2012年10月24日水曜日

大学におけるリーダーシップ-信頼と対話

日本私立大学協会私学高等教育研究所研究員の岩田雅明さんが書かれた論考「大学におけるリーダーシップとは」(文部科学教育通信 No.302  2012.10.22)をご紹介します。


リーダーシップの現状は

取り巻く環境が厳しさを増し、先行きの不透明感が強くなってくると、大学業界においてもリーダーシップに対しての関心が高くなってくる。ただしその関心は、主として外部の関係機関等から寄せられるものであって、肝心の内部ではリーダーシップを待ち望む声というのは、そう多くはないように思われる。もともと大学という組織は命令一下、皆が同じ方向を向いて進み出すという風土が最も欠けている組織の一つといえる。以前、ある大学の学長がこんなことを話していた。「学長というのは、野球でいえば監督のようなものだろうと考えて就任した。ところが、こちらがバントのサインを出しているのに、選手は平気で普通に打っていってしまう。監督と違うんだなと思った」と。また、別の大学では、学長が一生懸命に考えだした教育のコンセプトに対して無関心な教員が多く、ほとんどの教員が自分の授業の中にそのコンセプトを全く取り入れていないと嘆いていた。

確かに自然に学生が集まってきていた恵まれた時代にあっては、教員は研究と授業を自分のやり方で担当していればよかったし、職員も与えられた業務をルールに従って正確に処理するいうことで十分であった。そこには特に上からの指示というようなことは必要ではなく、管理者としても、不満を持たない程度の職場環境と待遇の維持を図ることで順調な経営が保てたのである。したがって、これまでの大学においてはリーダーシップを発揮する場はほとんどなく、また求められてもいなかったのである。

それが少子化の進行と、それにもかかわらずの大学の増加という社会の変化により、大学は選ぶ立場から選ばれる立場へと、立ち位置の変更を余儀なくされた。そうなってくると、これまでの業務の繰り返しということでは他大学との差別化を図ることができなくなってきて、顧客のニーズや社会の求人ニーズの動向といったマーケティング情報や、自大学変革認識といったことを意識していくことが、いきおい必要になってきた。このような事態への対応は、、個人レベルの問題ではなく、組織全体で取り組まなければ効果は出てこない。誰かが率先して教職員に対して現状起きている変化を理解させ、必要な行動を明示し、それを適切に分担し、着実に実行していくようにしなければならない。それが、今、大学に求められているリーダーシップということになる。

大学のリーダーがなすべきこと

創立者等がリーダーで、その強い情熱で運営されている大学の場合には、強力なリーダーシップが発揮され、成果を上げている例も多いと思われる。ただし個人の判断が常に正しいということは望みがたいので、リーダーは周囲の声を聞く耳を持つことと、現場に対していつも関心を持ち、情報を得ていく努力が求められる。それ以外の、同僚からリーダーに選出されたり、外部から招かれたりしてリーダーになっている大学(このほうが多いと思うが)の場合には、強力なリーダーシップを発揮するというスタイルよりも、いろいろなことに積極的に取り組む風土をつくることに力を入れるほうがやりやすいであろうし、成果も挙がるのではないかと考えている。

以前に聞いた、ある地方大学の話である。定員は確保していたが、入学試験で相当程度の倍率が出るという状況ではなかった時に、新しい理事長が就任した。新理事長は、18歳人口が減るのは分かっているのだから、今のうちに基盤を固める必要があることを教職員に力説し、自分が責任を取るから何でもやってみなさいという指示を出した。その当時、中心となって動いた教員の一人が話していたが、「自分が責任を取るから何でもやってみなさい」というように、信頼されて任されると、なんだか急にやる気が出てきたそうである。教職員がそれぞれの興味や得意分野によりプロジェクトチームをいくつか編成し、テレビCMの作成、ロゴマークづくり、高校訪問の工夫などなど、自分で振り返ってみても、あの当時は本当によく働いたと驚くほどであると。その結果、その大学の志願者は、それまでの三倍に増加し、難易度も大きく上昇したそうである。成果が安定して出るようになったところで、その理事長は去って行ったという。まるで西部劇のヒーローのような、大変格好良い理事長の話であるが、聞いていて、これが大学におけるリーダーシップのあり方を示しているように感じたものである。

前述のとおり、大学の教員には組織人という意識は弱いように思う。それぞれが独立した働きをしている面も多いため、表現は適切でないかもしれないが、一匹狼的な要素も少なくない。このため、リーダーというポストによる権威で無理に動かそうとしても反発を招くばかりで、なかなか前に進んでいかないということになりがちである。自主的に動いてもらうためには、前述の事例のように信頼して任せるという方策が効果的であると思う。その意味で、大学におけるリーダーシップは、人間関係の構築や相手の気づきを促していくという忍耐強さが大きな要素になるといえる。

行く先を決めること

リーダーシップとマネジメントの違いということが議論されることがあるが、ごく簡単にいえば、リーダーシップは行き先を決めること、マネジメントはそこまでの行き方を考えることである。したがって、リーダーには行く先を決めることが求められる。五年後にどのような大学にしたいのかといった、なりたい姿を描くことである。そしてここでも、大学の独自性を考えた描き方の工夫が必要となる。

一般的にはリーダーがあるべき姿を描き、それを教職員に示すというやり方が考えられる。スピードという点では、これが一番早い方法である。ところが、前述のとおり学長が考えたコンセプトが無視されるという大学の風土を考えた場合、この方法がうまくいく確率は低いように思われる。かといって、皆で考えてくださいといっても動き出すものではないであろう。

ではどうしたらいいのかといえば、対話でつくりあげることである。とにかくあらゆる機会を利用して、大学の将来ビジョンについて意見交換をしてもらうのである。最初は全く興味を示さない教職員でも、幾度となく話し合いが繰り返されれば、発言せざるをえなくなる場面も出てくるであろう。そして、人間、一度話に加わってしまうと、徐々にその流れに巻き込まれていくものである。ここでも忍耐強く、教職員がビジョンを形づくっていくのをリーダーは待たなければならないわけであるが、このようなプロセスでつくりあげたビジョンでないと、教職員一人ひとりにとってのビジョン、すなわち自分のビジョンとならないのである。

ビジョンは描いただけでは、まさしく絵に描いた餅になってしまう。皆がそのビジョンに納得し、共有していなければ、実現に向けての行動が起きてこないのである。計画は毎年立てているが、いつも未達成に終わっている。そんな大学はないであろうか。そのようなことにならないために、絶えず対話を繰り返し、その中でビジョンを描いていく。そして各自が自分で絵筆を持って、あるべき姿の線を描いたり、色を塗ったりしていく。これを演出することが大学のリーダーの仕事ではないだろうか。