2016年12月18日日曜日

記事紹介|国立大学をつぶすマネジメント

2011年9月、会計検査研究第44号の「巻頭言」に、佐和隆光滋賀大学長(当時)の「国立大学法人化の功罪を問う」という論考が掲載されている。
第1期中期計画期間を終えて、佐和先生は、自身が反対した法人化が、教育・研究の質的低下、研究費の「集中と選択」の弊害、教員人件費削減の弊害、大学間格差の拡大など、様々な面で失敗だったとしている。
2点目の研究費の配分に関しては、法人化とは別問題だと思うが、同時期に政府によって進められた施策が、国立大学の学術研究を歪める結果を招いたという批判だろう。
残りの3点は、第2期中期計画期間が終了した今、更にその傾向が進み、問題が深刻化していると言える。
特に教員人件費に関しては、物件費削減で人件費を確保してきた大学法人も、最近の北海道大学の動向に見られるように、いよいよ苦境に陥っており、第1期終了時点よりは事態が切迫している。

第2期終了時点で付け加えるべき問題としては、国全体の研究力の地盤沈下、博士課程の価値低下、大学の機能分化及び分野間格差、家庭の経済力による進学格差の顕在化などを挙げることができるだろう。
国の財政事情の悪化が、予算面での「国立」の実質的終焉を招いており、多くの国立大学法人が、将来への明るい展望がない中で、単年度の収支を取り繕う経営に終始するしかない状況に追い込まれている。
運営費交付金と施設整備費補助金は、既に切られすぎている状況だが、第3期も削減が続くと予想されるので、佐和先生の言う失敗は、次第に致命的なものになるだろう。

法人化に関して、国の立場からは、公財政支出を抑制することに成功していること、附属病院経営に関して赤字補填を不要にできたこと、国立大学法人の経営判断で受益者負担が強化されていることなどは、意図した成果と捉えることができる。
もっとも、財務省は、科研費等を含む公財政支出は、社会保障費以外の予算が抑制される中でも増額しているという資料を作成して財政審に提出している。
数字のカラクリを駆使することに長けている人たちなので、右肩上がりになるように、都合の良い事項だけを集めているのである。
OECD諸国の中で、我が国は、対GDP比で高等教育への公財政支出が最低の部類だが、高齢化が進んでいるために数字が低くなっている租税負担率を引き合いに出して、税負担に見合う予算は確保しているという論理を打ち出している。
その上で、産学連携や寄付金募集などの自己収入への取り組みを、制度も歴史も異なる米国の主要大学の例を挙げて、強く求めている。
こうした言い分を生み出している財務省の職員も苦しいだろう。国立大学の現場の実態が理解できないほど頭が悪い人たちではない。
文科省の人たちを含めて、予算が伸びないために世界の大学間競争に後れを取っていることは分かっているが、国から配分した予算を生かして現場の工夫によって何とか教育研究のレベルを維持してもらいたいという気持ちだと理解している。

意図したかどうかは不明だが、法人化の結果として生じている変化もある。
具体的には、国立大学間の役割分担である。大学の機能分化と表現して差し支えないだろう。
文科省が選択をさせた結果、国立大学法人は公式に3つの類型に分かれており、更に法改正に基づく、文科省による「指定」が行われれば、「指定」された国立大学法人という別のカテゴリーも誕生する。
こうした枠組みを踏まえて、教育組織の見直しが次々と実行に移されている。
傾向としては、学問体系に基づく区分から、修得する社会的技能に基づく区分に、転換する動きになっている。
地域型の大学としては、地域の特色に合わせて組織編成を変革しているのだろう。
学生募集の観点から、ある意味で私学の経営と同じ路線を歩んでいこうとしている。
こうした転換が長期的に経営面で成果を生むのか、国立大学の本来の趣旨に合致しているのか疑問もないわけではないが、経営体としての自主的な努力としては容認せざるを得ない。

決して意図したわけではないが、明らかに状況が悪化した面もある。
予算の抑制・削減が根本的な要因だが、若手研究者の雇用形態の不安定、附属病院の医師の勤務環境の変化、教授等への研究以外の業務負担の増加などの現象から、1人あたりの平均研究時間×研究者数の総和の減少を招き、価値のある優れた論文の生産力に大きな影響を及ぼしている(トップ1%論文の国別ランキングが急落)。
大学の研究職の魅力も低減しているため、博士課程への進学が敬遠される傾向が続いている。
装置産業たる国立大学の屋台骨とも言える施設・設備の老朽化・陳腐化も確実に進んでいる。
この点は、苦しさを増す大学法人の財務を遣り繰りしても取り組まざるをないので、第3期以降の大きな攪乱要因になるだろう。

佐和先生が指摘していたように、大学間の格差、部局間の格差も更に拡大している。
産学連携、寄付金も、今後予測される学費の値上げも、競争力によって差が出てくる、すなわち財務力に更に格差がつくのは当然の成り行きである。
規制緩和によって、土地資産等の有効活用の可能性も拡大するだろうが、経済的な価値が高い資産を保有している大学が有利である。
こうした初期条件の格差が、更に増幅されるに違いない。
既に国大協のような連合体の意思をまとめるのは、非常に困難になってきているが、今後は、格差が拡大することで、大学の利害が対立することは必至である。
また、主要大学での研究不正が後を絶たないのは、法人化で促進された競争の弊害である。
意図したわけではないが、個人、グループ、部局、大学、それぞれの単位で競争が激しくなっているため、大学という学問の府がセクター全体として余裕をなくしているのではないか?
だから法人化を失敗だと決めつけるのは、フェアではないと思うが、意図せざる結果や行き過ぎを修正することに努力しなければ、取り返しがつかない結果を招くのは明らかである。
世界一の自動車メーカーであるトヨタでは、「トヨタをつぶすにはどうしたらいいか?」という思考実験の結果を踏まえて、その逆の手を打って経営力を高めているという。
財務省も文科省も、更には一部の大学法人でも、意図しないどころか、正に良かれと思って、実際には国立大学をつぶすマネジメントを一生懸命に展開しているのかもしれない。そうだとすれば、恐ろしいことである。