2013年1月19日土曜日

高大接続の改善

今日から、大学入試センター試験。入試に関しては、現在、中央教育審議会で、高大接続についての議論が進められていますね。関連する記事として、「IDE-現代の高等教育」(No.547 2013年1月号)から「不安な期待」というコラムを抜粋してご紹介します。


中央教育審議会が、高大接続問題について集中的な審議を開始した。毎月部会を開き、秋までには結論を得る予定と聞くが、深刻な問題状況を考えると短期間で結論が出せるのか。現状認識が甘いのでは、という不安をぬぐえない。

高大接続のかなめ、入試センター試験をめぐって騒動が起きたのは、つい先ごろのことだ。500人近い、覆面の問題作成者を大学から集め、30もの科目について少なくとも3通りの問題を毎年作成し、全国数千か所の試験場に数万人の試験監督者を集め、50数万人の受験生を、わずか2日間で試験するなどという、離れ業に近いセンターの事業は極限に近づいている。昨春の事故は、制度崩壊の危険信号とみるべきではないか。なによりも、東京大学のような超難関校から短大まで、大多数の進学希望者が受験を求められるただ一種類の共通学力試験は、どのような学力の判定に役立っているのか。さらにいえば、すべて受験料収入でまかなわれている稀有の「独立行政法人」に、もっと自由を与え、自立性を強め、問題作成をふくめて自己改善努力ができるようにすべきではないのか。

毎年春になると、受験生数の多寡による人気大学のランキングがニュースになる、私立大学の入学者選抜も問題だ。受験生を集めた大学が受験料収入で大儲けする陰で、安いとは言えない授業料でいくつもの大学や学部に出願し、くりかえし不合格を宣言される受験生や家族の心や財布の痛みは、どうするのか。私立の総合大学ともなれば何十、何百という学生募集の、ひいては入学者選抜の枠を設定して、受験者の数や受験料収入を競っている状況を、放置していいのか。多様な方法による入学者選抜のもとで、大学として学力の最低水準を担保する努力は、どこまでされているのか。

この四半世紀、入学者選抜の自由・多様化の掛け声に乗って、学力以外の条件を加味した選抜方法が広く採用されるよになった。入学者の大多数が推薦入学やAO入試枠という大学は珍しくない。一般入試枠でも、定員を満たすことを最優先して試験の点数にかかわりなく入学を認める大学が増え、学力の底の抜けた入学者選抜が、入学後の大学教育の困難を招いていることは、周知の現実である。

誤った中・高等教育政策のツケが集約された高大接続問題には、一筋縄ではいかない問題が山積している。高大接続の改善なしに、大学の学力問題の解決は望みがたい。一年といわず十分に時間をかけ、英知を結集した改善解決策に期待するばかりだ。(藍)