2012年5月24日木曜日

学士課程教育の改革

論考「大学教育の改善に必要なこと-中教審審議まとめを読んで」(桜美林大学大学院・大学アドミニストレーション研究科教授 山本眞一 氏)(文部科学教育通信 No291 2012.5.14)を抜粋してご紹介します。

中教審が新たな審議まとめ

大学改革が引き続き進行中である。しかしその改革の中心は、2005年の中教審将来像答申を境目として、それまでの高等教育システムの外枠すなわち制度に関わるものから、そのシステムの運用とりわけ教育の内容・方法の改善に軸足を移すようになっている。質保証やグローバル対応を中心概念としたこの新たな動きは、最近いよいよ佳境に入りつつあるようだ。そのような折、今年3月、中教審大学分科会大学教育部会から審議まとめが出た。この審議まとめは「予測困難な時代において生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ」という、従来の審議会では副題として表記されるべきものがメインのタイトルに付けられており、読む者には、ある種の抵抗感と同時に、極めて斬新な印象を与える。それだけでもこれからの大学改革の核心を何とか表そうとした政策当局の苦心が窺えるものである。以下、この審議まとめを中心にこれからの大学教育の改善に必要なことについて、若干の考察を加えてみたい。

この審議まとめは5つのパートから成っている。第一は「予測が困難な時代と大学の責務」と題して、そのような時代に対応できるよう学士課程教育は「学生の思考力や表現力を引き出し、その知性を鍛え、課題の発見や具体化からその解決へと向かう力の基礎を身につけることを目指す能動的な授業」でなければならないとする。またそのためには十分な学修時間を確保する必要があるが、実態としては学修時間が不足していることを問題視している。

第二には、その十分な学修時間は学生の主体的な学びの確立のために必要であり、単に学修の量だけではなく質を伴うものとしてとらえなければならないとし、また国際的な信頼の源泉として学修時間の確保が不可欠だとも言っている。

第三に「個々の授業が学士課程教育の質的転換に向けて進化するために」は、授業を担う教員がそのことを自覚し、努力することが必要だとする。そのためには、学生の学修到達度を図る方法等の研究・開発の推進、大学における教育情報の活用・公表を目的とする「大学ポートレート(仮称)」の整備など、さまざまな改善方策に対して関係機関による支援を求めている。

第四には、今後の検討課題として、各大学における学生の学修の実態の把握、質を伴った学修時間の増加方法や施策、教員の教育力向上方策、学修成果の達成度の把握やこれを重視した認証評価の在り方、全学的な教学マネジメントの在り方などの具体的項目を列挙している。

最後に第五として「大学は主体的に学ぶところの原点に立ち返るために」として、各大学が「質を伴った学修時間の実質的な増加・確保を始点として学士課程教育の質的転換に直ちに取り組むこと」を提言し、併せて関係機関がこれを支援・奨励する必要があることを提言している。

教育改善への強いメッセージが

一読して感じられることは、大学教育は変わらねばならないという強烈なメッセージ性である。確かに、これまでの教育は教員が教えられるもの、教えたいものがあまりにも優先されて、学生にとって何が必要で有効かという視点が欠けていたように思う。また、授業科目を教えることは教員の義務というよりも権利だと主張して、受講生がほとんど集まらない科目が多数見られるという状況もあった。この際、それは改める必要があるだろう。もっとも、教育を受けた学生はいずれ社会に受け入れられなければならない。社会の側の変化と連動させつつ、変革への舵取りを強力に推進しつつ、「好循環」を始動させることが重要である。

私にとってとくに印象深い表現は、「今後果たすべき学士課程教育の役割」の部分で「高度成長期の社会において通用していた『企業は大学教育に多くを期待しておらず、入社後の社内教育と実務上の経験や実践で人材を伸ばしている』、『昔から大学生は勉強しておらず、それでも卒業後社会で十分に活躍してきた』といった認識は転換することが迫られている」というくだりである。確かに正論であり、これからの脱却は大学教育の飛躍的充実と改善のために必要不可欠である。ただ、現在なお博士や修士が企業であまり歓迎されないこと、勉強に足るような教育を大学が必ずしも提供し得ていないことなどを考えると、このくだりは、すでに実態がそうなっているというよりも、学士課程教育の改革によって打破すべき古い概念だと理解すべきものではないだろうか。

今後の検討課題の解明を急げ

この審議まとめにはいくつかの課題もある。第一に、主張は確かに勇ましくまたこれまでになく具体的であるが、未解明の課題の解決が前提となる議論が多いように思う。審議まとめ自身今後の検討課題に挙げている「学修の実態」や「学修成果の達成度」などは、学修時間と教育の質的転換との関連を裏付けるための前提となるものであり、早急にその把握に努めなければならない。ちなみに、学修時間の確保が教育の質的転換に不可欠との主張は、私にはいささか性急な論理に思える。むしろ何をどのように教えるかという視点を「好循環」の始点にする方が適当なのではないか。もちろん大学というものの特性すなわち自律性や多様性を確保するには、学修時間という中立的な概念を中心にもってくるのが現実的との判断かも知れないし、現に審議まとめはそのことにも触れている。しかし改革の具体化を、大学団体や各大学の努力にゆだねれば、内容・方法の議論が自律性に反することはないだろう。

第二に、審議まとめにはかなりの数の専門用語が散りばめられている。付属の用語集には、アクティブ・ラーニングからルーブリックまで19もの用語が解説されているが、これでは多くの大学関係者の理解を得るのは困難であろう。また、その用語が独り歩きして、改革手段と目的が逆転するようなことが起こっても困る。これらの概念を大学改革に生かしたいとするその道の専門家の熱意は了解するが、事務当局におかれては、今後バランスの取れたわかりやすい文書に仕上げてもらいたいものである。

第三に、審議まとめの最終部分に、質を伴った学修時間の増加のためには学生への経済支援や教員の負担軽減が必要、さまざまな学生を受け入れており一律に論ずることはできない、大学教育の本質は時間では計れない、質を伴った学修時間の増加の具体策が必要、などの議論や論点がありうることが書かれており、これらは中教審の議論の中から出てきたものなのかどうかは承知しないが、いずれも重い検討課題である。経済的理由からアルバイトによって学費を稼ぎつつ学修をせざるを得ない学生にはいかなる手立てを講じるのか、高等教育に対する公費投入が諸外国に比べて見劣りするわが国において、教育の質的充実はどのように図ればよいのか、など中教審の描く理想とは異なる現実への対処がますます重要になってきている。

いずれにせよ、大学教育はそのシステムを抜本的に改革することが必要である。「安上がり」を当たり前に考えてきたわが国の大学教育とりわけ文系の教育は、このままでは知識社会やグローバル化社会には耐えられないのではないかと思う。ただ、すでに世の中で成功を収めている人々の少なからぬ数は、この安上がりの教育体験の持ち主である。彼らを説得することは容易ではないだろうが、わが国と国民の将来のために中教審はがんばってもらいたい。(文部科学教育通信 No291 2012.5.14)