2014年10月26日日曜日

格差拡大措置としての大学のグローバル化

桜美林大学大学院・大学アドミニストレーション研究科教授の山本眞一さんが書かれたスーパーグローバル大学~その光と影」(文部科学教育通信 No349  2014-10-13)をご紹介します。


大学改革と国際化の断行

先月26日、文部科学省はかねて公募・審査中であったスーパーグローバル大学創成支援事業の審査結果を公表し、東京大学や慶鷹義塾大学など37大学を支援の対象として採択した。内訳は、世界大学ランキングトップ100を目指す力のある、世界レベルの教育研究を行うトップ大学(タイプA:トップ型)として、東京大学や京都大学など13大学、これまでの実績を基にさらに先導的試行に挑戦し、わが国の社会のグローバル化を牽引する大学(タイプB:グローバル化牽引型)として、千葉大学や国際教養大学など24大学である。タイプAに採択された13のうち11大学が国立(旧帝大のすべてと筑波、東京医科歯科、東京工業、広島大学)であるのに対し、タイプBについては国立10、公立2、私立12大学が採択され、国立大学には長岡、豊橋の技術科学大学、奈良先端科学技術大学院大学のような新構想大学が、また公私立大学には会津、国際教養、国際、立命館アジア太平洋大学のように比較的近年に設立され、かつ話題性に富んだ大学が含まれているのが目立つ。

このスーパーグローバル大学創成支援事業は、安倍政権が昨年の教育再生実行会議で提言した「大学改革、グローバル人材育成」を受けて開始したものであり、今回の公募要領にもそのことが明確に触れられている。文部科学省においては「徹底した『大学改革』と『国際化』を断行」し「世界的に魅力的なトップレベルの教育研究を行う大学や、我が国社会の国際化を牽引する大学を重点支援」(募集要領)することになったとしている。政策文書としてはかなり強い決意が感じられる。

採択された大学については、今後10年間にタイプAでは最大5億円、タイプBでは最大3億円の支援金が毎年支出されるが、途中、4年目と7年目に中間評価が行われる。評価の結果によっては、事業中止を含めて計画の見直しの可能性があり、また支援金額の変動もありうる。もっとも、数百億円あるいはそれ以上の予算規模をもつ大規模大学にとっては、支援金額の多寡よりも、当該大学が支援事業に採択されたという標章効果の方が大きいはずであり、また部局自治に阻まれてとかく手元不如意になりがちな大学執行部にとっては動きがとりやすい貴重な財源ということになるだろう。ただし、事業に推移によっては自己財源による持ち出しも大きいはずであり、また、特色GPなどのGPものやグローバル30で経験済みのように、支援期間終了後の事業の継続性についての課題が残る。

学習効果の高い仕掛け

さて、このような大型支援事業が、大学運営に与える影響について考えてみよう。第一に、大学改革と国際化という政策目的の実現性についてである。今回採択された大学の構想名を一瞥する限り、大変魅力的な名前が目白押しである。企業でいえばあたかも新製品の発売のためのキャッチ・コピーと見紛うばかりの工夫振りである。大学が学問の府であることが当然とみなされていた半世紀前の大学人が見れば、腰を抜かさんばかりに驚くであろうこれらの構想名は、これらが政府主導ではなく大学の自主的判断の末にひねり出されたものだとすれば、確かに当該大学の大学改革や国際化に向けた確固たる意思表明である。これらの構想を構想調書に取りまとめ、文部科学省(日本学術振興会)に提出するため、学内においてさまざまな、そして深い議論がなされたことであろうから、その議論をしたこと自体に当該大学についての自己点検・評価、問題把握、課題抽出、解決策模索の動きを刺激する効果があったはずであり、仮に申請した構想が不採択であったとしても、そこには一定以上の効果があったと考えなければならない。

その意味で、構想調書に盛り込まれた記入様式とりわけ共通観点としての「国際化関連」、「ガバナンス改革関連」、「教育の改革的取組関連」などの評価項目は、書き進むことによっておのずから自己点検・評価が行われ、かつ大学改革に関して全学的な学習効果が高まるという、まことに巧妙な仕掛けが施されているように読み取れる。同時に、各大学はこれらの項目に自信を持って答えられる、つまり中教審や政府の言う大学改革プランを真摯に受け止め、これを実行しない限り、政府からの追加的財政支援を受け取ることはできないのだということも学ぶことであろう。その意味で、政策の実行とその効果の判定はこれからのことではあるが、少なくとも初期段階での効果は絶大であると言ってよいであろう。

第二に大学の自主自律との関係である。大学の自主自律は、結果としての大学の多様性につながることが必要である。政府が一律の基準で多くの大学の活動を、たとえ構想調書という間接的な形であれ、評価することにはかなりのリスクを伴う。つまり大学が政府の方針に振り回されることにより、結果として大学は自律性を失ってしまうのではないかという危惧である。これは前節で書いたこととも関連するが、この種の競争的資金は事業に直接関係することがら、ここでは国際性という面から当該大学のユニークな構想を評価すべきであって、共通観点に当たる事項については、あくまでも参考情報に留めるべきである。

政府や大学の枠を超えて

ただ実際は、図表(略)で示すごとく公私立大学ではそもそも申請率が低く、また採択された大学の割合もわずか全体の2%であり、大多数の大学にとっては影響の薄い支援事業であったことが分かる。問題は、3分の2もの大学が申請し4分の1の大学が採択されている国立大学にある。ある国立大学副学長が「前から選ばれることが分かっていた大学ばかり」(9月27日付け朝日新聞)と語ったそうだが、今後、採択校と非採択校との格差が大きくなることが予想される中、これへの反発の一方で、政策への同調圧力が一層増大することも考えられ、法人化後の国立大学の自主自律ということが一層深く問われるこどになるのではないか。

第三に大学改革についての、国と大学との関係である。特定の高等教育政策実現のためにこのような政府主導の競争的資金が導入されてまだ日は浅い。しかし、政府(政治と官僚)と大学がこのように堅く結びつきあって政策を推進していくという手法には、かつての高度経済成長期の産業政策とその帰結を思い起こさせるものがある。しかし現実のグローバル化は、国や企業の枠を超え、はるかに幅広いスケールで世界を覆いつつある。高等教育政策が4半世紀以上前の産業政策の後追いで良いはずはない。紙面の都合でここでは詳しく論じる余裕はないが、政府主導で大学単位に事を進める手法は、お隣の韓国、中国にも見られるがごとく、東アジアに独特のものではあるまいか。米国や欧州の優れた大学には、このような手法にはよらずにグローバル展開を進める力がある。

われわれにはより深くその背景や彼らの手法に学ぶものがあるはずである。スーパーグローバル大学創成支援は10年間の予定とされているが、次期に向けては、政府主導、学長主導とは異なるさらに柔軟な新しい発想を用意して備えるべきではないだろうか。