2012年7月31日火曜日

教学マネジメントの現状と課題(1)

去る5月29日に開催された「中央教育審議会大学分科会(第105回)・大学教育部会(第16回)合同会議」の議事録が文部科学省のホームページに掲載されています。

議題は「中長期的な大学教育の在り方について」ですが、当日は、学士課程教育の質的転換を進めるためには、全学的な教学マネジメントの確立が不可欠との観点から、数人の有識者から国内外の事例等についてのプレゼンが行われています。

抜粋してご紹介します。まず、第一回目の今回は、上山隆大上智大学教授です。資料と照らし合わせながらお読みいただくと理解が深まるのではないかと思います。

資料「研究大学と自助・自立の精神」(アカデミック・アントレプレナーシップ)


最初に申し上げておくと、私は高等教育の研究者でもなければ、教育学の研究者でもありません。ですから、むしろ、ここに御列席の御専門の方々から御意見をいただければ幸いです。

私自身は、自分の研究テーマとして、ここ数年間、シリコンバレーのことを調べております。なぜアメリカの中でも極めて特異な、もちろん世界的にも特異なのですが、あの地域が生まれたのかという疑問について、特にそれを研究大学の立場からずっと調べてまいりました。

したがって、スタンフォード、UCバークレー、UCサンフランシスコといった三つの大きな研究大学の中のことをこの数年間ずっと調べております。当初は、それほど大学そのものに関心はなかったのですが、なぜあそこから、あのような新しいタイプの知識や技術が生まれるのかということを考えると、大学というものの中で何か起こっているのかということをどうしても考えざるを得なくなって、したがって、大学に残っている様々なデータや資料をずっと読みあさってきたというのが、ここ数年間の私の経歴です。

各学長の文書から始まって、非常にたくさんの、もう何百箱になるようなドキュメントが残されております。それらを全部見たとは言いませんが、かなりは見たと言っていいと思います。そういう過程の中で考えたことを、安西分科会長に御紹介いただいた本にまとめてみました。あれは、ある意味では私のシリコンバレー研究の副産物として生まれてきた本です。

その後、様々な方から、「もう少し大学について発言してほしい」というお話があり、こういう機会をいただくことが多くなりました。したがって、私の話は、教育学の専門家としての話ではないということを御容赦ください。

そのような研究の過程で、日本のアカデミーはどうあるべきかという問題を、アメリカの研究大学の研究を通してどうしても考えざるを得なくなりました。制度としての大学がどうあるべきかという問題は非常に難しいですが、日本にとって、あるいはアメリカとか諸外国との関係の中で、研究大学の再生は本当に不可欠だということを強く思うようになったわけです。

翻って、日本の大学は、なぜ大学に資金を投入する必要があるのか。納税者の論理が何よりも先行して、それに対して大学が常に受け身で、なぜ必要かということを説明することができないでおります。さらには、産業界からも大学は研究と教育について何をしているのだ、という批判が大学に対してなされているのが現状です。私自身はそのことに非常に大きな違和感を持っております。

もちろん、そのような批判にも、ある面では正しい面もあります。またこのまま行けば、10年後に日本の研究大学は本当に大変なことになるだろうという危機感を持っております。

一方で、そのような状況に置かれていることについては、大学人の側にも大きな責任があったのだろうと私は考えております。それは国立大学をはじめとして、国の予算でずっと守られて、大学人自身がこれについて果たしてどれくらい考えていたのだろうかということです。

一方、アメリカの研究大学は、先ほどのガバナンスという言葉もありますが、極めて強固な戦略と意思をもって大学運営を行い、かつグローバルな環境の中で激しい競争を勝ち抜こうとしております。

それと比較して日本の大学は果たしてどうなのだろうかと思うわけです。何よりも、大学に公的な資金がもっと投入されなければならないと私は思っていますが、それを説明する、説得力のある言葉を大学人自身が現在のところ持っていないことに大きな問題点があるでしょう。あるいは、あまりに凝り固まった学問観が根付いていて、それが柔軟な大学運営を蝕んでいる。今、総合科学技術会議などで出ておりますが、そこでの議論にもそのような古い大学観を聞くことがあります。例えば、大学は基礎研究をやるところだ、基礎的な人類普遍の知識をやるところだという、ある種の基礎研究神話、そして、大学の重要な役割は人材を輩出すればいいというものです。

ところが、基礎研究という言葉は、戦後のある時期にアメリカで極めて政治的な意図をもってつくられた言葉であり、それは何も人類普遍の研究という意味だけではなくて、この言葉を作ることで、アメリカの政府からの公的資金を導入するためのフレームワークだったことは明らかです。

したがって、基礎研究とか応用研究といった分類にとらわれることない大学の知の在り方を考え直す時期に来ていると思います。そして、基礎や応用といった垣根を軽やかに超えていくようなスター研究者が大学から出てこないといけないし、そういう人材こそが大学がなぜ社会の中で必要なのかということを説得できる言葉を持つ。そのような投資を今、国家の中でしなければいけないと考えているわけです。

1980年以降、アメリカの中で様々な産学連携の政策がとられました。バイ・ドール法、技術移転法、こういったものを日本の政府は積極的に導入してきました。しかしこの政策の問題点は、それらがどのような背景の中から生まれたのかという意識もそれほどなく、例えば大学の研究に対して特許を取れというプレッシャーだけを大学に押し付けたものだったということです。この臨場感のない政策が、大学運営の精神として正しかったのかどうか、精神の理解として正しかったのかということをずっと考えてきました。

そのような小手先の変革ではなく、日本の大学は、特に研究大学は真の意味でパワーエリートにならないといけない。特にアメリカを中心とした世界のグローバルな競争の中で勝ち抜いていく大学に変身しなければいけない。それを国としてサポートしなければいけないと強く思っております。

大学という制度について言えば、日本では、この制度が非常に困難な危機的な状況に陥っていますが、一方で、グローバルに目を向けてみると、実は大学というシステムというか、制度そのものは非常に大きな爛熟期にあると思います。

なぜならば、まさにグローバル社会の中において、大学でつくられる知識を身につけた新しいタイプの人間がますます必要とされている。そういう需要が高まっているわけです。そのような人間をつくるために、あるいは、そのような知識をつくるために世界中の大学がグローバルな中で競争し合っている。そこに日本の研究大学は入っていかなければいけないということであろうと思います。それをどのような形で国としてサポートしていけるか、そのことをもう一度、社会全体の中で考え直さねばならないのではないでしょうか。

さらに、大学という制度自体が、今のグローバリゼーションの中で大きく変容する時期が来ているとも考えます。大学というシステムがアメリカとかヨーロッパとか日本を超えて、むしろ、グローバルの中で大きく変質しつつあると考えているわけです。

大学という制度はヨーロッパの地中海地方の沿岸で生まれ発達したものです。ボローニャ大学がその発祥でしょう。それは地中海の経済圏が生み出した知のシステムだったと思います。それが、北西ヨーロッパに移り、パリ大学などを生み出し、やがて産業革命の開始とともに、富の変動が起こり、イギリスの大学が大きな役割をするようになりました。オックスフォード、ケンブリッジの隆盛です。さらには、ドイツの産業革命期に、ベルリン大学などのフンボルト型大学を生み出して行きました。それは、まさに地中海から大西洋経済圏への変化に対応しています。後者の経済圏の隆盛の中で、ハーバードなどのアメリカ西海岸へと移り、スタンフォード、カルテック、UCLAなどの新しい大学を生み出しました。そのような人類史の富の変化とともに、大学というシステムも大きく変わってきたわけです。ですからアメリカの大学といっても、単なるアメリカ型と呼ぶことができないほど、多様な形で変貌を遂げてきています。そして今や東アジアの中で新しい大学が生まれつつある。そのような変化する世界の大学と日本の大学は競争していかなければいけない。日本の研究大学は果たしてそれに応えていけるか。あるいは、それに応えるようなサポートを国としてやっていると考えざるを得ません。

研究対象にしているスタンフォード大学や、あるいは西海岸の大学のケースをずっと調べてきて常に思うのは、これらの大学が非常に長期的な、極めて強い戦略と明確なガバナンス力をもって、大学の運営を行っているということです。特にOffice of President、大学の総長を中心とした部局が極めて長期的な戦略をもって大学運営に当たっているということに驚かされました。

アメリカの大学に行った人は必ず思うはずです。なぜこんなに研究条件のいいところで、教育条件のいいところで彼らは研究できるのか。そして、我々日本の研究者は、そういう大学や研究者とどうやって競争していけばいいのか。しかし、そのような環境をつくり出す大学の戦略についてはほとんど考えられてきませんでした。それこそが極めて重要だと思っております。

大学経営ということで何よりも強調したいのは、特にアメリカの大学はそうですが、大学という組織の経営は極めて難しいということです。ここにMulti-purposeと書きましたが、一般的に企業の方が大学に対してなされる批判を聞いて、この点を理解されておられないことに違和感を持ってきました。企業は利益を最大化する組織ですが、大学というのは、様々なステークホルダーがいて、様々な目的があって、その様々な目的ごとに対応していかなければいけない。その点の理解が足りないように思います。アメリカの大学の学長の文書をずっと呼んできて感じたことは、真剣にやるならばこんな難しい仕事はないというということです。大学には頭がいい人がどんどん集まってくる。ただ、よく言うのですが、しばしばこうした人たちは社会性がない、そういう人たちがどんどん大学の学長に対して要求を突きつけてくる。しかし、彼らこそが実は大学の中で新しいものをつくり出していく人間でもある。

そのような人々をなだめすかしながら、かつ彼らを満足させることができるような資金を獲得しながら、そして社会的な使命に訴えながら、アメリカでいえば教会のような宗教界にも常に目を配り、スポーツにも目を配り、いろいろな社会の方面に向けてメッセージを発しながら経営をやっていかなければいけない。だから、極めて難しい仕事なのです。

80年代にスタンフォードの学長だったドナルド・ケネディは、食料、医薬品関係の巨大な権限を持っているアメリカのFDAの長官を長く務めました。それほどの人間だからこそ、大学のような難しい組織を動かせる。そのような人間はどこでもやっていけるということだと思います。エリート大学の中枢にいた人物は、政府の中に入っても十分やっていける。それくらい難しい仕事を、実は大学のヘッドがやっているということを社会が認識した上で、これをどのようにサポートしていくかということを考えないといけないでしょう。

例えばスタンフォードのみならず多くのエリート大学の学長は、10年ぐらい必ずやる、10年やらない学長は大体失敗した学長なのです。成功した学長は、10年間の間に大きな変革をやっている。その際に、かなりの長期的な展望をあらかじめ整えている。例えば国民所得がどのぐらい伸びていくか、18歳人口がどれくらい伸びていくか、インフレーションがどれくらい起こっていくか、そのような指標のエクストリーム、ミディアム、モデストというようなシナリオを考えて、これから10年間何をやっていくべきかということを、ずっとレポートで出しているわけです。そのような長期的視点を常に確立しながら大学経営を行うOffice of Presidentの力をもっと強めなければいけないと常に思っております。

そのような長期的視座のなかから、新しいタイプの大学が生成していくこともあるでしょう。そして、それは社会の中のある種の巨大な知識の実験場として立ち上がって来るでしょう。したがって、大学の総長、あるいは学長は、大学という知識をつくり出す拠点のマネジメントに長けた人間でなければならない。ですから、大学の運営とは非常に難しい仕事なのです。

このような大学の性質をきちんと理解することが、大学の経営へのサポートに欠かせないと思うのです。産学連携の政策についても、例えば特許戦略、あるいは、ここに書いていますが、特許収入によって財務的な問題をもっときちんとしろというプレッシャーが大学側にかかりました。特許を取って、それを民間に供与して、利益を得るべきだという考え方です。確かにアメリカでは、80年代にそういうことが起こりました。しかし、例をここに少し挙げてみたのですが、1969年に最初にスタンフォードでOTL(Office of Technology Licensing)ができます。その後、確かにアメリカの大学は特許をたくさん取りました。5番のところに書いていますように、例えばバイオテクノロジーは典型的な例ですが、たくさんの大学が自分のところの研究者によって特許を取っていったわけです。

しかしながら、その特許を取るということが利益を得るためのものである、あるいは産学連携というのが、企業と関わることによって産業界から利益を吸収することであるというような考え方から彼等は特許を取ったのでしょうか。それだけだと考えては、アカデミアを滅ぼしてしまうと思います。

私は、産学連携をもっと進めないといけないと思いますが、それは金銭的な目的が中心なのではなく、社会との間でネットワークをつくり、どのような意識が大学に求められているとかという情報を手に入れる手段であり、あるいは大学の中で次々と生まれている新しい知識がどのような意味があるかということを、大学人だけではなかなかできない、わからない、それを発見するためのネットワークとして産学連携というのはとても重要なのです。

例えばスタンフォードでは毎年30億円ぐらい特許の収入があるでしょうか。日本は国立大学全部を入れても7億円ぐらいですが、この30億のお金がスタンフォード大学の全部の予算の中でどれくらいの位置を占めていますか。実際にはその金銭的意味は、一般に考えられているほど大きくはないです。金銭的意味は大きくないけれど、重要な役割をしています。

それは、それを通して大学のOffice of Presidentは様々な情報を手に入れることができるからです。そして、経営の能力の中にその情報の意味を発揮していくことができる、その背景がとても重要だということを我々は理解しなければいけないのです。

例えばアメリカの中でもエリート大学である私立大学と州立大学を少し考えてみましょうか。州立大学というとUCバークレーがあります。UCバークレーも非常に強い特許ポリシーを持っています。しかし、これは余りにも強過ぎて、つまり、特許を取って、それで収入を得ようとすることが余りにも前面に出過ぎたために、むしろ研究者の手足を縛っています。

スタンフォードも、独自の特許のガイドラインはあります。私は、アメリカの400ぐらいの大学と医療機関の利益相反のガイドラインを調べましたが、非常に厳しいところから緩いところまで様々です。スタンフォードは比較的緩やかです。それはなぜかというと、特許を取ったから、弁護士がそれに関わって、そこから収入を得ようなんて考えていないのです。おそらく、そこからどのような情報を得るか、そして、大学の中でそれをどのように生かすかということが重要だと彼らは考えていて、それこそ知識のマネジメントだと思うのです。

日本における産学連携政策の問題点、あるいは日本型のバイ・ドール法を運用していくときの誤った精神は、大学の財政的な自助努力を求めすぎるあまり、アメリカでの産学連携の最も重要な目的を忘れていることではないかと思います。

一方で、次のスライドの7に書いていますが、アメリカの大学は非常にアグレッシブです。特にエリート私立大学は、80年代から30年ぐらいの間に大学の基金を極めて大きく伸ばしてきました。これは、徐々に知られてきましたが、ハーバードで1965年のときに、日本円に直して500億円ぐらいの基金だったでしょうか。それがリーマンショックの前には3兆円をはるかに超える金額に上っているわけです。これを激しくやったのは、ハーバードとスタンフォードとイェールです。最も成功した例はイェールでしょうか。

彼らは80年代になって、なぜそういうことをやったのか。多くは寄附金が多いでしょうが、もちろん企業からの特許収入もあったでしょう。しかし、彼らは、大学の外にマネジメントカンパニーという株式組織をつくって、そこに大学の資産を全部移して、グローバルなデリバリティブを通した投資をしていくわけです。そして大成功するわけです。

しかし、これも果たして単に金銭的目的から行ったのでしょうか。私はそうは思いません。もちろんお金を得るためにやったと思いますが、それは大学の私的な利益を求めてというよりは、グローバルな競争を目前に控えていて、それに対応するためのフリーハンドを得るその資金が欲しかったのだと思います。グローバルな大学の競争が目の前に来ていることをはっきり認識していた。そして、何よりも、それゆえにアメリカの大学は一歩先んじたということです。何のために資金を手に入れないといけないか。優秀な研究者と学生を引きつけなければいけないからです。

ハーバードでしたら、どの分野においても世界のトップの研究者がここにいるという状態をつくらなければいけない。あるいは優秀な学生を奨学金を出して呼び込まなければいけない。そのための自由になるフリーハンドを手に入れようとしたと私は解釈しています。それがゆえにアメリカの大学は強い、それがゆえに我々がアメリカの大学に行ったときに、なぜこんなに研究環境がいいのだろうかと驚くのだと思っています。

翻って、日本の大学はどうでしょう。ここに、東京大学と早稲田大学の資金環境を挙げておきましたが、東京大学はもちろん国庫からの運営費交付金に頼っていますし、早稲田大学は授業料の納付金に頼っている。つまり、バランスが極めて悪いのです。

一方、ハーバードとバークレーの例を挙げてみましたが、バークレーは州立大学ですので、州政府の予算が相当入っています。それでも日本の大学と比べて、少なくともファイナンスの部分のポートフォリオはもっと健全である。ハーバードに至っては、もっとバランスが取れています。そして、ある程度自由に大学運営を考えることができる状況が生まれていると考えないといけない。そのような研究大学と我々はどのように闘っていくのか。その点を、国家戦略として考えていただきたいというのが常に思っていることなのです。

その下に、ベンチャーファンド出資者の変遷ということを少し挙げておきました。1973年に法律が改定されて、大学の基金をリスクマネーに投資することが可能になりました。それ以来、80年代からベンチャーキャピタルに大学の資金が相当程度入るようになったということを示しているデータです。その一番大きな部分は、実はカリフォルニアに集中しています。この地がベンチャーキャピタルの集中して伸びたところだからです。そしてその出資元のデータを見てください。一番上のところは年金の基金がベンチャーファンドに入っていますが、赤いラインは実はEndowment、大学の基金からの投入です。大学は、ベンチャーファンドにも、リミテッドパートナーシップをとって資金をどんどん入れるようになっていることを示しています。

スタンフォードのバジェットを少し見てください。そこに2010年から11年にかけてのスタンフォードの収入を入れておきました。やはりうまくバランスがとれていると同時に、学生からの納付金の率が実に20%を切っています。これは、極めて強調しておかなければならないのですが、私立大学の研究費の少なくとも70%~80%は公的資金だということです。それがなければ、アメリカの研究大学の環境などできません。

したがって、公的資金を入れるのは当然ですが、そこの中にInvestment Incomeというのがあります。これは、自らの力で獲得した基金からの納付金の割合です。イェールは、基金の投資によって非常に高いときで40%ぐらいの利益を上げております。ですから、1兆円ぐらいの基金の中で、40%の利益を上げる年というのは、本当に大きな基金なのです。その一部が大学の一般経費の中に算入されている。

この基金の増加は、アメリカの大学に完全な優位性をもたらしています。今のスタンフォードの学長のヘネシーから先日、卒業生宛てにメールが来て、ここ何年間かの寄附のキャンペーンがやっと成功裏に終わった。目標額の43億ドルを集めることができたと書いてありました。すなわち、今、80円で換算しても3,000億円を超えるでしょうか。彼らは必ず、これくらいの規模のお金を集めて、そして、フリーハンドで大学を運営していこうとするわけです。

翻って、果たして民間の資金がどれくらい日本の研究大学の中に入ってきたでしょうか。これは、しばしば企業の方々に訴えたいところだと思います。ここでは時間がないからお話しできませんが、アメリカのフォード、ロックフェラー、カーネギー、こういったところの巨大な財団は、非常に多くの資金を大学、高等研究に投入して、そして、大学を次の時代に生きていけるような組織へと変えていこうとしています。これは、産業界の使命だと私自身は思っているのです。

そのような大学の中でよく出てくるのは、研究大学は、こうやってお金を稼げていく、ガバナンスはこうやっている。では、大学の研究者の中でも、金銭的目的に直結していない分野がある、このような方式を続けて行くと、お金にならない分野は疲弊してしまう、という議論は必ず出てくるのですが、そうでしょうか。ここにGeneral Fundsというのが25%であります。すなわち寄附とか授業料とかオーバーヘッド、間接経費です。こういうものを集めた形の金額を学生の奨学金や、容易には資金を手に入れることができないような人文科学系のところへときちんと還流している。そして、トータルとしてアカデミアというものの知識の世界をきちんとマネージしようとしているのがアメリカの研究大学だと考えないといけない。そういう大学と我々はどのように関わっていくのかということであります。

スライドの13のところは、スタンフォード大学がベンチャーキャピタルに、どれほどリミテッドパートナーシップの関係を持って、利益を上げてきているかという図であります。ピークで日本円にして8,000億円ぐらいのバジェットになっていたでしょうか。

実は、これ以外にも様々なデータがあるのですが、本日はお時間がありませんし、そんなに詳しくお話しすることはできませんが、最後に提言として、まず、我々が考えなければならないのは、大学のマネジメントは、我々大学人が一般的に考えるよりもはるかに難しく、はるかに重要な仕事であるということを私たちは考えないといけない。そして、ここから大学というものの形をつくっていくという意思を持たないといけない。そして、それは強い戦略を持たないといけない。その戦略性に関して、我々は国としてもサポートしなければいけないということを訴えたい。

しかし、大学が自らの力でマネジメントをやって、グローバルな中で自分の地位を上げていこうとすることは、これはある意味では私的な利益の追求でもあります。その活動と公的資金との関係は慎重に考えなければならない。自分の大学の評価を高めて行くために優秀な研究者を呼び込む。その私的な利益のために、直接的に公的資金を入れるのはどうかとは思うのです。しかし、その努力を自らの金銭的力で行い、そのマネジメントが成功した場合に、「あなたのところはうまくいきましたね」といって、その後の研究活動に大きな公的資金を入れる。これは当然だと思います。そのような公共的な役割と私的な役割をきちんと考えた上のマネジメントをしないといけないでしょう。

そしてまた、こういうことを申し上げると教授会自治はどうなるのだという話が必ず出ます。教授会自治の自由というのは守らなければいけないと思いますが、大学のマネジメントの中で教授会が一体どのようなビジョンを持って、ここ何十年かの間に、経済学部ならどういう人材を立てて、そして生きていくのかというビジョンと、大学全体のOffice of Presidentがつくり出すビジョンとの間で綱引きをやることによって、大学は前に進んでいきます。

したがって、大学のOffice of Presidentが人事権に関してもある程度介入せざるを得ないと思います。アメリカの大学の例で言えば、例えば学部は人事を三種ぐらいに分けて考え、この人間は絶対に必要だという人間と、まあまあ必要だという人間と、大学のOffice of Presidentが反対したら、もうあきらめてもいいという人間の三つぐらいの分類をします。トップのカテゴリーの人事であれば、何があっても抵抗して、その人間をとろうとします。常にそのような駆け引きと綱引きをやっているわけです。それこそが大学のマネジメントの在り方なのではないでしょうか。

そういうことを申し上げた上で、産学連携も含めて、大学と社会、あるいはマーケット、市場との関係は常にプラスとマイナスがあることを付け加えたいと思います。しかし、大学はもっとマーケットに開いて、市場に開いて、そこから様々な情報と意見を吸い上げながら、社会とのネットワークをつくっていく必要があり、そして、私自身の言葉で言うと、大学はパトロネッジを多様な形で広げていかなければいけないということです。公的資金導入は当然ですが、それ以外にも、私的な部門との関係をつくりながら、よりポートフォリオの高い大学運営をやっていただきたいと思っております。そのような大学を、国としても戦略的にサポートしていくという姿勢が重要なのではないかと常日ごろ考えているところです。

このような話をさせていただいた上で、おそらく専門の先生方の中から、より細かい貴重なお話が伺えると思っておりますので、このあたりでやめさせていただきます。御静聴、どうもありがとうございました。


【質疑応答】

(林委員)

上山教授にですが、研究大学とGeneral Fundsの話がありました。スタンフォードでしょうか。大学は、研究大学であり、同時に教育大学でもあると思うのですが、そうするとGeneral Fundsを持っているか持っていないか、文系も大事にするし、教育のほうにも大学としてきちんとしたサポートをしていくというような評価になると思うのですが、そういう意味でGeneral Fundsというものが一つの評価のポイントになっているのかどうかということが一つです。

それから、研究大学だけの話がありましたが、これは先生、意外かもしれませんが、教育大学、あるいは機能別という話が数回出てきましたが、お聞きしていると博士課程を持っている研究大学、あるいは準研究、あるいは教育学士課程の大学、教養大学というような表現が出てきたと思うのですが、研究大学は非常にわかりやすいのですが、そうでない大学のランキング、そこでは何が評価されて、そこが何で学生が集めるのか、研究大学の場合は、いい研究をやれば、お金も入ってきているし、いい先生が集まっています。それを見て学生が集まるという話がありましたから、そうでないところはなかなか難しいのかな、どういう評価になっているかというのがもう一つです。

それから、これは返事がなくてもいいのですが、ここの大学教育部会で高等教育の質的な転換を図ろうとするということを進めていて、そのためのマネジメント、ガバナンスの強化ということが一つのポイントになっているのですが、欧米の大学は学生が勉強するに決まっていますし、ファカルティは組織的にサポートするような形で動いていて、それを前提にして今のガバナンスとマネジメントがあるのですが、日本の大学、今はどう勉強させようかという話、それをマネジメント、あるいはガバナンスのほうに何とかやれないかというような考え方を持っていますが、それについて何か御意見があればお聞きしたいという気がいたします。

(上山教授)

まず最初に、General Fundsというものの役割ですが、これは非常に大きい役割をしています。これは、別に教育ということだけに関わらず多方面に用いることのできる資金で、その使途のかなりの部分が学長、あるいはプロボストが非常に大きな権限を持って、自由に使える資金として教育、さらには研究の面でも使われています。その原資の大きな部分を占めている間接経費は、どうしても理科系に限定されてしまうわけです。しかしながら、日本の大学と違うと思うのは、やはりアカデミアとしてのコミュニティが強く意識されていて、外部資金を取れない分野にもこのGeneral Fundsを通して資金が回って行く形をとっています。

例えば特許による収入などが典型的にそうです。カリフォルニア大学の例でも、特許収入は社会科学系の人たち、特に博士課程の大学院生の人たちに研究費として回していこうというような努力がなされています。そういう意味では、General Fundsというのは、大学のガバナンスとか学長のマネジメントに関してとても重要な役割をしていると考えるべきでしょう。

それから、既に小林委員もおっしゃいましたが、アメリカの大学は非常に多様であることが大きな特徴です。このことは教育学者の中ではほとんど定説になっていると思うのですが、多様性こそがアメリカの大学の強みである。実は国家が生まれる前から、1636年にアメリカ最初の大学、ハーバードが生まれていて、それから実に多くの大学が設立され、それらが互いに競争することで進化して来たという特徴を持っています。いまのスタンダードで言えば大学というよりはカレッジのレベルに過ぎないものが多いですが、それらが互いに競争し合うことで、それぞれの特色を生かした大学へ進化して来たのです。したがって、その過程の中で、我々の今のカテゴリーで言う研究大学というものと、研究というものにそれほど特化していないリベラルアーツ型の大学、例えば今の国務長官が学部時代を過ごしたウェルズリーなどがそうですが、非常にいい大学ですが、別に研究大学ではない。でも、とてもいい学部教育を行って、そこを卒業した学生が、ハーバードとかスタンフォードとかのエリート研究大学の大学院へと進学したりするのです。その意味で、この中央教育審議会でも議論になったと思いますが、大学の役割分担というのがはっきり生まれている。

それから、大学院というシステムそのものがアメリカの中でつくられたもので、アメリカはもともと研究ということにそれほど力がない国でしたから、大学院を設立することでヨーロッパに匹敵する研究体制をつくろうとしてきました。特にドイツの大学から研究中心のプログラムを輸入しようとした時に、ドイツに追いつくためには別の組織をつくって、大学院というものをつくろうとしたわけです。そのあたりからやっと研究という方向に向かっていって、したがって、いわばベースがもともとは研究ではなかったということです。もともとは教育をベースにしたカレッジのシステムがアメリカの中には非常に強くあって、しかし、その中に新たなグローバルの競争の中で、特に当時でいえば19世紀後半のドイツですが、科学技術にたけたような大学に打ち勝っていくためには大学院という新たなシステムをつくることで成功したということです。

そういう意味で、大学院型大学と教養型大学というのは明確に区別されていると考えたほうがいいと思います。それは日本でも、やはりもっと明確になったほうがいいと思っています。

(樫谷委員)

上山教授にお聞きしたいのですが、総長、学長の任期が10年ぐらいだと、こうおっしゃったのですが、結果的に10年になるのか、初めから10年なのか、それがまず一つです。あと、学部長は学長が任命するということなのですが、その任期は大体どれぐらいなのか、それから、できましたら秦教授と大場准教授に、イギリスとかフランスでは実質的な任期はどの程度なのか、形式的な任期はどの程度なのか、もしわかれば教えていただければ幸いです。

(上山教授)

おそらく小林委員がもっと具体的な数字はお持ちでしょうが、自分のリサーチから知っているところで言うと、過去、スタンフォードのケースですが、実は年数がばらばらです。非常に短い、4年ぐらいで終わってしまう人もいれば、12年、13年と続ける人もいます。最近で言うと、今の学長の前の学長は、おそらく10年やるだろうなと思ったら、8年ぐらいで終わってしまいました。そういう場合には、内部の議論を見ていると必ず何か問題が起こっています。例えばいまの例で言うと、彼は、スタンフォード大学の医学部とUCサンフランシスコという大学の医学部をマージして、合併して、大きな医学部をサンフランシスコの中につくろうとして、本当にたくさんの資金を投入しました。その計画が結局は失敗に終わってしまった。そのことへの非常に強い批判が学内からまた理事会の側からも起こりました。罷免の形をとったとは思えないですが、おそらくそれで辞めたのだろうと思います。

ですから、学長の権限と任期を見ますと、10年やらない人はだいたい何か起こっています。例えば、その前のロナルド・ケネディという学長の場合も最後の数年間はスキャンダルに見舞われました。先ほど小林委員もおっしゃいましたが、理事会がかなりの力を持って罷免といいますか、やめてもらうということになるのだと思います。

ですから、雑駁なイメージとしては10年を念頭に置いているのだろうなという印象はあります。学部長に関してはよくわからないのですし、またイギリスやフランスについては、具体的な期間は小林委員や他の先生方が数字をお持ちだと思いますので、お聞きになってください。

(秦教授)

イギリスに関しましては、それぞれの大学が独自に学則で決めているのですが、現在、調べましたところによりますと、ヨーク大学が大体7年間、そしてオックスフォード大学は5年間が一応リミットで、さらに2年間更新することができますので、総合は7年になります。また、バース大学とかブリストル大学ですとオープンエンデッドという形で表現されていましたが、やりたいだけやってくださいという形になります。

ただ、理事会が進退の判断をいたしますので、もし大学にとって有益な人材ではないということがわかりましたら、文書をもって学長に突きつけますが、それになるまでに学長自らが辞職するという形が普通で、また、そのような形になるとスキャンダルになるということで、そのような形をとっているようです。

また、学部長に関しましては、4年をめどにしまして、さらに4年、つまり、トータル8年ぐらいが限度となっております。

(大場准教授)

フランスの学長は4年が任期ですが、1回に限って更新が可能です。ですから、1期終わって、その次の選挙に出ることはできます。

(小林委員)

手短にお答えします。アメリカの大学の学長は非常に長くやっているというのは、30年以上やっているような学長もおりますし、これは、いろいろなアメリカの大学史にも書かれております。その一つの理由は、学長は対外的に大学を代表する大学の顔でありますから、そう簡単にかわってしまうのは非常にまずいという判断もあります。

それから、学部長につきましては、大学については執行部の任期の範囲でやるわけですが、学部長自体が学外から呼ばれることもありますので、様々な大学に移って学部長を続けていく、あるいはプロボストに上がっていくというようなことで、大学経営を覚えていくということになるわけです。


2012年7月30日月曜日

教育ムラと大人の言い訳

時論公論 「"いじめ自殺"真相解明への道」(2012年7月24日、NHK解説委員室)をご紹介します。


「自殺の練習をさせられていた」。マンションから飛び降り自殺した男子中学生をめぐるアンケート結果の内容が明るみに出て以降、警察による強制捜査、大津市による第三者委員会の設置準備、文部科学省によるいじめについての緊急の全国調査へと波紋が広がっています。
今夜は、真相解明の課題について考えたいと思います。

生徒へのアンケート調査の結果は、男子生徒が亡くなった3週間後に大津市教育委員会から公表されていました。その時の結論は、男子生徒は複数の同級生からいじめを受けていた、ただし、自殺といじめの因果関係は明らかではないというものでした。

男子生徒が亡くなった1週間後には全校生徒へのアンケート調査が行われていましたので、ある意味すみやかな対応でしたが、結局真相を解明するための調査を十分にしていませんでした。
いじめと自殺との因果関係を証明することは難しい。その難しさを隠れ蓑にことさら事態を小さく扱い、収束させようとしたことが今回の結果を招いたと言えます。

2つの視点からみていきたいと思います。
一つは、いじめを防ぐことはできなかったのか。
もう一つは、自殺のあと学校の手で真相解明はできなかったのか。

いじめを防ぐことはできなかったのか。
自殺の直後に学校はすべての先生を対象に調査しましたが、男子生徒へのいじめを「認識していた」と答えた先生は一人もいませんでした。
一方、生徒のアンケートには「男子生徒が先生にいじめを訴えていた」という記述がありました。
今回の件が明らかになった後、自殺の1週間ほど前に生徒が「トイレでいじめを受けている」と連絡をしたのに先生たちは「けんか」と結論づけて「注意深く見守る」ことにとどめたことが明らかになりました。訴えがあったのにいじめと認識していなかったというなら、緊張感があまりにもなかったと言わざるをえません。
警察が強制捜査に踏み切ったのは、自殺の2週間ほど前、学校の体育大会で男子生徒が後ろ手に縛られ口を粘着テープでふさがれていた点を重要視したからです。

生徒の目撃情報を知らなかったというのはお粗末ですし、それが本当なら、情報がすぐに上がってこない先生と生徒との関係の希薄さには驚かされます。かりに、小耳にはさんでいたのにいじめとは思っていなかったとすると、いじめを傍観するのもいじめに加担したことと同じだとこどもたちに訴えてきた専門家からの意見とまったく同じことをこの学校の先生に対しても言わなければいけません。

もう一つは、学校の手で真相解明ができなかったのか。
学校と教育委員会は、文部科学省が示したガイドライン通りに先生への聞き取りや生徒へのアンケートを行っていました。しかし、いじめの真相を解明してほしいと願って、生徒たちが勇気を奮って答えた200件以上の情報は活用されないまま、踏み込んだ調査は行われませんでした。

「自殺の練習をさせられていた」「蜂を食べさせられていた」という記述に反応できなかったとすると、生徒一人の命の重みを十分に受け止めていたとは言えません。
学校と教育委員会への風当たりが強くなっていますが、去年の原子力発電所の事故で問われた原子力産業内部の“ムラ的体質”と同様な教育界内部だけで通用するお互い同士をかばい合い、情報を隠ぺいするといった“ムラ的体質”が問われます。
「教育ムラ」とも言える体質の背景に、先生への「評価主義」、むしろ「減点主義」を指摘する意見があります。よいことに積極的に取り組むことよりも、問題をおこさないことが美徳とされる学校の雰囲気があります。文部科学省は教員養成のあり方の見直しを検討していますが、こうした点をどう解消するかも大きな課題です。

平野文部科学大臣は、いじめについて緊急の全国調査を行うことを明らかにしました。学校は夏休みですので、こどもたちからの聞き取りが十分できるかどうかわかりませんが、いじめは絶対に許されないという姿勢を見せる意味合いはあります。ただ、文部科学省よる調査は全国的に総点検を求めた後には高い件数になりますが、ほとぼりが冷めると減るという傾向が繰り返されてきました。

問題にさえならなければ、黙っているという学校や教育委員会の体質こそが問題です。そこをどう変えていくのか、その点に踏み込まないと国民の納得は得られません。先生が忙しすぎてこどもと向き合う時間がないという指摘もあります。本来すべきことができないような現場になっていないかその点の検証が必要です。

大津市は真相解明に向けて有識者からなる第三者委員会を設けることにしています。今月中の発足に向けて準備を進めていますので、提言をしたいと思います。

まず、委員になるメンバーは被害者を含む当事者以外には明かさないこと。航空機事故の調査とは違って、物的な証拠がたくさんあるわけではないからです。周囲からの意見にまどわされず、中立的な立場からいろいろな人たちから聞き取りを重ね、ていねいに事実関係を明らかにしていく必要があります。
2つめは、強力な独立した調査権限を与えること。今回の場合、委員会の設置者である大津市が、あらかじめ先生や生徒たちに全面的な協力を求め、発言したことが本人の処遇につながったりして不利益をこうむることがないことを伝えておく必要があります。
3つめは、調査に集中できる条件を整えること。客観的な立場から事実を積み重ねて判断することは、本来業務の片手間にできることではありません。一時的に仕事を離れられるようにし、その間得られるはずの収入を補てんするなどの措置が必要です。
4つめは、結論が出たらすみやかに内容を公表すること。この段階で同時にメンバーを公表し、その責任において結論を出したことを明らかにすべきです。刑事事件とは違い、だれかの責任を問うわけではありませんので、事実として断定できないことでも調査者の見解を示し、今後への教訓を示すことが求められます。
加えて、委員に対して過度な守秘義務を課さないこと。守秘義務は一定期間に限定し、当事者である生徒たちが成人した後など10年程度過ぎた段階で、委員の判断で専門の学会などで今後の教訓を導き出すために専門家どうしが広く議論できる道を残す必要があります。この調査委員会は今後のいじめと自殺を考える上で、試金石となるものです。じっくりと腰を据えて調査と検証に取り組んでほしいと思います。

こどもの世界で起きているいじめはこどもだけの世界で起きているわけではありません。大人を含めた社会の動きを反映しています。
いじめが指摘されるたびにいじめたとされる側から聞かれる言葉に「いじめたつもりはない。遊びのつもりだった」という言葉があります。「○○のつもりはない。○○のつもりだった」。不祥事が起きたときの大人の言い訳としてよく聞かれる言葉です。いつの間にか、大人の言い回しをこどもたちは学んでいるのです。そうした言い逃れを許さない毅然とした対応を社会的に共有することが必要です。
一方、いじめを受けているこどもたちには、希望を失ってほしくはありません。相談してもダメな先生や大人ばかりではありません。こどもたちの周りには、親身に相談に乗ってくれる大人はたくさんいますし、いじめをなくせない学校なら無理に行く必要はない。あきらめずにいじめについて訴えてほしい。そうしたメッセージをこどもたちを取り巻く大人たちから発することが必要です。(早川信夫解説委員)



2012年7月29日日曜日

「大学改革実行プラン」に関する中教審の厳しい議論

去る6月7日開催の中央教育審議会大学分科会大学教育部会(第17回)の議事録が文部科学省のホームページに掲載されています。

議題は、「大学教育の質の保証・向上について」ですが、冒頭、「6月4日に開催された国家戦略会議の議論の状況」並びに「翌5日に公表された『大学改革実行プラン』」について、文部科学省から説明及び意見交換が行われていますので、抜粋してご紹介します。以下の資料と照らし合わせながらお読みいただくと、より理解が深まるのではないかと思います。



【文部科学省】

資料1と資料2を用いまして御説明したいと思います。

本部会、それから大学分科会においても、4月に行われました国家戦略会議の状況を御報告させていただきました。文部科学大臣から報告するとともに、民間委員からのいわゆる問題提起という形で、例えば六三三制の柔軟化、抜本的見直しの問題とか、あるいは大学の統廃合も含めて少子化時代に対応した形での大学改革の在り方の問題とか、あるいは私学助成とか、あるいは運営費交付金の評価に基づくメリハリづけなどの話がありまして、議論の上で総理のほうから5月以降の国家戦略会議において、文部科学省としての教育改革の取組の方針を明らかにし報告してほしいという話がありまして、それを受けて、先ほどのお話にありましたように、今週の6月4日の月曜日に「社会の期待に応える教育改革の推進」という形で御報告させていただいたものです。

1枚おめくりいただきまして、社会の期待に応える教育改革ということで、日本が抱える課題、これから目指すべき我が国の社会ということを通観した上で、人材に対する投資、あるいは幼児教育から高等教育まで一貫した高付加価値を創造できる、あるいは社会で生き抜く力を育成していくということの視点の上で進めていくという話をさせていただいて、社会に開かれた教育への転換の問題とか、幼稚園、小学校から大学の円滑な接続、あるいは教育と産業とのマッチングの問題という総論の話をした上で、2ページにありますような教育改革の七つのポイント、これは3ページ以降においてはその詳しい内容がありますが、わかりやすくポイントという形でこの7項目を出させていただいております。1項目が、いわゆる初等・中等教育、それから高校と大学の接続に関わる問題ですが、小中一貫教育の制度化とか、新聞報道でも出されておりますが、現在、飛び入学については高校中退扱いになりますが、それを卒業として認めるような、早期卒業制度を新しく創設するということも含めた六三三制の柔軟化の問題、それから、少人数学級の推進ということを挙げておりますが、②以下がいわゆる大学に関わる問題です。ポイントとしてはここにあるような大学入試の改革、大学の教育機能の再構築とミスマッチの解消、英語力・グローバル力の向上、国立大学のミッションの再定義と重点化、私学の質的充実支援とメリハリある配分、リサーチ・ユニバーシティの倍増、地域再生の拠点となるような大学の機能という形で、どちらかというと、わかりやすくと申しますか、国家戦略会議へのプレゼンということを意識してつくっておりますので、表現については若干適切さを欠くところがあるかもしれませんが、こういう形で整理したものです。

中身につきましては、3ページが初等中等教育の問題、5ページが大学全体の改革の在り方につきまして鳥瞰したものですが、基本的にはここと大学改革実行プランとは大変重複するところがありますので、大学改革実行プランを中心にここからは御説明したいと思います。

資料2を御覧いただきたいと思います。1枚おめくりいただきまして、大学改革実行プランということで、これはタスクフォースでこれまで議論をやってまいりましたし、国家戦略会議の動きも踏まえまして、大学改革の在り方について整理をしたものですが、1ページにありますように、特に赤字で示しておりますように、「社会を変革するエンジンとしての大学の役割が国民に実感できることを目指して」取り組んでいくということと、それから、改革の方向性をお示しさせていただきますように、教育、研究、あるいは地域貢献も含めた大学の機能の再構築を図っていくということ、その再構築を実現するための大学のガバナンスの充実・強化という、二つの軸を中心に整理しております。

めくっていただきまして3ページがその全体像を示したものです。この二つの軸を合わせて、それぞれの軸ごとに四つの項目を整理しまして、取り組んでいこうという内容です。その前提として、国としての大学政策の基本方針、大学ビジョンの作成ということで、これは本部会あるいは大学分科会でも御議論いただきましたし、昨年の政策仕分けにおいても国として大学の在り方に対するビジョンをしっかり明確に持つべきではないかという御指摘もいただいたところですので、そういうことも含めまして、今後、大学政策の基本的な方針をビジョンとして策定いただきたいと思っているところです。

中身については詳細な説明は省略させていただきますが、6ページ、7ページにその位置づけ、あるいは構成のイメージを書かせていただいているところです。できれば中教審でも御審議をいただきまして、専門的な審議を経た上で、できれば年内ぐらいを目途にその策定に向けた専門的な御検討をお願いしたいと思っているところです。

それから、3ページに戻っていただきまして、そのビジョンをベースにしながら二つの軸で整理しております。一つは、大学教育の質的な転換と大学入試の改革の問題です。特に、質的な転換の問題につきましては、本部会を中心に今、まさしく御議論いただいているところを踏襲し、そのための主体的な学びの時間の増加の問題とか、学修環境の整備ということを挙げているところです。

それから、これは次の分科会、あるいは本部会の合同での御審議とも関連いたしますが、高校教育との連動、あるいはその質保証と一体的に取組をしていくとともに、入試の在り方につきましても、知識、理解を問うということもベースにしながらも意欲、能力、適性など、大学で学ぶエッセンスを多面的・総合的に評価するような入試に転換していくということで、入試の改革についても着手いただきたいと思っているところです。

詳細な説明は少し省かせていただきますが、8ページ、9ページにその全体像のアウトライン、あるいは入試についての記述をしているところです。特に入試改革につきましては、本年夏ぐらいを目途に中教審等で検討を開始いただきたいと思っていますし、その前提としまして高等学校教育部会の御議論、あるいは本部会の御議論を一体的に全体として整合性ある形で整えていただいた上で入試の問題にも着手していきたいという考え方でおります。

3ページに戻っていただきまして、2点目はグローバル化に対応した人材育成の問題です。これは今年度の予算においても拠点大学の形成とか、学生の双方向交流の推進、促進ということで、その方向でさらに進めていくこととか、入試においてのTOFLE・TOEICの活用とか、あるいは産業界と協働して円卓会議でアクションプランを発表いただきましたが、その連携、コラボレーションによります人材の育成の問題、それから、本部会でも御紹介し、御議論いただきましたが、秋入学への対応を契機としまして教育システムのグローバル化の問題ということについても取り組んでまいりたいというところでの整理をしているところです。

それから、3点目が地域再生の核となる大学づくりの構想、Center of Community、COCとうたっておりますが、資料としましては12ページにその理念ないし考え方を整理したところです。いわゆる地域貢献という形での大学の機能ということが言われておりますが、実態としては地域と大学の組織的な連携についてはまだまだ十分ではないという御指摘あるいは背景があります。組織的な連携をしっかりやるような取組を進めていくということを来年度からモデルケースでやっていくということを、現状での取組等も勘案しながら進めていこうという内容です。

4点目は、これは研究力の強化という問題ですが、大学の持っている研究力を強化していく。特に、世界でしっかり伍していけるような研究大学をしっかり形成するためのイノベーションの創出とか、そのてこ入れ等についての取組を進めていこうという内容です。

以上が大学の機能の再構築としての4点で、それを実現するための大学のガバナンスの充実・強化ということで5から8に挙げているところです。5が国立大学の改革の問題です。特にそれぞれの大学についての機能分化、あるいはミッションの明確化ということを言われますが、なかなか現状においては十分でないという点を踏まえまして、この資料で申し上げますと、14ページですが、今後の改革のロードマップを策定し、まずは各国立大学についてのミッションにつきまして、大学、それから学部の設置目的をそれぞれの経緯とか現状での取組をエビデンスに基づいて明確にするということを国と大学との共同作業で進めていく中において取り組んでいこうというものです。そのための基本的な改革の方針を国として24年中にお示しさせていただいて、その取組を進めていこうという内容です。

本部会でも御報告させていただきましたが、今年度の予算で138億円をつけまして、国立大学改革の強化・推進事業という形での先行的な取組を進めております。大学群の形成とか、あるいは拠点の在り方等につきましての取組を今、現状においては大学とその内容について詰めているところですが、そういう取組を先行実施という形で位置づけまして、このミッションの再定義ということを今年度からスタートさせていただきまして、来年の中ごろぐらいを目途にしまして各大学ごとの学部のミッションの再定義ということを行いまして、改革の工程、あるいはその内容を明らかにしていこうという内容です。

それとあわせまして、新聞でも一部報道をいただいておりますが、大学自身の連携とか大学群の形成をしやすいような制度的な連携の多様な制度的な仕組みということを並行して整備していく。あるいは、重点的な取組に対する支援をしていこうということもあわせて考えている内容です。それによりまして、大学あるいは学部の枠を超えた再編成ということも今後の話として出てくるということです。

15ページにその連携のイメージという形でお示しさせていただいておりますが、例えば、真ん中にありますような一法人複数大学によります取組とか、国内と海外の大学の連携、あるいは設置形態を超えたような教育研究組織の設置など、多様な形での連携を組むような仕掛けを用意しまして、各大学の取組を後押ししていこうという内容です。一部新聞報道で、この一法人複数大学を巡りまして、例えば県域を越えて学部の集約化、ある県においてはもうある特定の学部がなくなってしまうのではないかという報道がありましたが、そういうことを前提としているわけではありません。まずは大学自身のそれぞれの成り立ちとか状況を考えていただいた上で大学全体あるいは学部の、ここでは教員養成と医学部という国立大学の使命、目的ということも中心にして先行していくということを入れておりますが、大学自身の火をそこから消すというわけではなくて、それぞれの現代に合ったような形でのミッション、あるいは成り立ちを考えていただこうというような内容での取組を目指していきたいと思っているところです。

これはあくまでも青写真ですので、その内容をもう少しさらに詰めましてしかるべき形で大学にお示しするということもこれから課題として考えていくところです。

戻っていただきまして、3ページの6が大学改革を促すシステムとか基盤整備の問題です。本部会あるいは大学分科会でも御議論いただきましたが、大学の情報の公表、なかんずく大学ポートレート構想を推進していくとか、あるいは評価制度の抜本的な改革、あるいはそれを支えるような客観的な指標の開発ということにつきましての取組を進めていきたいと思っており、その専門的な検討を中教審の場を通じまして進めていかせていただきたいと思っているところです。16ページ、17ページ、18ページ、19ページにその内容を書かせていただいておりますが、機能別の評価をしていくということとか、それを裏づける形での強みを伸ばすような客観的な指標の開発、あるいは、本部会でも御議論いただいたような、学修成果を重視した評価、それから評価の効率化、あるいはパワーアップということでポートレートの活用ということとあわせてその評価の簡素化を図っていくとか、あるいは認証評価と法人評価の一体的な実施など、まだまだ詰めなくてはいけない課題もありますし、その点は是非中教審でも専門的な検討をお進めいただきまして、その取組を図っていきたいと思っているところです。

長くなって恐縮ですが、3ページにもう一度戻っていただきまして、7番目、8番目の課題として、財政基盤の確立とメリハリある配分の実施、それから大学の質保証の徹底ということをうたっております。7番のメリハリある配分のところですが、特に大学の積極的な私学の経営を進めていくという観点から、現状においても私学助成においてはメリハリある配分を行っているところです。

22ページですが、私学については平成23年度から一般補助と特別補助の環境を整備しまして、一般補助を9割程度厚くする。それと並行して定員充足とか、あるいは教育情報とか財務情報の公表状況とか、ガバナンスの在り方ということを勘案してメリハリをしているところです。その取組を24年度においてもさらに充実、強化していくとともに、来年度、これは今後の予算にも関わる話ですが、例えば先ほど申し上げましたCOCの構想とか、学修環境を含めた整備を図っていくとか、産業界との連携ということも視野に置きながら、一層の重点投資を図る形での充実を図るということを目指していきたいと思っていますし、これも実は国家戦略会議でも御報告させていただいたところです。

それから、もう1点は、質保証の徹底推進ということです。特に、数は限定されますが、教学上、経営上課題がある大学に対してです。23ページの表にもありますように、これまでの取組としましては設置基準、設置審査、アフターケア、認証評価、法的措置等々についてはそれぞれの取組がありますが、概してその相互のつながりが十分ではなかったという点はあります。トータルシステムの確立という形で、この真ん中にありますような形で、全体として整合性ある形でトータルとしての質保証を、そのつながりをよくして取り組んでいこうということです。
それとともに、法令違反等、教学上問題があるところについては、学校教育法上の措置も講じることを辞さない視野に入れながら取り組んでいこうということです。

それから、もう一つは、これは私学部、それから事業団と連携して既に取り組んでいただいておりますが、経営上の課題を抱える法人に対しましては実地調査あるいは経営改善の指導、相談ということを行いまして、早期の経営判断を促していくということで、結果としては、多くの大学においては重点的な取組をしていただきますが、それでも社会的な変化に対応できない場合については、厳しいこともあわせて考えていくという内容を盛り込んでいるところです。

ざっと駆け足になりましたが、以上の内容を整理させていただいたところです。これはあくまでも、文部科学省でまとめました改革の青写真です。それを具体的に肉づけし、進めていくということについては、これからの課題です。スケジュール観としましては、この資料で言うと4ページのほうに実行プラン改革期間中の主な取組という形で示しております。まずは平成24年度改革始動期としまして、今、やっておりますような大学教育改革地域フォーラムとかビジョンの策定、あるいは予算を含めました先行的なモデル着手ということをするというものです。それから、来年度、再来年度については、改革集中実行期ということで、仕組み・制度の整備、あるいは予算を含めた支援措置を実施するというような、この3年間で改革の積み込みをしていき、それにあわせて中教審においても専門的な検討をしていただいて、その結論を受けて改革を制度化、あるいは必要なものに取り組んでいこうというものです。

それから、平成27年から29年は改革の検証・深化発展期という形で、改革のレビューを行いまして、その深化・発展を図っていこうということで、これによってPDCAを回していこうということです。都合、今年度から6年間ということで、左に書いておりますように、ちょうど来年度、25年度から29年度が教育振興基本計画の期間と重なるわけです。今年度も含めまして、その6年を改革の実行期間と位置づけまして、三つのフェーズで取り組んでいくという内容をまとめているところです。

以上が、雑駁ではありますが、概要の青写真です。私どもとしては本日いただきます御意見をさらに踏まえまして、改革のより実効的な取組をスピード感持ってやっていきたいと思っているところです。御審議をよろしくお願いしたいと思います。以上です。

【佐々木部会長(名古屋経済大学・名古屋経済大学短期大学部学長)

多岐にわたる包括的なプラン、方針、方向性でありまして、これらについては今後、この会議でも順次審議を進めてまいりたいと思います。まず、以上の説明についての御質問、あるいは今後、審議を進めていく際にどこを重点にすべきである、あるいはどういう問題を取り上げるべきである等々、御意見がありましたら伺いたいと思います。

【宮崎委員(千葉商科大学教授、政策情報学部長)

今の実際の工程表等々、非常によく考えて練り込んでつくっていると思ってはいるのですが、今日に至る前に、こういう会議でほとんど具体的な議論は何も出ないうちにマスコミ等で詳しい内容が報告されているのです。それも完了形で「決まりました」「やります」「いつからです」というようなことが出ますと、大分慌てるわけですが、これから審議してくださいということですが、まだ議論の余地があるものなのかどうかというのをまず伺いたいと思います。

【文部科学省】

宮崎委員御指摘のとおりでして、報道においては断定的に報道されまして、それによって大学の関係者の方々自身の無用な不安あるいは懸念を招くところについては、我々としては非常に遺憾のところがあります。これについては、先ほど申し上げましたとおり、この会議でも御紹介をいただきましたが、タスクフォースにおいては大学改革の全体的な方向性を出し、スピード感を持ってやっていくということですから、まだまだこれは余白がある内容だと思っているところです。全体的な軸というか、方向性は明らかにしていますが、それをどう肉づけしていくのか、あるいは現場においてそれを実行するためにはどういう形の細かい配慮が必要なのかとか、あるいは財政支援につきましても、今後、予算要求が必要だと思いますが、それをもう少し現場にもしっかり届いていくような施策についてはどういう形でいくのかということについては、専門的な御議論がないことには進みませんので、そういう点も含めてできれば御議論をいただければありがたいと思っているところです。

【黒田副部会長(金沢工業大学学園長・総長)

今回のプラン、大変よくまとめられていると思うのですが、この中でグローバル化の問題、これはどういう人材をどれぐらいつくるのかという問題があると思うのですが、ただ単に英語力が増すということ、それから海外留学するだけでいいという、そういう意味にもこれ、とれないわけではないわけです。グローバル化をするためには、まず、他文化を理解するということが大前提であると思いますし、まずその前提としては、日本人は日本人としての心をしっかり持つということが大事です。このまま進めますと、おそらく無国籍の人材養成になるという可能性があるのです。無国籍の人材が社会、国際的に出て活躍ができるかといったら、それは私はできないと思うのです。国際化は国境があり、グローバル化は国境がないという経済界の定義のようでありますが、それにしても日本人としてどういうことを基本的にやるのかという、ここで教養教育ということも書いてありますが、まずその基本をしっかり身につけた上でグローバル化を進めていくという、そういうところが、ここでは少し表現上抜けているのではないかという感じを受けるので、その辺は注意をしていただきたいと思うのですが、いかがでしょうか。

【文部科学省】

御指摘のとおりです。紙の制約の問題がありまして、十分、これ、その辺を意を尽くさずにできておりますが、ただ、黒田副部会長がおっしゃるとおり、これは実は政府全体の中でグローバル人材育成推進会議というのが内閣のもとにありまして、そこで実はグローバル化人材というのはどう資質・能力を求めるかということを定義しております。

御指摘のとおり、三つの種類がありまして、語学、コミュニケーション力、それからいわゆるジェネリックスキルという汎用的な能力の問題、それに加えまして3番目の要素としましては日本人としてのアイデンティティーとか、他文化への理解ということも含めて、総合的な形での資質・能力を養っていくということです。ですから、語学の能力だけが飛び出ていたらいいというものではなくて、それをどう育成していくのかです。そのための、御指摘いただいたような、教養教育の在り方とか、あるいは学部あるいは大学院を通じたような教育の中身の問題とか、あるいはフィールドワークなども含めました体験的な活動でどうモチベーションをつけていくのかということも含めて視野に置きながら取組をしなければいけないということにつきましては、この中教審でもいろいろな機会に御指摘をいただいておりまして、それを十分念頭において進めていきたいと思っているところです。

ですから、グローバル化あるいはグローバル人材ということについてはいろいろな形で出ておりますが、その中身を十分私どもとしては、本日御指摘いただいたことも視野に置きながら進めていきたいと思っているところです。

【黒田副部会長金沢工業大学学園長・総長)

ですから、それはよくわかるのですが、こういう資料に出ますと、その辺りがみんな落ちてしまうのです。落ちるということは、この資料を読んだ人は、全くそういうこと関係なしに英語だけできればいいという感じを受けるものですから、どこかに少し書いておいていただくとありがたいと思うのです。

【文部科学省】

このプランにつきまして、いろいろな機会でこれから御説明する機会があろうかと思いますし、また、その辺は丁寧に御説明するなり、あるいは補足するなりということについて意を用いていきたいと思っております。

【濱名委員(関西国際大学長、学校法人濱名学院理事長)

もう大体出ているので同じようなことになるのですが、例えば高校の2年卒業というのは本気で考えていらっしゃるのかどうか疑わしいというか、学制改革そのもののような内容であるというか、要するに高校を2年で出られるトラックをつくるということは学制改革だと思うのですが、そうした議論がされていないにも関わらず出てしまうというのは極めて影響が大きくて、それが新聞1面のトップ記事になっているというのを見ても、中央教育審議会というのは一体何だろうかというような、基本的な疑念が生じるというようなことになるので少し考えていただく必要があるのではないかと思うのです。たくさんの重要な指摘とか、我々が議論していたことをタスクフォースが並行して具体的なことを考えていただいたのはいいのですが、やはり審議会で出てきたものが議事録とともに公開されれば、先ほど黒田委員がおっしゃったような解釈なり説明がつけ加わるのですが、やはりそういう点では、これは一体何だったのかという点はきちんと決めておいていただきたい。そうでないと、そんなレポートが突然出てしまうと、我々は一体何をやっているのだろうかという、徒労感というか、そうした思いを抱かざるを得ないところがあります。

【佐々木部会長名古屋経済大学・名古屋経済大学短期大学部学長)

今後の検討課題であろうという事項と、実施の方向で検討に入っているという事項を、もう少しきめ細かに腑分けをしてリリースすることが必要なのではないでしょうか。

【板東高等教育局長】

今の高校の問題につきましては、別途高校についての改革について検討しております部会がありますので、そこともまた議論をいろいろすり合わせといいますか、合同でさせていただく機会があるかと思いますが、基本的には、先ほどの高校早期卒業の部分は、少し我々の議論のところと違う場で御議論が進む話が第一義的です。それも踏まえまして高校と大学との接続の問題というのは、これから入試も含めましてまさに真正面から議論していかなければいけないところだと思いますが、そういうことで、まだそちらのほうでも決まった話であるわけではないのですが、こういう六三三制の柔軟化の問題も含めて、やはりグローバル化の中で問題提起をされているという、その問題提起については真正面から受けとめて、これからこういった中教審など、いろいろな部会もありますが、それを含めて議論していかなければいけないのではないかと思っております。

【川嶋委員(神戸大学大学教育推進機構教授)

個別の課題はそれぞれいろいろあると思うのですが、少し全体的な枠組みについて意見を述べます。一つは、こういう目標を設定してそれに向けて行動計画をつくっていくというときに、よく企業などでやる戦略分析でSWOT分析というのがあります。要するに自身の強いところ、弱いところ、環境で好機であるということと、驚異となることとかを考えていくわけです。例えば、この審議会もそうですが、全体的に我が国の高等教育の弱いところ、課題ばかりが提起されて、それをどう直していくのかというところに議論が集中しがちなのですが、物事には両面があるので、やはり強みというところ、いいところ、これもきちんと客観的に整理していただいて計画をつくっていただくということが必要だろうと思います。

例えば、国立大学の改革が具体的に書かれていますが、国立大学のこれまでの役割として、割とリーズナブルな授業料でいろいろな分野の教育が受けられるというメリット、いいところがあったと思うのです。ところが、他方で、どの国立大学も同じような学部編成ということで、個々の大学から見ると個性がなくなっているというマイナスの面もあるということにもなります。このように物事を両面的に考えて、どこが一番問題なのかということをやはり詰めていく必要があるということです。そういうことを是非お願いしたい。やはり子供と同じでしかってばかりですと萎縮しますので、いいところはきちんと評価していただいて、そこを伸ばしていくということも是非お願いしたいと思います。

2点目は、来年度から集中的に実行と書いてあるのですが、これを実行するための財源的な裏づけというのは、文部科学省あるいは財務省との間できちんと相談されているのでしょうか。同じことを前回も別のところでお話ししましたが、やれやれと言われても、空手形ではやはり実行するにもしようがない。精神論だけで終わってしまうということがあるので、財源についてどういうことを考えられているのかということをお伺いしたい。大きな点ではこの二つです。

個別な事項につきましては、国立大学法人については、法人化するときに、今回提案されたような一法人複数大学も可能な選択肢の一つとして議論されました。結局は一大学一法人という形で出発したわけですが、先ほどお話ししたように、では、現行の一大学一法人のどこが問題で、どうしてこういう提案をされるのかということをきちんとやはり説明していただく必要があるだろうと思います。

それから、中期目標計画との整合性です。文章の中には修正もするというようなことが書かれていますが、第3期中期目標計画との関係をやはり明示していかないと、大学も動けないだろうと思います。

最後にもう一つ具体的な事項である入試についてですが、クリティカルシンキングを中心としようかと書かれていますが、これも多分、先ほどのたくさんの御意見があったように、このプランには書かれていない部分、表に出てこないところがあるのではないでしょうか。基礎・基本である知識、技能と思考力、判断力、表現力、そして態度、意欲、この三つをバランスをとって育てるというのが、初等・中等教育の基本的な考え方であり、それを学習指導要領の中に示されているわけで、確かに一時期、入試については知識偏重ということもあったかと思うのですが、基礎・基本である知識がないと、クリティカルに考えたり、物事を創造的に考えていくこともできないわけです。今、問題になっているのは、まさに基礎・基本のところの修得が、高校教育でおろそかになっているのではないかということです。ですから、高校教育の質の保証の問題として、まずは基礎・基本のところをきちんと育てて、それをどう評価していくか。その上で入試ではどこの部分を評価していくのかと考えていく必要があるのではないか。

クリティカルシンキングといきなり出てしまうと、実際それが果たして大規模な、今の制度でいけば入試センター試験のように50万人の受験者でそういう試験が果たしてできるのかどうかとか、その辺もやはり勘案していただきたいと思います。

【文部科学省】

一つ一つ、御指摘のとおりだと思っております。

1点目の、いい面、悪い面があるということでありますが、その際においてはエビデンスをベースにして、いいところをやはりはっきりさせていくということです。ある大学においては全てがいいというわけではなくて、いい面、悪い面、それぞれありますので、どこがいいのか、悪いのかということについてもあわせて明らかにしていく。そのための指標づくりとかいうことについては、これは国立大学だけではなくて私立大学も含めてだと思いますが、そういうことを環境をどう整備していくのかについて暫時やっていこうという視点ですので、先生お話しいただいたような点については、是非積極的に、北風ばかりではないということを肝に銘じて取り組んでいきたいと思っているところです。

それから、財源の問題です。これは当然のことながら、こういう改革をするにおいてはお金もかかります。とはいっても、やはりこういう形で表に世に何をしていくのかということを出していかないことには、お隣の役所からお金もなかなか取ってこられないということもあります。ですから、そこはやはりこれから並行して具体的にはどれぐらいの予算に仕上げていく必要があるのかについて、もう少し、この中教審の御議論も是非参考にさせていただきながら、例えば学修環境の問題とか、それに関連します経済的支援の話とか、あるいはここにありますようなCOCの構想も含めてですが、これから、本日あるいはそれ以降の御議論も是非参考にさせていただきながら、しかるべく形で予算獲得できるような形で要求の方向に持っていく努力を是非してまいりたいと思いますし、しかも、先ほど局長から申し上げましたように、教育振興基本計画の策定を来年度からスタートすることもあります。そういう点も頭に置きながら、もう少し骨太的な、来年だけではなくて、やはりもう少し先を見据えたような形での姿、その理論的な整理をこれから進めていきたいと思っているところです。

それから、アンブレラ方式の問題です。これは先ほどお話がありましたように、やはりこれからの大学を考えました場合、一つの県で考えるだけではなくて、やはり機能とか、あるいは地域を視野に置きながら連携とか、あるいは大学群の形成ということもこれからあろうかと思います。ただ、今の仕組みとしてはそういうこと自身がなかなか成り立ちにくいという点もあります。効率的な経営とか、あるいは資源を有効に活用していくということも含めて、全てがこのアンブレラで解決するというわけではありませんので、そういう制度的な整備を用意した上で取り組みたい大学に対しての、そういう制度的な整理をしていこうということです。

それから、入試については、後ほど課長から話があろうかと思いますが、総論で言いますと、入試の問題だけではなくて、先ほど申しましたように高校教育改革の問題、大学教育改革、その接続としては一体的に議論していくということを進めていくということを是非とも進めさせていただきたいと思っております。9ページにもありますように、現状においては大学教育と高校教育の間に挟まれる入試にいろいろな機能が託されています。それ自身がなかなか難しくなっている現状においては、適切な機能分散を図りながらその取組をしていく。ですから、今後、これまで以上に初等中等教育分科会、なかんずく高等学校教育部会とコラボレーション、連携をしながら、その取組をしっかりやっていくという点があろうかと思います。その中においての、先ほど川嶋委員がおっしゃったような、高校段階でのいわゆる成果をどう把握するかということも含めて考えていく話になろうかと思っているところです。

【文部科学省】

基本的に、今、企画課長からお答え申し上げたとおりだと思いますが、9ページにも少し出ておりますが、夏を目途に中教審で高校関係者と大学関係者を交えたところで具体的な検討をしていただきたいと思います。特定のキーワードが今大きく報道されておりますが、基本的には高校の質保証と、それから大学の質保証と、それをつなぐ接続点である入試の在り方、そこを一体的に考えて議論していただきたいと思っております。

【林委員(独立行政法人国立高等専門学校機構顧問)

大学改革実行プランの検討案について盛りつけを行っていくという話ですが、どのようなビジョンを策定しようとしているかが分からない。機能の再構築が4点あって、充実・強化も4点ありますが、個々の問題ではなくて、全体像を見た場合に、何をどこまで、いつまでにやるのか、その中で何が重点なのかということです。例えば、制度に関わる入試の問題などは高等教育全体の問題であって、本当に実施するのかしないのかの影響はものすごく大きい。場合によっては、そういう制度や仕組みはつくるが、やるやらないの選択は法人にチャンスを与えるのか。手を挙げるところについては、それが望ましい方向であれば、お金もつけて支援していくというスタンスなのかといったことです。

それから、国立大学改革強化推進事業が138億円の予算で動いていますが、大学は法人化で大変疲弊したという言い方をよくします。例えば医学系の研究論文などはものすごく激減している。中国がぐっと出てきたということもありますが、日本は一体どうなったというような声が聞こえるのです。改革には痛みが伴いますので、少々のことは目をつぶらざるを得ませんし、そういう時期は必ずある訳ですが、改革、改革と続くと、それはどうなのかと思います。

問題は、法人化が悪いわけではなく、法人化に伴う運営費交付金云々はあまり賛成できません。改革の時期に落ち込んだとしても、次のステップがあればいいわけですが、それが全然見えてこない。ですから、改革は将来に向けてどういう方向にあるのか、すなわちビジョンがないと賛同できない。例えば、法人化に移行の段階では99あるいは101あった大学が86になり、医科大学を医学部に組み込んだ大学が九つあります。そういったものをまたどのように組み直すのか。一遍組んだところはいいという話もあるかもしれないが、それぞれの学部や学科を持ったいわゆる大学の機能があり、設置理念みたいなものがもともとあるわけですが、そういうものを、ここにある機能のために組みかえるというのは逆ではないかと思います。要するに、機能別分化というものが出てきて、それぞれの大学があまりはっきりしないので、一体どこにどういう機能を持たすのかを決め、そのために組み直すというのは逆だという感じがしないでもないです。

ともかく個別の委員会をつくって、これはどうだという議論を始めるのも大事かもしれませんが、全体像をどうするかという議論を是非やっていただきたいと思います。

【納谷委員(学校法人明治大学学事顧問)

今、林委員が言ったことと同じことを考えていたのですが、中教審が親で、全体を統括するわけです。ここは大学分科会で、しかもその中の大学教育部会ということになっている。本部会で審議するテリトリーというか、範囲がどこまでなのかということもある。このペーパーは非常によくできていると私は思うのですが、問題は、国の全体像として、どう持っていくかということが見えて、この部分はこういう形で、例えば「大学分科会ではこういうことをやる。大学分科会はこうだが、大学教育部会ではこの部分を重点的に。ここはこう関連していますので、審議していただきたい」というように絞りをきちんとやっていかなければならない。これ全部の課題をターゲットにして個別の議論をやっていったら、これはとてもどうにもならない。もう少しそこが見えるようにしていただければということが一つです。

議論が個別に入ってしまうと、マスコミの方では、議論の中で出てきた意見のうち、興味を持った部分だけ切り取って、ばんばんやりますから。やはり、それは危険なので。この方針でやろうとしているということがまず見えるように出しておいて、それで、ここはこれで、ここはこういう形でという段階とかレベルを明示しないと。やはり世間に与える影響は大変大きいのではないか。宮崎委員が最初に言ったときからずっと始まっている議論だと思いますので、その辺をどのように考えておられるのかということを、教えていただきたいと思います。全体像については意見がありますが、そのことをお聞きしてからまた発言します。

【板東高等教育局長】

話の持っていき方が少しミスリードだったのかという感じがいたしますが、本日は少なくとも、新聞等でもいろいろ取り上げられておりますし、大学改革実行プランや、それから平野大臣が国家戦略会議で御説明をさせていただきました教育改革の方向性について御説明をさせていただき、ここで今、進行していただいている御議論との関わりも非常に深い部分というのはたくさんありますので、それをまず御説明させていただき、質疑の中でご疑問の点も明らかにしていくというのは、本日最低限必要なことだったのではないかと思います。

その中で特に、今、教育の質的転換の在り方の問題とか、先ほどから出ておりました学修環境の整備とか、あるいは入試の問題などもこれから関わってくるかと思いますが、いろいろな意味で、今御審議いただいてくることに非常に関連している部分があるということで、本日は御説明をさせていただいたということですので、これについて丸ごと御審議いただくということではないわけですので、これからいろいろ、この点については特に御議論いただきたいということを仕分けながら、また国家的な御議論の進め方というのをお願いを申し上げたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

【納谷委員学校法人明治大学学事顧問)

それで、もう一つお願いなのですが、国家戦略会議っていうところは国の在り方を決めていく場ですから、そういうときに、今の、大学教育の質の転換というのをここでテーマで出されていて、それをベースに本部会で議論しているわけですが、今の日本の国がどういう状態にあるかということの認識が大切で、私は「成熟国家(社会)になった」という認識に切りかえないと、これからの高等教育の在り方の議論はできないと思います。

どうもこういうペーパーを見てくると、産業という言葉があって、大学がある。しかし、このペーパーでは、産業を支える制度、文化も含めてですが、そういうところが欠落と言っては言い過ぎですが、少し薄過ぎる。ですから、そういうことが国家戦略会議できちんと議論されて、そして、それに対して文部科学省がこういう具合にしてもらいたいということを言い合う、そういう場にしてもらいたいと願っています。その行き先の根本のところが決まっていない。歴史認識というのでしょうか、今の日本の国が置かれている状況をどう認識するかということが決まらないと、人材養成の在り方を決めることは非常に難しい。少なくともそこは議論してもらって、こういう方向に行くということにつき、ある程度の合意を線引きしないと、個別論でいくとなかなかまとまっていかないのではないかと思います。私としては、企業(産業)との問題だけで大学教育を論じられても、それは少し今の時代には合わないと思います。

要するに、産業革命以来、メーカー企業がいろいろなものをつくって豊かになった。経済が日本を支えてきたことはよくわかります。ですが、問題は、経済だけで大学教育を議論していったら、やはりどこかに落ち度が出てくるか、少し重大なところが欠けてしまう危険性があるので、そこら辺は十分注意して、これから組み立てていく必要があるのかと思います。そういう点も配慮しながら、今後、いろいろな形でペーパーのつくり方をお願いしたいと思います。こういうペーパーになってしまうと、文字がひとり歩きしていろいろな受け取り方をされてしまうと、我々が一生懸命考えていることが果たして、社会にうまく伝わるのかという心配がありますので、そういう点をご配慮いただければと思います。

【佐々木部会長名古屋経済大学・名古屋経済大学短期大学部学長)

問題が多岐にわたっていますから、議論しているときりがないと思います。私も、この大臣のプレゼンテーションに関して、国家戦略会議ではどういう御議論があったのかということを伺いたいのですが、それを含めて少し簡潔に説明をお願いします。

【文部科学省】

次の大事な議題も控えていますので、簡潔にさせていただきます。

先ほど、納谷委員、林委員がおっしゃったことをしっかり肝に銘じて取り組んでいきたいと思っていますし、やはり国家戦略会議に宿題を返していくというのは、その制約の中でやっていますので、多少、表現ぶりについてはバランスの欠いたところがあったかもしれませんが、そこは気持ちは同じ形ですので、今後しっかり議論する中において、多様性とか、あるいは成熟社会ということを意識した上で議論していきたいと思っています。

それから、国家戦略会議での御議論ですが、基本的には最後に総理のほうから平野大臣が進めた方向でおおむね進めてほしいということ、それから、それにおいては特に今後どう工程でやるのかとか、できるものであれば数字的な目標も含めて目標を明確にしてやっていただきたいということでありましたので、おおむねこういう方向についてのご理解をいただいたと理解しているところです。

【宮崎委員千葉商科大学教授、政策情報学部長)

確認をさせてください。ということは、ここに出てきた個別のいろいろな施策があります。アンブレラ方式であるとか、入試改革であるとか、様々な具体的なことが書いてあるのですが、これは大学分科会でも本部会でも一度も具体的な議論はしたことがないと思うのですが、このままこの方向で決まるということなのですか。それとも、今後ここで議論をして、それはよろしくないということになれば訂正されるものなのか、あるいは新聞によると、システムが決まっても学長の判断で参加しなくてよいと書いてありますが、そうすると、制度が決まってもどこの大学も参加しないというようなこともあり得ることなのか、その辺についてはいかがなのでしょうか。

【文部科学省】

本部会の運営の件ですので、私のほうからお答えをさせていただきますが、入試の在り方については、大学審議会や本分科会においても長年御議論いただいてきたところです。今後、高校の質保証、入試、大学教育改革、この三者を一体とした改革を本分科会において次回以降御議論いただくということになろうかと思っております。

それから、国立大学の在り方につきましては、これはまさに本部会の先生方、いろいろ御意見があろうかと思いますが、少なくとも法人化の際は国公私にわたる大学制度について御議論いただく中教審で御議論いただくというよりは、別途、協力者会議を設けて御議論いただいたという経緯もあります。私ども、先ほど局長が申し上げましたように、そこは仕分けさせていただきたいと思っておりますが、本日後半で御議論いただく学士課程の質的転換というのが当面、本部会においてはしっかりと御議論賜りたいという事柄と思っておりますので、どうぞ引き続きよろしくお願いを申し上げます。

【宮崎委員千葉商科大学教授、政策情報学部長)

そうすると、このアンブレラ方式は決まりということですか。

【板東高等教育局長】

先ほどから御説明をさせていただいておりますように、まだ制度的なことに関わるような話とか、入試のような非常に大きな視野に立ってやらなければいけない話はこれからの議論ということです。そういうことを検討したい、すべきだということについては盛り込ませていただいておりますが、具体的にしかるべき場を活用しながら議論を詰めていくべき事柄、これがもうやり方も含めて決まりという問題ではなく、事柄に応じてはもう予算がついてすぐにでも走り出しているべき事柄というものもありますし、これから検討しなければいけないのです。特に入試の問題などは、今回、初めてこういう検討をしていかなくてはいけないということが検討課題として挙がってきた事柄ですので、また、しかるべき形で中教審として御議論いただくということは考えさせていただきたいと思います。いずれにしろ、本日はこういう課題をこれから検討課題も含めてたくさんありますということを少し御紹介させていただきましたので、今度どういう形で話を進めていくかにつきましても逐次御説明をさせていただきたいと思います。



2012年7月27日金曜日

大学の“学校化”

教育評論家の梨戸茂史さんが書かれた「教育ななめ読み-学校化」(文部科学教育通信 No296  2012.7.23)を抜粋してご紹介します。


本来、大学は「学問」を「教授」する場と考えられてきたはず。ところが今や、中央政府である文部科学省は、大学の「単位」制度の在り方を強調し、勉学時間の確保を強く勧める。

もともと、学校化という用語は、近代が生み出してきた制度に対する批判として用いられてきた。イヴァン・イリイチの『脱学校論』で唱えられた思想で、「学習は本来、自発的・自立的に行うことができる活動であるのに、学校はそれを『教わる』という他律的な活動に還元してしまう」と言う(今井康雄編『教育思想史』有斐閣)。

最近の大学を見ると、その教育が “学校化”しているように思える現象がいろいろ目に付く。

例えば、異様に高い授業への出席率(それ自体は喜ばしいが少しヘン?)。板書が読みにくかったり略語を使えば「読めマセーン」の大合唱(聞いてないのか!と言いたい)。「教科書のどこに書いてますか?」と質問(教科書通りに教えないと文句が出る)。強く言わないと宿題もしないし課題を出さないと勉強しない(学習文化が解体しているし、学習意欲を含む勉学姿勢を含む全般的な意欲が低下)。簡単に言えば、大学がどんどん専門学校化、いや高校化している。大学教員の研究すら、ほとんどが、「授業研究」。すなわち、基礎学力が不足している学生に何をどのように教えたらいいのか?やる気のない学生のモチベーションをどのようにあげたらいいのか? などなど。「とほほ」の現象だらけ。

その原因は、第一に、大学生の学力がかなり落ちたこと。学力だけでなく「やる気」のない学生も増えた。第二に、それと同時に学生の精神年齢も低下している。第三には、文部科学省が大学に対して、学士力(大学生として当然身につけるべき学力)を保証し、それを証明する大量の書類を提出せよなどというようなことを要求していることと関係していそうだ。教員も政府も、大「学生」を「高校生」だと思っている?(確かに、昔は、ひどい授業も多かった。休講の方が多かったり、研究が大事、学生を教育しようなんてこれっぽっちも思っていない先生も少なくなかったから、そこに回帰するのは間違いではあろう)。

さらに、「出席原理主義」は、毎回授業の出席カードに先生から受講生全員にコメントを記すことの義務づけや、欠席した学生には授業後に電話をいれなければならないところまで進行する。IT時代になったので、学生証がICカードになり、それを壁の機器の前にかざすことで出席の登録が行われ、一定時間が過ぎれば「遅刻」が記録される。教室を出る時は、もう一度、機器に触れると、退席が記録。(うっかり早く授業を終わろうものなら、教員の熱意が疑われそうで、怖い・・・。ここまでIT化しているのに、半面、学生への連絡は昔ながらの「掲示板」での掲載しかないというのだから時代遅れだ)。

確かに、いかにおしゃべりさせずに話を聞かせるか? どうやって興味をもたせるか? という教育技術的な工夫をしている方々は少なくないだろう。でもそれは枝葉的なもの。本質はやはり『授業の内容、教師の人間的魅力』そして、『授業で話される研究の面白さ』でしょう。それこそ、大学の醍醐味。研究と教育の二本の柱を持つ大学教育ではないか。

「教育(授業)優先」が進み過ぎると、この先、優れた授業やその方法をマニュアル化する方向になるかもしれない。そのうち、小・中・高校のように、「指導計画」「指導案」を毎回書いて提出せよとなるのか? 文科省様、ちょっとやり過ぎでは?



2012年7月25日水曜日

行動を継続させる承認

日本私立大学協会私学高等教育研究所研究員の岩田雅明さんが書かれた論考「行動をマネジメントする」(文部科学教育通信 No.295 2012.7.9)をご紹介します。


目標と行動を明確に示す

望ましい行動を引き出すためには、どこに向かって進もうとしているのかが分かる明確な目標が不可欠である。現状、全ての大学が単年度の事業計画を策定しているし、多くの大学では中長期の計画も策定されている。その中に書かれている目標等は、読めばその内容を十分に理解できるものであるという点では明確であるといえるが、行動を起こさせるという観点からすると、まだまだ明確さが不十分なものが多いように感じられる。

例えば、事業計画、中長期計画の中で「広報活動をより充実させる」というような項目をよく目にすることがある。確かに、書かれている事柄自体は良く理解できる。しかし、広報活動の範囲は大変広いものである。その中で充実させたいところは、例えば前に広報戦略のところで述べた、受験生の大学選択プロセスの、大学を認知するところなのか、あるいは受験へとつなぎ止めるところなのか、といったことが明確でないと、行動にはつながりにくいのである。それは部門の実行計画に盛り込んであるという大学ももちろん多いとは思うが、そうでない場合には、広報活動の特に認知の部分を強化するとか、弱いプロセスを調査し、それを強化するといったように、何をしたらいいのかが分かる計画にしていくことが大切である。

また、具体的な目標設定になっていない場合には、その達成度を図ることが困難になる。目標に対してどこまで進んでいるのかが分からないという目標設定では、行動を起こしにくいし、起せたとしても行動している人の意欲を徐々に低下させることになる。何合目まで登ったのかが分からない登山であるとしたら、登る気にもならないだろうし、登り始めても登り続ける意欲を保ち続けることは困難であろう。

そして、客観的に達成度が図りにくいということは、当然ながら評価することも困難ということになる。行動が評価されないということは、行動している人にとってのメリットが感じられないということである。また、評価されないということは、その行動は組織にとって重要なものではないということを示していることにもなる。これでは行動は生じてこないであろう。

新しいシステムを導入し、そのシステムに各自の行動記録や、そこから得られた気づきを入力し、組織のノウハウとして蓄積していこうというような試みは、多くの大学でも行われているのではないだろうか。それがうまく機能しない大きな理由の一つが、その行動が評価されていない、つまり、してもしなくても同じということになっていることである。人間誰しも、メリットのない負担は負いたくないものである。


行動を起こし、継続させる

立派な戦略があっても、それを実行に移すことのできる組織能力がないと成果が出ないということはこれまでも何度か述べてきた。過去に支援した大学等でも、こうしたらいいという戦略を伝えると非常に納得してもらえるのであるが、次回にどうでしたかと聞くと、まだ着手していないというケースが殆どといっていい状況であった。

さまざまな戦略は大学経営に関する本でも紹介されているし、セミナーで学ぶこともできる。改革に成功した大学の事例も、聞いたり調べたりすることもできるのである。そして多くの人は、そのような方法で戦略については既に学んでいるのではないだろうか。それを組織としての行動に結び付けていけないのは、なぜなのだろうか。

大学は組織体であるから、一人の人がいくらやる気になっても、他の人も同じようにやる気になってくれなければ組織としての行動を引き出すことはできない。ましてや、一人もやる気を持った人のいない組織であれば、動きようがないことになる。ではどうしたらやる気を引き出して、行動を起こすことができるのであろうか。あまり好ましい方法ではないが、動きの鈍い組織の場合は刺激剤として、現状分析と将来予測により危機感を共有させることである。入学者数が減ってきている大学であれば、将来成り立たなくなることをデータで示しやすいであろうし、まだ入学者はそれほど減っていない大学でも、入学者のレベル低下の兆し等があれば、そこから将来の定員割れを予測できるであろう。このようにして将来に対しての危機感を繰り返し告知し、徹底して共有させるのである。それでも全員に危機感を感じてもらうことは困難であろうが、少なくともこれからある程度の期間、大学に生活を依存していく教職員の多くには共有してもらえるのではないだろうか。

ただし、危機感だけでは暗い雰囲気になってしまうので、そこを出発点として、次は大学の明るいビジョンを描いていくのである。その際に必要な視点が、学生(在学生、卒業生)の幸せ、教職員の幸せ、社会から愛される大学であるということである。この視点をもとに教育プログラムや学生支援プログラムを設計し、それを実行し、その状況や成果を社会にきちんと伝えていくのである。このような活動が展開できれば、状況は間違いなく改善されていくのである。

この中で問題となるのが、行動を継続させていくことである。危機感を感じ、意義あるビジョンを描くことで行動を引き出すことができても、それを継続させていくことが、なかなか難しいのである。組織としての行動は起きても、その中身を見れば、当然ながら、やっている人とやらない人がいることになる。このような状況の中で、どのようにして行動を継続させるかである。

行動科学分野には、人間の行動を説明するABCモデルというものがある。A(Antecedents)が誘発要因、B(Behavior)が行動、C(Consequences)は行動結果である。誘発要因により行動が引き出され、それに対してある結果が生じるというものである。例えば、会議において、上司の「今日は普段考えていることを遠慮なく言ってくれ」という発言が誘発要因で、その結果、出席者が発言するということが行動となる。そしてその発言に対しての上司の反応が行動結果ということになる。ここでどのような行動結果となるかによって、行動がまた生じてくるかどうかが決まるのである。上司が「いい意見だ。参考になるよ」と言えば、その発言者は発言するという行為を繰り返し行うようになるし、逆に「何、夢のようなことを言っているんだ。頭を冷やして来い」と言われたら、二度と発言をしないようになるだろう。すなわち行動を継続させるためには、行動結果を適切に管理していくことが重要なのである。

ところが多くの組織では、行動結果よりも誘発要因づくりに力を入れているところが多いのではないだろうか。例えば経費節約、高校訪問何百校といったスローガンや、事業計画などの誘発要因は一生懸命つくっているが、行動結果については適切なマネジメントができていないということはないだろうか。行動に対して適切な評価や承認というものが与えられていないと、やってもやらなくても同じということになり、当初あったやる気も消えていってしまい、行動が継続していかなくなるのである。

昇給・昇格といった評価・承認ももちろん必要であるが、それと同じく重要なのが日常の評価・承認である。研究によれば行動から一分以内のコメントが、最も行動の継続を強化するとのことである。


2012年7月22日日曜日

大学改革-文部科学省と大学は、内向きではなく外向きの議論を進めてほしい

桜美林大学大学院・大学アドミニストレーション研究科教授の山本眞一さんが書かれた大学改革の陥穽-大学改革実行プランを考える」(文部科学教育通信 No.295 2012.7.9)をご紹介します。



国家戦略会議に大学改革案が

近年、大学改革のピッチが上がってきている中、それをさらにプッシュする出来事が起きた。去る6月5日、文部科学省は「大学改革実行プラン」を公表し、わが国が直面する課題や将来想定される状況をもとに、目指すべき社会、求められる人材像・目指すべき新しい大学像を念頭におきながら、大学改革の方向性を取りまとめることになった。このプランは、前日の「国家戦略会議」に報告されたものであり、当日の主要議題は教育システム改革、グローバル人材育成の推進であった。ちなみに、この国家戦略会議は、税財政の骨格や経済運営の基本方針等の国家の内外にわたる重要な政策を統括する司令塔並びに政策推進の原動力となるべく、平成23年10月21日の閣議決定に基づき設置されたもので、内閣総理大臣を議長、内閣官房長官および経済財政政策を担当する国家戦略担当大臣を副議長、主要閣僚や有識者を構成員としている。

この大学改革プランの骨格は、二つの大きな柱と八つの基本的方向性から構成されている。第一の柱は「激しく変化する社会における大学の機能の再構築」であり、①大学教育の質的転換、大学入試改革、②グローバル化に対応した人材育成、③地域再生の核となる大学づくり、④研究力強化(世界的な研究成果とイノベーションの創出)、第二の柱は「大学のガバナンスの充実・強化」であり、⑤国立大学改革(大学間連携の促進、大学の枠を越えた再編成等)、⑥大学改革を促すシステム・基盤整備、⑦財政基盤の確立とメリハリある資金配分の実施(私学助成の改善・充実~私立大学の質の促進・向上を目指して)、⑧大学の質保証の徹底推進(数学・経営の両面から私立大学の質保証の徹底推進と確立)である。また、これらは平成24年度から直ちに計画的に実行し、改革始動期(24年度)、改革集中実行期(25・26年度)、取組の評価・検証、改革の深化発展(27~29年度)と三つに区分してPDCAサイクルを展開する、としている。

マスコミからの批判も

このような内容をもつ大学改革実行プランは、その詳細多岐にわたる内容の問題とともに、トップダウン的に文部科学省から発表されたものであって、当然反発も強いようである。日本経済新聞の6月18日付け教育欄では、「短兵急な集約」、「設置認可など見直し、官僚統制強まる恐れ」などの見出しでその問題点を指摘している。また、6月20日の朝日新聞「記者有論」で社会部の山上浩二郎記者は、「大学が外からの注文に従うだけでは、予算配分に誘導されたやらされ改革になってしまう」など問題点を指摘し、6月23日の同社社説では「大学改革-減らせば良くなるか」との見出しで大学の統廃合促進策を批判している。

私には、今回の大学改革実行プランを見て、2001年の遠山ブランとの類似性が思い浮かぶ。それどころか、遠山プランは主として国立大学を念頭に置いていたようだが、今回の大学改革実行プランは、国立大学の具体的改革策とともに、教学・経営の両面にわたる私学経営の改革と質保証にまで対象が拡大している。また、これまでの政策は規制緩和が一大基調であったはずが、今回の大学改革実行プランはむしろ資源の重点配分を梃子にした規制強化へと舵が切られようとしている点で、注意を要する。少しでも多くの資源獲得をと焦る大学が増え、本来ならば自主自律であるはずの大学の立場をますます弱めることになりはしないかと危惧されるところである。

これに関連して、若干思うところをいくつか指摘しておきたい。第一は、大学改革の策定サイクルとの関連である。周知のごとく、現在の大学改革の主要な柱は2004年前後に相次いで開始された、国公立大学の法人化、すべての大学を対象とする認証評価制度、それに各種の大学院教育振興政策であろう。これらの政策はその開始以来まだそれほどの年月が経過しておらず、いわば第一ラウンドが終わってようやく中盤に差し掛かろうという時期であって、その成否の評価はこれからのことである。そのような過渡期にこれに重畳するような新たな改革策を打ち出すのはなぜだろうか。

改革の構造自体にも問題が

第二に、高等教育政策のあり方との関連である。大学の教育・研究はさまざまなルートを経て経済・社会・文化の振興に役立つものである。したがって政府が大学を何らかの方法で支えることが公益にかなうことは当然のことである。旧文部省が大学の自主性を最大限に認め、十分とは言えないまでもその自主性に見合う資源配分制度(特別会計や私学助成)を維持してきたことは、基本的には正しいことであった。このように大学の教育・研究の維持発展を図ることが国の政策の基本にあると思うが、かつての遠山プランや今回の大学改革実行プランは、むしろ改革そのものが政策であるかのような印象をわれわれに与えるものである。理想を言えば、改革そのものは、学生や産業界さらには地域のニーズや要求をシグナルにしつつ、大学自体のイニシアティブによって実行されるべきものである。政府の役割はその「市場メカニズム」の欠点を補うところにあるのではあるまいか。その意味で、政府がグランドデザインを描き、大学がそれを実行するという図式は、グローバル化時代ならではの強さが求められる大学にはふさわしくない気がしてならない。

第三に、この大学改革プランが国家戦略会議に提出されたところから見て、予算がらみの事情が背景にあるのは間違いあるまい。何が背後に控えているのかは言うまでもないことだろうが、長期的な視野から育てていかなければならない大学というシステムに、他の行政分野を含めた熾烈な資源分捕り競争のメカニズムを適用し、短期間で結果を出さなければ資源が回らないという仕組み自体を問題にしなければならない。文部科学省と大学とは一致結束して、内向きではなく外向きの議論を進めてもらいたいものである。

いずれにしても、この問題は一回の原稿では書ききれない広がりを持っている。今後、毎回連続とはいかないまでも、できるだけ間隔を詰めていくつかの論点に分けて論じたい。終わりに図表1(略)と図表2(略)をご覧いただきたい。図表1は、大学システムは多様な性格を有していることを示す。今回の大学改革実行プランはこのさまざまな性格に対応しているとは思うが、予期せぬ副作用を及ぼさないよう、くれぐれも注意が必要である。

図表2は、改革は常に抜本改革だけが最善とは限らないことを示す。問題が小さい場合は、システム全体の改革よりも個別の問題に適時適切に対応する対症療法の方が、全体の体力維持には役立っものである。今回は、この点についてもとりあえず問題提起のみにとどめておきたい。


2012年7月21日土曜日

国立大学法人の「進化」とは

教育評論家の梨戸茂史さんが書かれた「教育ななめ読み-大学ホールディングス」(文部科学教育通信 No.295 2012.7.9)をご紹介します。


なかなかのアイディアである。2012年6月4日付けの読売新聞によると、「文部科学省は、都道府県を超えて国立大学の学部の再編を進める方針を固めた」そうだ。この構想、「一つの国立大学法人の下で複数の大学の学部を集約し、例えばA大は医学部と理工学部、B大は法学部と経済学部、C大は文学部に特化することなどを想定している。予算や設備、人員を学部ごとに集中させて教育の質を高め、優秀な人材を育成する狙いがある。

文科省は、政府が4日に開く国家戦略会議(議長・野田首相)で方針を報告した。年度内に基本方針を策定したうえで2013年夏をめどに具体案をまとめ、2014年の通常国会に国立大学法人法の改正案を提出する方向とのこと。

現在は、一つの国立大学法人が一つの大学のみを運営できると定めており、都道府県ごとに様々な学部をそろえた総合大学が設立されている。新制度は、一つの国立大学法人が複数の国立大を運営できるようにする。これは、民間企業の「持ち株会社型」法人ということになる。この下に各会社ならぬ大学がぶら下がればいわゆる「アンブレラ」方式だ。また、同時に学長と法人理事長が別々に置くことができて、経営と数学が別になって、『私学』方式にも近い。

明治時代の、『法科大学』や『工科大学』などや、英国のカレッジを彷彿とさせる方式ではないか。面白いことを考えたものだ。「予算や設備、人員を学部ごとに集中させて教育の質を高め、優秀な人材を育成する」と言う。確かに、限られた資源を十ニ分に活用するにはある程度、集約することは意味がある。物的にも人的にも、経営の立場からはそれが最適だろう。

これは、流行の、ホールディング方式。傘下にいくつかの会社を置いて、全体は一つの会計で統一する。これが違った業種の会社なら両社は存続する可能性は高い。子会社を対等な立場に置いて競争させる意味もある。同じ業種の場合は微妙だ。大銀行で個人向けと企業向け、証券など分野を分けて各社が経営される場合もある。大学で言えば、アメリカの州立大学方式かもしれない。カリフォルニア州立大学の場合、バークレーやロス、サンディエゴなどに「分校」がある。それぞれ独自に競い合い立派な業績を上げているやに見える。

県をまたいだ「国立大学法人」は、少なくとも、大学(法人)数は減らしたことになる。永田町に向かって、文科省も“協力”を打ち出せるメリットは少なくない。良いアイデアの所以でもある。

しかし、この新方式は将来、どのように動いていくのか? これだけでは情報としては乏しい。想像力を駆使して?思うところを述べたい。

まず、物とは違って、人間そのものは簡単に納得しない。右から左に動かせないのだ。その意味で「集中方式」は機能しないかもしれない。そして、企業を見ると、同じ業種の数社が合併した場合など、数年で、今度は傘下の会社を一緒にしようとする。建前は『効率化』だ。少なくとも総務や人事、会計などの部門は重複するのでムダである。次にやってくるのは、傘下の大学を「分校」にする。最初の二大学は、一つに集約されたことになる。いっそ、全国立大学を『日本国立大学法人』にしたらいい。めでたし、究極の国立大学数となろう。

ところで、一度決めると、どんな政権になっていようと『自動的』に動くのが官僚機構。以前の首都移転話を思い出してほしい。そこに配置された官僚は、必然的に予算を取り、会議を動かし、ことを進めようとする。まるで自動機械(ロボット)だ。そうして、国立大学は縮小から消滅の道を歩む。これは『進化』なのだろうか。


2012年7月19日木曜日

国大法人教職員の給与格差拡大

去る7月13日(金)に、第6回行政改革実行本部が開催され、「独立行政法人等の役職員の給与見直し」が議題とされたようです。

配付資料はこちらのとおりですが、これによれば、国立大学法人(大学共同利用機関法人を含む90法人)中、7月1日時点で、役員報酬の見直しを既に実施した大学は84大学(93%)職員給与の見直しを既に実施した大学は78大学(87%)であり、労使交渉中等により未だ実施していない大学が12大学(13%)あるようです。

ちなみに、未実施大学は、資料によれば、北海道大学、室蘭工業大学、帯広畜産大学、福島大学、千葉大学、東京大学、山梨大学、浜松医科大学、京都大学、京都教育大学、九州大学、熊本大学となっており、財政力豊かな旧帝国大学が入っている(=給与減額の実施幅が小さい)ことに違和感を感じる大学関係者も少なくないのではないでしょうか。

法人化以前には同じ国家公務員であった国立大学教職員の給与水準の格差が次第に拡大しています。文部科学省の旧帝国大学への指導力不足を指摘する声も聞こえます。いつまでもこのような状態を放置し続けるわけにもいかないのではないでしょうか。大学だけでなく、文部科学省自身も”機能強化”すべきなのかもしれませんね。


(関連報道)独法などの職員給与、86%が削減 1日時点(2012年7月13日 日本経済新聞)

政府の行政改革実行本部(本部長・野田佳彦首相)は13日、独立行政法人などの給与削減の取り組み状況(1日時点)をまとめた。
国家公務員給与の4月からの平均7.8%削減にならうよう求めていたもので、役員は全204法人のうち97%、職員は86%が削減を実施済みだった。
削減幅は各法人が独自に決めているが、全法人が平均7.8%削減した場合には国庫支出は年約700億円抑制できるという。
労使交渉中などで職員の給与削減にまだ取り組んでいない独法は文部科学、厚生労働、国土交通各省が所管する16法人。個別の名称は明らかにしていない。


2012年7月11日水曜日

エンゲージメントを高める

近時、若手社員の離職率の高さが問題視される中、「エンゲージメント」に着目する企業等が増えているそうです。

「エンゲージメント」とは、ある説明によれば、「個人が目指す成長の方向性と組織が目指す成長の方向性がどれだけ連動している関係なのかを表すもの」であり、「組織に対する『ロイヤルティー(忠誠心)』を発展させたような概念」とのこと。

「この会社にいれば、自分のありたい姿に向かって成長でき、しかも、自己実現のための努力が会社のビジョン実現にも貢献できる」と思う社員が多い状態を、「エンゲージメントが高い」というそうです。

「エンゲージメント」を高めるには、個人の仕事の志向性に沿った環境や機会の提供を行う必要があること、そして、多様性や価値観を共有・評価し、自分たちが何をしたいか、どうなりたいかを対話することが重要だそうです。

アメリカの大手調査機関が12項目のエンゲージメントに関する調査を実施、この12項目は124ヵ国、3百万人以上の従業員を対象に行った調査で、業績向上と関連性があると証明された項目だそうです。皆さんの大学ではいくつ当てはまるかを試してみてください。

  1. 私は仕事のうえで、自分が何を期待されているかが分かっている
  2. 私は自分の仕事を正確に遂行するために必要な設備や資源を持っている
  3. 私は仕事をするうえで、自分の最も得意とすることを行う機会を毎日持っている
  4. 最近一週間で、良い仕事をしていることを褒められたり、認められたりした
  5. 上司または職場の誰かは、自分を一人の人間として気遣ってくれている
  6. 仕事上で、自分の成長を励ましてくれる人がいる
  7. 仕事上で、自分の意見が考慮されているように思われる
  8. 自分の会社の使命や目標は、自分の仕事を重要なものと感じさせてくれる
  9. 自分の同僚は、質の高い仕事をすることに専念している
  10. 仕事上で、誰か最高の友人と呼べる人がいる
  11. この半年の間に、職場の誰かが自分の進歩について、自分に話してくれた
  12. 私はこの一年の間に、仕事上で学び、成長する機会を持った
出典: 「つながる組織づくり」岩田雅明(文部科学教育通信 No292  2012.5.28)         


2012年7月10日火曜日

官僚目線の大学改革

日本経済新聞社編集委員の横山晋一郎さんがIDE(2012年7月号)に書かれた「取材ノートから」から引用してご紹介します。

国家戦略会議

6月4日の国家戦略会議で平野博文文部科学相は「社会の期待に応える教育改革の推進」という文書を公表した。「教育改革の七つのポイント」として①小中一貫教育制度・高校早期卒業制度の創設、少人数学級の推進、②大学入試改革、③大学の教育機能の再構築とミスマッチ解消、④英語力・グローバル力の向上、⑤国立大学のミッション再定義と重点支援、⑥学生の75%を占める私学の質的充実に向けた支援・メリハリある配分、⑦世界で戦える「リサーチ・ユニバーシティ」の倍増、地域再生の拠点としての大学の機能強化-を掲げている。

文書には、今後の大学政策の大転換になりそうな内容が多数盛り込まれた。例えば、⑤では、2012年度中に「国立大学改革基本方針」、2013年中頃までに「国立大学改革プラン」をまとめるという。前者で国としての改革の方向性を示し、後者で大学ごとにミッションを再定義し、改革の工程を確定する。具体例として、予算の戦略的・重点的支援の拡大や、一法人複数大学(アンブレラ方式)制度の導入、国立大学法人評価の見直しなどを挙げた。

一部の単科医大の統合などを除けば、国立大学は1949年の新制大学発足時の配置や学部設置を、ほぼそのまま踏襲している。この間の社会の激変ぶりを考えれば、いつまでも60年前の制度がもつはずがない。大胆な再編統合を視野に国立大学の有り様を見直そうという発想は当然だ。だが一方で、国立大学は2004年4月に法人化されている。法人化から未だ9年目か、もう9年目か、立場によって見方は異なるが、2004年度の法人化の総括もないまま、さらなる制度変更に戸惑う人は多いのではないか。

例えば、現行の国立大学法人化制度の基本的枠組みの一つは、一法人一大学と学長の法人長(理事長)兼務である。文書がさらりと掲げるアンブレラ方式は、この原則の否定に他ならない。制度変更を否定するつもりは一切ないが、鳴り物入りで導入した法人化の根幹部分をこうもあっさり否定する政策とは一体何なのだろう。

アンブレラ方式の利点としてまず思い付くのは、同一法人化の大学間で重複部門の統合だ。真っ先に俎上に上がりそうなのが教員養成学部だが、文科省は教員養成の6年制化も検討中で、これには地域にある教員養成学部の活用が欠かせない。工学部も再編統合を求められそうだが、地場産業との産学連携など地域活性化の拠点として工学部への期待は高い。アンブレラにしても再編統合の困難さは変わりそうにない。文科省は、現行制度の問題点をきちんと総括した上で、なぜこの時期に国立大学法人の制度変更が必要なのか、しっかり説明するべきだ。

私立大学への影響も大きい。文書は⑦の関連で「大学の質保証の徹底推進」というページを設け、現状の問題点を指摘する。設置基準=規制緩和で基準を引き下げた、設置審査=抽象的な規程の運用、認証評価=最低基準の確認に留まり法的措置につながらない、法的措置=慎重な運用、経営支援=任意の協力が前提で強制力のある措置が出来ない・・・。厳しい指摘が並ぶ。その上で、今後の実施・検討項目として、設置基準の明確化や設置審査の高度化、認証評価の改善などを掲げる。経営課題を抱える学校法人には実地調査機能を強化し、早期の経営判断を促すとの文言もある。社会変化に対応できない大学等の対象のために、必要により法令上の措置も検討し、「大学としてふさわしい実質を有するものに適切な支援を進める」と結んでいる。

大学が「何でもあり」の状態になっていると憂うる声は、大学内外に多い。大学の質保証は喫緊の課題で、文書の指摘に共感する人も多いだろう。ただ、ここで問題なのは「大学としてふさわしい実質」の有無を、一体、誰が判断するかだ。そこが文書では見えない。恐らくは文科省の審議会などが担うのだろうが、私大の生殺与奪の権を「官」が握る心配はないのか。ある大学関係者は「これは官僚統制の強化だ」と指摘した。大学界の反応が注目される。


2012年7月9日月曜日

教員の適正配置とは

平成24年度予算執行調査の結果が財務省により公表されています。

このうち、国立大学法人を対象とした「国立大学法人の教員数調査(国立大学法人運営費交付金)」についてご紹介します。

公表されている「予算執行調査資料(総括調査票)」によれば、

財務省の問題意識は、「学校基本調査によれば、国立大学の教員数は増加を続けていること」、また、「大学設置基準により収容定員に応じて配置教員数が設定されているが、各大学の教員数を学部別、職種別、常勤・非常勤別などの視点から調査することにより、大学設置基準に比してどのような状況にあるのかをなど、教員数の実態を分析し、適正な教員配置について検討する」ことが目的のようです。

調査は、国立大学法人(86法人)を対象に実施され(回答率:100%)、法人化時(平成16年度)及び直近3ヶ年の専任教員数、常勤・非常勤教員数及び組織別の比較分析とともに、平成24年度教員数について、①設置基準における必要とされる教員数と教員数の対比分析(専任数分析、常勤・非常勤数分析、分野別比較分析)、②外国人教員数の推移及び分野別比較分析、により行われています。

その結果を踏まえた財務省の見解は次のとおりです。今後、概算要求、予算編成等を通じ、各種施策への反映を求められることになることが予想されます。それにしても、これまで設置基準以上の教員数を予算定員と称して措置し続けてきたのは、財務省ではありませんでしたか?

個々の大学の特性を勘案すれば、配置教員数を一律とすることは適当ではないが、調査結果から、大学における適正な教員配置の検討をする必要があるのではないか。
  1. 設置基準上の必要教員数と配置されている教員数との比較結果から、大学では必要教員数以上の教員が配置されている。今後の学部学科の再編等においては教員数の現況を踏まえた検討が必要となる。
  2. 分野別にみると、設置基準上の必要教員数と教員数の対比では、いずれの分野においても設置基準以上であり、最大で約 4.7倍(常勤・非常勤教員数では約3.7倍)となる分野がみられる。特に、個々の分野の特性を勘案しても、教員数が過大となっている分野では教員数の抑制を図るなど、教員の適正配置の観点からの検討が必要となる。
  3. 外国人留学生を増加させるとともに、大学においても外国人教員数を増やし、国際化にも努めているところであるが、多くの分野で外国人教員比率は5%未満と低調になっている。全体の教員数が過大とならないように抑制しつつ、国際競争力が望まれる分野では外国人教員比率を見直していく必要がある。


2012年7月7日土曜日

七夕

今日は七夕です。我が家では朝から子ども達が大騒ぎしながら願い事を書いています。

ちなみに、短冊には、
「家族みんなが、いつもけんこうで、やさしい笑顔でいられますように」
「沖縄にある、アメリカのきちが、なくなりますように。平和をいのって。」
と書かれてありました。

七夕に関連して、とてもいい話に出会いましたので引用してご紹介させていただきます。


七夕の願いごと(2012年7月7日、人の心に灯をともす)

多湖輝氏の心に響く言葉より…

ずいぶんまえのこと、日曜日の朝テレビを見ていると、お医者さんの講演を放送していました。
以下はそのお医者さんの話です。

ある下半身マヒの女性がいました。
その女性は、左手も思うように動かせないので、もちろん、車椅子を自分で動かすこともできません。
外出、お風呂やトイレでの介助など、すべての世話はお母さんの役目になっていました。

ある年のことです。
彼女を含めた障害者の方々のために七夕パーティが、ボランティアの人たちの手で開催されました。
みながとても楽しそうにかざりつけをしていました。

私が、彼女に、「短冊はもう飾ったの?」と聞くと、
「はい、私の願いは一つだけなので、短冊は一つ飾っただけです」と答えました。

「一つだけ?なんて書いたの」と聞くと、

「お母さんより一日だけ早く死ねますようにって書いたんです。
お母さん、ずっと私の世話ばかりだから。
私はお母さんがいないと困ってしまうけれど、お母さんには、
私の世話をしなくてもいい日が一日でもあって欲しいな!って思って」

彼女は笑顔でそう言ったのです。
私は感動してその話を、彼女の母親に伝えました。

すると、彼女の母親は、「私も短冊に願いごとを書いてきますね」と言って、向こうへ行ってしまいました。
飾りつけが終わってから、彼女の母親に、「短冊かざりましたか?」と聞くと、
「ええ、あそこに」と上のほうを指さしました。

ちょっと高い所だったので何て書いてあるのか読めません。
「何て書いたんですか?」と聞いてみると、
「ぜいたくを言わせてもらえば、娘より一日だけ長く生きさせてくださいと書きました」と、
娘さんと同じ笑顔でした。

そして、「自分が楽をするために、一日長くと書いたのではありません。
あの子が安心して天国へ行けるようにと思いまして。
一人ではお手洗いにも行けない子ですからね」と続けたのです。

この親子の絆を強く感じるとともに、その明るさに私は救われました。


『思わずほほえむいい話』PHP


私たちは、今の生活をあたりまえのこととして毎日を過ごしている。

もし、自分一人でトイレにも行けないとしたら…
誰かのお世話にならなければ、食事もできないとしたら…

そう考えたとき、今の生活がどんなにか、ありがたいものであるかがわかる。
些細(ささい)なことで、不平不満を言ったり、怒ったりする自分が恥ずかしくなる。

今あるあたりまえの幸せに気づき、感謝の気持で生きていきたい。



2012年7月5日木曜日

国立大学法人における規制緩和

国立大学法人の出資制限については、これまでも、その緩和を求める声が多く、過去の政府の計画等でも検討課題とされてきました。

先月、文部科学省が公表した「大学改革実行プラン」においても、大学の機能を再構築し、強化す
る視点から、大学間連携のための制度的枠組みの整備を図る方策の例として、出資制限の緩和を取り上げています。

今後、国立大学法人法について、その改正の必要性や改正時期等について、具体的に検討されていくと思われますが、財政力の強い大学だけが恩恵を得るといったことにならないよう慎重な対応をお願いしたいと思います。

国立大の出資規制緩和 大学間の連携促す 来年にも法改正(2012年7月3日 日本経済新聞)

文部科学省は国立大学の出資規制を緩和する方針を固めた。子会社設立や企業への資本参加を可能にするよう国立大学法人法を2013年にも改正。私立大を含めた複数の大学で物品の共同購入会社を設立したり、研究や教養教育を共同で行う組織を設立したりできるようにする。共同事業を機に大学間の連携を促し、競争力や経営効率の向上につなげる狙いだ。

同省は12~17年度を大学改革の集中実行期とし、国公私立や都道府県の枠を超えた地域別・機能別の大学群をつくる方針。私立大は出資が自由な一方で国立大は厳しく制限されていることが共同事業が広がらない要因との指摘があり、見直しが必要と判断した。

今後、国立大学協会を通じて各大学から要望を聞き取り、制度の詳細を詰める。出資対象は大学の業務範囲とするほか、原資も寄付金などに限り、税金である運営費交付金は充てられないようにする方向だ。

同省は地域内の複数の大学で図書や実験薬品・材料を共同購入する会社を作って仕入れコストを引き下げたり、共同で研究所や教養教育を行う組織を設立して教員や研究設備を共有したりすることなどを想定している。

東京大は3月にまとめた秋入学移行構想で、高校卒業から入学までの半年間に学生に多様な体験を積ませる支援組織を産学の共同出資でつくる案を示している。規制緩和でこうした動きも弾みが付きそうだ。

現在の国立大は研究成果を企業に移す技術移転機関(TLO)にだけ出資でき、株式取得もベンチャー企業への技術供与の対価としてしか認められない。TLOに出資したのは東大、京都大など4校で、額も60万~約3000万円にとどまる。

文科省は大学間の連携を促すため、今後も国立大を中心に様々な規制緩和を検討する。1つの国立大学法人が複数の国立大を運営する「アンブレラ方式」などだ。ただ、統廃合につながるとして大学側の警戒感は強い。出資規制の緩和も私立大から反発が出る可能性もあり、同省は制度設計を慎重に進める方針だ。


2012年7月4日水曜日

中教審への提案

このたび公表された、中央教育審議会大学分科会大学教育部会(第15回、平成24年5月21日開催)の議事録を読んで関心を持ったことについてご紹介します。

今回の大学教育部会では、学士課程教育の質的転換のための具体的な取組み、特に「教学マネジメント」の課題に関する意見を聴取するため、5人の有識者が招聘されました。

このうち、NPO法人NEWVERY理事長の山本繁氏からは、大学生の中退予防に取り組んできた立場から、大学に対する提案、あるいは教学IRの実際についての説明が行われました。

特に、説明に用いられた資料「中央教育審議会大学教育部会へのご提案」のうち、「中教審への14のご提案」については、大学現場においても真摯に取り組むべき重要な内容ではないかと思いましたので、該当部分を抜粋してご紹介します。是非ご一読ください。


大学マネジメント層の養成

学生数6000人の大学を運営することは、年商100億円の企業を経営することに値します。
たとえば、夏目漱石の研究を40年されてきた方に、突然100億円企業の経営を担っていただくのはさすがに無理があります。ましてや大学業界は少子化の影響を受け、事業環境は年々悪化傾向です。
改善はボトムアップ、改革はトップダウンがセオリーです。学長を始めとした大学マネジメント層(理事長、理事、副学長、学部長、事務局長、各部局長等)の方々に、非営利組織の経営者としてプロフェッショナルになっていただけるように国を挙げてサポートしていくことをご提案いたします。


大学教員の資格制度

今日、日本の大学には、教育者と研究者とビジネスマンが所属していると言われます。不足していると言われるのは教育者で、中退経験者へのインインタビュー調査でも、教職員への不満の声は多く聞かれました。
幼稚園から高校の先生には、教職課程と教員資格があります。教育者としてのトレーニングを受け、資質を試されます。
大学教育の質保証は、「大学教員の質保証」とも言えます。
大学教員としての資格制度を設けてはいかがでしょうか。
※ 参考文献:「諸外国の大学教授職の資格制度に関する実態調査」(文部科学省)


大学教員の評価制度の変更

日本の大学では、ほぼ年功序列で、長く在籍していれば自然と教授職に就けてしまいます。また、研究・教育の業績と給与との連動もさほど見られません。これでは教員を研究・教育、特に教育活動に駆り立てるのは難しいのではないでしょうか。
教育業績を評価し、人事や給与に反映させていく等の教育に対する動機づけのシステムが必要であるように思います。
良い「先生」が適正に評価される、そのようなシステム構築をご提案いたします。


FDer(ファカルティ・ディベロッパー)の養成

FD活動は全国で行われるようになりました。しかし、実質化にはまだ時間がかかるように感じられます。年に2回程度、有識者を招いて講演をしてもらう程度で、大学が変わるとはなかなかいきません。
FDの実質化には、FDの実務面に長けた専門家が必要です。FDerという専門職です。
愛媛大学の佐藤浩章准教授を始め、わが国でもFDerは育ちつつありますが、まだ圧倒的に足りません。優れたFDerを養成し、彼らが存分に活躍できる環境を個々の大学に生み出していくことが重要です。
そのためには、前述の「評価制度」の導入が不可欠です。
教育業績の評価制度と優れたFDerの存在がセットになることで、日本の大学教育の現場は見違えるほど輝きを放つものになるのではないでしょうか。


大学教員の採用要件の変更

マーチン・トロウが提唱したように、エリート段階、マス段階、ユニバーサルアクセス段階に応じて、大学はその役割を大きく変えます。旧帝大や早慶上智・関関同立などは、依然としてエリート教育の役割を担っています。一方で、全入状態での大学では、極論を言えば、自立支援の役割を担っていると言えます。
大学の役割が異なれば、教員の役割も異なるでしょう。そうであれば、全国一律で同じ採用要件で教員を採用する、というのでは無理があります。特にユニバーサルアクセス段階に到達した大学では、キャリア教育・人間教育を担当できる教員の採用・育成が急務です。例えば「トレーニング能力」に長けた教員です。知識や理論の教授には「ティーチング」が合いますが、その活用や、「○○力」「○○スキル」と表記される能力の継承には「トレーニング能力」が求められます。
今日の大学には多様な人材が必要です。大学がニーズに的確に対応できるように、教員の採用要件もゆるやかに変えていってはいかがでしょうか。


教育情報の公開推進

2011年度から大学の教育情報の公開が始まりました。一歩前進した感じはしますが、中退率、卒業者数を母数にした就職率、就職の質(就職先・勤務形態)といったよりクリティカルな情報は、公開すべき項目に含まれませんでした。これでは「骨抜き」と呼ばれても否定できません。
また、中退率、就職率、就職の質も、学部・学科毎に公表しないと、受験生の参考になる情報にはなりません。同じ大学でも、学科間で比較すると、中退率なら3倍以上の差異があることは珍しくありません。卒業までに中退率10%と30%では、まるで中身が違います。
また、一部の大学では、実際は一般職での採用がほとんどだったのにも関わらず、その違いを明記せずに優良企業の名前を就職実績に羅列してしまっていることがあります。過去3年分の就職実績なのか、過去10年分の就職実績なのかもわかりません。
大学というパブリックな機関の透明性を疑わなければいけない社会で、果たして公共心を持った学生が育つでしょうか。教育者としてプライドを持って、社会のリーダーとして、大学にはより透明性の高い情報公開を求めたいと思います。
また、大学関係者はどこかで「教育に力を入れても学生は集まらない」と考えているように感じることがあります。それは情報と実際の教育の中身が非対称だからではないでしょうか。教育情報の公開推進は、この非対称を改善します。どうかご検討ください。


教学IR機能の強化

大学教育改革に携わるようになって大変驚いたことの一つが、大学マネジメントがエビデンスに基づかず行われていたことでした。マクロレベルでは、大学教員のほとんどは、個々の学生の情報を全くと言ってよいほど知らないのが一般的です。出身高校、高校時代の成績、欠席率、入学ルートといった、高校からの調査書などを参照すればすぐにわかる情報すら、インプットがないのです。また、マクロレベルでは、そもそも自学の中退率等を知らない教員も決して少なくありません。どういう背景を持った学生が自学では辞めやすいのかといった調査・分析も行われていないことがほとんどです。
ですので、PDCAサイクルの前に、基本的なリサーチができていないのです。それでプランを立てていますから、そもそもの前提から間違っていることさえ否定できません。基本的な教学IR(Institutional Research)の機能を各大学に装備することが必要ではないでしょうか。
そして、収集した情報を大学マネジメントに活用するだけでなく、できれば高校関係者とも共有し、一人一人に合った大学選びができるように、マッチング段階から見直していっていただきたいと思います。


学生寮の整備

学生の多様化には、さまざまな要因が挙げられますが、現場レベルで感じる最大の要因は「兄弟の数の減少」です。厚生労働省「21世紀出生児縦断調査」によると、2001年に生まれた子供たちの6人に1人(16.3%)が一人っ子だそうです。1960-70年代は6~7%だったそうですから、それと比べると2.5倍増したことになります。(次頁参照)
暑い夏の日に家に帰って冷蔵庫を開けたらアイスが1本しかない。しかし、後ろには兄弟が2人いる。リビングでのリモコン争い。喧嘩の経験。仲直りする経験。居眠りしている妹に毛布をそっと掛けてあげる経験。兄弟の友達と仲良くする経験。兄弟が多いことで生まれる多様な経験が、「兄弟の数の減少」によって失われています。
子どもたち、若者たちのコミュニケーション能力、忍耐力、協調性といった人間力・社会人基礎力の低下はやはり問題です。そこで学生寮の整備をお願いしたいと思います。
社会に出る前に、同年齢の人たちと一定期間「集住する」機会を広く与えてあげたいと思うからです。兄弟の数は自分ではコントロールできません。そしてできれば、ワンルームマンションのような個室ではなく、二人部屋で、リビング、キッチン、バスルーム、トイレなどは共有する形が理想です。
アメリカで教育大学と呼ばれる「リベラルアーツカレッジ」のほとんどは全寮制です。学生寮が人間教育の場、リビングラーニングコミュニティとして位置づけられているのです。
日本でも中・高・大で学生寮を増やし、多様な経験を可能にすることはできないものでしょうか。


休学コストの負担減

学生たちが将来に向け多様なキャリア形成の機会を経験することや、海外経験を積みやすくするために、休学コストの負担減をお願いいたします。
大学を1年休学して企業やNPOで一度働いてみる、海外留学する、海外のNGOで働いてみること等への学生たちの関心は、年々高まりつつあります。
一方で、多くの私立大学では、大学を休学する際、学費の1/2~1/3相当を大学に納めなくてはなりません。そのために休学を断念せざるを得ない学生が多くいることは、まだあまり知られていない事実です。
休学生からは授業料等を徴収しない、それだけで学生たちの挑戦のハードルはぐっと低くなります。
「休学コストの負担減」は、今すぐにできるキャリア教育の強化策、グローバル化への対応策です。どうかご検討ください。


給付型奨学金の拡充

私立大学生の仕送り額は年々減少しつつあります。
東京私大教連「私立大学新入生の家計負担調査」によると、1996年に12万4400円だった私立大学生の毎月の仕送り額は、2007年には9万5900円まで減少しました。家賃を除いた生活費も、1996年に6万8000円だったのが、2007年に3万6700円まで減っています。(次頁参照)
近い将来起こるであろう消費税アップや水道光熱費の値上げ等を考慮すると、もはや大学進学率自体が下降傾向に入っても驚けません。実際にお隣韓国では、短大を含む大学進学率は2005年に82.1%まで上昇しましたが、2011年には72.5%に低下しています。経済不況や就職難がその主な理由です。
また、年間11万人を超える日本の大学・専門学校中退者のうち、経済的困窮を理由としたものは約1割、毎年1万人にも及びます。(「中退白書2010」)
現在の高等教育卒業率を維持するには、もはや給付型奨学金の拡充以外には手段はないのではないでしょうか。
若者は次の日本です。ぜひ若者への積極的な投資をご検討ください。教育ほどレバレッジの効く社会的投資はありません。


編入・転部・転科・転コースの自由化

大学入学前に、大学でやりたいことを見つけるのは、困難です。
「やりたいこと」と「やってみたいこと」は違います。「やりたいこと」とは、本来、やってみた上での「やりたいこと」ですから、やってみないで「やりたい」と思うのは、幻想にすぎません。ですから、「やってみたらやっぱり違った」ということが起きます。
現代の受験生、高校の進路指導担当者、保護者は、この点を誤解している場合があります。「やりたいこと」と「やってみたいこと」を混同しているのです。
法学を勉強したいかどうかは、法学を勉強してみないとわかりません。経済学、文学、工学、理学、農学、教育学しかりです。ですから、学生と学部・学科・コースのミスマッチは必ず起きるものです。
ミスマッチが起きることを前提に考えると、取るべき対策はシンプルです。編入・転部・転科・転コースを自由化することです。編入まで含めると、心理的抵抗があるかもしれません。
それであれば、転部・転科・転コースから始めてもかまいません。
あるいは、2年次までは教養学部で、3年次から各学部に分かれてもよいかもしれません。
高校3年生の時に、自分が何を学びたいか、決められる人はむしろ少数派です。
転部・転科・転コースの自由化により、ゆっくりと、深く、多様な経験を積みながら、自己と対話し、自らの将来像を描いていくことが可能になります。


NPO等と連携した休学者への復学支援等

消極的に休学者した学生の復学率が全国的に低調です。私の知る範囲では、休学者の復学率は4割以下、卒業率は2割以下です。
大学は、休学届を受理した後、休学した学生に何かしらの働きかけを行っていることは稀です。休学者には、復学時期が近づくと、一通の封書が届きます。復学ガイダンスの案内です。それだけが、休学している学生への働きかけです。
留学や長期インターンシップなどを経験する積極的休学者への対応ならそれでも良いかもしれませんが、積極的休学者は日本の大学では例外になります。ほとんどが、大学に通えなくなったり、通う目的を見失った消極的休学者です。彼・彼女らには、フリーター・ひきこもり支援などのノウハウを有するNPO等の支援が必要である場合が多くあります。しかし、現状では、NPO等との連携は進んでいません。
大学との連携を進めていきたいと考えているNPOは多く、大学側に受け入れ態勢が整えば、大いに進展・発展していく可能性を感じます。
教育GPのような形で政策誘導し、多くの事例を積み重ねていく中で、大学・NPO双方に協働のノウハウが蓄積されていくことでしょう。
大学とNPO等との連携は、初年次教育やキャリア教育、就職支援などの点でも効力が期待できます。まずは休学者の復学支援などから、始められないでしょうか。


中退者・進路未決定者のための学びの場

大学・専門学校からの年間中退者数は11万6千人、進路未決定者数は大学だけで10万7千人に及びます。
中退、または卒業後、正規の職に就かなかった人の約6割はその後一貫してフリーターか無職です。
中退者・進路未決定者は、新卒採用枠から外れ、中途採用枠での採用になります。中途採用は原則、経験者採用のため、経験の乏しいただ若いだけの人は敬遠されがちになります。そのため、フリーター・無職の状態が固定化しやすいのだと言えます。
中退者や進路未決定者のための学びの場が求められています。NEWVERYでは昨年から豊島区と協働し、若者に特化した生涯学習事業「おとな大学」を開校しました。「働く力」と「他人と信頼関係や愛情・友情関係を築く力」を習得する場づくりを進めています。
雇用環境や家庭環境が悪化する中、若者向けの生涯学習事業が、これから益々求められるのではないかと思っています。


芸術起業センターを主要都市に開設

クリエイティブ産業は、日本が21世紀に世界で戦える市場の一つと言われ、日本政府は「クールジャパン戦略」を推進しようとしています。
しかし、日本のクリエイターやアーティストの教育・支援には、課題も多くあります。特に課題なのは、「作品の作り方」の教育に偏りすぎており、「作品の売り方」、もっと言えば、一人の個人事業主や事務所・プロダクションの経営者として必要な力の教育を全くと言ってよいほどしてこなかったことです。
日本が「クールジャパン戦略」の手本としているイギリスの「クール・ブリタニア」(ブレア政権)では、芸術家に対するビジネス面でのサポート(起業支援等)が積極的に行われました。近年中国でも社会起業家やクリエイターのインキュベーションセンターが主要都市に見られるようになっているそうです。
NEWVERYが東京で運営している若手漫画家の支援事業「トキワ荘プロジェクト」でも、漫画の描き方ではなく、漫画家のなり方に着目し、支援を拡充してきました。このようなアーティスト・クリエイターを対象にしたビジネス教育・ビジネス支援が、各ジャンル(映画、演劇、ダンス、アニメ、ゲーム、ファッション、音楽、美術、現代アート等)で、求められています。
芸術大学、公立文化施設、生涯学習センターなど、様々な実施主体による力強い支援が可能となるような政策の立案をご提案します。若いアーティスト・クリエイターの卵を、夢追いフリーターと揶揄するのではなく、積極的に教育・支援していくことが、文化立国の実現を可能にするはずです。



また、山本氏は、「教学IR]についても、次のような重要な指摘をされています。詳細については議事録をご確認ください。

私も教授会なんかも参加させていただく機会が結構あるのですが、皆さん、経験とか勘で物事をおっしゃることが多くて、議論がまとまらずに何も決まらないということが結構あるのです。
物を決めるための素材がないから決まらないのだと思うのです。ですので、必要なエビデンスをしっかりそろえて、共通の素材に基づいてロジカルシンキングをしていくと、皆さんの合意形成が図れるということで、現状把握においても非常に重要ですし、それだけではなくて、組織の意識統一、議論をして物事を決めるということにおいて、この教学IRというのは極めて重要なツールではないかと思っていまして、それを言葉で話すよりも、具体的な数字を見ていただいてイメージを持っていただけたらと思って、こちらの資料を持ってまいりました。
こういったことができる人材、これはふだん私が調査するものの5分の1ぐらいなのですが、こういうことができる人材を育てていくということがこれからの大学教育において非常に重要ではないかと思っております。