2014年8月25日月曜日

終戦記念日に考える(4)

シベリア抑留 この悲劇を語り継ごう」(2014年08月22日 毎日新聞)をご紹介します。


シベリア抑留を描いたマンガ「凍(こお)りの掌(て)」(小池書院)が2012年に刊行されて以来、着実に売れ続け、今年7月には7刷が発行された。マンガ家、おざわゆきさんが父親の4年間にわたる抑留体験をベースに、悲惨な歴史を伝える労作だ。

筆舌に尽くしがたい寒さや飢え。厳しい強制労働。極限状況で日本人同士が争う姿も、満足に治療を受けないままに亡くなっていく病人の悲惨さも表現されている。親しみやすいマンガだからこそ、地獄のような日々がひしひしと伝わってくる。

第二次世界大戦の終結後、旧満州(現中国東北部)などで降伏した日本兵ら約57万5000人(厚生労働省調べ)が旧ソ連領やモンゴル領に連行され、約5万5000人(同)が抑留中に死去したと推計されている。もっと多かったともいわれるが、全体像は明確になっていない。

元抑留者たちは、当時の最高指導者スターリンが抑留指令を発した8月23日に、毎年、東京都千代田区の国立千鳥ケ淵戦没者墓苑で、犠牲者たちを追悼する集いを開いている。

抑留を体験した人で生存するのは全国で4万数千人と推定される。平均年齢は91歳。直接に証言を聞くことができる時間を大切にしたい。

この1年間でも、シベリア体験を伝え続けてきた多くの人が亡くなった。村山常雄さんは約4万6300人の抑留死亡者の名前(仮名表記を含む)を突き止め、ホームページに公開した。旧ソ連が公開した名簿を他のさまざまな資料と照らし合わせる膨大な作業だった。シベリア抑留については日本政府も、研究者たちも、ジャーナリズムも、実情を明らかにする作業が遅れた。そんな中で、村山さんの仕事は研究の基礎をなすものだった。

抑留体験を描き続けた画家、佐藤清さん、抑留された人々が祖国への思いを歌った「異国の丘」を作詞した増田幸治さんも死去した。

一方で、京都府舞鶴市の舞鶴引揚記念館が所蔵する抑留に関する資料が来年、世界記憶遺産の登録をめざすことになった。舞鶴市は抑留された人々が帰還した地で、歌謡曲「岸壁の母」の舞台でもある。この記念館がシベリア抑留を考える拠点の一つになることが期待される。

来年は戦後70年。北の大地に眠ったままの遺骨の収集、ロシア側の資料公開、中学や高校でシベリア抑留をどう教えていくのかなど、課題は多い。冒頭に一例を挙げたが、マンガやアニメ、歌やテレビドラマがつくられれば、若い世代が歴史を知る貴重なきっかけにもなるだろう。抑留の実態解明を進めるとともに、あらゆる工夫をして、この悲劇を未来に伝えたい。


著者 : おざわゆき
小池書院
発売日 : 2012-06-23