2013年6月29日土曜日

グローバル人材に必要なもの

桜美林大学大学院・大学アドミニストレーション研究科教授の山本眞一さんが書かれた論考「グローバル人材の養成と大学教育の課題」(文部科学教育通信 No318  2013.6.24)をご紹介します。


教育再生実行会議の提言

最近の大学改革論議の中で、目だって増えてきたのがグローバル人材養成の問題ではないだろうか。とくに今年5月28日に政府の「教育再生実行会議」が公表した第三次提言「これからの大学教育等の在り方について」における「グローバル化に対応した教育環境づくり」は、現政権の強い後押しによって設置され、影響力を行使しつつあるこの会議の役割からも、注目すべき文書である。教育再生実行会議は、「21世紀の日本にふさわしい教育体制を構築し、教育の再生を実行に移していくため、内閣の最重要課題の一つとして教育改革を推進する必要がある」との趣旨の下に、今年1月15日の閣議決定に基づき設置されたもので、これまで、いじめ問題への対応や教育委員会制度の在り方について2度の提言を行い、本稿で取り扱う第三次提言に引き続き、高大接続・大学入試の在り方について審議が続いている。会議は、内閣総理大臣や文部科学大臣など政府関係者と、産業界や学界などから選ばれた有識者から構成されており、座長は早稲田大学総長の鎌田薫氏である。

グローバル化に対応した教育環境づくりに関しこの提言が述べていることは、①徹底した国際化を断行し、世界に伍して競う大学の教育環境をつくる、②意欲と能力のある全ての学生の留学実現に向け、日本人留学生を12万人に倍増し、外国人留学生を30万人に増やす、③初等中等教育段階からグローバル化に対応した教育を充実する、④日本人としてのアイデンティティを高め、日本文化を世界に発信する、④日本人としてのアイデンティティを高め、日本文化を世界に発信する、⑤特区制度の活用などによりグローバル化に的確に対応する、の5点である。提言内容は、その目的や趣旨においては多くの点で賛同しうるものである。おそらく読者の皆さんもそう考えているに相違ない。

ただ、具体的にこれらを実行していく段階では、さまざまな課題がある。またこれらは、結局のところ、グローバル化への主体的対応ができるかどうかという、わが国の高等教育システムの将来に大きく関わる問題であるので、おろそかにはできない。幸い、教育再生実行会議のホームページには、提言本文のほか、提言に至るまでに各委員から出されたさまざまな意見も紹介されている。その中にある若干批判的と思われる意見は、グローバル人材養成の具体化にきわめて有益な示唆を与えている。そこで、その中からいくつかのものを列挙しつつ、私なりのコメントをつけてみたい。

必要な能動的対応

第一に、グローバル社会への基本姿勢についてである。「日本が如何にして世界に対応するかではなく、如何にして世界に日本を理解させ、日本人の生き方を受け入れさせるかという発想に切り替え、単なる大学の生き残り策ではなく、国家的な文化戦略の一翼を担う政策として大学改革を位置付け直すことが必要」との意見がある。確かに、ムードに流され主体性を失ったグローバル対応では、将来に禍根を残すことになる。従来、わが国の大学や学界は、受動的な国際化にあまりにも慣れてきただけに、このことはとくに重要と思われる。また、「大学で育成した人材が我が国の企業や自治体で活用されないのでは、教育費が無駄」という意見は、大学のグローバル化は、社会全体のグローバル化を進める中で行われなければならないことを示しており、政府や産業界にも努力を求めるものである。

第二に、グローバル人材はすべての学生を対象とするものかどうかである。「グローバル人材の育成に当たっては、どの層のどの程度の学生を対象とするのかの前提の議論が必要。それにより、対応の方策も異なる」との意見があるように、多様化する大学やそこで学ぶ学生には、それぞれに適した人材養成目的があるはずであり、現に提言本体においても「グローバルな視点をもって地域社会の活性化を担う人材を育成することなど、大学の特色・方針や教育研究分野、学生等の多様性を踏まえた効果的な取組を進めることが必要」とあり、すべての学生を同じように扱おうとしているものでないことに留意しなければならない。

「英語使い」を超える教育を

第三に、グローバル人材に必要な英語教育の在り方についてである。「ほぼ全ての国際的な知識を日本語で学ぶことができるまでにした先人たちの努力の意図に思いを致し、無批判な欧米基準への追随や経済的利益の追求には警戒心を抱き、日本文明の幸福基準を明確に自覚し、その上で外国人と対等に交われる人材の育成を目指すべき」との意見からは、植民地化を免れて発展を遂げてきたわが国の歴史を振り返り、母国語での教育がいかに効率性に優れていたかという点にも高い評価を与えなければならないことが連想される。

また、「国際的に尊敬されるのがグローバル人材とすると、英語力も大事だが、人格、教養、知識も重要」との意見があるが、私が作図した図表(略)に示すとおり、真のグローバル人材は英語力だけではなく、そのほかの多くの能力を備えた人材であって、過去にしばしば見られた「英語使い」を大量生産しようとするものではないことが改めて確認されるだろう。

さらに英語教育の在り方自身について、提言では「大学入試や卒業認定におけるTOEFL等の外部検定試験の活用」を謳っているが、「TOEFL」は格段に難易度が高く大学入試で実力差が測定しにくいこと、受験料が高額であり「公平性」の問題があること、テスト設計が異なるため学校の英語教育が形骸化する恐れがあることから、「国産の英語力検定試験」を開発し、大学が選択できるようにすべき」との意見も紹介されている。確かになぜ外国産のTOEFLかという基本的疑問に加えて、私自身の経験からも、指導要領が要求するレベルを遥かに超える語彙力が必要なこのテストを、なぜメインに据えなければならないのかと思う。

第四に、初等中等教育における教育の在り方との関係である。「中・高の段階からの実践的な英語教育の強化や、留学など早期の海外経験が大切。早い段階で若者を外向き志向にする必要がある。大学からでは遅い」という意見がある一方、「留学して日本人がぶつかる壁は「自分の意見が言えない」こと。自分の意見を言う素地が必要で、初等教育の段階から持論を話す場がある授業を設けるべき」との見解はきわめて重要である。私自身も、グローバル人材というのは、他人とは異なる自分の意見をしっかりと言える資質を備えていなければならないものだと確信している。国際会議で質問するのはいつも日本人以外だ、という現実は何とかしなければならない。他者への同調を求めがちな今の初等中等教育の基本から改めなければ、グローバル人材養成の諸方策もその効果が半減するというものである。まずは、行政当局も含めて教育界の深い意味での意識改革を進めることが重要ではあるまいか。