2012年4月5日木曜日

法人化と大学改革(4)

前回に続き、澤昭裕さんが書かれた論考「国立大学法人法と国立大学改革」をご紹介します。


4 教育研究の特性への配慮と評価問題

第三条に、「国は、この法律の運用に当たっては、国立大学及び大学共同利用機関における教育研究の特性に配慮しなければならない。」と規定された。さらに国会審議の結果採択された衆参両院の附帯決議にも同様の趣旨が規定されている。

国立大学の法人化問題は、当初国立大学のみならず、文部科学省も強く反対していた。1971年の中央教育審議会答申「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」(いわゆる「四六答申」)や1988年臨時教育審議会答申において、すでに国立大学の法人化論は議論の俎上に上っていたが、いずれも日の目を見ず、行革会議で独立行政法人化が議論された際も、大学の特性から法人化はそぐわないという意見が大勢を占めた。いずれの時代も、大学における教育と研究の特性が、法人化に反対する理由となっているが、実際のところ、その「特性」とは何だろうか。学生という自立していない構成員を組織に内包するところから生まれる特性もあろうが、大学改革の文脈で議論されるのは大半が研究の側面であり、つまるところ、個の創造性を活かす自律的研究環境が侵されるような改革は反対だということに尽きよう。

文部科学省による微細にわたる研究環境のコントロールのなかで、国立大学には本来の意味の「自治」(=自己の資源で自己のあり方を選択できる)が欠けているにもかかわらず、大学の構成員が「自律的」な研究環境が保証されているとどうして感じているのか、外部者は疑問に感じる。しかし、実際には人事、会計その他の諸制度が定着し、ある種の秩序が成立すると、その秩序自体は窮屈なものであっても、安定的かつ継続的なものであれば、結果予測性が高まるため、当事者にとっては最も居心地のいい環境となる。したがって、当該秩序を少しでも改変したり、乱したりする要因に対しては、それが「自律性」を今より高める可能性を持つものであっても、抵抗する勢力が現れるのである。

その秩序の変更に対して、旧秩序を維持するために使用される大義名分が「特殊性」である。これは大学改革問題に限ったことではない。例えば、他の規制改革問題で見られる対立においても、同じような構図がある。貿易自由化問題では農業(特にコメ)、経済的規制問題では、医療や教育分野への株式会社参入など、全てその「特殊性」が改革を阻んでいる。確かに「特殊性」に応じて、新たな制度の弾力的運用が必要な場合があろうが、だからといって「特殊性」がゆえに改革の本旨がないがしろにされてしまっては本末転倒である。

国立大学法人法の審議においても、国立大学法人の業績評価を巡って、この条文が議論になった。国立大学法人の業務実績評価は、一義的には文部科学省に設置される国立大学法人評価委員会が行う(国立大学法人法第九条)ことになっているが、総務省に設置される政策評価・独立行政法人評価委員会がダブルチェックを行うこととされている。国会審議では、このダブルチェック機能の内容や意義に関して、できるだけ総務省の政策評価・独立行政法人委員会の権限を弱めるよう野党から求められた結果、最終的には同委員会が中期計画期間終了時に行う主要な事務・事業の改廃に関する勧告を行う際の方針は第三条の趣旨に配慮されること、またその際に行われる調査についても、第三条の規定の趣旨を踏まえ、必要な資料の提出依頼は国立大学法人直接ではなく、文部科学大臣に行われることとなった。前半の事務・事業の改廃についての勧告ともなれば、大学の存廃にもかかわる重大事であることから、第三条の趣旨が踏まえられるべきことについては、正当化される理由も存在するだろうが、後者の資料提出の依頼先まで、「第三条の規定の趣旨」を踏まえる必要があるのかどうか、大いに疑問である。

国立大学が文部科学省の管理から離脱し、法人化を契機に自由な運営を享受するためには、種々の評価制度をむしろ積極的に活用しながら、自らが国会を含めた国民一般に対して説明責任を果たしていくことが必要条件となる。国立大学法人法その他の関連法の改正によって、大学が受ける評価は、上記に述べた国立大学法人評価委員会、総務省政策評価・独立行政法人評価委員会のほか、各大学による自己評価、大学評価・学位授与機構による評価、学校教育法に規定する認証評価(いわゆるアクレディテーション)という公式制度が予定されている。また、民間の調査機関などによる大学ランキング評価が増えてきているし、金融機関による私立大学の格付け評価も最近現れた。自大学のセールスポイントは何にするのか、またその質と量を改善していくために、どのように学内の資源配分を考えていくのか、といった戦略的経営手法を取り入れることを怠った大学は、こうした多様な評価軸による外部評価の中で、他大学に取り残されていくことを覚悟しなければならない。

評価問題について最後に付言すれば、右に挙げた評価制度は、すべて機関(組織)評価が中心である。国会審議でも、公式な評価制度は、教官個々人の業績評価を行うものではないとの見解が、当局から示されている。しかし一方で、国立大学法人制度では、実績主義の人事システムを導入することが慫慂されており、また機関(組織)評価といっても、機関(組織)としての実績は、個々の構成員の教育・研究実績の積み重ねであることから、教官個々人の業績評価システムが、各大学において遠からず導入されることとなろう。これまで国立大学教官個々人の評価は、全くと言っていいほどなされていないため、今後どのような評価基準を設けるのか、その基準は部局ごとに異なるものとするのか一律なのか、誰が評価するのか、評価結果のフィードバックは何に反映されるのか、教育と研究はどのような比重にするのかなど、学内の議論が容易に収斂しないだろう。各大学の執行部は難題を抱えることになるが、手をこまねいているわけにはいかない。

工業技術院人事課長として、独立行政法人産業技術総合研究所の人事制度構築に携わった筆者の経験から述べれば、どのような業績評価システムを導入する場合にも、次の諸点に留意することが重要である。(教育評価については、別途考慮する必要がある。)



  • 被評価者の自己申告、自己評価を基本とすること(被評価者が、評価者に対して評価してもらいたい実績を、エビデンス付きで申告する仕組み。ほとんどの研究者は、自らの研究業績の意義付けや質は、学会による評価などで自己認識している。)

  • 1年単位の短期評価だけではなく、5~10年の業績蓄積を評価する長期評価も組み合わせること

  • 定量的評価と定性的評価をミックスすること(定量的評価は恣意的な評価から被評価者を守る目的、定性的評価は数値に表れない重要な研究の芽を摘まない目的で行うこと。一般にはその逆のように思われていることに注意。)

  • 公平公正な一律の評価基準は存在しないことを認識し、基準自体の作成よりも、評価プロセスの公平公正性を明確にすることに重きをおくこと(苦情申し立て制度の構築を含む)

  • どの評価制度も完璧ではありえない。ある程度の時期と経験を経て修正していくことを前提に、まず導入することが重要だと認識すること(続く)