2013年6月14日金曜日

「日本」という国号

山本眞一さん(桜美林大学大学院・大学アドミニストレーション研究科教授)が書かれた論考「ニッポン、それともニホン?~大学の場合は」(文部科学教育通信 No317  2013.6.10)をご紹介します。



ニッポンが増えている?

皆さんは日頃、ラジオを聴かれることは多いだろうか。全国的にはクルマ社会を反映して、ラジオをよく聴くという人はずいぶん多いかもしれない。私自身はクルマを通勤に使ったことはないが、小さい頃は別として、テレビに比べてラジオ番組を聴くことはあまりなかったように記憶している。しかし、6年間にわたる広島単身生活ではテレビなしの生活を送ったので、今ではすっかりラジオ派になってしまった。東京に戻ってからも、テレビを視るよりラジオを聴く方がはるかに多いのが現状だ。そのラジオで気になることの一つに、最近、NHKのアナウンサーや国会での政治家の発言の中で、日本のことを「ニッポン」と発音する人たちが多くなっているような印象があることだ。念のためNHKのホームページを覗いてみた。

NHK放送文化研究所が平成16年に公表した「放送研究と調査」によれば、国号「日本」の読み方は、政府による公式に定められたものはないが、NHKには現在の放送用語委員会の前身の組織が、昭和9年に定めた「正式な国号として使う場合は、『ニッポン』、そのほかの場合には『ニホン』と言ってもよい」という方針があるそうだ。それから70年経過し、現在(平成16年)わが国でどのように読まれているかをNHKが調査したところ、「ニホン」が61%、「ニッポン」が37%という結果になり、年代別には若い人ほど「ニホン」が増える傾向にある。また、平成22年1月4日付の日経新聞の記事によれば、日本代表、日本人、西日本、など日々の会話の中で「日本」がつく言葉の発音を、国語研究所等が開発したデータベースを用いて2004年に調べた結果、98%が「ニホン」であったという。これを読む限り、私の気になることは間違った印象か、あるいはごく最近の変化かのどちらかであろう。

統一できない読み方

歴史的には、7世紀の後半にさかのぼるといわれる「日本」の国号は、当初「ニッポン」または「ジッポン」と読まれたが、その後「ニホン」という読みが現れて、優勢になったらしい。安土桃山時代にポルトガル人が編纂した辞書には「ニッポン」、「ニホン」、「ジッポン」の読みが見られ、改まった場面では「ニッポン」が、日常の場面では「ニホン」が使われていたとのことである(Wikipediaによる)。以後、今日に至るまで「ニッポン」も「ニホン」も使われており、明治以降も何度か「ニッポン」を正式にしようという動きがあったようだが、いずれも不調に終わって、現在の政府公式見解では、平成21年6月30日付の麻生内閣総理大臣名の答弁書にあるように、「どちらか一方に統一する必要はないと考えている」となっている。ちなみに、たびたび話題になるのが日本銀行の読み方であり、紙幣には確かに「NIPPON GINKO」と印刷されているから、「ニッポン」が正式であるようだが、実際には「ニホンギンコウ」と読む人も多く、社会一般には必ずしも定着していないようである。

もっとも、明治以降に日本という国号に統一的な読み方を与えようという動きは、さまざまな資料を読む限り、常に「ニッポン」派から来ていることには注意を払う必要があるだろう。先述したようにNNHKは昭和9年に国号を「ニッポン」と発音することに決めたが、同じ年に文部省臨時国語調査会が国号を「ニッポン」と定めるように議決している。これには昭和初期に各地で起きた「ニッポン」採用をめぐる世論の動きが背景にあるらしい。この時は政府全体としての決定には至らなかったものの、戦時下の状況の中で「ニッポン」への同調圧力は徐々に高まり、力強い日本は「ニッポン」であり、「ニホン」はその語調において既に力が弱く、「今日の日本においては、是非『ニッポン』と力強く呼称することを望む」との投書などが政府雑誌に掲載されていたそうだ(奥野昌宏ほか「メディアとニッポン」成蹊大学紀要で引用する内閣情報局文書)。ちなみに、戦時中に弾圧を受け獄死した哲学者、戸坂潤がその著『日本イデオロギー論』(岩波文庫)で「ニホンと読むのは危険思想だそうだ」と述べている(奥野・同)のは、当時の社会をなんともリアルに描写しているように思える。

ただ、庶民のレベルでは「ニホン」も「ニッポン」も戦時下でも変わらずに使われていて、当時使われていた国定教科書の文部省唱歌等で「日本」が出てくる30曲のうち、「ニホン」は16曲、「ニッポン」が14曲であったとの研究もあるそうだ(奥野・同)。そういえば、明治期に作られた文部省唱歌「日の丸の旗」では「ああうつくしや日本(ニホン)の旗は」とルビが振られていたことや、大正期童謡の名作「青い目の人形」(野口雨情作詞・本居長世作曲)でも「日本(ニホン)の港へついたとき」とあったことを思い出す。もちろん、同じく文部省唱歌の「ふじの山」では「かみなりさまを下にきく、ふじは日本(ニッポン)一の山」であったことも忘れてはならないが。

大学はニホン派がやや優勢

さて、ここからが大学の話である。現在わが国に「日本」を名称の一部に使う大学(四年制)は、28校あるようだが、このうち「ニホン」と読まれる大学は、日本大学や日本女子大学をはじめ17校、「ニッポン」と読まれる大学は、日本工業大学や日本赤十字看護大学をはじめ11校である(Wikipedia)。ただし、日本赤十字を冠する大学は全部で6校あることに留意することが必要である。全体としては「ニホン」がやや優勢というところであろうか。もっとも、Wikipediaの編集者は、それぞれの大学の英語呼称が「Nihon」となっているものは「ニホン」と読ませ(全部で7校)、「Nippon」や「Japan」については個別の判断で分類しているようである。各大学に確認したのかも知れないし、あるいは日本歯科大学(The Nippon Dental University)のように、その校歌の歌詞に「名はよし日本(ニホン)歯科大学」とあることに拠ったのであろうか。

各大学の「日本」の読み方が、それぞれどのような経緯で決められたか、あるいは発音されるようになったかは、今回調べる時間がなかったが、もしかしたら非常に興味深いストーリーがその背後にあるのかもしれない。伝統校が「ニホン」で新設校が「ニッポン」というわけでもないので、より一層面白味を感じる。いずれにしても、読み方がどちら一方でなければならないというわけではないので、念のため。

ともあれ、「ニホン」でも「ニッポン」でもどちらでもよい、というのは長い歴史の中で形成されてきた日本国にふさわしい状況なのではあるまいか。これを統一しようという動きがまたあるとすれば、それは国号そのものではなく、国民の意識や行動に立ち入ろうとするものかもしれず、要注意である。スポーツ関係者には「がんばれニッポン」というように「ニッポン」に人気が集まるのは、その力強さやキリッとした語感からみて自然なことと思うが、私がまだ若い頃、山口百恵が歌った「いい日旅立ち」は「ああ日本(ニホン)のどこかで♪」と言わないとサマにはなるまい。また、スポーツで思い出すのは、昭和39年の東京オリンピックに合わせて作られた「オリンピック音頭」で、三波春夫が「北の空から南の海もこえて日本(ニホン)へどんときた」と唄っているのも、今は懐かしい記憶である。まさに多様性を認め合うことこそ、これからの日本(あえて発音を特定しない)の進む道ではないだろうか。