2011年9月30日金曜日

決断できない日本

議論の限界を知ってこそ(「宋文洲のメルマガの読者広場」から転載)

皆様がこのメールを目にした日の夜に、私は「朝まで生テレビ」に出ます。まだ起きておられたらぜひご覧ください。メイン・テーマは「日米同盟」、「普天間問題」です。あの沖縄県民を「ゆすりたかりの名人」と呼んだケビンさんがスタジオに来られます。

正直言って世界平和の観点からみても日本防衛の観点からみても、私は日米安保はとても大切だと思うのです。総領事と日本部長だったケビンさんがその日米安保を支持するのは当然でしょう。

しかし、同じ日米安保支持であっても立場が違うと支持の理由も違えば支持の仕方も違うのです。大量の民間人が米軍に殺された沖縄県民は日米安保を支持しても、いまだに故郷に響く戦闘機の轟音に耐えられない心情は理解し難いものではありません。

その県民の心情を理解せず、これまでの懐柔策を「施し」として捉え、未だに反対する住民の気持ちを「もっと施しがほしい」というたかり根性として理解する。これこそ占領者と植民者の発想だと思うのは私の考えすぎでしょうか。

かりに一部の県民が補償金の要求で少し苦しい心情を和らげたとしても、それはまた理解しにくい話ではありません。不倫された奥さんが慰謝料の増額を求めるのはゆすりたかりではなく、気持のバランスをとるためです。

一万歩引いて、かりにそれは確かにゆすりたかりだとしてもそれは占領者が言うことではありませんし、言うならばその場所を返してから言うものです。

本日のメルマガは何も日米安保の話ではなく、この立場を乗り越えて相手を理解することの限界について話してみたいと思います。「限界を乗り越える」という精神論よりも、限界を知って補足方法を見出すほうが効率的だと思うからです。

私よりも若く、中国の若者に人気の電機メーカー社長がいます。出井さんと私を顧問に招き入れ、世界進出を夢見るAigo社のFengさんです。

彼は消費者の若者に大いに支持されていますが、社内では「5元のFeng」と社員達にあだ名を付けられています。5元以上の物を買いたくないという皮肉のあだ名です。Fengさんとは家族ぐるみのお付き合いですが、彼は少しもケチではありません。彼が社員も気にしない5元を大切にするのは「ケチ」だからではなく、社員と立場も志も違うからです。

企業の中の議論は本来、共通の結論に到達しにくいものが多いはずです。その理由は立場と志の違いに由来するものです。人間に同じ立場と同じ志を求めることは無理なので自然に議論の限界も生じます。「話せば分かる」というのですが、「話しても分からない」こともあると理解しないといつまでも話だけで終わってしまうのです。

与党と野党の話し合いは噛み合う訳がありません。菅さんに向かって「あなたがいるから与野党連合ができない」と叫んだ「政治記者」がいましたが、政治音痴を晒したようなものです。与党と野党が合わないから選挙があります。リーダーシップとルールの多くは無駄な議論を避けるためにあるのです。

「誰も米軍にきてほしくないから、いままでのところに居てくれたほうが一番いい」。本州に住む私の親戚が私に言いました。みなさんの本音はどうでしょうか。

議論は重要ですが、議論に頼る組織は前進しません。冒頭に批判したケビンさんが「決断できない日本」といつも言っています。悔しいのですが、賛成せざるを得ません。
http://www.soubunshu.com/article/228092412.html

2011年9月29日木曜日

沖縄2011 斎場御嶽

斎場御嶽(せーふぁうたき)は、沖縄県南城市(旧知念村)にある史跡です。15世紀~16世紀の琉球王国・尚真王時代の御嶽であるとされています。

斎場(せーふぁ)とは”最高位”を、御嶽(うたき)とは、神が降臨し鎮座する聖域のことを指すそうですが、琉球開びゃくの中でこの国が七つの御嶽からできあがったと伝えられ、そのうちの1つがここ斎場御嶽であり、その歴史から七御嶽の中でも琉球王国最高の聖地とされています。

御嶽の中には6つのイビ(神域)がありますが、中でも大庫理(ウフグーイ)・寄満(ユインチ)・三庫理(サングーイ)は、いずれも首里城内にある部屋と同じ名前をもっています。最奥部の三庫理(サングーイ)には「チョウノハナ(京のはな)」という最も格の高い拝所があり、クバの木を伝って琉球の創世神であるアマミクが降臨するとされています。

なお、三庫理(サングーイ)からは、王国開びゃくにまつわる最高聖地とされている久高島を遥拝することができますが、はるかなる琉球王国時代、国家的な祭事には、聖なる白浜を「神の島」といわれる久高島からわざわざ運び入れ、それを御嶽全体に敷きつめました。その中でも、最も大きな行事が、聞得大君の就任儀式である御新下り(おあらおり)でした。斎場御嶽は、琉球王国や聞得大君の、聖地巡礼の行事を今に伝える「東御廻り」(アガリウマーイ)の参拝地として、現在も多くの人々から崇拝されています。

斎場御嶽は、2000年12月、首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。また、御嶽内で出土した陶磁器と勾玉などは国の重要文化財(考古資料)に指定されています。

斎場御嶽の入口にある世界遺産の碑


緩やかな石の道が続く


大庫理(ウフグーイ)
大広間や一番座という意味


寄満(ユインチ)
台所:世界中から交易品の集まる「豊穣の満ち満ちた所」という意味


三庫理(サングーイ)
二本の鍾乳石と、三角形の空間の突き当たり部分は、それぞれが拝所






奥は、チョウノハナと呼ばれる斎場御嶽で最も神聖な拝所


香炉が置かれている


久高遙拝所(くだかようはいじょ) 
琉球開びゃくに登場するアマミキヨという女神が降臨したという
神話の島「久高島」(くだかじま)を望む

(関連記事)久高島の八月ウマチー(森口豁 沖縄写真館)


斎場御嶽の場所


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2011年9月28日水曜日

沖縄2011 糸数アブチラガマ

アブチラガマは、沖縄県本島南部の南城市玉城字糸数にある自然洞窟(ガマ)です。沖縄戦時、もともとは糸数集落の避難指定壕でしたが、日本軍の陣地壕や倉庫として使用され、戦場が南下するにつれて南風原陸軍病院の分室となりました。

軍医、看護婦、ひめゆり学徒隊が配属され、全長270mのガマ内は600人以上の負傷兵で埋め尽くされました。昭和20年(1945年)5月25日の南部撤退命令により病院が撤退したあとは、糸数の住民と生き残り負傷兵、日本兵の雑居状態となりました。その後、米軍の攻撃に遭いながらも生き残り、8月22日の米軍の投降勧告に従って、住民と負傷兵はガマを出ました。

アブチラガマは、数少ない平和学習の場として修学旅行生を中心に年間15万人が訪れる鍾乳洞だそうです。全長270mの壕内は、ほぼ全域が公開されていますが、非常用以外の照明が無く、沖縄戦追体験として「漆黒の闇」を体験することができます。


(関連記事)糸数アブチラガマの内部(沖縄平和ネットワーク)

アブチラガマ入口





ひっそりと千羽鶴に囲まれた慰霊碑


アブチラガマ出口

アブチラガマの場所


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2011年9月27日火曜日

沖縄2011 旧海軍司令部壕

今年も夏休みを利用して、家族で沖縄へ行ってきました。毎年のことながら、沖縄の自然、歴史、文化には心から感動し癒されます。

約1週間ほどの旅でしたが、今年は、これまでのようにガツガツと観光地を回るのではなく、なるべくゆったり、のんびり、じっくり沖縄を体感しようと考え、訪問するポイントを限定しました。

記事のアップが遅れ季節感がなくなってしまいましたが、今回から数回に分けて、沖縄の魅力をお届けしたいと思います。

まずは、沖縄の歴史からご紹介します。


旧海軍司令部壕(豊見城市)

ここは、凄まじい沖縄戦の様子を学ぶことのできる有名な場所ですが、意外や、我が家にとっては初めての訪問でした。
オフィシャルサイトでは次のように説明されています。壕内の案内図や写真はサイトをご覧ください。

昭和19年(1944年)日本海軍設営隊(山根部隊)によって掘られた司令部壕で、当時は450mあったと言われています。カマボコ型に掘り抜いた横穴をコンクリートと杭木で固め、米軍の艦砲射撃に耐え、持久戦を続けるための地下陣地で、4千人の兵士が収容されていました。戦後しばらく放置されていましたが、数回に渡る遺骨収集の後、昭和45年(1970年)3月、観光開発事業団によって司令官室を中心に300mが復元されました。・・・


壕入口のとなりにある資料館内では、沖縄戦の経過が理解できるようになっているほか、壕内より発掘された遺品(銃器、軍服など)や、家族へ宛てた手紙などが展示されています。


米軍の慶良間諸島上陸関連資料


沖縄で米軍将兵にレーション(携行食糧)を手渡される沖縄の老婦人

(関連記事)沖縄海軍壕(旧海軍司令部壕)-戦争が何なのかを今に伝える施設です(沖縄情報IMA)


旧軍司令部壕の場所


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2011年9月23日金曜日

利益とは目的ではなく条件 (ドラッカー)

利益が重要でないということではない。
利益は企業や事業の目的ではなく、条件である。
利益は、事業における意思決定の理由や原因や根拠ではなく、妥当性の尺度である。


2011年9月20日火曜日

学びの場づくりに向けて

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去る9月17日(土曜日)に、「学生支援の新たな展開-学生サービスを越えて-」と題するセミナー(主催:IDE大学協会九州支部、共催:九州大学)が開催されました。
開催の趣旨等(PDF)はこちらをご覧ください。

セミナーは、近時、「質の保証」の文脈の中での学生支援が語られる時代となり(学士課程答申等)、新たなパラダイムが出現してきたことに相まって学生支援を取り巻く状況は混沌とし、改めて理念を洗い直す必要があるのではないか、今後教職員が一体となっていかなる学生支援の展開を図っていくかという課題認識の下、基調講演、事例報告、総括・討議といった構成で進められました。

学生支援活動が拡がらない理由の一つとして、その活動が大学の理念とかけ離れているという指摘があります。大学は、学生の「自主性」と「放任」をどう調和させながら学生支援に関わっていけばいいのでしょうか。

セミナーの中で印象深かったのは、学生支援活動は、学生に目的意識と付加価値を認識させる必要があること、学生の自主性・自発性を重視し学生に成果を求めない、学生が失敗から学ぶことのできるプログラムとして提供すること、ただし、目指すべき成果が得られるよう指導(教職員による誘導)は必要であること、地域自治体等学外における活動等への参加や連携を通じて進めることが重要であること、といった指摘でした。

大学には、あらゆる学生層、多様化された人材像があります。正課内の活動ではどうしても限界があり、正課外活動でコミュニティを通じた学生支援活動を進めていくことは重要と思われます。また、キャンパスは「小さな世界、小さな社会」を構成し、いろんな価値観をもった人に出会える場所でもあり、市民性が育成しやすい利点もあります。授業で得られた知識を実体験し学びを定着させる場を提供する大学の使命を再認識し新たな展開を図っていく必要があります。

「人と人とのつながりの中で営まれる社会的活動を通じて学ぶ」ことが重要であること、そのために大学には、「学生目線の多様なプログラム」を提供するなど、「学びの場づくり」を積極的に展開していくことが今強く求められています。

2011年9月19日月曜日

世界記憶遺産-山本作兵衛コレクション



3連休を使って、ユネスコの「世界記憶遺産」に登録された「山本作兵衛コレクション」展(福岡県田川市石炭・歴史博物館)に行ってきました。開幕直後ということもあって、大勢の来場者でした。

世界記憶遺産に登録された飯塚市出身の絵師・山本作兵衛(1892~1984年)さんは、炭鉱労働者としての体験を基に筑豊のヤマの仕事と生活を描いた記録画を数多く残しており、博物館には、コレクション697点のうち、炭鉱記録や日記等627点が収蔵されています。

世界的に認められた作品を直接目にすることができとても感動しました。今後10月16日までは代表作を中心に展示され、10月18日~11月13日は「坑内労働/ヤマの暮らし」、11月15日~12月11日は「運搬/縁起・迷信・禁忌」、12月13日~来年1月9日は「ヤマの仕事/米騒動」をテーマに30点ずつが展示されるそうです。




なお、博物館の第一展示室には、石炭のなりたちや、石炭がどのようにして採掘されたか、炭鉱で働く人々や生活の様子が、イラスト、模型、道具、ジオラマを使って展示されています。また屋外展示場には、炭坑節に唄われた2本の大煙突や堅杭櫓、石炭の輸送に使われたSL、採炭・掘進・運搬などに使われたロードヘッダーなどの大型機械類、復元された炭鉱住宅などが展示されています。詳しくは博物館のオフィシャルサイトをご覧ください。

このように、この博物館では、石炭産業の歴史が一目でわかるようになっていますので、ぜひ立ち寄られてはいかがでしょうか。


旧三井田川鉱業所伊田堅杭櫓
地下深部の石炭を採掘する堅杭の捲揚機(1909年完成)


(参考)ユネスコ・世界記憶遺産の一覧(NAVER)

2011年9月17日土曜日

組織は戦略に従う (ドラッカー)

組織構造は目的を達成するための手段である。
組織構造に取り組むには、目的と戦略から入らなければならない。
これこそ組織構造についての最も実りある洞察である。
これは当然と思われるかもしれない。
そのとおりである。
しかし現実には、組織づくりの最悪の間違いは、いわゆる理想モデルや万能モデルをそのまま生きた組織に当てはめるところから生じている。


2011年9月16日金曜日

主客転倒発言-踏みつけているのは誰か

玄葉外相発言 踏みつけているのは誰か(2011年9月7日付 琉球新報社説)

おかしな発言が飛び出してきた。玄葉光一郎外相が米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画について「踏まれても蹴られても誠心誠意、沖縄の皆さんに向き合っていくしかない」と述べた。

報道各社の就任インタビューでの発言だが、これはいわば加害者が被害者であるかのごとく装う、明らかな主客転倒発言だ。

県民は県知事選をはじめ各種選挙で民主的手続きを尽くし、辺野古移設に異議を唱えてきた。にもかかわらず、県内移設反対の声は無視され続け、さらにまた海兵隊の最新鋭輸送機オスプレイの配備で危険にさらされようとしている。日米両政府こそ県民を踏みつけにしてきた張本人ではないか。

玄葉外相は外務官僚の説明を全て真に受け、辺野古移設合意を推進することこそが強いリーダーであり、米国の期待に沿うと錯覚、信じ切っているのであろうか。

外相が「日本の地政学的な位置、中でも沖縄の地政学的な位置を考えると日米合意を踏まえていくべきだ」とし、日米地位協定の改定について「一つ一つ解決策を模索していく」と具体的な言及を避けることで、安堵(あんど)しているのは外務官僚であり、米国政府だろう。

残念なのは、玄葉発言が歴代外相や官僚が述べてきたことの繰り返しにすぎない点だ。官僚にとっては模範回答だろうが、県民には先が思いやられる官僚依存発言としか映らない。この先の不毛な議論を予感させ、実に嘆かわしい。

米議会も日米合意を疑問視している。外相は同じ政治家として何の疑問も持っていないのか。政府の主張こそが正しく、沖縄県民は感情的かつ非協力的と決め付ける、官僚にありがちなエリート意識、差別意識に陥っていないか。

米軍に対し、県内の軍用地主は土地を、基地従業員は労働力を、自治体や民間企業は水道、電気、ガス、道路などのライフラインを提供している。強制収用と闘う反戦地主も多いが、県民は本意か否かはさておき、結果的に安保政策への協力を余儀なくされている。

米軍は思いやり予算と日米地位協定の恩恵に浴し、何不自由なく駐留している。逆に県民は基本的人権を踏みつけにされ続けている。

玄葉外相の発言が不穏当なのは明白であり即刻撤回すべきだ。官僚の色眼鏡ではなく、自らの目と心で県民と向き合ってもらいたい。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-181354-storytopic-11.html

2011年9月15日木曜日

教育委員会は必要か、どうあるべきか

教育委員会-役割を果たしているか(2011年9月15日 朝日新聞社説)

都道府県や市町村の教育委員会は、その役割を十分に果たしているか。形骸化が指摘される現状に、大阪府の橋下徹知事が代表をつとめる地域政党「大阪維新の会」が一石を投じた。

9月議会に提案する教育基本条例案だ。

教育行政に民意を反映させるとして、首長が学校の目標を定め、職責を果たさない教育委員を罷免(ひめん)できる権利を明記する。校長を公募制で選び、君が代斉唱の際に起立しない教員を念頭に免職規定も盛り込む。

教育委員会は戦前の国家主義的な教育に対する反省に立って戦後、設置された。中立性確保のため、首長から独立した合議制の委員会となっている。

公選の時代もあったが、現在は首長が議会の同意を得て任命している。非常勤の委員5人程度で構成され、会議は月1回程度。実質的には事務局と、その長の教育長が実務を取り仕切っているところが多い。

教育行政全般を首長に委ねることは、合議制を採る教委の趣旨と相いれず、存在自体の否定につながりかねない。

教職員組合などには教育への政治介入を懸念する声もある。

校長を公募で選ぶといっても、能力のある人が応募してくる保障もない。公平な選定が担保できるかも疑問だ。

とはいえ、教育委員会のあり方を考えるきっかけにはなる。首長と教委の役割と権限について、じっくり審議してほしい。

これまでも教育委員会の改革をめざす試みはあった。

東京都中野区はかつて、教育委員候補者を区民投票で選ぶ「準公選制」を導入した。

島根県出雲市や金沢市は、教育委員会を学校教育に専念させるため、社会教育や文化行政を市長部局に移した。

自治体がそれぞれの意思と創意で教育行政に取り組めば、教委の上に文部科学省がたつ中央集権的な構図を、分権型に変える試みとなる。

新藤宗幸・元千葉大教授(行政学)がセンター長を務める分権型政策制度研究センターは昨年、教委の存廃を自治体が選択できるよう、地方教育行政法の改正を提言した。

地域の教育制度を型にはめる必要はない。民意を反映させる方法は首長が前に出ることだけではない。住民が望むなら、教育委員の公選制を復活させることも選択肢とすればよい。

いじめや不登校、学力格差など問題が多様化するなか、教委はどうあるべきか。そもそも必要なのか。地域住民や保護者も関心を払わねばならない。

2011年9月13日火曜日

震災以後の大学の在り様

東日本大震災からはや半年が経ちました。そして、3.11以前の我が国と、それ以降の我が国の在り様は根底から変わることになりました。

国際的には震災に対峙している日本人は冷静・沈着、連帯感溢れる優れた民族であるという評価を得ている半面、この国の指導者、また、政治・経済・国際関係の在り方は脆弱で先行き不安を感じるとの認識、さらには日本列島そのものが「チェリノブイリ化」しているとの認識があります。

今後、我が国の置かれている立場はより厳しくなっていくでしょう。義援金の拠出やボランティアをはじめ、様々な復興支援はもとより重要なことですが、より根源的な問いは「危機の時代に入っている我が国の近未来の国づくりをどうしていくのか」と言うことです。

これを大学に置きかえると、3.11以前と3.11以後の大学の在り様が同じであってはならないということです。「平時の大学改革」と「激変期の大学改革」は当然変わってくるべきです。全ての大学において、「今後どうあるべきかについて」考えることが重要であると思います。

2011年9月12日月曜日

為政者の施政

金口木舌(2011年9月9日付 琉球新報)

学生時代のゼミで質問が出た。「戦前、沖縄に高等教育機関はなかったが、戦後は米軍が主導して大学ができた。基地は職場にもなった。米軍施政権下も悪いことばかりじゃないのではないか。」

その時、琉球大の宮城悦二郎助教授(当時)は一言で表現した。「米軍は琉大をつくるために沖縄に来たのではないよ」。学生は皆、はっとした。為政者は民政安定のためにさまざまな策を施す。一端をありがたがって恩恵が大きいと見るのは、木を見て森を見ずの類いだと感じた。

17年前の今日、当時の宝珠山昇防衛施設庁長官が「沖縄県民は基地と共生、共存を」と発言し、県民の反発を買った。翌95年には少女乱暴事件が起き、基地と共存させられる故の現実を見せつけられた。

時は流れて野田政権。「基地との共生、共存」の圧力は弱まるどころか勢いを増しそう。国は米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設について、政権交代後停止していた環境アセスの手続きを再開し来年、埋め立てを申請する見通しだ。

最近、テレビ番組で沖縄出身という若者が「米国文化があったから沖縄の歌手や文化も発展した」という趣旨の発言をしているのを見た。次の瞬間「為政者の目的を考えなさい」と言われた24年前のゼミの光景を思い出した。

米軍基地を押し付け、“沖縄への配慮”をことさら喧伝(けんでん)する施政。歴史は繰り返されるのか。

2011年9月11日日曜日

組織の存在意義 (ドラッカー)

企業をはじめとするあらゆる組織が社会の機関である。
組織が存在するのは組織自身のためではない。
自らの機能を果たすことによって、社会、コミュニティ、個人のニーズを満たすためである。
組織とは、目的ではなく手段である。


2011年9月10日土曜日

震災を巡る光と闇

未曽有の大災害をもたらした東日本大震災から6か月が過ぎようとしています。

今朝(2011年9月10日)の「天声人語」から

歌手の福山雅治さんがアエラ誌上で語っている。「曖昧(あいまい)で詩的な表現、例えば『虹を追いかけて』『あの空の向こうへ』みたいな歌詞は、今は何か違う……より視覚的に、はっきり言葉を届けていこうというのが、2011年以降の僕なのかも」と。

震災後に再開したツアーでは、電力を食う派手なセットをやめ、収益を被災地に贈る東日本応援シートを設けた。長崎出身の被爆2世は「いま生きている僕らは、元気に、これまで以上に頑張る」と、ステージに立つ。

明日であれから半年になる。「がんばろう日本」の連呼も、なかなか被災者の生活再建につながらない。福山さんが音楽で率先するように、必要なのは虹より傘、空ではなく大地、目に見える支えである。

過日の紙面で、手つかずの被災地を語る写真を見た。事故原発に近い福島県浪江町。野生化した牛の群れが、草ぼうぼうの校庭を疾走している。警戒区域は放射能に汚れたままだ。宮城、岩手県でも、政府の対応の遅れから復興計画が固まらぬ自治体が多く、被災者は将来図を描けない。

そんな折、福島の産品を応援する福岡市での企画が、「放射能をばらまくな」といった抗議で中止された。一部の声としても、東北との悲しい隔たりを突きつけられた思いだ。

遠方の惨事を見聞きするたび、他人事と高をくくるのが人の常だが、一国を揺るがすほどの災害に部外者はありえない。ならば真剣にかかわりたい。節目を前に、震災を巡る光と闇に触れての思いである。
http://www.asahi.com/paper/column.html

2011年9月8日木曜日

職員力の強化-考える組織への脱皮

久々に大学職員の力量向上に関する記事をご紹介します。

大学改革力の強化へ 職員に求められる4つの課題(日本福祉大学常任理事 篠田道夫)(アルカディア学報 No.445)

マネジメントの前進

私学高等教育研究所「私大マネジメント改革」チームによる私大協会加盟大学への調査によると、中期計画に基づくマネジメントを進めている大学は4年前の調査から一気に20"ポイント以上も増加し55%となった。厳しい環境の中、急速に経営、教学運営システムの改善が進んでいる。

昨年からは、地方・中小規模大学の定員割れが改善しはじめた。この原因として、経済的困難から自宅通学を選択したり、入学者が確保できない学部の定員削減などが指摘されている。しかし、その根幹には地方大学の急速なマネジメント改革の前進があると思われる。それは、この調査で地方中小規模大学の中期計画策定率が平均よりやや上回っていることからも見て取れる。

総合作戦推進の力

同調査は、中長期計画が、今や狭い経営計画に止まらず、教育改革や学部・学科再編、学習支援やキャリア支援、学生募集や地域連携などあらゆる場面に及んでいることを示しており、その総合力なしには、大学評価の向上に結び付けることはできない。

こうしたあらゆる分野の総合力による勝負、総合作戦を成功させるには、これら全ての分野で実務を担っている職員、実態と切り結んで奮闘している職員の、チームとしての力が不可欠だ。それは、大学が存立し、評価され、活動を続けていく上で最も肝心なステークホルダー、学生や高校生、高校の進路指導教員や企業の人事採用担当者、地域・自治体の方々との接点で仕事をしていることによる。そして、ここからの情報を如何に発信し、また、問題意識を持って分析し、大学の改革に生かしていけるかが問われている。

与えられた仕事を正確かつ専門的に執行するレベルから、そこを足場に政策的業務に飛躍することが求められる。データの分析、現場実態からの課題設定、情報の収集、他大学調査等から改善策を企画・提案し、決定に持ち込み事業実施をマネジメントできる新たな職員の役割と力量が求められている。これなしには、大学改革力の強化は望めない。そのためには以下の4つの取組みが重要だと思われる。

1 職員の開発力強化

従来からの育成制度、学内研修制度、外部セミナーや外部研究組織への参加、大学院入学等は効果がある。しかし、ただ聞くだけの知識型研修をいくら積み上げても身に着いたものにはならない。自らの実践をこの過程に組み込むことが肝心だ。また人事制度全体を育成型にすること、求める力を見る採用方式の改善、育成型の異動、実力主義の管理者昇格、人事考課・育成制度の活用など、総合的な取り組みが効果を発揮する。人事に関する全ての事柄を人材育成にシフトするトータルシステムの構築が求められる。

私高研調査では、人事考課制度も48.1%の大学が導入しており、これも業務の改善と育成に有効である。しかし、調査では「評価結果を本人に知らせ」「考課を育成・研修に結び付け」「面接を重視し」「目標管理」と連動させる点で不十分なところもある。しかし、これなしには育成の効果は上がらず、単なる査定になってしまう恐れもある。人事考課制度自体も、今日求められる開発・創造型の力量育成にシフトして改善されなければならない。

また、管理者改革、年功序列の打破、中堅管理者層の強化は改革推進に決定的に重要だ。戦略を現場の言葉で語り、課員を改革に組織できるのは管理者しかいない。管理者の選抜・昇格制度の改革、管理者行動指針の設定などはトップ層の決断で道筋をつけられる。職場には、必ず力のある職員はいる。

今日求められるのは、こうした新たな開発力育成の総合的な取組みである。

2 考える組織への脱皮

さらに目標の実現に迫るには、個人の育成と共に、それが生きる組織作りが大切だ。今日の大学の中心的課題は、個人だけでも、課室内だけでも解決が出来ない。私高研調査でも、部課室単位の会議の開催8割に対し、課室横断のプロジェクトが62.3%となっており、課室縦割りと併せ横断的組織運営が機能していることが読み取れる。また企画部局設置も5割を超え、職員の関与が難しかった教育改革でも改革推進事務部局が34.3%もある。IR組織はまだ2割弱と端緒的だが、全体として政策推進を担う企画事務部門の重視、専門的な調査分析提案組織・IR機能の拡充、横の連携重視の方向に向かっていると言える。

考える組織への脱皮、目標に基づき主体的、自律的に行動できる組織への前進が、斬新な政策とその実現を支える。

3 職員参画と教職協働

調査結果では、教職協働が進んでいる分野は、職員の影響力が強い分野と重なる。特に、中長期計画、事業計画、財政計画などの政策分野や就職支援、学生支援、学生募集などの分野で職員の影響力が7割~8割と顕著だ。そして、この力の背景には、これを実質的に推進する組織への職員の参加、権限移譲があると見ることが出来る。認証評価やGP獲得の取組を契機に教職協働が大きく前進を始めている。

また、職員の教学組織への正式参加は8割を超え、前進していると評価できる。専門委員会や各種プロジェクトの正規メンバー参加から、副学長など教学幹部への登用まで、教育に果たす事務局の役割に相応しい参画が求められている。それは職員の地位向上のためなどでなく、実態を踏まえた教学改革、学生本位の教育・支援にとって不可欠だということだ。職員の参画こそが実効性ある大学改革の力となる。

4 高い目標へチャレンジ

これらを実現するためにまず何をすべきか。職員の力、特に、企画提案力を付けていく上では、何よりも業務の高度化、高い目標へのチャレンジが重要だ。処理型を脱し業務目標のレベルを上げること。大学の目標と業務目標の結合、目標の連鎖が必要だ。高い目標への繰り返しの挑戦、OJD(オンザジョブディベロップメント)=業務を通しての開発と統治の実体験によってしか本当の力は身に着かない。

分掌業務の中で1年間にチャレンジすべき改革目標は何か、それを抽象的ではなく具体的に書く。大学業務は評価になじまないという声も聞くが、目標の到達状況がイメージでき、成果物が特定され、期限や方法が明示できれば十分に評価できる。自分の知恵や行動で事業や業務改善を形にすること、この積み上げこそOJDの実践であり、この繰り返しの中で企画提案力は身に着いていく。「目標と評価」なしに人が自然成長することはない。

これをチームで取組めればさらにパワーが増す。例えば退学率の改善や大学評価向上策など、チームで解決策を模索すべき課題は山積している。課室縦割り、課長の縄張り意識を超えて、チームで取り組む仕事こそが、問題の本質に迫り、より成果を上げ、職員の視野の拡大や成長につながる。チームの提案は学内組織にも議題として取り上げられやすく、この蓄積の延長に職員参加、真の教職協働の前進がある。

目標にチャレンジする個人の主体的な行動、チームによる問題解決への挑戦、その積み上げによる職員の力量向上と職員の運営参加が、大学改革力を強化する。

2011年9月7日水曜日

悩ましい国立大学法人の意思決定体制

学長や理事によるトップマネジメントが組織としての意思決定に臨むとき、組織の所有者の意思に配慮することが必要になります。しかし、国立大学法人の場合、その実質的支配者である国(文部科学省)が意図的に意思表示をせず、所有者責任を回避しているように思えます。

その結果、トップマネジメントの意思決定が漂流し、トップ(学長)の選出に一貫性がなく、経営の継続性を失うことになります。継続性なき組織は機能を失います。また、大学の運営組織も、所有者の意思を認識せずに議論することになり、組織の根幹に関わる問題ほど議論が迷走することになります。

経営責任を負う学長は当然ながらしかるべき権限を持つはずなのですが、所有者である国(文部科学省)から学長に付託された責任と権限は、あまりにも抽象的で形式的です。このような枠組みの中で、経営協議会や教育研究評議会を実質化・活性化しようというのは、砂上に楼閣を築こうという類なのかもしれません。

2011年9月6日火曜日

「正論」が通用しない大学風土

大学の中には、残念ながら、社会の常識が全く通用しない風土があります、様々な力学によって「正論」が通らない場面を見るにつけ、やがては大学を破たんさせていくのではないかと心を痛める毎日です。

かつて、フランスの哲学者・文学者・文芸評論家であるボルテールは言っています。「私はあなたの言うことには賛成できません。しかし、あなたにそれを言う権利があることは命をかけて守ります」と。

私たち大学人は、目的が大学のあるべき姿、あるいは社会のあるべき姿の追究であるならば、堂々と「正論」を主張すべきです。大学のあるべき姿を市民・国民目線、納税者目線、学生目線、脱教員目線で考え、建設的・前向きに主張することは当然ありうることです。

ただし、そこには、「我」も「利」もあってはなりません。あっていいのは「無私」のみです。そうでなければ、昨今話題になっている「御用○○」になってしまいます。

最高学府の名に恥じぬ組織風土が求められます。


2011年9月4日日曜日

成果をあげるのは才能ではない (ドラッカー)

成果をあげる人とあげない人の差は、才能ではない。
いくつかの習慣的な姿勢と、基礎的な方法を身につけているかどうかの問題である。
しかし、組織というものが最初の発明であるために、人はまだこれらのことに優れるに至っていない。