2016年12月13日火曜日

記事紹介|おかげさまで

ノートルダム清心学園理事長、渡辺和子氏の心に響く言葉より…

小さなお子さんの手を引いて、一人のお母さまが水道工事の現場の傍(そば)を通りかかりました。

暑い夏の昼下がりのことでした。

お母さまは坊やに向かって、「おじさんたちが、汗を流して働いてくださるから、坊やは、おいしいお水が飲めるのよ。ありがとうと言いましょうね」と話してやりました。

やがて、もう一人同じように幼い子の手を引いて、別の母親が通りかかりました。

「坊や、坊やもいまから一生懸命にお勉強しないと、こういうお仕事をするようになりますよ」と言ったというのです。

同じ仕事に対して、こうも違った考えがもてるものでしょうか。

最初の母親は、この日、子どもの心に労働に対しての尊敬と感謝の気持ちを育てました。

二番目の母親は、(手をよごす仕事、汗まみれの労働)に対しての、恐ろしいまでに誤った差別観念を、この日、我が子に植えつけたことになります。

私たちがいま、子どもと一緒にこの場にいたとしたら、どんな会話を交わすことでしょうか。

会話以上に大切なのは、どんな思いを抱いて、働いている人たちの傍を通るかということなのです。

人は、自分がもっていないものを、相手に与えることは出来ません。

感謝の気持ちを子どもたちの心の中に育てたいならば、まず親がふだんから「ありがとう」という言葉を生活の中で発していることが大切なのです。

近頃の学生たちで気になることの一つは、いわゆる〈枕詞(まくらことば)〉のようなものを習ってきていないということです。

例えば、「お元気ですか」と尋ねると、「はい、元気です」という答えは返ってきても、「おかげさまで元気です」という返事のできる学生が、以前と比べて少なくなりました。

遅刻して教室に入ってきた学生が、授業の後で、「遅刻しました」と、名前を届けにはきても、「すみません、遅刻しました」という枕詞がつかないのです。

「お話し中、すませんが」とか、「夜分(やぶん)、失礼します」という挨拶のできる学生も少なくなりました。

いずれにしても、言葉が貧しくなっています。

そして、それは取りも直さず、心が貧しくなっている証拠なのです。

せめて、「おかげさまで」という言葉と心を、生活の中に復活させましょう。

理屈っぽい人は、「何のおかげですか」と言うかも知れません。

何のおかげでも良いのです。

この表現は、私たちが実は、一人では生きられないこと、たくさんの〈おかげ〉を受けて生きていることを忘れない心の表れなのです。

見えないものへの感謝なのです。

ところで、本当にありがたいこと、何でもない時に「おかげさまで」と言うのは比較的に易しいのですが、不幸や災難に遭った時はどうしましょう。

そんな時にも、「おかげさまで」と言える自分でありたいと思っています。

ごまかすのではなく、不幸、災難、苦しみをしっかりと受け止めながら、「いつか、きっとこの苦しみの〈おかげさまで〉と言える自分になりたい、ならせてください」と祈る気持ちをもっていたいのです。