2016年12月31日土曜日

記事紹介丨聞き流すまい

2016年が終わる。

世界中で「分断」「亀裂」があらわになった。

ニッポンは、どうか。

「言葉」で振り返る。

政治では、悲しいかな、ことしもカネの問題があった。

「私の政治家としての美学、生き様に反する」

業者から現金をもらった甘利明経済再生相は1月に、こんな発言を残して閣僚を辞めた。その後の国会を「睡眠障害」で欠席し、関係者の不起訴が決まると、さっさと復帰した。

「公用車は『動く知事室』」

東京都の舛添要一知事は公用車での別荘通いや、1泊20万円のホテル滞在で袋だたきにあった。そのうえ政治資金の私的流用を「せこい」と酷評され、6月に知事の座を追われた。

「飲むのが好きなので、誘われれば嫌と言えない性分」

700万円近い政務活動費を飲食やゴルフなどに使った富山市議が8月に辞職した。似たような地方議員の税金乱費が、各地でぼろぼろと見つかった。

国会はさながら「安倍1強」劇場だった。安倍晋三首相は夏の参院選に勝ち、自民党総裁の任期延長に異論も出ない。

「結党以来、強行採決をしようと考えたことはない」

「こんな議論を何時間やっても同じですよ」

首相の答弁は、ぞんざいさを増し、与党は「数の力」で採決を強行していった。

国連平和維持活動(PKO)に派遣する自衛隊に「駆けつけ警護」の新任務を与えた。強引に憲法解釈を変えた安全保障関連法の初めての具体化だが、首相の言葉は軽かった。

「もちろん南スーダンは、例えば我々が今いるこの永田町と比べればはるかに危険な場所」

南スーダンでは武器で人が殺されている。それを稲田朋美防衛相はこう説明した

「それは法的な意味における戦闘行為ではなく衝突である」

この種の「言い換え」が増えた。沖縄県でのオスプレイ大破は「不時着」だった。安倍政権は「積極的平和主義」で「武器輸出三原則」を葬り、「防衛装備移転三原則」と称している。

ご都合主義的な言葉づかいの極みが、首相の6月の消費増税先送り会見で飛び出した。

「再延期するとの判断は、これまでの約束とは異なる新しい判断だ」

「新しい判断」は公約違反の逃げ口上だ。2年前には「再び延期することはない。ここでみなさんに、はっきりとそう断言する」と言ったのだから。

しかも国会での追及をかわそうと、閉会直後に表明した。ところが、野党も増税延期を唱えていたため、参院選の争点にすらならなかった。

「確実な未来」である人口減少と超高齢社会に備えるための国民の負担増を、政治家が先送りし、多くの有権者がそれを歓迎、あるいは追認した。

医療も介護も年金も生活保護も子育ても、財源難にあえいでいる。この厳しい現実から目をそむけ、社会全体が「何とかなるさ」とつぶやきながら、流されてゆくかのようだ。

その流れは、政治家の粗雑な答弁や暴言をも、のみ込んでしまっているようにも見える。

この夏、101歳で逝ったジャーナリスト、むのたけじさんの著作に次の一節がある。

「(日本人が)ずるずるべったり潮流に押し流されていくのがたまらなかった」

敗戦直後の世の中への感想だが、どこか現在に通じないか。

9月、安倍首相は所信表明演説で言い切った。

「非正規(労働)という言葉を、みなさん、この国から一掃しようではありませんか」

だが、働き方の問題は深刻かつ多岐にわたる。

「保育園落ちた日本死ね!!!」

この匿名のブログへの反響の大きさが、待機児童問題の窮状を物語っている。

過労自殺した電通の女性社員(24)の言葉も切ない。

「大好きで大切なお母さん。さようなら。ありがとう。人生も仕事もすべてがつらいです」

衝撃的な事件があった。

相模原市の障害者施設で19人を殺害した男は言った。

「障害者は生きていても無駄だ」

この異常な偏見に対する確固たる反論を、だれもが心に堅持し続けねばならない。

ことしも、いじめを苦にした自殺を防げなかった。原発事故の自主避難先で、いじめられた少年の手記が話題になった。

「いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」

それぞれの「言葉」が、ニッポンのありのままの姿を映している。だから聞き流すまい。立ち止まって受け止めよう。

このまま来年も流されてしまわぬように。

(社説)ニッポン2016年 このまま流されますか丨2016年12月31日 朝日新聞 から

2016年12月30日金曜日

記事紹介|ボケ、土人が

政治家の言動が、がさつになっている。論説委員に4年ぶりに戻ってから半年、そう実感する日々だ。

官房副長官が野党の国会対応を「田舎のプロレス」「ある意味、茶番だ」と言った。農林水産相は審議が始まってまもなく、「強行採決」を促すかのような発言をした。

ともに国会審議をバカにする姿勢がありありだ。ただ、2人は発言を撤回し、謝罪もした。その意味では、見慣れた光景だった。

これに比べて、鶴保庸介沖縄・北方相の「土人」をめぐる対応は人権にかかわる、より深刻な問題だと考える。

沖縄県の米軍訓練場の工事現場で10月に、大阪府警の機動隊員が市民に「ボケ、土人が」と口走った。これについて国会で「私個人が大臣という立場で、これが差別であるというふうに断じることは到底できない」と答えた。

12月の国会審議でも、同じような答弁を重ねた。

なぜ、差別ではないのか。

「土人」には「その土地に生まれ住む人」だけでなく、「未開の土着人。軽侮の意を含んで使われた」(広辞苑)という意味がある。「ボケ」をつければ、相手をさげすんでいるのは明らかだ。

「大臣という立場」の使い方も解せない。カッとなった若い機動隊員とは違う。国民に選ばれた政治家、しかも閣僚ならばこそ、差別だと認めるべき立場ではないのか。

この問題では著名な作家が「私を含めてすべての人は、どこかの土人、原住民なのだが、それでどこが悪いのだろう」と新聞に書いた。

「土人」という単語に焦点を当てた、問題のすり替えに驚いた。それでも個人的な感想であり、賛同する読者もいたのかもしれない。

だが、沖縄担当相がこの作家と同じ判断をすれば、政府と県の亀裂を深めるだけだ。

それなのに政府は、野党議員の質問に「(鶴保氏が)謝罪し、国会での答弁を訂正する必要はない」と政府答弁書で回答した。

こんな幕引きが、政治の言葉の粗暴さを助長させることを懸念する。

いま、世の中では「正規VS.非正規」や世代間の格差が露見し、不平や不満が鬱積(うっせき)している。そのトゲトゲしさが融和よりも相手を撃破する政治手法への支持を広げてゆく。だから言葉もささくれ立つ。

こんな時代こそ、人権や差別に敏感でありたい。とくに政治家には、そうあってほしい。

2016年12月28日水曜日

動画紹介|HOW TO USE TOILETS in JAPAN -日本のトイレの使い方-

記事紹介|オバマ大統領の真珠湾での演説

安倍首相、米国民を代表して大変すばらしい言葉に感謝する。今日、この地への訪問は、日米の人々の和解と結束の力を示す歴史的な行動であり、戦争の最も深い傷でさえ、友情と恒久平和に変えることができると気付かせてくれる。

出席者、軍人、真珠湾の戦いの生存者、家族の皆さん、アロハ。米国の人々、特にハワイをふるさとと呼ぶわれわれにとって、この湾は聖なる場所だ。われわれがここに花をささげ、今も涙を流す海に花束を投げ入れる時、天国へ行った2400人を超える米国の愛国者たち、父であり夫であり、妻や娘であった人たちに思いをはせる。

▽米国人の勇気

われわれは毎年12月7日に背筋を伸ばし、オアフを守ろうとした人々に敬意を表する。そして75年前にここで示された勇敢さに思いをはせる。

あの12月の夜明け、楽園でさえこの地ほどは心地よくなかった。水は温かく、あり得ないほど青かった。水兵たちは食堂で食事をしたり、しわのない白い半ズボンとTシャツを身に着けて教会に行く準備をしたりしていた。

湾には軍艦カリフォルニア、メリーランド、オクラホマ、テネシー、ウェストバージニア、ネバダがきれいな列をつくり停泊していた。アリゾナの甲板では、音楽隊がまさに演奏を始めようとしていた。

あの朝、肩につけた階級章が見劣りするほどに彼らは勇敢だった。島中で米国人は訓練用の砲弾や旧式のライフルを使用して可能な限り戦った。アフリカ系米国人の給仕はいつもなら掃除をしていたが、この日は上官を救い、弾が尽きるまで対空砲を撃ち続けた。

われわれは軍艦ウェストバージニアの1等砲撃手、ジム・ダウニングのような米国人に敬意を表する。彼は真珠湾に駆け付ける前、新妻から聖書の一文を託された。「永遠なる神は汝のよりどころ。その永遠なる腕に抱かれて」

ジムは船を守るため戦うと同時に、倒れていった仲間たちの名前を記録していた。彼らの家族に最期を伝えるためだ。彼は言う。「やるべきことをやっただけだ」と。

われわれは、ホノルルの消防士ハリー・パンのような米国人を記憶にとどめている。激しい炎が眼前に立ち上る中、飛行機の火を消すために彼は身をささげた。名誉負傷章を受けた数少ない民間消防士の一人だ。

50口径のマシンガンを2時間以上も操作し、20にもわたる傷を負い、軍人に授けられる米最高の勲章である名誉勲章を受けたジョン・フィン曹長のような米国人を、われわれはたたえる。

▽戦争の試練

この地でわれわれは、いかに自分たちの永続的な価値が戦争によって試されたか、日系米国人たちが戦時中、いかに自由を奪われたかを思い返す。米国史上で最も多くの勲章を授かった部隊は、日系米国人2世で構成された第442連隊戦闘団であり、第100歩兵大隊だった。

その第442連隊戦闘団には、私の友人であり誇り高きハワイ人であるダニエル・イノウエ(故人)も所属していた。彼は私の生涯の大半を通じハワイ州選出の上院議員を務め、上院で彼と共に働くのは私の誇りだった。彼は名誉勲章や大統領自由勲章の受章者であるだけでなく、彼の世代における最も傑出した政治家の一人だった。

ここ真珠湾で、初めて第2次大戦を戦った米国は奮起した。この地で、米国は成熟した。私の祖父母を含む「最も偉大な世代」は、戦争を求めていたのではない。しかし彼らは戦争から尻込みするのを拒んだ。そして彼らは前線や工場で自分の役割を果たした。75年を経て、真珠湾の生存者は時とともに数が減ってきたが、この地で思い出す勇敢さはわれわれ国民の心に永久に刻まれている。

真珠湾や第2次大戦の退役軍人の皆さん。どうか立ち上がってください、もしくは挙手してください。国民が皆さんに感謝できるように。

▽強固な同盟

国家の品性とは戦時中に試されるものだが、その意味は平和の下で明確になる。海をまたいだ激しい戦いにより、数万どころか数千万の命を奪った人類の歴史で最も恐ろしい一章の後、米国と日本は友情を選び、平和を選んだ。

数十年にわたり、われわれの同盟は、両国に一層の成功をもたらした。さらなる世界大戦を防ぎ、10億人以上を貧困から引き上げた国際秩序を支えてきた。

共通の利益だけでなく、共通の価値観に根ざして結びついた日米の同盟は今日、アジア・太平洋地域の平和と安定のための礎石となっており、国際的な発展のための力となっている。われわれの同盟はかつてなく強固だ。

良いときも悪いときも、われわれは共にある。津波が日本を襲い、福島の原子炉が溶けた5年前を思い出そう。そこには、軍服に身を包んだ米国の男性や女性たちが、日本の友人たちを助けるためにいた。

日米はアジア・太平洋地域と世界の安全を強化するため、世界中で肩を並べて働いている。海賊を追い返し、疫病と闘い、核兵器の拡散を遅らせ、戦争で引き裂かれた地域の平和を保ってきた。

今年初め、真珠湾の近くで、日本は二十数カ国と世界最大の海上軍事演習に参加した。それには、米海軍将校と日本人の母との間に生まれたハリー・ハリス司令官が率いる米太平洋軍も含まれていた。ハリーは横須賀生まれだ。彼のテネシーなまりからは分からないだろうけれど。

ハリー、君の際立った指導力に感謝する。

その意味では、われわれが今日ここにいることが、政府間の関係だけではなく人々同士の関係が、そして安倍首相がここにいることが、国と国との間、人々同士で何が可能であるかを思い起こさせてくれる。戦争は終わり得るものなのだ。最も激しく戦った敵同士が、最も強い同盟をつくることができるのだ。平和によって得られる成果は、戦争による略奪を常に上回るものだ。これこそがこの神聖な湾の不朽の真実だ。

この地でわれわれは思い出す。憎悪が最も激しく燃えさかる時でも、民族的な優越意識が最も高まる時でも内向きになることに抵抗しなければならないことを。自分たちと違う者を悪魔のように決めつける衝動に抵抗しなければならない。

▽お互いのために

ここで払われた犠牲、戦争の苦悩は、全人類に共通する神聖なるものを追求することを思い起こさせてくれる。わたしたちが日本の友人たちが言うところの「お互いのために」努力しなければならないことを示している。

それこそが戦艦ミズーリのウィリアム・キャラハン艦長が残した教訓だ。彼は自分の船が攻撃された後でも(命を落とした)日本のパイロットが軍人の尊厳を持って、米国の水兵らが縫った日本の国旗に包まれて埋葬されるように命じた。何年も後にこの湾に戻ってきた日本のパイロットが残した教訓でもある。彼は年老いた海兵隊のらっぱ吹きと友人となり、慰霊のらっぱを吹いて、記念碑に毎月2本のバラを手向けるように頼んだ。1本は米国の犠牲者、もう1本は日本の犠牲者のために。

この教訓は、両国の人々が日々、最もありふれたやり方で学んでいる。東京で勉強している米国人であり、米国に留学している若い日本人たちだ。そして、共にがんの未解明な部分を解き明かそうとしたり、気候変動対策に取り組んだり、星々の研究をしたりしている両国の科学者たちもいる。

平和と友情で結ばれた日米両国の人々が共有する誇りに支えられ、マイアミのスタジアムを沸き立たせているイチローのような野球選手もいる。

国として国民として、われわれは受け継ぐ歴史を選ぶことはできない。しかし、そこから何を教訓とするかは選ぶことができる。その教訓に基づいてわれわれの将来像を描くことができるのだ。

安倍首相、日本の人々がいつも私を歓迎してくれたように友情の精神であなたを歓迎する。私はあなたと共に、戦争よりも平和からこそ勝ち取れるものがあるのだということ、報復よりも和解からこそ、恩恵を受けられるというメッセージを世界中に送りたい。この静かな湾でわれわれは友人として共に、亡くなった人々を悼み、両国が勝ち取ってきたもの全てに感謝をささげる。

犠牲者たちが神の腕の中で永遠に抱かれますように。退役軍人とわれわれを守るために立ち上がった人々を見守ってください。われわれ皆に神の祝福がありますように。ありがとう。

オバマ大統領の真珠湾での演説全文(日本語訳)|2016年12月28日 日本経済新聞 から

2016年12月27日火曜日

記事紹介|ポジティブとネガティブ

Pは「それは私にやらせて下さい」と言う

Nは「それは私の仕事ではありません」と言う

Pは「難しいが、多分出来ると思う」と言う

Nは「可能性はあるが、多分ダメだと思う」と言う

Pは常に解決策を持っている

Nは常に言い訳を持っている

Pはすべての問題に対して答えを見い出す

Nはすべての答えに対して問題を見い出す

Pは常に答えの一部になっている

Nは常に問題の一部になっている


ご想像の通りPはポジティブで、Nはネガティブとなります。

特に最後の二つでは、問題側と答え側に明確に別れます。

問題の一部とは、その人自身も問題を発生させている原因であるということ。

では何もしていない中立的な立場ならどうかと言えば、行動しないのはやはり問題の一部ということ。

意識的な行動のみが解決になり得るのです。

思いと行動を一致させることが大事ですね。

2016-12-26 今日の言葉 から

2016年12月25日日曜日

記事紹介|日本にとって沖縄とは何だ

聖夜が明け、サンタクロースもひと息ついている頃だろう。日本は広い。北海道が銀世界かと思えば、沖縄では先日、観光客が半袖姿で華やかなツリーを楽しんでいた。サンタ翁も、あの格好では汗だくだったに違いない。

米軍機オスプレイの飛行再開、辺野古埋め立てを認めた最高裁……。寒々としたニュースが続いている。「政ログイン前の続き府には県民に寄り添う姿勢が全く見えない」。米軍北部訓練場の返還式を欠席した翁長雄志(おながたけし)知事の言葉だ。

当地にいた10年ほど前を思い出す。「米軍ヘリ墜落」の一報で沖縄国際大へ着くと、まだ黒煙があがっていた。米軍の規制線で、地元市長も構内に入れない。その傍ら、米兵の注文を受けたピザの配達人は出入りを許される。

今回のオスプレイの事故現場では、ちぎれた機体が波に洗われていた。規制線は日米管理に改められた。だが稲嶺進(いなみねすすむ)・名護市長は入れない。機体を回収した米兵の一部は、集合写真に興じた。

目を疑う光景、と書くと少し違う。ああまたコレだね、とため息をつく沖縄の人が目に浮かぶ。若宮健嗣(わかみやけんじ)・防衛副大臣は現場に近づかず、1キロほど離れた砂浜から双眼鏡で「視察」した。政府が機嫌をうかがうのは、いつも海の向こうの米国だ。

「日本にとって沖縄とは何だ。同じ日本の国民なんだぞ」。沖縄からの変わらぬ訴えである。日本は広い。だから声が届かないのだろうか。面倒そうなメールを「既読」にし、中身をちらと見ただけで放っておく。そんな趣が本土にはある。

2016年12月24日土曜日

記事紹介|「深い学び」の実現、考える力を問う選抜へ

憂鬱の「鬱」の字を書けますか。御成敗式目の成立はいつ? 原子番号26の物質は何でしょう。球の体積の求め方は……。

といった問いに答えられたら世間でちょっと尊敬されるだろう。学校教育が人々に与える、こうした知識の量は膨大である。だからわたしたちは、学校で学んだ知識自体を「知」であると思い込んでしまう。「高学歴芸能人」が競うクイズ番組など、その典型だ。

AI時代の教育とは

しかし、本当はもっと大切なことがある。知識や体験を基に、物事を多面的に見る力や考える力、そしてひらめきを生む感性を持つことだ。単なる知識を超えた、ゆたかな「知」と呼びたい。

それは人工知能(AI)が進歩する時代の要請でもあろう。ただ知識をため込んだり、事務をこなしたりする営みはAIに取って代わられる。だとすれば、人間にしかできない仕事が問われる。そんな時代を前に、学校教育は相当な危機感を持たねばなるまい。

ところが現実はどうか。明治初年の学制公布以来の、欧米に追いつけ追い越せを目標とした知識注入教育が役割を終えた現代になっても、日本の学校教育はあまり変わることがない。授業が文字通り、教員によって「業を授ける」スタイルを抜け出せないのだ。

その意味で、こんど中央教育審議会が答申をまとめ、文科省が改訂を進めている新しい学習指導要領は注目すべき内容といえる。

2020年度から小中高校で順次導入されるこの指導要領は、教員が「何を教えるか」ではなく、児童・生徒の側に視点を移して「何を学ぶか」を示すことになる。それにより「何ができるようになるか」を問い、さらに「どのように学ぶか」を掲げるという。

その手法が「アクティブ・ラーニング」だ。一方通行の授業を脱却し、討論への参加や体験学習を通して「対話的・主体的で深い学び」を実現する。知識だけでなく、思考力・判断力・想像力の育成をねらう。こんな理念をちりばめた指針となるはずだ。

方向性も、こめられた問題意識も、まずは是としたい。

かねてアクティブ・ラーニング的な学びは先進国を中心に普及してきたが、日本では立ち遅れていた。改革がうまくいけば、柔軟な思考と感性で問題に向き合える人材の育成が進むかもしれない。主権者教育でも重要なことだ。

もっとも、そのために取り除くべき障壁があまりにも多い。

まず試されるのは、文科省が指導要領の趣旨を学校現場に丁寧に説明しつつ、教員一人ひとりの自主性と創意工夫を重んじた「学び」をうまく見守っていけるかどうかである。アクティブ・ラーニングに決して特定の型はない。

すでに教育界では新指導要領の先取りが始まっており、中央からの指示を待つ空気も漂う。そんななかで文科省が不用意な対応をすれば、新指導要領の趣旨とは相いれぬ画一化が進むだろう。

そもそも学校現場の多くが、経済的困窮とも関連する低学力層の底上げに悩んでいる。そうした子どもたちを救いながら「深い学び」の実現は可能なのか。教員にはかなりの力量が求められるが、掛け声だけでは人は動かない。

質と量の両立は困難

もうひとつの心配は、学習の量を削らずに「深い学び」がどこまで追求できるかという点だ。教員が真摯に取り組むほど、知識自体の伝授は不十分になる恐れがある。思い切って「質」を優先し、「量」は後回しにするような現場の裁量も認めたらどうだろう。

こうした課題克服に加えて、欠かせないのは教育条件の整備だ。多忙を極める教員に、いまの環境のままで新指導要領の徹底を求めるのは酷だ。長期的視点に立った教員定数と処遇の改善がきわめて重要である。体験豊富な社会人の力も、もっと借りたい。

視野を広げれば、大学入試の抜本改革が必須だ。どんなに小中高校の授業が変わっても、選抜のあり方が旧態依然では意味がない。私立大の大規模入試も含め、手間がかかっても考える力を問う選抜へと転換すべきである。

問題を挙げればきりがない。それでも学びの変革は、学校にゆたかな「知」をもたらすと期待をつなぐだけの価値はあろう。

米国の哲学者ジョン・デューイは19世紀の末に「学校と社会」のなかで、子どもたちを機械的に集団化し、画一化する教育からの解放を説いた。学校教育のコペルニクス的転回を――。100年以上前のこの言葉を、いま改めてかみしめるべきである。

2016年12月23日金曜日

記事紹介|クリスマスの使者

去年のクリスマスはとてもつらかった。

家族も親友も、はるか遠い故郷のフロリダにいた。

私は一人、寒いカリフォルニアで働き続け、体調も崩していた。

私の職場は、航空会社のチケットカウンター。

その日はクリスマス・イブ。

私は昼夜のダブルシフトをぶっとおしで勤務していたが、 夜も九時をまわり、内心みじめでならなかった。

当番のスタッフは2,3人いたものの、乗客の姿はまばらだった。

「次のお客様、どうぞ」カウンター越しに声をかけると、 柔和な顔をした老人がつえをついて立っているのが見えた。

老人がそろりそろりとカウンターまで歩いてくると、 聞き取れないほどの小声でニューオリンズまで行きたいといった。

「今夜は、もうそっちへ行く便がありません。 明日までお待ちいただくことになりますが」 と言うとその老人はとても不安げな顔になった。

「予約はしてあるのですか」「いつ出発のご予定だったのですか」 などと聞いてみたが、聞けば聞くほどいよいよ困った様子で、 ひたすら「ニューオリンズに行けって言われたから」 と繰り返すばかり。

そのうち、いくつかのことがわかってきた。

老人はクリスマス・イヴだというのに、義理の妹に「 身内のいるニューオリンズに行きなさい」と車に乗せられ、 この空港の前で下ろされたらしい。

彼女は老人に現金をいくらか持たせ、「 中へいってこれで切符を買いなさい」と行って立ち去ったのだ。

私が「明日もう一度来ていただけますか」と聞くと、「 妹はもう帰ってしまったし、今晩泊まるところもない。このまま、 ここで待つことにします」と言った。

これを聞いて、私は自分が恥ずかしくなった。

私はクリスマスの夜にひとりぼっちのわが身を憐れんでいた。

でも、クラレンス・マクドナルドという名の天の使者が、 こうして私の元につかわされ、ひとりぼっちとはどういうことか、 本当の孤独とはどんなものかを教えてくれている。

私の胸は痛んだ。

私はただちに「ご安心ください。 万事うまくやってあげますからね」と彼に伝え、 顧客サービス係に明朝一番の便を予約してもらった。

航空運賃も年金受給者用の特別割引にし、 差額は旅費の足しにしてあげることができた。

一方、老人はくたびれ果てて立っているのも辛そうだ。

「大丈夫ですか」とカウンターの向こうに回ってみると、 片脚に包帯を巻いている。

こんな脚で、衣類をぎっしり詰め込んだ買い物袋を下げて、 ずっと立ちつくしていたのだ。

私は車椅子を手配し、みんなで老人をその車椅子に座らせたが、 見ると足の包帯に少し血がにじんでいる。

「痛いですか」と聞くと、老人は「 心臓のバイパス手術をしたばかりでね。 そのために必要な動脈を脚から取ったんだよ。」

なんということだ! 老人は心臓のバイパス施術を受けたばかりのからだで、 付き添いもなく、たった一人で!

こんな状況に出くわしたのは初めてだった。

なにをしてあげたらいいのだろう。

私は上司の部屋に行き、 どこかに老人を泊めてあげてほしいと相談した。

上司はすぐさま、 ホテル一泊の宿泊券と夕食と朝食の食事券を出してくれた。

カウンターに戻った私は、ポーターにチップを渡して「 この方を階下までお連れして、シャトルバスに乗せてあげて」 とたのんだ。

車椅子の彼の上に身をかがめて、ホテルのこと、食事のこと、 旅の段取りをいまいちど説明しながら、 彼の腕をとんとんと叩いて励ました。

「すべてうまくいきますからね。」

いざ出ていく段になると、老人は「ありがとう」と頭を下げて、 泣き出した。

私ももらい泣きしてしまった。

あとになって、上司の部屋に礼を言いに戻ると、 彼女はほほえんでいった。

「いいわねえ、こういう話。その人は、 あなたのためにやってきたクリスマスの使者だったのよ。」

記事紹介|米国との交渉戦略

次期米国大統領のトランプ氏は、就任後にTPPから離脱すると表明し、公平な二国間協定による貿易交渉を進める考えを明らかにした。雇用と産業を取り戻し、強いアメリカを復活させるためだという。

二国間協定といえば、日本は過去に半導体や衛星分野などで苦い経験をしてきた。この時、日本はそれらの分野で力を付け、米国市場を脅かしはじめたころである。米国はスーパー301条をちらつかせながら、日本企業によるダンピング防止を求め、日本市場の積極的開放を求めるなどした。

二国間協定となれば、自国産業を守るために、今後はどういう分野で米国が交渉に動き出すか分からない。製造業分野で新たな要求でも出てくれば、なかなか活気を取り戻せない日本のものづくり産業が、さらに厳しい状況に追い込まれないとも限らない。

例えば、いま世界的に自動運転車の開発が注目を浴びているが、日本はこの分野でも開発が進んでいる。また、ロボット産業は世界をリードする技術レベルにあり、さらなる開発が進められている。

国をあげて開発を進めた通信衛星が、政府調達コードにかけられる形となり、研究開発用を除いて日本は実用通信衛星の開発を止めることになった過去がある。トランプ氏の発言は、こうした先端技術の産業分野で今後米国が圧力を強める可能性を示唆しているのではと、不安な気持ちになる。

二国間協定は、米国が得意な交渉戦略である。取り越し苦労かもしれないが、日本はしっかりと情報収集を行い、そうなった時の準備を今から進めておく必要がある。

2016年12月22日木曜日

記事紹介|与えられた縁をどう生かすか

先生が5年生の担任になった時、一人服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。

中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。

ある時、少年の一年生の記録が目にとまった。

「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強も良く出来、将来が楽しみ」とある。

間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。

二年生になると「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。

三年生では「母親の病気が悪くなり疲れていて、教室で居眠りする」 後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり

四年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子供に暴力を振るう。」

先生の胸に激しい痛みが走った。

ダメと決め付けていた子が 突然、悲しみを生き抜いている生身の人間として、自分の前に立ち現れてきたのだ。

放課後、先生は少年に声をかけた。

「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない? 分からないところは教えてあげるから」

少年は初めて笑顔をみせた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。

授業で、少年が初めて手を上げたとき、先生に大きな喜びが沸き起こった。

少年は自信を持ち始めていた。

クリスマスの午後だった。

少年が小さな包みを先生の胸に押し付けてきた。

後であけてみると、香水の瓶だった。

亡くなったお母さんが使っていた物にちがいない。

先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。

雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。

「ああ、お母さんの匂い! 今日は素敵なクリスマスだ」

六年生では少年の担任ではなくなった。

卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。

「先生は僕のお母さんのようです。そして今また出会った中で一番素晴しい先生でした」

それから六年、またカードが届いた。

「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することが出来ます。」

十年を経て、またカードがきた。

そこには先生に出会えた事への感謝と父親に叩かれた体験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。

「僕はよく五年生のときの先生を思い出します。あのまま駄目になってしまう僕を救って下さった先生を神様のように感じます。医者になった僕にとって最高の先生は五年生の時に担任して下さったせんせいです」

そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。

「母の席に座って下さい」と一行、書きそえられていた。

2016年12月21日水曜日

記事紹介|冬至

本日は二十四節気の22番目の冬至です。

北半球では太陽の南中高度が最も低く、昼の時間が最も短い日。

だから太陽の力が最も弱いとも言われますが、ここを境に明日から昼の時間が延びてくるので、太陽がいよいよ力を取り戻すことから「太陽の誕生日」とも言われるそうです。

そのような変化を生み出すのが、地球や惑星の自転と公転の作用のおかげ。

自転を自分ごとと捉えれば、公転は他の人への働きかけ。

自ら公転して、周りを好転させて行きましょう。

2016-12-21 今日の言葉 から

2016年12月18日日曜日

記事紹介|最も存続が危ぶまれる10の職種

今後、2024年までに採用数が最も大幅に減少すると見込まれる主な職種は、減少幅の大きい順に以下のとおり(数字は予想される雇用機会の減少率、かっこ内の金額は現在の年収の中央値)。

1位 郵便配達員:-28%(5万6,790ドル、約671万3,500円)
2位 タイピスト:-18%(3万7,610ドル)
3位 検針員(電気・水道など):-15%、3万7,610ドル)
4位 ディスクジョッキー:-11%(3万80ドル)
5位 宝石商:-11%(3万7,060ドル)
6位 保険契約引き受け業務:-11%(6万5,040ドル)
7位 仕立屋/テーラー:-9%(2万5,830ドル)
8位 記者・アナウンサーなど(放送):-9%(3万7,720ドル)
9位 新聞記者:-8%(3万6,360ドル)
10位 コンピュータープログラマー:-8%(7万9,530ドル)

最も存続が危ぶまれる10の職種 米ではプログラマーの採用も減少|Forbes JAPAN から抜粋

記事紹介|国立大学をつぶすマネジメント

2011年9月、会計検査研究第44号の「巻頭言」に、佐和隆光滋賀大学長(当時)の「国立大学法人化の功罪を問う」という論考が掲載されている。
第1期中期計画期間を終えて、佐和先生は、自身が反対した法人化が、教育・研究の質的低下、研究費の「集中と選択」の弊害、教員人件費削減の弊害、大学間格差の拡大など、様々な面で失敗だったとしている。
2点目の研究費の配分に関しては、法人化とは別問題だと思うが、同時期に政府によって進められた施策が、国立大学の学術研究を歪める結果を招いたという批判だろう。
残りの3点は、第2期中期計画期間が終了した今、更にその傾向が進み、問題が深刻化していると言える。
特に教員人件費に関しては、物件費削減で人件費を確保してきた大学法人も、最近の北海道大学の動向に見られるように、いよいよ苦境に陥っており、第1期終了時点よりは事態が切迫している。

第2期終了時点で付け加えるべき問題としては、国全体の研究力の地盤沈下、博士課程の価値低下、大学の機能分化及び分野間格差、家庭の経済力による進学格差の顕在化などを挙げることができるだろう。
国の財政事情の悪化が、予算面での「国立」の実質的終焉を招いており、多くの国立大学法人が、将来への明るい展望がない中で、単年度の収支を取り繕う経営に終始するしかない状況に追い込まれている。
運営費交付金と施設整備費補助金は、既に切られすぎている状況だが、第3期も削減が続くと予想されるので、佐和先生の言う失敗は、次第に致命的なものになるだろう。

法人化に関して、国の立場からは、公財政支出を抑制することに成功していること、附属病院経営に関して赤字補填を不要にできたこと、国立大学法人の経営判断で受益者負担が強化されていることなどは、意図した成果と捉えることができる。
もっとも、財務省は、科研費等を含む公財政支出は、社会保障費以外の予算が抑制される中でも増額しているという資料を作成して財政審に提出している。
数字のカラクリを駆使することに長けている人たちなので、右肩上がりになるように、都合の良い事項だけを集めているのである。
OECD諸国の中で、我が国は、対GDP比で高等教育への公財政支出が最低の部類だが、高齢化が進んでいるために数字が低くなっている租税負担率を引き合いに出して、税負担に見合う予算は確保しているという論理を打ち出している。
その上で、産学連携や寄付金募集などの自己収入への取り組みを、制度も歴史も異なる米国の主要大学の例を挙げて、強く求めている。
こうした言い分を生み出している財務省の職員も苦しいだろう。国立大学の現場の実態が理解できないほど頭が悪い人たちではない。
文科省の人たちを含めて、予算が伸びないために世界の大学間競争に後れを取っていることは分かっているが、国から配分した予算を生かして現場の工夫によって何とか教育研究のレベルを維持してもらいたいという気持ちだと理解している。

意図したかどうかは不明だが、法人化の結果として生じている変化もある。
具体的には、国立大学間の役割分担である。大学の機能分化と表現して差し支えないだろう。
文科省が選択をさせた結果、国立大学法人は公式に3つの類型に分かれており、更に法改正に基づく、文科省による「指定」が行われれば、「指定」された国立大学法人という別のカテゴリーも誕生する。
こうした枠組みを踏まえて、教育組織の見直しが次々と実行に移されている。
傾向としては、学問体系に基づく区分から、修得する社会的技能に基づく区分に、転換する動きになっている。
地域型の大学としては、地域の特色に合わせて組織編成を変革しているのだろう。
学生募集の観点から、ある意味で私学の経営と同じ路線を歩んでいこうとしている。
こうした転換が長期的に経営面で成果を生むのか、国立大学の本来の趣旨に合致しているのか疑問もないわけではないが、経営体としての自主的な努力としては容認せざるを得ない。

決して意図したわけではないが、明らかに状況が悪化した面もある。
予算の抑制・削減が根本的な要因だが、若手研究者の雇用形態の不安定、附属病院の医師の勤務環境の変化、教授等への研究以外の業務負担の増加などの現象から、1人あたりの平均研究時間×研究者数の総和の減少を招き、価値のある優れた論文の生産力に大きな影響を及ぼしている(トップ1%論文の国別ランキングが急落)。
大学の研究職の魅力も低減しているため、博士課程への進学が敬遠される傾向が続いている。
装置産業たる国立大学の屋台骨とも言える施設・設備の老朽化・陳腐化も確実に進んでいる。
この点は、苦しさを増す大学法人の財務を遣り繰りしても取り組まざるをないので、第3期以降の大きな攪乱要因になるだろう。

佐和先生が指摘していたように、大学間の格差、部局間の格差も更に拡大している。
産学連携、寄付金も、今後予測される学費の値上げも、競争力によって差が出てくる、すなわち財務力に更に格差がつくのは当然の成り行きである。
規制緩和によって、土地資産等の有効活用の可能性も拡大するだろうが、経済的な価値が高い資産を保有している大学が有利である。
こうした初期条件の格差が、更に増幅されるに違いない。
既に国大協のような連合体の意思をまとめるのは、非常に困難になってきているが、今後は、格差が拡大することで、大学の利害が対立することは必至である。
また、主要大学での研究不正が後を絶たないのは、法人化で促進された競争の弊害である。
意図したわけではないが、個人、グループ、部局、大学、それぞれの単位で競争が激しくなっているため、大学という学問の府がセクター全体として余裕をなくしているのではないか?
だから法人化を失敗だと決めつけるのは、フェアではないと思うが、意図せざる結果や行き過ぎを修正することに努力しなければ、取り返しがつかない結果を招くのは明らかである。
世界一の自動車メーカーであるトヨタでは、「トヨタをつぶすにはどうしたらいいか?」という思考実験の結果を踏まえて、その逆の手を打って経営力を高めているという。
財務省も文科省も、更には一部の大学法人でも、意図しないどころか、正に良かれと思って、実際には国立大学をつぶすマネジメントを一生懸命に展開しているのかもしれない。そうだとすれば、恐ろしいことである。

2016年12月17日土曜日

記事紹介|誰もができることを徹底して続ける

「普通の人が見過ごしそうな、小さな平凡なことを一つひとつ拾いあげて大切に育てる」

「だれもができることを、だれもがやれないくらい徹底して続ける」

「だれにでもできる簡単なことで、人に差をつける」

だれにでもできる簡単なことをバカにする人は多い。

仕事や人生とは、「もっと大きなことをやること」、と勘違いしているからだ。

掃除に限らず、簡単だが、基本的で大事なことは多い。

小学生でもわかる簡単なことだが、大人でもちゃんとできていないこと。

「しつけの三原則」という森信三先生の言葉がある。

1. 朝のあいさつをする子に(それには、先ず親が先にする)

2. 「ハイ」とはっきり返事のできる子に(それには、母親が夫に呼ばれたら「ハイ」と返事をすること)

3. 席を立ったら必ず椅子を入れる(はき物を脱いだらそろえる子に。あと始末をきちんとする)

「単純なことを周囲が感動するくらい実践する」

だれもができることを、だれもがやれないくらい徹底して続けたい。

2016年12月16日金曜日

記事紹介|いわゆる「過度なローカルルール」

いま話題の河野太郎衆議院議員のブログから

まだまだもっと研究者の皆様へ 2016-12-15

お寄せいただいた大学のローカルルールを基に、会計検査院や文科省と打ち合わせをしました。

まず、会計検査院に関していえば、ほとんどの大学のローカルルールは会計検査院的には不要なものであり(航空券の半券を添付するあるいはコンプライアンス研修を年一回受講するなどというものを除いて)、会計検査院としては求めていないということが明確になりました。

そこで文科省と打ち合わせをしました。

まず、文科省が、こうした大学のローカルルールの存在に気が付いていないということが大きな問題だと指摘しました。

研究効率を落としているローカルルールをいかになくしていくか、文科省が改善するためのプログラムを早急に策定します。

大学の事務部門の幹部は国立大学法人化した後も引き続き文科省が人事権を行使しています。

しかし、事務部門に関してはパフォーマンスで評価するということがこれまでなかったため、不合理非効率的な規則を作成して、研究部門の効率を落としても咎められませんでした。

事務部門のパフォーマンスをきちんと評価して、人事に反映していくシステムを、これも文科省が策定します。

また、寄せられたなかにあった文科省が管理するプロジェクトで購入した備品を返納するために、修理不能証明書が必要だという件については、すでに文科省の方でルール変更を進めています。

近々通知が出される予定です。


参考までに、もう一つご紹介します。

行政改革推進本部 行政事業レビューチーム 提言 2016-12-14

自民党の行政改革推進本部 行政事業レビューチームの提言がまとまりましたので、本日官邸に提出しました。

統計情報、研究費に係る制度の改革、エネルギー・原子力政策関連予算などに始まり、各省の事業予算に至るまでをカバーしています。ぜひご一読を。

3 複数府省にわたる課題

研究費に係る制度の改革(競争的資金所管府省)

科学研究費に代表される競争的資金については、一昨年(2014年)の提言でも、各府省で異なる書式やルールの統一を求め、政府においても改善が図られたところである。

しかし、いまなお各大学・研究機関等が独自のローカルルールを設けていることにより、エクセルで作成された申請書のフォーマットが使いづらい、電子申請が出来ず書類を郵送しなければならない、申請のたびに業績等の研究者情報を入力しなければならないなど、非合理的な制度が存在するとの指摘が、現場の研究者等から多数、寄せられている。

研究者が不必要な事務負担に多くの時間を費やしていることは、本来の目的である研究活動の生産性を阻害し、人件費に換算すれば無駄な支出ともなる。研究費に係る制度について、研究者ファーストの目線での早急な改革が必要である。

  • 研究費に関しては、研究者目線での不合理なルールの廃止を徹底すべき。
  • ローカルルールを全廃し、少なくとも全ての国立大学・国立研究機関等で制度を統一すべき。
  • リサーチマップ等のポータルサイトを活用し、研究者情報を共有すべき。
  • 旅費については、合理化すべき。
  • 官民データ活用推進基本法で定められた「デジタルファースト」の方針に従い電子申請を基本とすべき。

国立大学法人運営費交付金が削減される一方、競争的資金等を加えた研究費予算は、少なくとも横ばいになっているにもかかわらず、わが国の基礎研究の成果が上がっていないという声が根強い。

それについてはしっかりとした検証が必要だが、2020年度のプライマリーバランス黒字化という目標に鑑みると、今後、研究費の大幅な増額は期し難い状況である。

しかしながら、文部科学省内で研究の成果を客観的に何で測るかといった指標が明確にされていない。また、運営費交付金、科学研究費等競争的資金、宇宙・原子力・スパコンなど巨額の予算が投入されるメガプロジェクトの間の予算配分や優先順位付けの司令塔が不明確である。

  • 基礎研究に関する現状認識について統一見解を早急にまとめるべき。
  • 研究の成果を客観的にどう測るか、政府内での合意を図るべき。
  • 運営費交付金と競争的資金のこれから将来へ向けての配分の在り方に関して検討すべき。

2016年12月15日木曜日

記事紹介|大学の存在価値と持続可能性

「受け身」では大学への理解も支持も広がらない

社会・経済的環境を与件とし、それにどう対処するかという受け身のスタンスをとり続ける限り、大学に対する理解や支持は広がらないだろう。

一方で、現代社会が直面する諸課題はいずれも複雑で、難易度が一層高まる傾向にある。解決のためには、確かな知識・スキル、正確な情報、公平な立場などが強く求められる。

大学こそそれを担うに相応しい機関であり、社会的課題の解決に組織的・能動的に関わることで、より明確に存在価値を示すことができるのではないかと考える。

社会に解決すべき問題があるということは、ニーズがあるということであり、企業に喩えるならば成長機会があるということである。

「大学を取り巻く環境は厳しさを増しつつある」という常套句で、危機意識を持たせ、改革を促すことも一つの方法だが、環境を与件とせず、環境に働きかけることで社会の期待に応えることこそ、大学の持続可能性を高めるための確かな道筋ではなかろうか。

大学こそ社会的課題の解決に純粋に向き合える

①将来に向けた人口減少への歯止め、②当面の人口減少と少子高齢化の下での経済成長、社会保障と財政の持続可能性、地域活力の維持・向上、③量的ポジションが低下する中での、我が国の国際社会におけるプレゼンスの確保、④労働生産性の向上とイノベーション、⑤貧困・格差の解消と誰もが希望が持てる社会、⑥グローバル化がもたらす問題の克服と相互に価値を享受し得る枠組みの構築、など重要なテーマが浮かびあがってくる。

国、地方公共団体、企業・団体等は、これらを背景に日々持ちあがる問題に、錯綜する利害を調整し、時間を区切りながら、取り組んでいかなければならない。問題を多角的に検討し、長期的視点に立って解決策を導き出すためには、制約条件やノイズがあまりに多すぎる。

そこに大学の存在価値がある。

研究と教育を発展させる創造的な契機をくみとる

実際に大学教員の関心を社会の変化や社会的課題の解決に向けることは容易ではない。

そのためには、学長・副学長、学部長及び職員が、これまでにも増して社会の変化や社会的課題の解決に関心を寄せる必要がある。会議時間を半減させ、捻出した時間の一部を使って様々な分野の外部講師を招いて話を聞くことなど、決断次第で直ちに着手できることである。教員にも声をかけ、会議とは異なる率直なコミュニケーションの場を広げていくことが大切である。

また、社会的課題の解決をテーマとする共同研究を奨励し、そのためのインセンティブを付与することも検討すべきであろう。

大学は依然として内向きと言わざるを得ない。構成員の意識を内に向かわせるあらゆるシステムや慣習を見直し、組織全体を「外向き」に転換させることはトップマネジメントの役割である。

1971年6月の中央教育審議会『今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について(答申)』(「四六答申」)第3章「高等教育の改革に関する基本構想」に以下の一文がある。

このようなさまざまな要請を今日の高等教育全体の機能の中に生かすためには、複雑高度化した現代社会に対応する新しい制度的なくふうが必要である。とくに、学問研究の自由に対する保障は、あくまで人間理性の自由な活動から生まれる提言と批判を通じて大学が社会に貢献するための基本的条件である。しかし同時に、大学は、進んで歴史的・社会的な現実に直面し、そこから研究と教育を発展させる創造的な契機をくみとることができるような社会との新しい関係を作ることによって、その社会的な役割をじゅうぶんに果たすことに努めるべきであろう。(原文のまま)

この20年間に社会は大きく変化した。これからの20年間、変化はさらに加速するだろう。それに翻弄されることなく、社会的課題の解決に積極的に関与することで、大学は存在価値と持続可能性を高めていかなければならない。

吉武博通 筑波大学ビジネスサイエンス系教授 から抜粋

2016年12月14日水曜日

記事紹介|言行一致

時間は過ぎ去って行くから取り戻せない。

言葉は相手に届く矢のようなものだから、発した後は取り返しに行けない。

さらには、どこに飛んでいくのかもわからない時もある。

時間は命の別名だから、これを無駄にするということは、自分自身の命を粗末に扱うことになる。

そう考えると暇つぶしという概念は存在の余地はなくなる。

たった5分を有効に活用出来ない人に、どうして大きなことが出来ようか。

そう諫(いさ)める言葉もあります。

言葉と行動は相手に届くものであり、相手はそれを持ってあなたを評価する。

どんなに別の想いがあっても、判断されるのは、発せられた言葉であり、伝え方であり、どのように行動しているのかということ。

言ってることと行動を一致させる、言行一致を大切にしていきましょう。

2016年12月13日火曜日

記事紹介|おかげさまで

ノートルダム清心学園理事長、渡辺和子氏の心に響く言葉より…

小さなお子さんの手を引いて、一人のお母さまが水道工事の現場の傍(そば)を通りかかりました。

暑い夏の昼下がりのことでした。

お母さまは坊やに向かって、「おじさんたちが、汗を流して働いてくださるから、坊やは、おいしいお水が飲めるのよ。ありがとうと言いましょうね」と話してやりました。

やがて、もう一人同じように幼い子の手を引いて、別の母親が通りかかりました。

「坊や、坊やもいまから一生懸命にお勉強しないと、こういうお仕事をするようになりますよ」と言ったというのです。

同じ仕事に対して、こうも違った考えがもてるものでしょうか。

最初の母親は、この日、子どもの心に労働に対しての尊敬と感謝の気持ちを育てました。

二番目の母親は、(手をよごす仕事、汗まみれの労働)に対しての、恐ろしいまでに誤った差別観念を、この日、我が子に植えつけたことになります。

私たちがいま、子どもと一緒にこの場にいたとしたら、どんな会話を交わすことでしょうか。

会話以上に大切なのは、どんな思いを抱いて、働いている人たちの傍を通るかということなのです。

人は、自分がもっていないものを、相手に与えることは出来ません。

感謝の気持ちを子どもたちの心の中に育てたいならば、まず親がふだんから「ありがとう」という言葉を生活の中で発していることが大切なのです。

近頃の学生たちで気になることの一つは、いわゆる〈枕詞(まくらことば)〉のようなものを習ってきていないということです。

例えば、「お元気ですか」と尋ねると、「はい、元気です」という答えは返ってきても、「おかげさまで元気です」という返事のできる学生が、以前と比べて少なくなりました。

遅刻して教室に入ってきた学生が、授業の後で、「遅刻しました」と、名前を届けにはきても、「すみません、遅刻しました」という枕詞がつかないのです。

「お話し中、すませんが」とか、「夜分(やぶん)、失礼します」という挨拶のできる学生も少なくなりました。

いずれにしても、言葉が貧しくなっています。

そして、それは取りも直さず、心が貧しくなっている証拠なのです。

せめて、「おかげさまで」という言葉と心を、生活の中に復活させましょう。

理屈っぽい人は、「何のおかげですか」と言うかも知れません。

何のおかげでも良いのです。

この表現は、私たちが実は、一人では生きられないこと、たくさんの〈おかげ〉を受けて生きていることを忘れない心の表れなのです。

見えないものへの感謝なのです。

ところで、本当にありがたいこと、何でもない時に「おかげさまで」と言うのは比較的に易しいのですが、不幸や災難に遭った時はどうしましょう。

そんな時にも、「おかげさまで」と言える自分でありたいと思っています。

ごまかすのではなく、不幸、災難、苦しみをしっかりと受け止めながら、「いつか、きっとこの苦しみの〈おかげさまで〉と言える自分になりたい、ならせてください」と祈る気持ちをもっていたいのです。

2016年12月12日月曜日

記事紹介|成果を狙ってばかりでは…

基礎研究というのは、川で言えば上流部分に当たる。東北地方においしいカキが取れる湾があったが、ある時から取れなくなった。調べてみると、上流で開発が行われて森林が荒れ、十分な栄養が流れて来なくなったことが原因だった。科学も同じで、上流の基礎研究を枯らしてしまうと、いい成果が下流部分で出てこなくなる。

日本では基礎研究よりも、すぐに成果が出る実学的なものを重視する傾向が強まっている。もちろん、基礎研究を無視しているとまでは言えない。僕と一緒にノーベル賞を受賞した小林誠君(名古屋大特別教授)がいる「高エネルギー加速器研究機構」(茨城県つくば市)には、毎年かなりの予算が投じられている。ただ、湯川秀樹先生や、僕の師匠の坂田昌一先生(元名古屋大教授)といった素粒子物理の分野を世界的にリードしてきた先人の努力、長年の蓄積があってこそという面も否定できない。実績のない分野の基礎研究が置かれている環境は厳しい。

背景には、研究資金の配分方法の変化がある。研究者が自由に使える研究費は減り、公募で選ばれたプロジェクトに配分する競争的資金の比重が高まった。予算を申請する段階で成果の見通しを説明するよう求められ、定期的に進捗(しんちょく)状況を報告しなくちゃいけない。この仕組みでは、確実に成果が期待でき、社会へのアピールにもつながる研究が予算を獲得しやすい。しばらく論文を書かず、新しいものに挑戦していくような基礎研究は細っていく。

初等教育や中等教育にも問題がある。日本社会は教育熱心と言われるが、正確には、教育結果に対して熱心なのだと思う。目の前の試験や入試を重視するあまり、高得点を取るテクニックばかりが発達し、研究者の素養として重要な深く考える力が育ちにくい。

例えば、こんな話がある。水が半分入ったコップを傾けた時、水面がどうなるかという問題を小中学生と高校生に解かせた場合、正解率は高校生が最も低かったという。少し考えれば答えは分かるはずなのに、受験テクニックとして、「見たことのない問題は飛ばして次に移れ」と教わっているから、多くの高校生がその言いつけを守って手をつけなかった。逆説的なことに、日本では長く教育を受けた者ほど考えなくなるのだ。

研究というのは、自分で問いを立て、その前に座り込んで考えるものだ。未知のものに挑む基礎研究では、特にこの傾向が強い。基礎研究を重視するのであれば、教育の仕組みを変える必要がある。

文系の学問を「役に立たない」と断じる風潮も、基礎研究の軽視と同じ文脈にある。だが、おかしな話だ。僕は名古屋大の学部生時代、哲学の本も随分読んだ。理解できない部分があるが、役に立たなかったわけではない。基礎研究の場合、問い立てや目のつけどころには、研究者の世界観が表れる。哲学だってその土台になったはずだ。科学は最終的に、人々の生活を豊かにしなければならないとは思う。だが、そのことばかりを狙って達成できるほど単純なものではない。


交付金12年で12%減

基礎研究の苦境の背景にある予算削減の中心は、国立大が人件費や研究費の資金とする文部科学省の「運営費交付金」だ。2004年度の大学法人化後の12年間で1470億円(12%)減り、16年度は1兆945億円。このため国立大は教員の新規採用を抑え、40歳未満の若手研究者が年々少なくなっている。教員1人の研究費も減少。このあおりで、運営費交付金とは別枠で研究者が取り合う「科学研究費補助金」の獲得競争が激しくなっている。

2016年12月11日日曜日

記事紹介|宇宙の使い道

今国会は、新たな地球温暖化対策の国際的枠組みであるパリ協定、TPPなど話題に事欠かない。その中で、第190回通常国会に提出され、継続審議だった宇宙関連2法案(宇宙活動法、リモセン法)が11月9日、参議院の本会議で可決、成立した。これらは主に民間による宇宙開発・利用を促進するためのものだ。

例えば、米国ではスペースX社が幾度かの失敗をしながらも大型ロケットの打ち上げサービスを行っている。日本国内でも小型ロケット等の打ち上げは民間でという流れがある。これまで限られた組織でしかできなかったロケットの打ち上げにベンチャー企業が参入できるよう法整備したのだ。今年度中に政府が取りまとめる「宇宙産業ビジョン」の下、宇宙産業全体の底上げを図る。

ここ最近の一番の話題は、やはり米国の次期大統領にドナルド・トランプ氏が決まったことだろう。サイエンス・ディベートによるアンケートでは同氏の回答の中に、宇宙についてのキーワードが何度か登場する。他の科学技術分野に対する回答の希薄さからすれば注目すべきだが、実際は予想がつかない。日本の宇宙科学・宇宙開発は、国際協調で進めるという考えだが、特別な関係にある米国の政策に引きずられる可能性もある。

米国のように民間による宇宙関連サービスの拡大が、様々なイノベーションをもたらす可能性がある。これまで考えられなかった新しい「宇宙の使い道」が見いだされるかもしれない。大きな世界的変化の中で、政府は宇宙産業をどのようなストラテジーをもって推し進めていくのか、今後の展開に期待したい。

2016年12月10日土曜日

記事紹介|産学官連携による共同研究強化のためのガイドライン

産学官連携ガイドラインはどの程度実行されるのか?

経産省と文科省が、産学官連携ガイドラインを公表した。

産との本格的な共同研究への学官の体制・システム整備が目的である。

内容を見れば、通常のガイドラインとは異なり、大学や研究開発法人の実態に合わせて、達成水準や実施方法には幅があっても差し支えない構成としている。

その意味で、規範性は弱く、事例集の内容を踏まえて現場で工夫することを求めている。

実施に当たって、更に踏み込んだ措置が必要であると私が考えるポイントについてコメントしてみたい。


第1に、大学の本部機能の強化については、現場では、金・人・ノウハウが絶対的に不足しており、基幹事業としての基盤の構築が不十分である。

この問題には、構造的な背景があり、大学経営全体の中で、産学官連携に金・人・ノウハウが集まるよう、発想を転換しシステム改革を実行しなければ、国が構想しているようなレベルアップは実現しない。

各機関の努力も必要だが、産学官連携の本部機能の抜本的強化には、機関を超えた連携組織による集中処理の仕組みを作ることが有効である。

つくばは、そうした超本部の実現に適した地域であるが、府省の壁、機関の壁に遮られて、共通認識も得られていない。

特に、専門人材として雇用されている者の質がばらついており、大半の機関は費用を上回る成果を得るに至っていない。

収益までのタイムラグもあるため、資金が循環する前に枯渇気味になり、活動全体が萎縮していく傾向にある。

大学経営の中で、少なくとも産学官連携の目的として、利益追求を正面から認め、内部蓄積を是とするのでなければ、基盤の構築は遅れる一方である。

また、プロボストのような人材が産学官連携に全権を持って取り組むという方式を貫くことを推奨すべきではなかったかと考える。

当然ながら、学長にも理解が必要だが、あらゆることが学長の責任と権限になっているので、必要を感じても十分に時間がないのが実態である。

対外折衝の総括、学内調整の権限を掌握した人材が存在することで、事務部門・部局間の複雑な調整がスムーズになる。


第2に、資金について見える化を促進するには、積算方式の標準を示すのが早い。

特に、上記の利益に相当する部分をどのように理論的に整理して組み込むのかが重要である。

なお、教員の質によって、直接経費に盛り込む単価を調整可能としている。

この部分で大学経営にとっての収支差額(利益)が確保できる可能性がある。

戦略的産学連携経費と記されているものも、私が考える利益に相当するようだが、議論に参加していない人にはわかりにくい。

財務基盤強化の観点からは、産学官連携に関する事業において、産官との共同事業への参加を可能にすること、当該事業への出資を可能にすることを早期に実現する必要がある。

国立大学法人は、収益事業ができない建前になっているため、産学官連携で稼ぐことを正面から認める政策変更を行うことを国に求めたい。

法改正に至らずとも、附帯事業等の解釈によって、道を拓くことが可能である。

そのことにより、大学経営の中で、産官学連携の戦略的な重要性が増し、この分野に、自ずと金・人・ノウハウの集中が進む流れができる。

こうした循環を作ることが当面の目標になる。

積算方式については、選択肢を示すに止めている。

一定率を間接経費として上乗せする定率方式は、小規模な共同研究には適用しても構わないが、「見える化」を徹底的に推進する観点からは、アワーレート方式等を標準として明記すべきだったと感じる。

方式までも現場に選択を委ねているので、この部分のガイドラインの記述は単なる事例に過ぎなくなっている。


第3に、知財マネジメントについては、金・人・ノウハウの欠如により、大学現場の実務を見れば、建前は組織管理、実態は個人管理に陥っているケースが多い。

知財収益から費用が支出できる理想のサイクルは回っていないため、予算が枯渇すれば、組織管理も不可能になる。

資金の内部蓄積を進める一方、ファイナンスに関して、国主導による安定的な支援システムを構築することが望ましい。

政府による取り組みについては、ガイドラインの別紙に簡単な記述はあるが、迫力不足である。

また、専門人材に関しては、事務職員からの転進を含めて、ある程度の層を形成する必要があるため、3段階程度の資格制度のようなものを新規に立ち上げて、マンパワーの強化を図る必要がある。

現状は、専門性、役割、位置づけ、処遇全てに渡って、中途半端である。

さらに、ガイドラインでは、雇用関係がない学生も共同研究等に参画することがあり得る前提となっているが、共同研究等に従事する学生は、すべて研究助手(RA)として雇用し、契約に基づいて守秘義務などを課するという筋道を明確にするとすっきりする。

雇用関係がないために契約で縛れない学生については、当該共同研究等から物理的に遮断することにしないと、大学等は組織として責任が持てないのではないか?

学生との在学契約の一環で、共同研究等に関する守秘義務をどこまできちんと課することができるのかは疑問である。


第4に、人材の循環について、クロスアポイントメントを民間企業との間で進めたいのは山々だが、当事者の研究者から見てメリットが乏しい。

また、クロスアポイントメントで優れた研究者の時間を切り売りするよりは、共同研究の枠組みで資金を受け入れる方が、実態に即している。

仮に、給与の40%に相当する額を負担してもらって、40%のエフォートを提供しないのであれば、実態は寄付になってしまう。

寄付講座ならば、別の枠組みになる。

要は、研究者、大学、企業等のそれぞれに明確なメリットを付与しなければ、民間企業との間での利用拡大は難しい。

名古屋大学の事例が紹介されているが、この程度の措置で急拡大するだろうか?

また、毎年度の国立大学法人評価においてガイドラインを活用することが記述されている。

運営費交付金の配分との連動には言及されていないので、一つの要素として評価すること自体には問題がないと思うが、運営費交付金は広範な使途が予定されているので、ある切り口での成果に着目して増減を行うことは適切ではない。

かりに、補助金のような性格の資金の配分であれば、評価に基づく増減は可能である。

ガイドラインの実行を促進する上で、そうした予算が確保されることは望ましい。

2016年12月9日金曜日

記事紹介|Ask

国があなたのために

何をしてくれるのかを

問うのではなく、

あなたが国のために

何を成すことができるのかを

問うて欲しい。

J・F・ケネディ


ケネディ元米大統領の有名なフレーズからご紹介です。

原文は、

『My fellow Americans,

ask not what your country can do for you,

ask what you can do for your country.』

誰かに何かをしてもらうことを期待するのではなく、

自分に何が出来るのかを問うこと。

それが自分自身当事者意識高めることになる。

「国」を自分が所属する組織や会社、学校やクラス、チームなどに

置き換えていいでしょう。


してくれないことにただ不満を持つのではなく、

『批判は大いに結構。ただし反対対案を示すこと』

という姿勢を忘れずに。

2016-12-07 今日の言葉

2016年12月8日木曜日

記事紹介|夢を見る人、夢をこわす人、夢を実現する人

夢を実現する人になるためには、まず、夢を見る人になる必要があります。

夢を見なければ何も始まらないからです。

そして次に、夢をこわす人と距離をおく必要があります。

夢をこわす人は、自分の夢だけでなく他人の夢もこわそうとするからです。

みじめな仲間を増やして安心したいのかもしれません。

ネガティブな人には気をつけましょう。

いつの間にか、あなたの夢をつぶして将来を台無しにしかねない存在だからです。

ネガティブな人は心の中で自分の無能を嘆き、仲間を増やそうとやっきになっています。

そしてその対象を見つけたとき、必死になって足を引っ張ろうとします。

「どうせダメだからやめておけ」とか「そんなことより今のままがいい」と言って、なんとか相手を自分のレベルにおとしめようとするのです。

「朱に交われば赤くなる」ということわざのとおり、ネガティブな人と交わると、あなた自身もやがてネガティブになります。

心の持ち方がネガティブであるかぎり、実績をあげることはきわめて困難です。

ただし、ネガティブな人と、親身になって忠告してくれる人とは区別しなければいけません。

そういう人の忠告には耳を傾ける必要があります。

しかし、ただネガティブなことを言っているだけで、あなたのためを思っていない人とは距離をおいたほうが身のためです。

成功をおさめるうえで、それは重要な処世術となります。

では、自分のことを思ってくれているかどうかをどうすれば判別できるのでしょうか?

最終的には直感に頼るしかありませんが、本人が業績をあげているかどうかで、だいたいのことはわかります。

一般に、うまくいっている人は、他人を助けるだけの精神的、時間的、経済的な余裕を持っています。

それに対してうまくいっていない人は、あらゆる点で他人を助けるだけの余裕がなく、自分のことで精一杯ということが多いのです。

2016年12月7日水曜日

記事紹介|チャンスされあればやれる

野球のイチロー選手の名言がある。

「準備というのは言い訳の材料となり得る物を排除していく、 そのために考え得る全ての事をこなしていく」

「しっかりと準備もしていないのに、目標を語る資格はない。」

「小さいことを重ねることが、とんでもないところに行くただひとつの道」

何一つ準備をしていない者には、チャンスは永遠に訪れない。

仮に、大きなチャンスが降ってきたとしても、準備をしていな者にはそれが見えない。

「とんでもないところに行くただひとつの道」

たとえ今出番がなくても、準備を怠りなくする人でありたい。

2016-12-03 人の心に灯をともす から

2016年12月6日火曜日

記事紹介|ある兵士の祈り

大きなことを成し遂げるために、力を与えて欲しいと神に求めたのに、謙虚を学ぶようにと、弱さを授かった。

偉大なことができるように健康を求めたのに、より良きことをするようにと、病気をたまわった。

幸せになろうと富を求めたのに、賢明であるようにと、貧困を授かった。

世の人々の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに、得意にならないようにと、失敗を授かった。

人生を享受しようとしてあらゆるものを求めたのに、あらゆることを喜べるようにと、命を授かった。

求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。

神の意にそわぬものであるにもかかわらず、心の中の言い表せない祈りは、すべて叶えられた。

私は最も豊かに祝福されたのだ。

******************************

ニューヨーク大学にあるリハビリテーション研究所の壁に、一人の患者が残した詩でとのこと。

アメリカ南北戦争時の南軍の無名兵士の作品で、これを日本語に訳し紹介したのがグリフィン牧師だったので作者と勘違いされて「グリフィンの祈り」と題されてもいるようです。

欲しい物が与えられるのではなく、必要なものが与えられる。

だから良いことも悪いこともすべてのことに価値があり、意味があるのです。

2016-12-02 今日の言葉

2016年12月5日月曜日

記事紹介|自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな

みずから水やりを怠っておいて 気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを 近親のせいにはするな

なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな

そもそもがひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を 時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ

茨木 のり子

2016年12月4日日曜日

指定国立大学の公募が始まりました

国立大学法人法の一部を改正する法律(平成28年法律第38号)により創設される指定国立大学法人の公募が始まりました。

申請要件として、「研究力」「社会との連携」「国際協働」の3つの領域において、それぞれ1つ以上の要件の国内10位以内に位置した国立大学法人であることが求められています。申請可能な大学はかなり限られてくるようです。

第6期中期目標期間における指定国立大学法人の指定に関する公募要領

1 指定の背景及び目的

大学は、我が国の成長を支える「知」の創出と人材育成を担うべきものです。特に国立大学においては、その設置形態、歴史的経緯と蓄積に鑑み、世界の大学がそれぞれの国と世界を支えるために展開している新しい価値創造の在り方を踏まえた上で、国際競争と国際協調の観点から、我が国のみならず世界が抱える課題に真摯に向き合い、新たな社会・経済システム等の提案が可能な国立大学へと更なる変革を進めていくことが求められています。また、その成果を社会に還元することを通じて、社会からの評価と支援を得るという好循環を形成することにより、「知の創出機能」を持続的に発展させていくことにつながります。

これらの「知」の創出の場面においては、人文・社会・自然科学の各分野におけるそれぞれの強みが発揮されることも重要ですが、今日、学術及び社会が急速に高度化する中で、分野融合や新領域開拓による新たな価値創造と、それを生かした人材育成が要となります。

とりわけ、世界最高水準の卓越した教育研究活動を展開し国際的な拠点となる国立大学が、組織全体でこうした課題に取り組むことにより、国際的な研究・人材育成及び知の協創拠点として、当該大学の研究力、人材育成力の強化につながるとともに、我が国の成長とイノベーションの創出につながるものです。

以上のミッションを背負う大学については、「指定国立大学法人」として文部科学大臣が指定をし、大学自らのイニシアティブの中で、高等教育全体とその改革を牽引し、以下の役割を果たしていくことを期待します。

2 指定に当たっての考え方

指定に当たっては、優秀な人材を引きつけ、研究力の強化を図り、社会からの評価と支援を得るという好循環を実現する戦略性と実効性を持った取組を提示でき、かつ自らが定める期間の中で、確実な実行を行いうる大学に限り指定することとします。指定国立大学法人に申請する大学は、現在の人的・物的リソースの分析と、今後想定される経済的・社会的環境の変化を踏まえ、大学の将来構想とその構想を実現するための道筋及び必要な期間を明確化することが求められます。また、指定された大学には、社会や経済の発展に与えた影響と取組の具体的成果を積極的に発信し、国立大学改革の推進役としての役割を果たすことが期待されます。

3 指定国立大学法人の指定に係る申請要件

指定国立大学法人に申請する大学は、国内の競争環境の枠組みから出て、国際的な競争環境の中で、世界の有力大学と伍していくことを求めることとしています。このため、「研究力」、「社会との連携」、「国際協働」の3つの領域において、既に国内最高水準に位置していることを確認することとし、それぞれの領域において別紙に示す要件を満たしていることを申請の要件とします。また、申請要件において確認した各大学の現状については審査においても活用します。

4 指定国立大学法人の構想における審査の対象となる観点

(1)目標を設定する前提となる自己分析及ぴ現状に対する自己評価

当該大学の強みや特色等をどのように把握し、何を伸長させようとし、何を改善しようとしているのかが整理されているかを確認します。

(2)目標設定

海外大学における具体的な取組や、海外大学の研究分野別の状況などを踏まえたベンチマークを活用し、目標を設定します。この点を踏まえて、以下を確認します。

○分野融合や新たな学問分野の創出を含め、教育及び研究の卓越性に関して、「国際的な研究・人材育成拠点」となるための意欲的かつ戦略的な目標が設定されているか。

○世界及び我が国が抱える課題に対応するため、社会・経済に関する新たなシステムの変革への貢献に関して、意欲的かつ戦略的な目標が設定されているか。

(3)備えるべき要素

以下の6点について、必要な取組や目標設定がなされているかを確認します。

○人材育成・獲得
優秀な教員や学生を獲得するために必要な取組及び目標が設定されているか。優れた人材育成を行うために必要な取組及び目標が設定されているか。その際、優秀な博士課程学生の獲得及び育成のために、卓越した大学院を形成することを検討している場合には、その内容を含むことも可能。

○研究力強化
分野融合や新たな学問分野の創出を含めて研究力を強化し、国内外からの求心力を高め、強力な拠点(ハブ)を形成するために必要な取組及び目標が設定されているか。

○国際協働
海外大学や海外機関等との連携により、自らの教育研究分野の伸長や、海外への協力・貢献を行うために必要な取組及び目標が設定されているか。

○社会との連携
本格的な産学連携を含めて教育及び研究の成果を社会に還元するために必要な取組及び目標が設定されているか。産学連携の取組及び目標については、「産学官連携による共同研究強化のためのガイドライン」の内容を踏まえたものになっているか。

○ガバナンスの強化
目標及び上記の取組を実行するための取組や、人材育成を含めた組織体制の整備、経営上の工夫が設定されているか。

○財務基盤の強化
目標及び上記の取組を実行するために必要な財源の特定及び確保ができているか。
(スタートアップ経費が措置された場合を想定して、それも合わせて財源とする構想にすることも可能です。)

(4)海外大学のベンチマーク

上記の目標設定及び取組の設定にあたっては、当該大学が参考とすべき海外大学の取組や特徴が特定され、その海外大学が掲げる目標や行っている取組を踏まえたものになっているかを確認します。

(5)現時点では認められていない規制緩和が行われた場合に追加的に行うことが想定される取組

指定国立大学法人の構想を策定するにあたり、現時点では認められていない規制緩和が行われた場合、さらに進めることが可能な取組が想定される場合は、さらなる規制緩和の内容と想定される取組の内容を併せて提言してください。

5 選定方法等

(1)審査手順

指定国立大学法人を指定するための審査は、国立大学法人評価委員会に設置する指定国立大学法人部会において行い、文部科学大臣は国立大学法人評価委員会の意見を聴いて指定を行います。

審査は、提出された申請書類による「書面審査」、「ヒアリング審査」及び「現地視察」により行います。

なお、本審査に係るヒアリング審査及び現地視察は、概ね5月~6月頃に行われる予定です。指定結果の通知は夏頃に行う予定です。

(2)指定国立大学法人部会による意見等

指定にあたっては、ヒアリング審査の際に指定国立大学法人部会の委員との意見交換を行っていただく中で構想の改善のための意見をお伝えしたり、指定する際の条件として構想の改善を求めたりする場合があることを申し添えます。

6 中期目標・中期計画の変更及び評価

4.に掲げる目標、備えるべき要素については、第3期中期目標期間終了時における到達水準や到達すべき状態を中期目標及び中期計画に盛り込む必要があるため、本指定への申請と併せて、中期目標友び中期計画の変更案を提出してください。指定された指定国立大学法人は、これまでと同様、国立大学法人評価委員会で行われてきた年度評価及び中期目標期間評価の対象となりますが、指定国立大学法人としての目標や取組に係る中期目標及び中期計画については、国立大学法人評価委員会において、「戦略性が高く意欲的な目標・計画」として認定されることにより、中期目標及び中期計画に対する達成状況のみでなく、プロセスや取組の内容・成果についても併せて評価されることが考えられます。

7 提出書類

本指定への申請は、文部科学省への申請書類を紙及び電子ファイル(PDF以外形式)により提出することが必要です。詳細は以下のとおりです。

(1)申請書類

申請にあたっては、指定国立大学法人制度の趣旨を十分に踏まえて、指定国立大学法人構想調書を含む以下の申請書類を所定の様式で作成し、大学の設置者から文部科学大臣宛に公文書により申請してくだきい。なお、中期目標・中期計画の変更案については、提出すべき様式を後日お送りします。
・構想調書:本体(A4 15枚以内)
・構想調書:要約版
・中期目標・中期計画の変更案
・ヒアリング用資料(パワーポイント資料を想定)
※使用言語:日英

(2)提出期限・提出先

提出期限:平成29年3月31日
※但し、ヒアリング用資料については、ヒアリングの日程と併せて後日提出期限をお知らせします。
提出先:文部科学省高等教育局国立大学法人支援課法規係

8 情報の公表について

法人名については、各法人からの申請の段階及び指定が行われた段階で公表します。構想については、中期目標・中期計画の変更という形で文部科学省公式ウェブサイトにおいて公表します。併せて、指定される国立大学法人については、指定の公表の段階において、公表用の構想の概要の提出を依頼しますので、予めご準備ください。

9 スケジュール

平成28年11月30日 公募開始
平成29年3月31日 各大学からの申請〆切
4月~ 国立大学法人評価委員会指定国立大学法人部会における指定についての審査(5月以降にヒアリング審査及び現地視察)
夏頃 指定国立大学法人の指定

10 問い合わせ先(略)


別紙 申請要件

下記のく研究力>、<社会との連携>、<国際協働>の3つの領域において、それぞれ1つ以上の要件の国内10位以内に位置した国立大学法人であること。

<研究力>

○科学研究費助成事業における分野単位(※)で2分野以上、2012~2016年度における新規採択件数の累計が国内10位以内。
(※)情報学、環境学、複合領域、総合人文社会、人文学、社会科学、総合理工、数物系科学、化学、工学、総合生物、生物学、農学、医歯薬学の14分野
(出典)文部科学省HP「平成28年度科学研究費助成事業の配分について」より

○Q値(論文に占めるトップ10%補正論文数の割合)(2009年~2013年)が国内10位以内。(参考値10.9%以上)
(出典)科学技術・学術政策研究所、調査資料-243、研究論文に着目した日本の大学ベンチマーキング2015(2015年12月)

<社会との連携>

○経常収益に対する受託・共同研究収益の割合の2011~2015年度の平均値が国内10位以内。(参考値9.0%以上)
(出典)経常収益:各国立大学法人の財務諸表(平成23~27年度)より。受託・共同研究収益:各国立大学法人の財務諸表(平成23~27年度)より

○経常収益に対する寄附金収益の割合の2011~2015年度の平均値が国内10位以内。(参考値2.6%以上)
(出典)経常収益:各国立大学法人の財務諸表(平成23~27年度)より。寄附金収益:各国立大学法人の財務諸表(平成23~27年度)より

○経常収益に対する特許権実施等収入の割合の2010~2014年度の平均値が国内10位以内。(参考値0.05%以上)
(出典)経常収益:各国立大学法人の財務諸表(平成22~26年度)より。特許権実施等収入:文部科学省HP「大学等における産学連携等実施状況について(平成22~26年度)」より

<国際協働>

○国際共著論文比率の1999~2013年の平均値が国内10位以内。(参考値25%以上)
(出典)科学技術・学術政策研究所、調査資料-243、研究論文に着目した目本の大学ベンチマーキング2015(2015年12月)

○2010~2014年の学部における全学生に占める留学生及び日本人派遣学生の割合の平均値が国内10位以内。(参考値5.8%以上)
(出典)学部における学生数:「学校基本調査(平成22~26年度)」。留学生数及び日本人派遣学生数:独立行政法人日本学生支援機構「外国人留学生在籍状況調査(平成22~26年度)」・「協定等に基づく日本人学生留学状況調査(平成22~26年度)」より

○2010~2014年の大学院における全学生に占める留学生及び目本人派遣学生の割合の平均値が国内10位以内。(参考値23.5%以上)
(出典)大学院における学生数:「学校基本調査(平成22~26年度)」。留学生数及び日本人派遣学生数:独立行政法人日本学生支援機構「外国人留学生在籍状況調査(平成22~26年度)」・「協定等に基づく日本人学生留学状況調査(平成22~26年度)」より

※なお、以上のデータは文部科学省が把握している最新のデータに基づくものであるが、このデータでは参考値を超えない大学において、大学が保有する最新データに基づくと、参考値に相当するものがある場合は、12月末までに御連絡いただきたい。そのデータをもって指定国立大学法人部会に諮り、申請可能と認められた場合は、当該大学の申請を可能とする。

2016年12月3日土曜日

記事紹介|願望

なりたい姿や欲しいものが定まっていたとしても、それを手に入れるために日々努力するという具体的な情熱と、困難があっても努力を続ける信念の両方が備わっていなければ、願望を叶えることは難しい。

世の中は「原因と結果」の法則で成り立っているのですから、期待して口を開けて待っていても
棚からぼた餅は落ちては来ないのです。

そもそも具体的な困難よりも何かを継続するということ、そのものが最大の困難なのかもしれません。

そのときに大事なことは、努力そのものを楽しむこと。小さなゴールとご褒美を用意すること。

ツラいだけなら続けるのは難しいですからね。

脚下照顧(きゃっかしょうこ)の言葉の通り、まずは自分の足元をしっかりと固めることです。

2016年12月2日金曜日

記事紹介|運営費交付金

運営費交付金は実質的にそれほど減っていないし、各種補助金を合わせれば国立大学の収入は増えているため、教育研究活動を圧迫しているとの見方は正しくない。財政制度等審議会における財務省の説明である。確かに財務省の説明資料を見ると、そういった数字が並んでいるが、実際の現場の実感は全く異なるものであろう。

04年度と16年度を比較したケースで論じており、附属病院の運営費交付金は584億円がゼロに、退職手当が1149億円から645億円に減、一般運営費交付金は382億円しか減っていないというが、退職手当は毎年の退職者の数で決まるため比較する意味がないし、合計966億円のマイナスというのは経営的には非常に大きい。

その間には、電子ジャーナル等の価格が高騰し、法人化したことで労働安全対策関連経費が大幅に増加した結果、運営費を上げている。また、各種補助金等が増えているというが、そうした資金は運営費に充てることはできず、逆に電気代や環境整備費で運営費を増やしてしまった。もちろん間接経費が十分に措置されているわけではない。

さらに科学技術予算については、91年以降、他の主要国と遜色のないペースで拡充しているにもかかわらず、トップ10%論文の割合が低いとして、予算額が必ずしも研究開発の質に結びついていないと指摘している。しかし、この場合の科学技術予算というのは科学技術関係経費のことを指しており、基本計画が新しくなるごとに対象範囲が広がってきた、見かけ上の数字に過ぎない。もちろん、トップ10%論文割合の低さは課題ではあるが、その要因には予算構造そのものの問題もある。文科省には、正々堂々とした反論を期待したい。

2016/12/02 科学新聞社 コラム から


国立大交付金 野放図な減額は疑問だ|2016年12月2日北海道新聞社説

北大が人件費の大幅削減を検討している。削減額は2017年度から5年間で55億円に上る。教授に換算すると186人分だ。

主に人件費や研究費に充てられる、文部科学省の運営費交付金の減額が続いているためである。

北大だけではない。交付金減額は各国立大の大きな懸案だ。

一方で国は近年、すぐに成果が見込める研究に「競争的資金」を重点配分している。これでは短期的研究に偏り、腰を据えた研究にしわ寄せが出かねない。

財政状況を考えれば、運営費交付金も聖域ではありえまい。

しかし、研究者が資金集めに忙殺されては、研究や教育に落ち着いて取り組めない。大学の質の低下を来さないためにも、交付金の削減には慎重であるべきだ。

北大の15年度の運営費交付金は311億円で、04年度の346億円から10%以上も減少した。

本州では、教員の昇任見送りや新規採用を抑制する大学もある。人件費を抑えるため、任期付きの教員を雇う大学も多い。

こんな状況が続けば、教員一人あたりの負担増加にとどまらず、意欲の低下を招く恐れもある。

北大学長選も、交付金削減への対応が争点の一つになっている。

研究費確保も厳しい。国の競争的資金や企業、自治体からの外部資金に頼る研究者も少なくない。

しかも、競争的資金や外部資金を得るには、目に見える成果を期間内に上げる必要がある。任期付き教員も成果を出せなければ、次の職を得ることが難しくなる。

時間をかけた基礎研究などに取り組む研究者はますます減るだろう。実用化や応用ばかりが重視され、人文社会系の研究は理系以上に先細りが懸念される。

資金が欲しい一部の研究者が、軍事技術に応用可能な研究に資金を出す防衛省の制度に注目するのも、こうした背景があるからだ。

運営費交付金は、04年度の国立大学の独立行政法人化を機に削減が始まった。

そもそも法人化は、個性豊かな大学をつくることが目的だったはずだ。なのにこんなことでは逆に大学の多様性が失われかねない。大学自治を脅かす恐れすらある。

「『役に立つ』という言葉が社会をだめにしている。長い視点で科学を支える社会の余裕がなければ、日本の研究は貧しくなる」

今年のノーベル医学生理学賞に選ばれた大隅良典・東工大栄誉教授の言葉だ。国は重く受け止める必要があろう。