2012年6月18日月曜日

被災から前進するために

前宮城教育大学学長の高橋孝助さんが書かれた論考「被災一年後の教育-教育の「基層」に目を向けて」(文部科学教育通信 No293 2012.6.11)をご紹介します。


はじめに

私たちは、被災後間もなく再開された学校に、あるいは避難所からあるいは転校先からやって来た子どもたちが、友達・教師を見つけては無事を喜びあい、姿が見えない友達の安否を気遣う光景を何度となく目にし、彼らの心情に想いを致した。それは、学校が子どもたちにとってどんなに大事なものであるか、ここで得られる友達がどんなに大事なものであるか、教師がどんなに頼りにされている存在であるか、などを改めて私たちに強く認識させたのである。

後述するように、学校は関係者の懸命の努力により次々再開されたが、震災一年後の新学期の入学予定者について、仙台に本社を置く『河北新報』は、被災三県四三市区町村の「公立小中新入生13%減」という見出しで、例年は「横ばいか多くても年3%程度の減少」だったが、「津波による自宅の流失に加え、保護者の失業などにより転居を余儀なくされた子どもが多いため」、特に岩手、宮城両県では津波被害が大きかった自治体で減少が著しく、福島では原発周辺の自治体の多くは避難先での学校再開を迫られており、8町村では震災前の半数にも満たない、と報じた(平成24年4月1日付け)。このように、一年後の被災地の教育現場では、例年の「年3%程度の減少」から過去に例を見ない児童生徒の減少、これへの対応としての学校の統廃合、間借り校舎の継続、校庭の仮設住宅の定着、等々の動きが見られる。これらは、地域経済噂地域社会の復興の方向性・在り方と絡んで地域住民の強い関心を集めているのである。


震災前の地方教育

ところで、被災地域に限らず、震災以前の地方教育は、深刻な問題を抱えていた。以下に、簡潔に一般論として整理をしてみる。

過疎化・少子化は、言うまでもなく、大都市への一極集中・人の移動がこれと同時に進行していることである。農村部から地方都市へ、地方都市から大都市(地方拠点都市ないし中枢都市)へと人が移動する。地方都市からは若者の声が消え、活力が萎えていく。大都市には現代文化の厚みがあるが、地方に「箱物行政」の遺産はあっても文化をサポートする内発的力は多くない。少子化が進めば、小学校、中学校の統廃合が進み、PTA活動は停滞し、地域の教育力は衰退し、時には過度の学校依存・教師依存が生ずる。学校教育の「一部」を補完している「教育産業」はやがてこの地域から撤退するか規模を縮小する。学習環境は全体的に劣化し、次第に学習意欲は低下し学力も低下する。複式学級の導入も構想される。就労人口の移動だけでなく、特に学力の高い生徒の中には、交通の便さえよければ、都市のレベルの高い高校へ進学する。その結果、有力進学校は大都市中心に形成され、高校間の学力格差が生まれ、地方の高校の統廃合も進まざるを得ない。小学校を統合し、小中一貫校にすれば、児童生徒を輸送するための交通手段が必要になるのは当然として、送迎バスの運行時間に合わせるため、放課後の児童生徒の活動は制限される。保護者と学校との距離は広がる、等々。

被災地のすべてがこのようであったと言うのではないが、津波が襲った地域は、地域によって様相を異にしながら展開する地方教育のこのような一般的な趨勢の中に置かれており、教育に携わるものたちは、行政も教師たちも、このような中で、力を合わせて懸命な努力を重ねてきていたのである。被災地域の単なる復旧・復活がありえないのと同じく、被災地の教育の復興もまた創造的復興でなければならないことは言うまでもない。


「基層」としての義務教育

冒頭で述べたように、再開された学校で見られた光景、やむを得ず転校した子どもたちの元の学校へ戻りたいという願い、「友達に会いたい」「先生に会いたい」という子どもたちの願いを叶えてくれたところ、それが学校である。この学校の二階、三階、屋上は津波に追い立てられた子どもたちが寒さ、怖さ、心細さにさらされながら、空腹を抱えて、親や肉親の迎えを待ち続けたところである。多くの教師は子どもたちを安全なところに誘導した後、泥のかき出しや瓦礫の処理に全力を挙げて守り、予定よりも遅れてしまったけれど「希望をもって」「夢を捨てないで」と卒業生を見送ったところ、教師たちが離任式で子どもたち、保護者と別れを惜しんだところも学校である。言うまでもなく、保護者を含む地域の被災者の避難所になり、避難者は体育館にも教室にも子どもたちとともに、地域によっては同日も居住したのも学校である。地域住民も子どもたちも悲しみを分かち合い、励ましあったところも学校である(気仙沼市立校長会・気仙沼市教育委員会・宮城教育大学編『記録・東日本大震災被災から前進するために』写真)。

震災以来、「絆」という言葉を頻繁に耳にし目にするが、その場合「絆」とはまずはこうした光景に触発され、そこで展開される事実に共感するものを感じ提唱されたのであろう。全国に「絆」を広めていただく、「絆」という思想を普及していただくのは、その意味では絶好の機会というべきなのか。

ところで、宮城県の被災地域のある町の教育委員会が示した中学校の統合案に対し、保護者は一斉に反対し、PTA会長は「地域に学校があるということが、復興への希望となる」、「学校がなければ」、地域に戻ろうという「住民の意欲が失われる」と憤った、という(前掲『河北新報』)。教育の復興はともすれば、高等教育の復興、研究機能の復興、などの文脈で注目されることが多いように思う。科学技術創造立国を目指すわが国であるから当然と言えば当然であり、そのことに異議を唱えるものはない。とはいえ、先端研究を担う優秀な研究者や彼らを教育した教師にも義務教育の時期があり、それは数段・数年に至る教育の「基層」をなす時期と言うべきである。先端研究を担うような人も平凡な生涯を送る人も、みんなで日本の未来を担うのである。この時期に格差を生じさせてはいけない。その意義は、縷々述べてきたつもりなので繰り返さない。しかし、被災地の復興の状況はまことに厳しい。(続く)