2014年4月17日木曜日

私大文系の教育改革

IDE(2014年4月号)に掲載された記事「取材ノートから-脱・平等教育」(日本経済新聞社編集委員 横山晋一郎氏)をご紹介します。


早稲田大学が、6、7月の4週間を使って、海外の学生向けに「ワセダ・サマーセッション」を開くというので、記者会見を覗いた。説明者は、国際教養学部の初代学部長も務めた国際担当の内田勝一副総長。サマーセッションだけでなく、早稲田の国際化についていろいろ面白い話が聞けた。

特に興味深かったのは、「今までの平等性を見直し、優秀な学生には特別な教育をして行きたい」という発言。「海外の有力大学で学びたいという意欲の高い学生には、3、4年生で留学をさせ、5年間で修士号を取得できる制度を商学部で検討しており、いずれ他の文系学部でも始めたい」と語る。

背景には、理工系では8割が大学院に進む時代だというのに、文系分野で大学院教育が定着しない現実がある。日本企業が、人文科学や社会科学の大学院修了者の採用に消極的だからだ。「そんな企業を、早稲田が先鞭を付けて変えたい」と意気込む。具体的な話を詳細に聞くだけの時間はなかったが、思いは充分に伝わってきた。

大学の課題は数多くあるが、最大の課題は文系教育の質的向上、特に大学生の多数を占める私大文系の教育改革だと思う。

戦後の日本の高等教育の拡大に最も貢献したのは私立大学だ。文系の学部を数多く作り、大教室の大規模授業で、大量の学士を安上がりに養成し、伸び盛りの日本企業に次々と送り込んだ。「大学入試で基礎能力さえ判断して貰えば後は徹底的な社内教育で一人前の企業戦士に鍛え上げるから、大学教育自体に関心はない」。これが企業の本音だったから、あまり教育の質は問われなかっだ。毎年、大量の志願者がいたから、私立大学は施設(=受け皿)さえ用意すれば経営は安泰そのもの。国は高等教育の拡充にコストを払わずに済むし、学生も受験で苦労しても、入学さえしてしまえば勉強しなくても就職は困らない。かくして、国も、大学も、企業も、そして学生にも幸福な時代が続いた。乱暴かもしれないが、私学を中心にした戦後の高等教育の推移を概観すると、こういうことではなかったか。

だが、幸せな時代は終わった。グローバル競争を迫られる企業は、世界で活躍できる人材を求め、大学教育の質に注文を付け始めた。国も、そうした声を無視できない。大学教育の質が問われる時代に、安上がりのマスプロ教育は通用しない。そこで各大学は、留学奨励や大学院の拡充など様々な教育改革に取り組み始めたが、いずれもお金がかかる。特に”低コスト”体質が染みつく私大文系には厳しいハードルだ。

そこで、内田副総長が言うような「意欲の高い学生向けの特別な教育」が浮上する。学生の意欲には個人差が大きいし、全員が留学を望んでいるわけでもない。ならば、本当にやる気のある学生を徹底的に鍛えていこうと考えるのは当然だ。そうなれば、全ての学生を同様に扱う”平等性”は見直さざるを得ない。学内の抵抗は多そうだが、こうした手法が、今後の私大文系の教育改革では大きな流れになると思う。

「大学に入ったら、何を目指して、どんな勉強をして行くのか」。明確な目的意識を持った大学選びが、ますます重要な時代になると考えながら、早稲田を後にした。