2014年12月31日水曜日

心にオアシスを

ブログ「今日の言葉」から「沈む夕日に」(2014-12-26)をご紹介します。


初日の出を拝むよりも前に、

大晦日の夕日に感謝を表しましょう。


いよいよ年の瀬が近付いてきました。

この時期になるといつも思い出すのがこの言葉です。

上る朝日、初日の出をありがたく拝むことは多いでしょうが、

その日一日をしっかり照らしてくれた太陽への感謝を表すのが、

沈む夕日をありがたく拝むことなのだと思います。

ありがたいとは、「有り難い」と書く。

すなわち「有る」ことが「難しい」ものであり、

当たり前のものなんて何もないんだということ。

心臓を始めとする内臓器官も見えないけれど、

不平不満も言わずに毎日頑張って働いてくれているからこそ、

私たちの日々の命の営みとなっているのですね。

感謝の棚卸しをしてみましょう。

心にオアシスを持って。

お おかげさま

あ ありがとう

し しあわせです

す すみません

2014年12月30日火曜日

まず自分を磨け、自分を成長させろ

自分を再教育できない人はお荷物になる-アサヒグループHD社長 泉谷直木氏」(PRESIDENT 2012年2月13日号)をご紹介します。


己の中心に理念や哲学はあるか

私は新しい人材育成論を展開しようと思っている。従来の育成論が「あるべき論」であったのに対し、会社が社員に求めている能力を役割、等級にわたって絶対値で示すのだ。

経営目標を達成するためには機能と能力の両方が必要である。経営者がそれを明確に示し、社員がキャリア開発に取り組む。それらが適合したとき、初めて社員と企業の成長が一致するが、現在の人材育成論は両者が噛み合っていない場合が多々生じている。
たとえば、グローバル人材にはどういう能力が求められるのか。それを考えるとき、グローバルの現場も知らず本社の机の上で「かくあるべき」という議論をしてもまったく意味がない。

グローバル企業の経営者と日本企業経営者の違いを見てみると、前者は常に経営課題を明確に認識し、意思決定が戦略的できわめてスピードが速い。グローバル人材はそんな経営者と渡り合う、あるいはその下で働く人である。まずこの点を押さえなければならない。

一方で相手企業の歴史や風土、文化をよく理解して違いを受容する能力も必要である。さらに、もし我々が相手を買収したケースでは、違いを受容しつつ我々の理念を組織に浸透させなければならない。とくに幹部層として赴く場合には、株主としての立場とビジネスパートナーとしての立場、一緒に思考していく立場という3つの立場に1人で立てなければいけない。

「国際感覚が豊か」「戦略構築力がある」といったありきたりの言葉ではなく、どこにいるときはどういう役割でどんな素養が必要かと具体的な基準を定めていかなければ、せっかくの人材を送り出しても「海外では使い物にならなかった」という事態も起こりうる。別の言い方をすればミッションを明確に与えないまま「おまえ、何とかしてこい」と全部個人任せにしてはいけない、ということだ。

グローバルに出ていくと初めての部下、商品、お客様を相手に仕事をすることになる。国内で慣れた部下、商品やお得意様と仕事をするような、いわゆるコンフォートゾーンでするような仕事は許されなくなってくる。常に自分自身を再教育し、イノベーションを起こしていく意欲が必要だ。しかも、その中心にはわが社の理念、哲学という柱がなければいけない。

そうした意欲のある人に、より多くの支援を提供するのは当然だろう。日本人のチャンス論は棚からぼた餅式で何の努力もせず「私は恵まれていない」という人が多いが、機会をつかまえるのは個人の能力である。私はどんどん機会を提供するので、社員にはどんどん手を挙げてほしい。

刺激を与えていかないと組織は平均化してしまい、競争に勝てない。勝つためにはいろいろなところにずば抜けた力を持つ人間をつくる必要があり、各部門に私よりできる人がいっぱいいるのが私の望みである。十種競技なら私の点数が一番高く金メダルを取るかもしれないが、個々の種目においては私よりもっと高い記録を出す人がいる。そんな集団が一番強いのだ。だから、各部門で私を超える社員をつくることが私の社員教育の基本方針である。もしすべての種目で私を超える人が現れたら、その人に社長の役割を渡そう。

成長している上司の背を見せよ

では、ずば抜けた力を持つ人になるにはどうすればよいか。そこで重要になるのがミッションとパッション、ファッションの3つである。

ミッションとは、その人が自分の役割をどう認識しているか、逆に経営側がどういう役割を与えるのかということである。ミッションはきちんとした評価と連動しないとおかしな事態が生じる。100キログラムしか担げない人に120キログラムの石を持たせると最初はヨロヨロするかもしれないが、やがてしっかり担げるようになるだろう。しかし500の能力が必要なポジションへ年功序列で60の能力しかない人をつけると、部下はみんな迷惑する。

パッションとは情熱である。いかなる仕事をやるにしても、挑戦心や自分を変えていこうという改革心がないと人は成長していかない。

ファッションとは仕事のスタイルである。たとえば日本では少し余裕があると「みんなの意見を聞こう」となるが、海外では意思決定が遅いと株主が「取締役の仕事が遅い」とみなす。しかも間違った判断をすれば首が飛ぶ。このように国内と海外では仕事スタイルが大きく異なり、それぞれの実情に応じて適応させることが必要である。

また、各分野の仕事そのものも大きく変化している。かつて広報は社内にある事実を集め外部に発信するのが仕事だったが、現在のコーポレートコミュニケーションは会社の考え方を発信しながら、それを具体的事実で証明していくという情報戦略を担う仕事になっている。こうした変化に対応し、個人、企業それぞれがファッションの水準を向上させなければならない。

人の育成には上司が自分自身を磨くことも必須である。OJTで部下は上司の背中を見て育つというが、上司自身が成長していなければ部下はついてこない。だから部下を育てるなんて言う前にまず自分を磨け、自分を成長させろと私は言っている。「あの人の仕事ぶりはレベルが違う」「勉強し幅広い教養も持っている」と思わせる魅力なくして何が上司の背中だと言いたい。

自分が伸びていない上司は部下をかまうが、面倒は見ていない。部下とよく接触しているように映っても、単にかまっているのと伸ばしているのとでは大きく異なる。逆に自分が伸びている人ほど部下の面倒を見ている。

その差を見分けるポイントは毎日部下をきちんと見ているかどうか。そうすれば部下の特徴を把握でき、弱みを引き上げたり強みを伸ばしたりできる。弱みを引き上げるのは平均点を上げて全体を浮上させる方法で、強みを伸ばすのは組織全体を引っ張る牽引力をつける方法である。いま重要なのは牽引力をつけるほうである。桃太郎軍団のようにイヌやサル、キジなどいろんなタイプの牽引力の持ち主がいることで、変化に素早く対応できるからだ。

世の中の水準以上の能力をそれぞれの社員が持たないと競争には勝てない。たとえば、私は社長として同業者の社長よりも力がなければいけない。グローバルで戦うためには、私がグローバル経営者と正面から戦える力を持っている必要がある。組織は組織の長の能力以上に強くならないのだ。これは各部門も同様で、それぞれの部門長が世の中の水準以上でなければならない。

ところが権力を持つと、人は並の水準で仕事を流してしまいがちになる。そうでなく、常に自分がベストと思える水準で仕事をすることを当たり前にしなければいけない。部下から見ると流しているか、当たり前にベストを尽くしているかは一目瞭然。成長が止まった上司の背中を見る価値はない。

2014年12月29日月曜日

ホスピタリティのある人

ブログ「人の心に灯をともす」から歓迎の気持ち」(2014-12-22)をご紹介します。


いつも一緒に仕事をしている人に「ありがとう。あなたのおかげでとても助かっている」と声をかけていきましょう。

家族との日常会話でも、頻繁に「ありがとう」を口にしましょう。

ごはんを食べながら「おいしいなあ。ママはホントに料理上手だ、ありがとう」。

仕事で夜遅く帰ってきたパパには「おかえりなさい。私たち家族のために頑張ってくれているのね。ありがとう」。

子供が何かを一生懸命にやっている姿を見て「あ、やってる、やってる!楽しそうだね。ありがとう」。

そんなふうに言われたら、最初はみんな驚くでしょう。

「どういう風の吹き回しだ。なにか後ろめたいことでもあるんじゃなかろうか」と怪しむ場合だってあるかもしれません。

それでも構わず「ありがとう」と言い続けていれば、周囲のあなたを見る目が変わります。

はっきり口に出すことはあまりなくても、「あの人のそばにいると楽しい気分になる」と心の中で歓迎してくれるのです。

職場の人間関係、友人とのつきあい、家族の仲がうまくいきだすのは、この「歓迎の気持ち」があるかないかにかかっていますよね。

あなたのほうから「どうか私を歓迎してください」と頼み込むのではなく、「いてくれて、ありがとう。私のほうこそ歓迎していますよ」と示せばいいんです。

高いお金を払って特別な贈り物を用意しなくても、言葉一つでそれができてしまうのですから、なんともお得な話じゃありませんか。

「ありがとう」の言葉も褒め言葉も、声にして発したとき、その影響力はぐんと強まります。

心中ひそかに思っているだけのときと比べたら、少なくとも10倍は影響力を増しているはずです。


誰か人と会ったとき、歓迎されているか、歓迎されていないかは、雰囲気ですぐにわかる。

こちらがニコニコしながら握手を求めているのに、相手はこちらも見ないで握手もおざなりだとしたら、誰もが歓迎されていないと感じるだろう。

歓迎や歓待が上手な人は、お迎えや、おもてなしが上手な人。

それは、人に喜んでもらうのが大好きな人、つまり、ホスピタリティのある人のこと。

いつもほほ笑みを絶やさず、感謝の言葉を伝え、常に相手の立場に立って、どうやったらもっと喜んでくれるかを考える。

「あの人のそばにいると楽しい気分になる」

どんなときも、歓迎の気持ちを忘れない人でありたい。


2014年12月28日日曜日

官僚組織に地方創生はできるのか

一等地にビルを構える官僚組織、地方活性化に自治体は必要か? 致命的に欠けている「経営」の概念」(2014-12-22JBPRESS)をご紹介します。


地方で最も建物が大きい組織とは

現在の日本の地方都市を概観すると、たいてい一番大きな建物が県庁や市役所で、一番大きな収入と支出をしている事業体も県庁か市役所であるという。当然、従業者が一番多いのも県庁か市役所であるという。

つまり、市民の下僕たる公務員が一番大きなビルで仕事をし、一番多くのお金を扱い、一番多く税金から給与をもらっているのである。こんなことで地方活性化なんてできるのか、と思うのは当然だろう。

そもそも民間企業が稼いだ利益の一部を税金として預かり、公共に費やすのが公務員の本来の仕事である。それが民間企業を差し置いて地方で最大の事業体であること自体、本末転倒ではないか。

筆者は地方活性化の主役は民間企業であると考えている。企業の利益向上が第一であり、次いで雇用増大となり、賃金の向上という循環になり、最後に公務員が税金を徴収し、それを公共のために効果的に配分するということではないか。それなのに、自治体が前面に出て一体何ができるというのであろう。

官との関わりが深い組織は衰退する

数年前に日本航空の経営破綻があった。負債総額は2兆円を超えていたらしい。なぜ、日本を代表する歴史ある航空会社が経営破綻したのか、当時は疑問を感じる人も多かったと思う。大きな理由として、労働組合が強く、年金を含めた人件費を柔軟に削減できなかったことが挙げられた。また、歴代の経営トップの放漫経営も理由に挙げられている。

しかし、根本的な原因は、官との関係が深い企業だったからであろう。官に依頼されて地方空港の不採算路線に飛行機を飛ばしたり、日本航空が参入するという条件で、地方空港を開設し、地域ぐるみで日本航空の関連企業と事業展開したりしてきた。

つまり、官に頼り頼られるという関係の下で、採算を守るという経営の大原則が忘れられてしまったのである。

こうしたケースは日本航空に始まったことではない。昔の国鉄、日本債権銀行、住宅金融専門会社といった官との関わりが深い組織は、すべて莫大な負債を抱えて整理された。また、自治体との関わりの深い産業と言われる規制産業は、大半が国際競争に遅れた産業であったり、赤字体質の産業であったりする。例えば農林水産業や水道事業、土木建設業、通信事業などある。

経営概念の欠落した自治体

自治体には経営の概念が乏しい。その自治体が主導的な立場で関わりを持つ民間企業は、「お上が守ってくれる」という錯覚に陥り、依存体質が生まれ、経営がおろそかになる。

そもそもなぜ自治体に経営の概念が乏しいのかを指摘しなければならない。その元凶になっているのは、以下の4点と考える。

  1. 国民の下僕という奉仕の精神ではなく、国民を支配するという特権階級意識が難関試験を突破したエリートに存在する。自動的に徴収される莫大な税金を自分たちの裁量で配分を決め、ある程度自由に使えるため、細かい採算など経営のことは考えなくともよいという意識に陥りやすい。
  2. 国や地方の難しい公務員採用試験を経て入った者は、国家に貢献してきた分、民間企業で高い報酬を受け取っている者と同等以上の報酬を受け取る権利があると考える。そこで特殊法人を温存し、そこへ天下りして高い報酬を取り戻そうとする。そのため、特殊法人や第3セクターと呼ばれるところは、経営が優先されず、大幅な人件費赤字となっている。
  3. 自治体会計が100年以上前の明治時代に誕生した制度のままで、その時の大陸(ドイツ)思想である「皇帝の代理を行う」という考えのために、経営が度外視されている。収支計算書だけのフロー会計で、資産表示する貸借対照表が義務化されていない(ストック会計がない)。そのため、経営分析や財務診断ができない。したがって正しい経営判断もできない。
  4. 人事賃金制度も100年以上前から年功序列型制度であり、人事考課制度も存在しない。こんな遅れた人事制度は民間企業ではあり得ない。この組織の人たちは退廃的となり、自己防衛的となる。なぜなら、一所懸命仕事をしても手抜きばかりの仕事であっても、公平に評価されることはなく、年功で勝手に給与が上がる仕組みだからである。そのため、昔の公務員は「遅れず、休まず、仕事せず」を守っていればだんだん偉くなれたと言われていた。これでは、経営に必要な効率性や迅速性など養われるはずがない。

こうしたことから「経済は一流だが政治は三流だ」とか「日本の企業の技術は高いが、国全体としての競争力は低い」などと言われるのである。

一人ひとりの能力を封じる官僚組織

日本企業の採用の特徴は「新卒一括採用」である。戦力としてはゼロに等しい新卒を一気に大量採用し、給料を払い、教育を施す。海外の企業は基本的に即戦力と思われる人を採用し、人材育成にそこまでの投資はしない。

昨今はこの新卒一括採用のデメリットが叫ばれているが、振り返ってみれば、大量の新卒の社員に手厚く教育を施し、長い目で戦力化するという文化が、戦後の日本経済をここまで成長させてきたのである。

それに対して、難しい入職試験に合格した優秀な人材を生かし切れない組織が官僚組織である。責任回避体質になりがちな減点主義、効率性を重視しない組織風土、能力評価のない人事制度などによって、一人ひとりの能力が発揮できない仕組みになっているのだ。

マックスウェーバーは官僚制組織こそが最も合理的な組織だと指摘した。しかし同時に問題の多い組織であるということも付け加えている。それは、民主主義が発達すればする程、より広範な人々に等質なサービスを提供するために官僚組織も発達するが、同時に「被支配者集団の平均化」をますます強め、官僚支配を専制的なものにしていくからだ。

ウェーバーは、大衆の官僚への不満が頂点に達した時、カリスマ願望が呼び起こされると予言した。日本においても、大衆の不満が頂点に達した時に、初めて公務員の解体が始まるのかもしれない。逆に言えば、その時にならないと劇的な改革は期待できないということだ。

2014年12月27日土曜日

財政審の建議

財務省から「平成27年度予算の編成等に関する建議」が公表されています。大学関係部分を抜粋してご紹介します。


平成27年度予算の編成等に関する建議(平成26年12月25日財政制度等審議会)


3 教育・スポーツ

(2)国立大学改革

①国立大学改革の目的

日本の大学進学者の大宗を占める18歳人口は、4年度をピークに減少に転じ、今後も減少傾向が続くと予想される。他方、高等教育機関の入学定員については、18歳人口の減少傾向と逆行して、4年度の473,268人から25年度には583,618人まで増加し、進学率・収容力はともに大きく伸びている。

我が国は、大学全入時代とも言われる中、グローバル化等の急激な社会変化に直面しており、改めて、国立大学には、

  • 世界で活躍できるグローバル人材、新たな価値を創造するイノベーション人材の育成
  • 各大学の強み・特色を生かした研究を通じた地域諸課題の解決
  • 地域の拠点として、産業界と一体となった地域経済の活性化

などの社会的役割を担うための機能強化が求められている。

文部科学省は、25年11月に「国立大学改革プラン」を策定し、ミッションの再定義による強み・特色を活かした重点化、ガバナンス強化、大学の枠を超えた連携、人材養成機能の強化などを目指して、運営費交付金の配分方法の見直しなどの様々な改革を行うこととしている。これらの取組は、国立大学の自主的な改革を促すものであり、その方向性は評価できるが、実効性ある仕組みとするための具体案の検討が十分に進んでおらず、改革プランで掲げた目的を達成する道筋が見えない。28年4月から開始される国立大学法人の第三期中期目標に向けて、改革具体案の検討を早急に進める必要がある。

大学改革は、大学自らが積極的に推し進めるべきものであり、社会的役割を担うために必要な組織改革等に取り組まなくてはならないことは、国立大学に限ったことではない。人材育成機能の確立、研究能力の向上に向けた取組みが、公立・私立大学を含む全ての大学に対して求められていることは言うまでもない。

②国立大学の現状

現在、国立大学は全国に86校設置されているが、16年度の法人化以降も、必ずしも各々の特色を活かした大学運営、教育研究機能の強化を行っているとは言い難く、競争力低下が深刻な問題であるとの懸念が各方面より示されているところである。

まず、世界トップレベルの大学と対等に渡り合うことが出来る潜在力を有する大学について、国際的な存在感が低下傾向にある。世界大学ランキング51における上位200位圏内の日本の大学5校の順位は、過去5年間で東京大学が26位から23位に上昇していることを除いて、軒並み低下している状況である。この間、これらの国立大学の事業規模は増加傾向であったところであり、資金や人的資源の一層の有効活用が求められている。

また、地方の国立大学は、地域に根差した文化的拠点としての強みを活かし、地域のニーズに応じた人材育成拠点、地域社会のシンクタンクとして様々な課題を解決する地域活性化機関としての役割を果たすことが求められている。

これらの国立大学を巡る現状を踏まえ、今後実効性のある大学改革を進めるためには、各大学の機能強化の目的と対象を明確にして、教育研究組織の再編、学内資源の再配分など、大学の自主的な取組みを促す環境整備が必要である。それは、他のあらゆる組織がそうであるように、自ら掲げた目的に基づく成果を達成するための環境整備であり、その成果は明確に社会に対して説明されなければならない。

③運営費交付金予算の配分の在り方

イ)見直しの視点

現在、我が国では、運営費交付金の大宗を占める一般運営費交付金について、教員・学生数などの規模に応じた配分方式を採っているため、学内資源の重点化・再配分に向けたインセンティブが働かない構造となっている。これに対して、諸外国における大学への交付金制度の中には、政府から独立した機関が研究成果・獲得研究収入等の成果に応じた重点配分を行うことにより、大学の自主的な取組みを促す制度がみられる。

また、世界トップレベルの大学や研究機関では、積極的に外部資金を獲得するなど多様な資金調達が行われている。我が国では、運営費交付金が各国立大学の収入財源の半分程度を占めており、多様な研究資金の獲得に向けた取組みが進んでいるとは言い難い。学生への支援を含め、教育研究環境の改善のためには、学長のリーダーシップ・適切なガバナンス体制の下で、多様な資金調達手段を確立するほか、授業料の引上げについても積極的に検討すべきである。

ロ)取組み成果を反映した予算配分及び評価手法の確立

大学の自主的な改革の取組みを促すためには、従前の一般運営費交付金の配分方式を見直し、各大学の取組み成果に応じた配分を行うことが必要である。具体的には、以下の方向を基本として、一般運営費交付金について、競争性の高いメリハリの利いた配分方式とすることを検討すべきである。

  • 各国立大学を、ミッションの再定義を通じた自らの選択により、①世界最高の教育研究拠点、②全国的な教育研究拠点、③地域活性化の中核的拠点の3つの大学群(機能強化の方向性)に機能分化する。
  • 一般運営費交付金全体の3割程度を改革経費として位置付けた上で、学長のリーダーシップを発揮した活用を促すとともに、上記3大学群の中で改革経費を重点配分する。改革経費の配分にあたっては、客観的成果指標を設定の上、2年程度ごとの短期間で取組み成果を評価する方式とする。
  • 客観的指標については、大学群ごとに設定する。例えば、世界最高の教育研究拠点を目指す大学については、国際競争力強化の視点が、地域活性化の中核的拠点を目指す大学は地域人材育成の視点が重視される。
  • 客観的指標の設定にあたっては、定量的・定性的指標が考えられるが、研究成果、人材育成などの客観的な取組み成果のほか、競争的資金獲得状況や寄附金等外部資金獲得状況など、大学自らの資金獲得努力に関する指標も採り入れる。

なお、特別運営費交付金についても、一層の重点化を図るため、政策課題に向けた大学の自主的取組みを評価した上で配分する仕組みに改めるべきである。また、一般運営費交付金のうち、上記改革経費を除いた部分の配分に当たっては、教員・学生数などの大学規模に加え、特別運営費交付金の各大学への配分実績を加味すべきである。これまで、政策課題に対応するために措置される特別運営費交付金の配分終了後は、一般運営費交付金の範囲内で各大学は取組みを継続してきているが、これにより、政策課題に対する円滑な継続環境が整備されるものと考える。


4 科学技術

科学技術振興費は、平成元年度比で約3倍に増加しており、社会保障関係費をも上回る伸びを確保してきた。その結果、政府・民間含めた研究開発費の対GDP比は主要国随一の水準である等、我が国の科学技術に対する資源投入は相当な高水準にある。その間、総論文数の増大や日本人研究者のノーベル賞受賞など一定の成果もあがっているが、厳しい財政事情に鑑みれば、財政資金の量的拡大をのぞむ環境にはなく、今後は「質」を向上しながら、研究開発の成果を最大化していくことが喫緊の課題である。例えば、論文の質についても、主要国に比べて低水準の被引用度を向上するなど、我が国の将来への「先行投資」として費用対効果を高めていくべきである。

(1)基礎研究分野

基礎研究分野については、質の高い研究成果が見込まれる分野融合的研究や国際共同研究といったアプローチに「選択と集中」を進めるとともに、高額な汎用大型研究設備などの共用化を促進することで研究費支出の効率化を進めるべきである。また、研究資金について、国立大学改革の動きも踏まえ、科研費、科研費以外の競争的資金のみならず、大学向け運営費交付金も含めた全体像を俯瞰し、制度全体の中でそれぞれの位置付けを明確化しつつ、制度間の連携強化・統合化を推進すべきである。その他、若手人材育成や国際共同研究といった事業についても、様々な主体が事業を行っており、全体戦略を構築した上で、重複を排除し、整理合理化を進めていく必要がある。

(2)研究不正等への対応

理化学研究所における一連の研究不正に鑑み、資源配分の固定化を防止し、PDCAサイクルを徹底するため、ガバナンス強化が不可欠である。具体的には、外部有識者による評価・助言の反映を徹底し、特段の理由なく反映されない場合は各センターに対する配分額の減額や責任者解任といった厳しいペナルティーを課すべきである。また、財務省予算執行調査における指摘を踏まえ、一括購入や単価契約を徹底し、調達改善が実施されない場合は研究費執行の一部停止等の罰則を導入し、ルール遵守の実効性を担保すべきである。なお、他の研究開発法人についてもこうしたガバナンス強化・調達改革を総点検し、徹底を図るべきである。

(3)事業化に近い研究開発や拠点事業

産業化やベンチャー創出につなげる研究分野については、資金配分に規律を働かせ、新陳代謝を図るため、現在は多くが事業開始後5~10年を目途に評価しているところであるが、原則研究開始後2年ごとに評価しプロジェクト数を絞り込むことをルール化すべきである。その際、客観性・透明性・事務負担軽減を踏まえた評価方法をもって実施する必要がある。地域拠点事業についても、過去累次にわたり展開されてきたことを踏まえ、まずは、これまでの課題を総括した上で、官民分担の在り方や効果的な手法を検証し、地に足のついた姿にしていく必要がある。

(4)大規模プロジェクトの後年度負担

次世代スパコンや宇宙開発などの大規模プロジェクトは、多額の後年度負担が生じることが多く、予算の硬直化を招きかねない。こうした一定規模以上のプロジェクトについては、要求段階において、後年度も含んだプロジェクト全体の資金計画を明らかにした上で、リース等の柔軟なファイナンス方式や官民の費用分担など財源調達の考え方を整理させることとし、自律的に財政健全化目標との整合性を確保する仕組みを作るべきである。

2014年12月21日日曜日

2014 四字熟語

天声人語:今年の創作四字熟語」(2014年12月18日朝日新聞)をご紹介します。


なぜいま衆院選か、その「晋三心理」に首をひねった。「自公堅持」欲は満たしたのだろうが、「死票膨大(しにひょうぼうだい)」で棄権も半数近くとはいかがか。住友生命が募った創作四字熟語は11月が締め切りなので、師走の一大事にも材を求め、我流を試みた。

以下は年末恒例、本物の秀作で1年を振り返る。4月、消費税が8%になり、さあ「五八至十(ごはしじゅう)」かと思いきや、アベノミクスは10%への引き上げを先送り。とはいえ円安のおかげで食材は軒並み値上がりだ。「日本低円(にほんていえん)」の光景に寒さが募る。

デング熱の広がりに「蚊無(かない)安全」を祈った夏の終わり。続く御嶽(おんたけ)山の噴火には、多くの人が「安山(あんざん)祈願」をした。自然のみならず、人も次々と災いを起こす。危険ドラッグをやって車を運転するとは何とも「危草千害(きそうせんがい)」な。

本とペンが一番強い武器。「剣嫌学学(けんけんがくがく)」のマララさんが17歳でノーベル平和賞に。だが、彼女の故郷や「瞬火中東(しゅんかちゅうとう)」の各地で争乱がやまない。中国の会社が期限切れの肉を使っていた「怪鶏(かいけい)処理」にも驚いた。

略してアナ雪、ディズニーのアニメが大ヒットした。ありのままの~と、世は「雪歌繚乱(せっかりょうらん)」に。笑っていいとも!が「放送笑了(しょうりょう)」、8054回の長寿を全う。子どもが熱狂する妖怪ウォッチの関連グッズは品薄が続き、「難買妖怪(なんかようかい)」。

今年届いたうれしい知らせでは、富岡製糸場が快挙を達成。「世界遺蚕(いさん)」というべきか。青色LEDを開発、実用化した3人はノーベル物理学賞に。長年の努力への「青光褒祝(せいこうほうしゅう)」だった。

2014年12月20日土曜日

研究者をいかに育てるか

(耕論)STAPの教訓 郷通子さん、榎木英介さん」(2014年12月19日朝日新聞)をご紹介します。


この1年、科学界を揺るがしたSTAP細胞の「発見」は、誰も存在を証明できない事態に暗転した。大きな教訓は、研究者をいかに育てるか。競争の激しい生命科学の分野で後進を育成してきたベテランと一線の若手は、どう考える?


■多額研究費は逆に人材育てぬ 郷通子さん(前お茶の水女子大学学長)

今回の問題を通じて浮上した大きな課題の一つは、研究者の育成、つまり、大学院での教育はどうなっているか、ということでしょう。私は、このままでは日本の科学は危うい、と思っています。

実験ノートが話題になりましたが、そうした研究に関する基本的なことは、大学院に入って最初に教わるべきことです。

私自身が指導していたとき、学生とは必ず毎週1回、1対1で話をしていました。生データと研究ノートを持ってきてもらって、見ながら議論する。それをやっていれば、独立した研究者になっても基本的なことを知らない、などということにはならないはずです。

<考えさせること> 

最初にどう学ぶか、は非常に重要です。私はお茶の水女子大から名古屋大の物理の大学院に進みました。ノーベル賞を受賞した益川敏英さんと同期でした。今年のノーベル賞の赤崎勇さん、天野浩さんも含め、なぜ名古屋大からの受賞が多いのかとよく聞かれます。旧帝大の中で最後にできた若い大学ということもあり、上下関係もあまりなく、自由な雰囲気があったと思います。

博士論文は、早稲田大の指導教員のもとで書きましたが、名古屋大と共通していたのは、先生は決して研究テーマを与えずに学生に考えさせることです。学生の側にも、たとえ大変でも面白い研究をやるんだ、簡単なものはやるまい、という気概がありました。

最近は、研究テーマを先生が与えることが多くなっているようです。「すぐ論文が書ける」「面白いが5年がかりになるかも」などいくつか並べると、多くの学生はすぐ論文が書けるテーマを選ぶ。

先生も学生も、早く成果を出さなければと、迫られています。

論文もそうです。一流誌に何本も論文を発表している大学院生に聞くと、先生が書いた、という。そのほうが効率がいいからでしょう。私が指導していたとき、最初は論理構成もめちゃめちゃで、どうやって論理を組み立てるか、何のための研究か、などと議論しながら自分で書かせました。データがそろってから1年くらいかかります。でも、そうして自分で書かないと、本人のためにならない。自分できちんと論文が書けることは、博士の最低条件です。

<多様性を大切に> 

しかし、こうした指導スタイルは大学院でも研究機関でも、とくにこの10年ほど、変わってきたことが気がかりです。

とりわけ、多額の研究費をもらっている研究室ほど、早く成果を出し、多くの論文を発表することが求められる。お金があればできることはだれでもできるから、いかに早くやるかが勝負になる。ボスも忙しいから若手とじっくりつきあっている時間は取りにくく、若手もさっさと論文を仕上げないと次のポストが得られません。

研究費が重点的に支給されている大学や研究機関ほど、そうした傾向が強くなります。研究費が少なければ、工夫がいるし、何をやるか、頭も使う。多額の研究資金が投じられるほど、人が育ちにくい、という皮肉な結果です。

基盤的な研究費は減っているため、たとえば科学研究費補助金(科研費)に応募しても採択率は4分の1ほどです。小さい大学で研究をすることはますます難しくなっています。一部の大学への過度の集中は改め、幅広く支援していく必要があると思います。

ユニークな研究を育むには何より、多様性が大切だからです。

若手研究者を対象とする賞でも、はやりのテーマで一流誌に論文をたくさん発表している人が選ばれがちです。その人ならではの思い切った挑戦をもっと評価すべきです。

若い研究者に、研究とは何か、研究の本当の面白さとは何か、きちんと教えることが、指導する者の役目です。それを再確認する必要があります。

現在、大学と大学院との一貫教育が議論されていますが、これには反対です。囲い込みを強めて流動性を損ない、多様性を失う結果になります。

小保方晴子さんのように、新しい分野への挑戦は奨励されるべきです。もっと上手に育てることもできたのでは、と残念です。

 (ごうみちこ)
39年生まれ。専門は生物物理学。名古屋大、長浜バイオ大の教授、お茶の水女子大学長などを経て名古屋大名誉教授、情報・システム研究機構非常勤理事。


■若手追い詰める競争の緩和を 榎木英介さん(近畿大学医学部病理学教室講師)

生命科学の分野で最近、研究不正が特に目立っています。重点分野としてポストや研究費が増えているため、多くの研究者が参入し激しい競争を繰り広げていることと無関係ではないと思います。

競争に勝つには、いい論文を数多く発表し、権威ある雑誌に掲載されなければなりません。そのためには捏造(ねつぞう)したデータの使用も、いとわなくなってしまう。また、実験結果の撮影にデジタルカメラを使うと、デジタル技術で画像を鮮明にしたり、コントラストを強調したりすることが簡単にできる。研究不正が生み出される素地が広がっているのです。

<ピペドと呼ばれ>

このような事情から、世界的に生命科学の分野で研究不正が起きやすくなっているのですが、日本では、教授などのボスに権限が集中する、上下関係の強い研究風土の弊害が強く出ています。

特に、「ポスドク」といわれる博士号取得後も不安定な有期雇用で働く人たちや大学院生は、強いプレッシャーを受けています。微量の試薬を測るマイクロピペットという道具を握って朝から晩まで実験を繰り返す姿は、奴隷になぞらえて「ピペド(ピペット奴隷)」と呼ばれるほどです。

大学院生は1991年から2000年にかけて倍増しました。でも教員は増えていないので、博士課程の学生はまともな教育を受けられず、単なる労働力として酷使されています。「大学院生はタダで使える」と放言する教授さえいる。すべての若手研究者がピペドというわけではありませんが、その置かれた境遇はひどい。監視カメラで行動を監視する研究室も存在する。女性研究者が教授から「結婚や出産をするなら、研究室から出ていけ」と言われたケースもあった。生命科学系のポスドクの15%が週80~100時間働いているという日本学術会議の調査結果もあります。

追い詰められた境遇から抜け出すには、いい論文を書かなければなりません。そんなとき、「ちょっとぐらい画像をいじっても誰も気が付かないよ」と悪魔がささやくのです。

研究不正に手を染めるぐらいなら、ピペドをやめればいいと思うかもしれません。でも、やめようとしても、教授が就職のための推薦状を書いてくれないとか、次の行き先がないため、やめるにやめられないということがあります。

実際、私の知人でピペドをやめてみたものの、就職先がなく、40歳近い年齢で今もアルバイト生活をしている元ポスドクがいます。

<研究者を減らせ> 

大学院における学生への指導の欠如の問題もあります。教員も激しい研究競争に勝つため、学生の指導をしている暇がないのです。どうしているかというと、一つは大学院生を放置してしまう「放牧型」。もう一つは厳しく管理して、どんな研究を行うべきか、そのためにはどんな実験が必要か、細かく指示してやらせる「ブロイラー型」です。そして両方の悪いところを取ってできるのが「放牧ブロイラー型」。その実態は教員がテーマを決めてしまいます。しかし、指導はなく、学生はほったらかされる一方で、早く論文を書けとせかされます。

これでは、形だけ取り繕って研究結果が出ているように装うようになっても不思議ではありません。実験がうまくいかなければ、うまくいったときの画像を使う。データの切り貼りや、文章の引き写しも平気になります。

現在の生命科学研究における競争は、明らかに不健全なレベルに達しています。これを健全なレベルまで緩和しなければならない。

そのためには、増えすぎた研究者の数を減らす必要があります。生命科学系の大学院の定数やポスドクの数を減らすのです。

一方で、若手の研究者に安定的なポストを提供することも欠かせません。ノーベル賞級の研究は30代に行われたものが圧倒的に多いのですが、日本では30代のときに自分の裁量で研究ができる安定したポストが少ない。40代、50代になって安定したポストに就いたときには、才能が枯渇してしまっている状況です。日本の将来のためにも、若手研究者に安定した仕事を提供することが重要です。

 (えのきえいすけ)
71年生まれ。東京大学理学部生物学科卒業、同大学院博士課程中退後、神戸大学医学部に編入学。著書に「博士漂流時代」「嘘(うそ)と絶望の生命科学」など。


<STAP細胞問題> 

理化学研究所の小保方晴子氏らは1月末、記者会見を開き、弱い酸などの刺激で「STAP細胞」という全く新しい万能細胞をつくったと発表。若い女性研究者による画期的な成果と注目されたが、論文の画像に不自然な点があると指摘され、理研は不正と認定。論文は撤回された。小保方氏はSTAP細胞の存在を主張して再現実験を11月末まで行っていたが、理研関係者によると存在を確認できなかったという。教育や研究のあり方、研究不正の防止などの課題を残した。

2014年12月17日水曜日

評論家はいらない

ブログ「人の心に灯をともす」から言い訳はいらない」(2014-12-16)をご紹介します。


「立派なことを言うより立派なことをするほうが立派だ」

これは偉大な政治家であり発明家でもあったベンジャミン・フランクリンの言葉である。

「こうすればいい、ああすればいい」と評論家のようなせりふを口にするのだが、さっぱり実行が伴わない人はあなたのまわりにもたくさんいることだろう。

本当の成功者は、実行した経験をもとに話をするものだ。

あなたは口先だけの人物か、実行する人物か、どちらだろうか。

あなたがうまくやり遂げられる可能性のあることは何だろうか。

あなたが立派に実行できれば、人々はあなたのアイデアに敬意を抱くようになる。

「言い訳が得意で、他のことも得意だという人を、私は一人も知らない」

これもフランクリンの名言である。

物事を最後まできちんとやり遂げない人を表現する言葉として、これ以上に的確なものはない。

「忙しい」「やり方がわからない」「時間がない」「お金がない」などというのは正当な理由にはならない。

それをするだけの勇気や能力、技術が自分にはないことを認めたくない人が思いつく言い訳にすぎないのだ。

何かをやってみるのに言い訳はいらない。

さあ、やってみよう。


ただ口先だけで文句を言ったり、批判したりする評論家のような人は多い。

言い訳が得意な人も同じで、自分が行動しない理由、評論家である理由を情熱をこめて説明できる。

行動の人は、できない理由ではなく、できる方法を一つでも多く探す。

そして、それを一つづつ実行する。

「言い訳はいらない」

実行する人にだけ幸せの女神は微笑む。


2014年12月15日月曜日

名を残さず、行いを残せ

ブログ「今日の言葉」から残すもの」(2014-12-12)をご紹介します。


名を残さず、行いを残せ

二宮 尊徳


昨日の時々振り返りたい言葉と同様、時々読み返したいお話があります。

『小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。

でも、絵が上手な子だった。

彼は、よく空の絵を描いた。

抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。

担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。

冷や汗をかきながら、指を使って、

「ええと・ええと」

と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。

N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。

私はN先生が大嫌いだった。

クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、全校集会で先生のお別れ会をやることになった。

生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。

先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。

お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。

私は、A君の言葉を忘れない。

「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」

A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。

水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。

放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。

その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。

N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。』

2014年12月14日日曜日

運は人が運んできてくれるもの

ブログ「人の心に灯をともす」から運に巡り合いたいのなら」(2014-12-11)をご紹介します。


自分の好きなことを仕事としてやっていくことができる人は、本当に幸運だと思います。

僕自身、そんなことはほとんどできていません。

やりたくもない予備校講師を長年やってきたことで、ようやく自分が一番やりたい本を書くという仕事の依頼を次々といただけるようになりました。

ところが、本を書くより好きだとはとても言えないテレビの出演の依頼も多数いただけるようになり、肝心な本を書く時間をほとんど捻出できない状況です。

だったら、テレビの仕事を断ればいいではないか、という声も聞こえてきそうです。

それはもっともですが、「それはちょっと違う」と言いたいのも事実です。

みなさんは、自分の「交換可能性」ということについて考えたことがありますか?

僕は、このことに絶えず自覚的です。

仕事を断ることは簡単ですが、僕でなければできない仕事などほとんどありません。

そう、僕にできる仕事は、基本的には他の誰でもできるのです。

にもかかわらず、相手はぜひ僕に、と依頼してくれた…。

どこに断る理由があるのでしょうか?

ありがたくお受けして、そこで全力を尽くすだけです。

そして、依頼してくれた相手が、「やっぱり林さんにお願いしてよかった」とほほ笑んでくれれば、それでよいではありませんか。

こういった「交換可能性」は、すべての人に当てはまる話なのです。

「オレがいなかったら、この会社は立ち行かないよ」

こんな妄言はありません。

その人がもしいなくなっても、おそらくその会社はしっかり営業を続けるでしょう。

組織とはそういうものであり、また、そういうふうに組織づくりを行うべきなんです。

そんなふうに、誰しもが「交換可能性」に脅かされるように生きているなかで、『アンパンマン』の作者であるやなせたかしさんは、次のようにおっしゃっています。

『運に巡り合いたいのならば、なんでも引き受けてみるといい』

自分の好き嫌いなどという小さな物差しにこだわらないことが、運に巡り合う秘訣だ。

そう読み替えることもできるでしょう。

そういうものなんですよ。

これは、僕がいただいたテレビの仕事に全力で向き合ったからこそ出会えた言葉なんです。

『やりたくない仕事に全力で打ち込むことが、やりたい仕事に自分を近づけてくれるという逆説』

そんなふうにも言えるのではないでしょうか。逆に、

『やりたいことにこだわりすぎるがゆえに、逆にやりたいことができなくなってしまうという逆説』

これもまた真実のような気がします。

会社に入って、最初に配属されたのが希望した部署ではなかったと、モチベーションが下がってしまう人がいます。

ひどい場合は、それだけで会社を辞めてしまう人さえいます。

「僕にはそれはできません」「私はこれしかやりません」と拒否することが、結果的には自分の可能性を狭めることになる場合が少なくないのです。

自分にどんなポテンシャルが眠っているのかは、案外自分ではわからないもの。

第三者が客観的に見たうえでの、「この人にはこの仕事をやらせてみよう」という判断は、意外に正しい場合が多いのです。

ですから、自分のモノサシにこだわって、まだわからない未知の才能が花咲く可能性をつぶしてしまうのはもったいない。

やなせさんのような、こんな仕事もやってみるか、という柔軟な姿勢から好結果は生まれるものなのです。


幸運も不運も、人が運んでくるもの。

運の悪い人と巡り合えば運は悪くなり、運のいい人と巡り合えば運はよくなる。

「運は自分が引き寄せるもの」、と考えるより、「運は人が運んできてくれるもの」と考えた方が謙虚で可愛げがあり、運の女神には好かれやすい。

もちろん、自助努力なしの、口をあけてただ待っているだけの人頼りの姿勢では、運はやってこないのは言うまでもない。

人から頼まれたり、やる羽目になったことは、テストのようなもの。

頼まれたこと以上のことをして、相手を驚かせたり、喜ばせたらテストは合格。

そこから、運がやってくる。

自分の幅を大きく広げてくれるのは、多くは、人からの無茶な頼みや、無理難題にも思えるオーダー。

運は予期せぬ方角からやってくる。

そして、自分の枠を超えたところに運は存在する。

人からの頼みごとを全力でやり遂げる人に、運は巡ってくる。


著者 : 林修
青春出版社
発売日 : 2014-10-25

2014年12月12日金曜日

政治に問われる子どもの貧困問題

「「夕食は「おにぎりパーティー」 子どもの貧困6人に1人」(2014年12月9日朝日新聞)をご紹介します。


給料日前の月末になると、夕食の食卓に連日、おにぎりだけが数個並ぶことがある。

都内の母親(50)は、小6の長女(12)に「さあ、おにぎりパーティーの始まりよ」と声をかける。

「だって『おにぎりしかない』って言うと暗くなっちゃうでしょ」。具は何がいいか、リクエストも聞く。「おかかとみそ、塩の3種類しかないけどね」

母子家庭になったのは、長女が生まれてすぐだった。母親は専業主婦だったが、介護の仕事を始め、資格もとった。

週4日、病院で介護士としてパートで働く。もっと働きたいが、周りになじめず低学年から不登校になった長女を放ってはおけない。パートの収入は月12万~13万円。生活保護も一部受ける。生活費にあてられるのは月7万2千円。うち食費は2万円ほどだ。

長女は昨年からようやく、フリースクールに通えるようになった。給食は出ないので、昼ご飯を食べずに過ごすことが多い。帰り道の夕方、100円で9個入りの小さなシュークリームを買うのが楽しみだ。

夕食は、午後7時すぎに帰宅する母親と食べる。モヤシだけの焼きそば、肉のかわりに12個で87円のウズラの卵が入ったカレー。「育ちざかりなのに。虐待じゃないかと思うこともある」と母親は打ち明ける。

7月は電気、8月はガス、9月は水道などと数カ月に1回順ぐりに払う。それでも払えないこともあり、昨年のクリスマスには水道が止められた。炊飯器の釜やペットボトルを手に公園へ行き、水をくんだ。

長女はいう。「わたしはがまんしてない。お母さんの方ががまんしてる」

国民1人の平均所得の半分に満たない家庭の子どもは、6人に1人。子どもの貧困が広がっている。

留守番の夜、夕飯は児童館で

タラとキノコの酒蒸し、ニンジンとホウレン草のサラダ。「いただきまーす」。夕方6時、小学生3人と、学生らボランティアの大人たち7人の夕食が始まった。東京都豊島区のお寺の施設を利用し、地元のNPO法人が毎週火曜日に開く「夜の児童館」だ。

子どもたちは午後4時から8時まで、夕食を食べ、宿題をしたり遊んだりして過ごす。「なんの魚か分かる?」「骨があるから気をつけて」。会話も楽しむ。

通うのは、ひとり親や共働きの家庭の子たちだ。児童館を開くNPO法人「豊島子どもWAKUWAKUネットワーク」事務局長の天野敬子さんによると、こうした家庭では学童保育のあと、子どもが家で1人で過ごすことが少なくない。夕食は菓子パンなど簡単なもので済ませがちだ。

「栄養面だけではない。家族とごはんを食べたり、おしゃべりしたりという経験が抜け落ちていく。働かなければいけない親が帰ってこられないのなら、地域で支える場所が必要だ」と天野さんは話す。

このNPOは3年前、不登校や引きこもりの子の支援をしてきた天野さんらが立ち上げた。夜、家で1人ですごす子の話を聞き、夕食の場を提供しようと、11月から児童館を始めた。

小学2年の長男(8)が通うシングルマザーの母親(38)は「児童館のある火曜日だけは少し残業もできて、助かる」と話す。

旅行会社でパートで働き、時給は950円。月の収入は13万~15万円ほどだ。午後5時半に会社を出て、学童保育のお迎えに駆け込む。パートでボーナスもなく、「ぎりぎりで生活は回っているけど、貯金ができないのが悩み」。

経済的な貧しさは、子どもたちが受けられる教育の問題につながり、「貧困の連鎖」を生む。

福岡県の公立高3年の男子生徒(18)は中学3年のときに母を亡くし、姉と生活保護で暮らす。すべり止めの私立を受けられず、志望校のランクを下げていまの高校に入った。母を失ったショックや学校への不満から、1~2年のころはあまり学校に行けなかった。

大学の夜間部に進みたいが、お金や学力など不安だらけだ。塾や予備校に通う余裕もない。「いま勉強して意味があるのかな、と考えてしまう」

名古屋市に住む女性(20)はこの春、愛知県立の夜間定時制高校から県内の専門学校に入学した。

中学時代に両親が離婚した。母は恋人をつくって留守がちになり、祖父母宅に身を寄せた。大学進学を考え、喫茶店やライブ会場などのアルバイトを掛け持ちして働き、高校卒業までに100万円以上をためた。

昼に働いた後で学校に行き、深夜再び働いたこともある。入試に失敗し、専門学校に通いながら来春の大学編入試験を目指す。

担任だった高校の教師(60)は「定時制にはひとり親で生活保護を受けている生徒が多い」という。幼い弟妹の面倒を見るため中学に通えなかったという生徒もいた。「祖父母の代から生活保護という子もいる。貧しい層の固定化が顕著になっている」と話す。

子どもの貧困率、悪化続く

子どもの貧困率はデータを取り始めた1985年以降、悪化が続いている。厚生労働省の調べでは、2012年には国民1人あたりの平均所得の半分(12年は122万円)にも満たない家庭で暮らす子どもたちの割合が、過去最悪の16・3%になった。

政府が子どもの貧困率を公表したのは、民主党政権になった直後の09年秋。安倍政権下で昨年、貧困の連鎖に歯止めをかける対策を国の責務とする「子どもの貧困対策法」が成立した。今年8月には、学校を支援の拠点に位置づけるなどの重点施策を示した「子供の貧困対策大綱」ができた。

法律や大綱ができたのは評価できる。ただ、大綱には子どもの貧困率をどれだけ削減するかの数値目標すら盛り込まれなかった。児童扶養手当の増額や返済のいらない奨学金の創設など有識者の検討会が求めた策も見送られた。

そもそも実態調査は遅れている。いまは家庭の所得を元に貧困率を出しているが、都道府県別や年齢別などのくわしい調査は進んでいない。これでは、子どもの状況に応じたきめ細かな対策は難しい。

あしなが育英会など17団体が今回の衆院選を前に、政党にたずねたアンケートでは「子どもの貧困について多面的な実態調査をする」との項目に全党が「取り組む」と答えた。

子どもの貧困は、日本が直面する「格差」の問題でもある。詳しい実態調査に加え、低賃金の非正社員が増える雇用の問題、教育への支援など対策は多岐にわたる。政治のリーダーシップが問われている。

2014年12月11日木曜日

心を込めて聴く

ブログ「今日の言葉」から傾聴」(2014-12-04)をご紹介します。


人には口が一つなのに、

耳は二つあるのは何故だろうか。

それは自分が話す倍だけ

他人の話を聞かなければならないからだ。

ユダヤの格言


「傾聴」という言葉が最近注目されています。

聞くのではなく、聴く。

「聴」という漢字には「心」が含まれていますから、

心を込めて聴くということになるのでしょう。

相手に興味を持って話を聴く。

相手の話を途中で遮らない。

相づちを打つ。

良し悪しを判断しない。

腕組みや反り返った姿勢にならない。

などなど、傾聴の技術が様々紹介されています。

時に自分の存在感を証明するためのごとく、

自分の主張をしてしまうこともあるでしょう。

そんなときには「今、それを言うことに本当に価値があるか?」

と自問自答してみることも大切ですね。

そして話す方もそうして相手が傾聴してくれていることを意識して、

相手に伝わりやすい方法で伝えることを意識すること。

それは決して自分が話したい様に話すこととは違う。

そうしたお互いの配慮があって、

良質なコミュニケーションが生まれていくのです。

ただし時にはただ聞いてほしいという時もあるでしょうから、

そういう時はまず、「何も言わず話だけ聞いて!」

と前置きすることが大事ですね。

2014年12月8日月曜日

どんな教育を目指すか

衆院選 教育改革 時代が求める人材は」(2014年12月6日朝日新聞社説)をご紹介します。


安倍政権はこの2年間、経済と並ぶ重要課題として、「教育再生」を掲げてきた。

日本人としてのアイデンティティーを育てる、とのかけ声で様々な施策を進めている。

教科書の検定基準を変え、政府見解を書くよう促した。領土問題も、政府の主張通りに教えるよう指導の指針を改めた。

道徳を教科に格上げし、「愛国心」を掲げた教育基本法に基づく教科書を導入する。高校で日本史必修化の検討も始めた。

自民党はそれらを公約とし、「スーパーグローバル大学」の整備などもうたう。安倍首相が語る大学改革の目標は、「世界で勝つ」人材育成だという。

だが必要なのは、世界で勝つ人材ではなく、国内外の問題解決の道を探れる人材ではないのか。それには多種多様な価値観の人々と対話する力が肝要だ。

野党は、公約の力点を教育の条件整備に置く党が多い。民主党は、少人数学級の拡充や高校無償化を挙げる。社民党も「30人以下学級」「給付型奨学金」などの支援策が中心だ。

そこからは、これからの時代にふさわしい人間像や教育の進むべき方向性は読み取れない。

維新の党は「多様性こそ国家の活力」とし、「多様な教育提供者の競い合い」を強調する。ただ、子ども一人ひとりがどう学ぶかまでは触れていない。

これからはグローバル化と情報化が一層進む。今日の知識が明日も正しいとは限らない。一人の力では限界がある。言語や文化、分野の異なる人々と力を合わせ、答えが一つではない課題に取り組む力が求められる。

日本人としての意識は大切だが、それだけでは足りない。相手を知ることで自らを問い直す力も欠かせない。

日本人そのものも一色ではない。多様な見方や考え方を認め合う姿勢が必要だ。教室のいじめも、「みんな一緒」を求める同調圧力から生まれているのではないか。自分たちと違う者を排斥する先にあるのが、ヘイトスピーチだろう。

この間の政策の過程も多様化する社会にふさわしいとは言い難い。与党の方針を政府の「教育再生実行会議」が権威づけ、文部科学相の諮問機関「中央教育審議会」が具体化する――。そんな与党判断が政策に直結する手続きではなく、幅広い意見を集めるプロセスが必要だ。

教育は子どもを通じて新しい時代をつくりだす営みだ。どんな教育を目指すかは、どんな社会を描くかに直結する。だからこそ、各党は教育をめぐる議論を活発に戦わせてほしい。

2014年12月7日日曜日

幸せとは、ごくあたりまえの恵みに目覚めること

「幸せとは気付くことである」(2014-11-29 PRESIDENT Online)をご紹介します。


このところ、幸せとは何か、という問題を考えていると、思わず手をたたきたくなる。

日本語の楽曲としては、現在まで唯一の全米チャート1位という偉業を達成した『上を向いて歩こう』。この大ヒットで知られる坂本九さんが歌っていたのが、『幸せなら手をたたこう』。いまだに歌い継がれているこの曲が、大好きだという人は多いだろう。

2014年のグラミー賞で複数の賞に輝いた米国の歌手、ファレル・ウィリアムスのヒット曲『Happy』。この楽曲は、繰り返し、「幸せなら手をたたこう」と歌っている。

「幸せの意味がわかったら」「幸せこそ真実だと思ったら」「自分が、屋根のない部屋のように感じたら」手をたたこうと呼びかけるのだ。

手をたたくって、そんなにシンプルなことでいいのか、と思うだろう。幸せになるって、もっと複雑な、難しいことではなかったか、と思う人がいるかもしれない。

しかし、そうではない。幸せとは、「気付く」ことであると、さまざまな研究結果が示している。自分の人生の中の、ごくあたりまえの恵みに目覚めることが、汲めども尽きぬ幸せの泉となるのだ。

ある程度の経済的裏付けは、もちろん必要である。しかし、お金さえあれば、幸せになるというわけではない。

今日はどのシャンパンにしよう、フレンチにしようか、イタリアンにしようか、という生活は贅沢で羨ましいようにも思える。しかし、そのような人が、今晩はどの発泡酒にしようとコンビニの棚の前で考えている若者に比べて、幸せであるとは限らない。

「隣の芝は青く見える」という。他人を羨ましく思うことが、明日への活力につながることもあるし、国全体としての経済成長を促すこともあるだろう。

しかし、それがいきすぎると、こだわりや執着を生む。何よりも日々の生活が、「いつか幸せ」になるためのプロセス、手段になってしまう。

本当は、今日という日は、二度と帰ってこない。だからこそ、日々の足元を見直すことが、幸せにつながる。つまり幸せとは、一つの「発見」であり、「認知」なのだ。

そのことを表しているのが、メーテルリンクの「幸せの青い鳥」の寓話だろう。幸せを求めてさまざまな場所を旅し、家に戻ってくると、幸せの青い鳥は、実は最初から自分たちの家にいたのだった。

この寓話が意味するところは、幸せの条件は、すでに足元にあることが多い、ということであるが、もう一つ、大切なポイントがある。

それは、他人の人生、別の生き方を知ることが、自分自身の幸せを見直すきっかけになるということ。幸せの青い鳥は、最初から家にいたのかもしれない。しかし、家に閉じこもっていたままでは、その意味に気付くことはできなかっただろう。

さまざまな場所を旅して、いろいろな人と話すことは、だから、決してムダにはならない。外国を旅した人が、日本の良さに目覚めるように、他者との出会いがあって初めて、身近にある幸せの泉に気付くことができるのだ。

結論。幸せの青い鳥は、すぐ身近にいる。しかし、その存在に気付くためには「旅」をすることが必要。幸せは、手をたたくくらい簡単なことなのだが、そのためにこそ、他人との出会いが大切だ。

さあ、そこのあなた、身近な幸せを見つけて、いっしょに手をたたきませんか。

2014年12月6日土曜日

原因は必ず結果を生む

ブログ「人の心に灯をともす」から「因果応報の法則」(2014-11-27)をご紹介します。


因果応報の法則とは、善いことをすればよい結果が生じ、悪いことをすれば悪い結果が生まれる。

善因は善果(ぜんか)を生み、悪因は悪果(あくか)を生むという法則のことです。

善因悪因の「因」とは、自分が生きている間に思ったこと、行ったことです。

自分自身が思い、考え、実行すること、それらが因、つまり原因となります。

思ったり、考えるだけで原因になるのか、と疑問に思われる方もいるかもしれません。

また、単に思っただけでしかないと、我々は軽く考えがちです。

しかし、思うということは決して軽いものではありません。

恨み、つらみなどを考えただけで、それが原因をつくってしまいます。

そして、原因は必ず「結果」を生みます。

原因が原因のままで残り続けることはありません。

このことをお釈迦さまは、「縁によって果が生ずる」とおっしゃっています。

ところが、因果応報の法則は、必ずしもその通りの結果が出ているようには見えません。

周囲を見渡せば、いいことをしてきた人が病気で苦しんでいる、悪いことをしている人が幸せそうに暮らしている例は、いくらでもあります。

このような状況では、いくら因果応報の法則を説かれても、我々のような凡人にはなかなか信じられません。

世の中は、因果応報の法則の通りになっていない、とつい思ってしまいます。

因果応報の法則は、結果が出るまでには時間がかかることがあります。

原因に対して結果がすぐ出ることもあるにはありますが、多くの場合はなかなか結果が出てこないのです。

しかし、20年、30年といった長いスパンで見ると、必ず因果応報の法則通りの結果になっています。

それでも私は、因果応報の法則に合わないケースがあるように見えるのは、どうしてなのかと以前は悩んでいました。

そのときに読んだのが、『シルバー・バーチの霊訓』です。

昔、ロンドンのある町医者が友人10人ほどを呼んで、毎週末、自宅で交霊会をやっていました。

町医者自身が、自分の身体に霊魂を呼び入れられる霊媒(れいばい)だったのです。

その交霊会には、いつもシルバー・バーチと名乗るアメリカインディアンの霊が出てきます。

その霊の言葉を集め出版されたのが『シルバー・バーチの霊訓』です。

私は当時から先進国であったイギリスの首都ロンドンで、しかもインテリである医者が霊媒になって交霊会をしていたという事実に興味を引かれてこの本を入手したのですが、その中にわずか数行ではありますが、因果応報について述べているところがありました。

シルバー・バーチの霊は言います。

「因果応報を疑っている人もいるだろう。だが、私がいるところから、みなが生きている現世を見ると、一分一厘(いちぶいちりん)の狂いもなく、原因の通りの結果が出ている」

すごいことだと思いました。

私はこの年齢になってもシルバー・バーチの霊ほど長いスパンで人生を見通せるわけではありませんが、納得することができるようになりました。


自己啓発のバイブルと呼ばれている本、「原因と結果の法則」を書いた、ジェームズ・アレンの言葉に次のようなものがある。

「行いは思いの花であり、喜びや悲しみはその果実です。私たちは、ときには甘く、ときに苦い果実を、自分で育て、収穫するのです」

強烈な思いは、必ず行動となってあらわれる。

そして、その思いが善きことなら、善い結果が生まれ、悪しきことなら、悪しき結果が生まれる。

その結果がどんなものであれ、それは自分自身が引き受けなければならない。

「一分一厘の狂いもなく、原因の通りの結果が出ている」

善きことを思い、善き行動を起こしたい。


著者 : 稲盛和夫
致知出版社
発売日 : 2014-11-25

2014年12月5日金曜日

小さな実践が人を変える

ブログ「今日の言葉」から実践」(2014-11-28)をご紹介します。


小さな実践が人を変え、地域を変える。

鍵山秀三郎


「こんなこと位ならしなくてもいいだろう。」ではなく、

「こんなこと位ならやってみよう」と行動に移す。

それは結構勇気のいることですが、その実践の積み重ねが環境を変えていくことになる。

そんな実践の大切さを教えてくれる新渡戸稲造のお話を紹介します。

彼はクラーク博士で有名な札幌農学校を卒業後、アメリカとドイツに留学し、教育者として研鑽を積んでいきます。

彼がドイツのボン大学で学んでいたときのこと。

近くの公園を散歩していると、カトリックのシスターが大勢の孤児を連れて歩いているのを見つけました。

孤児たちは、同年代の子が親と楽しそうに遊んでいるのを見て、悲しそうな顔を浮かべています。

その日は、ちょうど新渡戸の母親の命日でした。

そこで、彼は母親に供え物をする代わりに、あの子たちにプレゼントを贈ろうと考え、近くにいたミルクを売っている女性に、代金を払うから、あの孤児たちにミルクをあげてほしいと頼みます。

もちろん、彼からのプレゼントだということは秘密にしてもらいました。

ミルク売りの女性はシスターにこの申し出を伝え、孤児たち全員にミルクが配られました。

突然のプレゼントに子どもたちは大喜び。

そして、全員が飲み終わると、シスターは孤児たちに話します。

「私たちに施しを下さった方が、どなたかはわかりません。

ですが、感謝の気持を伝えるために、全員で賛美歌を歌いましょう」

公園内に響く子どもたちの歌声。

彼は、母親の命日によいことができたと満足し、シスターと孤児が公園から去るのを見届けると、代金を払うためにミルク売りの女性のもとへ向かいました。

ところが、ミルク売りの女性は、代金を半額しか受取ろうとしません。

「私も孤児たちにミルクをあげたいと思っていましたが、商売のことを考えると、なかなか行動を起こすことはできませんでした。なので、ミルク代は原価だけを受取らせてください。今日は本当にありがとうございました」

ミルク売りの女性もまた、温かな心を持っていたのです。

2014年12月4日木曜日

人生の要素

ブログ「今日の言葉」から素直な心」(2014-11-27)を抜粋してご紹介します。


素直な心の内容10カ条

第一条 私心にとらわれない

素直な心というものは、私利私欲にとらわれることのない心、私心にとらわれることのない心である

第二条 耳を傾ける

素直な心というものは、だれに対しても何事に対しても、謙虚に耳を傾ける心である

第三条 寛容

素直な心の内容の中には、万物万人いっさいをゆるしいれる広い寛容の心というものも含まれている

第四条 実相が見える

素直な心というものは、物事のありのままの姿、本当の姿、実相というものが見える心である

第五条 道理を知る

素直な心というものは、広い視野から物事を見、その道理を知ることのできる心である

第六条 すべてに学ぶ心

素直な心というものは、すべてに対して学ぶ心で接し、そこから何らかの教えを得ようとする謙虚さをもった心である

第七条 融通無碍

素直な心というものは、自由自在に見方、考え方を変え、よりよく対処してゆくことのできる融通無碍の働きのある心である

第八条 平常心

素直な心というものは、どのような物事に対しても、平静に、冷静に対処してゆくことのできる心である

第九条 価値を知る

素直な心というものは、よいものはよいものと認識し、価値あるものはその価値を正しくみとめることのできる心である

第十条 広い愛の心

素直な心というものは、人間が本来備えている広い愛の心、慈悲の心を十二分に発揮させる心である

松下幸之助


上に立つ人は、自分の欠点をみずから知るとともに、それを部下の人たちに知ってもらい、それをカバーしてもらうようにすることが大事だと思う。

部下の人が全知全能でないごとく、上に立つ人とても完全無欠ではない。

部下の人よりは欠点は少ないかも知れないが、それでも何らかの欠点を持たないという人はいないだろう。

その欠点多き上司が自分の知恵、自分の力だけで仕事をすすめていこうとすれば、これは必ずといっていいほど失敗するだろう。

やはり、自分の欠点を部下の人に知ってもらい補ってもらってこそ、はじめて上司としての職責が全うできるのである。

2014年12月3日水曜日

できなかった親孝行

母への思いが変わった瞬間(きょうも傍聴席にいます)」(2014年11月18日朝日新聞)をご紹介します。


やせ細っていく、優しかった母。息子は1人で介護を続けた。体力がなくなってきたからか、母は入浴や食事を嫌がり始めた。2人で孤立するなか、息子の心配は、いつしかいら立ちに変わり、そして、暴力へとつながっていった。

東京地裁の715号法廷。10月28日、中野雅昭被告(39)は初公判に、緑色のネクタイをしめ、スーツ姿で現れた。母親に暴力を振るい、死なせたとして傷害致死罪に問われた。裁判員らの視線が集まるなか、緊張した面持ちを見せた。

検察側の冒頭陳述などから、事件をたどる。

中野被告は両親とともに、東京都中野区のマンションで暮らしていた。高校卒業後、スーパーで11年間勤務。だが、上司のパワハラを理由に辞職した。その後、別のスーパーで働いたが、5年前からは無職だった。

父親は15年前に他界。以来、母のれい子さん(当時64)と、2人で生活してきた。定職につかない息子を、母が責めることはなかった。「自分のやりたいことが見つかるまで、待っていいよ」。そう言って、見守ってくれていた。

一方で、れい子さんは骨粗鬆症(こつそしょうしょう)を発症。2011年から入退院を繰り返し、次第にやせ細っていった。

ほぼ毎日の通院には、中野被告が付き添った。食事は中野被告が用意したが、レトルト食品やスーパーの総菜が多かったという。

事件の1年前。れい子さんは雪で滑って、大腿(だいたい)骨を骨折してしまった。入浴やトイレも、1人では難しくなった。時折、尿や便を漏らすこともあったが、中野被告が下着などを手洗いした。

いつも寄り添う2人の姿を、マンションの住民がたびたび見かけている。

被告人質問。

弁護人「1人で介護をするのは、負担だったのでは」

被告「正直、負担でした。でも、仕方のないことだと思っていました」

小さな声で、こうも言った。

被告「とても優しい母でした」

なぜ、暴力が始まったのか。きっかけは、事件のほぼ半月前だ。

被告「1月13日です。おかゆを用意したが、母が食べず、顔を、平手打ちしてしまいました」

弁護人「なぜ暴力を」

被告「朝の『打ち合わせ』で、食べると言っていた。約束を守らなかったので、カッとなってしまいました」

人付き合いが苦手だった2人は、毎朝、れい子さんが集めていたキューピーの人形をそれぞれが持って、人形劇のように「打ち合わせ」をしていた。

ご飯を食べるか、散歩に行くか、お風呂に入るか。

心配性できちょうめんだった中野被告は、打ち合わせで決まったことを守ろうとした。だが、れい子さんは次第に、打ち合わせに反して、「食べない」「しんどいから風呂には入らない」と言うようになった。

被告「日に日に弱っていく母を見て、疲れていました」

「母のため」を思い、食事や入浴の準備をした。だが、応じてもらえない。「打ち合わせ」で決めたことも守ってもらえず、ストレスがたまっていった――。中野被告はそう説明した。

3~4日に一度、れい子さんに暴力を振るうようになった。

そして、1月29日。

中野被告は、れい子さんのためにレトルト食品のおかゆをあたためた。だが、れい子さんは「食べない」。カッとなって、顔をたたいた。

夜、風呂場に連れて行ったが、「しんどいからやめとく」。

布団が敷いてあった台所まで戻って、寝かせた。だが、怒りは収まらなかった。背中を強く蹴った。何回蹴ったか、覚えていない。

れい子さんは、「うぅ」と小さなうめき声を上げた。中野被告は心配になり、「ごめんね、大丈夫?」と聞いた。「大丈夫」。小さな声が返ってきたという。

自分を鎮めるため、中野被告は自室にこもった。10分ほど経ったころか。心配になり、様子を見に行った。れい子さんは薄目を開けたまま、動かなかった。慌てて119番通報したが、病院で死亡が確認された。

検察官「暴力を振るったとき、申し訳ない、とは思わなかったのか」

被告「そのときは、怒りの方が勝ってしまいました」

検察官の口調が、さらに強くなった。

検察官「暴力を振るったのは、あなたの感情によるもの。やむにやまれず、という状況ではない」

被告「……、感情任せの、短絡的な行動でした」

れい子さんは、生活の一部で支援が必要な「要支援1」に認定されていた。だが、デイサービスなどは利用していなかった。

検察官「なぜ、利用しなかったのか」

被告「母とも相談したのですが、人とコミュニケーションをとることが苦手で。人を家に入れることも、極端に嫌がった」

裁判員も質問した。

裁判員「自分1人で介護を続けることは難しい、と思ったことは?」

被告「ありました。でも、自分でやれることはやろうと思いました」

検察側は論告で、「やせ細った母親への暴力がいかに危険か、被告は認識していた」とし、懲役5年を求刑した。

弁護側は、執行猶予付きの判決を求めた。「現代の社会を反映した事件で、暴力行為は偶発的なもの。深く反省している」

最終意見陳述で、中野被告は用意してきた文書を読み上げた。

被告「母に対して本当に申し訳ない。人として、やってはいけないことをしてしまった。今更ですが、親孝行できなかったのが悔やまれます」

判決は10月31日に言い渡された。懲役3年の実刑判決だった。

最後に、裁判長が「裁判員、裁判官からあなたに伝えたいことがあります」と切り出した。

裁判長「被告はきまじめで優しく、きちんとした勤務もしてきたが、社会性の乏しさから不幸な事件につながった。お母さんの死という重大な結果について、さらに反省を深めてほしい。お母さんも、1人できちんと社会生活を送ることを望んでいると思います」

中野被告は、うなだれたまま聴き入っていた。

2014年12月2日火曜日

相手の予測を上回れ

ブログ「人の心に灯をともす」から受けたものに、上乗せして返す気持ち」(2014-11-28)をご紹介します。


就活に失敗し、大学は卒業したものの、フリーターになった私は、何をしたらいいのかまったくわからないまま、アルバイト先とアパートを往復する毎日でした。

そのころ私は、受験生にチラシを配るアルバイトをしていました。

地方からやってきた受験生は、合格して上京したら、まず家を借りなければいけません。

そんな受験生に、前もって仕込んでおくための不動産のチラシです。

でも、スタッフの管理がかなりゆるく、がんばっても、適当にやっても変わらない。

それどころか、チラシだけ持って帰って、家で捨ててしまってもまったくバレないような仕事でした。

そのアルバイトに、私と同年代くらいの、金髪の青年がいました。

金色に染めた髪にピアスをして、穴の開いたジーンズを履き、チャラチャラ感にあふれています。

切れ長の目をしたその青年は、その見た目とは大きなギャップがあり、まったくやる気のない人の分のチラシも配るくらいの勢いで、目の前の受験生一人ひとりに心を込めてチラシを渡しています。

「お願いします!」という、その言葉の奥からは、まるで「試験がんばってくださいね!」と聞こえてくるかのようでした。

それでも私は、「なんかがんばっちゃってる、まじめなヤツがいるなぁ」くらいにしか考えていませんでした。

そんな彼と、アルバイト後の移動で一緒になり、話をする機会がありました。

「ずいぶん一生けんめいだね」と私が言うと、その彼が私の人生を変えるひと言を雷のように頭に落とし込んだのです。

「お金をもらうんだから、ちょっとでも上乗せして返すくらいの気持ちでやらなきゃダメっしょ!!」

初めて聞いた言葉でした。

言われたことをただやっているだけ。

むしろ適当にやっていた自分が恥ずかしくなるような…。

これまでの私は、自分にとって関わりのあることには一応向き合ってはきたものの、自分の人生には関係ないと思えるものには、「これはオレには関係のないことだから、エネルギーを使うだけムダ」と選別をして生きていました。

何をやってもダメで、お先真っ暗、八方ふさがりの状態だった私は、何をやってもまったく報われない、今の現実が起きている原因の一つが「自分に関係ないことには向き合わない」という、この考えなんだと、彼の言葉からなぜか感じたのです。

「受けたものに“上乗せして返す”気持ちを持つ心」

その言葉が頭の中をグルグル回り続け、そして時差はありましたが、次第に手のひらを固く握り締めるように、“ハートがグッと決まる”のを感じました。

『関係ないと思うようなことでも、“今、目の前にあること”にしっかり向き合って生きていくように、自分を変えよう』…と。

ここからなのです。

たくさんの不思議な演出が起きたり、人生を導く出逢いがむこうからやってきたりし始めたのは!


佐藤政樹氏は、23歳のフリーターから、絶対に無理といわれた、『劇団四季』のトップ、気象予報士合格というW合格を果たした。

斎藤一人さんはこう語る。

『倍働けば、お給料を倍くれる、そういうところで、「私は倍働きます」っていう人はいくらでもいるんだよね。だけど、倍働いても同じ給料しかもらえないところで「倍働きます」ってやってると、光輝いちゃうんだよ。そういう人って、めったにいないんだよな』(斎藤一人とみっちゃん先生が行く)より

誰もやらないこと、めったにないことは、燦然(さんぜん)と光り輝く。

しかし、誰もがやっていることだったら、それは埋もれてしまう。

仕事も、頼まれごとも、そして何かをしてもらったときのお礼も…。

「受けたものに“上乗せして返す”気持ちを持つ」

中村文昭さんは、それを「相手の予測を上回れ」という。

人から何かを頼まれたら、試されていると思って、相手の予測を上回って驚かせ、喜ばせる。

受けたものを、上乗せして返す人でありたい。


2014年12月1日月曜日

手紙を書く習慣

朝日新聞の天声人語「一円切手の肖像画」(2014年11月29日)をご紹介します。


「一円玉の旅がらす」がNHKの「みんなのうた」で流れたのは1990年だった。♪一円だって 一円だって 恋もしたけりゃ夢もある……。前の年に消費税が導入されて、1円玉は脚光を浴びていた。

1円切手にも出番が回ってきた。はがきが40円から41円になったためで、補充が追いつかず売り切れの貼り紙をする郵便局も出た。だが、間もなく再び地味な存在に戻る。はて、どんな切手だったかと、首をひねる方もいるだろう。

その切手が、先ごろ話題になった。日本郵便の発行する普通切手の絵が一斉に変わる中で、1円切手だけが変わらない。「郵便の父」と呼ばれる前島密(ひそか)の肖像が刷られていて、「これだけは変えられない」そうだ。戦後間もないころから続いている。

セピア色の肖像画には明治の男の威厳が光る。今年も消費増税があった。はがきも封書も2円上がったが、エゾユキウサギの新2円切手が出てかわいいと評判になった。不足分に前島さん2枚を買った人は少なかったろう。

ともあれ今の世の中、手紙を書く習慣はとみに薄れている。小中学生の多くは宛名の書き方を知らず、郵便番号欄に電話番号を書く子もいると、かつて小欄で憂えたことがある。

英語でいうポストカードに「はがき」の訳語をあてて発行したのは明治6年だった。それが年賀状としても使われるようになっていく。電子メールの便利さは社会を変えた。だからこそ、紙に書いたひとこと、ふたことが、いっそう引き立つ時代である。

2014年11月30日日曜日

国立大運営費交付金配分ルールの見直しなど(2)

前回ご紹介した、財政制度等審議会財政制度分科会(2014-10-27開催)の議事録が公表されていますので、高等教育関係を抜粋してご紹介します。


財政制度等審議会 財政制度分科会議事録(高等教育関係抜粋)


井藤主計官

22ページでございますけれども、大学改革に関しまして、これは大きな前提といたしまして、18歳人口、子供の数ということでございますが、これが減ってございます。例えば、平成元年からこの間を見ると、半分近く減少しているということでございまして、今後も、18歳人口であれば18年先の人口までほぼ決まっている状況でございます。

それで、23ページですが、この間、国立大学の入学定員というのは、基本的に減らしておりません。その上に、大学院の定員を伸ばしてきているという状況でございます。こうした中で、いろいろと国立大学にはリソースが投入されているのですけれども、十分に社会に対して求められる機能というか、成果を還元しているかというと、必ずしも十分ではないのではないかなという声が常に聞かれているところでございます。

25ページにつきましては、この春もお出ししたので割愛させていただきますけれども、26ページでございますが、例えば、近年、地方創生ということで、地方の大学は大事だという議論がかなりいろいろなところから出されているわけですけれども、例えば、地方の大学について見ますと、多くの大学が、その設置されている地域を出身とする入学者の割合が同地域を就職先とする卒業者の割合を上回って、流出超過となってございます。こうした中で、地域の人材供給機能を十分に果たしているのかといった問題もあるのではないかということでございます。

それで、29ページに行っていただきまして、国立大学というのは、近年、参考資料にありますけれども、事業規模が、研究費を中心に非常に膨らんでございます。運営費交付金が若干減って厳しいという声もあるのですけれども、諸外国の大学や研究機関では、資産運用や民間からの受託収入、研究収入等、多様な資金の調達が行われてございます。活性化していると言われている大学は、このような多様な財源を確保しているということで、このような努力もより一層必要なのではないかということでございます。

30ページでございますが、現在の国立大学法人の運営費交付金の配分というのが、重点化に結びついていないのではないかという問題意識でございます。まず現行の仕組みでございますが、一番上の右側に、特別経費がございまして、これが1割程度。残りの大部分は一般経費ということで、教員・学生数等に応じまして各大学に配分されてございます。このように教員・学生数等に応じて配分するということでございますので、各学部等におきましても、教員・学生が固定的にいるわけですから、学長が特段のリーダーシップを発揮する場合を除いて、学内の重点化や再配分に関するインセンティブがなかなか進まないと。ましてや、大学間の再編や統合に向けたインセンティブも働きにくい状況だろうと考えられます。それで、一番下なのですが、文部科学省についても、この辺は問題だというご認識を持たれてございまして、運営費交付金の額の3~4割は、改革とリンクさせるとおっしゃっているのですけれども、必ずしもその姿が見えていないというのが実情だと思います。

次の31ページでございますが、実効性のある大学改革を進めるためには、予算のメリハリにより各大学の改革に向けた取組を促すことが必要ではないかということで、財務省案として考えてみたということでございますが、基本的には、一般運営費交付金につきまして、基盤経費と改革経費に区分して、改革経費については、学長のリーダーシップを発揮できないかということで、その大学について、法人としての全体のマネジメントをやっていく考えで運営していただけないかということでございます。

また、32ページの特別経費でございますけれども、これにつきましては、現状では特別経費の対象期間、3年なり5年なりということが終われば、そこで終わりということなのでございますけれども、そうしたことでは、なかなか重要な課題に対して、その後も取り組むことができませんから、こういったものの配分について、後年度以降の基盤的な配分にも勘案するといったことも必要ではないかということでございます。

また、33ページが、先ほどの改革経費でございますが、ここの配分についてはメリハリをつけることが必要なのではないかと。その方向ですが、各大学が目指す機能強化の方向ごとに評価基準を設定しまして、事前に決められた評価基準に基づいて、2年程度ごとに大学の取組を客観的に評価して、配分に反映するといったことが必要ではないかということでございます。評価基準については、例えば、世界最高の教育拠点であれば、論文数で研究成果ということでしょうし、地域活性化の中核的な拠点を目指す大学群であれば、地域にいかに貢献したかといったことが指標になるのではないかということでございます。

34ページでございますが、国立大学授業料の設定は、現状、文部科学省令におきまして標準額は規定されており、各大学はその2割増まで自由に設定できることになってございますが、基本的にほとんどその増額はなされてございません。

多様な財源の一つということでもありますけれども、34ページの右下ですけれども、質の高い教育の提供を行って、それに見合う授業料の設定をする。こういったことで生み出した財源を、経済的に困難な学生に還元するとか、よりよい教育環境の整備に充てるといったことも必要ではないかということでございます。

35ページについては、今申し上げたことをまとめさせていただいてございます。

次に、37ページ、科学技術関係予算でございますが、平成元年度との比較で約3倍増と、社会保障関係費も超える大きな伸びをしてございます。

38ページでございますが、これは論文という1つの側面のものでございますが、こうした中で、総論文数は、それに応じて伸びたものの、論文の質につながっているわけではないということは指摘されてございます。

39ページでございますが、我が国の財政事情を考えれば、今後量的拡大を続けるというのは、科学技術予算についても難しい状況でございまして、質の向上がその課題だろうと考えてございます。質の向上のためには、そのために効果の高いアプローチをすることが必要だと考えてございまして、例えば近年大きく伸びている分野融合領域ですとか、また国際共同研究、こういった分野に「選択と集中」を進める必要があるのではないか。

あと、40ページはやや各論でございますけれども、競争的資金等で先生方、高額の研究設備を買われることがありますけれども、これはやっぱり一人の研究者、研究室が独占するというようなことになりますと、全体として効率的ではありませんので、高額の研究設備については、共用化を促進することが研究費の効率的支出にもつながるし、研究インフラの整備にもつながるのではないかということでございます。

41ページでございますけれども、近年、競争的資金の制度数が非常に増えて、多様化が進んでございます。そうした中で、各制度の趣旨や違いが必ずしも明確でないといった問題が指摘されてございまして、こうした点については重複を排除しつつ、制度間の連携強化・統合化を推進する必要があるのではないかということでございます。

42、43ページは、やや細かい点なので、割愛させてもらいまして、44ページをご覧ください。理化学研究所につきましては、今回、研究不正の問題が起きまして、そのガバナンスの在り方をめぐって大きく議論されているところでございますが、右の改革案にありますように、その資源配分については、PDCAサイクルを徹底して、ガバナンスを一層強化する必要があるのではないかということでございます。また、理研の予算執行につきましては、研究の備品とか、そういったものにつきまして、一括購入等も行われていなかったということがございますので、こういったことはぜひ徹底して、予算の縮減にも努めていただきたいと。それで、こうした点については、理研だけでなくて、その他の研究開発法人についても、ぜひやっていただきたいと。

45ページなのですけれども、事業の「選択と集中」をやらなければいけないということでございまして、産業化、特に技術化を出口とする事業、こういったものにつきましては、新陳代謝を図り、例えば2年ごとに評価して、プロジェクト数を絞り込むといったことも必要なのではないかと。

あと、46ページでございますが、今年は特に地域活性化の観点から、地域の事業がいろいろ要求されているわけでございますが、地域拠点事業につきましては、過去累次に渡って展開されてきたことを踏まえれば、これまでの課題を総括した上で、本当に効果的なものについてやっていく必要があるのではないかということでございます。

47ページにつきましては、大規模プロジェクトも最初はいいのですが、後年度、非常に大きな予算が必要となって、予算硬直化を招く原因となります。一定以上の大規模プロジェクトにつきましては、当初の要求の段階におきまして、プロジェクトを通した負担の在り方について、財源調達の考え方を整理していく必要があるのではないかということです。

質 疑

田中弥生 (独)大学評価・学位授与機構教授、日本NPO学会会長

国立大学に関しては、これは31ページから33ページに、関係者から見ると、実はかなりドラスティックな提案がなされているのですけれども、この点について、これをどう理解するのかということを1点申し上げたいと思います。

まず、大学の類型に応じて、基礎的な資金である運営費交付金の分配を傾斜配分しろということなのですけれども、そもそもこの類型が何を意味するのかということなのですが、日本の大学の制度を鑑みますと、大体アメリカよりは欧州の大学制度を規範にして作られていると思います。では、欧州ではどうなっているかと言いますと、あまり知られていないのですが、そもそも大学の中に学位を授与できる大学とそうでない大学、学位授与権があっても、博士号を出す大学とそうでない大学が、かなり明確に線引き化されていて、その中での各種評価が行われているということです。これは何を意味するかと言えば、投じた公的資金を効率的に使うというだけではなく、出されている学位の質、信用をきちんと担保するために、このような線引きがなされていると私は理解しています。

翻って、日本の大学はどうであるかということは、もう井藤主計官が指摘されているところでありますし、確かに日本の大学は800ほどありますけれども、そこら辺の役割機能が曖昧になり、そこで出されている学位の質についても問われ始めているところだと思います。このような状況に対して、文科省も手をこまねいて見ているわけではなく、機能分化という言葉を使って、この数年間政策を講じてきましたが、その成果が見えないだろうというのが、今日のご指摘であります。ですから、財務省としては、その考えにのっとって予算を配分するやり方で、この改革を加速化してはどうかというのが、これが今日のメッセージであろうと思いますし、私は基本的にこの考え方に同意をするところがあります。

ただし、疑問点を2点挙げたいと思います。

1点目は、この大学の役割分担を明確にするという問題は、国立大学の問題だけではなく、800ある国公私立大学全部に及んで議論をしないと、達成しないのではないかということです。

そして、2点目、この運営費交付金の配分を世界研究拠点型と全国型と地域型、この3類型に応じて傾斜配分をしようというのが基本的なアイデアではないかと思うのですが、そもそも運営費交付金とは、ほとんどが人件費で占められています。それを考えると、単純に先の3類型順に傾斜配分するにはいかないだろうと思います。

例えば、2番目にある全国型の大学の評価基準を見ますと、教育に重点が置かれています。教育は、外部資金が取りにくくて、人的リソースを投入しなければいけない性格を有しますので、運営費交付金のようなものでカバーしなければいけないかもしれないし、逆に、世界的な研究拠点を目指すところは、外部資金が取りやすいのではないかと思います。そのように、かなり中身を詰めて配分を考えなければいけないと思います。

さらに、こういった配分を考えるときには、教員のエフォート、つまり各教員が研究と教育と社会貢献のいずれにどのぐらいの時間とコストを使っているのかということを明確にしていかないと、この先の3類型に基づく、運営費傾斜配分のための算定式は、なかなか成立しないのではないかと思います。

土居丈朗 慶應義塾大学経済学部教授

先般、独法通則法が改正されまして、国立研究開発法人制度が設けられたということで、私も行政改革推進会議の議員をさせていただく中で、この国立研究開発法人のガバナンスについて、非常にいろいろと議論させていただき、強化をするべきだということを申し上げてきて、1つの成果が出たと思います。ただ、主計官からもご説明があったように、理研の例もあり、ガバナンスの強化と言いながら、必ずしも十分でないというのが、私の今の認識であります。

ガバナンスの強化ということは当然として、それ以上に、もう少し研究機関としての在り方自体にもメスを入れなければいけないと。大学には、確かに学問の自由があるということだと思いますが、こうして税金が投じられている国立研究開発法人に対しては、そんな自由がどしどしと認められていると思うべきではないと。確かに、研究者はいろいろ機関を動けますから、大学に所属したり、研究開発法人に属したりということはあるのかもしれませんけれども、やはり大学とは性質は違うと思います。研究開発法人には、理事長を筆頭にして国家的なミッションが与えられて、そのミッションに応える研究しかできないという位に、きちんと統制をとってもらわないと、研究機関としての体をなさないと思います。そのような意味では、単なるガバナンスの強化ではとどまらず、国家の意思としての研究をできる研究者を集めて、成果を上げていただくという規律が必要だと思います。

鳥原光憲 東京ガス(株)取締役相談役

科学技術イノベーションの推進を通じて、地方を再生・創生することが、非常に重要な課題でありますが、そのためには、地域の産業界と地元の大学、研究機関、地方自治体などが連携して、地域の潜在力を結集し、競争力の強化や地域発の新しい産業の集積をつくり出していくことが重要であると思います。イノベーションを実現する新たな制度としては、平成26年度予算において、産学官の連携により基礎研究から実用化・事業化といった出口までを見据えた研究開発等を推進する、府省横断型のSIP、戦略的イノベーション創造プログラムが創設されております。本プログラムについて、地方の再生・創生の観点から、地域経済を牽引する中堅・中小企業が制度を利用できるように、中堅・中小企業を核とした事業枠を創設することなどを検討していただきたいと思います。

大宮英明 三菱重工業(株)取締役会長

科学技術なのですけれども、日本のイノベーション力が低下していると言われております。これは研究をして、その後、開発をして、最終的に良いものであれば事業化するというわけでありますが、この事業化に至るところで失敗している事例が非常に多いです。ここはいわゆる「ダーウィンの海」とか「死の谷」ということ言われていまして、ここへお金だけではないと思うのですけれども、うまく支援できると、日本の科学技術力を中心としたものが事業に結びついていくのではないかと思います。

葛西敬之 東海旅客鉄道(株)代表取締役名誉会長

大学の方ですが、大学院の定員増というのは教育の密度を引き延ばしているだけではないかという感じがいたします。

資金の多様化の話も出ておりましたが、テーマを決めて研究する分野と基礎研究としてやる分野とを分けたほうがいいのであって、テーマとして研究する分は、国家目標に資する継続的な対象テーマをきちんと決めることが大事ですし、企業からの寄附は、そんなに長期ではないけれども、対象がはっきりしていて、一定の期間内に結果が出るものを選ぶべきであると思います。その際に、資料では、ガバナンスを強くするために評価をきちんとするということを言っていますが、評価をするために、結果として、大学の教員、研究者は、余計なことに時間を取られてしまいますから、それは結果で判断するのがよいのではないでしょうか。企業からのお金は、企業が結果で判断するでしょうし、国家としてのテーマは、安全保障とか、そのようなものも含めるべきだと思いますが、長期持続的に国家目標が達成されるかどうかで見るべきなのであって、そんなガバナンスを強くするのは、やたらに事務作業をふやすだけですので、やらないほうがいいと思います。

井堀利宏 東京大学大学院経済学研究科教授

高等教育で評価の話が出たのですけれども、高等教育の評価は、確かに論文数でもできますが、これはなかなか難しい。最先端のことをやっていますから。むしろ評価で相対的に客観性が保たれるのは、先ほど佐藤委員もおっしゃっていた学力テスト。義務教育の場合は、達成すべきものは決まっているわけですから、それをどの程度達成できたのかわかります。評価システムをもう少し義務教育に入れて、そこで財政的なインセンティブで義務教育の質をきちんと担保してもらうような、そのような制度を入れたほうがいい。義務教育だけ統廃合で、高等教育だけ評価システムだけではなくて、両方をうまく組み合わせて、それぞれ取り組んでいただきたいと思います。

十河ひろ美 (株)ハースト婦人画報社ヴァンサンカン&リシェス編集部編集長

大変わかりやすい資料、内容で、勉強になりました。改めて、教育は、言うまでもなく大切なものであって、曲がり角に来ているなと痛感しております。教育の質を、もう一度重点的に見直していく必要があるのではないかということと、それに合わせた予算のメリハリが今後重要になってくると。そして、私が1つ気になりましたのが、個性重視というところをもっと強化していくべきではないかというところです。資料の26ページに、国立大学が例として出ておりまして、関東圏以外は全て学生たちが流出しているという事実、これはやはり地方の活性化にも多少なりとも影響していると思いますし、その一方で、資料の24ページに、総合大学がまだ都道府県に1校あるということで、こちらも再検討していくところに来ているかなと思っております。やはり地方活性化、あるいは、とにかく日本は均質化がずっと言われておりますけれども、もっと特化した個性のある学生たちを増やしていくことも重要ですし、必ずしも偏差値教育が正解ではなくて、もっとスペシャリストを育てていくことが、今後の国力に関わってくるのではないかと。ポジティブに専門職を増やしていくことが大切ではないかと思った次第です。

遠藤典子 東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員

大学の件につきましては、また大宮委員がおっしゃった「死の谷」の問題なのですが、29ページに、ちょうどフラウンホーファーのドイツの研究機関の事例が挙げられていまして、実は産構審の産業技術環境部会のほうでディスカッションさせていただいた、まさにこれがテーマでして、フラウンホーファーの研究者の方々は、いくら競争資金を持ってこれたかによって、その業績が評価されるということで、まさしく今、理研の工学部版の産総研が、それに向かって組織改革をしているところです。33ページの改革の様々なモデルケースとして、国公立大学を分けてあり、論文の数で評価される先生方もあっていいとは思うのですが、いくら企業からお金を取ってきて、受託研究の質を上げていくのかというところもある種の評価軸になるのではないかなと思います。それが遠くは運営費交付金を減らしていくといった、1つの取組になるのではないかなと考えます。先ほど土居委員が、様々なところの研究機関や大学を行きつつあるということだったのですが、企業も含めて、そのような人材の流動化が進めば、そういった評価軸も出てくるのではないかと思いました。

国立大運営費交付金配分ルールの見直しなど(1)

国立大学法人関係者の方々は既にご承知のとおりですが、文部科学省は、現在、平成28年度からの国立大学法人第三期中期目標期間における国立大学法人運営費交付金の在り方等(具体的には、運営費交付金の配分方法等の仕組み、予算配分に反映するための評価等、その他第三期中期目標期間における制度設計等)についての検討を進めています。

検討会の設置そのものは、上記のとおり、「国立大学改革プラン」に基づく本年10月の高等教育局長決定による既定路線ですが、財務省の財政制度等審議会財政制度分科会において、文科省における検討に先手を打つ形で、財務省の論理に沿った検討の方向性等が示されています。

今後の文部科学省、財務省の動向を注視する必要がありますね。























(関連報道)

3割を改革経費に=国立大交付金配分ルール見直し-財務省(2014-10-22時事通信)

財務省は22日、教育研究に必要な経費を国が国立大学法人に支給する一般運営費交付金の配分ルールを見直す方針を固めた。同交付金の約3割を「改革経費」と位置付け、新たな評価に基づき配分する。取り組みが優れた大学に交付金を重点配分するのが狙い。27日に開く予定の財政制度等審議会(財務相の諮問機関)にたたき台を示す。

財務省が見直しを検討しているのは、国立大学法人運営費交付金(2014年度予算1兆1123億円)のうち教員らの人件費などに充てている一般運営費交付金(同9130億円)。現在は教員数などに応じ一律に配分されている。

改革の具体案は、国立大学を3グループに分類し、複数の指標に基づき評価。「世界最高の教育研究の拠点を目指す大学群」は、研究論文の数、招聘(しょうへい)した外国人研究者数などの指標を重視。「全国的な教育研究拠点を目指す大学群」はアジアを引っ張る技術者の養成状況などを、「地域活性化の中核的拠点を目指す大学群」は地域への人材供給などを評価指標に挙げている。

文部科学省は13年11月に発表した「国立大学改革プラン」で運営費交付金の配分に、改革への取り組みに応じ、めりはりを利かせる方針を示している。財務省案の新たな大学評価システムは、これを後押しするものだ。


国立大学交付金、成果で配分 財務省案、統廃合も(2014-10-27共同通信)

財務省は27日、財政制度等審議会の分科会を開き、国立大学に配る運営費交付金の改革案を示した。交付金の3割程度を「改革経費」とし、論文数や若手登用といった指標で成果を評価し配分する仕組みに見直す。文部科学省と協議し、2015年度の導入を目指す。

成果を上げている大学に重点配分する一方、不十分な大学は減額されるため、競争原理が働いて大学の統廃合につながる可能性がある。

運営費交付金は14年度予算で1兆1123億円を計上しているが、大部分が教員や学生数に応じて配分されるため、各大学の取り組みや改革姿勢が反映されにくい。


40人学級復活を議論=生活保護の見直しも-財政審(2014-10-27時事通信)(抜粋)

財務省は同日(10月27日)の財政審で、教育研究に必要な経費を国が国立大学法人に支給する一般運営費交付金の配分ルールを見直す必要性を訴えた。同交付金の約3割を「改革経費」と位置付け、研究論文の数といった新たな評価に基づき配分する内容だ。


国立大交付金に成果主義 政府方針、16年度にも(2014-10-28日本経済新聞)

政府は国立大学への運営費交付金(2014年度は1兆1123億円)の配分に成果主義を導入する。大半を学生数や教員数など規模に応じて配分する現状を改め、研究や人材育成など成果に基づいて配分する仕組みを入れる。文部科学省を中心に来年夏までに評価基準をつくり、16年度にも採用する。人口減少をふまえ、大学間の連携や統廃合を促す狙いもある。

国立大への交付金は14年度に約9千億円分を規模に応じて配分する。この一般経費とよぶ資金枠の一部に競争原理を取り入れる。財務省は27日の財政制度等審議会(財務相の諮問機関)で、一般経費の最低でも3割程度に成果主義を導入すべきだと提案した。文科省は慎重に対応するとみられ、成果主義の資金枠は導入当初は最大でも3千億円程度になりそうだ。

新基準では、現在は86ある国立大を3つのグループに分け、評価する。世界最高の教育・研究拠点、全国的な拠点、地域の中核拠点の3つの方向性を各大学が明確にし、それぞれ異なる評価手法を取る方向だ。財務省は27日の審議会で、世界最高の拠点をめざす大学では、論文数や研究成果の実用化、海外大学との連携などを評価指標とする独自案を示した。

各大学への予算配分の固定化を避け、競争原理を入れることで、大学の取り組み次第で多くの資金を得られるようにする。各大学が得意分野に注力することで、それ以外の分野で他大学との連携や統廃合が進む可能性が出てきそうだ。

今後の人口減の進展を受け、18歳人口は14年度の118万人から、30年後には76万人にまで減るとの推計がある。財政難もあり、政府内には支えるべき学校施設の選別の必要性を指摘する声もある。定員割れや収支悪化が相次ぐ私立大の再編も急務で、政府は大学間の連携や学部統合を後押しする助成金を15年度に新たに設けることを検討する。


国立大の交付金、配分見直し検討 11月に有識者会議(2014-10-28日本経済新聞)

下村博文文部科学相は28日の閣議後の記者会見で、国立大学の運営費交付金の配分方法の見直しについて、11月5日に有識者会議を設置し、具体化に向け検討を始めることを明らかにした。来夏までに結論を出し、2016年度予算から新たな配分方法を採用する。

下村文科相は「各大学の強みや機能強化の方向性に応じた支援及び評価を行い、高い付加価値を生み出す国立大の実現を目指したい」と話した。

文科省は昨年11月に発表した「国立大学改革プラン」で、現在はほぼ機械的に割り振られている約1兆円の運営費交付金について、最大4割を各大学の取り組み内容に応じて配分する方針を打ち出している。


(参考資料)

日本経済再生本部 産業競争力会議ワーキンググループ 第1回 新陳代謝・イノベーションWG(平成26年10月21日開催)配付資料

資料2 国立大学法人運営費交付金の在り方、大学ガバナンス改革について(文部科学省提出資料)







2014年11月27日木曜日

心の成長は子どもだけでなく大人にも必要だ

ブログ「人の心に灯をともす」からウメボシマン」(2014-11-19)をご紹介します。


以前、学級崩壊に近い状態のクラスを、翌年そのまま受け継いだことがあった。

新年度、子どもたちの荒れてしまった心の立て直しが急務だった。

子どもたちの心に「伝わる」「残る」確かな道徳指導が必須であった。

しかし、ありきたりの勧善懲悪的な「よい話」は、こういう子たちの子の心には入らないだろう。

そうした話は聞く気持ちさえ持っていないかもしれない。

もちろん、長話は無駄だ。

「少ない言葉でありながら、確かな効果がある方法」が必要だと思った。

それらを前提とした創意工夫が必要だった。

その結果生まれたのが、「紙芝居」であり、「携帯フレーズ」だった。

絵でイメージを残し、短フレーズで徳目を日常的に意識化させるという方法である。

大きな効果があった。

そのとき確信したのは、どんな荒れた感じや自堕落な感じの子であっても「成長への欲求」は、しっかり持っているということだった。


【奉仕 「自分だけのこと」から卒業する】

新しい学級を担当して、こういう場面はよくあった。

「そこにゴミが落ちてるよ」

「ぼくのじゃないよ」

「学級文庫、ぐちゃぐちゃじゃないか」

「私はちゃんと返したよ」

よくない現状は、自分の責任ではない、ということだ。

もちろん、そうかもしれない。

しかし、自分が生活している場だ。

こうしたことだって「自分のこと」という認識を持たせたい。


紙芝居「ウメボシマンは禁止だよ」

「たとえば、教室にゴミが落ちていて『そこ、ゴミ落ちてるよ』と言うと、こんなふうに答える子、いるよね。『私じゃないよ』って」

「確かにそうかもしれない。でもこの答えは『正しい』のかな?自分がしたことじゃない、だけど教室は汚いまま。気づいても自分のせいじゃないからって、『自分のこと』にしかエネルギーを注げないんじゃ、心はこのウメボシのように小さいんだよ。エネルギーは全部『自分のため』だけ」

「そういう人を『ウメボシマン』と名付けます」(笑)

「学級もウメボシマンが多いと、すごく嫌な集団になるよな」

成長っていうのは、自分のことだけじゃなくて、だんだん周りにもエネルギーを注げるようになること。

「成長すると、このウメボシが、イチゴ、リンゴ、スイカって大きくなっていくんだ。イチゴならすぐ横の子や親友まで。リンゴならグループから学級全体、スイカなら学校全体って感じかな。こんなふうにエネルギーを注げる範囲が広がっていくことが成長なんだ。

伝記に出てくる偉人なんかは、もっと大きくって、世界とか人類とかまでこの矢印が伸びた人なんだ。

みんな最初はウメボシマンだけど、次第に大きくなっていったんだ。

みんなもウメボシマンから変身していこう。

この指導以後、折あるごとに「ウメボシマン」が携帯フレーズとなって、「あ、ウメボシマンやっちゃったな!」「○くん、ウメボシマン!」などとユーモアを交えたかたちで、「奉仕」という面での心の成長を図っていくことができるのである。

利己的な心を利他、「奉仕」の方向に導くのは至難のことだ。

しかし、それも当然で、「奉仕」の心は、人として最終的に目指す徳目であるともいえるからだ。

だからこそ、その方向への気持ちが簡単に消えないような、「自分を広げていく」というイメージが大切なのだ。

子どもたちは、皆「成長」という言葉に反応する。

表面的にはどうであれ、どの子も「成長」への欲求を持っている。

そこにアプローチしたのがこの実践である。


どんなにいい内容の話であっても、あるいは企業のこだわりの優れた商品にしても、それが聴衆や顧客に伝わらなければ、無いのと一緒。

だからこそ、大事なのが伝える技術。

情報過多の現代、伝えるのに効果的なのが、絵や動画といった具体的に想像できる「ビジュアルなイメージ」や、心に響く「短いフレーズ」。

自分のことだけしか考えられないような利己的で小さな人間は、「ウメボシマン」。

身近な二、三人まで目を配れるのが、「イチゴマン」。

「リンゴマン」、「スイカマン」とだんだん大きな人間になってくる。

公共の場において、平気でゴミを捨てる大人がいる。

心の成長は、子どもだけでなく大人にも必要だ。

大人になってもウメボシマンでは恥ずかしい。


2014年11月26日水曜日

こんな人になりたい

ブログ「今日の言葉」から本物になる」(2014-11-19)をご紹介します。


高倉健さんって、ありがたいよね。

健さんが道をつけてくれたから、

日本人の俳優というだけで尊敬される。

松田 優作


米映画の「ブラックレイン」に出演した松田優作の言葉です。

昨夜多くの方が高倉健さんの訃報に胸を痛められたことでしょう。


過去に「今日の言葉」で紹介させていただいたエピソードを再掲します。

元特攻隊員であった濱園重義さんをモデルにした映画『ホタル』。

主人公を演じた高倉健さんに、濱園さんは、

自らが特攻隊時代に愛用していたロンジンの時計をプレゼントしたのである。

しかし、その時計は既に動いていなかった。

高倉健さんは、ニューヨーク、さらにはロンジンの本社まで問い合わせて、

九十歳を超えた老職人を探し出し、ついにはロンジンの時計を動かすことに成功した。

高倉健さんは、動いたロンジンの時計を、再び濱園さんに返したのである。


女優の綾瀬はるかさんが大河ドラマのお芝居について

高倉健さんがアドバイスされているやりとりがありました。

「綾瀬さんに

『大河ドラマでは会津弁を話すんですけど、どうやったら上手に話せるでしょうか』

と聞かれた健さんは、

『その土地の人たちとたくさん話して、方言を学びなさい』

という助言を授けたそうです」


ここからはネットで紹介されていたお話しの引用です。

『幸福の黄色いハンカチ』の冒頭で、

刑務所から刑期を終え出所した直後の食堂で、

女性店員についでもらったグラスに入ったビールを深く味わうように飲み干した後、

ラーメンとカツ丼を食べるシーンがある。

その収録で「いかにもおいしそうに飲食する」リアリティの高い演技を見せ、

1テイクで山田洋次監督から0Kが出た。

あまりにも見事だったので、山田が問い尋ねると

「この撮影の為に2日間何も食べませんでした」

と言葉少なに語り、唖然とさせた。


武田鉄矢さんが「幸福の黄色いハンカチ」の撮影当時を振り返ったときのこと。

「僕は素人俳優だから、監督にいつも怒られていましてね。

健さんが『お前、大変だったな』

となぐさめてくれるんですよ。

それで『オレばっかりいじめるんですよ』

と愚痴をこぼしたら、

『伸びないやつはしごかねえよ』と言ってくれて……。

宿まで泣きながら帰りましたよ」。


健さんがヤクザ映画で売れている頃

小林稔侍さんは駆け出しで健さんの脇役。

稔侍さんの引越しが決まった時に健さんが高額な祝儀を渡そうとしたら

稔侍さんは固辞したそうです。

そしたら引越しの当日健さんは作業着を着て引越しの手伝いに現れたと。


仕事でもプライベートでの振る舞いも、

こんな人になりたいと思える方でしたね。

2014年11月25日火曜日

恰好いいやせ我慢

ブログ「人の心に灯をともす」から空元気でも元気は元気」(2014-11-18)をご紹介します。


維新後間もなく武家は廃刀令によって武士の命である刀を奪われ、「武士」という身分さえも失いました。

しかも東北諸藩は幕府側についたために逆賊の立場です。

その日の糧さえ得るのが難しい暮らし向きだというのに、そのうえもってこの扱いでは、どれほど誇りを傷つけられたか知れません。

維新後のことを父親から聞いた祖母は、じじさまはいっそ自害するとは言い出さなかったのか、父はどうして耐えることができたのか、と訊ねたことがありました。

「すると父は笑い飛ばすような勢いで陽気に言ったのですよ。

そのようなことにへこたれてしまっては面白くないからのう。

誇りを傷つけられたなどと自害しては相手の思うつぼじゃ。

陰で奥歯を噛(か)んでいたとても平気の平左で生きてやるのよ。

お前のじじさまは誇りをもって帰農したのだ。

自らの食い扶持を自らの手でつくるのだ、誇りをもたぬわけがない。

ばばさまにしたって、お前も憶えておろう、得意のお縫いやお仕立てで一所懸命一家を支えたではないか。

どんな目に遭おうとも、どっこいそれがどうしたと、知恵と心意気で相対してやるのだ。

士族が無くなろうと西洋張りの日本国が生まれようと、武士の心意気が生きていることを見せてやるのよ。

とまあ、想像もしなかったお返事だから、私は驚いての。

けれど、これが天晴れということかと、私の気持ちまで晴れ晴れしたものです」

苦境に追い込まれて陰々滅々としてしまっては、再起を図る力など湧いてはきません。

落ち込んでしまう自分に打ち勝って、自ら陽気にしてみることは、乗り越える力を得る第一歩になるにちがいありません。

明治の日本人の姿を活写した小泉八雲は『日本人の微笑』の中で、「日本人は心臓が張り裂けそうな時でさえも微笑んでみせる」と綴っています。

東日本大震災の直後、多くを失ったにもかかわらず、微笑を浮かべながらインタビューに答える被災者が少なからずいました。

私たち日本人は困難な時でも明るく立ち向かおうとする意識を潜在的に持って生まれてきているのかも知れません。

私が沈んでいる時、「空元気(からげんき)でも元気は元気。そのうち本物の元気が湧いてくるよ」と祖母が声をかけてくれたことがありました。

苦労の多い人生を歩むことになった祖母は、折々、曾祖父の力強い言葉と、その陽気さ元気さがいかに自分の心をどれほど晴れやかにしたかを思い出したのかもしれません。

そしてその都度、「武士は食わねど高楊枝」とばかりに胸を張ったのでしょう。

見栄を張るためではない、誇りを守るための「やせ我慢」とは、なんと恰好いいやせ我慢でしょう。



武士道とは主には、「卑怯なことをしない」、「嘘をつかない」、「弱いものいじめはしない」、「惻隠の情を持つ」、「恥を知る」、「私より公を重んじる」、「理屈を言わす黙々と実践する」等々の生き方をいう。

そして、せんじつめれば、それは「やせ我慢」の精神でもあるとも言われる。

昨今、「やせ我慢」という言葉が死語のようになって久しい。

「やせ我慢」とは、損と得の道があれば、莞爾(かんじ)として笑って損の道を行くこと。

そこには他者への配慮を含めた、強烈な自己抑制が必要となる。

「どんなに苦境に追い込まれても、へこたれてしまっては面白くない」

『空元気でも元気は元気』

陽気に「やせ我慢」ができる人は恰好いい。


著者 : 石川真理子
致知出版社
発売日 : 2014-09-23

2014年11月19日水曜日

財務省予算執行調査

少し前のことになりますが、財務省により公表された「平成26年度予算執行調査の結果」をご紹介します。

予算執行調査とは、財務省主計局の予算担当職員や日常的に予算執行の現場に接する機会の多い財務局職員が、予算の執行の実態を調査して改善すべき点等を指摘し、予算の見直しや執行の効率化等につなげていく取組です。

税金を原資として運営される国立大学においても、これらの指摘を真摯に受け止め、更なる改善につなげていかなければなりません。

予算執行調査資料「総括調査票」から、項目ごとの「調査の視点」と「今後の改善点・検討の方向性」を抜粋し整理してみます。


■ 燃料の調達状況

(調査の視点)

  1. 燃料の調達について、共同調達による調達コスト削減の取組みはどの程度行われているか。
  2. 価格変動に対して、契約上どのような取り決めが行われているか。


(今後の改善点・検討の方向性)

  1. 予定数量が大きいほど、スケールメリットにより安い単価で契約できており、単独官署による調達を実施している部局においても、大半は共同調達の検討は可能と回答していることから、可能な限り共同調達の導入を図るべき。
  2. 燃料調達の契約にあたっては、その特性を踏まえ、客観的な変更基準を定めた価格変更条項を設定するなどにより、適正な価格での調達に努めるべき。
  3. 単価契約外の調達については、やむを得ない場合に限定して行い、効率的な予算執行に努めるべき。



■ ETC割引の利用状況

(調査の視点)

全国の地方支分部局におけるETC車両について、

  1. ETC割引制度を導入しているか
  2. 車両ごとにマイレージと大口多頻度を比較検討し、最適な割引制度を利用しているか(両割引制度は併用不可)

について検証し、更なる経費削減が図れないか検討する。

(今後の改善点・検討の方向性)

  1. ETC割引制度を導入していないカードについては、速やかにETC割引制度を導入すべき。
  2. ETCにおける割引制度については、平成26年4月の制度変更(大口多頻度が拡充)も踏まえ、更なる経費削減の観点から、車両の高速道路の利用状況に合わせ、マイレージと大口多頻度を比較検討し、最適なETC割引制度を利用すべき。



■ 出力機器(複写機・複合機等)の稼働状況

(調査の視点)

  1. 使用量に応じた適正な設置状況となっているか。
  2. カラー印刷は必要やむを得ないものに限定して行う等の運用となっているか。
  3. 使用頻度が低い出力機器の削減等は実施されているか。


(今後の改善点・検討の方向性)

  1. 稼働状況が低調な出力機器があるにもかかわらず、同一課室に複数の機器が設置されている等の状況が認められたことから、官署内での利用状況を把握し、機器の集約化、最適配置化を図るべき。
  2. モノクロと比べ高価なカラー印刷の利用状況に大きな乖離があり、低減する取組みが不十分であったことから、必要最小限のカラー印刷利用に向けた内規の制定等、官署において効果的な取組みを促進すべき。
  3. 上記のほか、直近の使用実績に応じた保守契約とし、更なる予算の効率化を図るべき。また、複数年契約を行っている保守契約については、直近の使用実績に応じた、変更契約を行うべき。



■ テレビに係る受信契約等の状況

(調査の視点)

テレビの設置台数を縮減し、受信料を削減することができないかとの観点から以下の項目を調査。

  1. 視聴状況について
  2. 情報源の代替性について


(今後の改善点・検討の方向性)

  1. 視聴実績がない、あるいは視聴頻度が低いテレビは、設置状況が適正かの検証を行った上で、視聴状況を踏まえた設置台数とすべき。
  2. 視聴しているテレビについても、他の方法による情報取得の可能性や業務遂行上の影響を勘案し、真に必要な設置台数とすべき。
  3. 上記状況が認められたことから、テレビ設置の必要性の検証を行っていない官署については、検証するとともに、検証済とした官署についても、再度検証すべき。
  4. なお、各官署において、削減可能としたテレビについては早急に見直し、予算に反映すべき。



■ 情報システムの運用保守に係る経費

(調査の視点)

  1. システム規模に比し、運用保守経費が過大となっていないか。
  2. サービスレベルの設定は適正になされているか。
  3. 各システムにおける運用保守経費の縮減に向けた取組状況について、他のシステムへ導入することができないか。


(今後の改善点・検討の方向性)

  1. システムの構成や使用形態により一概には言えないものの、開発経費に比し運用保守費用が多額となっているシステムについては、運用方法等を見直し運用保守経費の削減を検討すべき。また、例えば初期の開発費を抑えるため、運用保守経費の名目で開発を続けることなどがないよう、開発費の適正化にも努めるべき。
  2. 適正な運用保守経費の観点からも利用実績や障害発生状況などの把握が重要であるため、利用実態の把握に努め、可能な限りサービスレベルの設定を検討すべき。また、すでに設定済のシステムについては、利用実態に応じ、サービスレベルの適正化を図るべき。
  3. 運用保守経費については、調達機材の見直しや外部専門家の活用等により経費の削減に努めているシステムがあることから、これらの取組みを参考に経費の削減を検討すべき。また、運用保守経費の適正化のため、開発経費の把握に努めるべき。



■ 情報提供サービスの契約状況

(調査の視点)

情報提供サービスの契約状況等を調査することにより、以下の点を確認する。

  1. 情報提供サービス及び利用ID数の削減等により、経費の削減が図れないか。
  2. 地方支分部局等において個別に契約している情報提供サービスについて、本府省庁において一括調達することにより、スケールメリットを活かした調達とできないか。


(今後の改善点・検討の方向性)

  1. 必要性又は利用頻度が低い情報提供サービスについては、利用廃止を含め、契約の見直しを検討すべき。情報提供サービスの適正な配備状況の検証にあたってはID等の利用状況の把握が必要と思われるため、利用状況を把握していないID等については、把握に努めるべき。ID等の適正な配備状況を検証していない情報提供サービスについては、配備状況が適正か検証し、また、検証済の情報提供サービスについても、他官署の取組みを参考に「利用ID等の共有化」などの実施を検討し、更なる経費削減を図るべき。
  2. 情報提供サービスの調達契約の工夫による見直し等によっても、経費削減を図っている事例があることから、これらの取組みを参考に可能なものについては積極的に導入し、経費の削減を図るべき。



■ 法令外国語訳に係る経費

(調査の視点)

  1. 法令等の翻訳の推進が決定されてから10年が経過し、準拠する法令用語日英標準対訳辞書の整備等、法令等の翻訳環境が整備されている中で、翻訳経費の低減が図られているか。
  2. 翻訳の対象法令は、平成21年度以降は、毎年、各府省庁において選定され、整備計画を作成のうえ(法務省がとりまとめ)、翻訳が実施されているところであるが、翻訳の必要性の検討は十分なされているのか。


(今後の改善点・検討の方向性)

  1. 法令外国語訳については、引き続き効率的な執行に努めるとともに、契約の工夫等により、競争性を高める取り組みを検討すべき。
  2. 翻訳法令の整備計画策定に当たってはニーズや受益者の実態を十分に把握・検討し、国が翻訳を行う必要のある法令の精査を行うべき。



■ 冊子等の印刷製本に係る経費

(調査の視点)

  1. ホームページ公表やイントラネットへ掲載することで冊子等の製本・配布の見直しを行えないか。
  2. 配布部数や配布先の精査など、冊子等の製本・配布の必要性の検証が十分に行われているか。
  3. 冊子等の部数や内容等を見直すことで、印刷製本費の削減が図れないか。


(今後の改善点・検討の方向性)

  1. 冊子等について、ホームページでの公表やイントラネットへの掲載により、情報共有が可能となることを踏まえ、製本・配布の必要性について検討し、見直しを図るべき。
  2. 配布部数や配布先の精査など、冊子等の製本・配布の必要性の検証を行い、部数等の見直しを図るべき。
  3. 部数等の見直しとともに、構成の工夫や紙質の見直し等により、引き続き印刷製本費の削減を図るべき。



■ 採用に係る広報経費

(調査の視点)

  1. 採用パンフレット等の広報媒体について、作成経費が過大なものとなっていないか。
  2. 採用パンフレット等の広報媒体について、必要性や効果を検証し、その結果が活用されているか。

等の確認を行い、経費の削減が図れないか検討する。

(今後の改善点・検討の方向性)

  • 採用に係る広報媒体の作成に当たっては、当該広報による効果の目標設定・効果の検証を実施し、効率的・効果的な広報に努めるべき。特に、パンフレット等の作成経費には、大きなばらつきもあることから、他の官署の経費削減の取組みも参考に更なる経費の削減に取り組むべき。また、地方支分部局において、独自広報媒体を作成する場合には、経費の削減効果等を考慮した上で、一括での作成を検討すべき。



■ 職員研修に係る経費

(調査の視点)

  1. 研修経費の受講者(自己)負担自己啓発等のための研修について、研修受講者に自己負担を求める余地はないか。また、自己負担を求めている研修について、その負担割合はどのようなものか。
  2. 研修受講者に無償配付している教材を貸与に変更することはできないか。研修教材の購入にあたって、十分な検討が行われているか。
  3. e-ラーニングについて、その導入にあたっての十分な検討がなされているか。また、研修によっては、府省共通システムとしたり、市販のシステムを活用する余地はないか。
  4. 同一内容の研修を別々に契約している場合には、一括調達を行うことでコスト削減を図る余地はないか。


(今後の改善点・検討の方向性)

  1. 語学研修やパソコン研修、自己啓発研修等、受講者本人へ研修効果が帰属するものについては、他の府省の例も参考に、自己負担の導入を検討すべき。また、負担割合の妥当性についても検討すべき。
  2. 研修教材について、研修後の使用状況を調査したうえで、研修教材の必要性の検討を行い、貸与への変更を行うなどにより、次回以降の購入冊数の削減を行うべき。
  3. 各府省独自で構築しているシステムを利用している研修について、市販のシステム、他府省のより効率的なシステム又は複数の府省共通で構築するシステムへの変更に係るコスト削減効果等を比較し、システムの変更を検討すべき。
  4. 一括調達を実施していない部局は、経費の削減効果等を考慮した上で、導入を検討すべき。特に語学研修、パソコン研修及び自己啓発研修については、一般的な研修であることから、導入を検討すべき。



■ 健康管理に係る経費

(調査の視点)

  1. 外部の医師を健康管理医に委嘱する場合の契約について調査を行い、更なる効率化が図れないか検証する。
  2. 健康診断業務について、契約及び執行の実績を把握し、更なる予算の効率化が図れないか、また、適切に予算に反映されているか検証する。


(今後の改善点・検討の方向性)

  1. 健康管理医の委嘱については、勤務実態に即した契約となるよう、契約内容を見直し、経費の削減を図るべき。特に、年間で数時間程度の勤務実績にもかかわらず、月額等で契約を行っている場合は、実質的な勤務時間を勘案した適切な契約となるよう見直すべき。
  2. 健康診断業務の調達については、予定価格100万円を超える随意契約や競争参加資格以外の条件を付している契約について競争性を高めるとともに、共同調達の実施も検討するなど、経費の削減を図るべき。また、健康診断業務の予算については、予算執行状況を踏まえ、適切に予算に反映すべき。

2014年11月18日火曜日

ハッとする言葉

ブログ「今日の言葉」から謙虚さがなくなる兆候」(2014-11-13)をご紹介します。


1. 時間に遅れだす。

2. 約束を自分の方から破りだす。

3. 挨拶が雑になりだす。

4. 他人の批判や会社の批判をしだす。

5. すぐに怒り出す(寛容さがなくなる)

6. 他人の話を上調子で聞き出す。

7. 仕事に自信が出てきて、勉強しなくなる。

8. ものごとの対応が緩慢になる。

9. 理論派になりだす(屁理屈を言う)。

10. 打算的になる(損得勘定がしみつく)。

11. 自分が偉く思えて、他人がバカに見えてくる。

12. 目下の人に対して、ぞんざいになる。

13. 言い訳が多くなる。

14. 「ありがとうございます」という言葉が、少なくなる(感謝の気持ちがなくなる)


誰もがどれかにはハッとする言葉ではないでしょうか。

特に社会人経験が多くなったり、職位が上がってくると

気を付けなければならないことばかりだと思います。

この14の項目は意識するだけでは不十分で、

実際に行動レベルにまで落とさなければ相手に伝わらない。

時間に遅れないように行動する。

約束を守る。

丁寧で元気な挨拶をする。

他人の話を傾聴する。

ありがとうと伝える。

などなど。

自らの実践が自分の人生を変えるツールです。

2014年11月17日月曜日

日本が今よりも好きになれる

オーストラリアの映像作家、デイヴィッド・アンソニー・パーキンソンさんが制作した「LOVE JAPAN」をご紹介します。

2014年11月16日日曜日

自ら経験しなければならない

ブログ「今日の言葉」から立ち向かう勇気」(2014-11-14)をご紹介します。


大切なのは評論家ではない。

実力者がどのようにつまずいたか、

善行家がどこでもっとうまくやれたかを

指摘する人物はいらない。


顔を泥と汗と血でよごしながら、

実際に現場で闘っている男。

勇ましく立ち向かっている男。


何度も判断をあやまって、期待にそえない男。

大いなる熱意と献身についてわかっていて、

りっぱな大義に身をささげている男。


最善の場合は、最終的に大成功をおさめた喜びを知っている男。

最悪の場合は、たとえ失敗したとしても、

勝利も敗北も知らない、

冷たくて臆病な連中とは違う、

あえて勇敢に立ち向かって結果として失敗した男。

そういった男たちをこそ、称賛すべきなのだ。


セオドア・ルーズベェルト



成功でも失敗でも良いから、自ら経験する事の大切さを説いています。

人は自分の人生の主人公であって、

他人の人生を生きることはできない。

同じ事が起こったとしても感じ方、捉え方、学べることは異なるものです。

詩人のリュッケルトもこう語っています。

『経験は数千年前からなされてきたが、

その跡をたどっても無駄である。

他人が自己のために経験したことは、

そのまま諸君には通用しない。

諸君は己自身のために経験しなさねばならない。』

論語や聖書などの2,500年以上も前の言葉が今も息づいているのは、

人が自ら経験しなければ実感できないからなのでしょうね。

2014年11月13日木曜日

私淑(ししゅく)

ブログ「今日の言葉」から変化」(2014-10-23)をご紹介します。


今の自分に疑問や不安を感じたら、

それは、変化しなさいという心の声です。

葉 祥明


他人と比較して、成功度合いや幸福度合いを判断するのは

意味がないだけではなく、

判断基準を他人に預けてしまうことになり、

自分らしさを失うことになるのでやめた方がいい。

しかしながら、自分が「こんな人になりたい」と

憧れや目標になるようなイメージが出来るのであればそれは別。

そのイメージとの比較が「今の自分に疑問や不安」を感じるという事なのだと思います。

本を読んだり、講演を聴いたりして、

私淑できる心の師匠をまずは持つこと。

さらに身近にそういう理想像になり得る人がいたら最高ですね。

もしそういう環境にあるならば、躊躇せずその人に話しかけてみましょう。

教えを請うてみましょう。

自分が思っているほど、そのハードルは高くないですから。

2014年11月12日水曜日

むずかしいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く

ブログ「今日の言葉」から正しいこと」(2014-10-16)をご紹介します。


「正しいことを言えば、わかってもらえる」とか

「これは常識的なことだから」と考えるのですが、

人はいつも<正しい>ことを受け入れるのではなくて、

<温かいもの>を受け入れるのです。

人間関係が、柔らかく温かいものであれば、

問題は必ずクリアされていきますが、

その人との関係がうまく形成されていなければ、

いくら正しいことを主張しても、

相手は聞き入れてはくれません。

まず先に、基本的な人間関係を築くことが大切です。

親子でさえも。

小林 正観


言葉は相手の心に届かなければ意味が無いわけで、そのためにも覚えておきたい教えです。

作家の井上ひさしさんがインタビューでこう語っていました。

『むずかしいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く』

また吉野弘氏の「祝婚歌」という詩にこんなフレーズがあります。

『正しいことを言うときは、少し控えめにする方がいい。

正しいことを言うときは、相手を傷つけやすいものだと気付いている方がいい。』

2014年11月11日火曜日

高い塔を建ててみなければ、新しい水平線は見えない

ブログ「今日の言葉」から高く掲げる」(2014-10-06)をご紹介します。


生まれた時は、

誰もが前向きに生まれて来た。

誰かがあきらめ方を教えた。

出来ないと思い込まされてきた。

あきらめ方を教えなければ、

子どもたちはすごく前向きに育つ

植松 努


目標を高く掲げ北海道の小さな町工場植松電機で、宇宙ロケット用のエンジン開発をされている植松さんのお話です。

植松さんはこんなお話もされています。

『「それは、理想論だ。きれいごとだ。」と言う人がいます。

理想論のきれいごとだけで、宇宙開発もできるんです。

理想とは、届かなくてもいいんです。

理想とは、北極星です。

北極星は、430光年の彼方にあるため、誰も到達できません。

でも、北極星のおかげで、北がわかり、南も西も東もわかります。

だから、地平線の向こうにも、水平線の向こうにも行けたのです。

「理想なんか届かないから」と捨ててしまうと、見える範囲でしか歩けなくなります。

理想とは、届く届かないは、どうでもいいんです。

理想は、高く高く持つのです。

理想を持てば、やがて地平の向こうまで行くことができるのです。』

また観測衛星はやぶさプロジェクトを指揮された川口淳一郎教授もこう話されています。

『「高い塔を建ててみなければ、新しい水平線は見えない」と申させていただくのですが、いまのレベルに安住して、足元を固めることばかりに一所懸命になっていたら、絶対にその先にある地平線は見えません。

私たち「はやぶさ」プロジェクトも客観的に見れば成功するかどうかは未知数でした。』

リーダーである方々は、高い目標を掲げて地平線を見させてあげてメンバーを鼓舞し、絶対的な明るさで周りを照らして行くことが大事ですね。

2014年11月10日月曜日

大学は何のためにあるのか

大学に行く理由」(2014年10月31日日経ビジネス)をご紹介します。


数日前、ツイッター上に流れてきた一連の資料が、タイムラインの話題をさらった。

内容は、このようなものだ。

この中で、論者は、日本の大学を「Gの世界」(グローバル経済圏)に対応した「G型(グローバル型大学)大学」と、「Lの世界」(ローカル経済圏)に対応した「L型(ローカル型)大学」という二つのコースに分離させるプランを提示しているわけなのだが、特にツイッター上の人々の注目を引いたのは、7ページ目に出てくる図表だ。

この図表は、「L型大学で学ぶべき内容(例)」として、以下のような実例を挙げている。

※文学・英文学部→「シェイクスピア、文学概論」→ではなく→「観光業で必要となる英語、地元の歴史・文化の名所説明力

※経済・経営学部→「マイケル・ポーター、戦略論」→ではなく→「簿記・会計、弥生会計ソフトの使い方」

※法学部→「憲法、刑法」→ではなく→「道路交通法、大型第二種免許・大型特殊第二免許の取得」

※工学部→「機械力学、流体力学」→ではなく→「TOYOTAで使われている最新鋭の工作機械の使い方」

いかがだろうか。

私は、一瞥して、アタマがくらくらした。

大学に通う人間が、シェイクスピアや、憲法や、物理数学の基礎理論の講義をすっ飛ばして、観光英語の習得にはげみ、会計ソフトの使い方に血道をあげ、工作機械の操作法を身につけねばならないのだとすると、そのキャンパスでは、いったいどんな会話がかわされるものなのだろうか。

「おまえ2限のTOYOTAアセンブリーラインカンバンしぐさ心得、単位とれそうか?」

「てゆーかASAKUSAおもてなしイングリッシュ必須700カンバセーションがキツ過ぎてそれどころじゃない」

「それより、イケてるパワポプレゼンでクライアントもメロメロさ講座が〆切間近だぞ」 

いや、このお話(L型大学の話)が出てきたのが新橋の居酒屋のカウンターで、熱をこめて語っているのが、そこいらへんの田舎コンサルのオヤジであったのなら、私とて、適当な相槌を打っておくにやぶさかではない。

事実、

「学問なんてものは学者さんがやればいいことで、オレら市井の男たちには関係ないよな?」

てなことを主張してる中小企業の管理職はヤマほどいるわけだし、正直な話をすれば、私自身、その彼らの主張にまったく理がないとも思っていない。

でも、これは、文科省経由で出てきているお話だ。

お話の出どころは、「実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議」という、文科省が招集している歴とした審議会である。

ちなみに、先の資料は、その「実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議」の第1回の会合(平成26年10月7日開催)の折りに配布された資料のうちのひとつで、経営コンサルタント冨山和彦氏の手になるものだ(こちら→「実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議(第1回) 配付資料」の「資料4」)。

ということはつまり、天下の文部科学省が招集した会議で、こういう内容の資料が配られていることになるわけで、てなことになると、私もさすがに、国家百年の未来を、懸念せずにはおれないのである。

お国のトップが、新橋の酔っぱらいがクダを巻くみたいな調子で、お国の将来を背負って立つ次世代の若者たちの教育計画を立案しにかかっているんだとしたら、それこそ一大事ではないか。

というよりも、これは、大学教育破壊計画と言えないだろうか。

このお話には伏線がある。

というよりも、エリート教育と産業用人材の育成を分離して考える計画自体は、自民党内および経済界の中に古くからわだかまっていた、いわば保守本流の思想なのであって、いまさら私がびっくりしてみせているのは、実はカマトトぶりっこなのである。

2000年の7月、前・教育課程審議会会長であった小説家の三浦朱門氏は、斎藤貴男氏の質問に対して以下のように答えている。

《学力低下は予測しうる不安というか、覚悟しながら教課審をやっとりました。いや、逆に平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。落ちこぼれの手間ひまをかけたせいでエリートが育たなかった。だから日本はこんな体たらくなんだ。つまり、できんものはできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺をあげることにばかり注いできた労力を、できるものを限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。》(出典は『機会不平等』斉藤貴男著、文芸春秋)

それ以前にも、たとえば、1995年の7月に、経済同友会副代表幹事だった桜井正光氏が、さる私立大学の学生生活指導担当者の研修会で、こう述べている。

《--略-- 現時点で必要な人材を、その人材が要求する金額で採るとなれば契約社員のような形になって、これだけでも新卒一斉採用は崩れるしかないのです。あとはロボットと末端の労働力ですが、賃金にこれほどの差があるのでは、申し訳ないけれど東南アジアの労働力を使うことになるでしょう。》

こうして文字にしてしまうと、どうにも冷血かつ野卑な奴隷監察官の台詞じみて聞こえるかもしれないが、実際のところ、こうした考えは、わが国の良民常民の中で営々と受け継がれてきたド真ん中の思想だったわけで、少なくとも私の両親の世代の庶民は、おおむね、こんな調子だった。

私なども、おそらく古い親戚の間では、大学を出たおかげで生意気になった小僧ぐらいに思われいてるはずだ。

たいした学問がついたわけでもないし、博士か大臣になったわけでもない。なのに口ばっかり達者になって、法事や墓参りを億劫がるのは、親が見栄を張って大学なんかに行かせたせいだ、と、そう考えている旧世代が、まだそのへんに生き残っている。だから面倒だというのだ。

つまり、「学問なんてものは、学者がやっていればいい」と考える層は、依然として、うちの国のコア層なのである。

なにより、安倍首相ご自身が、そうおっしゃっている(こちら→「平成26年5月6日 OECD閣僚理事会 安倍内閣総理大臣基調演説」)。

今年の5月に開催されたOECDの閣僚理事会の席で、世界中のVIPを前に安倍首相は

「だからこそ、私は、教育改革を進めています。学術研究を深めるのではなく、もっと社会のニーズを見据えた、もっと実践的な、職業教育を行う。そうした新たな枠組みを、高等教育に取り込みたいと考えています」

と言い切っている。演説の全文は、いまでも官邸のウェブサイトに残っている。

もう一度よく読んでみてほしい。安倍さんは

「学術研究を深めるのではなくて」

と、あきらかに言ってしまっている。

ということは、一見、素っ頓狂な勇み足に見えた一コンサルタントの提案は、実に、首相の意を受けた(あるいは「忖度した」)プランだったのであり、彼の言う、L型、G型という安物の商品企画みたいなプランニングは、この先、本当に実現してしまうかもしれないのである。

なんということだろう。

安倍首相ならびに文科省は、大学の機能のうちの研究・教育機関としての部分はコストパフォーマンスが良くないという理由から、最上級のノーベル賞候補育成の部分だけ残して解体してしまいたいのかもしれない。

でもって、偏差値トップ校以外の普通の大学は、ホワイトカラー育成牧場みたいなもの改造する、と。

このプレゼン資料の中に底流している「劣った者がローカルにとどまり、優れたものがグローバルに羽ばたく」という思想は、文科省が出してくるあらゆるプランに通底している。のみならず、安倍首相ならびにその応援団である財界人がことあるごとに繰り返している日本改造計画の基本スキームでもある。

が、実際のところ、「グローバル」と「ローカル」を分かつものは、必ずしも「優劣」ではない。

英語のテストで優れた成績を残した生徒が海外に留学する例はもちろんあるし、同じジャンルの工業製品のうち、最も高い売上を記録した優良ブランドだけが海外に輸出されるという局面もある。

が、元来、「ローカル」と「グローバル」は、「地場のもの」と「国際市場向けのもの」を峻別するための暫定的な指標に過ぎない。

両者の間にある違いは、優劣ではない。

どちらかと言えば、「換金性」(金に換算できる性質)や、「普遍性」が、「グローバル」の条件であり、逆に「ローカル」にとどまるものは、「個別的」で「独特」で「換金不能」な物件ということになる。

たとえば、鮒寿司や納豆やある種の萌えコンテンツや、留め袖や文楽のようなものは、どうしても「ローカル」にとどまる。劣っているからではない。独自で、文化的で、翻訳困難で、換金性が低いからだ。

対して、電気カミソリや、USBメモリや、小麦粉や、忍者ソードは、グローバルな市場に出て、海外の顧客を相手にするようになる。単に優れているからではない。平明で、普遍的で、市場的で、換金性が高く、移動に好適だからだ。

もうひとつ大切なポイントは、「グローバル」「ローカル」というこの二区分法が、元来、商品を評価するための指標だということだ。

であるから、企業や、商品や、ビジネス上の慣習や、市場や価格について語るにおいて、「G型」と「L型」の区分けは不可欠であるのだろうし、また、商品に限って言うなら、「Gの世界」と「Lの世界」の間には、基本的な「優劣」の差があるとも言える。

しかし、「人間」「学問」「教育」「文化」「国民生活」といった「カネに換算できない諸価値」について、「グローバル」「ローカル」の二区分法を当てはめてしまうと、GとLの物語は、いかにも乱暴な話になってしまう。

ついでに言えば、「劣った者がローカルにとどまり、優れた者がグローバルではばたく」という文科省の発想の前提は、そのまんま植民地商人の精神性そのものであり、大学を卒業した人間に「G」と「L」の焼き印を押して区別しようとする態度は、ほとんど奴隷商人のやりざまと言って良い。

エリート教育についてもひとこと言っておく。

安倍さんは、裾野も山腹も無しに、頂上だけで山が作れると思っている。

いや、安倍さんが何を考えているのか、本当のところはわからない。

でも、こっちから見ていると、そう思っているように見える。

そう見えてしまうところが、つまりは、あの人の教養の乏しさなのだと思う。

とすると、大学のキャンパスというのは、長い目でものを見ることのできる人間を育てる空間だったわけで、安倍さんはそこでしくじったから、大学を壊そうとしているのかもしれない。

建前論を言うなら、大学は、そもそも産業戦士を育成するための機関ではない。

労働力商品の単価を上げるための放牧場でもない。

「じゃあ、何のための場所なんだ?」

と尋ねられると、しばし口ごもってしまうわけなのだが、勇気を持って私の考えを言おう。

大学というのは、そこに通ったことを生涯思い出しながら暮らす人間が、その人生を幸福に生きて行くための方法を見つけ出すための場所だ。

きれいごとだと言う人もいるだろう。

が、われわれは、「夢」や「希望」や「きれいごと」のためにカネを支払っている。

なにも、売られて行くためにワゴンに乗りにいくわけではない。

最後に、これは、森田真生さんという独立数学者がその「数学ブックトーク」というイベントの中で紹介していたお話の受け売りなのだが、安倍首相のためにあえて引用することにする。

いまは、誰もが知り、誰もが使い、すべての産業の基礎を作り替えつつあるデジタルコンピュータは、20世紀の半ばより少し前の時代に、ごく限られた人間の頭の中で、純粋に理論的な存在として構想された、あくまでも理論的なマシンだった。

「もっと社会のニーズを見据えた、もっと実践的な、職業教育」というところから最も遠く、実用と換金性において最弱の学問と見なされていた数理論理学の研究者であったチューリングやノイマンの業績)の研究が、20世紀から21世紀の世界の前提をひっくり返す発明を産んだのである。

なんと、素敵な話ではないか。

目先の実用性や、四半期単位の収益性や見返りを追いかける仕事は、株価に右往左往する経営者がやれば良いことだ。

大学ならびに研究者の皆さんには、もっと志の高い、もっと社会のニーズから離れた、もっと夢のような学術研究に注力していただきたい。

採算は度外視して良い。

大学は、そこに通った人間が、通ったことを懐かしむためにある場所だ。

本人が通ったことを後悔していないのなら、その時点で採算はとれている。

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日本の大学の国際化がなかなか進まない。世界大学ランキングで上位に顔を出すのは一握りで、留学生の受け入れ比率なども世界的に低い水準だ。東京大学で正規職の外国人教員として32年間教え、今春退官したロバート・ゲラー名誉教授は「日本の大学が国際化するにはガバナンス(統治)改革が不可欠」と...

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