2013年11月25日月曜日

日本の将来と大学

安西 祐一郎氏(独立行政法人日本学術振興会理事長、元慶應義塾長)のブログ「Yuichiro Anzai's Official Blog-安西祐一郎オフィシャルブログ」から、最近の記事を3つほど抜粋してご紹介します。



高校卒業までは親と一緒に行動、卒業して大学に入学したら(あるいは働くようになったら)独立心をもって自分で考え自分で行動しなければならない、、アメリカの大学は尞制が多いのでそれができるのですが、寮に入ること≒独立すること、というアメリカの若者が巣離れする社会的な「しくみ」が、The Blind Sideという映画の最後のほうにヴィヴィッドに出てきます。

翻って日本では、教育再生実行会議が10月31日の第四次提言で大学入学者選抜のあり方について提言しました。とくに、「達成度評価テスト:基礎」、「達成度評価テスト:発展」の実現が提言され、これらを含めた大学入学者選抜のあり方についての議論が中教審などで始まっています。

こうした議論の大切さはもちろんのことですが、それに加えて、というよりもっと本質的なこととして、高校生と大学生の「違い」は何か、ということについては、あまり議論がされていないように思います。もちろん、日米の社会は歴史的にも文化的にも違いますからアメリカの高校生と大学生の違いを日本に直接持ち込んでも意味はありません。ただ、日本の高校生と大学生はどこが違う「べき」なのか、今は高校生がなんとなく大学生になって、高校3年生と大学1年生では明確な違いがそれほどないようにみえますが、それは「当然」のことなのでしょうか。

大学生になると家庭を離れ自立(かなりの大学生は自活)するのが当たり前という社会は、日本の高校生や大学生が国内で遭遇する社会とはかなり違う、という点は、高大接続の議論をする際の参考にしてもよいのではないでしょうか。


真の科学技術とは「人」なり、だ。科学技術を進めるには金も組織も必要だが、一番もとには人がある。人がいてはじめて経済が成長し、科学技術が発展し、大学もいいものになっていく。

ノーベル賞の自然科学3賞の受賞者数を見ると、日本は今世紀に入って世界3位。日本がトップレベルの研究者を生み出してきたことは間違いない。一方で、批判的な思考力、独立して考える力、自分で実行する力を養うことが、日本を含めたアジアの教育の中では長い間抜け落ちていた。

実用化された技術は、さかのぼれば、いろんな基礎研究にたどり着く。車も飛行機も、電気製品も、何でもそうだ。異種分野の多様な基礎研究を、非常に広い土壌でやっていることが、実用化にとって極めて大事な条件になる。

イノベーションをもたらすのは人間であり、人間の主体性だ。大学、大学院の本当の使命は、人間の主体性がはぐくまれ、それをもとに新たな知が生み出される環境を作ることにある。それには、規制緩和や研究環境の多様化、国際化が急務だ。主体性、創造性は異なる考え方の人たちがともにはげむ環境から生まれる。女性、若手人材育成の強化なども重要だ。

激変する世界をしっかり踏みしめなければ、人材育成も科学研究も成り立たない時代に我々はいる。大学自体が主体性を持ち、自己規制を打破していくことが、科学技術立国への道だと思う。

さて、「主体性」という言葉を私自身いつごろから使い始めたか定かではないのですが、振り返ってみるとかなり多用していることに気づきます。

いずれにしても、主体性を育むことは、日本が世界の平和と安定に貢献していくうえで極めて大事な要点になっていきます。このことは、科学技術立国についても同じことで、科学技術のイノベーションを起こし、それを経済成長につなげていくには、主体性をもって科学技術、イノベーション、社会変革に貢献する人間がたくさん出てきてくれることが最も大事なことだと思います。また、不必要な規制(その多くは組織の自己規制です)を取り払ってそういう人たちを応援していくことが必要だと思うのです。


ピッツバーグの初雪-カーネギーメロン大学の学長就任式に寄せて(2013年11月24日)

CMCの学長になったDr.SureshはNSFの長官から引き抜かれたのですが、学長の探索は3年前から始まっていたとのこと。アメリカの大学の学長には一般に任期はありませんが、その一方で学長の評価は常に理事会や評議会が厳しくチェックしています。とくにfund raisingは学長の第一の仕事といってもよく、学長は資金を集めて大学のレベルを上げていかなければ、突然代えられてしまう可能性があります。

日本の大学改革の議論に伴って、今ようやく学長のガバナンスの議論が始まっています。その中でアメリカの大学における学長のあり方との関連も議論されることがありますが、その多くは的を射ていません。

実際には、アメリカの学長はfund raisingの評価を常時受けているようなもので、理事会などによる厳しいチェックのもとで、いつ退任させられるか分かりません。一般論ではありますが、(少なくともこれまでは)任期の間に退任させられることはほとんどなく、しかも寄付を募る必要もないと言ってよい日本の国立大学の学長とは質的に異なる仕事だと言っても過言ではないと思います。

今回の旅で一番印象に残ったことは、カーネギーメロン大学という、科学技術やビジネス教育で知られ、演劇でもブロードウェイに多くの人材を輩出している、学生数はそれほど大きくはありませんが、TIMES大学ランキング(2013-2014)では24位(東大23位、京大52位、東工大125位)を占める大学が、その地位に甘んじることなく、改革派の学長を選任し、その学長が、CMUの今までの歴史と業績をよく理解し踏まえたうえで、これからのビジョンを就任式当初から広く世界に発信し、新たな道を歩みだそうとしている姿でした。

日本の大学だと、新しい学長が就任しても、いったいその学長が何をしようとしているのか教員にはよくわからない、というより、学長が自分たちの大学を変えることなどしないししてほしくもない、自分たちには関係ない、と思うのが、(例外はありますが)むしろ普通だったのではないでしょうか。それに対して、少なくとも今回CMUで会ったほとんどすべての教員は、新学長の人柄やビジョンを理解していましたし、自分たちのCMUが新しい時代に入っていくことに興奮しているようにみえました。

1976年にCMUのキャンパスで研究者生活を始めてから35年あまり、今になってCMUの新しい門出に立ち会えたことは、とても感慨深いことではありました。ただ、その一方で、日本の大学がいったいどうなるのか焦燥感を感じ続けている中でこうした場に居合わせたことは、米中巨大国の狭間でアジア太平洋地域の平和と安全の要としての新しい国家像を創っていかなければならない日本の将来について、そしてその将来を担うべき日本の大学について、いろいろなことを深く考えさせられる、あらためての機会になってしまったのでした。



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