2012年7月22日日曜日

大学改革-文部科学省と大学は、内向きではなく外向きの議論を進めてほしい

桜美林大学大学院・大学アドミニストレーション研究科教授の山本眞一さんが書かれた大学改革の陥穽-大学改革実行プランを考える」(文部科学教育通信 No.295 2012.7.9)をご紹介します。



国家戦略会議に大学改革案が

近年、大学改革のピッチが上がってきている中、それをさらにプッシュする出来事が起きた。去る6月5日、文部科学省は「大学改革実行プラン」を公表し、わが国が直面する課題や将来想定される状況をもとに、目指すべき社会、求められる人材像・目指すべき新しい大学像を念頭におきながら、大学改革の方向性を取りまとめることになった。このプランは、前日の「国家戦略会議」に報告されたものであり、当日の主要議題は教育システム改革、グローバル人材育成の推進であった。ちなみに、この国家戦略会議は、税財政の骨格や経済運営の基本方針等の国家の内外にわたる重要な政策を統括する司令塔並びに政策推進の原動力となるべく、平成23年10月21日の閣議決定に基づき設置されたもので、内閣総理大臣を議長、内閣官房長官および経済財政政策を担当する国家戦略担当大臣を副議長、主要閣僚や有識者を構成員としている。

この大学改革プランの骨格は、二つの大きな柱と八つの基本的方向性から構成されている。第一の柱は「激しく変化する社会における大学の機能の再構築」であり、①大学教育の質的転換、大学入試改革、②グローバル化に対応した人材育成、③地域再生の核となる大学づくり、④研究力強化(世界的な研究成果とイノベーションの創出)、第二の柱は「大学のガバナンスの充実・強化」であり、⑤国立大学改革(大学間連携の促進、大学の枠を越えた再編成等)、⑥大学改革を促すシステム・基盤整備、⑦財政基盤の確立とメリハリある資金配分の実施(私学助成の改善・充実~私立大学の質の促進・向上を目指して)、⑧大学の質保証の徹底推進(数学・経営の両面から私立大学の質保証の徹底推進と確立)である。また、これらは平成24年度から直ちに計画的に実行し、改革始動期(24年度)、改革集中実行期(25・26年度)、取組の評価・検証、改革の深化発展(27~29年度)と三つに区分してPDCAサイクルを展開する、としている。

マスコミからの批判も

このような内容をもつ大学改革実行プランは、その詳細多岐にわたる内容の問題とともに、トップダウン的に文部科学省から発表されたものであって、当然反発も強いようである。日本経済新聞の6月18日付け教育欄では、「短兵急な集約」、「設置認可など見直し、官僚統制強まる恐れ」などの見出しでその問題点を指摘している。また、6月20日の朝日新聞「記者有論」で社会部の山上浩二郎記者は、「大学が外からの注文に従うだけでは、予算配分に誘導されたやらされ改革になってしまう」など問題点を指摘し、6月23日の同社社説では「大学改革-減らせば良くなるか」との見出しで大学の統廃合促進策を批判している。

私には、今回の大学改革実行プランを見て、2001年の遠山ブランとの類似性が思い浮かぶ。それどころか、遠山プランは主として国立大学を念頭に置いていたようだが、今回の大学改革実行プランは、国立大学の具体的改革策とともに、教学・経営の両面にわたる私学経営の改革と質保証にまで対象が拡大している。また、これまでの政策は規制緩和が一大基調であったはずが、今回の大学改革実行プランはむしろ資源の重点配分を梃子にした規制強化へと舵が切られようとしている点で、注意を要する。少しでも多くの資源獲得をと焦る大学が増え、本来ならば自主自律であるはずの大学の立場をますます弱めることになりはしないかと危惧されるところである。

これに関連して、若干思うところをいくつか指摘しておきたい。第一は、大学改革の策定サイクルとの関連である。周知のごとく、現在の大学改革の主要な柱は2004年前後に相次いで開始された、国公立大学の法人化、すべての大学を対象とする認証評価制度、それに各種の大学院教育振興政策であろう。これらの政策はその開始以来まだそれほどの年月が経過しておらず、いわば第一ラウンドが終わってようやく中盤に差し掛かろうという時期であって、その成否の評価はこれからのことである。そのような過渡期にこれに重畳するような新たな改革策を打ち出すのはなぜだろうか。

改革の構造自体にも問題が

第二に、高等教育政策のあり方との関連である。大学の教育・研究はさまざまなルートを経て経済・社会・文化の振興に役立つものである。したがって政府が大学を何らかの方法で支えることが公益にかなうことは当然のことである。旧文部省が大学の自主性を最大限に認め、十分とは言えないまでもその自主性に見合う資源配分制度(特別会計や私学助成)を維持してきたことは、基本的には正しいことであった。このように大学の教育・研究の維持発展を図ることが国の政策の基本にあると思うが、かつての遠山プランや今回の大学改革実行プランは、むしろ改革そのものが政策であるかのような印象をわれわれに与えるものである。理想を言えば、改革そのものは、学生や産業界さらには地域のニーズや要求をシグナルにしつつ、大学自体のイニシアティブによって実行されるべきものである。政府の役割はその「市場メカニズム」の欠点を補うところにあるのではあるまいか。その意味で、政府がグランドデザインを描き、大学がそれを実行するという図式は、グローバル化時代ならではの強さが求められる大学にはふさわしくない気がしてならない。

第三に、この大学改革プランが国家戦略会議に提出されたところから見て、予算がらみの事情が背景にあるのは間違いあるまい。何が背後に控えているのかは言うまでもないことだろうが、長期的な視野から育てていかなければならない大学というシステムに、他の行政分野を含めた熾烈な資源分捕り競争のメカニズムを適用し、短期間で結果を出さなければ資源が回らないという仕組み自体を問題にしなければならない。文部科学省と大学とは一致結束して、内向きではなく外向きの議論を進めてもらいたいものである。

いずれにしても、この問題は一回の原稿では書ききれない広がりを持っている。今後、毎回連続とはいかないまでも、できるだけ間隔を詰めていくつかの論点に分けて論じたい。終わりに図表1(略)と図表2(略)をご覧いただきたい。図表1は、大学システムは多様な性格を有していることを示す。今回の大学改革実行プランはこのさまざまな性格に対応しているとは思うが、予期せぬ副作用を及ぼさないよう、くれぐれも注意が必要である。

図表2は、改革は常に抜本改革だけが最善とは限らないことを示す。問題が小さい場合は、システム全体の改革よりも個別の問題に適時適切に対応する対症療法の方が、全体の体力維持には役立っものである。今回は、この点についてもとりあえず問題提起のみにとどめておきたい。