2012年1月9日月曜日

成人の日に考える 前へ、明日へ、未来へ

2012年1月9日(成人の日)付、東京新聞社説から引用

時代が二つに分かたれました。震災前と震災後。新成人の皆さんは、震災後の希望を担う初めての大人たち。だから、特別におめでとうございます。
「実感がわきません」。福島県いわき市の避難先のアパートで先々月、二十歳の誕生日を祝うことになってしまった長峰真実さんの本音です。
自宅は福島第一原発にほど近い浪江町の請戸地区。潮騒の音に親しみ、七キロ先にそびえる原発の夜の明かりを「きれい」と思ったこともありました。

振り袖に思いを託し

その海があの日突然荒れ狂い、集落が丸ごと流されてしまうとは。放射能という見えない壁が、生まれ育ったまちの風景や、お世話になった親しい人を、こんなにも厳しく隔ててしまうとは。
勤め先のコンビニエンスストアから同僚の車で逃れ、翌日、高台の避難所でようやく両親や弟たちに会えたときのことを思うと、今でも涙が止まりません。
被災後、二本松市の体育館で二十日間、新潟県南魚沼市の旅館で四カ月近くを過ごし、いわき市の借り上げ住宅に移ったのが七月末。帰る土地があるのに帰れない。体の中で余震が続いているように、なかなか心が定まりません。
そんな真実さんが先月、成人式の振り袖をインターネットで予約しました。赤地の裾に花を散らした古典柄。浪江町役場の仮庁舎がある二本松市で、昨日、ふるさとの成人式が開かれました。ちりぢりになった旧友たちと、あらためて無事を喜び合いました。再会のための晴れ着です。
大人になって何をすべきか、自分に何ができるのか、未来はかすんで見えません。でも震災の次の年、この新しい年に成人の日を迎えることが、何やら特別な巡り合わせに思えてなりません。真実さんは、決めました。
「成人の日を区切りにし、一歩、前に踏み出します」
自動車の運転免許を取得して、就活を始めよう。幼いころの夢だったパティシエにも挑んでみよう。今日は、自分のための自分の中の区切りの日。自分に向き合い、自分で何かを決めてみる。成人の日とは本来、そういうものなのかもしれません。
失った大きな家は十年前、建築業三代目の父、勝さん(53)が自ら手がけた家でした。
「それなら、おれももう一度、もっとすごい家を建ててやる」
家族にとっても、特別な日になりそうですが。

自分自身が動かねば

宮城県気仙沼市の佐々木志保さんは、五月に二十歳になりました。震災後洋菓子店を解雇され、七月から気仙沼復興協会の福祉部に勤めています。
市内の仮設住宅を巡回し、炊き出しの手伝いをしたり、お茶会を開いて住人とコミュニケーションをとるのが仕事です。
「震災があって二十歳になるのと、なくて二十歳になるのとでは、大人としての自覚がまったく違っていたはずです」と、志保さんは考えます。
志保さんも被災者です。しかし、家も家族も無事でした。はじめは恐る恐る仮設住宅の扉をたたき、住人と言葉を交わし、打ち解け、やがて「ありがとう」の言葉を聞くようになり、志保さんは自分が少しずつ、大人になっていくように感じています。
志保さんは今、「自分自身が動かなければ、結局何も変わらない。がれきの山も片づかない。でも動けば動いた分だけ、まちは変わる。良くなっていく」と信じています。
今この国の冬空を、もしかすると、被災地のそれより、もっと大きな閉塞(へいそく)感が覆っています。
新成人の皆さん。経済の力におぼれ、科学の威力を過信して、ふるさとの森を枯らし、川や海を荒らしてきたのは、皆さんではありません。
地震列島を原発だらけにした揚げ句、爆発事故を起こさせたのも、雇用と保障を奪っていくのも、一千兆円にも届く途方もない借金をこしらえたのも、皆さんではありません。私たちはその責任から逃れるつもりはありません。
それでも、時代を変える力を持つのは常に若い人たちです。老いた常識よりはるかに強く、新しい海へ乗り出す新しい船を、操ることができる人たちです。

新しい春への足跡を

雪に埋もれた桜の中で、新しい春が育ち始めているように、小さくていい、維新とか、大転換でなくていい、今日から一歩前へ出よう。自分の力で大人になろう。自分を大人にしていこう。
新成人、前へ。若い世代よ、前へ。被災地もそうでないまちも、それぞれ一歩ずつ前へ。私たちも、負けずに前へ踏み出します。

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