2014年10月20日月曜日

グロ・イノ人材以外は要らないのか

IDE:現代の高等教育(2014年7月号)から、「グロ・イノ人材だけでいいの?」をご紹介します。


ある著名な経済人が、国の審議会でこんな趣旨の発言をしていた。

「今、日本が育てるべき人材は二つある。異文化を理解し、英語で自分の考えを表現でき、世界を舞台にリーダーシップを発揮できるグローバル人材。そして、博士課程を修了した専門家や企業家などイノベーション(技術革新)を起こすことができる人材だ」

別に目新しい内容ではない。わざわざ言われなくても、国はとっくにそちらに舵を切り、グローバル人材とイノベーション人材、略して(略す必要もないけれど)グロ・イノ人材を育てるべく、主にその舞台となる大学に鞭打っているようにみえる。時に、「1大学5億円」という巨大なニンジンを鼻先にぶら下げ、「世界ランキングトップ10に入れ」なんて号令を出したりもして。

今、学生でなくてよかった、と思うのはこんな瞬間だ。生来の怠け者にはきつい空気が、キャンパスにも醸成されているからだ。まるで、グロ・イノ人材以外は要らない、とまで言われているように感じる場面もある。

先日、ある私立大学の非常勤講師のゼミを取材した。その大学では、高校時代まで勉強をしたことがない学生が大半を占め、1年生はまず学ぶ意欲を起こさないことには授業も進められない。そこで1年生のゼミを必修にし、新聞や短い文章を教材に読み書きの基本を学び、学ぶ習慣づけをしようとしている。ところが、多くの教員はそうした現状の改善に真剣に取り組まず、学生を小ばかにしている風潮がある。

その思いが学生に伝わり、教室の雰囲気はいつも殺伐としていて、授業中に立ち歩いたり大声で話したりの「学級崩壊状態」になっているのだという。

足を運ぶと、なるほど昼休み直後の時間ということもあって、ゼミの空気はダレ切っていた。チャイムがなっても学生はほとんど集まってこない。着席していてもまた「トイレ」と言って廊下に出てしまう。戻ってくると、隣の学生とおしゃべりを始める。

その姿に、そもそもなぜ大学にきているのだろうと疑問に感じ、尋ねてみた。いかにもヤンキーという金髪の男子学生は父親の命令だったという。建築業の現場で働く父親は、中学校しか出ていないため、苦労したそうだ。「親父は怖いから、言われた通りにした」とふてくされたような顔で話していた。隣で聞き耳を立てていた学生が、「オレも」と話に加わってきたことから、話の輪が一気に広がり、約20人の学生たちがそれぞれの歩みを語り始めた。

過去の話が出たついでに、将来の夢を尋ねると、ヤンキー学生は「実は」と恥ずかしそうに話し始めた。「まだ相手はいないけれど、結婚する。子どもは2人がいい。どっか安い所に一戸建てを買うんだ。奥さんと一緒に働いて」。すると、話の輪はさらに広がった。「子どもを育てるには、金がかかるよね」「塾だけでなく、習い事もさせたいよ」「そのためにはしっかり稼がなきゃ」。ふと見渡すと、誰も教室の外に出ていない。だが、どの顔も明るく、夢を語っていた。「そのために勉強するんでしょ」という講師の一言に、「そうだよな」「そうは言うけどさ」とちぐはぐな答えを返しながら、学生たちはチャイムが鳴っても教室から離れがたい表情だった。

グロ・イノ人材を目指す学生は、あの教室にはいなかった。だが、ささやかな幸せを夢見て、学びへの道を模索していた姿は、午後の教室の陽だまりの穏やかな空気とともに、今も心に残っている。