2013年1月31日木曜日

文部科学省の重責

平成25年度の政府予算案が1月29日に閣議決定されました。今回の予算編成作業は、民主党から自民党への政権交代に伴い年末から年始にかけて行われ、各省庁のお役人様方は、世間が正月浮かれしている中で、大変なご苦労をされました。お疲れさまでした。

(参考)平成25年度文教・科学技術予算のポイント(財務省)

さて、関連して今回は、文教ニュース(第2223号)から「珍しい初夢」を抜粋してご紹介します。


約3年ぶりの政権交代となり、政治行政の世界は大きく様変わりした。昨年12月総選挙の頃から、株価が上昇し、円安傾向となった。重厚な布陣の安倍政権の経済対策への期待が大きいと報道されている。

お陰様で、霞が関は年末年始気分に浸る間もなく与党のご意見を伺いながら切れ目のない補正予算、概算要求組み換え作業に追われている。自民党本部には連日各省の幹部が詰めかけ、各部会では「与党ともなるとさすがに各省幹部が来てくれるんだ!」、「次官が自民党本部に来たのは3年ぶりだよね」といった軽口が先生方の一声。一方、役所の幹部からは「今からこうした『前のめり』ペースでは、国会が始まったら息切れするのでは」との諦めにも似た呟き。

それにしても、安倍新政権は自公総裁・代表経験者を4人擁する重厚な顔ぶれだ。その一人は科技術庁長官も務めた谷垣法相だが、ポストは自ら希望したそうだ。そのきっかけは、あの後藤田正晴元副総理から「国家では、財政を扱う大蔵、外交を扱う外務、教育を扱う文部、そして法の支配を担当する法務、の四つが大事だ」と言われたからだという(1月11日付読売新聞「谷垣氏と後藤田氏」)。教育行政を国政の重要な柱と捉えたのは如何にも後藤田さんらしい。

この逸話から連想したのは、伊吹文明衆議院議長が、当時の文部科学大臣を退任した際の職員への挨拶。「諸君の一番の目標は、国家公務員志望の特に優秀な若者が、財務省でもなく、総務省でもなく、諸君の職場を第一志望とする、文部科学省をそういう役所にすることだ」との印象的な訓示。

新政権では、教育再生や科学技術イノベーションが柱の一つとなっている。日々の報道でも、いじめや体罰の問題、ライフサイエンスなど基礎研究の推進、スポーツ振興、文化財の活用、大学改革、グローバル人材の育成、産学官連携・異分野融合によるイノベーション創出など、文部科学省の関係する内容がひっきりなしだ。

日本の教育、文化、スポーツ、科学技術・学術に責任を持つ文部科学省自身が、霞が関の「御殿女中」、「お公家さん」と揶揄され、他省庁から煙たがられているようではダメで、他省庁から恐れられるような、重たい存在になるべきである。優秀な若手が殺到するような役所にしなければ国政の重責を果たせない・・・。

・・・てなぐあいに、様々なことに想いを巡らせて、意識が朦朧としていたところ、「財務省から呼び込みです!」と若い人に声をかけられた。ふっと我に返ると、机に脚を載せてうたた寝していた。予算査定の休日出勤の中で、今年初めての夢らしい夢を見た。(猪突猛進)


2013年1月30日水曜日

父への想い

「つたえたい、心の手紙」(株式会社くらし)から抜粋してご紹介します。


とうちゃんへ

久保 美優 様(10歳)

とうちゃん、今、どこにいるんですか。美優と姉ちゃん、母ちゃんは、毎日とうちゃんが帰って来るのを、いのっています。

とうちゃんといっしょにやっていたサッカーを、きちんとやっています。リフティングや、パス回し、など、いろいろ教えてくれたね。すごく、うれしかったよ。今は、とうちゃんの写真を見たり、いろいろと、思い出しているよ。

みっつさんも、消ぼうの人達もみんな待っているよ。サッカーのみんなも、かんとくも、たくさんの人が待ってるよ。だから、早く帰って来て。

今は、夏休み中だよ。今年は、ももちゃんや、東京一家がせいぞろいするんだよ。

学校の先生も、小鎚のばあちゃん達も毎日待ってるから。いつも、とうちゃんが帰って来るのを、待っているから。気をつけて、安心して帰って来てね。

毎日、帰って来るのを、待っています。だから、早く帰って、来てください。みんなが待ってるから。これからも、とうちゃんが帰って来るのをいのっています。

【作品同封の伯母様からのお手紙】

初めまして。私は久保美優の伯母です。本人がどうしても作文を書きたいとのことで、あて名などを書くのを手伝いました。美優が気持ちを出せる機会があったことに感謝しております。

美優は、3月11日の東日本大震災で父親が消防団員として活動中に行方不明となり、半年が過ぎてくると、父親がもう帰ってこないだろうという不安が強くなりつつ、その気持ちをどこにも表すことも、ぶつけることも出来ずに不安定な生活をしています。私が買った雑誌にこの募集が載っていたので勧めてみました。まとまりのない文章ですが、父への想いを精一杯にぶつけてみたようです。

人間、愛する人がいなくなることへの不安はありますが、幼い美優には理解するのにまだまだ時間がかかると思います。しかし、このように書いて表すことが出来ることで、ストレスが少なくなるのかも知れません。感謝しております。ありがとうございました。


2013年1月29日火曜日

知識は力なり

文教ニュース(平成25年1月7.14日、第2221.22合併号)から「知の象徴-巳年に思う-」を抜粋してご紹介します。


学部のミッションの議論が本格化しているが、そもそも国立大学には私立大学のような「建学の精神」はあるの、と聞かれることがある。国立大学は、その淵源をたどっていけば、古くは藩校や帝国大学、旧制大学、高商、高等工業学校、師範学校等々にいきつくわけで、設立の目的・趣旨や精神は、大学・学部のミッションも含めてまさにその歴史が証言してくれる。

さらに、新構想大学や新設学部にっいても、国会で予算や法律の審議・決議を経たものであり、各時代や社会の状況、地元や産業界の要望をふまえて設置されており、建学の精神はそのミッションとともに公共的使命として厳然として存在する。

畢竟、国立大学こそ、創設時から多くを国費に依り、今日までの各時代をその社会の動きと連動して変遷していることからも、建学の精神が常に問われ続けている大学といわなくてはならない。

そうした中で、その精神の具現化の一番のアウトカムは有為な学生の輩出であり、研究成果の発露である。その建学時の国全体や地元の期待をどれだけ形となって顕すことが出来ているか、だ。社会の変化や政権交代に関わりなく、脈々と流れる人材養成や研究、さらには診療機能の確固たるアウトカムが求められる。

一方、その精神を表象したものには、校章はもちろん校歌や寮歌、さらには建物等の大学のシンボルなるものがある。先人たちは、大学の理念やミッション、地域の風土や歴史などを様々な意匠に凝縮し、その発展と継承の祈りをそれらにこめたのであろう。

校章で言えば、おなじみの柏、桜、松、桐、銀杏、鳳凰などの動植物、山や湖などの自然、旧藩の家紋などバリエーションはきわめて豊富だ。星もそのひとつで、「北に一星あり。小なれどその輝光強し」の小樽高商や北辰星章の旧制四校など多数ある。いずれも神話や和歌・伝承など古典、地域史など、そのものがドラマになっており興味が尽きない。

今年は巳年だ。

蛇は「森の賢者」と称されるフクロウと並んで「知の象徴」であり、一橋大学などかつての高商系の大学の校章等に使われている。

何故、知の象徴なのか? 一橋大学のウエブでは、その校章「マーキュリー」は、ローマ神話の商業、学術などの神メルクリウスの杖を図案化したもので、二匹の蛇が巻き付いているが、蛇は英知をあらわし、常に蛇のように聡く世界の動きに敏感である、と説明されている。

まさに、「知識は力なり」であり、我々日本の大学人は「知」という力によって、混迷する世界、我が国の改革エンジンとして世を渡っていかなくてはならない。

それでもご時世で、最近では、ゆるキャラやかつての校章を親しみやすくしたものを大学グッズとするなど、歴史だけでなく、まさに世相を反映するものにもなっている。

で、とある統合した大学。教員が勇躍元々の伝統ある校章を設備につけようとしたら、統合後入学した学生が不思議そうに、「何故今のロゴマークを使わないんですか?」と。歴史はまた作られる。(夢酔)


2013年1月27日日曜日

当たりまえ

人の心に灯をともす」から「1年に3日だけでもいいことがあったら」(2013年1月22日)を抜粋してご紹介します。


ある企業のトップセールスマンたちの集まりに講師として招かれたときのこと。

そのなかでも一番のセールスを上げる女性と隣接する機会がありました。

失礼ながら、見た目はごくふつうのおばさんです。

その人が休んでいるのを誰も見たことがないといわれるほどのすごい働きぶりに加えて、同僚や部下の面倒もよく見、彼らの売上にも協力を惜しまないのだそうです。

そのせいで、周囲から母親のように慕われ、頼られながら、謙虚で少しも偉ぶるところがない。

そんなすばらしい人柄が、少し会話を交わしただけの私にもよく伝わってきました。

彼女は自分の生き方、働き方について、こんなふうに語ってくれたのです。

「私の母はよく、『1年に3日だけでもいいことがあったら、その年は最高の年だよ』といっていました。

その母に育てられた私も、『生きるのは苦しいのが当たりまえ』と思って生きてきました。

ですから3日いいことがあれば、残りの362日がたとえつらく苦しい日でも、私は十分、幸福だって・・・

ですから、こうしてみなさんとおしゃべりして、おいしいものを食べられる、ただそれだけで私は幸せすぎるくらい幸せなのですよ。

幸せすぎて母に申し訳ないくらいです」

足りないことがあって当たりまえと考え、むやみに幸せを欲しがらず、ありきたりでささいなことにも深い喜びを見出す。

そんな“賢者の知恵”が彼女に確かな幸福をもたらし、彼女のトップセールスウーマンとしての心の支えになっているのです。

このように、人間の幸と不幸はどうやら、「苦労を引き受ける心が幸せを引き寄せ、幸せを求めすぎる心が不幸を生む」という皮肉な逆説の糸で結ばれているもののようです。

今の時代、多くの人が、「あって当たりまえ」の世界で「うまくいって当然」という価値観の中に生きています。

水道の蛇口をひねれば水が出て当たりまえ、電車は時間どおり発着して当たりまえ、約束は守られて当たりまえ、欲しいものはお金を出せば手に入るのが当たりまえ。

万事、自分の思いどおりに進んで当然と、多くの人がそう思っているように感じます。

だから、その当たりまえが少しでもうまくいかないと、それがそのままストレスや不満になってしまう。

常に「ない」のがふつうだと考えれば、「ある」だけで幸せなのに、「ある」が当たりまえと思っているから、「ない」ことがたくさんの不満や不幸の種になってしまう。


何かの本で読んだ話だが・・・

昔の人は、「一緒に苦労してくれないか?」とプロポーズして、結婚したという。

今の人は「二人で幸せになろう」と言って結婚する。

苦労しようと言って一緒になれば、苦労するのが当たりまえとなる。

しかしその逆なら、ちょっとした苦労や困難があるだけでも、それは約束違反となり、苦痛となる。

だから、今は昔に比べ離婚が増えている、という話だった。

「ないことが当たりまえ」と思えば、ただ「ある」だけで有り難い。

当たりまえの日常に感謝できる人でありたい。


2013年1月26日土曜日

家族とは

「魂が震える話」ブログ」から、「無償の愛」(2013年1月22日)を抜粋してご紹介します。


おじいちゃんは老いから手足が不自由でトイレも1人では厳しい。

だから、いつもはおばあちゃんが下の世話をしてた。

おばあちゃん以外が下の世話をするの嫌がったからだ。

ある日、家に私とおじいちゃん2人になった。

おばあちゃんが倒れてしまい母と兄は病院、父は会社から直行したからだ。

おじいちゃんと留守番してると申し訳なさそうに

「喪喪ちゃん、悪いんだがトイレに…」って言った。

私は本当に馬鹿だなって思った。

一人じゃ行けないの知ってたくせに気が付いてあげられないなんて

孫、それも女には言いづらかっただろうなって。

トイレに行くとパンパースが小と大で汚れてた。

たくさん我慢させてしまった。

私はおじいちゃんの気を反らそうと学校であった笑い話を精一杯明るく話した。

お風呂場で体を洗ってパンパースつけてホッとした。

同時におばあちゃんは毎日これをしてるんだと思うと何とも言えない気持ちになった。

そして「悪かったね、ありがとう」って五千円をくれようとした。

おじいちゃんは本当に馬鹿だなって思った。

私が赤ちゃんの時、両親は共働きでした。

おしめを変えて育ててくれたのは貴方じゃないですか。

幼稚園だって塾の送り迎えだってしてくれたのは貴方じゃないですか。

あれは無償の愛でしょ?

私はおじいちゃんが大好きだよ?

だからお金なんかいらないんだよって言った。

2人してちょっと泣いた。


ディスカヴァー・トゥエンティワン
発売日:2005-08-18

2013年1月25日金曜日

国立大学法人評価に対する意見

このたび、国立大学法人法第35条において準用する独立行政法人通則法第32条第5項に基づき、総務省政策評価・独立行政法人評価委員会から、国立大学法人評価委員会あての意見書が示されました。

(参考)平成23年度における国立大学法人及び大学共同利用機関法人の業務の実績に関する評価の結果についての意見(平成25年1月21日付)

意見の概要は以下のとおりですが、今後、これらの意見を踏まえ、国立大学法人評価委員会による評価が実施されていくことになります。

1 公的研究費の不正使用防止について

複数の法人において公的研究費の不正使用が発覚していることを踏まえ、各法人の実情に合わせて、不正防止のための具体的な取組方策についてより一層厳格な評価を実施し、引き続き各法人における必要な改善を促すべきであること。

2 保有資産の有効活用について

各法人が策定した土地・建物の有効活用等に係る計画の実施を促す観点から、引き続き各法人における有効活用等の取組状況について評価し、その結果を明らかにするべきであること。

3 教員等個人に対して寄附された寄附金の取扱いについて

教員等個人に対して寄附された寄附金について、各法人における寄附金の取扱いを定めた規則等に基づかない不適切な処理がみられることを踏まえ、再発防止を図るため、各法人の教員等に対する規則の遵守などコンプライアンスの徹底に向けた取組状況について評価を行うべきであること。

4 随意契約の適正化の推進について

会計検査院から問題を指摘された法人があったことも踏まえ、各法人の状況に応じたより一層の一般競争入札の拡大など、更なる競争性及び透明性のある契約への見直しに向けた取組状況について評価し、必要な改善を促すべきであること。


2013年1月24日木曜日

ここが変だよ、日本の大学(3)

前回に続き、「IDE-現代の高等教育」(No.547 2013年1月号)から、ブルース・ストロナクさん(テンプル大学ジャパンキャンパス学長)が書かれた論考「日本の大学の課題-外国人学長の視点」を抜粋してご紹介します。

資金調達-発想を転換する

日本の高等教育への公的支出は、対GDP比でOECD諸国平均の半分以下だということは、よく知られた事実である。その少ない予算で日本は私学助成を行い、また一方では国費留学生を受け入れている。私に言わせればどちらの政策もすでに時代遅れだ。

私大の半分近くが定員割れだというなら、それらへの助成をすべて止め、自己責任に任せるべきではないか。その分の資金は、競争的奨学金に振り向けたほうが意味がある。そうした奨学金を、日本人・外国人の区別なく私大の受験生に与えることで、国立大との学費の差を縮め、強い私大をさらに強化することに役立つ。同時に退場すべき弱い私大も選別されるのである。

私が横浜市立大学の学長だったとき、横浜市民が、市外から来た学生の授業料を年間100万円も負担していることに、どうしても納得がいかなかった。これらの学生が、卒業後も横浜に残って住民税を納めてくれるならまだ理解できるが、実際そういう学生はどれだけいるか。市民の税金で彼らの教育費を賄うことを正当化するには到底足りない数だろう。

国立大学ではもっとひどい。外国人留学生が他の大学でなら払うであろう高額な学費と、日本の安い国立大学の学費との差を、日本の納税者が補填しているのだ。つまり、東大で学ぶ外国人留学生は、奨学金をもらう以前に、ハーバードやオックスフォードで学ぶ場合と比べて既に数百万円の学費の「割引き」を受けているのである。同じアジア太平洋の国立大、シンガポール国立大やオーストラリア国立大では、外国人学部生に対し自国民向けの約1.2~2倍の学費を設定している。日本も学ぶところがあるのではないか。

日本の留学生政策は、いまだ開発途上国援助という文脈の延長線上にあるように思える。国のお金で勉強させ、卒業したら母国に帰ってがんばれという発想のままでは、日本は世界的な大学間競争にも、また企業間競争にも、到底勝つことはできないだろう。

日本の大学は、公的支出に頼っていては飛躍的前進は不可能だ、ということに気づくべきである。補助金と授業料以外の収入を増やすスキームをつくり、組織のための富を生み出すという考え方を、学内の文化革命を通じて浸透させなければならない。政府の役割は、規制改革を通じてそれを支援することだ。

以上に述べたような「日本の大学の課題とその解決策」に、真新しいものはあっただろうか。そうでなければあとは実行あるのみである。(おわり)


2013年1月23日水曜日

国民と乖離する財政審

昨日(1月22日)、平成25年度予算案編成の日程が発表されました。報道によれば、1月24日に基本方針を決め、27日まで各大臣と折衝を行い、28日には、予算案を反映した同年度の経済見通しを発表。29日に予算案の概算を閣議決定する方針のようです。

また、一昨日(1月21日)には、財務大臣の諮問機関である財政制度等審議会が、今回の予算編成に当たっての考え方を取りまとめました。

(参考)平成25年度予算編成に向けた考え方(平成25年1月21日 財政制度等審議会)

このうち、高等教育機関に関係の深い部分を抜粋してご紹介します。

文教・科学技術

1 文教予算について

教育予算については、明確な成果目標を定め、改善サイクルが働くようにすることが重要である。定数増や予算増に走るのではなく、「成果」につながる質・手法の改善をあわせて資源を投入する仕組みを構築する必要がある。例えば、教員の大量退職・大量採用に伴い教員採用倍率が大幅に低下しているのであれば、むしろ、採用者数を大幅に減らし、採用倍率を確保して良い人材の確保に努めるべきである。一方で学校における外部人材の活用が進んでいないのであれば、外部人材の活用を進めるための重点投資を行うことも考えられる。費用対効果の観点から最も効果的・効率的な資源投入を行うという視点を忘れてはならない。

我が国の教育に係る公財政支出(対GDP比)はOECD諸国の中で低いとの議論があるが、こどもの数(総人口に占める割合)が少ないことによるものであり、こども一人当たりの公財政支出でみれば、OECD諸国と比べて遜色はない。また、高等教育については、米国とはそれ程違いはない。いずれにせよ、家計が負担するか税金で負担するかは選択の問題であり、高等教育は自己投資の側面があることを踏まえ、租税負担率等との見合いで議論する必要がある。(資料Ⅱ-3-1、2、3参照)

今後、少子化が進行すれば、公財政支出(対GDP比)も、全体の人口に占めるこどもの数の割合に応じて減少していくことが基本となることから、そうした観点からも、投入量の総額やそのGDP比に着目した議論を行うことは実益に乏しい。

2 大 学

国立大学法人運営費交付金については、平成16年に国立大学が法人化されて以降の以下のような状況を踏まえ、社会のニーズにあわせた大学内での機動的な資源の再配分を促進する必要がある。その際、セグメント毎の状況等の情報開示を充実させるほか、将来の少子化を見据え、個別大学を超えた再配分である再編・統合につなげていく必要がある。

  • 第一期(平成16年~21年度)の第三者評価について見れば、期待される水準を下回ると評価されたのは1%程度に過ぎず、評価を通じた教育・研究水準の向上という改革サイクルが機能していない。
  • 本来競争的に配分されるべき特別運営費交付金の配分状況を見ると、メリハリある配分となっていない。(資料Ⅱ-3-8参照)
  • 教員数をみると、専門分野別のシェアが固定化されている。

また、国立大学法人運営費交付金(平成24年度予算額11,423億円)は平成16年の法人化以降約1,000億円程度減額されてきたとの指摘があるが、その8割以上は附属病院運営費交付金の減と退職手当等の特殊要因運営費交付金の減によるものである。法人化以降の物価変動や公務員給与削減の傾向を考慮すれば、教育研究活動を直接支援する一般運営費交付金及び特別運営費交付金は実質的に減少しているとは言えない(資料Ⅱ-3-9参照)。更に、自己収入や競争的資金等の外部資金が増加しており、教育研究活動費は全体として増加している。研究予算の配分に当たっては重点化を図り、国立大学法人評価を反映すべきである。

国立大学の授業料については、低所得世帯の学生に対する授業料減免支援が拡充されている一方、授業料は全大学・学部でほぼ同じとなっている。所得水準等に応じた授業料体系への移行を検討すべきである。

3 奨学金

大学生等に対する奨学金については、(独)日本学生支援機構の行う無利子奨学金と有利子奨学金は学生の4割に貸与されており、希望者全員に貸与されている。

無利子奨学金の家計基準(4人世帯、私大・自宅通学)は年収955万円以下程度であり、一般会計からの貸付金を原資としているにもかかわらず、一般会計からの利子補給のない日本政策金融公庫の教育ローンの貸与基準(4人世帯、890万円以下程度)より緩やかになっており、逆転現象が生じている。

また、有利子奨学金(44人世帯、私大・自宅通学の場合)は年収1,207万円以下程度と幅広い層に貸与されており、返済条件も、卒業後20年以内に返済、金利も国債金利(固定1%程度、変動0.3%程度)と、民間金融機関の教育ローンと比べて、相当優遇されたものとなっている。(資料Ⅱ-3-10参照)

こうした点を踏まえると、無利子奨学金と有利子奨学金、更には日本政策金融公庫の行う教育ローンの間で適切に役割分担する観点から、無利子奨学金の貸与は特に困難がある者に限った上で、有利子奨学金で対応することを基本として、無利子奨学金の家計基準の見直しに取り組むべきである。

更に、無利子奨学金については、

  • 奨学金受給者が返済した資金を次世代の貸与原資とすることで限られた財源を有効活用するとともに、
  • 将来の返済負担懸念から、特に低所得世帯の学生を中心に就学を断念する可能性が指摘されることに対応する観点から、

所得確認が容易となる制度の施行後に、現行の定額返還から毎年の所得に応じた返還に移行することが望ましい。(資料Ⅱ-3-11参照)

4 科学技術

科学技術振興費については、平成に入り3倍に増加しており、社会保障関係費を上回る伸びとなっており、(資料Ⅱ-3-12参照)研究開発費(対GDP比)は主要国と比べて遜色ない。(資料Ⅱ-3-13、14参照)

一方、科学技術関係予算の目的別研究費のシェアはほとんど変化なく固定化されており、(資料Ⅱ-3-15参照)研究開発が社会や産業構造の変化に対応できていないとの指摘もある。加えて、論文の質を示す相対被引用度は主要国と比べて低水準である。(資料Ⅱ-3-16参照)

このため、大学においては、研究資金の弾力的な配分、実績や成果に基づく人事と研究人材の高度化・多様化・流動化の促進、研究支援人材の確保を図るなど、研究力強化に向けた学長主導の人的・物的資源の再配分を促進すべきである。

また、科学技術研究費補助金について、研究環境の改善、使い切りや不正使用の防止を図る観点から、一定程度、年度間で融通可能となるような新たな調整措置を導入することが考えられる。複数年にわたる研究に対応するため、適正な中間評価を前提として、研究開発法人の運営費交付金も活用していくこととする。

更に、大学等が企業から受け入れた研究開発費は極めて低い水準に留まっているが(資料Ⅱ-3-17参照)、優れた基礎研究の成果を基とした緊密な産学連携を通じたイノベーション創出が求められている。今後の成長戦略においても、研究者レベルだけではなく大学全体として民間企業と実用化に向けた共同研究を進めることが重要であると考えられる。

科学技術予算については、このような質的改善につながる制度・システムの改革を進めつつ、政策的な重点分野の一層の明確化、短期、中長期といった時間軸に応じた戦略の設定、専門家による適正な評価に基づく優先順位付け等を通じて、研究分野の選択と集中を図り、厳しい財政事情を踏まえた財政健全化と整合的なものとしていく必要がある。


(関連報道)

大胆な重点化、効率化を 13年度予算で財政審(2013年1月21日 共同通信)

財政制度等審議会(財務相の諮問機関)の財政制度分科会は21日、政府の2013年度予算の編成に向け報告書をまとめ、麻生太郎財務相に提出した。財政再建への道筋を明確にする必要があるとして「最大限の無駄の削減、大胆な重点化・効率化を進めるべきだ」と提言した。
消費税率を段階的に10%まで引き上げることを前提としても、20年度以降の公債残高は対GDP比で「200%を超えて増加し続ける見込みだ」と指摘。増え続ける社会保障費の財源を賄うため、消費税率のさらなる引き上げが「不可避」と明記した。

25年度予算編成 財政規律に危機感共有を(2013年1月22日 産経新聞)

危機の度合いを強める日本の財政状況をこれ以上、悪化させてはならない。財政再建は国民にとって「対岸」の問題ではないのだ。
財政制度等審議会(財務相の諮問機関)がまとめた平成25年度予算編成のあり方に関する報告書は、切迫感をもって財政健全化を訴えている。
現時点で日本経済の最大かつ緊急の課題が、デフレ脱却であることに議論の余地はない。
しかし、国の借金残高が国内総生産(GDP)の2倍を超える状況は、脱デフレや成長戦略の実現で改善できる水準ではないのも事実だ。国債暴落などの危機回避の最後の砦(とりで)ともいえる「財政規律の維持」を、毎年度の予算編成でどう具体的な歳出抑制に反映させるかが問われている。
最大の焦点となるのは、社会保障費だ。24年度の社会保障給付費は約110兆円で2年度の約47兆円の約2倍、国庫負担も2倍強に増えている。この間、社会保障以外の政策的経費が微減になっていることを考えると、その深刻さは際立っている。
少子高齢化の進行をにらむと、引き上げが決まった消費税を社会保障財源に充てるとしても、給付見直しなどでメスを入れない限り国庫負担は増え続ける。
財政審の報告書はギリシャなどを例に、財政危機に陥ると行政サービスのカットなどで国民生活に大きな打撃を与えると指摘した。それは社会保障給付の大幅削減や負担の急増を意味する。最も影響を受けるのは、高齢者や低所得者といった本来社会保障で守られるべき人たちなのだ。
社会保障に限らず、国民に痛みを強いる歳出抑制は先送りされがちだ。しかし、財政問題は「将来へのつけ回し」だけでなく、今の生活をも破壊しかねない。国民全体が危機感を共有したうえで議論すべきである。
先週閣議決定された24年度補正予算案は景気底割れ回避を優先し規模が大きくなった。だからこそ、25年度予算では歳出抑制とのバランスが厳しく問われる。
財政出動を金融緩和、成長戦略と並ぶ「脱デフレの三本の矢」とする安倍晋三政権も、財政への危機感は強い。25年度予算編成にあたって「引き締まった内容にしてほしい」と指示した安倍首相と、それを受けた麻生太郎財務相の指導力を期待したい。



ここが変だよ、日本の大学(2)

前回に続き、「IDE-現代の高等教育」(No.547 2013年1月号)から、ブルース・ストロナクさん(テンプル大学ジャパンキャンパス学長)が書かれた論考「日本の大学の課題-外国人学長の視点」を抜粋してご紹介します。


教務改革-学生が学習する環境をつくる

大学の世界にISOのような品質保証制度はない。が、その大学の教務・事務両面でのベストプラクティスが、他と比べてどんなレベルにあるかを見極めることは大切だ。アメリカ人である私が比較対象にアメリカの大学を選ぶと奢りと言われるかもしれないが、実際のところ、日本の大学関係者が大学改革を論じる際、アメリカの大学は総じて日本の大学よりも競争優位性があると、みなが認めているように思う。

他国の大学がベンチマークする相手として米国の大学が選ばれるには、それなりの理由があると私は考える。どんな国にも、ハーバードや東大にあたるエリート大学は存在する。しかし、こうしたトップ校に進学するのはほんの一握りであり、大部分の学生は公立・私立を問わず、中間層の大学に入る。国際比較はこの中間層で行うことに意味があり、ここでこそアメリカの大学の層の厚さ、つまり平均的な質の高さが顕著となるのである。そして日本は、特にこの層において、多くが教育の質保証と学習環境の維持に失敗している。

まず学生の学習時間を見てみよう。1コースの授業時間は、米国では1週間180分が標準なのに対して日本では90分である。必然的に教室外での勉強時間も少なく、日本の学部生の1割は教室外でまったく勉強しない(アメリカでは0.3%)。逆に教室外で21時間以上勉強する学生は、アメリカが20%に対して日本は4.3%である。

アメリカの大学を知る教員ならば、学生がクラスに登録したあと、特別な理由もなく講義を休んだり期末試験を欠席したりしても大したお咎めなしとは、とうてい信じられないことだ。こうした環境では、相手を理解しながら説得する本物のディベートを授業で行うなど不可能である。また、学生の知的欲求を呼び覚まし、学習意欲をかきたてることも無理だろう。

おしなべて日本の大学は、学生を大人として扱い、もっと厳しい態度で臨むべきである。どんなに成績が悪くても退学にならないなら、つまり自らの行動に責任をとらなくてもよいなら、どうやって彼らは競争力、責任感、やる気といった、将来の社会を担うリーダーとしての資質を育むことができようか。かつての受験戦争時代、日本では卒業よりも入学のほうに価値があった。いまや入学も卒業と同じくらい簡単になりつつあるのに、いまだ大学評価において入学のほうのウエイトが高いのは理解に苦しむ。

また、日本の大学はアメリカの大学と比べ柔軟性も低い。多くは入学後に学部・専攻を変えることが困難で、他大学からの転入や私費留学のための休学、正式な提携先以外の機関からの単位移行も認められにくい。

こうした分野について、他大学をベンチマークしベストプラクティスを取り入れ、改革を進めようとしている大学はあるだろう。しかし、そこで障害になるのが教授会である。あえて言おう-教授会が学務の主要部分をコントロールしている限り、大きな変化は望めない。多くの教員は教育より研究を優先し、自分のゼミ生は別として、その他大部分の学生との接点は希薄だ。教員の自己満足は、いまだに改革・改善の深刻な障害となっている。

リーダーシップとガバナンス-人事を改革する

そこで、論じなければなければならないのが、リーダーシップとガバナンスである。ガバナンスとは意思決定のシステムであり、それは組織の価値を左右する。リーダーシップとは、この価値が実践される形態のことを指す。

大学のガバナンスは、オープン、平等かつ包括的、そしてある程度ステークホルダー間でシェアされるべきものである。しかし、それは大学が民主主義的であることを意味しない。リーダーシップは真の改革には不可欠だ。改革はボトムアップでは成功しない。教員・職員の中間層こそ、変化によって失うものがいちばん多いからだ。トップダウンとは決して独裁政治と同義ではないが、ステークホルダーの意見を広く聴取した上で下した決定と、その実行に対して、リーダー個人が責任を取ることを意味する。日本の大学の指導者の多くは、教授会の権限を非難したり、自身の権限の無さを嘆いたりしている。しかしその状況は変えられるし、変えなければならない。

重要なのは人事である。組織の原則を体現する人事制度は、改革のカギを握る。大学というものが世俗から切り離された存在だった時代の「平等主義」から抜け出さなければならない。今日、教員や上級職の採用選考には、学生を含めた幅広い意見を吸いあげるオープンなプロセスが求められる。日本ではいまだに、自らが治める大学の「生え抜き」でない学長を探すほうが難しい。組織の継続性という点で生え抜きはよかろう。しかし変革には向かない。学内にしがらみのない外部の人材を学長に迎えれば、組織の向かう方向についての明確なメッセージとなる。

また、教員の9割が自校の卒業生という時代は終わったものの、まだその割合は高すぎる。さらに、一定期間の厳格な業務評価に基づくテニュアトラック制や、有期雇用契約を意味する任期制についても議論が始まって久しいが、実際にフルタイム教員のパフォーマンスを厳格に評価し、その結果によって契約の更新・終了を実行している日本の大学はほんのわずかだ。

日本の大学がその指導者を内部から選んでいる限り、また教員人事制度が旧態依然の終身雇用を前提とする限り、そして、アカデミアというものに対する伝統的認識が変わらない限り、難しい決断をする能力もそうする動機も生まれないのは当然である。しかしそれこそ日本の大学がいま必要としているものなのだ。(つづく)


徳間書店
発売日:2004-12-19

2013年1月22日火曜日

ここが変だよ、日本の大学(1)

IDE-現代の高等教育」(No.547 2013年1月号)から、ブルース・ストロナクさん(テンプル大学ジャパンキャンパス学長)が書かれた論考「日本の大学の課題-外国人学長の視点」を抜粋してご紹介します。

個人的には、久々に価値観を共有する論考に出会えて喜んでいます。やや長文ですので3回に分けてご紹介します。


「どこにあるか・何をするか」より「いつやるか」

1985年には15~19歳人口900万人に対して大学数は460校だった。2009年には同600万人に対して大学数は773校にまで増えた。この影響は大きい。私大の46%が定員割れとなり、学力偏差値は下落。1991年から2011年の間に、私大の平均志願倍率は13倍から7倍に下がった。このような事態を招いたのは、文部科学省を含む日本の大学関係者が、質の高い高等教育制度を維持するために不可欠の、しかし困難を伴う決定を先送りしてきたためである。

大学改革の名の下、制度や手続きの改変を行った大学は多い。しかし、もっと根源的な問題は手付かずのままだ。課題の認識やその解決策の考案という段階は、もう過ぎている。何をすればいいかわかっているのに、組織もリーダー個人もその実行ができない。それが、大学だけでなく今の日本社会全体が抱える根源的な課題だと思う。

バブル崩壊、そして社会経済システムの急速なグローバル化開始から20年。日本はいま、組織の構造も考え方も劇的な変化を迫られている。それは、過去の開国や敗戦に匹敵するインパクトのものだ。しかし今回、東京湾には黒船も戦艦もいない。日本人自身が日本のために改革を成し遂げる必要がある。

私は日本の高等教育界を内側から見るという特別な機会に恵まれた外国人として、上記のような観点から本稿を執筆したいと思う。以下、①グローバル化と国際化、②教務改革、③リーダーシップとガバナンス、そして④資金調達について見ていきたい。

グローバル化と国際化-内なる競争を生み出す

日本で「自由競争」という言葉が持つ意味は、たとえば米英のそれとは文化的に異なると思う。大学の世界にも「競争原理」が持ち込まれて久しいが、その原理はどれほど機能しているだろうか。改革が進まないことの直接的な原因は、大学同士の、そして大学内部の競争の欠如にある。

本格的グローバル化元年ともいえる1990年以降、先進国の教育制度に求められるものは劇的に変化した。ビジネスもマネーも技術も情報も、一瞬にして国境を越える時代、英語によるコミュニケーション能力だけでなく、海外の文化・商慣習を吸収する能力も重要になった。だからこそ「グローバル化/国際化」は大学改革の合言葉になったのであるが、にもかかわらず、日本の大学の多くが時代の要請に応えているとは思えない。

まず言葉の意味を考えたい。私は、大学にとってのグローバル化を「学生・教員・資金をめぐる世界競争」と定義する。日本の大学はここ数年、学生の獲得競争のための手段は開発してきた。しかし残りの2つ-教員と資金-については、これからもっとシビアな世界的競争を覚悟する必要がある。

グローバル化が外との競争なら、その競争に勝つために必要な「大学としての特質・属性の開発」が「国際化」の持つ意味である。つまり国際化とは、大学内部の問題なのである。しかし、そもそも大学の内部には積極的なイノベーションや競争を促す環境がほとんど醸成されていない。学生は成績不振でも退学させられる心配はほとんどない。教員がクビになることもまずないし、そのパフォーマンス評価も適切な手法で行われているとは言いがたいのが現状である。

「勝つための属性」としての国際化を進めるためには、教務も事務も国内外の競争相手を見極め、ベンチマークし、そのベストプラクティスを採り入れる必要がある。たとえば、外国人留学生や外国人教員の数は国際化を測る一指標ではあるが、数だけ競っても無意味である。大事なのは、外国人の存在が「お客様」ではなく、学術プログラムや組織の一部にきちんと組み込まれているかということ、つまり大学全体の多様性や公開性(これらはベストプラクティスの基本要件である)の一部として評価されるべきである。そしてそこには、必然的に公正な競争と正当な評価という仕組みが組み込まれているはずなのだ。(つづく)


2013年1月21日月曜日

組織を経営するということ

興味をもった記事を二つほど抜粋してご紹介します。


『魂が震える話』」ブログから

昔から「人は石垣、人は城」と言います。

企業を城に見立てれば、従業員は石垣です。

石垣の中には、大きい石もありますし、小さい石もあります。

頑丈な石垣には、大きい石だけではなくて、その大きな石と石の間に必ず小さな石がたくさん嵌め込まれていて、この小さな石が、石垣全体を強固にする働きをしているのです。

この小さな石のように、能力はそれほどなくても人間性がすばらしく、周りの人の心をまとめ、一生懸命、会社のために尽くそうとされている方がいます。

そういう人は、会社を筋肉質で経営するのには無駄だと思われるかもしれませんが、決してそうではありません。

そういう人を雇用しておくということは、短期的にロスを生じさせているように見えますが、長期的に見ると組織を強固にしてくれるので、会社にとって大きな財産となるのです。




人の心に灯をともす」から

商売において正攻法で一位になるのはかなり難しい。

しかし、商品分野や販売地域を小さくせばめたり、商品をしぼりこんだりすれば、その可能性はぐっと強まる。

すなわち、勝てる場所を選び、勝てる相手を選ぶという、ランチェスターの法則だ。

誰も参入しない小さな市場や地域。

競争相手が圧倒的に少ない、まだ未開の市場や見捨てられた分野。

そこで、自社の強みをもっと伸ばし、一点集中する。

ナンバーワンになることの最大のメリットは、人に覚えてもらえること。

一位になれるような分野と地域を選び、この競争社会を乗り切りたい。


2013年1月20日日曜日

中身が伴ってこそ

IDE-現代の高等教育」(No.547 2013年1月号)から「取材ノート-大学の数」を抜粋してご紹介します。


田中眞紀子文部科学大臣(当時)が、来春に開学予定の3大学を「不認可」と言い出した騒動は、改めて約800に迫る日本の大学数の是非を問うことになった。大学関係者は大学の数は決して多くないというが、一般の見方はどうか。毎週月曜日の日経朝刊に掲載している「クイックサーベイ」というコラムで、大学数に関するインターネット調査(対象は1,000人)を行った。

今の大学数を「多い」と思う人は47.7%、「どちらかといえば多い」が33.1%と全体の8割が過剰感を抱いている。20代では「多い」、「どちらかと言えば多い」の合計が79%なのに対し、50代は86.6%、60代は89.0%と高齢者ほど見方は厳しい。学歴別では「4年制大卒」が84.5%と「高卒」の75.8%を大きく上回った。大学進学率に関しても、「低すぎる」は16.0%、「適正」が33.5%、「高すぎる」が22.6%、「どちらとも言えない・わからない」が27.9%で、これ以上の大学教育拡大には否定的な声が多い。

だからといって、「これ以上の新設は認めるべきではない」という強硬意見は7.2%に止まる。半数の人は「市場原理を徹底させ質の悪い大学を退場させるルール」を重視しており、これが満たされた上で「認可基準の厳格化」を求める人が34.8%、「認可基準は今のまま」が14.3%だった。新規参入を閉ざすよりもまずは不適格な既存大学を退場させよ、ということだ。

背景にあるのは大学の質に対する不信感だ。大学の質は10年前に比べ「悪くなった」と感じている人が28.9%、「どちらかと言えば悪くなった」が34.3%に達し、「良くなった」、「どちらかと言えば良くなった」は合わせても3.6%に過ぎない。これはあくまでも「感覚」であり、大学の実情を理解した上での回答でないことは留意するべきだが、これだけ大学が改革に取り組んできたにもかかわらず、社会にはそれをほとんど評価していない現実を、大学人は真摯に受け止める必要がある。

質が低下した原因(複数回答)では、「大学が増えすぎた」(65.5%)、「入試が簡単になった」(50.3%)、「相応しい知識・教養が教えられていない」(42.4%)が上位を占め、質を上げる方策(同)では「卒業条件の厳格化」(57.9%)が最多で、「新設条件の厳格化」(21.0%)や「入試を厳しく」(13.9%)を大きく上回った。

今後、大学を新設する際に最も適切な設置形態を聞いたところ、「国立中心」(24.4%)が「公立中心」(17.3%)、「私立中心」(13.6%)を上回ったのも興味深い。

文科省や大学関係者は、日本の大学進学率がOECD平均を下回る事や、高卒者の就職先が激減している現実を強調する。知識基盤社会と言われる21世紀を個人も国も生き抜くためには、高度な知識を身につけたイノベーティブな人材の育成が欠かせないともいう。全くその通りだと思うが、だからといって、そのことが「大学が増えて大卒者が増えれば高度な人材が増える」ことを意味する訳ではない。すべては中身が伴ってこそ、である。個々の学生の能力をきちんと伸ばす質の高い高等教育を提供しなければ、何の意味もない。一般の人は、その辺りのことをよくみている。(日本経済新聞社編集委員 横山晋一郎)


2013年1月19日土曜日

高大接続の改善

今日から、大学入試センター試験。入試に関しては、現在、中央教育審議会で、高大接続についての議論が進められていますね。関連する記事として、「IDE-現代の高等教育」(No.547 2013年1月号)から「不安な期待」というコラムを抜粋してご紹介します。


中央教育審議会が、高大接続問題について集中的な審議を開始した。毎月部会を開き、秋までには結論を得る予定と聞くが、深刻な問題状況を考えると短期間で結論が出せるのか。現状認識が甘いのでは、という不安をぬぐえない。

高大接続のかなめ、入試センター試験をめぐって騒動が起きたのは、つい先ごろのことだ。500人近い、覆面の問題作成者を大学から集め、30もの科目について少なくとも3通りの問題を毎年作成し、全国数千か所の試験場に数万人の試験監督者を集め、50数万人の受験生を、わずか2日間で試験するなどという、離れ業に近いセンターの事業は極限に近づいている。昨春の事故は、制度崩壊の危険信号とみるべきではないか。なによりも、東京大学のような超難関校から短大まで、大多数の進学希望者が受験を求められるただ一種類の共通学力試験は、どのような学力の判定に役立っているのか。さらにいえば、すべて受験料収入でまかなわれている稀有の「独立行政法人」に、もっと自由を与え、自立性を強め、問題作成をふくめて自己改善努力ができるようにすべきではないのか。

毎年春になると、受験生数の多寡による人気大学のランキングがニュースになる、私立大学の入学者選抜も問題だ。受験生を集めた大学が受験料収入で大儲けする陰で、安いとは言えない授業料でいくつもの大学や学部に出願し、くりかえし不合格を宣言される受験生や家族の心や財布の痛みは、どうするのか。私立の総合大学ともなれば何十、何百という学生募集の、ひいては入学者選抜の枠を設定して、受験者の数や受験料収入を競っている状況を、放置していいのか。多様な方法による入学者選抜のもとで、大学として学力の最低水準を担保する努力は、どこまでされているのか。

この四半世紀、入学者選抜の自由・多様化の掛け声に乗って、学力以外の条件を加味した選抜方法が広く採用されるよになった。入学者の大多数が推薦入学やAO入試枠という大学は珍しくない。一般入試枠でも、定員を満たすことを最優先して試験の点数にかかわりなく入学を認める大学が増え、学力の底の抜けた入学者選抜が、入学後の大学教育の困難を招いていることは、周知の現実である。

誤った中・高等教育政策のツケが集約された高大接続問題には、一筋縄ではいかない問題が山積している。高大接続の改善なしに、大学の学力問題の解決は望みがたい。一年といわず十分に時間をかけ、英知を結集した改善解決策に期待するばかりだ。(藍)


2013年1月16日水曜日

今日をどう過ごすか

愛読しているブログ「今日の言葉」から「人生の醍醐味」(2013年1月16日)を抜粋してご紹介します。


美希が「相談があるんですが・・・」とやってきた。

三者面談があり、自分の志望校を担当の先生に話したら、笑われたそうだ。

彼女は目に涙を一杯ためて話してくれた。

「悔しい・・・笑われたことが悔しい・・・」って。


いいか。世の中、時間の流れがある。

過去、現在、未来と淡々と流れている時間の流れがある。

担当の先生は、美希の過去を見て、未来を予想してくれたんだ。

美希の過去を冷静に判断すると、おまえの未来は、どうしても担当の先生の判断は正しい状況だ。

それは、なぜだ?
過去、美希は、必死で勉強してきたか?
誰にも負けない努力をしたか? 

してないだろう・・・

過去の怠けた自分が、現在の自分の足を引っ張っているんだ。

現在の自分が伸びようとしても、過去の怠けた自分が邪魔をしているんだ。

わかるな・・・

未来の自分を伸ばしてあげようとしたらどうしたらいい?

そうだな。

現在の自分が未来の自分を肩車して上げられるように、今、頑張るしかないよな。

現在の自分がサボったら、また、未来の自分の足を引っ張ることになるんだ。

悔しいだろう。
でも、その悔しさは、担当の先生に向けるのではなく、頑張ってこなかった過去の自分に向けるべきだ。

担当の先生には、それを気づかせてくれたんだから、感謝してもいいくらいなんだよ。


美希、人生の醍醐味って、何だと思う?

それは、『大逆転だ!』

悔しさを忘れるな。
それをエネルギーに勉強しまくれ!
今から本気の本鬼で頑張れば、大逆転は十分可能だ。


2013年1月13日日曜日

成人の日

愛読している「『魂が震える話」ブログ」から「成人の日のお話」(2013年1月12日)を抜粋してご紹介します。


成人式の日、それは美容室にとって、大いに気合いが入る日。

その年の成人式も、夜中の午前2時からお客様を迎え入れ、リポD飲んで気合いを入れてから、手を休める事なく仕事をしました。

ようやくその日最後のお客様となり、成人式ヘアーをつくっていると、ものすごく視線を感じました。

その先へチラッと目をやると、その子のお母様が、じ~っと見ているのです。

娘さんのヘアースタイルの出来をチェックしているのかな~と思い、「よかったら隣で見て下さい。

もう落ち着いたので、こちらに座っても大丈夫です。近くの方がよく見えますよ♪」

と言い、娘さんの隣に座ってもらいました。

しばらくすると、今度は鼻をすする音が聞こえてきました。

気を使いながら、その音の方をみると、今度は涙をポロポロと流しているではありませんか・・・

なんて言葉をかけていいのか分からなかったけど、「本当におめでとうこざいます。ここまで育てるのも、大変な御苦労があったことをお察しします」

そして娘さんに、「○○ちゃん、これからもお母さんの言うことをちゃんと聞くんだよ! そしてこれからは○○ちゃんが返す番だからね」

そう言い終わると、お母さんの嗚咽がお店の中に響きました。

まずい事を言ってしまったかな?と反省しながら成人式のヘアーと着付けが終わり、その親子はお帰りになりました。

数日後、娘さんが1人でお店にやってきました。

成人式の時のお礼にと、菓子折りをもってきて、話してくれました。

実はお母さま、5年前に余命宣告されていて、医者に言われたのが、もってあと2年・・・

娘さんが15歳の時なので、17歳の頃には旅立っている計算です。

その時お母さんは、口ぐせのように言っていたそうです。

「あんたが成人するまでは生きていたい! 成人式で着物姿が見れたら、他には何もいらない! それまでは何としてでも生きたい!」

必死の闘病生活だったそうです。

「だから泣いていたんですね。念願の着物姿が見れて」

すると娘さんが言いました。

「それもそうなんですが、もう一つ理由がありまして」

「どうしたの?」

「実は私、口うるさく注意してくる母が嫌いで、高校卒業後、すぐに就職して引越したんです。それからはほとんど連絡も取らず、好き勝手やっていました。だから本当は成人式も出ないつもりでした」

「じゃあ、何で成人式に出たの?」

「20歳の誕生日のとき、母から手紙が来たんです。その手紙には“ありがとう”って書かれていました。

2年間、病気で大変な母をほったらかし、ほとんど連絡も取らない私にたいして母は、

“もうそろそろお迎えがくるかもしれないそうです・・・ だから最期に言っておきたくて、私のもとへ生まれてきてくれてありがとう。あえなくても私は毎日あなたを思っていて幸せでした。本当にありがとう”

私は自分が情けなくなって、すぐに電話をしました。

“成人式の準備しといてよね! それまでに死んじゃダメだよ” 泣きながら話していました」

「お母さん素敵だね。大切にしなよっ!」

そう言った僕も泣いていました・・・。


2013年1月7日月曜日

巳年にかける願い

皆様、明けましておめでとうございます。実質的には今日から仕事始めの方も多いのではないでしょうか。

今年も、”かゆいところに手が届く”ブログをめざして更新してまいりますので、ご愛読のほどよろしくお願いいたします。

さて、景気をはじめとする私たちを取り巻く閉塞感からなんとか脱したいとの思いから、「巳年」にかける皆様の期待はこれまで以上に大きいのではないでしょうか。

しかし、諸事、成果が見えるには時間がかかるものです。今年も、あせらず、愚直に、一歩一歩地に足をつけてがんばっていきましょう。

2013年 初日の出


「行動を変える」(2013.1.7 今日の言葉)から「『巳』の意味」を抜粋してご紹介します。

十二支の6番目。

二十四節季に啓蟄(けいちつ)という節季があります。

春になって陽気が高まり今まで冬眠していた虫が地中から這い出して地上で活動を始める現象を表しています。

これは一般に物事が古い環境から抜け出して新しい環境の中で出発するという意味があるとされています。

これまでの混迷した時代から視界が開け、新しい環境に変化していく年になりそうですね。

十二支の中で唯一冬眠から覚めて春を告げ、脱皮をして新たな体を得る巳年です。

なんだかワクワクする年になりそうです。

皆様の新年の誓いが叶いますように。

まだの方はこれをきっかけに是非考えでみて下さい。きっと素敵な年になりますよ。


先日、東京駅に寄ってきました。復元された駅舎はとても素晴らしいものでした。



丸の内口正面


2012年10月に完成した丸の内北口駅舎

丸の内駅舎ドーム内2階・天井



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