2011年2月24日木曜日

高等教育にとっての危機の種

正確かつ客観的なデータに裏打ちされた予測のもと、将来の危機に備えた十全な対策を講じることは、健全経営の基本と思われますが、私自身を含め大学人は、企業人などに比べれば、やや緊張感に欠け危機意識に疎い人種が多いのではないか(私見です)と思います。

知らないうちに”ゆでガエル”になってしまわないよう、日頃からアンテナを張って世の中の動向を見定めておくことが何より大切かと思いますし、そのことが結果として”大学の常識と世の中の常識の乖離をなくす”ことにつながっていくのだと思います。

今回は、広島大学高等教育研究開発センター長の山本眞一氏が、文部科学教育通信に寄稿された「将来の危機に敏感なアンテナを-何が高等教育に痛撃を与えるか」を抜粋してご紹介します。



将来の危機に敏感なアンテナを-何が高等教育に痛撃を与えるか


危機は将来突然に

外に危機が迫っていても、中に居ればまったく気が付くことなく突然災厄に巻き込まれることは、何も近所の火災だけではない。成長というものに安住してきた高等教育も同じではないだろうか。

2020年に至る15年間は、質保証を始めとする大学の体質改革の時代となるであろう。体質改革が必要な理由は、もちろん将来の危機に備え、併せて知識基盤社会にふさわしいインフラとなって成長のチャンスを掴むためである。そのために現時点ではまだいささか近未来的な感覚でおられる大学関係者も多いことと思うが、より敏感なアンテナを立てて、早急に対策を講じなければならない課題が幾つかある。

人口再減少の痛撃

第一に、18歳人口の再減少である。私は何度も18歳人口の将来予測に触れ、2020年代から減り始めて今世紀半ばにはいまの6割以下の70万人弱になるであろうと述べてきた。その予測値を裏付ける実測値が次第にそのことの現実味を強く示すようになってきている。図表(略)は、政府公表による各年の出生者数である。若干の死亡率を考慮する必要はあるだろうが、これを18年未来に伸ばすことによって、およそ各年度の入学該当人口の見通しはつけられよう。

これによれば、2001年の出生者から再減少の傾向が明らかであり、つまりは2019年の入学者からその影響が及んで、その後の9年間のうちにおよそ31万人の減少となることが分かる。これは、1970年代半ばに始まり90年頃にようやく落ち着いた急激な出生者減に比べると、大したことがないような印象を持たれる方もいるかもしれない。しかし、仮に2020年代の大学・短大進学率が60%程度に止まれば、それでも4万人以上もの入学者減ということになる。しかも、2030年代になればさらなる減少が待ち構えているのだ。現時点で多くの学校ががんばって何とか70万人弱の入学者数を確保している、つまりゴムの伸びきったような状況の中では、幾つかの大学・短大に最後の痛撃を与てしまう心配がある。進学率がさらに上がるか、社会人・留学生の大学院生が増えればよいが、それを助けるのはさまざまな社会的要因とともに、大学自らが魅力ある学校づくりができるかどうかにかかっているのである。

経営問題としての学費・生活費

第二に、大学教育に係る経費負担の問題である。日本学生支援機構の学生生活調査(2008年)によると、大学生(昼間の学部)が要する学費・生活費は国立大学で年間147万円、私立大学で年間198万円であるそうだが、8年前の調査に比べて学費は5.5%上昇、生活費は逆に27.8%減少している。一方、家庭からの給付は学生が得る収入のうち66%であり、それは10年前に比べて7.3ポイント減少だとのことである。学生やその親がさまざまなやりくりをする中で、学費だけが上がっているという図式であるが、その現実は図表2(略)に示すように、自宅通学とそうでない場合とで大きく異なっている。家庭の経済負担の問題はしばしば大学教育へのアクセスとの関わりで論じられるが、見方を変えれば私学経営そのものにも影響を与えかねない。つまり、大学教育を経済的事情で受けられないということは、教育の機会均等の観点から深刻に捉えなければならないが、同時に大学への入学希望者の多少とも深く関わるからである。

家庭の所得レベルが大学進学に関係があることは、これまでさまざまな調査で明らかになっているが、たとえば給与所得者の収入は、1997年をピークに年々減少の傾向にあるらしい(国税庁調査)。また、前述の学生生活調査で学生が回答する家庭の収入は、国立大学で年間790万円、私立大学で830万円とのことであるが、後者の場合、三年前の調査に比べて3%近くの減少である。加えて、経済のグローバル化や雇用構造の変化によって、この数字はこの先、予想を大きく超えて減少する可能性もある(年収300万円の時代と言い切った経済評論家もいる)。そうなると、さすがに価格の硬直性が高い(つまり、少々高い買い物でも実行する)大学教育にも、その費用というものが利いてくるようになるのではあるまいか。

下宿・アパートの場合の費用は自宅通学に比べてずいぶん高い。このことは、将来、家庭の所得レベルがさらに下がれば、多くの学生が自宅からの通学を選ぶ、あるいは選ばざるを得なくなるかもしれないことを暗示するものではないか。昨年の地方私立大学の定員割れ率が若干改善されたのは、そういった要因もあると聞いている。そうなると、2020年代の安定的な大学経営には、地元に根ざした学生確保ということが重要になるだろう。学生に人気のある大手私学は別として、中途半端な全国型大学戦略は、何か根本的なところで落とし穴があるのではないかという気がしてならない。もっとも、費用の問題は国の大学や学生に対する経済支援の進捗と関わりがあるので、注意深く見守る必要があるが。

職業教育のあり方議論も

第三に、教えるべき教育内容の問題である。これからは質保証の時代といわれて、教育方法やレベルについては、改革が改善はずいぶん進むであろう。しかし、肝心の教える「内容」が、実社会のニーズと乖離しているとすれば、一部の恵まれた学生にはそれでよいだろうが、職業生活に役立つ知識・技能を求める多くの学生にとっては不満の種となり、もっと職業教育をしてくれるところに学生が流れていくかもしれない。今はまだ従来からの大学観が支配的だから目立たないだろうが、やがて大学で教えるべき教育内容について、それを担う教員のあり方も含め、抜本的な議論と改革の動きが起きる可能性が高い。そのとき、多くの大学・短大にとって、その改革の動きに乗れるかどうかが、その先の生き残りに大きな影響を及ぼすであろう。(文部科学教育通信 No.261 2011.2.14)