2011年4月11日月曜日

東日本大震災から何を学ぶか

国家に頼らず 自ら行動を 曽野綾子 氏(作家)

私たち日本人は、戦後の復興と高度経済成長を経て有頂天になっていた。今回の東日本大震災によって、甘やかされた生活がこれからも続くという夢が打ち砕かれた。

私は長く海外援助活動にかかわり、アフリカなどへ度々出掛けるので、日本は夢の様な国だと思っていた。電気や水道が絶え間なく供給され、交通や通信がいつでも使える。多くの国に比べれば汚職や権力の乱用もないに等しい。しかし、今回、国のあり方の基本が崩れた。

「欲しい」と思えば何でも手に入る社会は、異常社会だ。私は、電気も水も止まるものだと思っているから、普段から自宅の瓶に水を取り置き、練炭、炭、火鉢も床下に保管している。カセットコンロも常備している。頻繁に停電するアフリカでは、いつも手元のバッグに懐中電灯と水、ビスケットを用意している。

政治家は「安心して暮らせる社会を作る」と言うが、そんなものはありえない。老年世代までが、政治家のそんな言葉を信じていた。政治家も有権者も、自分の頭で考えることをしなくなっている。

震災後、政府の不手際や東京電力の失敗はあったかもしれない。しかし、犯人捜しをしても仕方がないことだ。現在のシステムは複雑で、総合的に見ないと日本は復興に向かって歩き出せない。

そうした時代を生きる私たちは、国家やシステムを疑い、それらにあまり依存しないことだ。日本には優秀な技術者や官僚がいるから、被災したライフラインも間もなく復旧されるだろう。私もシステムにお世話になっているが、最後は自分で自分を助けることができなければ、人間としての義務に欠けると考えている。

国家がすべて何とかしてくれると考えるのは違う。めいめいが自分で考え、行動する癖を身に着けることだ。それは他人の痛みを部分的に負うことでもある。被災地の支援も国家にい頼るのでなく、「痛い」と感じるくらい自らお金を出すことだ。出さない人がいてもいい。だが、そうした人は人権だ、権利だと言わないことだ。

東北の人たちが礼儀正しく、苦しさの中でも微笑をたたえていられるのは、雪深い冬を生き、過去に津波や貧しさを体験し、日常で耐えることや譲ることを知ってる人たちだからだろう。以前は集団の出稼ぎもあった。苦しみに耐えてきた人たち、耐えることができる人は美しい。

人間は本来、苦しみに耐えるようできている。ところが、今の子どもたちは欲しいと思うものを何でも与えられて育った。子どもにも耐える体験をさせることが大切だ。

18歳になった若者に1年間、サバイバルと奉仕を体験させるべきだと私は主張してきた。携帯電話から離れ、大部屋で暮らし、他人と自分を助けるのに役立つ力を持てるよう、心身を鍛えることは必要だと思う。

アウグスティヌスは「全て存在するものは善いものである」と言う。この世にあるもの、起こることは意味があるということだ。今回の事態から何を学ぶか。一人一人が考えることだ。(2011年4月9日読売新聞掲載)