2010年8月6日金曜日

65回目の広島原爆忌

広島に米国大使ら74カ国代表集う 65回目原爆の日(2010年8月6日 朝日新聞)

広島は6日、被爆から65年の「原爆の日」を迎えた。広島市中区の平和記念公園で午前、「原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」(平和記念式)があり、原爆を投下した米国のルース駐日大使、核兵器を保有する英仏両国代表、潘基文(パン・ギムン)・国連事務総長が初めて参列。核保有国のロシアも含め過去最多の74カ国の代表が集い、核廃絶への国際機運の高まりを象徴する式典となった。・・・


国連事務総長あいさつ要旨(2010年8月6日 共同通信)

広島平和記念式典での潘基文国連事務総長のあいさつ要旨は次の通り。

国連事務総長として初の平和記念式典出席を光栄に思う。

広島と長崎に原子爆弾が投下された時、私は1歳だった。私は少年時代を朝鮮戦争のさなかで過ごした。多くの命が失われ、家族は引き裂かれた。以来、私は人生を平和のためにささげてきた。

私は希望のメッセージを送りたい。より平和な世界の実現は可能だ。

被爆者や次の世代を担う皆さんは広島を平和の中心としてきた。私たちはグラウンド・ゼロ(爆心地)から、大量破壊兵器のないグローバル・ゼロを目指す旅の途上だ。

核兵器が存在する限り、核の影におびえて暮らすことになる。だから私は核軍縮と核不拡散を最優先課題としている。

ロシアと米国が新たな核軍縮条約に調印した。核安全保障サミットでは重要な進展を遂げた。この勢いを維持し、包括的核実験禁止条約などを推し進めなければならない。

被爆者の証言を主要言語に翻訳するなど、軍縮教育も必要だ。地位や名声に値するのは核兵器を持つ者ではなく、拒む者だという真実を教えなければならない。

65年前、この地に地獄の炎が降り注いだ。今日、ここでは「平和の灯」が核廃絶の日まで燃え続けている。私たち、そして被爆者の方々が生きている間に、その火を消し、希望の光に変えよう。

核兵器のない世界という夢を実現しよう。次の世代が自由で安全、平和に暮らすことができるように。


平和への誓い(2010年8月6日 共同通信)

ぼくの大好きな街、広島。緑いっぱいの美しい街です。65年前の8月6日、午前8時15分。人類史上初めて、原子爆弾が広島に落とされました。

一瞬のうちに奪われた尊い命。変わりはてた家族の姿。原子爆弾は人々が築きあげた歴史や文化をも壊し、広島の街を何もかも真っ黒にしてしまったのです。

しかし、焼け野原の中で、アオギリやニワウルシの木は、緑の芽を出しました。人々も、街の復興を信じて、希望という種をこの地に蒔きました。傷つきながらも力いっぱい生き、広島の街をよみがえらせてくださった多くの方々に、ぼくたちは深く感謝します。

今、世界は、深刻な問題を抱えています。紛争や貧困のために笑顔を失った子どもたちもたくさんいます。私たちの身近でも、いじめや暴力など、悲しい出来事が起こっています。これらの問題を解決しない限り、私たちの地球に明るい未来はありません。

どうしたら争いがなくなるのでしょうか。どうしたらみんなが笑顔になれるのでしょうか。ヒロシマに生きるぼくたちの使命は、過去の悲劇から学んだことを、世界中の人々に伝えていくことです。悲しい過去を変えることはできません。しかし、過去を学び、強い願いをもって、一人一人が行動すれば、未来を平和に導くことができるはずです。

次は、ぼくたちの番です。この地球を笑顔でいっぱいにするために、ヒロシマの願いを、世界へ、未来へ、伝えていくことを誓います。

平成22年(2010年)8月6日

こども代表
広島市立袋町小学校6年 高松樹南
広島市立古田台小学校6年 横林和宏


天声人語(2010年8月6日 朝日新聞)

手元にある石内都さんの写真集『ひろしま』(集英社)に忘れがたい1枚がある。即死だったのだろう、遺骨も見つからなかった女生徒の上着だ。ぼろぼろになって橋にひっかかっていたそうだ。縫いつけた名前が、生きた証しのようにはっきり読み取れる。

母親が和服を仕立て直した服だという。13歳だったから存命なら78歳になる。人生の盛夏から実りの秋を過ぎ、静かな小春の日々だろうか。断ち切られた幾多の人生を弔い、祈る、きょう広島原爆の日である。

悲願の核廃絶には新しい風が吹きつつある。米国のオバマ大統領は去年、核を使用した自国の道義的責任を語り、「核なき世界」を訴えた。それを機に、涸(か)れていた核軍縮の泉がわき出し、川となって流れ始めた。

さらなる水流となるのだろうか、広島での平和記念式にルース駐日米大使が出席する。65年をへて初めての大使出席になる。とはいえ米国では今なお、原爆投下を正当化する考えが常識だ。政権にとって楽な決断ではなかっただろう。

大使の出席には米国内の反応を見る「瀬踏み」の意味もあろう。大統領の被爆地訪問をぜひ実現させてもらいたい。スウェーデンの故パルメ首相を思い出す。かつて広島を訪ね、「核戦争は抽象的な概念になりがちだが、初めてそれが残虐な現実だと肌で知った」と衝撃を語っていた。

13歳の体からはがれて爆風にちぎれた服に、おとしめられた人間の姿に、何を思うか聡明(そうめい)な大統領に聞いてみたい。正当化しえない「絶対悪」だという認識を、核大国に伝えるためにも。


死んだ女の子 元ちとせ


D


作詞:ナジム・ヒクメット・訳詩:中本信幸 作曲:外山雄三


あけてちょうだい たたくのはあたし
あっちの戸 こっちの戸 あたしはたたくの
こわがらないで 見えないあたしを
だれにも見えない死んだ女の子を

あたしは死んだの あのヒロシマで
あのヒロシマで 夏の朝に
あのときも七つ いまでも七つ
死んだ子はけっして大きくならないの

炎がのんだの あたしの髪の毛を
あたしの両手を あたしのひとみを
あたしのからだはひとつかみの灰
冷たい風にさらわれていった灰

あなたにお願い だけどあたしは
パンもお米もなにもいらないの
あまいあめ玉もしゃぶれないの
紙きれみたいにもえたあたしは

戸をたたくのはあたしあたし
平和な世界に どうかしてちょうだい
炎が子どもを焼かないように
あまいあめ玉がしゃぶれるように
炎が子どもを焼かないように
あまいあめ玉がしゃぶれるように