2012年11月3日土曜日

社会の変革エンジンになるということ

文教ニュース(平成24年10月22日)に掲載された「木を植えるというミッション」をご紹介します。


大学という”装置”の最大のアウトカムといえば、何と言っても「有為な人材の社会への輩出」であろう。古今東西の大学の一番の目的もそこにあると考える。つまり、教育機能である。これは、叡智が生み出し、今日まで維持されている最適の教育装置である。

現在、学部のミッションの再定義が話題になっているが、その議論の一つの出口を、まさに、「出口」の問題として考えたい。

社会人のすべてが大卒ではなく、かつ、学問と職業はすべてがつながっているとは言えないものの、国内外の各産業は、その職種・業種に関連のある、いずれかの学部なり大学院を出た人が支えていると言ってもよいであろう。議論を転回すると、当該産業を支えているのは関連する学部で、当該各産業が我が国の社会を支えているとすれば、畢竟、我が国を支えているのは各の学部教育ということになる。

そこで思うのは、宮城県や広島県で行われている牡蠣の養殖のための植樹事業だ。牡蠣の美味しさの秘密は、その湾が養殖に最適な地理的環境とともに、その好餌となる植物プランクトンが豊富ということも挙げられ、海の漁場環境を守る為には森林の環境保全が不可欠となるらしい。そこで、美味しい牡蠣を作る=植樹ということになる。

社会の変革も、もっと奥深く、泉源から醸成していくことが必要だ。いうところの「植樹」=大学教育で、そういう意味で大学が社会の変革エンジンになるということなのであろう。ただ、国立大学法人法では、大学の経営について、経営協議会や学長選考方法という装置によって社会の声を反映する仕組みが備わっているが、学部は依然閉じた箱だ。だからこその再定義なのでもあろう。

改革、そして教育の現場である学部に焦点をあて、閉塞した社会を再度切り開くための植樹事業として、世を挙げて大学・学部教育の充実方策を財政や法制度、システム、ガバナンスの面から再検討し、大学の機能強化に結びつけねばならない。

我が国の近代化は大学の「学部」のいずれかの門から始まっている訳だが、国家百年の大計の下、創設当初から各時代において、時には当時の為政者の英断により、国力不相応の財政投入までしてきた。その投資は、大学人たちの魂を揺り動かし、近代化と人類の福祉向上に貢献してきた。今日、900億の削減や人件費・退職金の減は、国立大学の将来の見通しを不透明にしているが、今こそ、山中先生はもちろんだが、数多の赤ひげや金八先生を輩出し、または各地の地場産業、そして世界の主導産業たる自動車産業、繊維産業を牽引し、さらにはスマホの開発者を世に出してきた、等という幾多の具体的な輝かしいエピソードをデータを含めて社会にアピールし、そのことによって学部教育の来し方行く先を世に誇示し、問うてはどうか。それが、国を挙げて「森林の環境保全」をするための「てま・ひま・かね」を再投入するきっかけとなることを冀望する。