいと思います。

まず、最初のパネルを見ていただきたいと思うんです。(資料提示)今日御用意いたしましたこのパネル、高等教育への公的財政支出についてということで、 皆様のお手元には資料として出してあります。

これは、上から、左側を見ていただきますと、韓国、イギリス、アメリカ、フランス、そして日本という順序でカーブが流れているわけですけど、何を意味しているのかといいますと、高等教育機関への公的財政支出の変化の指数なんです。これは量ではありません。この間どのくらい成長してきたのか、どのくらい各国が高等教育への支出を上げてきたのかということを示しております。

そして、この右側、同じように韓国、イギリス、アメリカ、フランス、日本の順で並んでおります。このカーブを見てみてください。韓国は、各国GDPの2000年度からの変化で、147に2000年から2006年までの間に推移をしている。これだけの経済成長をしている。約1.5倍の経済規模になったということであります。イギリスが137、アメリカが134、そしてフランスが126。ところが、日本は99と。横ばい、また全然成長していないということなんですね。

これは、その他の例えばオランダですとかドイツ、そういうヨーロッパの国々に範囲を広げましても、また過去20年にさかのぼりましても、高等教育に対して国がしっかり支出をする、そしてその基盤をつくってきたところが実は経済は成長していて、そしてそれを怠ってきたところが経済が成長していないということがはっきりしております。

1990年、日本の競争力は1位でした。2010年、27位になっております。そして、一人当たりのGDPの世界ランキング、2000年には3位でありました。2008年には23位になっております。これは、こればかりではないけれども、しかしながら、高等教育に対する支出というものを国家としてちゃんとやってこなかったということが今この状態を生んでいるのではないか。

したがいまして、高等教育にやはり公共的な国家の財政というものをつぎ込んで、人材育成のための、そして科学基盤、知的基盤のための投資、経済成長戦略のための投資として行っていくことが重要ではないかと思うのですが、総理、いかが考えられますでしょうか。

内閣総理大臣(菅直人君)

今、谷岡議員の方からこの表を見せていただいて、確かにGDPの伸びと高等教育への財政支出の伸びというのが それぞれの国で非常に相関関係が高いというのか、少なくともこの表の中ではそういう結果が表れていることは改めて認識をいたしました。

一般的に言って、やはり高等教育は、多くの国では国がというか、社会がその負担を分かち合っているわけですが、日本の場合はどうしても家庭というか、親がその相当部分を賄っていると。そうすると、せっかく優秀な子供であってもそういったものの制約で高い教育が受けられない、このことが日本のある意味での発展を阻害している、そういうことは十分に言えるかと思います。

特に、日本の社会構造が変わってきている中で、必ずしもかつてのように年齢が上がれば給料が上がるという年功序列体系が崩れた中では、能力賃金というのは一方では必要なことだと思うんですけれども、しかし一方では、子供の年齢が高等教育の段階に従っても給料が上がらない人が一方で出るわけでありますので、そういった点では、社会構造全体の問題としても高等教育について、個人の負担、両親の負担ということから基本的に社会の負担に変えていくということも私は視野に入れなければならない。

もちろん、このことには相当の財政的な問題もかかわりますので、やはり国民的にそういったものを、福祉の問題と共通ですが、やはり分担し合おう、負担し合おうという国民的な合意も併せて必要になるのではないかと、このように思っております。

谷岡郁子君

皆様にお配りしました資料は、後ろから6ページ目、7ページ目のところに、それでは各国がどのようにそういう問題に対して対応しているかということを少し資料をお付けいたしました。

国公立の平均授業料と奨学金を受けている学生の割合というこの紙でございますけれども、授業料はアメリカやオーストラリアも結構高い。しかし、その分何らかの形での、例えば公益財団法人であったりするところ、そして国、またNGOであるところ、そういうところからの支援が大変大きくなっている。例えばその次のカリフォルニア大学のケースを見ていただきますと、親の年収によって、親の年収2百万の子には149万円の奨学金が出る、親の年収8百万円の子には34万円しか出ない。そして、カリフォルニア大学の学生のコストというようなものが、奨学金が、2万ドル、4万ドル、6万ドル、8万ドルというようなところで、年収によって分けられているよというような形で大学からの給付もなされているというようなことで、だれにでもチャンスがある社会というものがつくられているわけですね。こういうことに対しては日本もやはりどんどん参考にしていく必要があると思います。

次に、じゃ、その社会、だれもがチャンスを与えられる、意欲と能力のある子がしっかりとした教育を受けられる社会であるということ、そしてその子がひいては日本の経済力を担う原動力になり、税金をしっかり払って、老高齢者を支えてもらう、その構造をつくる。その一方で、既に、もしもこの高等教育、大学というものを産業として見た場合に、この産業というものは一体どのような経済的な効果をつくっているのかということを今お示しをしたいと思います。

これは、今パネルとして作りましたのは私立大学を中心とした部分でございます。これ、日本地図がかいてございます。そして、北海道3732億円、 東北4596億円とか、南関東に至っては東京を中心として7兆4469億円、全体として15.4兆円、経済効果が人的資本形成として出ているということが、これは私立大学関係者の調べで分かっております。

その式の根拠になりますのは、大卒者の生涯賃金から高卒者の生涯賃金を引いて、そして毎年の大学卒業者というものを掛ける、そうすると大体大学の教育を受けたことによってどのくらいの言わば賃金を余分に取っているか。それはもちろんその賃金に合わせて税収を、国の税収にもなるわけですから、こういう経済効果という人的の蓄積というものを、人間というものは価値に置き換えられないにしましても、価値に置き換えた場合にあえてそうすればどうなるか。毎年15.4兆円が出ているんですね。大学全体では21.5兆円、つまり約6兆円が国立大学からは出ていると。

それに対しまして、国立大学に対する、じゃ、国立大学大したことないじゃないかと言われるかもしれませんが、国立大学、実は1.5兆円ほどのお金がすべて含めて今出されております。それでも4倍、毎年実は返ってきているということが申し上げたいのであります。そして、私立大学に至っては、15.4兆円出てくるものに対して実は3200億円しか国は投資をしていないんです。そのうちの2100億円が基盤経費でありまして、そして約1100億円が、これは特別補助というふうに言われるものなんですけれども、これほどわずかな国の投資によってこれほど大きなリターンが返ってきている。

これ自身が大き過ぎるという問題もあるわけですし、またこのことについては後で討論をさせていただきますけれども、しかし、このようなリターンがあるもの、その装置を、この産業体を今概算要求によって国はつぶそうとしているのではないかという危惧があるということを申し上げたい。

そして、こういう経済、これは総理にお聞きをしたいわけですけれども、強い社会保障をつくりながら強い経済をつくりたいんだと総理はいつもおっしゃっています。まさに、これは医療だとか厚生労働省がおやりになっているような福祉だとかそういう部分だけではなくて、実は教育という、自分自身に人間がだれしもなっていく、それを追求することができるという、人間の人権の最も大きな部分を保障するところであります社会保障というものを達成しながら、しかしそれ自身が大きな経済の、産業としての成長になっていく可能性があるということにおいて高等教育というのは私はとても大事なものではないかと思うんですが、この点について総理はいかがお考えになっておりますでしょうか。

内閣総理大臣(菅直人君)

こういう形の分析というのは私も初めて拝見をしたわけですけれども、まさにアジアの国々の中でも、例えばシンガポールといったような国は非常に教育水準が高くて、国としては決して大きな国ではないけれども非常に高い生産性を持っている。そういう国々の例を見てい ると、やはりその国の教育水準、日本もかつては世界の中で、特に初等中等教育を含めて非常に高い水準にあったと言われておりますが、高等教育においては必ずしも、かなり以前から十分ではないということが指摘をされてきたわけですが、こういう新しい経済構造にどんどん変化する中で、そういったことの立ち遅れが逆に日本の経済成長に少し影を落としている、そのように私も受け止めております。

谷岡郁子君

さて、今の大学、そしてその大学へ通う若者たちが今どのような状況に置かれているか、それを今皆様方に御理解をいただきたいと思いまして、少し私は総理に失礼ながら個人的な質問をさせていただきたいと思います。

総理は昭和40年に東京工業大学に御入学、国立大学ですけれども、なさったというふうに伺っておりますけれども、そのときに入学金を幾ら払われて、授業料を幾ら払われたか覚えておいでになりますでしょうか。

内閣総理大臣(菅直人君)

そういう御質問をいただくということが少し聞こえてきましたので、思い出したり調べたりをいたしました。

たしか入学金が1500円でありまして、授業料は1年間で1万2千円であったと。受験料もたしか1500円で済んで、私は余り親孝行はしていないんですが、一つしか学校を受けなかったものですから比較的入学時には親に大きな負担を掛けないで済んだのかなと、そんなことを思い出しておりました。

谷岡郁子君

ありがとうございます。
パネルにしてまいりました。総理、昭和40年度に入学されました。そのときの入学金が1500円でございます。授業料1万2千円でございます。マルを差し上げたいと思います。

平成22年度の今入学する学生たちが、じゃ、どうなっているか。28万2千円の入学金を払っております。これ、当時から考えますと188倍になっているんです。そして、授業料は53万5800円、これ年間ですが、45倍になっております。そして、当時は総理は多分年金をお払いになっていなかったと思います。途中で、過去十数年にわたりまして二十歳になったら学生は年金を払うと。収入がないけれども、年金を払うと。そして、2年間は猶予されるけ れども、2年間以上遅れたら延滞金のようなものまで付いてしまうと。今、学生たちはそのシビアな状況、つまり、ここは私はあえて無限倍と書かせていただいたわけですけれども、そういう形で払っている。そういう状況があるわけでございます。

そして、じゃ、ちなみに、そのときからの物価だとか初任給だとかはどうなっているかということを御参考までに申し上げますと、白米10キロが1,125円でしたから、これは2.5倍から3倍ぐらいに今なっております。公務員の初任給は2万1600円。今、約10倍になっています。大体23歳から27歳の人が年収40から70万円の時代であったというふうに言われておりますので、これも7、8倍から10倍かなと。そして、週刊誌は1冊50円でございました。 大体、物価から考えると7、8倍であったものが、今、国立大学はこれほど高くなってしまっているんですね。

総理、そしてもう一つ、ちょっと申し訳ないんですが、5年行かれましたよね、4年間ではなくて。いや、卒業の年度を見せていただいたら、70年度になっているんです。1年余分に実は行ってらっしゃるんですね。この1年、道草なのか余分なのかよく分からないんですが、総理はどういう背景、状況があって5年行かれたということでありましょうか。

内閣総理大臣(菅直人君)

こういう場で申し上げていいのかどうか分かりませんが、せっかくの御質問ですから答えさせていただきますと、 実は4年で卒業する予定でもうほとんど単位は取って、最後は卒業研究に取りかかろうとしておりました。当時、日本中の大学がいろんな意味で大学紛争でもめておりまして、ちょうど私が卒業する予定の年には東大のあの安田講堂の攻防戦がありました。

私の大学は余り学生運動が盛んなところではなかったんですけれども、やはりその時代の背景で東工大においてもストライキが発生し、バリケード封鎖というようなことになりまして、私、もう卒業する予定だったので余り深入りはして元々はいなかったんですが、いろんな会合に顔を出している間に、自分で一年生のころからサークルをつくったりしていた関係もあって、つい発言をしたものですから、だんだん逃げ切れなくなって、しばらくしたら一年下の別のグループのリーダーから、あなたはまさかこれで4月になったら卒業するんじゃないだろうなと言われてはたと困ったんですけれども、結果的には卒業研究を出さないことで留年をいたしました。

そんなことで5年間大学にいることになりましたけれども、考えてみますと、その最後の一年があったことがあるいは政治家という形に、まだその時点では全く考えてはいませんでしたけれども、そういう社会の大きな波の中でいろいろ経験したことが今日の私の政治活動のスタートだったのかなと、今思ってみるとそんなふうに思えております。

谷岡郁子君

まさに私が言っていただきたかったことを言っていただいて、本当にありがとうございます。
大学時代というものは、単に授業に出てメモリーチップをどんどん増やすように、ただたくさんの知識を詰め込めばいいんではない。むしろ、人間として人生を生きていく、社会人として生きていくためのOSをそこで人間としてつくっている。人間の幅ができる。自分自身を発見し、自分の価値観というものを組み立てていき、そして社会というものに目覚め、場合によっては政治的な主権者としての在り方というものを考えて、それを培っていく。そういう経験というものと 大学で学ぶ知識というものが相まって人間としての能力ある総体というものをつくっていくものだと私も考えます。

そういう余裕が、じゃ今、18歳、19歳の将来の総理は、将来の菅直人は今どんな境遇にあるんだろうかということを私は今日ここでお考えをいただきたいと思ったわけです。

私の教え子にも伊調千春というオリンピックで銀メダルを取った子がおりますが、この子は大学2年、東京へ行きました。でも、オリンピック種目に決まって、どうしてもオリンピックに出たいということで、私の大学に1年生から入り直しをしました。そこでダブり2年です。そして、大学3年生のときにアテネ・オリンピックで銀メダルを取りました。彼女にとって本当に悔しい事実であり、受け入れられなかった。もう一度おやりと言ったことに対して、私は御両親を説得して、彼女ももう一度再チャレンジをするんだということで、またそれから4年間レスリングに明け暮れました。

銀メダルは結果として同じものが北京オリンピックで手に入りました。しかし、この4年間の彼女の道草、彼女の旅、これが人間として、頑張り屋ではあるけれども少し狭かった、そして不器用であった一人の若者を本当に大きな人間にした。銀メダルを受け入れられなかった子は、4年後に私に銀メダルを見せながら、見てください、学長、とってもきれいです、私はこの色が好きです、そう言ってくれるようになりました。

そういうその人間の成長、若者の旅、この道草。効率的ではないかもしれない、あるいはそこからいえば道草や余分なことに見えるかもしれない、結果同じだったかもしれない。でも、私は、人間として彼女はそこで絶対的に変わっていて、そして今、青森できっとすばらしい高校教師をやってくれているというふうに信じます。

今の若者たち、本当に困窮しております。皆様のところに付けました新聞記事を是非御覧いただきたいと思うんです。一日の平均、これは携帯代や光熱費、そういうものも入れて、食費も含めて1120円、これが今の大学生一人の平均です。仕送りは10年前の10万円から今7万円に減ってます。そして、仕送りがゼロの大学生たちが10人に1人であります。そして、親の給料は増えていませんから、どんどん過酷になっていて、かつて払わなくてもいい、その年金を払わされているという、そういうような状況があります。

その中で、先ほど総理がおっしゃいましたように、あの時代だから5年行けた。人生でとっても今の基盤をおつくりになるための重要な、言わば基盤づくりをその時代になさった。今そのことが若者たちに許されてないんですね。ベルトコンベヤーに載せられた促成栽培の言わば野菜かあるいは一つ一つの機械であるかのように人間づくりが行われてしまっている。この若者たちがもっと自分になっていくために、育っていくために、そして日本に資する人材になっていくためにしっかりとした支援をする。そのために必要であれば給付を含めての奨学金を考えること、必要じゃないでしょうか。総理、いかがお考えになりますでしょうか。

内閣総理大臣(菅直人君)

改めてそういうふうに言っていただきますと、私もその最後の一年間で読んだ本は今でも頭によく残っております。例えば、「東大紛争の記録」なんという本も読んだことがありますし、何かガルブレイスの本を読んだりしていろいろ考えさせられた一年だったという感じがいたしております。

そういう中で、今の学生の皆さんのそういう余裕のなさというか、経済的にも余裕のなさというものがあるということを聞いて、確かに、私にも二人の男の子が、もう卒業しましたけれども、そんなにも私のときとは違った状況なんだということを改めて感じさせていただきました。

一つ、別個の思い出申しますと、アメリカの学生さん、私はあるとき、モルモン教徒のあそこの町に行きましたけれども、19歳ぐらいになると世界に、特に 日本なんかにも来られて、しばらく学校を休んで来られて、そしてまた戻っていく。アメリカの学生の場合に話を聞いてみると、結構、4年間でさっと終わるんではなくて、途中で別のことをやったり、あるいは一遍社会に出てまた大学に戻ったり、そういうことを割と自然にやっているという話を聞きまして、確かにそういう経験を積むことが、単に4年間とか6年間とか学生生活を送る以上に何か複合的な力を身に付けることになるのかなと、そういった話もアメリカの若者から聞いて感じたことを今思い出しておりました。

谷岡郁子君

そこで、菅総理、是非これからもっと学生たちを支援できることを今の厳しい財政状況の中ででもお考えいただけないでしょうか。その辺についていかがでございましょうか。

内閣総理大臣(菅直人君)

谷岡議員のお話の流れの持っていき方が大変、優れた政治家であられるので、そういう意味では、お話を聞いている中で、いかに高等教育の現状が学生の皆さん、若者にとって厳しいものか、これを何とかしなければならないという気持ちに私もより強くなっております。

もちろん、財政的ないろんな問題がありますが、先ほども申し上げましたように、やはり福祉と教育というのは、谷岡議員も言われたように、ある意味では共通性を持っている中で、そういう若者こそが日本の将来を支えるんだと、それにはある程度負担をし合うという、そういうことも併せて、是非若者が将来の日本を背負って、逆に言えば、私たちがもう高齢化の域にだんだん差しかかる団塊の世代も含めて、将来の日本を支えてくれるような若者を生み出すために財政的な問題もしっかり考えなければならないと改めて感じたところであります。

谷岡郁子君

ありがとうございます。とても心強い、もう感謝申し上げます。
それで、文科大臣にお聞きをしたいんですけれども、今現在出ております、各省庁、概算要求10%シーリングと、こういうものが掛かりました場合に、日本の大学というものがどうなるというふうにお考えになっているのか、文科大臣の方の御所見を是非お願い申し上げます。

国務大臣(川端達夫君)

非常に本質的な視点からの御議論をいただいて大変ありがとうございます。
高等教育が大変大事であるということはもう言をまたないというふうに思います。そういう中で概算要求の組替え基準が先般決定をいたしました。これを機械的に国立大学の運営費交付金あるいは私学助成費等々を一割カットするということになりますと、約1500億円、1兆5千億ですので1500億円減額をすると。これは今まで、過去いわゆる骨太方針でずっと減らされてきました。それが5年間で行われた額を倍ぐらい上回る額を一年でやるということになりますと、現実的には機械的に当てはめる額でやれば、大学が行う研究と教育に深刻な影響を与えることは事実だというふうに思っております。ただ、これは、概算要求基準の部分は文科省のトータルの一定の基準での枠の一割を削減努力しなさい、そしてそれぞれに再配分をしなさいということが趣旨でございますので、必ずしも一律に全部減らさなければならないということではありません。

そういう意味で、先ほど来の御議論にありますように、大学、高等教育が日本にとって経済的な活力、そして将来の人材育成にとって極めて大きな役割を果たしているという意味で、私はこの機能がより充実強化されるように、しっかりと概算要求が組めるよう努力を最大やってまいる所存でございます。

谷岡郁子君

ありがとうございます。
今、概算要求がはめられたらという話がありました。そこで、野田財務大臣にお聞きをしたいわけですけれども、例えば独立法人の方へ一定の出向をさせて付け替えるとか、そういうことをやったりというようなことの手法も含めて、例えば特別会計を持っている、あるいは複数持っている省庁と持っていない省庁、そして、先ほど来出ていますように、例えば耐震化の問題、教員、例えば35人学級にしたらというようなことで、義務経費が物すごく多い文科省のような省庁と、それは政策官庁的なところで政策経費が多いところと、その割合から考えても、今文科大臣は努力するというふうにおっしゃいましたけれども、同じ一律に10%、これはないんじゃないんですかと私は思ってしまうんですけど、その辺いかがなんですか、もう少し柔軟にできないんでしょうか。

国務大臣(野田佳彦君)

お答えをいたします。
もう委員御案内のとおりだと思いますけれども、歳出の大枠を71兆というふうにこれは中期財政フレームで決めました。その中で、地方交付税あるいは年金、医療等の社会保障関係、これを除いたところの約24兆円を御指摘のとおり9割要求という形で要求をしていただき、その分、ちょっと誤解があると困るんですが、一割削減ではなくて、その削減した分は要望もできるという形になっています。その要望を全部まとめた中で特別枠をつくるという形になります。

各省いろんな特徴があることは事実なんです。人件費の多い役所、義務的経費が多い役所、政策的経費といってもいろいろ特徴があります。それ一つ一つというよりも、もう各省にそれぞれの査定大臣としてお取り組みをいただきながら優先順位を付けていただき、そこは人件費も義務的経費も、あらゆる経費を聖域なく大胆に、細かい経費区分じゃなくて、大胆にあらゆるものを見直していただきながら要求をしていただき、その後出てきた要望を踏まえて特別枠できちっと政治的な判断で配分をしていくと、そういう仕組みになっているということでございます。

谷岡郁子君

それがいわゆるコンテストという部分であったり、特別というふうに言われる部分だと思うんですけどね。

例えばビルに例えますと、私は、ビルのコンペだとかコンテスト、その上物の外観のデザインとかそういうものに関してはよく見るわけです。ところが、基礎工事、土台工事に関するコンペだとかそういう展覧会などというものは見たことがありません。

何を申し上げたいかといいますと、その基盤的なものというものはしばしばコンテストにはなじまないんではないか。大学を、今もちろん、先ほど来申し上げていますように、その教育研究というものをしっかりやるための基盤経費というのは、言ってみれば、今問題になっておりますお年寄りたちの住民台帳であり、さんざん何年前からずっと今も問題になっております年金台帳、このような地味で土台であるものというのは、なかなかそのコンテスト的なもの、そういうプロジェクト的なものにはなじまなくて、やはり土台、基礎工事であるような基盤的な費用というものをしっかりつくらなきゃいけないということであるならば、その今のプラスアルファというところはなじまないんじゃないか。だから、大学、高等教育の基盤経費はここのいわゆる10%という部分からは外すべきじゃないかということを私は申し上げているんですが、もう一度、いかがでございますか。

国務大臣(野田佳彦君)

特別枠、一応今回の組替え基準の中では1兆円を相当程度超える額という表現でありますが、これはこれからの努力によってこのかさがどれぐらいになるかということはありますが、その配分についての観点は、一つはマニフェスト施策に関する、二つ目はデフレを脱却し、成長分野に資する事業、三つ目が雇用拡大に資する事業、四つ目ありまして、これは人材育成、そして国民生活の安定、安全、安心、こういう項目が入っていますので、おっしゃるとおり、だから、人材育成の観点からもこの特別枠の配分というのはあり得るということです。

必ずしも、これは誤解のないようにお願いしたいんですが、政策コンテストだけで配分決めるわけではありません。予算編成の透明化という中でコンテストと いう試みもやりますが、これまでの各省の御努力を踏まえた努力評価制度というのもあります。そういうことを勘案しながら、最終的には総理主導でまさに政治の判断をしていくということでございます。

谷岡郁子君

少し安心をいたしました。ありがとうございます。
先ほど文科大臣からも御説明がありましたけれども、(発言する者あり)安心しちゃ駄目ですか。

ちょっと今、表、次のものを見ていただきたいんですけれども、これが家計負担なんですね。日本は下から4番目のところに置いておりますけれども、国の支出が物すごく小さい。国の支出が小さいがために家計負担がすごく重くなってしまっている。それが先ほど総理がおっしゃいましたように、家庭によっては行けない子が増えていると。今、私が申し上げたいのは、そのシーリングで絶対大変な問題になっているんだよというんだけれども、実は増やすことが必要なわけで す。これも可能なんでしょうか。野田大臣、いかがでしょうか。

国務大臣(野田佳彦君)

一律削減というのは、あくまで府省横断的に大胆な組替えをするためのまさに土台づくりなんですよね。だから、場合によっては、特別枠の中での評価で増査定になるような事業だってもちろん出てくるというふうに思います。

谷岡郁子君

先ほど来の議論を聞いておられまして、高等教育についてはそうなり得るというふうにお考えでしょうか。なる可能性が高いとお考えでしょうか。

国務大臣(野田佳彦君)

だんだん谷岡ワールドにいざなわれてまいりましたけれども、事の重要性については理解をしているつもりでございます。

谷岡郁子君

もう少し、では、どのくらいこれが深刻な問題であるかを御説明、私の方から申し上げたいと思います。次のまたパネルをお願いします。

東大から始まりまして最後が小樽商科大まで、80の国立大学を並べました。そして、平成22年度国立大学法人運営費交付金予算額における概算要求組替え基準の影響額の例示ということで出させていただいているんですが、この赤のところ、3分の1ぐらいの大学、これが、この交付金がゼロになるぐらい、10%カットすると減るんです。そして、今言われているようにそれが3年間続きますと、この黄色い部分まで全部なくなってしまうぐらいのカットが行われま す。地方の大学がなくなるかもしれない。

この地方の大学がなくなった場合にどうなるかといえば、そこの産業がどうなるか、一度東京へ行った学生たち、若者たちは地方へ帰って就職してくれるだろうか、過疎、産業の衰退、高齢化、ますます進み、ますます東京一極化が集中するかもしれないぐらいの状況になります。

もう一枚見てください。これは国立大学です。私立大学の場合はどうなるか。私学助成が10%減ったら、今ある大学のうちの半分ぐらいの大学、短大は全く補助金がゼロになるぐらいの額が全体として減るんです。もちろんそれが一挙にそこだけがなくなるわけじゃないですけれども、現在でも大変な思いをしている地方の大学というものが本当に大きな困難に見舞われ、これは国立ではありませんからどんどんつぶれていくだろうというふうに思われます。そして、それが3年続けば687大学分の補助金がゼロになるぐらいのそういう金額の話になってしまっているわけなんですね。

とりわけ打撃を受ける、今、私立大学について、文科大臣、ほかの方でもよろしいんですけれども、どういう内訳で国の予算は出されておりますでしょうか。

国務大臣(川端達夫君)

お答えいたします。
一般補助と特別補助という、そういう意味でよろしいですか。
私立大学等の経常費補助ということで、教員、学生の人数等に単価を乗じて補助金の基準となる額を算出するというのを一般補助としてやっております。さら に、めり張りを付ける、それぞれの大学の特徴、努力があるということで、教育条件、財務状況等に基づいて傾斜を掛けて各大学の補助金額を算出するということで、一般補助と特別補助を、それぞれ算定基準、数式がありまして、それに基づいて計算をして補助をするということでありますが、それで決まった額と手当てする予算額に乖離がございまして、その総額の部分での係数を出しまして、その予算額に合うように圧縮をして交付をしているというのが現状でございます。

谷岡郁子君

特別補助というのはめり張りが付いてという、聞こえがいいと思うんです。でも、多分これは原口総務大臣などは賛成していただけるんじゃないかと私は思うんですけれども、実は地方交付金というふうに言われる地方にとって自由に使えるお金は使い勝手がいいんだけれども、各省庁からそれぞれ特別プロジェクトと言われるもので補助率が幾らでと条件がいっぱい付くものというのは実は非常に使い勝手が悪いんですね。

こういうものが実は小泉政権下、自民党政権の中ですごくつくられてきたんですけど、その結果何が起きているかというと、実は、配分の問題としてどうなり ましたか。地方の中小大学と例えば東京の大大学でいくと、それはより地方へ行っているんでしょうか、大大学へ行っているんでしょうか。その点いかがですか。

国務大臣(川端達夫君)

今ちょっと詳細な数字を持っておりませんが、御指摘のようにメニューが非常に細かく分かれておりまして、このメ ニューをやるとということで、結果としては必ずしも地方の特色のあるところに手厚く配分されているということの傾向ではないと承知をしております。

谷岡郁子君

多くの場合、小泉政権下で行政改革だとか改革と言われたものが結局は大企業を利して、そして地方や中小企業に対しては本当に厳しいものであったように、このいわゆる特別補助というのは、実は大きなそもそもの基盤のあるところにとっては本当に有利なものであったんですけれども、 地方で苦労をしてその地方の経済を担っていくような弱小大学、そのためにわざわざ東京へまたみんな出てこなきゃいけないという形で親の負担も増えるわけですけれども、この悪循環をつくってきたわけなんですね。

これをやはり経常費補助ということで基盤的な一括したものにする方がはるかに効率がいいというふうに思うんですが、そこはいかがでしょうか。

国務大臣(川端達夫君)

極めて重要な観点からの御指摘だというふうに思っていまして、我々もこの私立大学の要するに補助が先ほど申し上げましたように非常に厳しい財政状況の中でしっかりと質が確保できる、効果的にできるためには、一番ベースから議論をし、見直して再構築をしていくことは 極めて大事だと認識をしております。

谷岡郁子君

そして、先ほどちょっとちらっと川端大臣の方から圧縮率なるものが出ましたけれども、この圧縮率というのは過去何十年か行われてきて、平均何%ぐらいで現在どのくらいになっておりますか。その変化はどこで大きく変化したのか、ちょっと教えていただけますか。

国務大臣(川端達夫君)

これは、47年度、昭和47年ですから随分昔です、スタートいたしましたときは圧縮率は、0.968235、それ以降はずっと、いわゆる96%、98%、99%等々、ほぼ95%以上ぐらいで推移をいたしまして、平成15年に初めて95%を切りました。92、0.927、16年度が0.916、そして、17年度に0.87ということで9割を切りました。以降、急激に下がりまして、平成21年、昨年度では0.718ということであります。ここ5年間で急激に圧縮率が小さくなって、現在は昨年で0.718でございます。

谷岡郁子君

総理、今何のことかと多分お考えになっているんじゃないかと思って、これテクニカルな問題ですのでちょっと御説明を申し上げます。

私立大学の助成には、何に対して、人件費に対して、学生の人数に対して等々、どういうものに対して補助をするか、それは何割補助をするかという計算式がございます。その計算式を基準に支払われるわけなんです。そして、かつてはこの交付額が予算額に収まるように圧縮をするというのは、2、3%、4、5%の言わば誤差の範囲に近いところでこれを計算、圧縮率なるものを作っていたわけなんです。

ところが、それを予算削減のために使っている。これは、例えば医療でいえば、お医者さんに払うお金が予算に収まるように今年圧縮率を掛けますといいなが ら、実は本来行くべきものの7割しか払っていないみたいなことが現実に今、どんどんそういう状況になって起きてきているんです。何のための計算根拠かすら分からない。もし農水や厚生労働でこういう問題が起きたら、恐らく暴動が起きるような問題なんですね。

やはり、こういう訳の分からないずるみたいなことを是非今回見直していただきたいんですけれども、いかがでしょうか。これは財務大臣にお聞きすべきなのか、文科大臣にお聞きすべきなのか。

国務大臣(川端達夫君)

仕組みの在り方としてこういうやり方がいいのかどうかという御指摘だというふうに思います。そういう意味で、今回の概算要求をする際には、あらゆる制度含めての総見直しを今手掛けております。その中の重要な課題だと思って、今日の御指摘もしっかり重く受け止めて対 応してまいりたいと思います。

谷岡郁子君

よく言われますのは、科学技術立国、科学技術経費というものが本当にどれほど大事なものかということは、この間、私は数か月にわたって党内、皆様からも、また日本中からも選挙の間もお聞きをしてまいりました。

しかし、じゃ、その科学技術は大事なんですけど、科学技術を担う中心はどこなのかといった場合、これは、政府のエージェンシー、独立法人のようなものもありましょう、また企業もありましょう。でも、世界中、各国は大学を中心にそれを行っている。なぜか。大学の、ユニバーシティーのユニバーサルという普遍性というのが大学でつくられ、ストックされ、また学生に継承されている知識はユニバーサルなものである。つまり、未来の世代を含めたすべての人類に開かれた共通の財産であると、これがユニバーシティーの意味だからであります。

各省庁でありましても、また企業でありましても、単純にもうけのためとか、できたら独占をしたい、そういう構造の中では知が開かれない、みんなの財産になっていかない、人類の幸福の基盤になっていかないということで、大学にできるだけ科学技術の基盤というものを集めるということを世界各国やってまいりましたし、また、そのための基盤というものを整備してきたわけです。

今、国立大学の学長たちが私の元に来て言うのは何かと。幾ら科学技術予算を増やしてもらっても、大学が大学として機能するための基本的な研究、そして教育基盤である基盤経費、先ほど来申し上げております国立大学交付金を減らされてしまったのでは、これはひどくやわな土台、そして劣化した土台の上にビルを積むようなものであって、必ず倒れるんだということなんですね。

ここの配分の問題としても私は実はその基盤経費が重要だと思うんですけど、その点は、川端文科大臣、どうお考えになりますか。

国務大臣(川端達夫君)

科学技術の重要性は御指摘のとおりでありまして、その中でそれぞれが担う役割もあります。
しかし、いわゆる研究開発、科学技術を担う、そういう部分のときに、すべてに共通しているのはベーシックな人材が育っていかなければ成り立たないと。そ れの研究開発のフィールドは、それぞれに企業もあれば独立の研究法人もあればいろんな大学もあればということでありますが、その一番根幹には大学、高等教育による人材育成が基本中の基本であるということは御指摘のとおりだというふうに思っております。

谷岡郁子君

ありがとうございます。
ただいまの議論をお聞きになりまして、総理、この辺についてどうお考えになりますでしょうか。科学技術ということは盛んに言われまして、その費用なども予算の中で取られていこうとするんですが、やはりその中心を担う、それは私立、国立、公立を問わず、大学というものをやはりその重点に、中心に置かねばならないというふうに私は考えるんですが、いかがでございましょうか。

内閣総理大臣(菅直人君)

先ほどお聞きになった私の学生時代を考えてみて、学問というのは何かということを当時考えたことがありました。私の結論は、ちょっととっぴかもしれませんが、学問というのは遊びであるというのが私の結論で、つまりは何かを目的を持たないという意味で、つまりお金もうけのためとか何かのためという目的を持たない、つまり学問それ自体が目的というか、そういうものが本来の学問というものであるというふうに私なりに定義を勝手にいたしたことがあります。

そういう意味で、先ほど谷岡委員の方からユニバーサルという言葉がありましたけれども、つまりは、たしかスーパーカミオカンデのノーベル賞を受け取られた方が、自分の研究は、もしかしたら日本の何か経済に何も資することはないかもしれないけれども、宇宙の在り方というものをやっぱり知るという人間の営みの中で、それをやはり認めてもらえるかどうかなんだということをおっしゃっていたのが大変印象的でありました。そういう意味で、大学というものがそうした まさに普遍的な学問研究の第一の場であるということは、私はそのとおりであろうと、こう思っております。

また、私も川端文科大臣の前にしばらく科学技術担当をやっておりまして、そのときにも確かに、どういう配分をするかのときに、大きなお金を有名な学者にお渡しするのがいいのか、将来、それが10年先か30年先か分かりませんが、ノーベル賞でももらうような可能性のあるかなり数の多い若手の研究者にそういう配分をするのがいいのかという、そういう議論がありまして、ある案分で配分をしたことがありました。

そういうことも含めて、やはり若手の学者がどんどん育っていく、それには、今、谷岡さんが言われたように、大学というものの一つのベースがあって、そこにいろいろな研究資金が配分されることでそれがより大きな成果につながってくる。そういう意味では、大学そのものが基盤を失ってしまうと、たとえ研究費が出たとしてもそれは必ずしもそれが生きてこないという御指摘は、私なりにはよく理解できました。

谷岡郁子君

学問は遊びであるという菅総理の今のお言葉は私は全面的に賛成なんです。
今話題になっているものにiPadがございます。iPadは、もっと小さくできるという、要は、携帯でワールドカップを見れるんだけれども人間の視力と しては見られない、それを人間化したものなんです。人間のサイズに戻したと。メールは携帯でできるけれども、本を読む、資料を読むという人間の機能に対してはそれは適さない。つまり、技術の人間化というものをiPadは行って、そしてあれほど売れました。ただ物をつくろうとせずに、遊ぶこと、読むこと、音楽を聴くこと、映画を見ることという、この遊びという人間の営み、文化を大事にすることによってiPadは生まれました。

それを、ただ物づくりという観点で、狭いところで見ていく限りはできない。だから、今、菅総理がおっしゃったように、遊びというもの、人間というものをよく見る大学というものが、ただ利潤を追う、効率を追うというところではなくて、技術だけの問題でなくて、重要だというふうに私も感じるんですね。ただ、それを大学に今集めていこうとすると財政が大変でございます。それは分かっております。

その中で、蓮舫大臣にお聞きをしたいんですけれども、やはり公益法人ですとか、それから独立行政法人、大学校、これは今まで仕分もしていらっしゃったと思うんですけれども、まだまだ、本来、各国であれば言わば大学に一元化していくような、例えば教育でありますとか人材養成であるというような分野、そういうものが日本では各省庁ばらばらに行われていたり、またそこにぶら下がる独立法人や公益法人あるいは大学校などに随分分散していく場面があると。これをやはり統合していくような形で、できるだけ、もちろん特殊なものはいっぱいありますけれども、一元化していくことが私は必要だと思うんですが、大臣として、今後そういう方向性をにらみながら事業仕分などをやっていただけるんでしょうか。

国務大臣(蓮舫君)

恐らく谷岡委員の御指摘は、まだまだすみ分けができていない、あるいは独立行政法人、公益法人、大学、それぞれにおいて似たような、類似の例えば事業であるとかあるいは公益の分野におけるような内容の事業がまだ重なって行われているんではないか、それは大学に特化をした方がいい、あるいは公益法人が行った方がいい、あるいは独立行政法人並びに国が行った方がいい、そういう御指摘だと思うんですが、まさに今年の4月、5月に独立行政法人と公益法人の事業仕分を行って、御指摘のようなすみ分けをしなければいけないという部分も幾つか私たちは提示をしました。まさに今、行政刷新会議事務局において、そのすみ分けをどのような形で行っていけば、より効率的で、より税金の使われ方としても国民の皆様方に納得いただけるのかを整理しているところでございます。

谷岡郁子君

大変有意義な今日は議論をさせていただけたというふうに思っております。
大変、財政困難な中だということは、それは私も分かっております。しかし、今、大学一つとして、ITをバージョンアップしようと思っている大学というのは多分ないだろうと思うんですね。赤字経営にもかかわらず、各省庁の毎年のIT関係のそのバージョンアップ費用というものは物すごいものがある。例えばこれを3年間止めていただいたら、多分大学から削るぐらいの費用というのは出てくるんだろうなと、そういうことも思いますし、また、今、蓮舫大臣が言われたように、一元化していったり、ちゃんとすみ分けができていくようにすれば、もっと効率的な高等教育であり、科学技術ということが日本に可能だと思うんです。

最後に総理の御決意をお聞きして、私の今日の質問を終わりたいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。

内閣総理大臣(菅直人君)

私もかつて厚生大臣をやっていたときに、厚生省にもいろいろな研究所がありますけれども、必ずしもその知見が厚生省本体にもつながっていないようなケースが数多くありました。そういう意味で、一方で自由な研究ということもあると同時に、そうした同じ費用を出すんであれば、より広い意味で効果的な研究体制というものを考えなければならないと。

今、ITのことを言われましたけれども、これは原口大臣が非常に役所のITに関しては無駄が多いということもよく指摘をされておりますけれども、そういったまさに削るべきところ、あるいはまさに無駄と言えるようなところを思い切って削りながら、本当に必要なところに予算を配分していく、そのことに私も 責任者として最大限の努力をしたいと、このように思っております。

谷岡郁子君

ありがとうございました。終わります。


全文はこちらをご覧ください。
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kaigirok/daily/select0114/main.html

2010年8月23日月曜日

幸せを選ぶ

幸せはどうすれば見つかるか。まず、幸せになるかどうかは自分の選択であることを認識しよう。困難に直面しても幸せそうにほほ笑んでいる人はたくさ んいる。それに対し、困難に直面するとすぐに落ち込んでしまう人もいる。その違いは、前者のタイプの人は幸せになることを選び、幸せを感じる習慣を身につけていることだ。そういう人はポジティブに考えるよう自分を律しているのである。

自分が持っていないものに対 して不満を並べるのではなく、自分が受けている多くの恩恵に感謝することを選ぶといい。そうすれば幸せになれる。物事のネガティブな側面ではなくポジティブな側面を見ることを選べばいいのだ。幸せは未来にあるものではない。それは、今ここにあるものなのだ。

景気がよくなれば幸せになれるとか、誰かに幸せにしてもらえると信じるのは見当違いだ。自分が不幸せな人間であるかぎり、外的な働きかけによって永続的な幸せを実現することはできないからだ。

幸せはまた、自分が心から楽 しめて意義深いと思える仕事に打ち込む結果として自然に芽生える感情でもある。自分の仕事が好きなら、幸せになれる可能性が高い。それに対し、仕事が嫌で仕方ないなら、不幸せになる可能性が高い。しかし、ここでも間違えてはいけない。好きな仕事がどこかにあると考えて探し続けても無駄だ。今、あなたがしているその仕事を好きになればいいのである。好きになるか嫌いになるかも、選択なのだ。


ディスカヴァー・トゥエンティワン
発売日:2006-06-15

2010年8月22日日曜日

興南高校の偉業

今年の全国高校野球選手権大会は、沖縄県代表・興南高校の初制覇(史上6校目の春夏連覇)で幕を閉じました。

戦後65年が経ち、悲願の優勝旗が、ついに沖縄の地に渡ることになりましたが、これまで幾多の辛酸をなめてきた沖縄県民の皆さんにとっては喜びもひとしおだと思います。

興南高校の優勝は、沖縄野球のレベルの高さを確立し、高校野球の歴史に沖縄の名前を刻むという輝かしい功績を残しただけでなく、これまで沖縄が歩んできた苦難に満ちた道のりを多くの国民に改めて考えさせることになったという意味でも”偉業”なのではないでしょうか。

天声人語 (2010年8月22日 朝日新聞)

1週間前の終戦の日、戦火に散った一兵卒の詩人竹内浩三について書いた。三重県伊勢市にある浩三の墓を10年ほど前に訪ねたことがある。手を合わせていると、近くに野球のボールをかたどった墓標があった。やはり戦死した伝説の名投手、沢村栄治が眠る墓だと教えられた。

沢村は浩三と同じ宇治山田市(現伊勢市)の生まれ。京都商業から春夏3度、甲子園に出場する。草創期のプロで活躍したが、時代は野球を許さなかった。召集をうけて南方に向かう途上、船が沈められて27年の生涯を閉じた。

きのうの高校野球決勝を見ながら、その墓標がふと胸をよぎった。二つの原爆忌のはざまに開幕した甲子園は、終戦の日を過ぎて、沖縄・興南の春夏連覇で幕を閉じた。若い白球の宴が、平和を祈る季節と重なるのは、毎年ながら天の配剤のように思われる。

沖縄勢の出場は1958(昭和33)年の首里高に始まる。米軍占領下からの出場は大きな拍手で迎えられた。だが沖縄は「外国」だった。持ち帰った甲子園の土は植物防疫法に触れるとして那覇港に捨てられる。

後日、同情した航空会社の客室乗務員たちが消毒した甲子園の小石を学校に贈った。美談はいつも悲話と裏表だ。それから半世紀と2年が流れ、土ではなく優勝旗が沖縄へ渡る。

〈それは単なる野球場の名称ではない。こんな叙情的なひろがりをもったスタジアムが世界じゅうにあるだろうか〉と詩人の谷川俊太郎さんは甲子園を言う。平和に抱かれてこその叙情であろう。思いを新たに、白球の夏を見送る。
http://www.asahi.com/paper/column.html


興南春夏連覇-沖縄が風を巻き起こした (2010年8月22日 朝日新聞)

甲子園に、新たな歴史が刻まれた。

全国高校野球選手権大会で、興南が沖縄勢として初優勝を飾り、史上6校目の春夏連覇を果たした。

参加4028校の頂点に立つまでの、はるかな道程を思う。深紅の大旗を手にした選手たちに、心からおめでとうと言いたい。

積極的な打撃は決勝でも変わらなかった。4回に東海大相模から7点を奪った攻撃は圧巻だった。ウチナーンチュ(沖縄人)らしい伸びやかさと、はじけるような強さがあった。

沖縄の人々は、米国統治下の時代から何かにつけて「本土に追いつけ」と自分たちを奮いたたせてきた。高校野球も、そんな意味でスポーツを超えた存在だ。時にみずからの人生を重ね合わせ、見守ってきた。

興南の我喜屋優監督は1968年夏、同校が沖縄勢としてはじめて準決勝に進出した時の主将である。本土復帰の4年前。パスポートにあたる身分証明書を手に、甲子園に向かった。

この時の快進撃は「興南旋風」と呼ばれ、沖縄が、日本中が熱狂する。

「勝つたびに復帰が近くなるように感じられます」。琉球政府の行政主席は、そんな電報を打ったという。

夏の甲子園が復活した46年、沖縄では、第1回全島高校野球大会が開かれた。20万人余の犠牲を出した沖縄戦の傷跡が残る島に、硬球はなかった。米軍が持ち込んだソフトボールを流用し、塁間をちぢめて試合をした。

58年、40回記念大会に特別枠で首里高が出場、沖縄勢がはじめて甲子園の土を踏む。平均身長163センチの小柄なチームは初戦で敗れたが、観衆からは大きな拍手が送られた。地元紙は「アルプススタンドで一日日本復帰」と、その様子を伝えた。

72年の復帰後、沖縄の野球はだんだんと力をつける。一年中練習に打ち込める温暖な気候。地元選手が本土の大学などで学んだ野球を、指導者となって持ち帰る好循環。それらが沖縄の高校野球を底上げしていった。

沖縄水産が90、91年の夏、2年連続で準優勝し、本土を追う時代から、追われる時代になる。99年の選抜大会で沖縄尚学が県勢初優勝。本土からも練習試合におとずれる学校が増え、島のハンディは小さくなっていった。

「沖縄の復興は、まず高校野球から」。沖縄高野連の生みの親で日本高野連の元会長、故・佐伯達夫氏はかつてこう語ったことがある。その頂を、いま沖縄はきわめた。

昨年来、沖縄は米海兵隊普天間飛行場の移設問題で揺れている。

長い過酷な道のりを歩んできた沖縄の人々の心に、興南の偉業は何を刻むだろうか。

「旋風」から42年。さらに大きな風が、猛暑の夏に巻き起こった。
http://www.asahi.com/paper/editorial20100822.html#Edit2


島の悲願 (2010年8月25日 朝日新聞)《後日追記》

全国高校野球選手権大会で、興南が沖縄勢として初の優勝を決めた。決勝戦があった時間帯、観戦のために那覇周辺の通行量は激減し、深夜のようだったという。「大願ついに」。地元紙は1面から社会面までを興南の記事で埋めた。

県民の多くは、ただのスポーツに過ぎない高校野球に「沖縄」そのものを重ねている。そう感じていたのは、沖縄水産を率いて2年連続の準優勝をした名将、故・栽弘義監督だった。

「甲子園で優勝するまで沖縄の戦後は終わらない」。栽監督が語ったとされた言葉だ。だが本人は、そんなことを言ったおぼえはない。「甲子園で勝っても、戦後は終わりはしない。でも、本土校に勝って優勝したら、いろいろな思いが消えていくとみんな思っていたのだろう」

監督の背中にはやけどの跡があった。4歳の時、沖縄戦で米兵の手投げ弾を受けたのだという。凄惨な沖縄戦、戦後の異民族支配、復帰後も続く基地の重圧、そんな県民の記憶と痛みすら、その背中は負っていたのかもしれない。

決勝戦は、興南高校に約1800人が集まって応援した。その雰囲気は、普天間飛行場県内移設に反対する県民集会に似ていた、とその場にいた知人は話す。「島がひとつになったようだった」

甲子園で優勝しても消えることのない重い現実を、この島は抱えている。それでも、高校生たちの殊勲を希望とし、我がこととして喜びたい-。そんな沖縄の人々の胸裏を思う。

2010年8月16日月曜日

人まかせ民主主義

昨日、65回目の終戦記念日を迎えました。私達は、戦陣に散り戦禍に倒れた多くの方々の尊い命と引き換えに今日の平和を享受していることに改めて感謝し、不戦の誓いを新たに、悲惨な戦争の教訓を後世に語り継いでいくことを怠ってはなりません。


65回目の終戦記念日-「昭和システム」との決別(2010年8月15日 朝日新聞)

脚本家の倉本聰氏作・演出の舞台「歸國(きこく)」が、この夏、各地で上演されている。8月15日未明の東京駅ホームに、65年前に南洋で戦死した兵士たちの霊が、軍用列車から降り立つ。

「戦後65年、日本はあの敗戦から立ち直り、世界有数の豊かな国家として成功したんじゃなかったのか」「俺(おれ)たちは今のような空(むな)しい日本を作るためにあの戦いで死んだつもりはない」

もうひとつの戦後

劇中の「英霊」ならずとも、こんなはずでは、と感じている人は少なくないだろう。戦後、日本は戦争の反省に立って平和憲法を掲げ、奇跡と呼ばれた経済成長を成し遂げた。なのに、私たちの社会は、いいしれぬ閉塞(へいそく)感に苛(さいな)まれているように映る。

日本は昨年、戦後初めての本格的な政権交代を経験した。55年体制からの脱皮は数多くの混乱を生んだ。

民主党政権は、政治主導という看板を掲げて舞台に立った。事業仕分けや事務次官会議の廃止など一部で成果を上げはしたが、まだ見えない壁の前でもがいているかのようである。

この分厚い壁とは何か、いつ作り上げられたのか。

米国の歴史家、ジョン・ダワー氏は近著「昭和 戦争と平和の日本」で、官僚制は「戦争によって強化され、その後の7年近くにおよぶ占領によってさらに強化された」と指摘する。同様に、日本型経営や護送船団方式など戦後の日本を支えた仕組みの多くは、戦時中にその根を持つ。

「八月やあの日昭和を真つ二つ」(8月8日朝日俳壇)。この句の通り、私たちは戦前と戦後を切り離して考えていた。だが、そんなイメージとは裏腹に、 日本を駆動する仕組みは敗戦を過ぎても継続していた。ダワー氏はこれを「仕切り型資本主義」と呼ぶ。軍と官僚が仕切る総動員態勢によって戦争が遂行されたのと同じやり方で、戦後も、社会は国民以外のものによって仕切られてきた。

政権交代は、55年体制が覆い隠してきた岩盤に亀裂を作ったといえるだろう。天下り利権や省益を守ることに傾斜してしまう官僚組織、積み上がるばかりの 財政赤字。いまや、仕切り型資本主義が機能不全に陥っていることは誰の目にも明らかとなった。

外交・安全保障も同様だ。普天間基地移設の迷走、そして日米核密約問題は、憲法9条の平和主義を掲げながら沖縄を基地の島とし、核の傘の下からヒロシマ、ナガサキの被爆体験を訴えてきた戦後日本の実相と、今後もその枠組みから脱するのは容易ではないという現実を、白日の下にさらした。

割れ目から顔を出したものは、私たちが目をそむけてきた「もうひとつの戦後」だった。

任せきりの帰結

日米安保条約改定から半世紀の今年、ドキュメント映画「ANPO」が公開される。映像は安保改定阻止の運動が何を問おうとしたのかを追う。

銀幕で人々は語る。「民主主義は私たちが守らなくちゃ。国は守ってくれないんだ」。戦争の記憶が生々しかった1960年当時、日本人の多くは、平和と民主主義を自らのものにするにはどうしたらいいか、問うた。たとえ失敗に終わろうと、歴史の主人公になろうとした一瞬があった。

だが、多くの人々が胸にかかえた問いは、その後の経済成長にかき消され、足元に広がった空洞は物質的な豊かさで埋められた。映画を監督した日本生まれの米国人、リンダ・ホーグランド氏は言う。「当時の日本人の顔は今とは違う。彼らはどこから現れ、どこへ行ったのでしょう」

冷戦下、西側の一員として安全保障と外交を米国に頼り、経済優先路線をひた走るという「昭和システム」は、確かに成功モデルだった。だが、時代が大きく変化した後も、私たちはそこから踏み出そうとはしなかった。

「仕切り型資本主義」は「人任せ民主主義」とも言い換えられる。任せきりの帰結が、「失われた20年」といわれる経済的低迷であり、「顔の見えない日本」という国際社会の評判だ。

生きてるあなた

「敗戦忌昭和八十五年夏」(7月26日朝日俳壇)。戦後65年にあたって考えるべきは、戦争を二度と繰り返さないという原点の確認とともに、「戦後」 を問い直すことではないだろうか。それは「昭和システムとの決別」かもしれない。

家族や地域といった共同体の崩壊や少子高齢化によって、日本社会は昭和とはまったく相貌(そうぼう)を変えている。グローバル化が深化し、欧州連合の拡張で国民国家の枠組みすら自明のものではなくなる一方で、アジアでは、中国の台頭が勢力図を書き換えつつある。昭和の物差しはもう通用しない。

「ANPO」の挿入曲「死んだ男の残したものは」(谷川俊太郎作詞、武満徹作曲)は、こう歌う。
死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない

政権交代は、小さな一歩に過ぎない。政治主導とはつまるところ、主権者である国民の主導ということだ。

過去の成功体験を捨て、手探りで前に進むのは不安かもしれない。だが、新しい扉を開くことができるのは、今の時代に「生きてるわたし生きてるあなた」しかいない。






映画『ANPO』予告編



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死んだ男の残したものは


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谷川俊太郎作詞・武満徹作曲


死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった

死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
他には何も残っていない

2010年8月9日月曜日

倫理に反することはしない

組織において、倫理に反するようなことを命令されたらどうすべきか。答えは簡単。その仕事を引き受 けてはいけない。たしかに困難な決断ではある。仕事を拒否すれば左遷されたり失業したりするおそれがあるからだ。

しかしこれは 大事なことだから、もう一度繰り返す。組織の命令だからといって、倫理に反するような仕事を引き受けてはいけない。あなたは倫理に反するようなことを要求する組織で働くべきではない。

ブーメランの法則を思い出してほしい。あなたがすることは、遅かれ早かれ、あなたに返ってくる。あなたが人にウソをつけば、その人もあなたにウソをつく。人に親切に接すれば、あなたも親切に接してもらえる。

あなたは自分の評判を大切にしなければならない。いったん自分の評判を落としてしまうと、汚名を返上するのは大変だ。

組織のためなら倫理に反することでもするような、不誠実な人間になってはいけない。世間からそういう評価を受けることは、あなたにとってはなんの利益にもならない。


ディスカヴァー・トゥエンティワン
発売日:2006-06-15

2010年8月7日土曜日

子供に戦争のことを伝えよう

私達は、まもなく終戦記念日を迎えます。あの忌まわしい戦争のことをいつまでも忘れることのないよう、私達大人・親は子ども達に伝えていく責任があります。

先日、子ども達の夏休みを利用し、「ガラスのうさぎ」という長編アニメ映画を見てきました。上映中子ども達は嗚咽が止まらず、私も時折涙し、終了後しばらくは絶句状態でした。

この夏、戦争を考える一つのいい機会になりました。




ガラスのうさぎ

原作「ガラスのうさぎ」(金の星社刊)は、戦争を知らない子ども達に戦争の悲惨さと恐ろしさ、平和と命の尊さを知ってほしいという願いから刊行され、27年間ロングセラーを続け多くの人々の間で読み継がれている名作です。日本で広がった感動の輪が、海外でも多数翻訳出版され、世界へ大きく広がっています。

また、出版と同時に 多くのメデイアで制作され話題を呼びました。そして、終戦60周年記念作品として、2005年新春に装いも新たに「ガラスのうさぎ」がアニメーション映画として甦りました。

終戦から60年以上の歳月が経った日本では、戦争を知らない世代が多数を占めています。戦争体験が風化された今日だからこそ、戦争の悲惨さを伝え、平和の尊さを伝えてゆく願いを込めて映画は制作されました。(映画チラシから引用・一部編集)




さて、この日記に先月(7月1日~31日)アクセスいただいた11,821件のうち、アクセス件数の多かった順(google Analyticsによる)に、5つほどご紹介させていただきます。ありがとうございました。
  1. 国立大学法人の破綻へのシナリオ(2010年7月8日)
  2. いつまで続く国の人事介入(2010年7月21日)
  3. 必読! 熟議カケアイ:文科省からの出向人事の問題点(2010年6月13日)
  4. 大学教育は大事、されど予算は削減・・・(2010年7月25日)
  5. 教員養成系大学・学部の存在意義(2010年6月29日)

2010年8月6日金曜日

65回目の広島原爆忌

広島に米国大使ら74カ国代表集う 65回目原爆の日(2010年8月6日 朝日新聞)

広島は6日、被爆から65年の「原爆の日」を迎えた。広島市中区の平和記念公園で午前、「原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」(平和記念式)があり、原爆を投下した米国のルース駐日大使、核兵器を保有する英仏両国代表、潘基文(パン・ギムン)・国連事務総長が初めて参列。核保有国のロシアも含め過去最多の74カ国の代表が集い、核廃絶への国際機運の高まりを象徴する式典となった。・・・


国連事務総長あいさつ要旨(2010年8月6日 共同通信)

広島平和記念式典での潘基文国連事務総長のあいさつ要旨は次の通り。

国連事務総長として初の平和記念式典出席を光栄に思う。

広島と長崎に原子爆弾が投下された時、私は1歳だった。私は少年時代を朝鮮戦争のさなかで過ごした。多くの命が失われ、家族は引き裂かれた。以来、私は人生を平和のためにささげてきた。

私は希望のメッセージを送りたい。より平和な世界の実現は可能だ。

被爆者や次の世代を担う皆さんは広島を平和の中心としてきた。私たちはグラウンド・ゼロ(爆心地)から、大量破壊兵器のないグローバル・ゼロを目指す旅の途上だ。

核兵器が存在する限り、核の影におびえて暮らすことになる。だから私は核軍縮と核不拡散を最優先課題としている。

ロシアと米国が新たな核軍縮条約に調印した。核安全保障サミットでは重要な進展を遂げた。この勢いを維持し、包括的核実験禁止条約などを推し進めなければならない。

被爆者の証言を主要言語に翻訳するなど、軍縮教育も必要だ。地位や名声に値するのは核兵器を持つ者ではなく、拒む者だという真実を教えなければならない。

65年前、この地に地獄の炎が降り注いだ。今日、ここでは「平和の灯」が核廃絶の日まで燃え続けている。私たち、そして被爆者の方々が生きている間に、その火を消し、希望の光に変えよう。

核兵器のない世界という夢を実現しよう。次の世代が自由で安全、平和に暮らすことができるように。


平和への誓い(2010年8月6日 共同通信)

ぼくの大好きな街、広島。緑いっぱいの美しい街です。65年前の8月6日、午前8時15分。人類史上初めて、原子爆弾が広島に落とされました。

一瞬のうちに奪われた尊い命。変わりはてた家族の姿。原子爆弾は人々が築きあげた歴史や文化をも壊し、広島の街を何もかも真っ黒にしてしまったのです。

しかし、焼け野原の中で、アオギリやニワウルシの木は、緑の芽を出しました。人々も、街の復興を信じて、希望という種をこの地に蒔きました。傷つきながらも力いっぱい生き、広島の街をよみがえらせてくださった多くの方々に、ぼくたちは深く感謝します。

今、世界は、深刻な問題を抱えています。紛争や貧困のために笑顔を失った子どもたちもたくさんいます。私たちの身近でも、いじめや暴力など、悲しい出来事が起こっています。これらの問題を解決しない限り、私たちの地球に明るい未来はありません。

どうしたら争いがなくなるのでしょうか。どうしたらみんなが笑顔になれるのでしょうか。ヒロシマに生きるぼくたちの使命は、過去の悲劇から学んだことを、世界中の人々に伝えていくことです。悲しい過去を変えることはできません。しかし、過去を学び、強い願いをもって、一人一人が行動すれば、未来を平和に導くことができるはずです。

次は、ぼくたちの番です。この地球を笑顔でいっぱいにするために、ヒロシマの願いを、世界へ、未来へ、伝えていくことを誓います。

平成22年(2010年)8月6日

こども代表
広島市立袋町小学校6年 高松樹南
広島市立古田台小学校6年 横林和宏


天声人語(2010年8月6日 朝日新聞)

手元にある石内都さんの写真集『ひろしま』(集英社)に忘れがたい1枚がある。即死だったのだろう、遺骨も見つからなかった女生徒の上着だ。ぼろぼろになって橋にひっかかっていたそうだ。縫いつけた名前が、生きた証しのようにはっきり読み取れる。

母親が和服を仕立て直した服だという。13歳だったから存命なら78歳になる。人生の盛夏から実りの秋を過ぎ、静かな小春の日々だろうか。断ち切られた幾多の人生を弔い、祈る、きょう広島原爆の日である。

悲願の核廃絶には新しい風が吹きつつある。米国のオバマ大統領は去年、核を使用した自国の道義的責任を語り、「核なき世界」を訴えた。それを機に、涸(か)れていた核軍縮の泉がわき出し、川となって流れ始めた。

さらなる水流となるのだろうか、広島での平和記念式にルース駐日米大使が出席する。65年をへて初めての大使出席になる。とはいえ米国では今なお、原爆投下を正当化する考えが常識だ。政権にとって楽な決断ではなかっただろう。

大使の出席には米国内の反応を見る「瀬踏み」の意味もあろう。大統領の被爆地訪問をぜひ実現させてもらいたい。スウェーデンの故パルメ首相を思い出す。かつて広島を訪ね、「核戦争は抽象的な概念になりがちだが、初めてそれが残虐な現実だと肌で知った」と衝撃を語っていた。

13歳の体からはがれて爆風にちぎれた服に、おとしめられた人間の姿に、何を思うか聡明(そうめい)な大統領に聞いてみたい。正当化しえない「絶対悪」だという認識を、核大国に伝えるためにも。


死んだ女の子 元ちとせ


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作詞:ナジム・ヒクメット・訳詩:中本信幸 作曲:外山雄三


あけてちょうだい たたくのはあたし
あっちの戸 こっちの戸 あたしはたたくの
こわがらないで 見えないあたしを
だれにも見えない死んだ女の子を

あたしは死んだの あのヒロシマで
あのヒロシマで 夏の朝に
あのときも七つ いまでも七つ
死んだ子はけっして大きくならないの

炎がのんだの あたしの髪の毛を
あたしの両手を あたしのひとみを
あたしのからだはひとつかみの灰
冷たい風にさらわれていった灰

あなたにお願い だけどあたしは
パンもお米もなにもいらないの
あまいあめ玉もしゃぶれないの
紙きれみたいにもえたあたしは

戸をたたくのはあたしあたし
平和な世界に どうかしてちょうだい
炎が子どもを焼かないように
あまいあめ玉がしゃぶれるように
炎が子どもを焼かないように
あまいあめ玉がしゃぶれるように

2010年8月5日木曜日

大学予算の1割削減をどう考えますか

平成23年度予算の概算要求基準が去る7月27日に閣議決定されました。大学関係予算は誠に残念ながら10%削減の対象経費に位置付けられ、前途多難な予算編成が待ち受けることになりました。

平成23年度予算の概算要求組替え基準について-総予算の組替えで元気な日本を復活させる-(平成22年7月27日閣議決定)


平成23年度文部科学省における概算要求組替え基準の姿(文部科学省作成、臨時学長懇談会(8月2日)配付資料)




早速、閣議決定に対する、国立大学協会の文部科学大臣宛の要望が8月2日付で出されています。


平成23年度国立大学関係予算の確保・充実について(緊急要望)

平素から国立大学に対するご理解、ご支援を賜り、厚く感謝申し上げます。

さて、平成22年7月27日に閣議決定された「平成23年度予算の概算要求組替え基準について」において、国立大学法人運営費交付金や科学研究費補助金を含む文教・科学振興費が、前年度当初予算に比して総額10%削減の対象経費とされたことは、誠に憂慮に堪えません。

このような大幅な予算の削減が、平成23年度から3年間にわたり、国立大学法人運営費交付金等に適用された場合には、人と知の拠点である国立大学等の教育力・研究力は致命的な打撃を受け、資源の乏しい我が国が持続的に成長、発展していくための原動力が損なわれます。大規模大学は、その教育研究体制を大幅に縮減せざるを得ず、中・小規模の国立大学においてはその存立すら危うくなります。

諸外国が国家戦略として高等教育、科学・技術予算の充実を図っている中で、我が国においては、特に国立大学法人運営費交付金について、平成16年度から22年度の6年間で既に830億円(▲6.7%)もの削減が行われています。各法人は懸命の経営努力を重ねているものの、その努力も限界を超え、退職教員の補充ができない、若手教員が雇用できない、教員の負担過重のため教育研究に充てる時間が減少し、論文数も急速に減少している、など、大学本来の使命である教育研究そのものに対する悪影響が顕在化しつつあります。

これに加えて、今後3年間、我が国の知的基盤を支える土台を根底から崩壊させることにつながるすさまじいばかりの予算削減が実施されることになれば、文部科学大臣から示された中期目標を達成することが困難になるだけではなく、我が国の教育研究と人材育成機能を崩壊させ、国の未来を閉ざすことにもつながります。

国立大学の存立基盤の急激かつ回復不可能な劣化をもたらす機械的な予算の大幅な削減は、我が国の国際社会における位置を急速に低下させる、極めて危険な、国益に係わる致命的な施策であると言わざるを得ません。

貴職におかれましては、我が国の人材の育成と学術・文化の振興のための国家戦略を推進する責任者として、かかる事情については既に十分にご承知のところではありますが、私どもの心情をご賢察頂き、今後の概算要求案の策定に当たり、大学運営の基盤的経費である国立大学法人運営費交付金の拡充、教育機会均等の確保のための教育費負担の軽減、地域医療の最後の砦である国立大学附属病院に対する支援の充実、教育研究の基盤となる施設・設備の整備、基礎研究や萌芽的研究を支える科学研究費補助金の拡充など、国立大学関係予算の確保充実について、格別のご理解とご配慮を賜りますようお願い申し上げます。
http://www.janu.jp/active/txt5/yosan100802.pdf


一般国民の皆様にはやや難解な内容の文章で、どれだけご理解いただけるのか甚だ不安ですが、それにしても今年は例年以上に厳しいシーリング事情ということで、国立大学協会を中心に、各国立大学法人の学長先生方は、この灼熱の暑さの中、国会議員や地方の首長さん回りをしたり、共同して記者会見を開き、国立大学法人の存在意義と予算措置の必要性を訴えたりと多忙な日々を送られています。

国立大学法人の存在意義を国民の皆様にご理解いただくことは、なかなか簡単なことではありませんが、国立大学法人の運営には多額の税金が投じられており、概算要求や予算編成の時期だけでなく、普段から各法人の活動状況を積極的に公開し、地域の知の拠点としての存在意義を示す努力を怠ってはいけません。


関連して「国立大学の役割-その意義をいかに主張するか」と題する広島大学教授・高等教育研究開発センター長の山本眞一氏の論考を抜粋してご紹介します。

政治の世界にどう繋ぐか

もともと、高等教育を含めて学校教育はきわめて公共性の高いものである。学校教育法が、学校の設置を私人の自由に任せずに、国、地方公共団体および学校法人のみに認めているのはそのためであって、私立学校といえども公共的性格から一定の枠組みの中での運営が求められている。まして国立大学には、さらに公共性の高い分野について、その役割を十二分に果たすことが求められていると言うことができるだろう。その意味で、国大協の自主行動の指針の中で「国立大学は、政府資金によって維持されることで、消費者の家計にのみ依存せず、先端的・創造的な基礎・応用・開発研究の推進、数量とも充実した教員による学士課程・大学院教育の実施、地域・産業との連携などを一体的に行い、我が国の高等教育システムにおいて、基幹的な役割を果たしてきた。」と述べられていることは、きわめて適切なことであると私は考えている。

ただ、いかに正論であっても、政府を動かし、また世論の支持を取り付けることは難しい。それは社会にはさまざまな分野があって、それぞれが存在理由を主張する中で、これにかかる経費は、社会全体が負担可能な金額の総額を大きく上回るのが常であり、従って声の大きなグループがより大きな分け前に預かるという「政治の世界」の現実がそこにあるからである。国立大学は、大学院でこそ過半数の学生を受け入れているが、学士課程では二割の学生を引き受けているに過ぎない。一般国民や私学関係者の感覚からすれば、一部の学生や大学だけなぜ優遇しなければならないのかということになるだろう。その素朴な疑問を乗り越え、高等教育界を挙げてこの分野の充実を図っていくのは容易ではない。

結局、国立大学の役割を明確にし、その役割にふさわしい取り扱いを受けるためには、国立大学自身の改革努力とともに、高等教育や学術研究の意義を説明し、その中での国立大学の役割に対する社会の理解をとりつけ、これを「政治の世界」にうまく繋げる工夫が必要であろう。昨年の行政仕分けの中で、科学技術に関して、高名な学者たちが反対の大きな声を上げたことで一定のブレーキがかかったようであるが、法人化によって経営の自由度を増した大学やそれを束ねる国立大学協会にあっても、これまでの陳情とは異なる一段と高い次元で、国立大学の役割をアピールしていかなければならないのではないか。ゆくゆくは公私立大学も巻き込んだ形での主張が必要と考えるが、とりあえずの提言にとどめておきたい。(文部科学教育通信 No247 2010.7.12)

2010年8月2日月曜日

自分の責任を果たしてから、意見を述べる

多くの読者は何らかの組織に属していることだろう。それは会社や団体、学校であったり、あるいはボランティア の組織、PTA、趣味のサークルといったものであるかもしれない。好むと好まざるとにかかわらず、組織に入れば自分のやり方を押し通せるとはかぎらない。もっといいやり方があると思っても、その組織のやり方にしたがわなければならないこともある。

たとえば、こんな状況を想定してみよう。自分の家に、家族以外の誰かが同居することになったとする。もし初日にその人が「ここはこう変えるべきだ、あそこはこうすべきだ」と指示してきたら、あなたはどう感じるだろうか。その提案がどれほど合理的でも、あなたは「ここは私の住まいだ。いきなり指示するとはなんだ!」と憤りを感じるはずだ。しかし、もしその人が三か月ほど住んで、炊事・洗濯・掃除などの雑用をしっかりしてくれたら、あなたは心を開いて相手の提案に耳を傾けるようになるだろう。

組織でも、それと同様のことが言える。まず自分が責任を果たして能力を証明すれば、周囲の人はあなたの意見に耳を貸すはずだ。組織の慣習にどれほどしたがうかは、あなたしだいだ。自分の信念をしっかり持っているかぎり、あなたは自分を見失うことはない。別に他人の言いなりになる必要はないのだ。

しかし、もし組織の風土が自分に合わないと感じ、 あなたがいくら努力しても提案を受け入れてくれないなら、その組織はあなたには合っていない可能性が高い。その場合、あなたはその組織では能力をぞんぶんに発揮できないだろうから、他に移ることを考えたほうがいい。


ディスカヴァー・トゥエンティワン
発売日:2006-06-15

2010年8月1日日曜日

負から正に変えてゆく

【社説】 週のはじめに考える 17歳の決意に応える (2010年8月1日 東京新聞)

負の遺産を背負って生きる覚悟がなければ、未来を切り開くことは困難でしょう。沖縄の少女が表明した決意は、本土の人々にも原点回帰を迫ります。

戦争放棄と戦力不保持を定めた日本国憲法第9条を、日本各地の方言で表現したCDが、大学一年生、18、19歳の若者約100人の前で再生されました。

その地域を象徴する祭りばやしや雑踏の騒音などに続いて「方言第9条」が流れます。津軽、岩手県水沢、名古屋、京都、大阪と南下し、一段とにぎやかなせみ時雨が響きました。

その瞬間、「次は広島」と当てたのは一人でした。


方言で読む 日本国憲法 第9条 《広島弁》


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◆忘れられつつある過去

戦争-暑い夏-原爆、あるいは敗戦記念日・・・高齢の日本人には当たり前の連想が、若者には当たり前ではありません。原子爆弾を意味する“ピカ”や“ピカドン”は死語になりかけています。

原爆を落とされ、太平洋戦争が終わってから65年目の8月を迎えました。広島、長崎の原爆死没者名簿には既に計40万人以上が登録され、毎年8千人以上が追加されます。戦争の傷跡もさまざまな形でまだ残っています。

しかし、過去は日本社会でも急速に忘れられつつあるように見えます。

9・11テロの直後、米国のアフガン空爆を支持した日本政府の立ち位置やまなざしは、B29で日本中をじゅうたん爆撃した米政府のそれと同じでした。

焼夷(しょうい)弾の雨の中を逃げ惑った同胞や廃墟(はいきょ)と化した都市の姿は、空爆を容認した人の記憶から消えていたのではないでしょうか。

敗戦間近の1945年4月、23歳で戦死した三重県宇治山田市生まれの詩人、竹内浩三は「戦死やあわれ/兵隊の死ぬるや あわれ」で始まる、有名な「骨のうたう」を残しました。その詩にこんな部分があります。

◆負の遺産を正に変える

白い箱にて 故国をながめる/音もなく なんにもなく/帰っては きましたけれど/故国の人のよそよそしさや/…がらがらどんどんと事務と常識が流れ/故国は発展にいそがしかった・・・

遺骨となって「白い箱」で帰国した戦死者に対するよそよそしさをうたっています。戦争の狂気を恐れながら死んだ浩三は、過去を振り返ろうとしない故国の将来を見通していたかのようです。

今年6月23日、沖縄県主催の沖縄全戦没者追悼式で「変えてゆく」と題した詩が朗読されました。作者で朗読者の名嘉司央里さんは17歳の高校三年生、「方言第9条」のCDを聞いた若者と同世代です。

目を背けてはならない/悲しい負の遺産/それを負から正に変えてゆく/それがこの遺産を背負い生きてゆく/私達(わたしたち)にできること

題名の通り17歳の決意表明です。名嘉さんに決意させたのは沖縄の現実でした。

当たり前に基地があって/当たり前にヘリが飛んでいて/当たり前に爆弾実験が行われて(詩の一節)います。

それにひきかえせみ時雨から原爆を連想できなかった本土の若者の前に広がるのは、平和でのどかな風景です。彼らは先人が現行憲法を歓迎した背景にある事実を、直接体験していません。世界各地の紛争に無関心でも生きていられます。広島を思いつかないのは無理ないかもしれません。

若者に過去がきちんと継承されていないとすれば、責められるべきは大人でしょう。

潘基文国連事務総長、ルース駐日米大使の広島訪問という朗報の陰で、広島平和記念資料館を訪れる修学旅行生の激減は気がかりです。昨年は20年前の半分、特に高校生は3割弱です。

戦争を知らない若者も、沖縄の地上戦に動員された女学生「ひめゆり学徒隊」の話には強い衝撃を受けます。多数の兵士や友の死になすすべもなく、自分は九死に一生を得た婦人の体験談に涙を流す感性は有しているのです。次の時代を担う人々に「戦争の現実」を伝えなければなりません。

しかし、教師の間から「広島見学を提案しにくい雰囲気がある」との声が聞こえてきます。

海外志向、楽しさ重視など理由はいろいろあるでしょう。ただ、戦後レジームからの脱却、自主憲法制定など、戦後体制を否定する数年来の議論が広島訪問を一層ためらわせてもいるようです。

◆未来を見つめ知恵絞る

「負から正に変えてゆく」-名嘉さんの決意に応えるには、被害だけでなく、加害も含めた負の遺産の教訓を継承することが大前提になります。

決して再現してはならない過去を心にとどめ、未来を見つめ知恵を絞れば、日本にふさわしい独自の針路が見つかるはずです。