2017年9月15日金曜日

記事紹介|絶対に失敗しない人というのは、何も挑戦しない人のこと

小惑星探査機「はやぶさ」プロジェクトリーダーの川口氏が自らの失敗経験を語られている中で、切羽詰まるような状況下でのチャレンジの大切さを説かれています。

「それは、いま見ているページの理解度は関係がありません。ページを開いて先に進まないことのほうがリスクがある。不完全でボコボコの穴だらけのページでもいい。自分が楽しんでチャレンジを続けることに意義があるのです。」

何でも安全にコントロールできる状態の中で物事を考えていては、新しいものは生まれてこない。

米女優のイルカ・チェース氏も『絶対に失敗しない人というのは、何も挑戦しない人のことです。』と語っているように。

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2017年9月12日火曜日

記事紹介|叱る、叱られるということ

人はだれでも、厳しく叱られたり、注意を受けたりするということは、あまり気持ちのよいものではありません。

当然叱られるだけの理由があった場合でも、上司に呼びつけられて叱られるというようなことがあれば、その日一日中、なんとなくわだかまってすっきりしない。それがいわば人情で、叱られるより叱られないほうを好むのは、人間だれしもの思いでしょう。

それは叱るほうにしても同じです。部下を叱ったあとの、あのなんともやりきれない気持ちは、管理職の人であれば、たいてい経験していると思います。

しかし、人情としてはそうだからといって、その叱られたくない、叱りたくないという人情がからみあって、当然叱り、叱られなければならないことでも、うやむやのうちに過ごされてしまったならば、どういうことになるでしょうか。一度でもそのような考えで物事が処理されると、あとのけじめがまったくつかなくなってきます。仕事や職場に対する厳しさというものが失われ、ものの見方、考え方が甘くなり、知らず識らずのうちに人間の弱い面だけが出てきて、人も育たず成果もあがらず、極端にいえば会社がつぶれるということにも結びつきかねません。

もとより今日よくいわれるように、個人の自主性を重んじ、自発的にのびのびと仕事に取り組むことは大切です。しかしそれは、厳しく叱られることが不必要だということではないと思います。むしろお互いの自主性なり個性というものは、厳しく叱られるということがあってこそ、よりたくましく発揮され、その人の能力もいちだんと伸びるのだと思います。

私も、まだ若くて第一線で仕事をしていたころは、よく社員を叱ったものです。それも血気盛んな時分ですから、一人だけ呼んでそっと注意をするといったなまやさしいものでなく、みんなの前で机を叩き、声を大にして叱るというようなことがたびたびでした。

ところが、私からそのように目の玉がとび出るほどに叱られた社員が、それで意気消沈していたかというと、そうではありません。むしろそのことを喜び、いわば誇りとするといった姿でした。

それはどういうことかといいますと、創業当初はともかく、会社がしだいに大きくなり、社員の数も増えてきますと、私のほうも社員一人ひとりにいちいち注意を与え、叱るということができなくなりました。そうなると、どうしても限られた、責任ある立場にいる人を叱るということになりますから、社員のあいだにはいつとはなしに「大将に叱られたら一人前や」というような雰囲気が生まれてきたのです。ですから、叱られると本人も喜び、またまわりの者も「よかったなあ、おまえもやっと一人前に叱られるようになった」ということで、ともに喜び、励ましあうといった姿が見られるようになったというわけです。そして、そういうことが、社員の成長なり会社の発展の一つの大きな原動力になっていたように思います。

人間というものは、黙ってほうっておかれたのでは、慣れによる多少の上達はあっても、まあこんなことでいいだろうと自分を甘やかしてしまいがちです。そこからは進歩、発展は生まれず、その人のためにも、ひいては会社や社会のためにもなりません。やはり叱られるべきときには厳しく叱られ、それを素直に受け入れて謙虚に反省するとともに、そこで大いに奮起し、みずから勉励していってこそ成長し、実力が養われるのです。

そのことを、若い人も責任者も肝に銘じて仕事にあたってほしいと思いますし、特に若い人たちは、そこからさらに進んで、叱ってもらうことをみずから求める心境、態度を培うことが大切ではないかと思うのです。

2017年9月10日日曜日

記事紹介|ポジティブに生きる

かつてシェイクスピアは「いいとか悪いというのはなく、そのように考えるからそうなるのだ」と言った。

これは名言である。

どんなに悪く見える経験でも、その中に隠されたいいことを探し求めよう。

いかなる状況でも悲観主義に陥らず、つねにいいことを見つける習慣を確立すれば、人生の質を飛躍的に高めることができる。

経験それ自体は中立的だが、それに対する物の見方がそれをよいことにしたり悪いことにしたりするのだ。

物の見方を改善する1つの方法は、ポジティブな表現を使うことである。

たとえば、「失敗」を「学習経験」と言い換えるのがそうだ。

ポジティブな表現を使って、自分が置かれている状況に対する解釈を変える具体例を紹介しよう。

私は失業者だ。→ 私は自分に合う仕事を見つけるために時間をとっている。

私は病人だ。→ 私は健康を取り戻すためにしばらく休養を必要としている。

私は問題を抱えている。→ 私は成長するための機会に恵まれている。

私は失敗してしまった。→ 私はこの素晴らしい学習経験を今後に生かす。

私は何をしてもダメだ。→ 私はこれから飛躍を遂げるために全力を尽くす。

■楽観主義者はドーナツを見て喜び、悲観主義者はドーナツの穴を見て悲しむ(オスカー・ワイルド)

■悲観主義者とは、チャンスがドアをノックしても「うるさい」と嘆く人のことだ。(オスカー・ワイルド)


「過去は変えられるが、未来は変えられない」

過去に起きた出来事が「不幸だった」「つらい経験だった」と思えばそうなるし、あのおかげで「自分は成長した」「今の自分がある」「だからすべてがよかった」と思えばそうなる。

つまり、見方一つ、考え方一つで、過去は変えられるということ。

「幸福は、不幸の顔をしてあらわれる」という言葉がある。

何かが起きたその時は、「嫌なことが起きてしまった」と一瞬思う。

しかし、少したってみてそれを考えると「あのことが幸せを運んでくれたんだ」と思えることは多い。

ただし、「不幸の顔」があらわれたときに、文句や不平不満、グチ、泣き言を言ってしまうと、後から「幸福」はあらわれない。

なぜなら、口から発した言葉は現実化するからだ。

つまり、文句や不平不満、グチ、泣き言をいえば言うほど、もっと言いたくなるような現象があらわれる。

その悪い循環を断ち切る言葉はたった一つ、「ありがとう」という感謝の言葉。

嫌なことがあったとき、はじめに「ありがとう」と言ってから言葉を続けると、後の言葉はすべてポジティブに変わってくる。

「そのように考えるからそうなる」

どんなときも、よき言葉を発したい。

2017年9月5日火曜日

記事紹介|研究は人間の営みそのもの

人の営みであれば、形而上学的な洞察が不可欠である。数値が無意味というつもりはない。もとより、科学界が客観かつ正確な計量、数値解析を尊び、また世はデータ駆動の時代であることは間違いない。しかし、対象はあくまで明確な物理的単位、科学的意義をもつものに限定される。適正な評価を得るには、あらゆる意味ある指標(入手可能な、ではない)を総合すべきはずであるので、将来は、人工知能(AI)による徹底した総合的ご託宣を望む向きがいるかもしれない。しかしその時、果たして科学は精神高揚の営みであり続けるであろうか。多くの研究者の挙動が画一的に誘導され、AI判断におもねることになりはしまいか。

なぜ数量化を好むのか

数値偏重が研究評価における問題の原点ともいえるが、その病理の根底には、現世代の多数決民主主義、なぜか意味を問うことなく、一票でも多い方が正しいとの信仰がある。わが国の悪名高い入学試験の呪縛のまん延が、主観を疎み、一点刻み、総点の0.1%程度に過ぎない無効数字であっても、客観比較こそが最も公平とする価値観を醸成している。

18歳時の入試勝者たちは、総じてスコア化を好み、この「厳密かつ公正な」仕分け判定で、人生が決定、安定した地位を得たとの勘違いさえする大学入試が青年たちの将来性を占う仕組みであれば、1、2割の違いがあってもほぼ同等であろう。かつての勝者の集団たる教員組織は後継者の選抜に多大のエネルギーを傾注するが、その分解能はいかほどのものか。もっと人事専門家の力を借りて教科以外の要素を十分勘案すべきであろうが、あるいは「松竹梅」と格付けした上で、「竹」をくじ引きして合否決定してはどうか。悲しいかな、100点満点と0点の間の規格化された、あるいは秀才にとっては100点と80点位の狭い評価空間を右往左往する習性のために、世界の桁違いの存在、ましてや「負の存在」に出合う機会に乏しく、価値の相対化能力を喪失する結果となっている。

この傲慢が、長じて科学社会における他を顧みない「勝者総取り(winner-takes-all)」文化を醸成することにもなる。競争的資金の獲得はたまさか幸運であっても、最高の研究を意味するとは限らない。過去の採択課題を追跡すれば明白である。米国ではトップ20%を選び、あとはくじ引きにする方が合理的との主張もある。

研究者に降り掛かる災難

研究分野が拡大する中で、引用件数も急速に増大しているが、また研究分野の規模や性質によって数値は大きく異なるも明らかである。私は2000年代の初めまで有機化学の研究に携わっていたが、現役から身を引いたのちも、クラリベイト・アナリティック社のWeb of Scienceは本人に断りもなく、時々刻々過去の行為を計測、公開し続ける。2017年8月の同社の統計によると、私は487報の論文を書き、総被引用数は50,705回、1論文あたりの被引用数は104回、1,000回以上の論文は5編で、h指標は116(116回以上引用された論文が116報あるとの意味)とのことである。これは研究者として蓄えた資産を銀行に預けて、利子を蓄積していくようなものであり、元本は一定、総利子額は増えていく。この果てしなき機械的追跡、執拗なプライバシーの監視、公開は数多ある職業の中で研究者だけが被る災難であり、不快の念をもつ人は少なくない。

内容についてあえて振り返れば、正に凡人の営みである。確かに良質の論文も含まれるが、粗製乱造の極みで、著作、論文リストのうち、おそらく半数ほどはほとんど意味がなく、いわば「研究廃棄物」と言われても仕方がない。あまりに断片的に過ぎ、多くは「論文」に値しない。また、初期のものには、自らの稚拙さのみならず、その時代の測定機器など技術水準の問題もあり、記述を修正すべきものもある。若気の至り、未熟な思い込み、時々の衝動に駆られて実験し、一応新しい事実だからと発表した結果であり、恥じ入るばかりである。それでもコンピュータはたゆまず集計に励み、数値を積算していくのである。

もっと謙虚に質の維持に配慮すべきであり、これでいいわけがない。自己中心の恣意的な発表は学会や査読者にも多大な迷惑、負担をかけるからで、科学の進展への貢献は乏しく、むしろ科学界の名誉を損じるものでもあった。各方面から頂いた貴重な研究費を浪費したことも、遅きに失するが詫びなければならない。研究者人口、研究費が増大した現代では、自らの意図や力量だけでなく、様々な外的要素が関わるため、研究廃棄物生産は「負の外部効果」をもたらすことにもなる。

研究の営みは直線でありえない

私自身は鈍感なせいか、評価に圧迫感をもった経験がない。私の研究は、一点集中ではなく、興味分散型であった。今様の制度であれば「焦点が明確でないので、もう一度計画を練り直してこい」と厳しいであろうが、おおらかな時代で、先輩たちから激励を受け、文部省、科学技術庁(当時の新技術開発事業団)、産業界からも、温かい財政支援を得た。様々に手を広げ、決してノーベル化学賞の対象となった「不斉水素化反応の研究」がすべてではない。

ところが近年、行政は何の目的か、おそらく「自己責任説明」担保のためと推察するが、獲得研究費(しばしば使途目的同定が不適切)や論文引用数値の経年変化をもとに、特定個人の研究活動の消長を測り、研究費配分施策の合理性を論じる。社会が受容しやすいとして「客観的データ」を偏重し、あえて研究の経緯を唯一把握する研究者自身との直接対話を避けようとしているようにさえ見える。まだ評価手法の研究中というのであろうが、この無神経な行為と経緯実態の乖離が、しばしば研究者の誇りを損なう。研究の意義は時代背景や人間社会とは隔絶した公的研究費投入や論文成果だけでは理解できない。創造への動機、伏線、流れを多次元的に理解しないために実態把握を歪め、むしろ研究現場、若者たちへ誤ったメッセージを発することになる。

創造者たちへの寛容

行政はなぜか自らがつくった研究体制の有効性を顧みることなく、様々な関係職種の中から研究者だけ、また論文成果に限って評価対象とするのだろうか。是非彼らの立場に立ち、誠意をもってその意図をくみ取るべきである。特に若い人の置かれた状況には特段の配慮が必要である。創造の担い手の多くはか弱い人間であり、寛容と忍耐をもって育てなければならない。

人の営みに評価は容易でない。科学技術の持続的発展を望むならば、個々の研究者ではなく、創造を育む教育研究環境の整備こそが評価対象であろう。極めて個性的な「独創」もあるが、多くの研究成果は多様な同僚との「共創」の結果である。また見識ある先人の訓えに導かれることも少なくない。私自身長い研究人生の中で、多くの碩学に出会ったことは幸せである。知の府を先導する大学教授は優れた研究者、合わせて立派な教育者である「学者」であって欲しい。自分のことは棚に上げた上で、近年は素晴らしい研究をする人はいても、若者が仰ぎ見る畏敬の対象がまれになったことが、寂しい限りである。世界的傾向であり、その根源を深く考えてみる必要がある。

2017年8月31日木曜日

記事紹介|定型の沖縄論の空疎さ

世上の沖縄論は「平和の島」「癒(いや)しの島」などの定型句が目立つ。かたやネット上には「基地で潤っている」「補助金泥棒」といった偏見もある。この種の沖縄論は、なぜかくも空疎なのか。

理由の一つは、単なる知識不足だ。米軍基地の7割が集中する沖縄だが、県民総所得に占める基地関連収入は5%にすぎない。基地返還跡地を再開発した地区では、直接経済効果が返還前の平均28倍であり、基地はむしろ発展を阻害している〈1〉。国からの財政移転は都道府県中12位で、特段に高くはない〈2〉。

一方で沖縄の貧困は深刻だ。1人当たり県民所得は最下位、非正規雇用は45%で全国一。沖縄に多いコールセンターや観光業、飲食業は一般に賃金が低い。本土労働者の典型像は「年収300万~400万」の製造業従事者だが、沖縄のそれは「年収55万~99万」の飲食・宿泊業だ〈3〉。沖縄在住の作家である仲村清司は、「子どもの貧困率が全国平均の2倍に達し、3人に1人が貧困状態」と述べ、貧困に起因する家庭内暴力や不登校、いじめの頻発を指摘する〈4〉。

また沖縄戦で住民の4分の1が死に、1972年まで米軍の軍政下で基地が膨張した。多くの沖縄論は、これが単なる歴史ではなく、現在でも癒えない生傷であることを踏まえていない。

新聞記者の木村司が2015年に取材した女性は、高校2年生の1984年に米兵3人に乱暴された〈5〉。「被害を家族にも話せなかった。事件を再現させられると聞き、警察に被害届も出せないまま、原因不明の体の痛みに耐えてきた」。95年に女子小学生が米兵に暴行された事件をニュースで知ったこの女性は、「明かりをつけるのも忘れ、真っ暗な部屋で泣き続けた」。そして「こんな幼い子が犠牲になったのは、私があのとき黙っていたから」と考え、抗議集会に参加した。

木村はこのほか「人知れずアメリカ兵の子どもを産んだ知人がいる」「苦しみが癒えてきたと思う頃にまた事件が起きる。忘れたくても忘れられない」といった声も紹介している。こういう事例は沖縄では珍しくなく、「現場を歩けば、驚くほど、何らかの『経験』を身辺にもつ人に出会う」と木村はいう。こうした事情が、思想信条を超えた反基地感情の背景にあることは、いうまでもない。

だが一方で、沖縄の現実は、「平和の島」という定型句には収まらない。

前述の仲村は、沖縄の若い世代の関心事は貧困問題なのに、年長論者は基地問題に傾斜しており、そのギャップが「沖縄問題を語る大人への無関心と無視」を招いているという。国仲瞬は、沖縄の若者にみられる基地容認論の背景に、形骸化した平和学習への反感があると指摘する〈6〉。もっとも仲村は、そうした世代間対立の背景は「莫大(ばくだい)な金と利権をばらまくことによって沖縄の不満を抑え込み、沖縄内に既得権益層とそうでない層の間に著しい経済格差を作りだしている政府の存在」だとも述べているのだが。

外部の来訪者は、こうした状況に戸惑うことも多い。ネットニュース編集者の中川淳一郎は、沖縄の訪問体験を記している〈7〉。基地反対を明確に唱える人もいるが、「昔から基地のある生活が普通でした」と語る人もいる。本土から基地建設への抗議にくる人を「なんでナイチャー(本土の人間)が来て、混乱させているんだ」と否定的に見る人もいる。

以前の中川はネット上の言説を読み、「沖縄に対しては右派的論調を取っていた」。それは単なる偏見だったが、「平和の島」というだけでもない。今では、「本土の人間は本当に沖縄のことを知らずに勝手なことを言っていた」「この問題は複雑すぎて生半可な気持ちでは取り組めない」と思うようになったという。

定型の沖縄論の空疎さを脱しようとする姿勢は評価できる。だが、私は思う。沖縄の状況は複雑だろうか。

考えてみよう。貧困、性暴力、平和学習の形骸化、迷惑施設をめぐる葛藤などは、各地でみられる現象だ。沖縄も自分と同じ生身の人間が生きている土地だと考えれば、理解可能なはずだ。それが複雑に見えるとすれば、沖縄に関する知識不足以前に、もともと社会の現実に向きあう姿勢が欠けているのではないか。

そもそも私たちは、沖縄以前に、「本土」や「東京」を知っているか。20代単身転入者の平均年収が241万円にすぎない豊島区や、地上戦の遺骨が何千も残る硫黄島も「東京」だ。東京を含む空襲被害者救済法も止まっている〈8〉。米軍基地も60年代より前は本土の方が多かった。沖縄まで行かずとも、類似の問題は「本土」や「東京」にすでにあるのだ。

こうした問題以外でも、理不尽な抑圧や不本意な沈黙には、誰もが直面している。だが、自らの現実に向きあい、それを打開する努力を無意識に避けようとする人間は、他者の苦痛にも目を閉ざしたり、抑圧的にふるまったりするものだ。それこそ、沖縄の現実にも想像力が及ばず、定型句に流れる原因ではないか。

親川志奈子は、沖縄問題が伝わらないのはなぜかと問い、「ひとえに『当事者性の欠如』だと考える」という〈9〉。自分の現実に向きあう勇気がないとき、人は他者を語ることに逃避し、安易な期待や勝手な偏見をその他者に投影する。それこそ、多くの沖縄論が空疎である最大の理由だ。まず、自らの現実の当事者になること。それが「沖縄」と「本土」の境界を壊すことにつながるはずだ。

〈1〉照屋剛志「欠かせない『基地依存』誤解の解消」(Journalism8月号)
〈2〉「(よくある質問)沖縄振興予算について」(沖縄県庁ホームページから)
〈3〉前泊博盛「四〇年にわたる政府の沖縄振興は何をもたらしたか」(世界2012年6月号)
〈4〉仲村清司「埋めるべき溝、沖縄内部に」(Journalism8月号)
〈5〉木村司「本土に広がる『沖縄疲れ』の空気」(同)
〈6〉国仲瞬・インタビュー「修学旅行生と平和教育」(同)
〈7〉中川淳一郎「『本土の人間』として反省を込めて思う」(同)
〈8〉NHKスペシャル取材班『縮小ニッポンの衝撃』/栗原俊雄『遺骨』(15年5月刊)/記事「全国空襲連のつどい 救済法の早期実現を」(本紙8月15日〈都内版〉、http://digital.asahi.com/articles/ASK8G447PK8GUTIL018.html?rm=415#Continuation)
〈9〉親川志奈子「植民地・沖縄を前に、日本人の選択は?」(Journalism8月号)

2017年8月30日水曜日

記事紹介|すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなる

「即戦力」となる人材がほしいと大学に迫る財界人らに対して気骨ある教育者はこう切り返した。「すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなる」。明治生まれの工学者・谷村豊太郎の言葉だ。

海軍の技術将校を経て1939年、藤原工業大(慶応大理工学部の前身)の初代工学部長に就いた谷村は、基礎の徹底と人格向上を工学教育の柱に据えた。

時流を追うだけの知識や技術はすぐに色あせる。時代に左右されない基礎理論を習得してこそ応用力が生まれる。同時に工学が兵器を生む怖さも忘れてはならない-という精神だった。

当時、慶応義塾塾長だった小泉信三は50年に著した「読書論」の中で、谷村の言葉を「至言」と振り返り、読書でも時代を超えて読み継がれる「古典的名著」に親しむことが大切と説いた。

志願者増を狙った学部・学科の改廃、短絡的な文系学部不要論、相次ぐ入試制度の見直し…と現代の大学教育は迷走気味。政府は東京一極集中の是正に向け都心の大学の定員を抑制するとも言いだした。

これがどこまで「役に立つ」のか。そもそも学問の自由や大学の自立精神が揺らいでないか。肝心の議論が聞こえてこない。目先の利に走らず、地道に人を育て、時代の変化にも耐えうる技術や製品を生み出していく‐。谷村の戒めを“応用”することは企業経営の要諦(ようてい)でもあろう。小泉の「読書論」は岩波新書版で今なお読み継がれている。

「即戦力」となる人材がほしいと大学に迫る財界人らに対して気骨ある教育者はこう切り返した…|西日本新聞 から

2017年8月23日水曜日

記事紹介|ヤジロベエのように

人生の真実とは、理想ばかり追い求めたり、現状に甘んじることではない。鈴木秀子

知り合いの70歳の女性の話です。

彼女は戦争で父親を失い、母親と祖父母の手で育てられました。

家は貧しく中学を卒業すると働きに出ました。

社会に巣立つ日の朝、お祖母さんが彼女を座らせて社会で生きる心構えを諭しました。

「中学を出たばかりのおまえは、これから様々な辛い経験をするかもしれない。でも決して羨ましがってはいけないよ」

すると、それを聞いていたお祖父さんが「いや、この若さで、人を羨ましがらないですむことはあり得ないな」とまるで独り言のように呟いたといいます。

少し間をおいてお祖母さんが「あなたより物質的に豊かな人が沢山いるけれども、人の物を欲しがるような気持ちは起こしてはならない」と話します。

するとまたお祖父さんが「こんな若い子が、人が良い物を持っていたら欲しがるのは当たり前じゃないか」とポツンと囁くのです。

お祖母さんが「何があっても、決して人に迷惑を掛けてはいけないよ」と三つ目の心得を話した時も、「だけど、人間というものは迷惑をかけながら、お互いに支え合って生きていくものだ」とお祖父さんの独り言が続きました。

彼女は2人の餞(はなむけ)の言葉を常に心の支えにしながら、生きてきました。

そして70歳のいま、過去を振り返りながら「もしお祖母さんの言葉しか聞いていなかったら、"こうあらねば"という思いに縛られて精神的に行き詰まっていたでしょう。お祖父さんの言葉だけで生きていたら怠け者になっていたかもしれない。2人が共に人生の真実を伝えてくれたからこそ、ここまでくることができました。」としみじみ語ってくれたことがあります。

「こうあるべき」というべき思考が強すぎてもいけない。でも怠けすぎてもいけない。

人生には場面に応じてどちらもあるという中庸さを知っていることが大事なのですね。

ヤジロベエが左右に振れながら真ん中に戻って来るように。

2017年8月22日火曜日

記事紹介|変化対応能力を磨くこと

《高校生諸君へ》

君たちは親と違う人生を歩むと言うけれど、どこが決定的に違うのか?

大きく3点あります。

ものすごく大きな違いがね。

1つめは、君たちが社会人になる2020年代の半ばには、多くの親が体験した「標準的な人生モデル」は追求できないということ。

会社で正社員にはなれないかもしれないし、大手企業に入社したとしても一生そこで働くのは珍しくなるでしょう。

新卒の一括採用が残っているかどうかさえ怪しい。

結婚して子育てし、マイホームを持つかどうかもわかりませんよね。

だから、親の人生モデルを前提として君たちに説教しても通じない。

2つめは、言わずと知れたスマホと、それにつながったネット世界の広がりです。

いまの高校生は1998年以降の生まれになりますが、グーグルも1998年生まれなんです。

グーグル以前とグーグル以降は人種が違うと思ったほうがいいでしょう。

君たちの世代は、人生の半分をネット上で暮らすことになるでしょう。

ネットゲームの中毒患者でなくても、社会人としてちゃんと仕事をしようとすれば、そうなるんです。

たとえば、SNSで仲間を募る「魔法の杖(つえ)」は最強ですよね。

親世代には、学校の枠を超えて仲間を集めようとすれば、駅の伝言板くらいしかなかったんです。

自分の存在の半分は、ネットのなかで広がりながら他人とつながりを持つことになります。

そして、その存在を評価されることで、自分の居場所が保障される感覚がある。

ネット世界から個人がクレジット(信用と共感)を与えられることになるからです。

リアルかバーチャルかは関係ありません。

リアルな場はますます複雑怪奇になり、居場所がなかったり、存在を脅かされることも増えるでしょう。

だから、仮にフェイスブックやツイッターが衰退することがあっても、新しいSNS的なサービスは次々と現れる。

グーグル以降の人間は、ネット上で自己肯定感を得られる気持ちの良さからもはや逃れられないと思います。

3つめは、人生の長さ(ライフスパン)が決定的に異なること。

明治・大正を生きた世代と比較すると、君たちの世代は平均寿命が2倍に延びることになります。

いまの親世代もあと40~50年の人生が残っているから、十分に長いんだけどね。

親世代が生きている昭和・平成の時代は、1997年までは高度成長期でした。

子ども時代には掃除や洗濯機をロボットがやってはくれませんでしたから、面倒なことや手間のかかる仕事がまだまだ多かった。

不便な社会を知っている世代なんです。

でも、君たちは違います。

そうした面倒な手間を人工知能(AI)やロボットがやってしまう時代を生きているんです。

切符を買って改札で駅員さんにハサミを入れてもらっていた時代から、カードやスマホで自動改札を素通りできる時代へ。

世間話や値段交渉をしながら肉屋さんや八百屋さんでいちいち買い物をしていた社会から、加工食品を黙ってレジへもっていきレンジでチンしてもらえばすぐに食べられる社会へ。

そんな、なにかと便利な「コンビニ社会」に生まれてきたから、好きなことでもして時間をつぶさなければ暇で困ってしまう。

「人生とはいかに時間をつぶすか」という感覚が強くなるはずです。

だからこそ、君たちの世代が成熟社会を進化させ、日本のスポーツ・文化・芸術を花開かせる可能性は高いと思います。

このように、世界観、自分観、人生観が、親の世代とは決定的に異なることになるのです。

だから、理解されなかったとしても安心していいんですよ(笑)。

2020年に開催される東京五輪。

アテネ五輪のあとのギリシャや北京五輪のあとの中国など、世界の歴史を振り返れば、オリンピックを大々的に開催するために競技場や道路整備などに投資しすぎた国は、閉幕後、景気が大幅に落ち込むことが予想できるからです。

これらの理由から、2020年代にはおそらく求人も半減することになるでしょう。


この文章は、高校生に向けて書かれているが、このことは、そっくりそのまま親世代にも通じる大事な事実。

ITやAI、ロボットなどの大きな変化に対して、生きていくための方策は同じだからだ。

10年後、多くの仕事が消滅していくかもしれない中で、どんな勉強をしたらいいのか、何を身につけたらいいのか。

未来はもうすでに始まっている。

働き方改革。

SNSによるつながりの世界。

人生100年時代の生き方。

「10年後、君に仕事はあるのか?」

時代の変化に対して、変化対応能力を磨きたい。

2017年8月21日月曜日

記事紹介|憲法から取り残されてきた沖縄

日本国憲法から最も遠い地。それは間違いなく沖縄だ。

「憲法施行70年」の最初の25年間、沖縄はその憲法の効力が及ばない米軍統治下にあった。沖縄戦を生き抜き、6月に亡くなった元知事の大田昌秀氏は、戦後の苦難の日々、憲法の条文を書き写して希望をつないだ。

それほどにあこがれた「平和憲法のある日本」。だが本土復帰から45年が経ったいま、沖縄と憲法との間の距離は、どこまで縮まっただろうか。

重なりあう不条理

米軍嘉手納基地で今年4月と5月に、パラシュート降下訓練が強行された。過去に住民を巻き込む死亡事故があり、訓練は別の基地に集約されたはずだった。米軍は嘉手納での訓練を例外だというが、何がどう例外なのか納得ゆく説明は一切ない。

同じ4月、恩納村キャンプ・ハンセン内の洪水調整ダム建設現場で、民間業者の車に米軍の流れ弾が当たる事故が起きた。演習で木々は倒れ、山火事も頻発して森の保水力が低下。近くの集落でしばしば川が氾濫(はんらん)するため始まった工事だった。

航空機の騒音、墜落の恐怖、米軍関係者による犯罪、不十分な処罰、環境破壊と、これほどの不条理にさらされているところは、沖縄の他にない。

普天間飛行場の移設問題でも、本土ではおよそ考えられない事態が続く。一連の選挙で県民がくり返し「辺野古ノー」の意思を表明しても、政府は一向に立ち止まろうとしない。

平和のうちに生存する権利、法の下の平等、地方自治――。憲法の理念はかき消され、代わりに背負いきれないほどの荷が、沖縄に重くのしかかる。

制定時からかやの外

敗戦直後の1945年12月の帝国議会で、当時の衆院議員選挙法が改正された。女性の参政権を認める一方で、沖縄県民の選挙権を剥奪(はくだつ)する内容だった。交通の途絶を理由に「勅令を以(もつ)て定める」まで選挙をしないとする政府に、沖縄選出の漢那憲和(かんなけんわ)議員は「沖縄県に対する主権の放棄だ」と激しく反発した。

だが、連合国軍総司令部の同意が得られないとして、異議は通らなかった。翌年、沖縄選出の議員がいない国会で、憲法草案が審議され成立した。

52年4月には、サンフランシスコ講和条約の発効により沖縄は本土から切り離される。「銃剣とブルドーザー」で強制接収した土地に、米軍は広大な基地を造った。日本国憲法下であれば許されない行為である。

そして72年の復帰後も基地を存続できるよう、国は5年間の時限つきで「沖縄における公用地暫定使用法」を制定(その後5年延長)。続いて、本土では61年以降適用されず死文化していた駐留軍用地特別措置法を沖縄だけに発動し、さらに収用を強化する立法をくり返した。

「特定の自治体のみに適用される特別法は、その自治体の住民投票で過半数の同意を得なければ、制定できない」

憲法95条はそう定める。ある自治体を国が狙い撃ちし、不利益な扱いをしたり、自治権に介入したりするのを防ぐ規定だ。

この条文に基づき、住民投票が行われてしかるべきだった。だが国は「ここでいう特別法にあたらない」「沖縄だけに適用されるものではない」として、民意を問うのを避け続けた。

復帰後も沖縄は憲法の枠外なのか。そう言わざるを得ない、理不尽な行いだった。

軍用地の使用が憲法に違反するかが争われた96年の代理署名訴訟で、最高裁が国側の主張をあっさり追認したのも、歴史に刻まれた汚点である。

フロンティアに挑む

それでも95条、そして「自治体の運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて法律で定める」とする92条をてこに、沖縄が直面する課題に答えを見いだそうという提案がある。

基地の存立は国政の重要事項であるとともに、住民の権利を脅かし、立地自治体の自治権を大幅に制限する。まさに「自治体の運営」に深くかかわるのだから、自治権を制限される範囲や代償措置を「法律で定める」必要がある。辺野古についても立法と住民投票の手続きを踏むべきだ――という議論だ。

状況によっては、原発や放射性廃棄物処理施設などの立地に通じる可能性もある話で、国会でも質疑がかわされた。

憲法の地方自治の規定に関しては、人権をめぐる条項などと違って、学説や裁判例の積みあげが十分とはいえない。見方を変えれば、70年の歩みを重ねた憲法の前に広がるフロンティア(未開拓地)ともいえる。

憲法から長い間取り残されてきた沖縄が、いまこの国に突きつけている問題を正面から受けとめ、それを手がかりに、憲法の新たな可能性を探りたい。

その営みは、沖縄にとどまらず、中央と地方の関係を憲法の視点からとらえ直し、あすの日本を切りひらく契機にもなるだろう。

2017年8月19日土曜日

記事紹介|人と違うことをすることを恐れない

天皇陛下の心臓手術は東京大学と順天堂大学の合同チームにより行われた、「異例のケース」といわれた。

その手術を執刀して以来、私の生い立ちや、これまでの歩みをたくさんの記事にしていただいた。

過分なおほめの言葉も頂戴し、テレビでも、「天野篤」というひとりの医師が、どのようにして陛下の手術に携わるようになったのかを幾度も紹介していただいた。

そこでの「人となり」を数行に要約すると、天野篤という人間はだいたい次のようなことになる。

「落ちこぼれだった高校生が、心臓病で闘病する父親を助けようと医師を志し、三浪して日大の医学部に入った。

やがて心臓外科医になるが、自分も立ち会った3度目の手術で父親を失う。

自分にもっと力があればと、一念発起し、ひたすら腕を磨いていき、6000例を超える心臓手術を行うまでになった」

三浪という不名誉なことも含めて、たしかに事実はそのとおりだ。

今は順天堂大学医学部の心臓血管外科教授というポジションに押し上げていただいたが、もともとは出身大学の医局にも属さずに、一匹狼ともいえるような道のりを歩いてきたノンエリートだ。

ここに私の原点がある。

生来、人と同じことをするのが嫌いな反骨精神もある。

だが、30年医者をやってきて、本音でいいたい思いもある。

たとえば、受験難関校から旧帝大医学部に合格した秀才だけが医師になって本当によいのだろうか?

手術するのは学者ではない。

組織で偉くなる人でもない。

今後の医療現場では、かつての医師と現代の医師とでは求められる力が違うということもある。

最先端の医療現場では、医師が「ダヴィンチ」という手術支援ロボットを操作して、出血の少ない外科手術を行う時代にもなった。

つまり、小さい頃からコンピーターゲームの得意だった子が、優秀な外科医になりうる時代になっている。

私のように、小さい頃、プラモデル作りが得意だった子どもが患者さんのために役立つような時代だ。

プラモデルでは、部品のはがし方だって相当に集中してやった。

ひとつひとつの部品は、ニッパーできれいにはがさないとうまく仕上がらない。

1個部品を壊すだけで台無しになり、後戻りしなければならない。

そういうことが、熱中してきたことを通じてわかる。

だから、若い人のいろいろな経験を否定しないことが大切だ。

お母さんが我が子に、「ゲームばっかりして」と怒ることもあるだろうが、私は否定してはいけないと思う。

「ダヴィンチ」以上の手術支援機器が登場してくると、その技術的な進歩が、これまでの不可能を可能にするきっかけになったりする。

実際、医学部で教授という立場で、意思を育てるという側に立つと、弾力性ある若い力を、そのまましなやかに伸ばすには、どうしたらいいのかと、日々考えさせられる。

次世代のそれぞれの「思い」をどのように磨いていき、未来を切り拓(ひら)いていくのか…これからサポートしたいことでもある。


「禍福(かふく)は糾(あざな)える縄(なわ)の如(ごと)し」ということわざがある。

災いと幸福はまるで、より合わせた縄のように、かわるがわるやってくる、という意味。

失敗だと思っていたことが、成功する原因になったり、子どものころの無駄だと思っていた経験が、大人になって役に立つ、というようなことは多い。

これからの世の中はすさまじい勢いで変化する。

今までの技術が一瞬にして役に立たなくなるような、新技術も登場するだろう。

大事なことは、これからは、暗記したり、それを再生するというようなデジカメ的能力はまちがいなく必要なくなってくるということだ。

つまりたとえば、受験勉強で必要な記憶再生能力のようなこと。

現在は、それがスマホ一つでこと足りるからだ。

みんながやるから、自分もやる、というような生き方では、確実に取り残される。

人と違うことをすることを恐れない人でありたい。

生き方|人の心に灯をともす から

2017年8月18日金曜日

記事紹介|行政が学問の成果を評価するということ

「評価は主観である」とする私の主張に対して、客観的な数値をもってなすべきとする人がいる。そこで力を得るのが「論文至上主義」で、かつては発表論文数、近年では「論文被引用数」の比較である。しかし、マックス・ウェーバーが唱えたように「科学は進歩し続ける宿命にある」。従って、成果の評価にあたっては、まだ見ぬ将来への波及可能性が最重要な視点となる。論文が全てではないことは当然であるが、ましてや認識論や総合的批判による洞察を避けて、過去の成果発表の分析の一軸に過ぎない論文被引用数を唯一の評価手段として用いることは、あまりに安易である。運動競技とは異なり、むしろ芸術におけると同じく、まずは創造性を尊ぶべきであり、個人の論文生産能力、優勝劣敗を決めることではない。論文指標偏重の評価システムは明らかに不見識、かつ若い世代の価値観を拘束し、生き方を誤った方向に導くため、強く再考を求めたい。全体統計的にも、また個々の評価についてはなおさら問題は大きい。実は、研究社会が自らの見識をもって評価することを怠ってきたことが、規格化された評価制度への過度な依存を引き起こし、その結果、自らを疲弊に追い込んでいる。

「自治の府」としての研究社会における評価

この数値の背後にある理性、科学的意味は何か。今日では米国のクラリベイト・アナリティック社のWeb of Science(旧トムソン・ロイターズ社の時価35.5億ドルの事業)、オランダのエルセビア社のScopusなどの商業的情報提供事業がコンピュータ技術を駆使し、引用データを集計する。そして多様複雑に加工した数値結果を高価に売りつけ、個人評価や組織の格付けなどに最大限活用すべく促す。もう60年以上も昔に「研究成果の計測」を試みたユージン・ガーフィールドの創造性は特筆に値する。しかし現状は、この創始者自身による「その内在的価値を評価するのが科学的知性」との戒めにもとるものである。

アカデミアは自治の府であり、人間疎外のソフトウエアが一義的に規定する社会(Software-defined Society)ではない。学術、科学技術の実践のみならず、成果の評価についても、自らの判断基準を設定すべきであり、自己決定権を安易に情報企業に売り渡すことがあってはならない。優れた研究者を効率的な論文製造機と定義することは不適切である。科学的批判力をもって断固対峙すべき学術会議、学協会、大学や公的研究機関などの甚だしい怠慢、無責任は目に余る。営利目的の商業出版社が由々しき論文引用数至上主義を喧伝し続ける結果、有力ジャーナルのImpact Factor(IF)神話が、若い研究者に学問の本来の価値を見失わせ、せっかくの精神高揚の機会を損なわせていることは、甚だ残念である。

加えて、行政機関、研究費配分機関の安易な追従が、この非人間的独善の横暴を許している。大学には教員人事制度があり、また社会には研究に対するさまざまな顕彰の仕組みがあるが、かつて評価はアカデミアの主観的かつ多様な判断に委ねられていた。旧文部省が非公式に研究評価を考え始めたのは1980年代初頭である。当時、学術行政に尽力された誇り高い碩学が、ある内輪の集会で「行政が学問の成果を評価するという」と気色ばんでいらしたことを思い出す。科学への期待が変容する中で、ことの是非はともかく、識者による研究の独自性、希少性、多様性の尊重の風土は薄れ、容赦なき画一的数値比較主義へ傾きつつあることは間違いない。今や、この評価制度化により成果報告提出ごとに精神的圧迫を感じる若い研究者たちは、まことに気の毒である。さらに、大学組織の活動評価を一律に所属教員の論文指標の集計、総和でもって行うことも、好ましくない。それぞれに特色ある教育研究理念に沿う大学の自律的統治を損なうことになるからである。

大学教員人事も研究費配分も未来の科学を開くためにある。行政とその委嘱を受けた人たちは、単に権限を行使するのではなく、むしろ自らが評価主体者であることを再認識して欲しい。30年かけてつくり上げた現行システムの実践結果が、如何にわが国の科学者たちを鼓舞し、研究の質を向上させたか、あるいはその逆であったかを検証すべきではなかろうか。

本当に研究の質を問うているか

国民の問うところは、分かり易い論文被引用数などの数値の大小ではなく、わが国の研究活動全体の質である。そして質の向上を図る鍵は、研究者たちの自己肯定感を堅持しながら、制度を総点検し問題点を明らかにした上で、旧態依然の研究教育体制(コラム5、6など)を変革することにある。にもかかわらず、第5期科学技術基本計画は問題を棚上げした上で、論文数と被引用回数上位10%論文の増加を目標に掲げた。いかなる権力であれ自らの責任説明のために研究現場の組織や個人に数値向上の努力を強いれば、大きな負の効果を生む。この便宜的手段が目的化することは明らかで、恣意的な数値操作がまん延、アカデミアが本質にもとる「衆愚(ポピュリズム)研究の府」と化すことは必定である。一方で、研究社会が自らの信念をもとに編み出した合理的提案を行政府に届ければ、聡明な官僚たちは、必ず真摯に耳を傾けるはずである。

良い論文とは、読者にとって読み応えがあり、腑に落ちるものである。その上で研究の礎のなった先行論文こそが、高く評価されるべきである。被引用数は各分野における発表論文のいわばエコー(反響)の度合いにすぎず、決して科学的創造や進歩への貢献を反映しない。視聴率の高いテレビ番組、入場者の多い催し物、人が溢れる喧騒の都市繁華街が他に比べて質が高いとは限らない。

統計によれば、記録が維持されている5,800万論文のうち、44%が一度も引用されず、32%が9回以下であり、1,000回以上引用されるのは、僅か0.025%の1万4千論文に過ぎないという。しかし、この「民主平等的」研究社会では、この大多数を占める「低評価論文」にもやはり対等の引用権利が与えられ、その反映が被引用総数として現れる。被引用数評価の信奉者たちは、ここに自己矛盾、この増幅の仕組みを負のスパイラルとは認識しないのだろうか。逆にトップ0.1%被引用論文の特別扱いも価値偏向を助長し、好ましくないことは当然である。

もとより、巨大なエコーにそれなりの意味はあるが、せめて被引用数は対数(log)比較に止めてはどうか。桁を論じる「格」に意味はあっても、平凡な数値を「順番」に並べてみても、全く意味を見出す事は出来ないではないか。

引用行為は信頼できるか

そもそも、論文著者たちは適切な引用をしているであろうか。引用文献の選択が適切でなければ、データベースそのものの信頼性が損なわれる。仮に一論文に、関連課題論文50編を引用するとしよう。ならば、著者は前もってその5-10倍、すなわち250-500編の論文を読破しなければならないはずである。昨今、論文数を問われる研究者たちは年間に複数の論文を発表するが、実際、彼らに先行文献の検索、通読、選択の時間が十分に確保されているのか、と心配になる。

世界中で年間220万報以上の科学論文が発表され、さらに毎年累積していく。誠実な著者たちは、この溢れる情報の渦の中で、いかに適切に先行文献を選択しているのだろうか。最近米国では一人の研究者が年間に読む論文は、平均して264報に過ぎず、一報に費やす時間は32分という。進展著しい分野では、5年前の論文はすでに古くて役に立たないので読まないというが、それでも結構引用されている。ならば引用文献の選択を他人に、あるいは機械に託しているのではないかと懸念している。一般に英文読書速度が低く、また多忙で自由時間に乏しいとされる日本人研究者たちの現状はどうであろうか。

引用されなければ意味はないのか

引用数を評価指標にするならば、実際に比較対象となる具体的数値には公平性が担保されなければならない。まずは「早すぎた発見」は無視されがちで、「眠れる美女」が少なくないことである。1906年発表のH.Freundlichによる溶液中の吸着の研究は、96年後の2002年に初めて日の目を見たし、1935年の有名なEinstein-Podolsky-Rosen論文も2003年頃にようやく広く認知されたという。私は過去を振り返りながら「事実の発見」はもちろん大事だが「価値の発見」がさらに大切としてきた。科学的事実の発見の本当の意義は、当事者によってさえ認識されないこともある。創造性を洞察する目利きが必要な所以でもある。

一方で、真実との評価が定着した物理学の相対論の提唱や、分子生物学を開いたDNA二重らせん構造発見も、引用の対象外である。それほど偉大でなくとも、たとえば化学分野では、しばしば高性能な触媒や有用な材料が発明、発表される。しかし、もしもその実用性が認められ試薬会社から販売、汎用され始めるとなれば、もはや原著論文は急激に引用されなくなる傾向がある。論文誌の規定により商業行為を行う供給会社名は確実に記載されるが、恩恵に預かる利用者の多くは、科学上の発明者に対して敬意、感謝はおろか、関心さえ払わないのである。これらの「不公平な」現象を、引用数値主義者や情報販売機関はどう説明するのか。あるいは未熟な研究者たちの振る舞いを正してくれるのだろうか。

幸いにも、私は「フロンテイア分子軌道論」を創始し1981年にノーベル化学賞を受けられた福井謙一先生から「論文が引用されているうちは本物ではない」と習い、さすがと感心した覚えがある。

分野によって被引用数はもとより、論文発表そのものの価値さえ異なるので、専門家たちの意見も聞かねばならない。数学理論の評価には、論文被引用数集計よりも特別の目利きの判断がぜひとも必要で、しかも優れたものでも十分認知されるには10年近くの時間を要するものも少なくない由である。また、中国の急激な伸長に比べて、わが国の計算機科学の論文数、被引用数シェアの低さがしばしば話題になるが、指導者たちにはこの評価が気に入らない。「この分野は日進月歩なので、過去の仕事をまとめるよりも、斬新な発想の提案が大切であり、その披露は論文誌ではなく、有力な国際会議で行う。その講演録(proceeding)が大切なのだが、これは被引用数の対象とならない」という。もし優秀な研究者の多くが、本当に新規性に注力しているのであれば、心配は無用である。

かつてわが国の強みであった工学も分散的傾向が強く、論文よりも特許や実用新案などに関心が大きいのでなかろうか。先人が綿々と紡いできた「匠の技」は現代の科学技術、産業技術にいかに貢献しているのか。日本語で書かれた数多くの技術論文の実社会における評価も気になっている。

なお、爆発的な勢いで生産される中国発の高被引用数論文の相当数が、中国語で書かれている。これが何を意味するのか、中国語を読めない私には、今しばらく様子を見なければ判断できない。

野依良治の視点|研究の評価、研究者の評価 論文引用数は信頼できる評価指標か から

2017年8月17日木曜日

総理、あなたはどこの国の総理ですか

「ノーモア ヒバクシャ」

この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。

核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122か国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。

私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。

しかし、これはゴールではありません。今も世界には、15,000発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。

核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。

安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。

日本政府に訴えます。

核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。

また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。

私たちは決して忘れません。1945年8月9日午前11時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15万人もの人々が死傷した事実を。

あの日、原爆の凄まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼野原となりました。皮ふが垂れ下がりながらも、家族を探し、さ迷い歩く人々。黒焦げの子どもの傍らで、茫然と立ちすくむ母親。街のあちこちに地獄のような光景がありました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。そして72年経った今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。原爆は、いつも側にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたのです。

世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。 遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。

人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。

世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。

今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。世界の7,400の都市が参加するこのネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。被爆者が私たちに示してくれたように、小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを、ここ長崎から、平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。そして、被爆者が声をからして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します。

被爆者の平均年齢は81歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救済を求めます。

福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い、応援します。

原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

平成29年長崎平和宣言|2017年(平成29年)8月9日 から

2017年8月16日水曜日

記事紹介|平和な社会を築くために

私はこの任務を誇りを持って旅立ちます。

お父さんお母さん先立つことをお許し下さい。

私は戦争のない世界を、未来の子ども達が創ってくれることを信じて飛び立ちます。


18歳で特攻隊に志願して飛び立った少年の手紙から紹介します。

今日の長崎原爆の日を含め8月は先の大戦について思いを馳せる月です。

政治判断の過ち、正しい考えを持った人がいても

大きな流れに抗えなかった組織の過ちを反省して参考にするとともに、

名もなき多くの市民の犠牲と、未来を信じる心の上に、

我々の今の生活があること、平和があることを忘れないようにする。

『善きことのみを念ぜよ。必ず善きことくる。命よりも大切なものがある。それは徳を貫くこと。』

とは特攻隊員の母として慕われた鳥濱トメさんの言葉です。

トメさんは鹿児島県の知覧飛行場のそばで富屋食堂を営み、多くの若き特攻隊員の出撃前の面倒を見られました。

『平和な社会を築くために、必要なものが三つあると私は思っています。

「勇気」と「行動」と「愛情」です。

「勇気」と「行動」だけでは、戦争に結びついてしまうことがある。

「行動」と「愛情」だけでは、物事を変革するのに怖気づいてしまうことがある。

「勇気」と「愛情」だけでは、きれいごとを言うだけで終わってしまうことがある。

この三つが揃って、初めて物事をなしていくことができるでしょう。』

これは被爆者の笹森恵子(しげこ)さんの言葉です。

日々徳を積み、「勇気」と「行動」と「愛情」の3つをセットにして、

挑戦していきましょう。

平和|今日の言葉 から

2017年8月7日月曜日

記事紹介|競争相手は時代の変化

社会が成熟する中、企業は非連続の成長をせざるを得ない状況です。そこに必要なのは、イノベーションです。

しかし残念ながら、従来型のリーダーシップでは、イノベーションを起こし続けるのは難しくなってきているのです。

これから企業に求められるイノベーションのためには、顧客インサイトをいかに捉えるか、しかも、1人の天才ではなく、集団天才型のチームで「顧客共創」をすることが極めて重要になってくる、というポイントです。

社会実験と市場テストを繰り返すことで、あるいは越境して離れた領域をつなぐことで、顧客の洞察、市場の洞察、社会の洞察を引き出していく。

多様な異能の能力を組み合わせて、顧客も巻き込みながら、既存のバイアスを壊し、新しい顧客価値を共創していく。

そうでなければ、見えてこないニーズ、サービス、プロダクトがあるからです。

それは、デジタル革命の経営に対する影響力が非常に高まっているためです。

ビジネスにも、企業経営にも、テクノロジー理解が欠かせないものになっている中、コンピュータやスマートフォン、インターネット、ビッグデータ、AI(人工知能)、ロボット、自動運転、EV(電気自動車)、ドローン、ブロックチェーンといったテクノロジーをいかに自社の事業開発・組織開発に活かせるかが、企業の稼ぐ力を左右するようになってきています。

こうしたテクノロジーに若い頃から自然に触れている、「デジタル・ネイティブ」世代が、すでに活躍を始めているのです。

この世代こそ、次世代を担うにふさわしいスキルと感性を持っているのです。

これ以外にも「40歳社長が必要である」理由がいくつもあります。

さらにもうひとつ、日々、多くのビジネスパーソンと触れ合う中で伝えなければいけないと感じていたのが、新しい時代のキャリアづくりです。

リンダ・グラットン教授による『ライフ・シフト』でも言及されている通り、現在、50歳未満の人は100歳を超えて生きるだろうと予測されています。

つまり、「人生100年時代」が訪れるわけですが、これはすなわち働く期間も長くなっていくことを意味します。

日本ではこれから、人口減とともに労働人口の減少が進んでいきます。

一方で、テクノロジーの進化や顧客ニーズの高速変化から、ビジネスモデル寿命はどんどん短くなっていきます。

私たちを取り巻く働く環境は激変していくのです。

つまり、これまでのようなキャリアの考え方では、もうやっていけなくなる可能性が高いのです。

それに加えて、すでに日本でも流行語となっている「ダイバーシティ推進」や「働き方改革」も、働く環境を大きく変えていくでしょう。

学生の大企業人気は相変わらずですが、これからは「安定」の意味が変わっていきます。

本当の「安定」とは、安定した会社に勤めることではなく、「いつでもどこでも自分で稼げる人間」になっておく、ということです。

おそらくこれから、新しい時代の「安定的な働き方」をする人、そいう働き方を求める人が増えていくでしょう。

AIの登場も相まって、これまでになかった職種や職業が生まれてくるでしょう。

となれば、リーダーも経営も変わることは必然です。

未来のことは不確実で誰にもわからない、と言われます。

しかし、「これから数年で大変な変化が起きる」ことだけは確かです。

これからの時代に、何が起きるのか。

何が必要になってくるのか。

とりわけリーダーにとって、これからリーダーを目指す人にとって何が重要になるのか。

今は顧客インサイトをつかむのが難しい時代です。

しかも、ニーズは高速変化していきます。


人は大きく分けると、「現状打破」の姿勢の人と、「現状維持」の姿勢の人がいる。

現状打破の姿勢の人は、変化できるが、現状維持の姿勢の人は、変化に乗り遅れてしまう。

なぜなら、自分だけ現状維持しているつもりでも、その間に世間が変わってしまうからだ。

つまり、「競争相手は時代の変化」と言われる所以(ゆえん)だ。

そして、インターネットなどの新しいテクノロジーの登場により、その変化は加速している。

「次の時代は30代から40代の人たちが創っていく」

新たな時代の変化に対応していきたい。

どうして若い人材が抜擢される必要があるのか|人の心に灯をともす から

2017年7月31日月曜日

記事紹介|民意の衣

横浜市長選で与党が推薦する現職の林文子氏が3選を果たした。しかし安倍首相が姿勢を改めたことが奏功したとは想像しづらい辛勝であった。更なる悪化を押しとどめたとは言えるかもしれなが。

変化をもたらしたのは、何といっても1日の東京都議選での自民党惨敗と、内閣支持率の急落だ。それがなければ安倍首相が閉会中審査に出席することも、「丁寧な説明」をすることもなかったろう。

4日に発表された11日付の文部科学省人事では、初等中等教育局長が官房長に、高等教育局長が生涯学習振興局長に異動した。慣例からいえば屈辱的だ。しかし噂では他省庁から局長をあてがう内示が都議選前にあったというから、同省にとって最悪の事態は逃れたというべきかもしれない。

安倍首相に席上からヤジを飛ばさせたのも、低姿勢に一変させたのも、選挙結果や支持率という民意の衣である。就任以来、アベノミクスによる景気回復への期待が続いてきたが、その幻想も幻滅に変わったということか。

政権交代後、とりわけ「お友達」の下村博文氏が文部科学相になって以来、不可解な動きが省内に感じられた。端々に出てきたのは学習指導要領の「解釈改訂」、教科書検定の見直しなどだが、「ミサイル教育」は果たして教職課程コアカリキュラムにとどまらず次期指導要領解説の総則に「国民保護」を明記させるに至った。

森友・加計両学園の問題によって、ようやく不可解さに「忖度」という名が付いた。前川喜平・前事務次官に対しては「なぜ在任中に言わなかったか」という批判があるが、当時とてもそのような雰囲気になかったことは端目に見ても分かる。

首相が裸だと明らかになった7月が終わる。内閣改造後の残暑は過ごしやすいのか、はたまた止まらない汗が衆目にさらされることになるのか。

2017年7月29日土曜日

記事紹介|難の有る人生が、有り難い人生

難の無い人生が、無難な人生。難の有る人生が、有り難い人生

パッと見ると、難を避けて無難な方がいいかなと思ってしまうかもしれませんが、

「有り難い」と漢字で書くことで、困難が有ることも悪くないと思えるようになる。

エジソンもこう語っています。

『ほとんどの人が機会を逃してしまうのは、その機会が作業服をまとって、いかにもありきたりの仕事に見えるからだ。』

自分を育ててくれるものは、自分にとって都合が良かったり、すぐにありがたいと思えるような格好をしていないということ。

砥石は滑らかではないから、刃物を磨くことが出来るのと同じですね。

難|今日の言葉 から

2017年7月28日金曜日

記事紹介|足るを知る者は富む

ブッダは「嫉妬することで満足することがないから、明らかな智慧(ちえ)をもって満足するほうが優れている。明らかな智慧をもって満足している人を、嫉妬が支配することはできない」と述べておられます。

もしあなたが「足(た)る」を知る、つまり自分のもっているものの大切さを知り、ひとをうらやんでも意味がないという智慧をもつなら、もはや嫉妬があなたを支配することはないと語っているのです。

「足るを知る」ということは、「いま自分のもっているものを大切にせよ」ということです。

もともと「足るを知る」という言葉は老子(ろうし)の「足るを知れば辱(はずかし)められず」から来ています。

そして「足るを知れば辱められず」に続けて「止まるを知れば殆(あや)うからず(限度を知れば危険はさけられる)、もって長久なるべし」と語っています。

老子はこの説明として「名誉と身体とどちらが大切か、健康と財産はどちらが大切か、得ることと失うことはどちらが苦しいか、ひどく欲しいものがあれば、大いに散財する、たくさん持てばたくさん失う」といっているのです。

他人が何かをもっていても、それは健康に比べれば意味がない、もっているものは必ず失うようになるのだ、だからうらやんでも仕方がないといっているのです。

連合艦隊司令長官を経て、昭和天皇の侍従長として二・二六事件の際にあわや一命を落とすばかりの経験をし、天皇に請われて終戦時の総理大臣になった鈴木貫太郎(かんたろう)大将の座右の銘は「足るを知る者は富む」でした。

あれほどの名声地位をもつ鈴木貫太郎大将がこれを座右の銘にしていたということに深い感慨を覚えます。

堀口大学という詩人がいます。

芸術院会員で文化勲章をもらい、功成り名遂げたこの詩人に「座右銘」という詩があります。

「暮らしは分が大事です

気楽が何より薬です

そねむ心は自分より

以外のものは傷つけぬ」

人をそねみ、うらやんでも、結局うらやむ自分が傷つくのだという詩です。

これはほんとうにわたしたちの心を動かす詩です。

さらに「気楽が何より薬です」という言葉には「気楽になることが人生の目的だ」という意味も含まれているように思えます。

江戸時代の禅僧で書画をよくして博多の仙厓(せんがい)和尚は「寡欲(かよく)なれば即ち心おのずから安らかなり」と書いています。

つまり自分のもっているものに満足し、多くを望まない、うらやまない、他人のもっているものを欲しがらないということを実践すれば、心は自然に楽になると教えているのです。

「皆さぁ、自分が賢いとか、できる人間だとか思っちゃダメだよ。

私も含めて、皆バカなんだから早くバカに気付かないと。

バカだってわかれば人間慎重になるから」(所ジョージ)

自分は大(たい)した者じゃない、と思うことができるなら、分をわきまえることができる。

分をわきまえるとは、「身の程(ほど)を知る」ことであり「背伸びしない」、「我を張らない」ことであるが、それが「足るを知る」ことにつながる。

また、自分に良い意味でのプライドや誇りを持つことは大事だが、それが前面に出てしまい、鼻につくようになったら人から嫌われる。

「さらに、もっともっと欲しい」と、足るを知らない人や欲深い人は、不平不満や文句が多い。

「足るを知る者は富む」

人と比較をせず、今ある幸福に気づきたい。

足るを知る者は富む|人の心に灯をともす から

2017年7月27日木曜日

記事紹介|日本の大学が国際化するには

日本の大学の国際化がなかなか進まない。世界大学ランキングで上位に顔を出すのは一握りで、留学生の受け入れ比率なども世界的に低い水準だ。東京大学で正規職の外国人教員として32年間教え、今春退官したロバート・ゲラー名誉教授は「日本の大学が国際化するにはガバナンス(統治)改革が不可欠」と訴える。

▶外国人の目に日本の大学はどう映りますか。

「私は1984年、東大の任期なし外国人教員第1号として米スタンフォード大から招かれた。恩師が東大出身だったので、オファーを受けたときに迷いはなかった。だが当時も今も、外国人が移籍したいと思う日本の大学はほとんどない。大学運営も世界標準から大きく外れている」

外国人教員5%

「なかでも奇異に感じたのが2011年、東大が秋入学への移行を検討し始めたときだ。欧米の多くの国が秋入学なので、日本もそれに合わせれば国際化が進むという単純な発想だったようだが、議論は紛糾し、結局先送りになった」

「学内討論会が開かれたとき、私は『なぜそんなマイナーな問題にこだわるのか』と当時の学長に問いただした。国際化を目指すなら、もっとやるべきことがあると」

▶それは何ですか。

「最も大事なのは優れた外国人教員を任期なしで多く採用することだ。英米の一流大では外国人比率が3~4割に達し、多様性の高さが研究や教育の質を高めている」

「一方、日本では外国人教員は5%程度しかおらず、大半が3~5年の任期付きだ。せっかく日本に来ても任期中から次の就職先を探さねばならず、日本語を学ぶ余裕すらない。結局定着できず日本を去ってしまう」

▶なぜ外国人を増やせないのでしょうか。

「ひとつの理由は日本では各専攻で少人数の教授たちが人事権を実質的に独占していることだ。教授会で審査されるが、覆ることはほぼない。しかも採用基準が曖昧で、自分の弟子や仲間だけが条件に当てはまるようにしている。外部に優れた人材がいても確保できず、大学がタコツボ化している。自治に名を借りた悪平等だ」

「一方、欧米の有力大では教員を採用するとき、一流学術誌に掲載された論文数や引用数といった定量的評価と学外の第三者による定性的な評価を併用し、大学が本当に必要とする人材を国内外から選んでいる」

▶何を改めるべきですか。

「米国の大学には学長に次ぐ『プロボスト』という職があり、学務全般や人事で強い権限をもっている。プロボストが外部人材を交えた諮問委員会をもち、運営方針や人事を諮ることもある。日本の大学も同様のポストを設け、ガバナンスを改革することが不可欠だ」

「米スタンフォード大が運営理念として『Steeples of excellence』を掲げ、実行しているのは参考になる。Steepleとは尖塔(せんとう)のことで、戦略的に強化すべき分野を決め、世界トップの研究者や学生が集まるように採用も戦略的に行っている」

「もしも研究や教育の水準が下がってきたら、諮問委員会が再生委員会のように機能し、立て直しに何が必要か、外部からどんな人材を招くべきかを学長に助言する。日本の大学にもこうした組織が欠かせない」

英語教育に欠陥

▶日本の学生の学力に問題はありませんか。

「学生の英語力が足りないので英語で授業ができず、外国人教員を呼べないという悪循環は確かにある」

「東大は大学院入試に英語能力テストTOEFLを取り入れているが、米国の一流大の合格水準に達する学生はほとんどいない。日本人は中学から大学まで8年間も英語を学び、トップクラスの東大でもこの程度というのでは、日本の英語教育全体に重大な欠陥があると言わざるを得ない」

「ただ英語力をつけるのは大学入学後でも遅くない。私の専攻で約10年前、英語で話す力、聞く力を伸ばすため、週2回、年90時間程度の特別講義を始めたら、TOEFLの点数が目に見えて伸びた。例えば夏休み中に集中的に特訓すれば英語力はかなり伸ばせる。こうした授業にこそ予算をつけるべきだ」

▶安倍政権は高等教育の無償化を検討するとしています。

「政権の求心力が低下するなか、場当たり的に言っている印象が強い。日本の大学の国際化の遅れは、既に競争力の低下を招いている。教育格差を解消できるなら悪いことではないが、無償化と引き換えに大学の予算や人員が削られることになれば、大学は瓦解する。それでは本末転倒だ」

大学国際化の課題 東大名誉教授 ロバート・ゲラー氏 タコツボ排し統治改革を|日本経済新聞 から

2017年7月26日水曜日

記事紹介|組織の動かし方、仕事の進め方(2)

(続き)
知識の深さと広がりが判断の的確性と柔軟性を育む

次に、仕事の進め方について、主として大学職員を前提に考えてみたい。

近年、業務の多様化や高度化を背景に、教職協働、より高い専門性や企画・立案力等を大学職員に求める傾向が強まっている。このこと自体、決して間違いではないが、高度な専門性も企画・立案力も、的確かつ効率的に仕事を進める能力の上に積み上がっていくものであり、このような能力を持続的に高められる環境が整っているか、個々の大学の実情も含めて厳しく点検する必要がある。

下図は、仕事を進める上で必要な能力を、学士力や社会人基礎力を含むこれまでの議論も踏まえつつ、整理したものである。白地は、主として学校教育段階でその基礎を身につけるべき能力であり、網かけは、仕事や職場での経験を通して養われる部分が大きいと思われる能力である。以下では後者を中心に論じることとする。


図は、下から上に向かう構造となっており、土台としての自己管理能力から始まり、組織内で信頼を蓄積し、それに基づいてリーダーシップを発揮できる状態に到達するまでに、求められる能力要素を整理している。ここでいうリーダーシップは、役職等の地位に関係なく発揮できる能力を意味する。

自己管理能力は課外活動を含む学校教育段階で一定程度身につけることができるが、職業生活においては、職場規律、チームワーク、生産性等に影響することもあり、格段に厳しくその能力が問われることになる。就職直後に関わり合う上司・先輩の影響はとりわけ大きい。

知識については、学校教育で得るものに加えて、職務上の知識をOJTまたはOff-JTで身につけなければならない。

ここで重要なのは、表層的な知識にとどまることなく、その本質まで掘り下げるとともに、周辺領域や関係領域まで広げて知識を習得する必要があるという点である。

職務上必要な知識に深さと広がりを持たせることで、正確な理解に基づいた的確な判断が行えるようになるだけでなく、根本的な原理・原則を押さえた上で、より柔軟な判断や創意工夫を行う余地も広がる。

どのようにすればこのような深さと広がりのある知識を身につけることができるかは、育成上重要な課題である。

価値観や考え方を組織文化として定着させる

中段右側の要領、手順、段取りは、生産性に直結する要素である。仕事の優先順位づけもこれに含まれる。特に、上位者の段取りの巧拙は、部下の働きやすさや職務満足感に大きな影響を与える。

組織全体の生産性を高めたいならば、これらの能力に長けた人材を一人でも多く育成すべきであるが、座学でノウハウを伝えても、仕事の経験を積ませても、容易に身につくものではない。

このような能力に長けた上司や先輩が周囲におり、その仕事ぶりを見ながら、職場学習を重ねていくことが最良の方法である。

中段左側の信念、価値観、考え方も、生産性や仕事の質に関わる重要な要素である。誰のために、何を重視して仕事をするかは価値観の問題であり、「日々改善」、「良い品(しな)、良い考(かんがえ)」等に代表されるトヨタ生産方式の思想等は、本稿でいう考え方に相当する。

学ぶべき事例は大学にもある。坂田昌一教授率いる名古屋大学の物理学教室が、全ての教員と大学院生が対等な立場で自由に議論する体制を憲章に定め、定着させてきたことが、今日の研究水準の高さに繋がっていると言われている。小林誠・益川敏英両教授のノーベル物理学賞受賞はその象徴である。

要領・手順・段取りも信念・価値観・考え方も促成栽培に馴染まない能力であるが、一度身についた能力や定着した組織文化は容易に廃れない。これらの能力を培うための息の長い取り組みを展開すべきである。

誠意ある仕事の積み重ねで信頼を蓄積する

説明能力は、学校教育段階でも養われるが、仕事においては多様なシチュエーションで、その時々に応じた説明が求められる。説明を受ける相手の状況を踏まえた工夫や配慮も必要である。

要旨をA4一枚にまとめ、ざっと目を通しただけで内容を把握できる文書を作成し、短時間に簡潔に説明する能力も養っていく必要がある。

あまりに具体的で細かすぎる話ではあるが、実際の仕事はこのようなことの積み重ねでもある。相手の立場やニーズに配慮しながら、互いにストレスを感じないように、誠意を持って仕事をする。その繰り返しの中で、コミュニケーション能力が磨かれ、チームワークや協働する力が身についてくる。

それが信頼に繋がり、信頼が蓄積されることで、他者に対する働きかけが有効に機能するようになる。リーダーシップの発揮とはこのような状況を意味する。

実践的で体系的なプログラムの開発が不可欠

最後に、組織の動かし方と仕事の進め方の基礎となる能力を身につけるための方策について考えてみたい。

前者については、学長、副学長、学部長、事務局長等を対象とする組織の動かし方に焦点をあてた体系的な教育プログラムを開発し、一定期間集中して受講できる形で開講することを提案したい。

そのプログラムでは、経営学の基礎的な知識を体系的に学んだ後、実際に組織を動かしてきた企業経営者の話を聴き、それらを踏まえて、ワークショップ形式で大学組織を動かすために何が必要かを徹底的に話し合う。

このような体験を通して、組織を動かすための考え方や方法が理解できれば、あとは経験を重ねることで能力が身についてくるはずである。組織を動かすための何の準備もなく、マネジメントを行えるほど、大学が置かれた環境は甘くない。

仕事の進め方については、上司・先輩の仕事ぶりに学ぶことができれば、それが最良の方法だが、恵まれた育成環境にある職場ばかりではないだろう。そのためにも、実践的な知をベースにした教育プログラムを開発し、座学とワークショップを組み合わせた学びの機会を準備する必要がある。

大学をより良い方向に導くためにも、組織の動かし方、仕事の進め方のそれぞれに関する実践的能力を有した人材の育成に、設置形態を超えて早急に取り組む必要がある。

組織の動かし方と仕事の進め方に関する実践的能力をどのようにして高めるか|吉武博通  公立大学法人首都大学東京理事|リクルート カレッジマネジメント から

2017年7月25日火曜日

記事紹介|組織の動かし方、仕事の進め方(1)

「ハード」の変革から「ソフト」の工夫へ

「改革」を通して大学はより良き方向に向かっているのだろうか。組織や制度を変えることは改革の手段であり、目的ではない。また、組織や制度を変えたからといって、それが直ちに教育研究の高度化や経営力の強化に結びつくわけではない。

組織が目指す目的・目標を構成員が十分に理解し、その達成に向けて個々の能力を高め、最大限に発揮しつつ協働する。そして、組織内の至る所で自発的かつ持続的な改善が展開される。このような状態を創り上げることこそ改革の究極の目的である。

組織・制度の見直しは、そのための「ハード」の変革と言えるが、実際に組織をどう動かし、仕事をどう進めるかという「ソフト」とも呼ぶべき要素を重視し、その能力を高めることも極めて重要である。

例えば、学長が決定する事項と学部または学部長に委ねる事項を見直すことは、組織・制度に係るハードの問題であるが、学長が必要な情報を集め、如何なる判断を行い、下した決定をどう伝え、実行を促すかはソフトの問題と言える。近年のガバナンス改革は前者を中心としたものであり、後者は学長個人の能力や経験に委ねられたままである。

次に、職員の業務を考えてみたい。教員組織と職員組織の間の機能・権限分担、職員組織における部署間の機能分担や職階間の権限関係等はハードの問題であるが、実際の仕事をどう進めるかは、ソフトの問題である。教育研究に対する効果的な支援、学生サービスの質、業務全体の生産性等は、ハード面のみならずソフト面に左右される部分が大きい。

働き方改革や生産性向上は我が国全体の課題とされている。リーダーシップ、人材育成、仕事術、データ分析、プレゼンテーション等、組織の動かし方や仕事の進め方を扱った啓蒙書や雑誌の特集も多く、ビジネスの現場における関心の高さが窺われる。

これまで、合意プロセスや規則・前例に則った手続き的側面が重視されてきた大学においても、教育研究の質の高度化や経営力の強化を進める上で、組織の動かし方と仕事の進め方に関する実践的能力が、より求められるようになってきた。

本稿では、組織を動かすという観点から「会議」のあり方を根本的に見直すことを提案した後、仕事を進める場合の工夫・改善点を、具体的な場面に即して検討する。その上で、それらの基礎となる考え方やスキルを如何にして身につければ良いのか、大学組織の特質を踏まえながら考えてみたい。

「会議」は組織を動かす最大の手段

大学において組織を動かすために重要な役割を果たしてきたのは、「会議」、「規則」、「資源配分」であろう。その中でも、規則や資源配分が会議によって決定されることを考えると、「会議」の役割はとりわけ大きく、組織を動かす最大の手段と言える。

そのことを象徴するように、教員か職員かを問わず、上位役職になるほど会議に時間が取られ、実務を担う職員は、日程調整、資料作成、事前説明、会議の設営、議事録作成等に多大な労力と時間を費やすことになる。

学長、副学長、学部長等会議を主宰する立場の役職者は、事務局が作成した議事次第と進行メモに沿って会議を運営し、その事務局も前任者から引き継ぐ形で、期限を切って各部署から審議事項や報告事項を提出させ、決まった手順に従って会議の準備をする。

仮にこのような状態であれば、当事者意識を持って会議に臨む者が不在のまま、型通りの会議が繰り返されることになる。「会議を活かす」という主宰者や事務局の能動的な姿勢が不可欠である。

既に、種々の改善に取り組んでいる大学もあるだろうが、単に会議数を減らしたり、会議時間を短縮したりするだけでは、学内コミュニケーションの密度を低下させることになりかねない。

会議の本来の目的を再確認し、目的にふさわしい形に組み替えるとともに、それに沿って運営方法を改善することで、組織の動かし方が大きく変わり、大学運営が飛躍的に活性化する可能性がある。

中長期的な方向づけに関する課題を重点審議

会議には、①意思決定、②方針伝達、③コミットメント、④進捗管理、⑤情報共有、⑥問題発見、⑦アイデア創出、等の目的があり、通常は複数の目的を兼ねて開催されることが多い。

そのうちの「意思決定」については、大学の場合、各組織の代表者が参画し、適正なプロセスを経て決定がなされたことを明確にすることで、構成員の納得を得るという意味合いが強い。しかしながら、それだけで教員組織や職員組織の第一線まで方針通りに動かせるかといえば、それほど容易ではない。

組織を動かすために最も重要なことは、組織が向かう方向、目指す姿を明確に示すことであり、なぜそれを目指すのか、その背景にある現状認識や考え方を広く共有することである。

そのためにも、付議事項を真に重要なものに絞り込む必要がある。国立大学法人の役員会や経営協議会、学校法人の理事会等は、中長期的な方向付けに関する審議に重点を置き、短期的または日常的な事項の決定については、理事長・学長や担当理事等の執行に委ねるべきであろう。

また、審議資料は結論のみを記すのではなく、結論に至る背景や考え方が理解できるように工夫する必要がある。実際の資料作成は職員が担うことが多いと思われるが、資料を作成するプロセス自体が、情報収集力、企画構想力、論理的説明能力等を鍛える。また、検討にあたっては教員とも他部門の職員とも話し合わなければならない。サイロ化と呼ばれる自部門だけに閉じがちな意識を払拭し、教職間や部門間が連携・協働する契機ともなり得る。

さらに加えるならば、重要な戦略課題をどのタイミングで付議するか、年間スケジュールの中で予め決めておくことで、問題を先送りすることなく、検討を促進することができる。

会議を変えれば組織が変わる

2つ目の目的である「方針伝達」については、会議で説明すれば第一線まで伝わると安易に考えるべきではない。

全学的な方針に対する教員の関心は、自らの利害に関わらない限り、総じて低い。伝えるべきことがあれば、確実に伝わるように、説明会を設けたり、学長・副学長が学部・研究科に出向いて直接説明したりする等、最良の手段を講じるべきである。

会議は、計画や予算を決定する場であると同時に、決定に基づく実行を約束し合う場でもある。これが目的の 3つ目に挙げた「コミットメント」である。その上で、節目ごとに「進捗管理」を行い、問題があれば新たなアクションを打つことになる。

5つ目の「情報共有」とは、大学を取り巻く諸情勢や政策動向、志願者・入学者、教育・研究・学生に関する状況、進路状況等であり、会議報告を通じて共有することを目的とするものである。IR機能の充実と一体となって取り組む必要がある。

進捗管理や情報共有を行う中で、解決すべき問題を見つけるのが 6つ目の「問題発見」である。会議に報告される種々の実績データは、当該年度だけか、前年度との比較を加えたものにとどまることが多い。これを 5年ないし10年程度の時系列データとして眺めてみると、気づくことが増え、解決すべき問題がより鮮明に浮かび上がってくる。

「アイデア創出」も会議の重要な目的の一つだが、通常の全学的な会議にこの機能を期待することは難しい。フランクに話し合い、豊かな知恵を出し合える規模や構成を工夫する必要がある。

既に述べた通り、大学において会議は組織を動かすための最大の手段である。これらの目的に沿う形で会議のあり方を変えることができれば、大学組織は大きく変わるはずである。(続く)

組織の動かし方と仕事の進め方に関する実践的能力をどのようにして高めるか|吉武博通  公立大学法人首都大学東京理事|リクルート カレッジマネジメント から

2017年7月24日月曜日

記事紹介|心を届ける

土砂降りの中、濡れないように配達した郵便物をお渡しすると、おばあさんはびっくりしたように私のことを見ました。

「あらあら。すごい降りで、頭からビッチョリだね。大丈夫かい?」

優しい一言が、どんなに嬉しいか。

我々が届けているものは郵便でも荷物でもなくて、人の心だと思っているので、心の言葉をいただけると何より元気になります。


郵便局の方が届ける手紙や小包はそのものの価値よりも、そこに込められている送り手の気持ちが本当の届けたい物。

松下幸之助氏のこんな話も有名です。

『ある日、幸之助氏が、工場でつまらなそうな顔をして電球を磨いている従業員に、「あんた、良い仕事してるで~」と言ったそうです。

「毎日、同じように電球を磨く退屈な仕事ですよ。」と愚痴を言う従業員に、幸之助氏は、「本読んで勉強してる子どもらがおるやろ。そんな子どもらが、夜になって暗くなったら、字が読めなくなって勉強したいのにできなくなる。そこであんたの磨いた電球をつけるんや。そうしたら夜でも明るくなって、子どもらは夜でも読みたい本を読んで勉強できるんやで。あんたの磨いているのは電球やない。子どもの夢を磨いてるんや。暗い夜道があるやろ、女の子が怖くて通れなかった道に、あんたが磨いた電球がついたら、安心して笑顔で通れるんや。もの作りはものを作ったらあかん。その先にある笑顔を作るんや。』

皆さんが扱っているものには、誰の、どんな心が乗っていますか。

心を届ける|今日の言葉 から

2017年7月23日日曜日

記事紹介|「協働型研究開発コモンズ」がイノベーション効果をもたらす

科学技術への多岐にわたる期待とは裏腹に、世界的に人材育成、研究活動は財政難にあえいでいる。実際、わが国も厳しい財政情勢の中で、現実に可能な経済支援は、局所的対症治療ないし現体制の延命措置を施すに過ぎない。今日のみならず次世代社会にも持続的に適合する科学技術の経営基盤を築くためには、根本的な発想の転換が求められる。あらゆる知恵を結集して、学術的、社会的目的達成のために、現状打開を図らねばならない。

わが国の研究生産性の低迷

わが国は、研究費総額18.9兆円(うち国費は3.5兆円で19%、民間資金が72%)、研究人口68万人(うち大学教員18万人で、民間が7割を超す)を投入する。生産性の一指標である科学論文数約7万5千本は世界5位であるが、残念ながら、被引用数トップ10%論文が10位、トップ1%論文は12位と低調で、ここ10年間、全分野について下振れ傾向にある。米国、中国など大国のみならず、研究開発費、研究人口の少ない国々の後塵を拝する惨状にある。これらは主に大学、公的研究機関が関わる活動状況を示すが、その充実、改善のためには、既成の体制への単純な資金の拡大、人頭の増加ではなく、当然資金配分法の改革、研究人材の内容向上が求められる。しかし、不振の主たる原因は、大学の教育研究に関わる守旧的価値観の岩盤、それがもたらすイノベーション効果の欠如であり、ぜひともこのシステム・クライシスを克服しなければならない。

新たな目標に対応すべく既存組織は戦略的に縮小すべし

今世紀に入り、わが国のみならず、世界の高等教育、研究開発システムは、社会の要請に十分に応えられていない。とりわけわが国ではその理由を公的財政支援の不足とする意見は多く、筆者も理解はするが、単なる資金増だけでは問題解決には至らない。急激に経済発展する中国を例外として、10年後の各国の公的研究開発費は、楽観的に見ても現在の2倍には届くまい。しかし、総額の制限にもかかわらず、科学技術界には現行の活動に加え、新たに「知の共創・再構成」、「第4次産業革命」、COP21の主題であった「地球温暖化問題」、国連で採択された「仙台防災枠組み2015-2030」、「持続可能な開発のための2030アジェンダ(SDGs)」などの巨大な国内的、国際的諸問題への早急な対応が求められている。

ものづくり産業に例えれば、一定量の資金と人材の投入下に、高品質製品の継続的生産と並行して、既存技術では困難な多種の新製品の開発が要求される状況とでも形容できよう。このような一見理不尽とも言える要請に立ち向かうには、自ずと科学技術研究開発の全体制の見直し、大学組織の再編と刷新、そして新たな仕組みの創出が不可避となる。おそらく「社会総がかり」の整合的協働を促すエコシステムの構築が必要となろうが、このシステム・イノベーションのみが、生産性の向上と質的大転換の双方を矛盾なく実現しうる。困難でも挑戦しなければ、国家のみならず文明社会の存続が危うい。

現行の研究教育体制は、20世紀社会の繁栄に大きく貢献してきた。しかし、もし研究社会がこの価値観を是とし、自らの努力でその維持、存続を目指すならば、関連する多くの経済的要素を所定のものとして活動していく(いわゆる「内部化」)ことが絶対に不可欠である。主たる例をあげれば、現在は外部要素として扱う国家財政負担の拡大への期待はほとんど現実的でない。大学や研究機関は目標の如何を問わず、真の戦略性をもって人件費はじめ固定費を変動費化して、規模を可変化、時には思い切って縮減して変化に対応していかなければならない。

そして「協働型コモンズ」の形成へ

いかなる変革も、質の劣化と活動度の低下を招いてはならない。国立大学は、現体制温存により巨大な累積資本価値の維持に固執するが、ひとたび環境変化への対応を誤れば、一挙に経営破綻を招く。世界は技術革新の波を受けて、あらゆる観点から、共有社会(sharing society)に移行しつつある。そうであれば、研究開発においても必要なあらゆる資源、例えば、資金、人材、モノ、基盤、情報を個々の専有から、組織の壁を越えてより効果的な共有、共同利用に移行すべきである。

もとより一定の初期投資、固定費は必要であるが、多様な共有型の仕組みを縦横に駆使することが「限界費用(marginal cost)」、つまり物やサービスを1単位追加して提供するために要する費用を、実質的にゼロに向かわせる。このパラダイムシフトが、世界が共通に遭遇する難題、すなわち研究開発費の過大な社会負担の軽減に大きく寄与することは間違いない。いかなる国においても、国内資源は限定的であり、不足分は国際連携、協力で補うことになる。さらに、旧来のアカデミアの価値観を超えて、より積極的に多様な社会的知的資産の創出を通して「外部効果の拡大」を目指すべきである。筆者はジェレミー・リフキンが唱える「協働型コモンズ」の形成こそが、疲弊した現行の研究教育組織の「戦略的縮小」による真の合理化と高度化を促し、さらに本質的なことは、そこに生まれる余剰資源の活用による社会的存在意義の拡張への道であると考えている。行政も大学現場も、既存体制への公的資金投入量の多寡を案ずる前に、協働型コモンズ形成による巨大な社会経済効果に目を向けてほしい。

過去の社会の変化、特にサービス部門の変遷を振り返れば、資金、人材投入の低減は、しばしば組織の合理化、高度化を促してきた。常に負の効果をもたらすとは限らない。価値観を変換したい。近年台頭する共有型経済(sharing economy)、例えばUber(企業価値6兆円のライドシェア)やAirbnb(短期滞在の共同宿舎)などの繁栄も、すでに頂点を極め成熟期にある市場資本主義経済からの、合理性ある転換かもしれない。

情報技術革新を背景とするこの改革こそが、研究教育の質の抜本的向上の切り札ではないか。キャンパス拠点型、ネットワーク型を問わず、多様な高度専門家の自律的な分散、統合による「協働型コモンズ」が「価値の共創」を可能にする。かつての独創に加え、共創の積極的推進が、将来の科学技術発展を約束する。研究者たちは、自らが目指す課題の解決に、従来とは異なる共同活動で向かう。既成の専門性を超えた国内外のあらゆるセクターとの関与が可能となる。

この新たな自律的統治の舞台は、既存の大学組織の研究科や学部の存在意義を極度に薄れさせよう。伝統的な専門分野閉鎖的、垂直統合型アカデミアの崩壊を促すが、社会全体から見れば、決して悪いことではない。

研究教育のオープン化へ

高等教育のオープン化については、大規模公開講座を無料でインターネット受講できるMOOC(massive online open course) プラットフォームである米国のCourseraやedXなどが、すでに成功を収めている。著名な教授と世界の広範な学生たちが一体的、双方向に教育に参画する。わが国では使用言語の問題もあろうが、自然科学のみならず、人文学、社会科学でもまずは日本語で試みてはどうか。学生たちの視野と教養の幅は格段に広がるはずである。

1980年以降に生まれたディジタル・ネイティブの思考力と実行力は、我々には計り知れない。新領域開拓に挑む若者は、感性にあふれ極めて優秀であり、必ずこの合理性へ挑戦してくれよう。科学技術界に長く続く慣習の壁が、先見性ある彼らの道を阻んではならない。

高度測定機器の共用プラットフォーム

再度、わが国研究社会が直面する現実問題に戻りたい。公的研究開発費の投入は、国全体の学術の発展、科学技術力の強化に資するべきである。現在の大学の個々の研究者への分散的資金配分は創造的成果の生産を促すものの、とかく単発の学術論文生産のための「経費の供給」にとどまる。これだけでは、国全体として研究への「投資効果」が最大化されているとは言い難い。さらに近年の競争的研究資金の特定大学寡占化は、大多数の大学における研究を甚だしく困難にしている。汎用性ある高価な先端測定機器の活用について「限界費用」をゼロに近づけるべく、可能な限り多くの研究者が共用できる「協働型コモンズ」を戦略的に整備してほしい。

国が建設する巨大な加速器やスーパーコンピュータなどの国家基幹技術については、法的に共同利用の取り決めがなされている。数々の特色ある大学共同利用機関の施設の活用もなされている。米国では人工知能の普及を目指し、民間のグーグル社が理化学研究所の「京」の18倍の計算能力を持つスーパーコンピュータを研究者向けにクラウドで無料開放するという。

さらに多種の高価な中規模計測・分析装置についても、個々の大学や研究者が占有することなく、地域ごとに集積、あるいはネットワーク型に管理して、利用の最大化を図るべきである。そこには大学人のみならず、産官学さらに外国からも多様な人たちが集い、迅速な研究が促され、その結果幅広い知の共創、新技術開発、ビジネス・イノベーションが生まれるはずである。2012年発足の文部科学省のナノテクプラットフォームには全国26法人40機関が参画するが、その行方に期待するところ大である。

このような高度測定機器の共用プラットフォームは単なるサービス提供者ではなく、研究実践の場でもある。共同組織の健全な存続、発展のためには、大学と同様、公共的自立心が不可欠である。まず多様な専門家の確保、利用者たちに対する存在意義の説得、そして安定経営のための国、自治体、研究機関、大学、産業界等による応分の財政負担が必要である。既に売り上げが1800億円に達する受託分析企業との連携も円滑な運営に寄与するであろう。測定機器の集積、共用のみならず、生体材料や化学薬品の大規模在庫管理、活用についても、効果的な仕組みが必要と考える。

「協働型研究開発コモンズ」がイノベーション効果をもたらす|野依良治の視点|研究開発戦略センター(CRDS) から

2017年6月29日木曜日

記事紹介丨モラールアップ

モラールアップ経営とは、たんなるテクニックで成りたつものではありません。

いわば、社長の考え方や生きざまそのものです。

ここで肝心なのは、社長の考え方や生きざまを、どうやったら社員すべてに浸透させるかということです。

一人で威張っているだけでは、社員たちに理解させ、行動につなげることはできません。

そこで、「知らしめること」の重要さが出てきます。

たとえば、会社を訪れたお客様から、職場の環境が「きれいだね」、「美しいわね」というお褒めのことばをいただいた場合、一部の関係者だけが喜ぶのではなく、全員にこの事実が伝わる仕組みができていることが、大切なのです。

社員旅行に出かけたときに、当社の社員がバスのなかにピーナツ一つ落とさないので、バスガイドさんから「これだけ騒いで、これだけバスをきれいに使う団体さんはほかにない」と褒められる、といったことも同様です。

褒められたことを、全員が知ることが大切だと思います。

こうしたことの積みかさねが、社員自身のなかに誇りを育てていきます。

社員一人ひとりの日々の言動が向上し洗練されていくと、幸福感が高まり、やがて結果的に業績にも反映されていくように思います。

私は、経営とは「知らしめること」であると思います。

経営者は、話し上手、伝え上手でなければなりません。

伝えることがうまくいかないと、経営はうまくいきません。

経営とは伝えることであると言ってもよいでしょう。

どんなに高い志も、話が下手では伝わりません。

古今東西、人間は、伝えることにどれほどのエネルギーを費やしてきたことでしょう。

企業も行政も、「伝える」ために大きな費用を使い、情報産業は巨大なものに育っています。

会社として、お客様に向けては多大な費用と労力を使って伝えていますが、それと比較して会社の内部に伝えることに重きをおいている経営者は少ないのではないでしょうか。

トップの理念や考え、指示やその目的を社員に伝え知らせることは、モラールアップの最大の手段であると思います。

組織のトップは、組織を構成する人たちに徹底して自分の考えを知らせる努力をしたいものです。

情報を、バラバラでなく系統立てて伝え、それを必要とする社員が等しく共有するということをきちんとやっていれば、おのずから社員の行動様式はまとまり、モラールも向上していきます。

ガラス張りで隠しごとをしないことも、情報伝達を円滑に行うためには大事だと思います。


トヨタの元社長、張富士夫氏の素晴らしい言葉がある。

『私は「人づくり」のキーワードは、「価値観の伝承」だと思います。

つまり「ものの見方」を伝えること。

「これがいいこと」「これが大切」ということを、「現地現物」で後輩に理解させ、伝えていくこと』

どんなに高邁(こうまい)な夢や理念があろうと、それが誰にも伝わらなかったら、それは無いのと一緒。

また、素晴らしいアイデア、すぐれた商品、抜きん出た発想、なども同じこと。

価値観とは、何(どこ)に価値があるかという判断をするときの、根本となる考え方や見方のこと。

だから、価値観を伝えるということは、考え方や見方を伝えること。

「知らしめること」に全力で取り組みたい。

知らしめること|2017年6月28日人の心に灯をともす から

2017年6月28日水曜日

記事紹介|僕たちができることがあるはずだ

前回はフェイスブックの創設者であるマーク・ザッカーバーグ氏が5月末に米ハーバード大学の卒業式で行った祝辞を取り上げました。

彼は祝辞の中で「目的」の大切さを強調し、次のように語りかけました。心にとまった表現の一部を、私なりの解釈でご紹介します。


僕らは、大きな目的に向かって進むことが必要だ。大きな目的に進もうとすると、狂人扱いをされてしまう。「何をやっているのかわかっていない」と非難される。でも、事前に全部わかっているなんてことは不可能だ。ミスを恐れるあまり、何もしないでいたら、結局何もできなくなる。

僕らは僕らの世代の課題に取り組むべきだ。気候変動問題(温暖化問題)に取り組むのも、すべての病気に関する遺伝子データを集めるのも、オンラインで投票できるようにして民主主義を現代化することも、やる価値がある。みなが目的を持って取り組むこと。みなが目的を持てるようにすること。それが大切なのだ。

そして、誰もがその目的に参加する自由を持てるようにすることだ。

しかし今日、僕らの社会は深刻な格差の問題を抱えている。その格差のために、誰かがアイデアを実行に移すことができなかったら、それはみんなにとっての損失になる。

僕は大学を中退して何十億ドルも稼げたけれど、その間に何百万もの学生が学費ローンの支払いに困り、自分たちのビジネスを始めることができないでいる。そんな社会は間違っている。

よいアイデアを持ち、頑張って働いたからといって、誰もが成功するわけではない。運も必要になる。新しい挑戦を始められるような余地がなければ、起業は成功しない。人々が安心して起業に取り組めるような余裕が社会に必要なのだ。

誰もがミスをする。だからこそ、一度失敗したら、それで社会的に抹殺されることがない社会が必要だ。

ミレニアル世代(1980~2000年ごろに生まれた世代)にアイデンティティーを問うと、一番多い回答は国籍でも民族でもなく、「世界市民」だという調査結果があるという。

世界の人々と協力して、僕たちは世界から貧困や病気を終わらせることができる世代でもある。気候変動問題や世界的な感染症の拡散について、どの国も一国だけでは対処できない。グローバルな協力関係が必要なのだ。

人々が自分自身の人生に目的と安定を感じて生きられるとしたら、人類は、他の地域の人たちの問題について手を差し伸べることが可能になる。だからこそ、そのために僕たちができることがあるはずだ。

スピーチの秘訣とは 言葉は力強く、理想堂々と|2017年6月19日日本経済新聞 から

2017年6月23日金曜日

記事紹介|今日は、記憶の継承「慰霊の日」

沖縄は今日(6月23日)、20万人を超える人が亡くなった沖縄戦から72年となる「慰霊の日」を迎えました。関連記事をご紹介します。

沖縄 あす慰霊の日 大田元知事を偲んで|2017年6月22日東京新聞

沖縄県の大田昌秀元知事が亡くなりました。鉄血勤皇隊として激烈な沖縄戦を体験し、戦後は一貫して平和を希求した生涯でした。沖縄はあす慰霊の日。

人懐っこい笑顔の中に、不屈の闘志を感じさせる生涯でした。

今月12日、92歳の誕生日当日に亡くなった大田さん。琉球大学教授を経て1990年から沖縄県知事を8年間、2001年から参院議員を6年間務めました。

ジャーナリズム研究の学者として沖縄戦の実相究明に取り組み、知事時代には「絶対に二度と同じ悲劇を繰り返させてはならない」との決意から、平和行政を県政運営の柱に位置付けます。

「平和の使徒」として

敵味方や国籍を問わず戦没者の名前を刻んだ「平和の礎(いしじ)」を建立し、沖縄県に集中する在日米軍基地の撤去も訴えました。

「全ての人々に、戦争の愚かさや平和の尊さを認識させるために生涯を送った『平和の使徒』だった」。長年親交のあった比嘉幹郎元県副知事は告別式の弔辞で、大田さんの生涯を振り返りました。

大田さんはなぜ、学者として、そして政治家として一貫して平和の大切さを訴えたのでしょうか。

その原点は、大田さんが「鉄血勤皇隊」として、凄惨(せいさん)な沖縄戦を体験したことにあります。

太平洋戦争末期、沖縄県は日本国内で唯一、住民を巻き込んだ大規模な地上戦の舞台と化します。当時、40万県民の3分の1が亡くなったとされる激烈な戦闘でした。

鉄血勤皇隊は、兵力不足を補うために沖縄県内の師範学校や中学校から駆り出された男子学徒らで編成された学徒隊です。

旧日本軍部隊に学校ごとに配属され、通信、情報伝達などの業務のほか、戦闘も命じられました。女子学徒も看護要員として動員され、学校別に「ひめゆり学徒隊」などと呼ばれます。

醜さの極致の戦場で

沖縄県の資料によると、生徒と教師の男女合わせて1987人が動員され、1018人が亡くなりました。動員された半数以上が犠牲を強いられたのです。

沖縄師範学校2年に在学していた大田さんも鉄血勤皇隊の一員として動員され、沖縄守備軍の情報宣伝部隊に配属されました。大本営発表や戦況を地下壕(ごう)に潜む兵士や住民に知らせる役割です。

当初は首里が拠点でしたが、後に「鉄の暴風」と呼ばれる米軍の激しい空襲や艦砲射撃による戦況の悪化とともに本島南部へと追い詰められます。そこで見たのは凄惨な戦場の光景でした。

最後の編著となった「鉄血勤皇隊」(高文研)にこう記します。

「いくつもの地獄を同時に一個所に集めたかのような、悲惨極まる沖縄戦」で「無数の学友たちが人生の蕾(つぼみ)のままあたら尊い命を無残に戦野で奪い去られてしまう姿を目撃した」と。

多くの住民が戦場をさまよい、追い詰められ、命を落とす。味方であるべき日本兵が、住民を壕から追い出し、食料を奪う。

「沖縄戦は、戦争の醜さの極致だ」。大田さんが自著の中で繰り返し引用する、米紙ニューヨーク・タイムズの従軍記者ハンソン・ボールドウィンの言葉です。

その沖縄戦は72年前のあす23日、日本軍による組織的な戦闘の終結で終わります。大田さんも米軍の捕虜となりました。

戦後、大学教授から県知事となった大田さんが強く訴えたのが沖縄からの米軍基地撤去です。

背景には「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦からの教訓に加え、なぜ沖縄だけが過重な基地負担を強いられているのか、という問い掛けがあります。

沖縄県には今もなお、在日米軍専用施設の約70%が集中しています。事故や騒音、米兵による事件や事故は後を絶ちません。基地周辺の住民にとっては、平穏な暮らしを脅かす存在です。

72年の本土復帰後を見ても、本土の米軍施設は60%縮小されましたが、沖縄では35%。日米安全保障条約体制による恩恵を受けながら、その負担は沖縄県民により多く押し付ける構図です。

進まぬ米軍基地縮小

95年の少女暴行事件を契機に合意された米軍普天間飛行場の返還でも、県外移設を求める県民の声は安倍政権によって封殺され、県内移設が強行されています。

そこにあるのは、沖縄県民の苦悩をくみとろうとしない政権と、それを選挙で支える私たち有権者の姿です。大田さんはそれを「醜い日本人」と断じました。

耳の痛い話ですが、沖縄からの異議申し立てに、私たちは誠実に答えているでしょうか。

慰霊の日に当たり、大田さんを偲(しの)ぶとともに、その問い掛けへの答えを、私たち全員で探さねばならないと思うのです。

(天声人語)沖縄から届いた手紙|2017年6月23日朝日新聞

釣りや演芸会を楽しみ、満開のアンズに見ほれ、内地から届く週刊誌「サンデー毎日」を回し読みする-。ある日本兵が旧満州から家族へ送った膨大な絵手紙を、那覇市歴史博物館で開催中の企画展で見た(27日まで)。

福岡市出身で陸軍野戦重砲隊員だった伊藤半次(はんじ)氏の遺品である。絵を愛する提灯(ちょうちん)職人だった。「雄大な大陸にいると短気な俺でも気が長くなる」。おどけた絵からゆったりとした兵営の日常が浮かぶ。

その数、3年間で約400通。妻をいたわり、3人の子を励ました。だが転戦した沖縄で音信状況は一変する。「少尉殿外(ほか)班長諸氏も皆元気」「お手紙を下さい」「サヨーナラ」。8カ月で3通。自慢の絵は1通もなかった。

「家族思いで筆まめな人。米軍上陸への備えや空襲、戦闘で手紙どころじゃなかったのだと思います」。孫の博文(ひろふみ)さん(48)は推理する。

沖縄戦では、特に司令部が南部に撤退した後、住民を洞窟から追い出し、食糧を奪った兵がいた。外間(ほかま)政明学芸員(49)によると、半次氏の部隊はそれ以前に首里近辺で壊滅的な打撃を受けていた。生き残った兵は雨と泥に耐えて南下し、糸満市の摩文仁(まぶに)の丘付近で戦死したとみられる。

今年もまた、沖縄慰霊の日を迎えた。摩文仁の丘を訪ねると、戦没者の名を刻んだ「平和の礎(いしじ)」に伊藤半次の刻銘があった。最期に目にしたのは砲弾の嵐か、それとも焼き払われたサトウキビ畑だったか。愛する家族のもとに戻れなかった天性の画家の無念をかみしめた。

(社説)沖縄慰霊の日 遺骨が映す戦争の実相|2017年6月23日朝日新聞

沖縄はきょう、先の大戦で亡くなった人たちを悼む「慰霊の日」を迎える。

米軍を含めて約20万人が命を落とした。うち一般県民9万4千人の犠牲者とその遺族にとって、ささやかな、しかし意義深い政策の見直しがあった。

厚生労働省が、死者の身元を特定するための遺骨のDNA型鑑定を、今年度から民間人にも広げると発表したのだ。塩崎厚労相は4月の国会で、「できるだけ多くの方にDNA鑑定に参加をいただいて、一柱でも多くご遺族のもとにご遺骨をお返しできるように最大限の努力をしたい」と答弁した。

遅すぎた感は否めないが、この方針変更を歓迎したい。

DNA型鑑定は2003年度に導入された。しかし、遺骨の発見場所や埋葬記録などがある程度わかっていることが条件とされたため、対象は組織的に行動していた軍人・軍属らに事実上限られてきた。

事情はわからないでもない。だが「軍関係者限り」とは沖縄戦の実相からかけ離れた、心ない対応と言わざるを得ない。

沖縄ではいまも、工事現場や「ガマ」と呼ばれる洞窟などから、多くの遺骨が見つかる。それは県土、とりわけ中部から南部にかけての広い範囲が戦場になったことの証しである。

72年前の4月1日の米軍の本島上陸以来、凄惨(せいさん)な地上戦が繰り広げられた。兵士と市民が入り乱れ、各地を転々とし、追いつめられ、亡くなった。親族がどこで命を落としたのか分からないと話す県民は多い。

長年、遺骨収集を続けてきたボランティアたちが「国はすべての遺骨と希望者について鑑定を行うべきだ」という声を上げるのは当然である。

もっとも、焼かれてしまった骨からDNAを検出するのは難しいとされ、糸満市摩文仁(まぶに)の国立戦没者墓苑に眠る18万5千柱の多くは対象にならない。当面は、13年度以降に見つかった600柱余の未焼骨のうち、10地域の84柱について鑑定を進めるという。希望する遺族からDNAを提供してもらい、骨と比較する手法をとる。

大臣答弁のとおり、少しでも多くの遺骨を返すため、厚労省をはじめ関係機関は幅広く遺族に呼びかけ、対象地域も順次拡大していってほしい。その営みが、戦争の真の姿を次世代に伝えることにもつながる。

沖縄はいまも米軍基地の重い負担にあえぐ。沖縄戦を知り、考え、犠牲者に思いを致すことは、将来に向けて状況を変えていくための土台となる。

きょう沖縄慰霊の日 「不戦の誓い」を語り継ぐ|2017年6月23日毎日新聞

沖縄はきょう「慰霊の日」を迎えた。太平洋戦争末期、沖縄に上陸した米軍と日本軍との組織的な戦闘が終結した日である。

日本軍が本土防衛の時間稼ぎのために持久戦を展開し、日米の軍人と民間人約20万人が犠牲になった。

それから72年。今年も最後の激戦地となった糸満市の平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が開かれる。

嵐のような砲爆撃や住民の集団自決など「ありったけの地獄を集めた」と表現された沖縄戦の惨劇を記憶にとどめ、語り継ぐ糧にしたい。

「二度と戦争をさせない、沖縄を戦場にさせない、と誓った」。12日に92歳で亡くなった大田昌秀(まさひで)・元沖縄県知事は生前こう語っていた。

学徒動員で鉄血勤皇隊(てっけつきんのうたい)に加わり、壮絶な地上戦を目の当たりにする。米軍は猛烈な砲撃を浴びせ、日本兵が住民に銃を突きつけた。

知事時代の1995年、沖縄戦犠牲者の名を刻んだ「平和の礎(いしじ)」を平和祈念公園に建立した。

軍民や国籍を問わず戦没者を慰霊するのは、戦争に勝者はいないという思いからだ。その原点は、沖縄戦の経験にある。

沖縄戦には未解決の課題もある。遺族が高齢化するなか、戦没者遺骨の特定が進んでいない。

厚生労働省は軍人・軍属に限ってきたDNA鑑定を今夏から戦没者の半数を占める民間人にも広げる。

戦没者遺骨の収集を「国の責任」と位置付けた法制定を受けた対応だ。戦後70年余を経ての方針転換であり、遅すぎた感は否めない。

もともとDNA鑑定による特定には困難が伴う。沖縄県内では18万柱超の遺骨が収集されたが、身元が判明したのはごくわずかだ。

対象区域も限定されている。戦没者には朝鮮や台湾の人も含まれるという。将来は希望するすべての遺族を対象とすべきだ。

過重な米軍基地負担は沖縄戦の痕跡だ。27年間の米統治後も基地の返還は進まず、今に至っている。

政府が「反基地」の県民感情を直視する姿勢を示さなければ、対立は先鋭化するばかりだろう。

沖縄戦の記憶は原爆投下とともに日本の平和主義の立脚点の一つになっている。その認識を改めて国民全体で共有したい。

「これってホント!? 誤解だらけの沖縄基地」|2017年6月23日山陽新聞

題名は軽妙だが、その問いの意味は重い。沖縄の地方紙・沖縄タイムスがこの春出版した「これってホント!? 誤解だらけの沖縄基地」である。

沖縄に偏っている米軍基地はなかなか縮小されない。「とはいえ、基地のおかげで経済が成り立っているでしょ」「でもね、中国の脅威とは切り離せないよ」。縮小を阻む、そんな「とはいえ」「でもね」に対して反証している。

例えば基地経済はどうか。従業員の所得や軍用地料、米軍関係者の消費など関連収入は県民所得の50%を占めたころもあったが、1972年の本土復帰時は15%、今は5%に低下している。代わりに観光収入が伸びているが、基地はその拡大やまちづくりの足かせになっているという。

そうした現状はあまり知られていないだろう。基地問題が進展しない背景には、本土の理解、関心のなさもあるに違いない。

沖縄県が早期返還を求める普天間飛行場(宜野湾市)の場所にはかつて集落や畑、役場があった。それを太平洋戦争末期、沖縄に上陸した米軍が占領して基地を建設し「銃剣とブルドーザー」で拡張していった。その歴史もどれだけ受け止められているだろうか。

きょうは、72年前の沖縄戦で組織的な戦闘が終わったとされる慰霊の日だ。失われた命を追悼するとともに、沖縄が戦後味わった不条理に思いをはせたい。

<金口木舌>事実は伝わる|2017年6月23日琉球新報

「カンポウシャゲキがね」-。幼い頃、沖縄戦を体験した家族や先生から話を聞く機会があった。言葉の意味も知らなかったが、暗く恐ろしいイメージは心に刻まれた。

戦後72年がたち体験者が減る中、沖縄戦の継承が課題となっている。伝える難しさはもちろんのこと、平和教育への無理解や“圧力”もある。沖縄戦の授業を記事で紹介した際、ネット上で取り組みへの中傷の書き込みを目にしたこともある。

別の機会に「命の尊さを伝えたい」という園長の姿勢に共感し、保育園の平和学習を取材した。園児がヘルメットをかぶり、ガマ(壕)を見学する記事と写真を見た人から園に「危ない。園児がかわいそう」との電話があったという。

果たして「かわいそう」なのだろうか。くすぬち平和文化館(沖縄市)で読み聞かせを続ける真栄城栄子さんは「大切なのは、残酷でも事実を伝えること」と強調する(9日付12面)

7歳の子の沖縄戦体験を描いた「つるちゃん」の紙芝居を見せ、恐怖感でいっぱいの子どもたちにこう言うそうだ。「大丈夫。最後は親が子を守ってくれる。みんなが平和に生きられるように、大人は頑張るからね」

4歳児から「戦争は勝ってもだめ、負けてもだめ」の言葉があったという。きょうは「慰霊の日」。子どもたちの力を信じ、平和をつないでいこう。事実はきっと心に届く。

沖縄慰霊の日 憲法は届いているのか|2017年6月23日北海道新聞

沖縄はきょう、戦没者を追悼する慰霊の日を迎える。

72年前、「鉄の暴風」と呼ばれた壮絶な地上戦で日米合わせて20万人を超す命が失われた。このうち沖縄の住民の死者は9万4千人といわれている。

平和への誓いを新たにするこの日を前に、沖縄の米軍基地問題を全国に訴え続けた元県知事の大田昌秀氏が92歳で死去した。

大田氏は、平和主義や基本的人権の尊重をうたう憲法の理念が沖縄に届いているのかという憤りを、常に語っていた。

平和憲法の下にある日本へ復帰したはずの沖縄には、今も米軍基地が集中している。

返還される普天間飛行場の移設先とされてしまった名護市辺野古では、政府による力ずくの新基地建設が始まった。

憲法より日米安保体制が優先されるかのような現実が、この島にある。全ての国民がそこに目を向けなければならない。

国土面積の0.6%しかない沖縄には、全国の米軍専用施設面積の70%が存在している。

昨年12月の北部訓練場約4千ヘクタールの返還によって、それ以前の74%からはわずかに減少した。

政府はそれを、基地負担の軽減が進んだとして「成果」を誇っている。

だが、返還条件として訓練場の残る区域に6カ所のヘリパッドを建設し、新型輸送機オスプレイを運用させる。騒音被害や事故の懸念はむしろ深刻化するだろう。

オスプレイは半年前、名護の海岸に落ちる事故を起こしたが、日本側の捜査は日米地位協定の壁に阻まれた。

「自分の空でありながら、自分の海でありながら、自分の土地でありながら自由に使えない」

大田氏が講演でこう語ったのは、知事在任中の1994年のことである。

沖縄を取り巻く状況はその後も基本的には変わらず、国への異議申し立ての声は強まっている。

普天間の辺野古移設を巡り、政府は4月に護岸工事を強行した。これに対し翁長雄志(おながたけし)知事は、新たに国を相手取り工事差し止めの訴訟を起こす方針を表明した。

基地をたらい回しするなという主張を真摯(しんし)に聴こうとしない政府に対抗するための、やむにやまれぬ措置だろう。

追悼式典には安倍晋三首相も出席する。負担は軽減されていないという事実を直視し、沖縄の声に耳を傾ける機会とすべきである。

沖縄慰霊の日 本土も痛みを共有したい|2017年6月23日徳島新聞

多くの犠牲者を出した太平洋戦争末期の沖縄戦が終結して72年を迎えた。

沖縄戦では、上陸した米軍と日本軍が住民を巻き込んで激戦を展開し、日米双方で計20万人以上が死亡した。

沖縄県民の4人に1人が亡くなるという悲惨な戦いで、日本軍は住民に対し、集団自決を強制したり、スパイ容疑をかけて虐殺したりした。この惨禍を決して忘れてはなるまい。

きょうは沖縄慰霊の日だ。日本軍の組織的戦闘が終わった日とされる。

最後の激戦地となった糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園では「沖縄全戦没者追悼式」が開かれる。犠牲者の冥福を祈り、平和への誓いを新たにしたい。

公園にある平和の礎(いしじ)には、国籍や軍人、民間人の区別なく沖縄戦などで亡くなった人の名が刻まれている。建立したのは、沖縄県知事を2期8年務め、米軍基地問題の解決を訴え続けた大田昌秀氏だ。

大田氏は12日に92歳で亡くなったが、沖縄戦での体験を原点に、沖縄から平和の重要性を発信し続けた。遺志をしっかりと受け継いでいかなければならない。

しかし、大田氏が尽力した基地問題は、いまだ解決の糸口すら見いだせない。

沖縄では、在日米軍専用施設の約70%が集中している。普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設を巡り、さらなる基地負担に反発する県や住民と、それらの声に耳を貸さずに工事を進める国との対立は先鋭化している。

沖縄県は20日、移設工事で国が県規則に定められた翁長雄志(おながたけし)知事の許可を得ずに「岩礁破砕」を行うのは違法だとして、工事の差し止め訴訟を起こすための関連議案を県議会定例会に提出した。

「世界一危険」とされる普天間飛行場の移設は欠かせないとはいえ、移設先は沖縄しかないのか。

反対を強く訴え続けても、聞き入れてもらえない。その不条理に県民が怒るのは当然である。

沖縄の民意は明らかなのに犠牲と負担をいつまで強いるのか。政府は県民の声を真摯(しんし)に受け止めるべきだ。

本土復帰から45年が経過したが、復帰後も県民が求めた「本土並み」には程遠い。それどころか、基地絡みの事件事故が続発している。

1995年に米兵が女子小学生を集団で暴行し、2004年には沖縄国際大に米軍ヘリコプターが墜落した。

戦争中、沖縄は本土の「捨て石」とされたが、今の状況はどうか。

翁長氏は、きょうの式典で読み上げる平和宣言に、昨年末の米軍新型輸送機オスプレイ事故などを引き合いに米軍訓練の在り方を批判する内容や、大田氏の功績をたたえる文言を盛り込む方針だ。

沖縄の現状を、本土で暮らす私たちの問題として深く考える必要がある。痛みを共有したい。

沖縄慰霊の日 大田元知事が残した問い|2017年6月23日西日本新聞

6月23日は沖縄の「慰霊の日」である。沖縄戦の組織的戦闘が終結したこの日にちなみ、沖縄県糸満市の平和祈念公園できょう、沖縄全戦没者追悼式が開かれる。

慰霊の日に先立つ今月12日、沖縄の戦争と戦後を体現する人物がこの世を去った。沖縄県知事を務めた大田昌秀さんである。

大田さんは沖縄県久米島に生まれ、学徒でつくる「鉄血勤皇隊」に動員された。情報伝達のため戦場を駆け回り、多くの学友が命を失う中で、九死に一生を得た。

大田さんは沖縄戦のさなか、日本兵が守るべき沖縄の住民を壕(ごう)から追い出すのを目撃したという。「(食い下がる住民を)下士官たちは、軍刀で突き飛ばさんばかりに押しのけ『うるさい、勝手にしろ』とわめき立てるのであった」(著書「沖縄のこころ」より)

戦争の醜さ、軍への不信、そして沖縄が本土の「捨て石」にされる理不尽-。沖縄戦の経験が、大田さんの活動の原点となった。

研究者から知事に転身し、米兵による少女暴行事件が起きると、知事権限を駆使して政府に基地縮小を迫った。国籍を問わず沖縄戦で命を落とした人々の名を刻む「平和の礎(いしじ)」建設にも尽力した。沖縄を「基地のない平和な島」にするのが大田さんの目標だった。

残念ながら今なお沖縄には全国の米軍専用施設の約70%が集中する。政府は普天間飛行場の名護市辺野古への移設に向け、県民の反対を押し切って工事を進めている。北朝鮮のミサイルや中国の海洋進出もあり、地理的要衝の沖縄に展開する米軍の抑止力維持は重要-というのが政府の論理だ。

しかし、基地の集中はそれだけ沖縄が相手から攻撃される可能性を高める。大田さんは辺野古移設を「政府は沖縄を捨て石にし、今日に至っている」と批判した。

晩年の大田さんは、戦争体験のない議員が安全保障問題を議論することに懸念を抱いていた。沖縄戦から何を学び、将来にどう生かすか。大田さんが残した問いを受け止め、考え続けたい。鎮魂の日に改めてそう思う。

<社説>慰霊の日 新たな「戦前」にさせない|2017年6月23日琉球新報

糸満市摩文仁の沖縄師範健児之塔に向かう約150メートルの通路は階段が続き、お年寄りには長く険しい。子や孫に両脇を支えられながら、つえを突きながら、慰霊祭へ一歩一歩足を運ぶ光景も、年を追うごとに少なくなってきた。

師範鉄血勤皇隊の生存者として、一昨年、昨年と出席していた大田昌秀元知事の姿も今年はもう見られない。

沖縄戦体験者は県人口の1割を切ったとされる。激烈な地上戦から生き延びた方々から証言を聞ける時間は、確実に残り少なくなっている。

沖縄戦から72年、慰霊の日が巡ってきた。体験者が年々減る中、次世代へどう継承していくか模索が続く。一方で政府は世論の反対をよそに戦争ができる国づくりへと法整備を進める。多くの国民の命を奪った国策の誤りを二度と繰り返させてはいけない。

今年は沖縄戦継承に大いに貢献する「沖縄県史各論編6 沖縄戦」が発刊された。1970年代刊行の旧県史は、それまでの軍人中心の記録を住民史観に転換させた。新県史は「障がい者」や「ハンセン病」「戦争トラウマ」など弱者にも光を当て、「基地建設」など今日的課題にも言及した。沖縄戦研究の集大成であり、大田氏ら第一世代から中堅若手の研究者に引き継がれていることは頼もしい。

沖縄戦は決して歴史上の出来事だけではない。今につながる米軍基地問題の原点であり、不発弾や遺骨収集、戦争トラウマなど、今を生きる私たちにも影響する問題だ。

今年の慰霊の日は「共謀罪」法が強行成立した中で迎えた。民主主義の手続きを放棄し、数の力で押し切るやり方は権力の暴走だ。

2012年の第2次安倍政権発足以降、国家主義の色濃い政策が推進されている。

13年の国家安全保障会議(日本版NSC)創設、特定秘密保護法成立、14年の武器輸出三原則の見直し、集団的自衛権の行使容認、15年の日米防衛協力指針(ガイドライン)再改定、安全保障関連法成立と、日米同盟強化や政府権限拡大につながる政策だ。

最終目標は憲法9条見直しだろう。軍隊と警察を強くし国家権力を強める。個人の権利を制限し、国益を優先させることを許してはならない。

沖縄戦の目的は沖縄の住民を守ることではなく、国体護持、本土防衛のための捨て石作戦だった。多数の住民を根こそぎ動員で国策に協力させた末に、軍民混在となった戦場で死に追いやった。

政府は今も、沖縄で国策優先の辺野古新基地建設を強行している。大のために小を切り捨て、沖縄に犠牲を強いる構図は当時と変わらない。

戦前の空気が漂う中、戦争につながるあらゆるものを拒否し、今を新たな「戦前」にはさせないと改めて決意する日としたい。「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓を胸に刻み、この地を二度と戦場にさせてはいけない。

社説「きょう慰霊の日」聴くことから始めよう|2017年6月23日沖縄タイムス

それぞれの場から「沖縄戦」を発信し続けた偉大な先輩たちが、ことし相次いで泉下の人となった。

戦争の惨禍や平和への思いをうちなーぐちによる一人芝居で表現した女優の北島角子さん。土着の視点で、戦争のおぞましさや民衆のたくましさを描いた版画家の儀間比呂志さん。沖縄戦で級友を失った体験を原点に、平和行政と基地問題解決に心血を注いだ元知事の大田昌秀さん。

戦前・戦中・戦後と激動の沖縄現代史を生き抜いた人たちが一人また一人と旅立っていく。時代の変わり目だけに喪失感は深い。

沖縄戦は記憶の継承という点から大きな曲がり角に差し掛かっている。

現実に子どもたちが戦争を学ぶ機会も減りつつある。

戦争の被害や生き残った人たちの証言などを伝える県平和祈念資料館。県内小中高校の利用は、2000年度の368校から16年度は224校に減った。

ひめゆり学徒の体験を伝えるひめゆり平和祈念資料館も県内小中高校の来館数が、16年度は72校とピーク時の半分まで落ち込んでいる。

ここ数年、学校現場では学力向上の取り組みが優先され、校外学習行事を減らす傾向にあるのだという。

この世代は、親だけでなく祖父母もほとんどが戦争を知らない。身近に体験を語る人がなく、学校も平和学習に時間が割けないとしたら、沖縄戦体験は風化し、平和への意識は希薄化する。

鉄血勤皇隊として戦場をさまよった大田さんは、「おもろさうし」研究の第一人者・故外間守善さんとともに、終戦から8年後の1953年「沖縄健児隊」を世に問うた。

外間さんは同著の序文で「彼等は永遠に黙している。しかし彼等は永遠に語っているのだ。その声を取りつぐのが私たち生かされたもののただ一つの義務」と記す。

大田さんの訃報に接してあらためて感じたのは、10代の多感な年頃に戦場に動員された「学徒隊」の人々の語り部としての存在の大きさである。

戦前、沖縄には師範学校や中等学校が21校あり、全ての学校の生徒が戦場に駆り出され、多くの命を失った。大田さんらは犠牲となった級友に代わって沖縄戦の実相を伝えてきたのだ。

しかしその語り部たちも一人、二人と鬼籍に入り、沖縄戦継承は非体験者のバトンリレーという新たな段階を迎えつつある。

アーティスト・山城知佳子さんの「あなたの声は私の喉を通った」は、戦争を体験した高齢者の語りを、自身の姿に重ね、再現した映像作品である。証言の持つ重みを引き受け、他者の感覚に近づこうとする試みだ。

ひめゆり資料館が進める戦後世代による語りも、継承の課題に真正面から取り組む。海外の平和博物館を訪ねるなど在り方の模索も続く。

きょうは「慰霊の日」。

戦争を学ぶ努力を放棄すれば風化は加速する。体験者から話を聴くことができる最後の世代として、歴史を伝達する重みを胸に刻みたい。

「沖縄慰霊の日」 残された深い傷跡|2017年6月23日NEWS SALT

沖縄には、8月15日とは別の終戦記念日がある。「沖縄慰霊の日」。

6月23日は沖縄で、第2次世界大戦の組織的戦闘が終結した日だ。沖縄戦の司令官として赴任していた牛島満(1887~1945)が参謀とともに1945年6月23日未明に自決したとされ、戦後この日が慰霊の日と定められた。沖縄県では1991年から正式な祝日となっている。

沖縄は第2次世界大戦下の日本において、国内唯一の地上戦があった場所だ。沖縄戦は1945年3月26日に始まり、6月23日に組織的戦闘が不可能になるまで約3カ月に渡って米軍との死闘が繰り広げられた。この戦闘で一般住民10万人を含む約20数万人が亡くなったとされている。1940年の国勢調査では沖縄の人口は約57万5000人だったという記録から、およそ5人に1人が亡くなっている計算になる。

沖縄戦の中でも特に悲惨なこととして語られるのは、「集団自決」だ。日本軍は「生きて捕虜の辱めを受けず」という言葉を広め、沖縄の人々に捕虜になる前に自決するよう働きかけた。住民には日本軍から手榴弾が配布され、民間人も家族や近しい人たちとともに自決を強いられるという悲劇が沖縄各地で起き、そのことが戦死者の数を押し上げている。さらに戦後、1945年から1972年までの27年間、沖縄は米軍の統治下におかれることになる。もともと旧日本軍の施設のあった土地を利用して駐屯していた米軍は、朝鮮戦争やベトナム戦争の際に沖縄を利用し、民間の土地も強制的に接収していくようになった。72年に沖縄の日本返還は実現するが、返還協定に基地撤去は盛り込まれなかった。現在も多くの米軍兵が沖縄に駐屯しており、在日米軍基地の7割以上は沖縄にある。

沖縄本島の南端にある糸満市いとまんし摩文仁まぶにに、沖縄平和祈念資料館がある。ここは日本軍が追い詰められ、沖縄戦最後の砦となった場所だ。牛島が自決した摩文仁の丘もここにある。この場所に、「平和の礎」と呼ばれる記念碑があり、国籍、そして軍人か民間人かの区別なく、沖縄戦で亡くなったすべての人の名前が刻まれている。メインの通路は慰霊の日の日の出の方位に合わせられている。平和の礎には今も、訪れる人が手向ける生花が後を絶たない。戦争の深い傷跡とその痛みとともに今も生きる沖縄。6月23日が「終戦の日」と呼ばれず「慰霊の日」であることからも分かるように、沖縄の「戦争」はまだ終わっていない。

鎮 魂



2017年6月16日金曜日

改めて悟れ、文科省の覚悟を

初代文部大臣森 有禮(もり ありのり)が職員の心構えを記した「自警」

自警

文部省ハ全国ノ教育学問ニ関スル行政ノ大権ヲ有シテ其任スル所ノ責随テ至重ナリ 然レハ省務ヲ掌ル者ハ須ラク専心鋭意各其責ヲ盡クシテ以テ学政官吏タルノ任ヲ全フセサル可カラス 而テ之ヲ為スニハ明ニ学政官吏ノ何モノタルヲ辨ヘ決シテ他職官吏ノ務方ヲ顧ミ之レニ比準ヲ取ルカ如キコト無ク一向ニ省務ノ整理上進ヲ謀リ若シ其進ミタルモ苟モ之ニ安セス愈謀リ愈進メ 終ニ以テ其職ニ死スルノ精神覚悟セルヲ要ス
明治19年(1886)1月 有禮自記

(解釈)
 
文部省は、全国の教育学問に関する行政の大権を有しているので、その責任は大変に重いものである。
したがって、文部省の職務を担当する者は、専心誠意その責任を尽くして、学問をつかさどる行政官吏の任をまっとうしなければいけない。そしてそのためには、学問をつかさどる行政官吏であることをわきまえ、決して他の官吏と比べることはせず、ひたすら文部省の職務に熟達することを計り、ある程度になったからといっても満足しないで、もっと、もっと上に進むよう努力し、最後にはその職に死んでもいいくらいの精神を自覚することが必要である。

記事紹介|国立大学の将来像

提言の趣旨

  • 本提言は、我が国及び世界の高等教育の歴史と現状、高等教育を取り巻く社会構造の変化について確認し、我が国における今後の高等教育の一層の重要性を強く再認識した上で、将来の我が国の高等教育全体の在り方を考察し、その中で国立大学に求められる使命を確認して、自らの将来像を提言し、その実現に向けた方策を示すものである。
  • 特に重要と考えるポイントは、将来の国立大学の方向性について、①全国的な高等教育機会の提供及び今後の地域・地方活性化の中核として期待される役割を踏まえること、②高い水準の研究を推進し、大学院の充実を基盤とした高度の教育研究を国際的競争力を持って展開すること、③産業界及び自治体との連携を強化し、地域との教育研究両面における本格的な協働による社会のイノベーションを先導すること、④優れた日本型教育システムの輸出を含む国際貢献を強化すること、を示した上で、⑤これらを支える大学運営・経営の効率化と基盤強化を図るために、「全国各都道府県に国立大学を置く」との原則を維持しつつ、各種大学間等の多様な経営的な連携・融合の在り方について、今後検討すべきモデルを提示したことである。


国立大学の今後の使命とその実現のステップ

  • 国立大学は、今後、少なくとも10数年後以降の将来(2030年頃)の我が国と世界が直面する状況を把握した上で、それまでに、①現在の国立大学が持つ機能を最大限に発揮できる環境を整備しつつ(国立大学の機能の最大化)、②将来の状況に対応できる準備を確実に進める必要がある(将来に向けての準備)。
  • 「国立大学の機能の最大化」とは、新たな価値創造の基盤となる先進的な研究の高度化と地域や産業界の変革や成長分野を切り拓きイノベーション創出を牽引できる人材を育む教育の充実である。
  • 「将来に向けての準備」とは、留学生や社会人を含む多様な入学者の受入れ拡大と教育の充実のための国立大学総体としての連携・協働、経営力の強化と国・地域・産業界等からの戦略的な投資の呼び込みなどである。


国立大学の将来像

教育

  • 学部・大学院教育においては、学士・修士・博士などの学位に着目したプログラムの体系的整備と学生の大学間の流動性の向上、大学間や地域・産業界とも連携した教養教育や学生の主体的学習を含む実践活動・課外活動の充実を推進する。
  • 特に大学院については、各大学の状況に応じ規模の拡充を図り、産業界と一体になった人材育成、社会革新をリードする自然科学系大学院はもとより人文・社会科学系大学院の強化、公私立大学を含む大学教員の養成、社会人を含む入学者の多様性拡大と流動性向上を推進する。
  • 初等中等教育の教員養成の高度化に対応するため教員養成課程の再編も含めた機能の強化・充実、教職大学院の拠点としての役割・機能の明確化を図る。
  • 入学者選抜については、高大接続システム改革を着実に実現するとともに、国立大学全体としての統一的な入学者受入れシステムを構築することを目指した抜本的な改革の在り方を検討する。


研究

  • 各専門分野の深く先鋭的な基礎研究に加えて、学部・研究科等の枠を越えた柔軟な組織を整備し、学際・融合分野の研究を推進する。また、各大学が強みを持つ分野を核とした他大学・研究機関とのネットワークを形成して、幅広い優れた研究者が交流・結集できる拠点を形成する。
  • 若手研究者を積極的に採用し、スタートアップ支援やテニュアトラック制の導入により、明確なキャリアパスの見通しを持って、研究に専念できる環境を整備する。また、大学・研究機関のネットワークを通じて、研究者の流動性を向上させる。
  • 女性研究者について、ライフイベントに応じた支援体制や環境整備を行いつつ、積極的な採用・登用を推進する。
  • 民間企業の研究者や海外の優れた研究者を、年俸制やクロスアポイントメント制を活用して積極的に招聘・採用する。


産学連携・地域連携

  • 教育面においては、インターンシップなどにより学生に幅広い学びの場を提供し、キャリア意識とアントレプレナーシップ(起業家精神)の形成を図るとともに、産業界や地域との共同による教育プログラムを開発する。
  • 教職員の産業界との人事交流を推進し、産学連携共同教育・研究への意識を高めるとともに、新たな視野と刺激をもたらし、更に大学マネジメントに関する能力開発を進める。
  • 研究面においては、特に産学連携共同研究について組織ベースを基本とし、大学としての戦略に基づいた大規模で長期間にわたる継続的な共同研究を推進する。また、企業・産業横断的な課題について、大学・研究機関のネットワークと企業群が共同して、文理融合によりオープン・イノベーションにつながる研究を推進する体制を構築し、その支援のための基金を創設することも検討する。
  • 地域との関係においては、各地方自治体における地域創生プラン等の立案に積極的に参画し、その核となる地域の特色を生かしたイノベーションの創出に向けて、地方自治体や地域の産業界と連携した人材育成と共同研究を推進する。また、地方自治体との連携の下に、地域の国公私立大学の連携協働の取組を推進する。


国際展開

  • 学生交流については、海外からの学部留学生受入れのための国立大学総体としての統一的なシステムの導入の検討、英語による学位取得プログラムの拡充と日本語・日本文化教育やインターンシップの提供による日本企業への就職支援、大学院を中心としたダブル・ディグリーやジョイント・ディグリーのプログラムの拡充を進める。
  • 研究交流については、若手研究者や大学院生に対する海外における長期間の研究機会の確保、大学としての戦略に基づく組織的な国際共同研究を推進する。
  • 海外との交流拠点・ネットワークについては、複数大学による交流拠点の共同利用を推進し、国立大学全体としての活用を進めるとともに、複数大学のコンソーシアムによる海外の大学との交流協定締結と交流活動の実施を推進する。
  • 海外からの国際協力の要請に対して、国立大学が連携・協働して対応する体制を構築し、案件ごとに関係大学がコンソーシアムを形成して、役割分担等を調整して協力できるようにするとともに、特に我が国の外交政策上の課題でもある日本型教育システムの輸出については、国立大学全体として積極的に役割を分担して対応し、教員養成系大学が連携して留学生が過半数を占めるような教員養成プログラムを展開することも検討する。


規模及び経営形態

  • 国立大学全体の規模は、留学生、社会人、女子学生などを含め優れた資質・能力を有する多様な入学者の確保に努めつつ、少なくとも現状程度を維持し、特に大学院の規模は各大学の特性に応じて拡充を図るとともに、学部の規模についても、進学率が低く国立大学の占める割合が高い地域にあっては、更に進学率が低下することのないように配慮する。
  • 全都道府県に少なくとも1つの国立大学を設置するという戦後の国立大学発足時の基本原則は、教育の機会均等や我が国全体の均衡ある発展に大きく貢献してきたものであり、この原則は堅持する。
  • 国立大学の1大学当たりの規模については、スケールメリットを生かした資源の有効活用や教育研究の高度化・シナジー効果を生み出すために、規模を拡大して経営基盤を強化することを検討する。このため、アメリカのカリフォルニア大学システムやフランスの複数大学による連合体の成果や課題を参考にしながら、全都道府県に独立性・自律性を持った国立大学(キャンパス)を維持しつつも、複数の地域にまたがって、より広域的な視野から戦略的に国立大学(キャンパス)間の資源配分、役割分担等を調整・決定する経営体を導入することを検討する。
  • また、附属病院及び附置研究所について、大学との緊密な連携を確保しつつも、その経営の独立性・自律性を高める観点から、国立大学法人の独立した事業部門としての位置付けをより明確にするなどの方策についても検討する。
  • 附属学校については、少子化や多様な教育課程への対応を踏まえ、地域の状況や各学校の機能にも留意しつつ、教員養成大学・学部の機能強化につながるように、その組織・運営形態を含めた適切な制度設計を検討する。


マネジメント

  • 国立大学の学長は、経営と教学のすべてを統括するものであるが、資源の有効活用や新たな資源の獲得などの困難な経営上の課題に対応するため、経営に関する高度な専門的知識・経験を有する人材の経営担当理事・副学長としての活用などを進める。
  • 学長をはじめとする国立大学の将来の経営層を育成するシステムや研修プログラムを、国立大学の共同により構築する。
  • 変化する社会のニーズや学術の進展に対応して、教育プログラムや研究プロジェクトを柔軟に編成するとともに、学際・融合分野にも機動的に対応できるようにするため、教育組織と教員組織の分離などの望ましい組織の在り方を検討する。
  • 教育研究の活性化を図り、教員のモチベーションを高めるため、各教員のエフォート管理、業績評価、処遇への反映等の適切な制度の在り方を検討する。また、民間企業や海外の大学等を含めて人事交流が実効的に促進されるようにするため、年俸制やクロスアポイントメントを含む制度設計についても、国立大学全体で連携・協働して検討・普及を進める。
  • 事務職員等の職員の企画力や専門性の向上を図るとともに、URA等の専門職の位置付けを明確化するため、国立大学が連携・協働して人材の育成・活用方策や望ましい制度の在り方を検討する。
  • 経営の効率化とIR機能の強化による教育研究の向上や経営戦略の立案を進めるため、各種の基盤システムを統一化し、クラウドサービスを利用して国立大学全体で連携・協働して維持・運用することを検討する。
  • 財源の確保と多様化のため、産業界との組織的で大規模な共同研究の拡充と間接経費の確保に努めるとともに、複数大学のネットワークによる共同研究やキャンパス内への企業の研究拠点の誘致を進める。また、寄附金については、税額控除制度を活用して修学支援基金の拡大に努めるとともに、税額控除の対象範囲拡大などを求めていく。


今後の検討の進め方

  • 我が国の高等教育全体の将来像の検討に当たっては、国公私立大学のそれぞれが描く独自の将来像を尊重しながら、国公私立の間での率直かつ緊密な討議を行うとともに、広く社会の各方面との意見交換を進めていかなければならない。
  • 今回の提言は、それらの真摯な議論の端緒となることを期待して示したものであり、各方面の忌憚のないご意見を期待するとともに、提言の深化・発展を図るべく検討を継続していきたい。

高等教育における国立大学の将来像(中間まとめ)(概要)|国立大学協会

2017年6月15日木曜日

記事紹介|沖縄が戦後70年間ため込んだ思いの重み

沖縄に国吉勇氏という方がいらっしゃる。60年以上にわたってガマと呼ばれる洞窟(沖縄戦中に防空壕や病院壕などとして沖縄県民・日本軍などに使用されていた)に潜り、たった一人で遺骨・遺品を収容してこられた方である。戦後70年以上が経過した今、私たちは国吉氏の活動を未来に継承できるかどうかの岐路に立たされている。若者として自分は何が出来るか、私見を述べさせて欲しい。

"Most ignorance is vincible ignorance. We don't know because we don't want to know."(拙訳:大半の無知は克服可能だ。我々が知らないのは、知りたくないからである。)

引用したのはイギリス出身の作家オルダス・ハクスリーの金言である。私たちは知らぬ間に不都合な事実を看過し、独善的な無知へと堕落していく。そのような無知は他者にとって極めて暴力的なものになり得る-1年半前に沖縄を訪れたとき、私はそう痛感した。

2015年冬、私は国吉勇氏の戦争資料室を訪れた。そこには十数万点にも上る遺品が保管されている。陶器製地雷・炭化米・曲がった注射器・杯... 異様で不気味な遺品の数々を鷹揚に手に取りながら、国吉氏は私に各々の遺品の説明をして下さった。

「地雷が陶器で出来ているのは鉄が足りなくなったから。日本軍は兵站を軽く見ていたんよ。」

「米が焦げてるのは火炎放射器のせい。アメリカが壕の中に火炎を放ったでしょ? そのせいで食べ物は炭になるし、ガラスは融けて曲がる」

「日本軍の陣地にいた兵士が切り込みを命じられたとき、死を覚悟して酒を呷った時の杯だと思う。天皇陛下万歳って叫びながらね...」

一言一言をかみしめつつ、虚空を向いて物語る国吉氏をじっと見ていると、まるで彼の境界線が融け遺品と混じり合うかのような印象に取り憑かれる。遺品から読み取られる事実を淡々と語る彼の言葉からは、沖縄戦の苦しみの中で尊い命を失うことになった多くの魂が遺品に託した怨言と内省がにじみ出ているのだ。全体主義に狂乱し、浅薄な作戦に組み込まれ、最後は国体護持のための捨石として総勢20万人が命を落とす苛烈な地上戦の舞台となった沖縄が戦後70年間ため込んだ思いの重みに、私はただ絶句するばかりだった。

国吉氏のお話を伺うまで、私は沖縄戦の被害の甚大さをほとんど知らなかった。沖縄の方々がどのように戦争に巻き込まれ、どのような苦難を味わったのかについて、思いを致したこともなかった。「毎日どこかの壕で遺品は出るから」と語る国吉氏のお言葉を聞いて、私は初めて、沖縄戦は本当に終焉した訳ではないのだと気づかされた。

無知とは暴力的なものだ。私のように沖縄県外に住む者が概して持つ沖縄に対する無知は、深刻な無意識的差別を生み出している。沖縄戦の歴史を知らぬまま(結果、沖縄の怒りの原因を理解せぬまま)、当事者の沖縄を差し置いて基地問題を軽々に議論する我々の姿勢がその顕著な例である。冒頭のハクスリーの言葉を思い出して欲しい。

私たちは沖縄のことを知れないのではない。学ぶのを避けているだけだ。「本土」が沖縄に強いた惨烈な仕打ちに目を向けたくない、という防衛機制である。国吉氏の遺品を見、彼の話を聞いた私は、自分のこれまでの態度を反省するほかなかった。

国吉氏に今、時間の経過という悪魔が襲っている。昨年3月31日には遺骨/遺品収容から引退され、その後急速に物忘れが進行している。「国吉氏が遺品の話が出来るのも、あと1~2年だろう」と彼の周囲の人々は漏らす。

これまで国吉氏が収容された遺品に関する調査はほとんど行われなかったため、各々の遺品がどこで、どのように見つかり、そこから何を読み取るべきか、知っているのは国吉氏しかいない。国吉氏が話せなくなると共に、遺品の声なき声を聞き取り語ることの出来る人はいなくなる。

遺品は、沖縄戦の状況、特にその持ち主の視点から見た沖縄戦中の生活史を研究する上で貴重な材料となる。さらに、適切な解釈と共に見せられれば、戦争体験者本人の肉声として見る者に迫り、地上戦の醜悪さをまざまざと見せつける。戦争経験者が年々減少し、戦時中の事情をリアリティをもって検証・継承することが難しくなる中、遺品が人々に沖縄戦の実相を伝え沖縄への無知・無思考から脱却させるのに果たしうる潜在的可能性は大きい。時間が遺品の声を聞き取れなくするのを、拱手傍観する訳にはいかない。

そこで、私は国吉氏への集中的なヒアリングを行い、彼が話せるうちに遺品に関する様々な情報を聞き取り、保存する活動を行うことに決めた。その情報は誰でも閲覧できる形で保存すると共に、定期的に遺品の展示会を通して人々に発信していくつもりだ。既に来る6月23日(金)~6月25日(日)には福島県いわき市の菩提院袋中寺で展示会を行うことが決定している。

最初に引用した警句は、私たちの採るべき道を示しているかのように思われる。知る機会と勇気さえあれば、無知は超克できる。そのための土台を築くべく、私は国吉氏から引き出せる全てを書きとめ、社会に共有したい。一刻も早く沖縄に赴き、彼の話に耳を傾けようと思う。

=写真= 菩提院袋中寺での展示会のビラ。

2017年6月14日水曜日

記事紹介|研究界への社会教育が不十分

わが国の科学研究は高価格体質をもつ。様々な非合理的要素の累積によるが、一つの大きな理由は、機器や消耗品費などの直接研究費の過大さにあり、主として外国製品の席巻の結果である。大学においてこの非効率性を相殺するのが労務費の低さ、つまり前述(コラム4)の大学院学生の無償ないし超低賃金による知的労働奉仕である。しかし、これでは不都合の重複と言わざるをえない。

このいびつな状況で、例えば100億円の経費をかけての論文生産力など、研究成果の国際比較を問うことは、まったく意味をなさない。また文科省の予算獲得努力も水泡に帰し、状況の抜本的改善なくして、研究振興政策も持続性を失うことは明らかである。日本学術振興会などの研究資金配分機関、諸分野の学協会はこの状況をいかに把握しているであろうか。

研究の海外製品依存

例えば、有機合成化学で用いる3万種以上にのぼる化学薬品、多様な触媒や酵素類は特定の外国企業の寡占状態にあり、商品カタログを比較すると数十%から2倍の価格の違いがある。ビーカーさえ2倍の値段である。この状況は少なくとも20数年来変わっていない。

より深刻なのは、世界全体で年間5兆円、国内で5,000億円規模とされる実験用分析機器の市場である。電子顕微鏡、核磁気共鳴装置、表面分析装置などの汎用分析機器の開発力については、欧米勢が優位にたつものの、わが国企業も健闘し、現在でも9%程度の世界シェアを保つ。一方、生命科学関係の新鋭機器開発については、1990年代から分野の急速な勃興、潮流をいち早く読んだ海外、とくに米国ベンチャー企業が覇権を握る。わが国の存在感は極めて乏しく、世界シェアは1%以下に過ぎない。全科学分野では日本製と外国製が拮抗するが、生命科学分野では外国製が大勢を占める。

分析機器市場は、機器販売(50%)、消耗品販売などのアフターマーケット(37%)、保守サービス(13%)の3事業からなる。購入価格はほぼ輸入代理企業の言いなりであり、たとえばDNA解析装置では、付随して必要な高額の試薬の購入も同時に強いられる。さらに、パッケージ化された機器は、購入後も自ら保守、内部検査、故障修繕することも許されない。技術の高度化とともに研究費の高騰が続く中、彼我の差は開く一方である。

海外製品依存のわが国の生命科学研究は、個人的に聞いた話では、米国に比べて3倍程度は費用がかかるという。さらに研究の競争激化と商業化の流れが、研究費格差拡大の連鎖を招く結果となり、今や少し大掛かりな生物医学系の研究は、もはや特定の重装備研究室でなければできないとも聞く。

かつて、ドイツや英国でも米国製品の輸入価格が問題になっていたが、わが国も根本的な工夫なくしては、まったく戦えない。代理店経由の外国製物品購入、保守管理の仕組みなどに関わる不具合は、産業界の奮起とともに政治行政の積極関与なくして、もはや解決はありえない。実態を精査の上、徹底した方策を立ててほしい。

この風潮は医療経済についても言える。国内市場9.5兆円の医薬品が1.4兆円以上の輸入超過、さらに国内市場2.8兆円の医療機器も8千億円の輸入超過である。現在、高齢化著しいわが国は世界に冠たるMRI、CT大国でもある。しかし、現在41.5兆円の国民医療費を必要とし、今後も毎年1兆円ずつ増大する。財政破綻を阻止する科学技術を含む手立てが必要である。

研究社会の認識の欠如

沖縄科学技術大学院大学(OIST)などの海外経験のあるPIたちは、価格の内外格差の理不尽を着任後に直ちに認識するものの、外国情勢に疎い一般の大学人には、危機意識がほとんどない。そして最高性能の機器を購入し続ける結果、多大の科研費が海外垂れ流し状態になっている。ときには国内経済活性化に充てられるべき政府補正予算さえ、外国製品購入に使われるという。

研究界への社会教育が不十分である。この無邪気さ加減は、ひとえに豊かになった日本の大学研究者の「売っているものはすべて買うのが当然」とする価値観にある。加えて、短期的成果を求めての競争偏重傾向、これを是として全面的に公的負担してきた政策にも起因する。

もとより科学研究には独自性が求められる。しかし、国際的に論文誌審査員が機器、材料、消耗品を問わず、もはや泥臭い手作りは認めず、特定の規格市販品の使用を求めるという。しかし、データ信頼性のためとするこのような動きは、画一化した後追い研究を促す結果になりはしないか。

昨今、国内の研究環境が著しく疲弊する中で、大型研究費を得た一部の大学研究室の贅は、いささか行き過ぎと感じる。額に汗をして自らが市場から得た資金で働く企業研究者たちは、はるかに謙虚で経済感覚も厳しい。高価な機器購入は社内で容易には許可されない。アカデミアにおける資金は、しょせんは配分機関の書類、面接審査を経て他から得たものに過ぎない。自己本位、傲慢なwinner-takes-allの風潮のまん延は許し難い。研究者に保証されるのは、あくまで「研究の自由」であって、公的研究資金の恣意的な乱費であるわけがない。

企業研究所におけるように、大学でも個々の研究者ではなく、一定規模の専門家組織による合理的な機種選択、経理、管理運営への移行が、国民の期待への責任を果たす道ではないか。これで研究費不正の温床も無くなるはずである。

先端機器の独自開発力の強化

独創にかける美術、工芸、音楽家たち、また料理の達人も既成の装置や道具に満足せず、自ら細部まで工夫する。科学では計測が「発見の母」であるが、なぜに「匠の技」を誇るわが国の科学者たちは独自技術を追求しないのか。基礎科学者と技術者共同による試行錯誤が新たな領域を開拓し、同時に先端機器開発を実現する。既製の市販品への全面依存体質が、創造性の低下を招くことは明白である。

現状の外国製品依存は科学技術立国日本としては、甚だ不面目である。もとより、最高の機器を輸入し、効果的に活用することは至極当然である。決して国産機器にこだわることはない。しかし、それに見合う世界に誇る最高度の製品を自ら創り出し、輸出して均衡を保つことが絶対的な前提である。真に先導的な計測機器の発明は、様々な研究分野、さらに社会に大きく貢献する。成長率の高い産業ゆえ、敗北主義は無用である。

基礎科学のみならず、諸技術の高度化、連携、総合化を通して、独自性ある機器開発力の抜本的強化を図らねばならない。行政やJSTの先端計測分析技術・機器開発プログラムも後押ししてきたが、とくに産業界には先見性ある技術開発のみならず、ビジネスモデルの構築に格段の奮起を促したい。技術開発ではデファクト・スタンダードの獲得が必要である。

近年、タンパク質構造解析で脚光を浴びるクライオ透過型電子顕微鏡も、わが国に先端的基礎研究成果がありながら、欧米に開発の流れの先行を許したことは、残念である。一方で、物理学分野では、理化学研究所の113番元素ニホニウムの合成に代表されるように、自らの機器開発による独自の成果創出の風土が残っている。あらゆる科学技術を戦略的に結集して、失地回復しなければ明日はない。

2017年6月13日火曜日

記事紹介|学位の価値

文部科学省元職員らによる大学への天下り問題には、これまでに報じられた違法性の問題以外にも、教育行政上の重要な論点がある。学位の価値という問題はその一つ。それに気づかせてくれたのは、3月の参議院予算委員会のやりとりだった。

質問した野党議員が、大学の教授職に就いた文科省の元職員は最近3年半で15人おり、全員が博士号を持っていないという事実を指摘した。続いて国土交通省の事例も明らかになったが、大学教授になった26人のうち少なくとも23人が博士号保持者で、この点で我が国の高等教育行政をつかさどる文科省との差が際立った。この問題はマスコミにほとんど顧みられなかったが、問題を三つに分けて整理してみたい。

第一に、平成に入って以降文科省が推進してきた大学院重点化政策を文科省自らが否定している。この政策は、大学教員全体の博士号保有率を引き上げる意図が含まれていたはずだ。博士号を持たない文科省の元職員15人が大学教授となったのはそれと相反する行為ではないのか。

第二に、大人が抜け駆けしたという情けない事実である。大学院重点化政策は一面で成功を収め、大量の若い博士を誕生させた。けれども、若い博士の雇用創出に政府は無頓着だったため、結果として博士号を持っていても働き口がない、やっと見つけた就職先は期限付きばかりという、いわゆる高学歴ワーキングプアという負の側面を生じさせている。

最後の問題は、大学教授の資格を規定した大学設置基準第14条が、大学や文科省によって恣意(しい)的に運用されている疑いがあることである。

条文には大学教授の資格として、博士号及び研究業績を有することという原則に続き、いわば補助的・例外的な「準ずる」規定がある。博士号がなくても、何か特別な能力を持っていたり、博士号取得者に準ずるような専門知識や研究業績があったりする場合には、それらを同等に扱おうという規定である。

かつて我が国の大学には、文系を中心として極端なまでに博士号授与を制限するという慣習や文化があったため、「準ずる」規定には歴史的な役割があった。けれども、大学院重点化が進み、多くの博士号取得者が生まれた今、この規定の持つ肯定的な意義は薄れている。逆に縁故などで規定が恣意的に運用され、本来は教授としてふさわしくない人物を採用してしまうリスクが高まっているのではないか。

国交省の場合、技術系の博士号取得者が多いという事情があるにせよ、文科省の博士号ゼロという実態は明らかに異常であり、今こそ冷静な議論が必要である。

文科省天下り 教授職、博士号ゼロは異常 大西好宣|2017年6月8日朝日新聞 から

2017年6月12日月曜日

記事紹介|世界に開かれた強い大学システムを作る

先日、競合する複数の会社が運搬コストを節減するため貨物列車を共同使用する、というニュースを見た。

限られた資源を共同利用して、効率的に新しい価値を生み出す経済活動(広い意味でのシェアリング・エコノミー)が盛んになっている。カーシェアリングやシェアハウス的な試みが様々な分野に拡がる。例えば、岡山県真庭市では、芸術家が長期滞在し創作活動を行う「アーティストインレジデンス」に加えて、芸術家だけでなく異業種の外国人が同居するインターナショナル・シェア・ハウス方式を導入した。

大学の世界でも、効率的運営と成果最大化を狙って、複数大学参加によるベンチャーファンド、留学生支援などこれまでも様々な連携が進んできた。また、「大学が多すぎる」との指摘は周期的に強くなり、それに伴って大学統合も行われた。昨今、「国公私立の枠を超えた大学再編」が、政府の骨太方針や成長戦略に盛り込まれそうな勢いで、地方大学振興等有識者会議、中教審などで議論が行われている。

大学再編を想定する場合、その背景・目的によって、(1)地方の経営困難な私学救済策や人材確保策としての公的組織化、(2)県内の高等教育基盤強化のための連携、(3)県域を越えた経済圏などを想定した大学システム構築、の3つのパターンに分類できるのではないか。

(1)と(2)は、地方創生にとって重要な論点で、三重県・三重大学などから積極的な提案がされている。しかし、下手すると一県単位のビジョンしか描けず、各県が資源を取り合うこととなり、縮小均衡へと陥る危険性がある。世界との繋がりも視野に入れた発展モデルとなるかどうかが鍵だ。

(3)のパターンは、産学官の力を結集して、首都圏以外の地域での世界に開かれた強い大学システムを作ることができれば、大きなインパクトを持つ。(1)と(2)に留まるのでは無く、(3)も含めて現場からの前向きな提案が欲しい。

折しも、加計学園獣医学部新設を巡って官邸・内閣府VS文科省前事務次官の構図が注目を浴び、未曽有の政治問題となっている。高等教育局を始め文部科学省は、本来行うべき業務に全力を尽くせないかもしれない。こんな時こそ、従来に増して大学人が日本の大学全体の発展のために奮起するべき時ではないか。

大学間の連携から世界と戦う大学再編へ|平成29年6月5日文教ニュース から

2017年6月10日土曜日

記事紹介|「総理のご意向」文書問題

遅きに失したとは、まさにこのことだ。加計(かけ)学園の獣医学部新設をめぐる「総理のご意向」文書などについて、松野文部科学相が再調査を表明した。

朝日新聞がその存在を報じてから3週間余。この間、政権の対応は、国民を愚弄(ぐろう)するもの以外の何物でもなかった。

菅官房長官は「怪文書」と切り捨て、文科省は短期間の調査で「存在を確認できなかった」と幕引きを図った。前川喜平前次官らが文書は省内で共有されていたなどと証言し、それを裏づけるメールのコピーを国会で突きつけられても「出所不明」と逃げの姿勢に終始した。

突然対応を変えたのは、強まる世の中の批判に、さすがに耐えきれないと判断したのか。

あきれるのは、文科相が「安倍首相から『徹底した調査を速やかに実施するよう』指示があった」と説明したことだ。

怪文書呼ばわりしたうえ、前川氏に対する人格攻撃を執拗(しつよう)に続け、官僚がものを言えない空気をつくってきたのは首相官邸ではないか。反発が収まらないとみるや、官房長官は「再調査しないのは文科省の判断」と責任転嫁も図った。

こんなありさまだから、再調査に対しても「情報を漏らした職員を特定する意図があるのでは」と疑う声が出ている。

また「徹底した調査」と言いながら、文科省に「ご意向」を伝えたとされる、国家戦略特区担当の内閣府の調査は不要だというのは納得できない。

特区は首相肝いりの政策であり、国民が知りたいのは、そこに首相の個人的な思いや人間関係が入り込んだか否かにある。行政が公正・公平に行われたことを説明する責任は政権全体にあり、内閣府についても調査を尽くすのは当然である。

再調査では、前川氏をふくむ関係者に協力を依頼するのはもちろん、以下のような取り組みが求められる。

まず、信頼性を担保するために外部識者を調査に加えることだ。このような場合、第三者にすべて委ねるのが筋だ。それが難しいとしても「外の目」の存在は必須だ。文科相は消極的だが、世間では常識である。

次に、調査を最大限急ぐことだ。拙速はよくない。しかし、国会は会期末が迫る。再調査を口実に、ずるずる日を過ごすようなまねは許されない。

そして調査結果がまとまったら、首相らも出席して報告と検証の国会審議を行うことが不可欠だ。そのための会期延長も検討されてしかるべきだ。

政権の姿勢が問われている。

(社説)「加計」再調査 今度こそ疑念に答えよ|2017年6月10日朝日新聞 から


獣医学部新設をめぐり、文部科学省が省内で作成したとされる文書の再調査をする。国民の声が後押ししたというなら、安倍晋三首相の意向が働いていたのか否かを含め、徹底的に究明すべきだ。

公平、公正を期すべき行政判断が「首相の意向」を盾に歪(ゆが)められたのではないか。国民として当然の疑問に答えざるを得ない状況に政権は追い込まれたのだろう。

首相の「腹心の友」が理事長を務める学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部を愛媛県今治市に新設する計画である。

内閣府から文科省に「官邸の最高レベルが言っていること」「総理の意向だと聞いている」と働き掛けたとする文書が明らかになってからも、安倍政権は出所や入手経路が明らかにされていないとして、詳しい調査を拒んできた。

松野博一文科相は再調査の理由を「国民から文科省に追加的調査が必要だろうとの声が寄せられ総合的に判断した」と説明した。

国民の声に応えるのは当然としても、本来なら自ら進んで究明すべきではなかったか。

前川喜平前事務次官や複数の現役職員らが文書を省内で共有していたと証言してもなお、再調査を拒んでいた自浄能力の欠如を、まずは反省すべきである。

究明すべきは文書の真偽にとどまらず、学園理事長と首相との関係が、学部新設をめぐる行政判断に影響を及ぼしたか否かである。

真相の究明には、文科省に「首相の意向」を伝えたとされる内閣府側の調査も欠かせないが、山本幸三地方創生担当相は、内閣府は追加調査しない意向を表明した。

多くの国民が疑問を持つに至っているにもかかわらず、調査を拒むとは信じ難い対応だ。内閣府も直ちに調査を始め、国会による調査にも真摯(しんし)に対応すべきである。

政府の国家戦略特区諮問会議が昨年「獣医学部設置の制度改正」を決めた際、「広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限り」学部新設を認めると、文言が修正されたことも分かっている。

なぜ、獣医学部がない四国に計画する加計学園以外の大学を排除するような修正が行われたのか。学園理事長と首相との親密さは本当に無関係だったのか。

この問題は安倍政権の強権ぶりのみならず、日本政治の在り方をも問うている。通りいっぺんの調査でなく、徹底究明が必要だ。国会は関係者の証人喚問も含めて、国政調査権を存分に行使すべきときである。それが国民の期待だ。

【社説】「加計」再調査 「首相の意向」の究明を|2017年6月10日東京新聞 から

2017年6月9日金曜日

記事紹介|人文・社会科学に求められる役割

平成29年(2017年)6月1日
日 本 学 術 会 議
第一部
人文・社会科学の役割とその振興に関する分科会 

要 旨

1 本提言の背景-人文・社会科学から見える学術の危機

国立大学法人に対する平成27年(2015年)6月8日の文部科学大臣通知(以下、「6.8通知」)を受け、日本学術会議は二度にわたって幹事会声明を公表した。これらの二つの幹事会声明を継承し、かつ日本学術会議がこれまでに発出した原則や指針とも関連させながら、本提言では、日本の学術が直面する諸状況、解決すべき喫緊の課題を整理し、学術振興のために人文・社会科学が果たすべき役割と課題を検討した。

人文・社会科学には、時間と空間の視座を組み合わせ、多様なアプローチを駆使して諸価値を批判的に検証するという特質がある。学術の発展のためには、取り分け中長期的な社会的要請に応えるためには、人文・社会科学のこの特質を活かすことが欠かせない。人文・社会科学と自然科学の双方が協働して学術の危機を克服し、人類が直面する諸問題の解決に当たらなければならない。

2 本提言の位置づけ-2001年声明と2010年提言の継承と発展

平成23年(2011年)の東日本大震災と福島第-原発事故は、科学・技術のコントロールには学術の総合的考察が不可欠であることを再認識させた。この年に始まった日本学術会議第22期(平成23年10月~平成26年9月)は、福島第一原発事故がもたらした深刻な諸問題の解決と復興課題に組織をあげて取り組んだ。この経験を踏まえ、本提言は、21世紀に入って日本学術会議が発出した二つの意思(声明および提言)「21 世紀における人文・社会科学の役割とその重要性」[2001 年声明]及び「日本の展望-人文・社会科学からの提言」[2010 年提言]を継承・発展させつつ、改めて人文・社会科学が果たすべき役割と課題を論じ、その実現のための要点を五つにまとめた。

3 学術の総合的発展のために-人文・社会科学からの提言

人文・社会科学は教育・研究における自己改革をいっそう進めるとともに、学術の総合的発展を目指して、人文・社会科学の立場から以下の5点を提言する。

(1)教育の質向上と若者の未来を見据えて高等教育政策の改善を進める

人文・社会科学系のこれまでの教育改革は教養教育改革とセットになって進められることが多く、その成果は、学生主導型授業の導入や留学を基軸にした総合的英語教育の実施など、教育GPでの人文・社会科学系プログラムにも反映されている。こうした実績を踏まえた教育改革には、以下の課題解決が必須である。グローバル化に対応するために英語による授業を増やすとともに多言語教育や多文化教育を充実させること、各分野の「参照基準」を具体的に実践し、論理的・批判的思考力・表現力などの「市民」として求められる基礎的能力を理系教育にも高校教育にも取り込むことができるよう協力すること、国際的水準にあわせて教員の再教育を進めること、私立大学人文・社会系学生への奨学金制度を充実させること、である。

(2)研究の質向上の視点から評価指標を再構築する

人文・社会科学領域での研究の質向上を図るには、研究の多様性、文献への依存度の高さ、成果の公表方法、「スロー・サイエンス性」といった人文・社会科学の特性を考慮した評価方法や資金配分が策定されるべきである。そのためには、人文・社会科学の側でも、研究成果の公開・共有・可視性の向上を図り、分野の特性に応じた評価指標を確立させるべく努力しなければならない。

(3)大学予算と研究資金のあり方を見直す

1990 年代半ば以降、日本の高等教育政策は、基盤的経費から競争的資金へと研究資金の比重を移してきた。「期間限定の研究プロジェクトへの支援」という性格が強い競争的資金では、中長期にわたる教育・研究基盤の脆弱化を防ぐことはできない。中長期的なスパンで研究成果を捉えることが多い人文・社会科学を発展させ、その特質を活かすためには、安定的経費が不可欠である。また、変化の激しい現代世界に対応するには、人文・社会科学においても、たとえば、データベースの構築、資料電子化の基盤整備、共同利用体制の計画的推進など、中長期的な視野に立つ「大型」経費が必要である。一方、安定的経費の削減は、とりわけ地方国立大学に深刻な打撃を与えている。地方における文化継承・社会問題分析の専門家集団として、地方国立大学の人文・社会科学系学部・学科が果たしてきた役割や将来の可能性に十分配慮した人員配置と予算措置を国が講じることが望まれる。

(4)若手研究者と女性研究者の支援を本格化させる

常勤ポストの任期付ポストへの転換、及び非常勤ポストの削減は、若手研究者を脅かす深刻な問題となっている。低賃金の非常勤講師に依存する大学経営のあり方を自明視せず、克服すべき構造的問題ととらえて、常勤ポストの確保や非常勤講師の待遇改善に努める必要がある。人文・社会科学系における女性研究者比率は、自然科学系に比べると高い。その結果として、女性研究者に対する支援は自然科学系に偏りがちであり、人文・社会科学系の女性研究者が直面している問題が見えづらくなっている。今後は、全体的・包括的な女性研究者支援策を一層強化するべきであり、とりわけ、職階格差の解消と学協会役員の女性比率の上昇を図らねばならない。

(5)総合的学術政策の構築をはかる

日本では、人文・社会科学を含む学術全体を視野に入れた国の総合的政策は存在しない。しかし、21世紀社会では「科学技術基本法に基づく科学技術の推進」ではおさまりきらない多くの問題が発生し、それらを議論する必要があることは明らかである。人文・社会科学の振興は、学術全体の総合的かつ調和的な発展を展望して政策化されるべきである。今後、日本における学術の現状と課題を事実に基づいて解明し、広く国民と共有するために、人文・社会科学と自然科学を含め、学術の全領域に渡る「学術白書(仮称)」の作成が必要である。それとともに、日本学術会議を中心として「学術基本法(仮称)」の制定などに向けた検討を進めることが望ましいと考える。

2017年6月3日土曜日

記事紹介|アジアの関心は日本にあらず

大学ランキングをはじめとした日本の大学の評価あるいは評判について、日本の大学のことが世界に知られていず、十分な評価が得られていないと嘆く人が多い。だが、私は最近のいくつかの経験で、日本の大学が自分たちのことを知ってもらうための努力を十分しているのだろうかと疑問を持った。

先日ベトナムの大学に行ったとき、日本の大学の財政状況について講演してほしいとの依頼があった。そこで、英文の講演資料を作ろうと思い文科省や各大学の英文HPをいろいろ見たのだが、学生向けの学部案内などはあるものの、大学の経営や財政に関する英文資料は大変不十分だと感じた。財政状況の記述は多少あるものの、難しい行政用語を直訳したような記述ばかりで、何が課題でどうしようとしているか分からない。

これは考えてみると、日本語のHPにも同じ問題があり、財務諸表などの資料は公開しているものの、それがどのような状態であり、これからどうなるかは一般の人にはまるで分らない。素人にはわからないのは当然だと言わんばかりの対応だが、予算の獲得にせよ寄付金の獲得にせよ、一般市民の理解と支援が必要なのにその努力をしているとは思えないHPの記述となっている。

このように、日本の大学は、海外はもちろん国内でも、自分たちを理解してもらうための努力をあまりにもしていないと感じた。

次にマレーシアの大学へ行った。マレーシアの大学の国際交流のパンフレットを見ると、交流相手で大きく取り上げられているのはアメリカ、ヨーロッパ、中国、オーストラリアなどで、JAPANは資料のどこにも出てこない。説明してくれる幹部も気にして、申し訳なさそうに口頭で補ってくれたが、日本の扱いはその程度である。これは扱いが小さいのではなく、実績が小さいのでそれに応じた扱いをされているのだ。

日本の大学関係者には、日本はアジアの先進国であり、アジア各国は日本に大きな関心を持っているはずだとの思い込みがあるかもしれない。しかしアジア各国の視野は、グローバルに交流の良い相手を探しているのであり、日本はその中でどういう魅力を提供できるかが問われているのではないか。

このままでは日本の大学は、アジア各国の大学からの関心も持たれなくなってしまうのではないかと心配になった。これに対する対策は、日本の大学がこれからどうしようとしているかを明確に打ち出し、それを分かりやすい英文と日本文で公表していくことだと考える。日本の大学はそれをやれるだろうか。

外から見えない日本の大学|IDE 2017年4月号 から

2017年6月2日金曜日

記事紹介|大学の研究力と責任

世界をリードできる研究は、結局のところ研究者一人ひとりの自由な発想とそれを実現する努力、またそれらを支える適切な環境によってもたらされる。多くの事例が明らかにしているとおりである。他入が目標を立てたお仕着せの研究からは、国内一流水準の論文や追いつき追い越せの報告書は生まれても、世界をリードする創造的な成果は得られにくい。このことは、世界水準の研究コミュニティにいる研究者であれば、誰もが肌で知っていることだ。

世界をリードする研究者とはどんな研究者なのだろうか。国際共著論文を出版しさえすれば世界をリードする研究者なのかといえば、もちろんそうではない。国際共著論文は結果に過ぎない。大切なことは、世界に先駆けた知の「生産者」かどうかということである。急速に進む情報通信技術の影響の一つは、知の生産者に比べて知の消費者が格段に増えたことだ。逆に言えば、本格派の知の生産者が以前より遥かに重要な位置を占める時代になったということだ。

世界水準の「研究力」の源は、世界水準の知を生産することのできる研究者にある。ただし、その力が十分発揮できるようにするには、「研究力」を発揮する適切な環境が必要だ。そのためには、大学や研究機関の役割、文部科学省をはじめとする政府の諸政策、日本学術振興会のような研究助成機関の役割、さらには科研費のように個々の研究者の自由な発想に基づく研究を支援する研究費の役割がきわめて大きい。

したがって、「大学の研究力」を高めるための方策は、自らの発想と目標をもとに世界水準で知の生産者たり得る研究者をできるだけ集めること、またそれらの研究者が十分に力を発揮できる「適切な環境」を創り出していくこと、これらの2点に尽きる。

ところが現実には、日本の大学、特にトップレベルと言われる大学において、もちろん個別には世界水準の研究者も多々おられるが、「大学の研究力」としては、世界の一流大学とベンチマークしたとき、上の2点はほとんど実現されていないと言ってよいのではないか。

第一に、世界水準の研究者を集めることが「大学の研究力」を高める第一の要件であるが、日本の大学は人事の流動性がきわめて小さく、常勤教員の個人評価も明確でない。このため、いったん常勤ポストを得た研究者の個人評価が大学の評価に直結していない。第二に、研究支援の専門職員がきわめて少なく、専門職として社会に認知されていないため、大学として研究の「適切な環境」を整備するどころではない。第三に、大学に対する国の予算執行と大学側の経営力の問の乖離が大きい。

国の側から見ると、大学の研究予算は増えているのに成果があがらないのは大学側の経営力の問題である。大学からみると、時限の研究予算は増えても優れた研究者を世界から集めたり適切な環境を整備するための予算が足りず、結局研究にしわ寄せがきているという。いずれにしても意識のすれ違い状態が続いているのが現状だ。

他にもいろいろな論点はあるが、いずれにしても日本の大学は世界の先進諸国の中で沈みつつある。

上に書いたことも背景になって、「大学の研究力」を高めるためのさまざまな政策が立案・実施されている。例えば、第3期中期目標期間における指定国立大学法人が公募されており、「研究力」が申請要件の柱の一つになっている。具体的には、分野の融合や新しい学問分野の創出を含め、国内外を問わず求心力をもって研究の拠点となる力が求められ、特に科研費の新規採択件数の累計(2012〜16年度)が2分野以上で国内10位以内、Q値(論文に占めるトップ10%補正論文数)(2009〜13年)が国内10位以内という条件が、「研究力」についての申請要件となっている。

こうした要件は、定量的評価の基礎として必要なことであり、また分野別の評価など、有効と考えられる評価基準が導入されている。ただし、ここに書いたように、「大学の研究力」の源はその大学に所属する個々の研究者が世界水準の知の生産者だ、ということにある。また、「大学の研究力」は、そうした研究者をどのくらい多く集められるか、また彼らに世界水準の研究コミュニティと直接つながる環境をどのくらい提供できるかで決まる。それには大学側に、コスト削減を改革と称するような従来の日本の大学「運営」とは異なる、世界の大学とのベンチマーキングに基づいた「経営」努力が不可欠である。

世界水準の研究者が身を預けたくなる環境の整備に向けて努力を惜しまない大学が報われ、世界水準についての感度の鈍い大学が沈んでいく大学問の競争環境を、我々自身が創り出さなければならない。若年人口急減の中で知の生産を進めなければならないこれからの日本にとって、自治を標榜する一方で経常予算だけでも毎年1兆円を超える多額の税金が投入されている大学の責任はきわめて大きい。

2017年6月1日木曜日

地方大学の生き残りのために

去る5月22日、政府の「地方大学の振興及び若者雇用等に関する有識者会議」による「地方創生に資する大学改革に向けた中間報告」が取りまとめられました。

やや産業界寄りの記述が多いように思いますが、このうち「地方大学の振興」に関する部分を中心に抜粋してご紹介します。

地方大学の生き残りが求められている中、当事者は何ができるかを真剣に考え、実行することが問われています。(太字は拙者)


1 はじめに

本中間報告は、「まち・ひと・しごと創生総合戦略(2016改訂版)」(平成28年12月22日閣議決定)に基づき、地方大学の振興、東京における大学の新増設の抑制及び地方移転の促進、地方における雇用創出及び若者の就業支援等についての緊急かつ抜本的な対策に向けた検討の方向をとりまとめ、地方を担う多様な人材の育成や産官学連携による地域の中核的な産業の振興を促進するとともに、東京圏への人口の過度の集中を是正し、もってまち・ひと・しごと創生の実現を目指すもの。

2 基本的な問題認識

(1)大学を巡る現状と課題

①地方の国立大学は、幅広い学問分野をカバーし総合的人材を育成してきたが、一方で「総花主義」「平均点主義」のため、どの分野に重点を置いて人材育成を目指しているのか、特色が見えないと言われている場合が少なくない。「総合デパート」としてだけでなく、地方のニーズを踏まえた組織改革等を加速し、それぞれの特長や強みをさらに強化する必要。

②大学の大衆化(大学・短期大学進学率は約6割)の現実と、「学術の中心」という教育基本法に掲げる大学の理念がかい離し、学術研究面でも、実践教育面でも、十分に応えきれていない大学が多いのではないかとの指摘。

③日本の大学が、産業構造の変化(産業のサービス化、知識集約化等)に十分対応できておらず、成長分野のビジネスや地方産業につながる人材育成、研究成果の創出といった面で、地域のニーズや期待に十分応えていないとの指摘。

④大学経営は企業側の人材の採用・育成、研究開発(オープンイノベーションの推進等)のあり方の改革と併せて考える必要。また、大企業中心の発想を地域密着型の中堅企業(大学発ベンチャーも含む)中心に変える必要。一方で、大学の自主性を生かしながら、各大学の機能等を強化・特化していくという視点も重要。

⑤日本の大学では、学長の予算や人事に対する裁量・権限が弱く、ガバナンスが発揮しにくいとの指摘や、国立大学においては、組織を監督する理事会に相当するものがなく、学長が理事を任命する仕組みとなっていることが問題であるとの指摘。さらに、ビジネスやベンチャーとの連携を軽視する風潮。

⑥ 大学に求められる新しい学問分野への対応は、新たな学部・学科を設置する方法以外に、柔軟に分野融合的な教育プログラムをつくれるようにすることも重要。

3 大学改革の方向性

(2)地方の特色ある創生に向けた地方大学等の対応

①「特色」を求めた大学改革・再編

国公私の設置者を越えた機能分担を進める。さらに国立大学にあっては、国立大学間の連携・協力の一層の強化を図るとともに、それぞれの地域ニーズに応じた学部・学科の見直し等を進める。その上で、この領域・分野ならこの大学といった「特色」にも配慮した大学改革を進め、各大学の強みのある学問領域・産業分野において、専門人材の育成、研究成果を創出

②地方創生に貢献するガバナンス強化

学長がリーダーシップを発揮して、地方のニーズに応じた学部・学科、研究室の再編・充実に関する取組を推進するなど、地方大学の機能強化に向けた組織改革を、スピード感を持って実施。

(3)大学の機能分化の推進

大学が、グローバル化や地方創生などの時代の要請に対応する観点から、大学の機能分化を推進していくべき。すなわち、各大学は、G型(グローバル型)大学として、世界水準の学術研究を目指す大学や学部、あるいは真に世界のトップ水準のグローバルトップエリート人材の輩出を重視するのか、L型(ローカル型)大学として、特色ある地域の中核産業を支える専門人材の育成・確保に取り組むとともに、地域に根差して地域を支える仕事(地域密着型の産業や企業で働く人々)に就労して生きていく人材に対して、実践的な基礎能力教育や最新の技能教育の実施を重視するのかを明確にする必要。

4 取組の方向性

(1)地方大学の振興

ドイツのフラウンホーファーの取組(全国 69 ヶ所、研究資金は産官学の三者が負担)の例にあるように、産官学の連携により、特色ある産業づくりへの貢献を目指す。

③地方大学が産官学連携の下で、産業等で地元貢献していくためには、大学自らが変われるようにするためのガバナンスを強化する仕組みを導入。

⑥上記については、特色ある大学への自己変革によるか、または、他の大学と連携等を行い新学部・学科を設置することによるか、検討が必要。

⑧大学への補助金(運営費交付金、私学助成)等については、その配分を見直し、より地方創生に資するメリハリの効いた配分にするよう検討。