2011年4月19日火曜日

東日本大震災が与える示唆

今なお廃墟と化した被災地の映像を見、被災者の吐露する言葉を聴く毎日。私たちは日本人として何を考え、行動していかなければならないのか。共感を覚えた記事がありましたのでご紹介します。

東日本大震災から1ヵ月 生きる意味を揺さぶられた30日間 われわれはいま何を問われているか(2011年4月11日 ダイヤモンド・オンライン)

あの日から、ちょうど1カ月が経った。2001年の9.11がアメリカの世界観を変えたように、3.11からわれわれの世界を見る目は、大きく変わったように思う。

アメリカにおける世界観は90年代の冷戦の終結による平和の配当から、サミュエル・ハンチントンが予言した『文明の衝突』へと変わり、ときのブッシュ政権はアフガン戦争から、果てはイラク戦争にまで突っ込んでいった。では、3.11が我々にもたらしたものは何だろうか。それは文明に対する「不信」かもしれない。

暴きだされた欺瞞と一筋の光明

世界で最も文明の進んだ先進国の一つでありながら、巨大地震を予知することはできず、堤防も防潮堤や水門も、巨大な津波にいともたやすく乗り越えられてしまった。そして、われわれの豊かさ、利便性、効率性を支えてきた巨大なシステムが、あの時を境に恐怖の源泉となっている。原子力の専門家なる人々の楽観的な見立てはことごとく外れ、完全に信頼を失った。福島第一原発は、いまもなお近隣の土地を殺し、海を殺し続けている。

そして、電力不足で右往左往する大都会は、その利便性と生産力を支えるためのリスクを、補助金という巨額の札束で、田舎の町や村に押しつけていたという構図を、目の前に突きつけられることとなった。

その一方で、われわれが光を見出したのは、自らの犠牲を顧みず自分たちの責任を果たそうとした人々の存在であり、互いに乏しきを分かち合い、助け合う被災者たちの「絆」であった。テレビでインタビューを受ける自治体の長たちから、最初に口を突いて出てくる言葉は、全国からの支援に対する感謝である。NHKで見た老婆は、肉親が行方不明になっていながら「ご迷惑をおかけしております」とマイクに向かって答えていた。私はこの言葉に返す言葉を見出せない。

この三つを前提とするならば、われわれが学んだことは、日本が3.11までの旧社会へ復帰することでよいのかということであろう。言い換えるならば、日本人が考える豊かさや幸せとは何かが問われていると言ってよい。

自然エネルギーだけで原子力を代替するのは難しい

極端な言い方をすれば、文明がその失敗を糧とすることを信じて、なお物質的な豊かさと利便性を追求していくのか、文明の限界を知り、自然に謙虚になることによって、豊かさや幸福の尺度を変えた生き方をするかである。恐らく現実の結論は、その間のどこかに見出されることになるとしても、である。

その判断が最も象徴的に問われるのが、エネルギーの問題だろう。これまでと同じような利便性と効率性、そして低コストを求めるならば、原子力エネルギーになお依存しなくてはなるまい(と思い込まされているのかもしれない)。地球温暖化を防ぐためには、二酸化炭素に代表される温暖化ガスを、減らしていかなくてはならないという大きな課題を背負っているからである。

これを機会に、風力、太陽光、バイオマスなどの自然エネルギーの増大に力を入れることになるだろうが、こうした自然エネルギーが発電量全体に占めるシェアはわずか1%で、水力を加えても10%にすぎない。これに対して原子力発電のシェアは約30%もあるから、短期間に自然エネルギーで代替することは不可能に近い。

しかも自然エネルギーは水力を除くと、発電コストは原子力よりも高い。ちなみに、太陽光発電は原子力のほぼ10倍である。短中期に原子力に代替しうるとすれば、LNG(液化天然ガス)か石油ということになるが、これらを燃やして電気を得れば二酸化炭素の排出が増える。

とすれば、われわれは、なおも低コストのエネルギー(電気)を好きなだけ使える便利な社会を追求するのか、安全だがいくぶんか不便でエネルギーコストの高い社会のどちらを選ぶかという選択を迫られることになる。

その際、最大の問題は、グローバルに見れば高い電力コストがさらに上がることによって、日本国内に立地する企業の国際競争力が落ち、雇用が減少することだろう。

安全を失ってもまだ成長至上主義に捕らわれていないか

しかしである。頑張って1日も早く生産を復旧しなければ、海外の企業にシェアを奪われてしまうとか、電気が足りなければ日本企業は生産拠点を海外に移転するといった議論は、旧社会の経済成長至上主義の延長線上にある。

3.11が起こる以前にも、すでに日本の社会は格差社会、無縁社会といった言葉で表現される病根にさいなまれていた。その一方で、マスコミも「勝ち組」「負け組」という言葉を安易に使いながら、日本企業が、あるいはわれわれ一人ひとりが、「何のために」「何に対して」勝たなくてはならないのかを、深く問うことはなかった。

これに対して、われわれはこの大惨事の中で、人々の「絆」に一筋の光明を見た。だれかの笑顔を見ることが、この上なく幸せな気持ちを呼び覚ますという感情も、改めて思い出した。もし仕事の総量が増えないとすれば、それをシェアすることはできる。それは日本の労働市場の仕組みを大きく変える作業ではあるが、政労使が一体となって取り組むに値する価値がある。それによって、1人1人はこれ以上豊かにならないかもしれないけれども、「絆」を社会の真ん中に置いた新しい豊かさの尺度を手に入れることができるかもしれない。

それは大都会の快適さと利便性を支えるために、リスクを引き受けてきた(今でも引き受けている)東北の、そして日本の地方に対する都会人および大企業の責務ではないだろうか。それでもなお、市場原理を軸とした競争社会こそが富を生み出す原動力であり、進歩の源であると考えるのであれば、自分たちの住む地域に、原子力発電所を建設する覚悟が問われるだろう。

もちろん結果としての経済成長を否定しているわけではない。人口減少、高齢化社会という長期の構造変化に、復興の負担と、エネルギー制約が加わった。もはやわれわれは成長と効率性、安全と利便性のすべてを、同時に手に入れることはできない。政治はすべてを実現できるという幻想をふりまくのではなく、そうした制約条件の中でどのような社会を構想してくのかを、提示していかなくてはならない。そしてどのような新世界を選択していくかを問われるのは、われわれ一人一人なのである。

復興にかかる長い道のり 3.11を心に刻んで

これからが復興である。その道は長く遠いだろう。それは5年、10年という時を費やす営みとなることは間違いない。阪神・淡路大震災が起こったときに兵庫県知事だった貝原俊民氏は、その著書の中で被災者の心理状態は、被災してから復興に入るまで、4つの時期があるということを紹介している。それは「英雄期」「ハネムーン期」「幻滅期」本格的な「復興期」である。

この例にならえば、現在は、外部からの支援の手が差し伸べられ、人間同士が支え合う連帯感に満ちたハネムーン期だろう。だが、次にいくら努力しても、先が見えてこないという幻滅期が必ず訪れる。われわれは、被災者とともにこの幻滅期をいかに乗り切っていくのかが、これから問われるのだ。

そのためになすべきことは何よりも、忘れないことである。われわれ日本人の欠点は、いともたやすく歴史を忘れてしまうことにある。私も含めて今回の大震災が起こるまで、阪神・淡路大震災の起こった日を問われて、即座に答えられる人が何人いただろうか。同じように沖縄戦終了の日、広島、長崎に原爆が投下された日を、あなたは、私は記憶しているだろうか。

3.11を、われわれ日本人は心に刻み込んでおかねばならない。