2010年9月23日木曜日

Okinawa 2010  歴史を学ぼう-宮森小学校

沖縄旅行記2010、”歴史を学ぼう”編の最後は、 宮森小学校米軍機墜落事故 です。もう当時の面影はないだろうと思いましたが、お参りも兼ねて行ってみました。

私達は、この事故によって犠牲になった多くの尊い命を決して無駄にしてはなりません。米軍基地によって未だに命の危険にさらされている沖縄の人々のことを、自分のこととして真剣に考える必要があります。

宮森小学校米軍機墜落事故 事故の概要

1959年6月30日午前10時40分頃に、アメリカ空軍のノースアメリカンF100Dジェット戦闘機が操縦不能となり、パイロットは空中で脱出、機体は民家35棟をなぎ倒した後、石川市にある宮森小学校(現うるま市立宮森小学校)のトタン屋根校舎に衝突、さらに隣のコンクリート校舎を直撃し、炎上した。

事故直後から軍警消の各部隊が事故現場に急行し救助活動に当たった。被災者の治療のために沖縄本島中部在住医師のほとんどが駆けつけた。

事故による火災は1時間後に鎮火したが、死者17人(小学生11人、一般住民6人)、重軽傷者210人、校舎3棟を始め民家27棟、公民館1棟が全焼、校舎2棟と民家8棟が半焼する大惨事となった。

事故当時、学校には児童・教職員ら約1000人がいた。当時は2時間目終了後のミルク給食の時間で、ほぼ全児童が校舎内にいた。特に直撃を受けた2年生の教室の被害が最も大きく、火だるまになった子供達は水飲み場まで走り、そのまま次々と息絶えたと伝えられている。(出典:ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%A3%AE%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E6%A9%9F%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85


過去記事  沖縄米軍機墜落から51年(2010年7月2日)


一瞬猛火につつまれ焼野が原になった墜落現場(当時)



出典:Okinawa Photo History


正門から見た校舎風景




平和の鐘の塔












仲良し地蔵

宮森小学校の中庭には、犠牲となった児童らを慰霊する「仲良し地蔵」が設置されており、
毎年6月30日に児童らによる追悼式が行われています














大きな地図で見る


関連リンク

命と平和の語り部 「石川・宮森630会」


関連動画

忘れたい 忘れてほしくない~宮森小 米軍機墜落事故から50年~(1)


D

忘れたい 忘れてほしくない~宮森小 米軍機墜落事故から50年~(2)


D

忘れたい 忘れてほしくない~宮森小 米軍機墜落事故から50年~(3)


D

関連過去記事
Okinawa 2010  歴史を学ぼう-普天間基地 (2010年9月8日)
Okinawa 2010  歴史を学ぼう-辺野古 (2010年9月17日)
Okinawa 2010  歴史を学ぼう-宮森小学校 (2010年9月23日)
Okinawa 2010  文化を学ぼう-世界遺産・中城城跡 (2010年9月24日)
Okinawa 2010  文化を学ぼう-国指定重要文化財・中村家住宅 (2010年9月27日)
Okinawa 2010  自然を学ぼう-さんご畑 (2010年10月15日)
Okinawa 2010  自然を学ぼう-沖縄美ら海水族館 (2010年10月18日)
Okinawa 2010  座間味島の風景 (2010年10月25日)
Okinawa 2010  座間味島の海 (2010年10月28日)
Okinawa 2010  座間味島の集団自決 (1)(2010年11月16日)
Okinawa 2010  座間味島の集団自決 (2)(2010年11月17日)
Okinawa 2010  座間味島の集団自決 (3)(2010年11月18日)
Okinawa 2010  座間味島の集団自決 (4)(2010年11月19日)