2017年11月19日日曜日

記事紹介|涙の意味も理解出来る人でありたい

あなたが生まれたとき、あなたは泣いていて、周りの人は笑っていたでしょう。

だから、いつかあなたが死ぬとき、あなたが笑っていて、周りの人たちが泣いている。

そんな人生を送りなさい。

ネイティブ・アメリカンの言葉


今日はなんとなく「涙」をキーワードに選んでみました。

溢れそうな感情があるときに、泣いても良いんだよというメッセージを込めたくて。

一方で化学者のファラデーの

『慈母の涙も化学的に分析すれば、ただ少量の水と塩分だが、あの頬を流れる涙の中に、化学も分析し得ざる尊い深い愛情のこもっていることを知らねばならぬ。』

という言葉のように他人の涙の意味も理解出来る人でありたい。

ときには悔し涙を流すほどの仕事もしてみましょう。

涙|今日の言葉 から


2017年11月12日日曜日

記事紹介|科学界に広がる精神汚染

論文至上主義を懸念する筆者であるが、科学研究者は何のために論文を発表するのか。元来、精神の高揚を旨とし、実利には距離を置く学術共同体の中で、同好者たちが互いに思想、知見、意見を交換し合い、いわば自己表現する手段であった。加えて、時を経た現代では、社会が多大な公的財政支援による成果の証として論文発表を求めるためとされる。研究者にとっては評価対象ともなるが、さらに競争的に職業的地位と生活の糧の獲得、名誉栄達のための利己手段でもあることも否めない。その結果である過剰な論文偏重主義とそれを助長する科学論文出版の商業化が、アカデミアのみならず周辺社会にも深刻な歪みをもたらしている。

ブランド科学誌の威光

「XX大学のYY教授によるこの研究成果は、最近Nature誌に発表されて高い評価を受けた非常に優れたものです」。昨今、学術賞選考会や研究費審査会でしばしば耳にするこの発言には、大きな違和感を覚える。むしろ絶対的な禁句ではないか。審査の過程と結果は研究社会に受容されるものでなければならないが、定められた目的に関し評価を委嘱された委員には、研究者の職歴や論文の外観ではなく、研究内容と質を自らの専門的見識で精査、説明して欲しい。研究の本質は国籍、所属機関、職位や論文誌に依存しないはずではないか。人については出自や資産、容姿ではなく、「人物本位」で評価する。街の建造物に例えれば、美しいタイル張りの斬新な外装に見とれることなく、構造の強靭性や内部の居住性、機能性を吟味することが求められる。

読者が目にする科学論文は研究者と査読者、出版組織の共同作品である。科学研究は主に公的資金に支えられるが、成果発信の相当部分は民間が担う。伝統を誇る英国Nature誌は、現在ドイツ商業出版社Springerの傘下にある。広い科学分野を取り扱うが、進展する専門分野に特化した多くの姉妹誌をもつ。Cell誌は世界最大のオランダ出版社エルゼビアが発行する生物医学専門誌である。ちなみに、広く社会的影響力をもつScience誌は、2万人の会員を擁する米国の非営利団体AAASが発行するが、相当の収益事業という。

科学技術政策や大学組織の経営方針は、断固として自らの理念に基づく主体性を堅持すべきである。しかし、いまや出版界は研究者の人事、研究費のみならず、いくつかの分野では科学の行方にまでに影響力をもつに至っている。最近の商業誌には、本来の出版使命を超えて自ら科学賞を設置する動きさえある。実際、シドニー・ブレナー(2002年ノーベル生理学医学賞受賞者)は、「学界はすでに科学誌の要求に応える成果を生むよう仕向けられており、制度的に腐敗しきっている」と断罪している。研究者の隷属はあってはならないはずである。

権威の根源は

自らが、そして研究社会と周辺も追従してhigh profile誌と位置付けるこれらの論文誌が、科学の進歩へ大きく貢献してきたことは間違いない。果たしてこの種の有名ブランド誌への掲載が、研究者はさまざまな機会に科学的真価の基準を示す絶対的権威として機能する根拠は何だろうか。まずは、採択障壁の高さであり、それを律する特別の審査基準ではなかろうか。例えばNature誌の現在は採択率が5%以下。採択数が少ないからこそ、研究者はあえて希少性に挑む。

投稿論文は担当編集者の責任のもと、見識あるとされる数名の外部専門家による匿名査読(peer review)に供される。採否の裁断には膨大な時間と労力がかかる。意見を受けて、しばしば修正作業ののち、編集者が最終判断する。通常はアカデミア有力者が編集に責任をもつが、Nature誌やScience誌においては社内の専属編集者を中心とする会議の判断が重要と聞く。この誇り高き編集者たちの広い視点での熟議は高く評価できるが、彼らの主観的判断は商業誌ゆえの基準に則ると推察され、一般学会誌のものとは異なっても不思議はない。

決して霊験あらたかな、総じて水準の高いとされる科学誌を一方的に非難するつもりはない。むしろ、それをあたかも聖断と崇める研究社会の風潮こそを懸念するのである。

商業出版の功罪

スポーツの祭典オリンピック大会と同様、出版活動へのビジネスの参入はグローバルな存在感を明確に高める。確かにブランド誌の表現力と広報影響力は群を抜き、通常の学会誌に比べて魅力的な場を提供する。その熱意と技量には敬意を表したく、また研究者が世界の一流舞台で、自己表現したいという心理も理解できる。しかし、科学誌は自己顕示の場では無く、あくまで科学の本質的内容の公表の場である。

ブランド誌掲載が目的化すれば,真理追究を目指す研究者の規範は揺らぐ。中国では、Nature に掲載されれば最高16万5千ドル、米国科学アカデミー紀要(PNAS)なら3,513ドルの報奨金制度があるそうであるが、良質な研究のための適切な動機付けと言えるであろうか。

さらに、近年は、社会的華やかさとは無縁の科学的発見について、マスメデイアも相乗りし「名声」をいたずらに増幅し、しばしば科学が大変革するような喧騒を呼び起こすことになる。本来そこに求められる相対化した総合的考察が省かれることは甚だ無責任である。

それでも学術か

学術論文は、市場性ある派手な流行語を冠した押し付け商品ではなく、内省的で静謐なたたずまいに特徴があった。しかし、近年の風潮は大衆迎合と言わざるをえず極めて嘆かわしい。多くの論文が喧伝するように、本当にその成果は格段に革新的であろうか。しかし、近年の論文の題名や抄録にはnovel, amazing, innovative, creative, astonishing, groundbreaking, remarkableなどの眩い形容詞が並ぶ。この大げさな非科学的な語句は、30数年間で2%から17.5%に伸び、さらに増加、感染の傾向にある。言葉を選んだ著者自身のみならず掲載誌の倫理問題でもある。これらのおごった表現は外部者に対して、あたかもすべての重要課題は直ちに研究し尽くされるかのような印象を与えるが,もしこれが事実にもとる誇大宣伝ならば、早晩に科学社会は信頼性を失うであろう。

学会の口頭発表の性格も変わったようである。我々は「良い研究をして、観察事実を正確に発表するように」と厳しく教育された。しかし最近は、聴衆は専門家だけに限られないので、内容の如何、道理の正しさよりも分かり易さ優先で、「人目をひくプレゼン(presentation)をするように」と学生指導するようである。なるほど、けばけばしい図面や派手な動画を使った恥じらいを欠く、羊頭狗肉の自己宣伝が目立つ。

高JIF論文誌が投げかける影

高級ブランド誌の平均被引用数指標(英語では大げさにjournal impact factor(JIF)と称する)は大きい。いやJIFが高いからブランド誌とよばれる。しかし、元来Nature、Science両誌ともに高いJIF値を支える論文は全体の25%に過ぎない。最近、研究社会の反撃をうけているNature誌群は、JIF偏重を認めるものの、相変わらず自らの数値向上に余念がないように見受ける。

高いJIFを記録する論文の大半が、昨今爆発的な発展を見せる生命科学、医療関連分野から生まれる。残念ながら、ここに虚偽を含む様々な不都合による研究論文の撤回の頻発が話題を呼ぶ結果となっている。有名なEMBOジャーナルによると、すでに公表済みの論文の写真図面の20%に改ざんの跡があるという。

さらに驚くべきことは、不名誉な論文撤回のワースト10にはJournal of Biological Chemistryを筆頭に、Science、PNAS、Nature、Cellなど高いJIF値を誇る最有力誌が軒並み名を連ねていることである。一部の有力研究者たちの倫理の欠如は明白である。すでに地位を確立し、若者を導くはずのこのような研究者たちはいったい論文掲載に何を求めているのだろうか。

もとより、最大の問題は著者たちの倫理の欠如にあるが、時には不正侵入に対する「門番」としての査読者、さらに瑕疵発見の技術的手立てを怠る出版社に大きな責任があろう。公的な監視組織の設置も事後には有効であろうが、事前の備えは万全だろうか。商業出版社には、多少の危険を犯しても、見栄えのする論文をライバル誌に奪われまいと、自らに囲い込む意図が働くのであろうか。加えて、自らの営業利益のために「Publish or Perish」「Impact or Perish」と論文至上主義をあおる出版社の責任はどう問われるべきか。ブランド誌よりも注目度が低い一般専門誌の実情はいかがであろうか。

記述内容の再現性欠如は後続の研究展開を甚だしく妨げる結果となり、米国の国立アカデミー連合でも大きく問題視されている。実は医療研究論文の65%が再現できないとされる。また不適切な計画実験により、全研究費の約80%に相当する2,000億ドルの膨大な額が恒常的に浪費されているとの批判もある。2012年、米国のベンチャー企業Amgenの研究者は、がん研究の主要53論文を追試の結果、わずか6論文しか再現できないと問題提起して衝撃を与えた。アカデミア発の基礎科学論文の信頼性は企業の医療開発研究の基盤であるが、自ら不具合を認める学界そのものに追試の動機に乏しい。危機感をもつ米国では、再現性確認作業を請け負う企業もできているという。その経費負担まで含めた科学研究費ということなのか。この異常現象はいったい何を意味するのか。再現性欠如は生命科学研究特有の問題だろうか。

科学的価値の自己管理を

近年の由々しき傾向は、まさに科学界に広がる精神汚染の結果である。背景に研究社会の競争過剰と評価システムの欠陥があるが、より広く大学教育の問題、現代社会の総合的なモラルの喪失の反映である。

研究社会の自治の問題でもある。ブランド性の高い超有力誌だけが、科学者の心を支える「信仰の館」でないことだけは明らかである。科学界は、揺るぎない矜持をもって本来の価値を自己管理することこそが、社会的責任であると堅く信じる。

野依良治の視点 高級ブランド科学誌への「信仰」|jst から

2017年11月11日土曜日

記事紹介|子どもの貧困-なぜ子どもが涙しなければいけないのか

あなたは、子どもの貧困という言葉を聞いてどのように感じますか?

昔と比べて日本は経済的に豊かな時代となり、あまり実感が沸かない人もいるかもしれません。もしくはパッと聞くと「みんな大変な中で暮らしているのに何を言ってるんだ」と、贅沢や甘えに感じてしまう人もいるかもしれません。

子どもは未来ある豊かな存在

子どもの貧困は、その定義の難しさや見えにくさなどから論争が起こっています。「本当にそんな子いるの?」。「何とかしなければいけない」。「いや、自己責任だろ」。それらのなかには、必死に生き抜こうとしているからこその冷たい言葉を聞くこともあります。小6で母親を自殺で亡くし「自分のことは自分でやってね」と言われて独りあがき続けた身として、何だか気持ちが分かってしまう部分もあります。

それでも、ひっかかる言葉がいくつかあります。そのひとつは、「心の貧困」です。心の貧困とは、経済的な貧しさと対比して心が貧しい意味合いで使われています。支援者の人からも、悪気なく「お金の問題だけじゃないよね」と、この言葉を聞くこともあります。

本心は違ったとしても、聞くたびに「問題なのはお金じゃなくて、心が貧しいことが問題なんだ」と聞こえて、もやもやします。今まで様々な子どもたちと出会ってきましたが一人として心が貧しいと感じる子どもはいませんでした。

春休みに開いたキャンプでは、大雪となりスタッフはひやひやとしたのですが、子どもたちは雪合戦や雪のすべり台、雪だるまをつくって思い切り楽しんでいました。キャンプに参加した子どもたちは、普段は我慢を強いられることも多く、使い余しているエネルギーをスタッフのお兄さん・お姉さんたちに遠慮なくぶつけてきます(笑)

むしろ、子どもは本当に豊かな存在です。生まれ育つ環境によって、その豊かな育ちを奪われてしまう状態が「子ども(が育つ環境)の貧困」なのではないでしょうか。問題の所在は子どもを取り巻く環境など支える私たち社会側にあるのに、心の貧困はその所在を子ども個人に向けてしまう危険性があります。

心の貧困は貧困によって辛い思いをさせてしまっていることを言いたいのだとしても、誤解を生むかもしれない言葉です。

必要なのは、諦めない力より諦めずに済む環境

「報道で高校生に批判があり、冷たい言葉を聞くと、お金がないなら部活を辞めろと言われているように感じた。」

去年の今頃、母子家庭で育つ高校生1年生のCさんは笑顔でそう話してくれました。

Cさんは高校に入ったらずっとやりたかった部活動がありました。その部活動はユニフォームや用具だけでなく大会などで遠征があり、お金がかかります。先日も遠征があったのですが、お母さんは「それは申し訳ない、ごめんなさい」と伝え、部員の中でCさんだけ遠征に行くことができませんでした。

Cさんは「いいよ、別に」と話していたそうですが、ずっと笑顔だったお母さんが私と二人になった途端「子どもに辛い思いをさせてしまったのではないか」と悲しそうな顔で話をはじめました。

Cさんは恋愛の話になるとニヤニヤが止まらなくなる、どこにでもいる、かけがえのない高校生の一人です。お金に十分な余裕がないと続けることが難しい部活動や、どこか「お金がないなら部活を辞めろ」と簡単に切り捨てる風潮を感じさせてしまう私たち社会側に、責任の一端があるのではないでしょうか。

私は高校生のときに大学に進学する費用をアルバイトで貯めるために部活動を諦めた一人です。「だから甘えてる」のではなく、次の子どもは経済的な理由で諦めずに済む環境をつくりたい。Cさんに必要なのは、諦めない力より諦めずに済む環境です。

「子どもの貧困対策法」について

子どもは生まれ育つ環境を選ぶことができません。にも関わらず自己責任を押しつけ、子どもに「頑張っても無駄じゃないか」、「そういう運命なんだ」、「自分さえ我慢すれば良い」と厳しい現実を受け入れさせようとする。そのような理不尽があってはいけないと立ち上がったのは、自身も親を亡くし厳しい環境で育ってきた学生たちでした。

彼らは広く草の根から集まった奨学金を借り、多くの人から温かい支えを得ることで進学の夢を諦めずに済みました。しかし、親を亡くしたひとり親家庭より離別や未婚の方が多く、同じひとり親家庭なのに進学や様々な経験を諦めている現状に彼らは胸を痛めました。また、そのころ初めて子どもの貧困率が公表され、厳しい状況にあるのはひとり親家庭だけじゃない現実も突きつけられました。

その後、市民団体との連携や超党派で国会議員の力添えもあり、2013年6月に念願の「子どもの貧困対策法」が成立しました。2009年に初めて呼びかけた学生たちはすでに卒業し、後輩が思いのバトンを引き継いでやっとできた法律でした。自分たちのためではなく、次の子どもたちのためにと願う「血の通った」法律で、来年6月に法成立から5年が経過します。

まだ社会が捨てたものではないと信じたい

私も呼びかけをしていた当時の学生の一人です。法律ができる直前に仲間たちと「法律ができただけでは子どもやお母さんたちに大丈夫とは言えない。これからが本番だ」など夜遅くまで議論をしていました。法成立と同時期に勉強会を始め、国の基本方針を定める大綱が決まってからは自治体などにも対策推進の呼びかけを行いました。

当時と比べて認識は確実に広がり、各地で学習支援や子ども食堂などの取組みも増えました。対策はひとり親家庭に支給される手当の拡充や給付型奨学金の創設、教育無償化の議論にもつながり、少しでも子どもたちにとって良かったと感じられる法律であることを日々切に願っています。

一方で、理解が伴う形で認識が広がったかのかについては課題が残ります。このことについても書く機会をつくりたいと思いますが、これ以上、傷つく子どもが増えてしまってはいけません。法成立5年が近づく今、改めて子どもの貧困について知ろうとしてみませんか。

「母子家庭で育ち、勉強を頑張りたいと思うけど、結局お金がないから進みたい進路へ進めないかもしれないし、頑張っても無駄じゃないかと思ってしまう。」

高校生を中心とした委員会の会議で、参加してくれた子が背中を小さくして涙ながらに語った言葉です。この言葉を言わせてしまっているのは、私たちです。なぜ子どもが涙しなければいけないのでしょうか。最後は子どもたち自身が自分の未来に一歩を踏み出すしかありません。それでも、一歩踏み出そうと思える環境をつくるためには、皆様のお力添えや寄り添う姿勢が必要です。私たちが背負わせている社会の理不尽は、大きすぎます。

今一度、みんなで一緒に考えてみませんか。私は信じています、この社会がまだ捨てたものではないということを。

「頑張っても無駄じゃないか」あの子の涙は、もう見たくない-子どもの貧困は、その定義の難しさや見えにくさなどから論争が起こっています|The Huffington Post Japan から

2017年11月7日火曜日

記事紹介|自分自身を磨く

鈍刀(どんとう)をいくら磨いても
無駄なことだというが
何もそんなことばに
耳を貸す必要はない
せっせと磨くのだ
刀は光らないかも知れないが
磨く本人が変わってくる
つまり刀がすまぬすまぬと言いながら
磨く本人を光るものにしてくれるのだ
そこが甚深微妙の世界だ
だからせっせと磨くのだ
坂村真民

物事を惰性で行なっていたら、磨かれるものも磨かれない。

一見無駄に思われること、自分ではなくてもいいようなことに真面目に取り組むこと、

人の嫌がることを率先して引き受けることで、

やってることそのものが光らなくとも、

それに取り組んでいる自分自身が磨かれてくるのですね。

そのことを知っているか知らないかで、取り組み姿勢も変わってくるでしょう。

『自ら変えられるものは変化を起こし、変えられないものは受け入れること。』

物事に対峙したときは、このどちらかの姿勢で臨むと良い。

そして後者だった場合には、鈍刀を磨くつもりで取り組むことが大事なのです。

今日の言葉 から


2017年11月3日金曜日

記事紹介|学び直しと大学の役割

安倍内閣が設けた「人生100年時代構想会議」は、社会人が仕事に必要な知識や技術を身につける「学び直し」をテーマの一つにかかげる。

受け皿に想定されているのは大学だ。だが適任かどうかは、教員の専攻分野や人数、地域の事情などによって異なる。視野を大学以外にも広げて、議論を進めるべきだ。

一方、少子化による学生減で厳しい状況にある多くの大学にとって、社会人の受け入れは以前からの課題だった。投じられたボールを受けとめ、自校の針路や将来像を考える機会にしてもらいたい。

政権が描くのは産業を担う人材の能力向上だ。IT分野などは働きながら新しい知識を取り入れていかないと、技術革新のテンポに追いつかない。社会全体をみても、終身雇用は崩れ、企業の盛衰も激しい。転職や再就職をしたい人や、正社員をめざす非正規労働者への再教育がますます必要になる。

経済界や政権の思惑を離れても、自分の仕事や生活を充実させるために、学び直しを志向する人は少なくないはずだ。

育児で仕事を休んでいたが、復職前に最新の専門知識を勉強したい。シニア世代になっても腕をみがき、新たな仕事に挑みたい。町づくり活動に役立つノウハウを学びたい――。

こうした声に応えてくれる場が地域にあれば心強い。

日本の大学(学部)入学者のうち社会人は推計2・5%で、諸外国よりかなり低い。

理由の一つは、企業実務などに対応した教え方ができる教員が少ないことだ。だが、そうした人材を新たにスタッフに迎えるには経費がかかる。ただでさえ苦しい研究費にしわ寄せがいくのを避けるためにも、大学間で提携の方法を探るなど、知恵をしぼる必要がある。

もう一つの理由は、個人や企業がコンサルティング会社を使った社内研修や通信教育、資格学校の利用などで、個別に対応してきたことだ。こうした既存のサービスと大学との間で、どう役割を分担するか。その検討も課題になる。

地方都市は都会に比べ、どうしても学び直しの場が少ない。だからこそ大学が大きな役割を果たせる可能性がある。地元で働く人に耳を傾け、地域に貢献する講座を工夫してほしい。

社会人のニーズは「土日か夜間に、短い期間で、安く、実践的な勉強がしたい」と明確だ。教室での対面講義ばかりでなく、ネットによる動画配信なども有効活用できるに違いない。

学び直し 大学の針路探る機会に|朝日新聞社説 から

2017年11月2日木曜日

記事紹介|時は誰も待ってくれない

一番多忙な人間が、一番多くの時間をもつ|アレクサンドル・ビネ

忙しい人ほど時間のやりくり上手なのは、わずかな時間の価値を知って無駄にしないからでしょう。

隙間時間も有効に使うし、優先順位付けも上手く出来る。

それは先のVisionが見えているから、逆算思考が出来るからとも言えるでしょう。

以前もご紹介しましたが、時間を意識するときにはこのお話が参考になります。

今日という日に、最大限のものを作り出しましょう。

1年の価値を理解するには、浪人した学生に聞いてみるといいでしょう。

1ヶ月の価値を理解するには、未熟児を産んだ母親に聞いてみるといいでしょう。

1週間の価値を理解するには、週刊誌の編集者に聞いてみるといいでしょう。

1時間の価値を理解するには、待ち合わせをしている恋人たちに聞いてみるといいでしょう。

1分の価値を理解するには、電車をちょうど乗り過ごした人に聞いてみるといいでしょう。

1秒の価値を理解するには、たった今、事故を避けることができた人に聞いてみるといいでしょう。

10分の1秒の価値を理解するためには、オリンピックで銀メダルに終わってしまった人に聞いてみるといいでしょう。

あなたの持っている一瞬一瞬を大切にしましょう。

そして、あなたはその時を誰か特別な人と過ごしているのだから、十分に大切にしましょう。

その人は、あなたの時間を使うのに十分ふさわしい人でしょうから。

そして、時は誰も待ってくれないことを覚えましょう。

昨日は、もう過ぎ去ってしまいました。

明日は、まだわからないのです。

今日は、与えられるものです。

だから、英語では「今」をプレゼント(= present)といいます。

時間|今日の言葉 から

2017年11月1日水曜日

記事紹介|大学が果たすべき社会貢献

昨年6月の熊本地震では、立命館アジア太平洋大学(APU)がある大分県別府市も震度6弱の揺れを観測した。APUは最も国際化が進んだ大学の1つだ。本田明子教授(言語教育センター長)は、地震直後の留学生の行動調査などから災害時の情報提供が大きな課題だと話す。

本田教授によると、地震発生直後、5割弱の留学生が指定避難場所などに避難したが、多くはテレビニュースよりもロコミや学生仲間などが発信するLINEやフェイスブックの情報に頼っていた。テレビニュースを見ても日本語を正しく理解している自信がない。インターネットの英語ニュースは理解できるが、最新情報なのか疑わしい。結局、留学生仲間や日本人学生らの情報に左右されてしまう。だから、テレビがいくら「津波の心配はない」と伝えても、LINEで「津波が来る」と言われれば信じてしまう。家族や先輩に言われるまま、県外や国外に避難した学生もいる。

災害時の用語は特殊で、英語に翻訳すれば通じるわけではない。多くの留学生にとって自国の「避難所」は公園や広場など周囲に何もない屋外を指す。日本の避難所が学校の体育館などであることに驚き、建物内に「避難する」ことが理解できない。

不安や誤解を解消するには、災害時の情報は極めて平易な日本語で提供しなければならない。改めて有効性を確信したのは、阪神淡路大震災の教訓から生まれた「やさしい日本語」(初級日本語話者にも理解できる平易な日本語)だった。「エレベーターは絶対に使わないでください」ではなく、「エレベーターはだめです。かいだんを使ってください」とやさしく丁寧に示す。「キャンパス内の避難場所は、来客用駐車場および噴水前です」は「キャンパスにいるときは、駐車場(ちゅうしゃじょう)かふんすいの前が安全です」と言い換える。

地震後、APUは避難情報を平易に言い換え、市役所と共催のワークショップや市民参加型の交流会などを通じて地域に普及させる活動を続けている。話を聞いて、大学が災害大国・日本で大量の留学生を受けいれるためにやるべき事は、まだまだ多いと思った。日本で暮らす外国籍の人は今後、さらに増える。こうした地道な活動が大学の果たすべき重要な社会貢献だと思う。

やさしい日本語|IDE 2017年10月号 から

2017年10月31日火曜日

記事紹介|健全な地方大学の振興

6月号で「順番が逆では?」と題して、東京23区内での大学新設を規制する政府方針の問題点を書いた。大学関係者からも批判の声が相次ぐ。だが政府は、規制に向けた手続きを着々と進めている。

政府は6月9日、「まち・ひと・しごと創成基本方針」を閣議決定、地方創成に資する大学改革として23区内の定員抑制を盛り込んだ。これを受けて文科省は8月14日、23区内の私立大・短大の定員増を今後認めないとする大学設置に関する告示の改正案を公表した。年内に具体的な制度成案をまとめる事を前提に、暫定措置として2018年度の収容定員増及び19年度の大学設置・学部等設置・収容定員増に関する方針を定めたのだ。それによると、原則として東京23区の収容定員増は認めないが、①機関決定済み②23区内の専門学校がその定員を活用して専門職大学を設置③医学部の地域枠による臨時定員増一は例外とする。パブリックコメントを募集後9月中に公布する段取りだ。

23区規制を巡る議論は、東京都とそれ以外の地域のバトルに発展している。全国知事会は8月末の総会で、23区内の大学定員増を抑制する立法措置を政府に求める決議を採択したが、当初は「認めない」としていた決議案を、東京都の小池百合子知事らの反対で「抑制」に修正した。8月末には23区の特別区長会が改正案に反対する要望書を提出、小池百合子知事も9月初め、梶山弘志地方創生相に政府方針の見直しを求める要望を出した。ただ、今までの経緯を見る限り、規制の流れは変わりそうにない。

小池知事は過去の記者会見で23区規制に対し、「秋田の国際教養大学は大変な人気だが、それはカリキュラムの充実や学長が命がけで日本の教育を引っ張っていこうという迫力が相まって素晴らしい学校ができたと認識している。教育とはどうあるべきかという根本から問い直すべきであり、ロケーションではなく教育内容で競い合うことの方が健全ではないか」と述べているが、まさに正論だ。前回も書いたが、いくら23区の大学を規制しても、それで地方大学の教育が充実するわけではない。

「基本方針」には、23区内の定員抑制以外にも、「地方の特色ある創成のための地方大学の振興」という一節がある。「首長の強力なリーダーシップの下、地域の産業ビジョンや地域における大学の役割・位置付けを明確化し、組織レベルでの持続可能な産官学連携体制の構築を推進する」という。地方創成の実現に大学の果たすべき役割は大きいのに、特色作りは不十分で、地域の産業構造の変化に対応できていないという問題意識はその通りで、地方の不満は当然かもしれない。だが、だからといって、首長の強力なリーダーシップの下で改革を進めるというのは短絡的過ぎではないか。

大学は今、「学長の強力なリーダーシップの下」で改革に追われている。そこにさらに「首長の強力なリーダーシップ」が加わったら、現場はどうなってしまうのだろう。それとも、首長はロも出す代わりにお金も出して、先細る一方の国の補助金を肩代わりするとでもいうのだろうか。

地方創成の実現に大学を活用する発想は間違ってはいない。でも、出てくる方針は素直に首肯できないものばかりだ。

地方創成と大学|IDE 2017年10月号 から

2017年10月30日月曜日

記事紹介|海外留学の現状と企業ニーズとのミスマッチ

総務省が「グローバル人材育成の推進に関する政策評価」という行政監察の勧告書を公表した。その中の日本人大学生の海外留学促進に関する記述が興味深い。

勧告によると、2014年に海外の大学に在籍する日本人留学生は5万3,197人(文部科学省がOECDやユネスコ、米国国際教育研究所などの統計を基に集計)で2012年の約6万人から減少した。一方、日本学生支援機構の調査では、日本の大学に在籍する日本人海外留学生数は、12年度の6万5,373人から15年度は8万4,456人に増えた。60.7%が1ヶ月未満、81.6%が6ヶ月未満で、圧倒的に短期留学生が多い。

また、海外進出企業に理想的な留学期間を聞いたところ、「1年以上」が47.1%、「6ヶ月以上1年未満」が35.4%で、語学力を養い、海外の文化を理解し、多様な価値観を受容する能力を養うには、一定以上の留学期間が必要との意見が示された。

そこで勧告は、海外留学の現状と企業ニーズとの間にミスマッチが存在すると指摘、短期留学、特に1ヶ月未満のような極めて短期の留学が、グローバル人材育成にどのような効果を持つのか、十分検証する必要があると結論づけた。

近年の留学は海外大学に在籍する"本格派"が漸減し、代わって短期の"プチ留学"が増えている。前者は日本の学術水準の維持向上に極めて深刻な問題で、世界で武者修行する若者を増やす施策が急務だ。

問題は後者の評価だ。日本人学生が留学に目を向けない背景には、内向き志向と揶揄される若者気質もあるが、それ以上に、安くはない留学費用、春入学・春卒業で就職活動期間が長く4月に一斉入社する日本の学事暦・採用慣行という2大障壁がある。だからこそ、多くの大学が学事暦の見直しや留学プログラム、奨学金の充実などで、まずは外の空気を吸わせる短期留学制度を積極的に取り入れているのだ。実際、「夏休みに海外大学に行くだけで学生が変わる」「短期留学から本格的な留学をめざす学生も少なくない」などの声をよく聞く。ともかく海外に出て異文化に触れ、異国の学生と机を並べる。それだけでも学生の何かが変わる。進学率が50%を超え、社会の大学観は大きく変わりつつある。伝統的な"留学生観”も変わって当然だと思う。

一方で、大学は「短期聞の留学では単なる物見遊山に終わり、何の成果も得られない」という批判に真摯に応える必要がある。限られた時間で如何に濃密なプログラムを提供し、学ばせるか。腕の見せ所だ。

それにしても、企業意識調査には驚く。少しでも優秀な人材が欲しい気持ちは分からぬでもないが、「語学力を養い、海外の文化を理解し、多様な価値観を受容する能力」を持つ人が世の中に(御社の中に)どれだけいるのだろう。大学を甘やかしてはいけないが、過度の期待を抱くのも如何なものか。我が身を振り返れば、大学卒業時は本当に未熟だった。それを職場や仕事先の人々が助けてくれ育ててくれて、相変わらず未熟ながらも今まで生きて来られた。そんな大らかさ、暖かさが最近の大学論議の中で希薄なことが気になる。

短期留学|IDE 2017年10月号 から

2017年10月29日日曜日

記事紹介|助教という仕事の苦悩

2007年に「助教」という職種が新たに制定された。これは、従来の助手が教授の下請け仕事になりがちなことに対して、教授から独立した大学教員の職種として位置づけられた。任期付ではあるが、その後、その機関での採用の可能性をもつテニュア・トラック制度も制定された。大学における教員ポストが減少するなか、若手教員のキャリア形成にプラスの効果をねらった策である。

昨年、勤務する職場でようやく1名の助教のポストを獲得した。全学管理がなされている教員数のなかでは、助教1名の獲得は大いなる功績である。それはともかく、助教は、筆者の勤務機関では任期2年、1年ごとの再任も可であるが5年を超えることができないという規程がある。このポストに1名について公募したところ40名強の応募があった。履歴書や業績リストなどを読み進めて面接対象者を絞り込む作業をするなかで、いろいろなことに気付かされた。

その1つは、助教を渡り歩く者の多いことである。応募者の多くが、専任講師や准教授に進めず、再度助教のポストに応募しているのである。それは、助教として公募する職の多くが、職務内容を限定していることによるところが大きい。たとえば、FD、IR、学生支援など、大学において新たに必要とされるようになった職務には、助教を当てることが多い。これらは、大学としては必要な職務であるが、助教自身にとっては必ずしもその後のキャリアにつながるとは限らない。というのも、以前の職場での仕事や研究業績と、応募した職場が求める職務や研究とに連続性がないことが多く、適性やポテンシャリティの判断が容易ではないからである。職務の限定性が壁になって、以前の業績がプラスに働かない。こうした循環が、助教職を転々とする若手研究者を産みだしているようだ。

加えて言えば、職務が特定されたポストの場合、職務として研究を行っても、そこで得た知見を自身の研究成果として公表できるか否かという壁もある。研究上では意味がある結果であっても、大学のプレゼンスを考えると公表が許されないケースもあり、特に職員からの転ばぬ杖的な規制は大きい。

では、限定的な職務にあたる助教をテニュア・トラック制度の導入によって救うことができるかと言えば、そうでもない。そもそも職務そのものが、教員と職員の中間に位置づく専門職的な仕事であり、ディシプリンに依拠して教育研究に従事しているこれまでの大学教員とは異なるからである。

助教という仕事の苦悩は大きい。これはひいては、若手研究者を養成できていない日本の学術界の問題に結びつくのだが、どこに解決の糸ロがあるのだろう。

助教の苦悩と日本の学術界|IDE 2017年10月号 から

2017年10月28日土曜日

記事紹介|夢のような日々を生きている自分に気づく

僕は小児がん病棟の子どもたちのカウンセリングもやっています。

「ボク、今日一日生きていられるかな? いつ死ぬのかな? 頑張るからもう少し生きたい」

そういう子たちばかりです。

「恋人にふられたから死にたい」とご相談に来られる方がいます。

でもあの子たちは、そんな苦しい恋をすることもできません。

「上司にこんなひどいことを言われました」とおっしゃる方もいる。

でもあの子たちはそんな上司とやり合ってでも生きたいはずです。

皆さんはあの子たちにとっての夢のような日々を生きているのです。


自分の行動範囲、交友範囲が限定的だと、すでに自分が夢のような生活を送っていることを忘れてしまいがち。

時間を遡れば、かつてのお殿様よりも良い生活をしている現代の私たち。

幸せは人と比べて認識するべきものではないですが、比較することで何を「当たり前のこと」だと勘違いしているのかに気付けるのであれば、自分より過酷な環境下で努力されている人の話を聞いたり、本を読んだりすることはとても大事になる。

明日も目を覚ますことが出来るかなと心配することがない日々を過ごしているのであれば、それは十分幸せなことなのですね。

夢のような日々|今日の言葉 から

2017年10月27日金曜日

記事紹介|心は「苦労」という磨き粉を使わなくては磨けません

京セラ、KDDIを創業し、日本航空(JAL)を再建した稲盛和夫氏。1984年にKDDIの前身であるDDI(第二電電企画)を立ち上げたとき、「できるわけがない」と散々に言われたといいます。それでも通信事業の自由化に挑戦したのはなぜか。稲盛氏は「『人間として何が正しいのか』を考えた結果」といいます。どういうことか。「稲盛哲学」の具体例を紹介します。

1984年に新規参入した「第二電電」の挑戦

私は、1984年に、通信事業の自由化に伴って、第二電電企画(DDI)という会社をつくりました。

現在では、KDDと日本移動通信(IDO)を合併しまして、KDDIという、NTTに次ぐ国内第2位の通信会社になっています。そのKDDIの売上は、約3兆円。京セラとKDDIをあわせた売上は、4兆円を超えるまでになっています(※売上などについては2001年7月時点のもの)。

これが、27歳で会社をはじめて42年間(当時)、「人間として何が正しいのか」ということだけを座標軸にして人生を歩いてきた結果です。

よく、国内外の評論家の方々や経済学者の方々から「どうして京セラはここまで発展したのですか」と聞かれます。また、「稲盛さんは優秀な技術屋で、しかもちょうどセラミックスというものが流行するような時代にたまたま遭遇されたから、大成功を収められたのですね」とも言われますが、そのとき私は「そうではありません。時流に乗ったわけでもなければ、私の技術が優秀だったからでもないのです。一番大事なのは、私が持っていた考え方、哲学が正しかったからだと思います。そして、それを私だけではなく、従業員が共有してきたからです」と言っています。

立派な哲学さえ持っていれば、誰がやっても成功する、そのように私は考えています。

通信事業が自由化される以前、日本の通話料金は非常に高く、庶民はたいへん困っていました。私は、かなり昔からアメリカで仕事をしていましたので、アメリカの通話料金は日本と違って非常に安いということを知っていました。

カリフォルニアからニューヨークへ電話をかけて長話をしても、電話代が非常に安い。一方、日本では出張中などに、東京から京都の本社に公衆電話を使って電話をしようというとき、100円、200円を10円玉に替えて、次から次へととにかく大量に入れる、というくらい通話料が高かったのです。

私はそれをずっと不満に思っていました。電気通信事業が一社の独占で行われており、国民が苦労しているのを見て、これはけしからんということで、第二電電をつくることにしたのです。

自分自身でも無謀だと思いましたし、周囲からも「稲盛さんはセラミックスの分野では優秀な技術屋かもしれないが、電気通信の技術については何も知らないじゃないか。できるわけがない」と言われたものです。

京セラの成功はフィロソフィがあったから

私は、密かにうちの幹部を集めて、こう言いました。

「京セラが成功したのは、私の技術が優秀だったからだとか、時流に乗ったからだとか言われるけれどもそうではない。フィロソフィ(哲学)があったからなのだ。そうは言っても誰も信用してくれないだろうから、それを今度、私自身、第二電電という通信会社をつくって証明してみようと思う。通信について、私は技術も何も知らない。あるのは哲学だけだ。哲学一つで本当にこの事業が成功するのか、もし成功したなら、経営に哲学がどれほど大事かということが証明できるはずだ」と。同時に「そうはいっても無謀な挑戦には違いないので、失敗するかもしれない。そのときは1000億円まで金を使わせてほしい」とも言いました。

会社の利益を貯めた預金がかなりありましたので、そのうちの1000億円を使わせてくれ、そこまでやって成功しなかったら撤退する、と言い切ったわけです。ところが、ご存じの通り、第二電電は見事に成功しました。

「京セラの成功は、セラミックスが時流に乗ったから」だと周りは言っていたわけですが、私はそうではなくて、セラミックスというブームをつくったのは自分なのだという自負があります。

この10年くらいの間に、世界の材料工学の学会などで、「稲盛という男が、日本で京セラという会社を始めて努力をした結果、世界的なセラミックスブームが起こったのだ。彼がいなかったら、ブームはなかっただろう」という評価をいただくようになりました。そういう私の功績とは、正しい「考え方」というものがあったからこそ成し得たものなのです。

しかし、その考え方というのは、難しいものでも何でもなくて、ただ「人間として何が正しいのか、何が正しくないのか」という、単純でプリミティブ(素朴)なものにすぎません。

それらは、簡単に言うと、正義、公平、公正、誠実、勇気、博愛、勤勉、謙虚といった言葉で表されるようなことです。つまり正義にもとることなかりしか、誠実さにもとることなかりしか、勇気にもとることなかりしか、謙虚さを失ってはいないか、あらゆるものに対する博愛の心をもっているかということであり、そのようなことを実践するだけでいいのです。そういうものを大事にして、人間として恥ずかしくないような生き方をする、それだけで私はいいと思います。

そういうものを心の座標軸にすえて、どんな障害、どんな困難があろうともそれを貫いていけば、必ず成功するはずです。

筋を通す、つまり原理原則を貫くことに徹する

私など、それらを貫こうとするあまり、新聞、雑誌等で発言したことが、ときの政府や役所に対する痛烈な批判になったりして、政府から、または役所から苦情がきたり、妨害がくるほどです。それでも、私はひるまない。

相手によって生き方を変えるという人も世の中にはたくさんいるでしょう。

「意地を通せば窮屈だ」と、夏目漱石も言っていますが、本音を言ってそれを押し通すというのでは、世の中を生きるには窮屈だし、いじめられる。だから、人は建て前でやり過ごそうとするものです。しかし私は、どんないじめにあおうとも、どんな迫害にあおうとも、今言ったようなことを貫くことを恐れません。

社内でも、もしこれにもとるような人がいたら、厳しく叱責します。

そして、その重要性が根本的にわかっていないような人は、どんな偉い人であろうとも辞めてもらいます。そうすると、はじめはダメージを受けるでしょう。しかし、放っておけば、将来もっと大きなダメージを受けることになるのです。そうやって、私は筋を通す、つまり原理原則を貫くということに徹してきました。

しかし、人間にとって正しいことと、自分にとって正しいことを取り違えてはいけません。自分にとって正しいことは、自分には都合がいいかもしれませんが、他人にとっては都合が悪いかもしれない。自分にとって正しいことというのは、利己的な考え方です。

私の言う考え方の中心に置かなければならないこととは、利己の対極にある利他です。さらに言葉を換えて言いますと、人のため世のためになるということ。それを心の座標軸の中心におかなければなりません。

同時に、やはり事業ですから、誰にも負けない努力が必要です。それは、限度のない努力です。それこそが偉大なことを成し得るための源です。

頑張ると言っても、私一人が頑張っても会社は立派になりませんから、従業員の支援が必要です。300万円の資本金で宮木電機さんの倉庫をお借りしてちっぽけな会社を京都につくったわけですけれど、たった30人弱の従業員と一緒に汗水流して、「頑張ろう、頑張ろう」と言って、本当に朝から晩まで頑張ったわけです。私は、あらゆる機会を見つけては、みんなに「会社を今に日本一に、世界一にしよう」と言ってきました。

できるわけないのです、もともと1万5000円しか持っていなかった男が、人様に300万円出してもらって始めた会社なのですから。

それが「世界一」なんてことを言ってもナンセンスなのですが、私はまじめにそう言っていたのです。ただでさえ「会社がつぶれるかもしれない」という恐怖心に付きまとわれていましたから、自分で自分を励ますためにも、「世界一にしよう」と言わざるを得なかった。

「どんなに偉大なことも、一つ一つの努力、アリの歩みのような一歩一歩の地味な努力の積み重ねでしか成し得ない。一朝一夕にできるものではないのだから、一人一人が地味な努力をする以外に方法はないのです。みなさんは、そんなに頭も良くない人間が、30人程度で努力したところで、そんなことできるわけがないと思うでしょう。そうじゃない。30人でも、限度のない努力、際限のない努力、それを延々と積めば、世界一の大企業というものだってつくれるのです。それが真理であり、ほかに方法はありません」。このようなことを、私は従業員に毎日必死に訴えてきました。

最後に残るのは世のため人のために尽くしたもの

私は、しばらく前に、臨済宗妙心寺派のお寺で頭を剃って得度をし、お坊さんの修行の真似事をさせていただいたのですが、そのときにしみじみ思ったのは、人生とは波瀾万丈、諸行無常であり、何一つ永遠に安定したものはない、一寸先は闇、何が起こるかわからないのだ、ということでした。

そのような諸行無常、波瀾万丈を生きる中で、たとえ経営者として成功したとしても、死んでいくときは地位も名誉も関係ありません。

稲盛和夫は、京セラをつくって、巨万の富を得たようだ。しかし、そういうことは、死の間際になってみれば何の価値もないのかもしれません。

その代わり、その人が生きた間に、世のため人のためにどのくらい尽くしたのかということは残るはずです。

世のため人のために尽くすということは、美しい心を持つということ。美しい心をもっているから、自分のことはさておき、人のために尽くすことができるのです。そう考えれば、人生というのは、美しい心をつくるためにあるのではないか、そのように私は思います。

つまり、人生で何が一番の勲章かというと、一生をかけてつくり上げた美しい心なのです。

では、心が美しくなる最大の方法とは何か。それは、私は「一生懸命働く」ことだと思います。学生であれば、「一生懸命勉強する」ことになります。

心は、「苦労」という磨き粉を使わなくては磨けません。

だから人生ではいろんな苦労をさせられる。人生波瀾万丈、災難にあったり、病気になったり、悪いことも起こります。

しかし、それらはすべて、心を磨くために自然が我々に与えた試練なのです。同時にラッキーも、そのまま幸運に溺れて人間性が堕落していかないかを見るために、自然が与えた試練と考えることができるでしょう。

それを、苦労に対して不平、不満をあげつらい、世を妬み、世を恨み、なんで自分だけがこんな目にあわなければならないのか、と拗ねていたのでは、心を磨けるわけもなく、かえって心が汚れていく。

今のこの試練は、それに耐えて一層頑張るようにという自然の教えなのだと受けとめ、苦しくても明るく生きていくのです。そうすることによって、すばらしい人間性というものが培われ、人生の勝利者となることができる。そのために、苦労をするということは大変大事なのです。

KDDIが成功した「たったひとつ」の理由-稲盛和夫の熱中教室|PRESIDENT Online から

2017年10月10日火曜日

記事紹介|意識を改めれば行動を変えられる

時間に遅れだす。

約束を自分の方から破りだす。

挨拶が雑になりだす。

他人の批判や会社の批判をしだす。

すぐに怒り出す(寛容さがなくなる)。

他人の話を上調子で聞き出す。

仕事に自信が出てきて、勉強しなくなる。

ものごとの対応が緩慢になる。

理論派になりだす(屁理屈を言う)。

打算的になる(損得勘定がしみつく)。

自分が偉く思えて、他人がバカに見えてくる。

目下の人に対して、ぞんざいになる。

言い訳が多くなる。

「ありがとうございます」という言葉が、少なくなる(感謝の気持ちがなくなる)。

2017年9月29日金曜日

記事紹介|成功する人は偶然を味方にする

ときには、不運に思えるものでさえ、成功のきっかけになることがある。

グラッドウェルは、20世紀初めニューヨークに移住して、被服産業で成功したユダヤ人について触れている。

彼らの子どもたちは、ロースクールを卒業しても、ニューヨークの一流法律事務所には採用されなかった。

当時そうした事務所は、裕福なプロテスタントの家庭出身の弁護士を雇っていたからだ。

そこで、ユダヤ人弁護士は自力で小さな事務所を開き、企業の敵対的買収訴訟など一流事務所が敬遠する案件をもっぱら扱った。

その結果専門スキルを身につけて、1970年代から80年代の敵対的買収訴訟の急増に乗じることができた。

この新市場で優位に立った彼らは、以前自分たちを煙たがった大手事務所の弁護士よりはるかに多く稼いだ。

「小さな偶然のできごとはきわめて重要だ」と認めることは、「成功は才能や努力とは無関係だ」と主張するのとは違う。

競争が激しい分野で成功する人は、とても優秀でたいへんな努力家だ。

ウォーレン・バフェットが会長を務めるバークシャー・ハサウェイの副会長チャーリー・マンガーはこう記している。

「望むものを手に入れるためのいちばん確かな方法は、それにふさわしい人になろうと努力することだ」。

成功を求める人にとってなにより役立つ助言は、他者に高く評価される仕事において深い専門知識を身につけろ、ということだろう。

専門知識は運ではなく、何千時間もの努力によって身につく。

それでも、偶然のできごともまた重要だ。

成功は大きな幸運に恵まれなければほとんど不可能だからだ。


一見すると不幸な出来事が、後になって考えてみると、それが幸せになるきっかけだった、と思うことは多い。

「幸せは、不幸の顔をしてやってくる」と言われるゆえんだ。

それを、「ピンチはチャンス」ともいう。

《成功は“ランダム”にやってくる! 》(阪急コミュニケーションズ)の中にこんな言葉がある。

『成功者は、偶然の出会い、突然のひらめき、予期せぬ結果などを経験している。彼らは運命を変えた瞬間のことを振り返り、「あの瞬間がすべての始まりだった」と言う』

何か予期せぬことがあったとき、そこに何か意味があるのかもしれない。

そんなときは、たとえそれが面倒で、損なことであったとしても、その流れにとりあえず乗ってみることも必要だ。

理屈で考えず、野生の勘や、ひらめきを大事に、とにかく行動してみるのだ。

世界は予測不可能の速さで大きく変化している。

だからこそ、誰もが予期せぬ方法で、世界に打って出る可能性を持っている。

「小さな偶然のできごとはきわめて重要だ」

偶然の出会いや、突然のひらめきを大事にする人でありたい。

2017年9月27日水曜日

記事紹介|力を蓄える

人は一時期下積みになっても、

それは将来の土台づくりであり、

一時の左遷や冷遇は、次への飛躍への準備期であり、

忍耐力・持久力の涵養(かんよう)期として

隠忍(いんにん)自重(じちょう)して、

自らの与えられたポストにおいて、

全力発揮を怠らなかったら、

いつか必ずや日の目を仰ぐ日のあることを確信して疑わないのでありまして、

これが八十有余年の生涯を通してのわたくしの確信して疑わないところであります。

森 信三


人生においては自分が予想していなかった不遇を経験することがあるでしょう。

しかしながらそれは、そのときにしか経験できない、または修得できない忍耐力・持久力を養うとき。

その場所からしか見えない景色を見つめるとき。

自分の人生という物語において一つのクライマックスへ向けての序章になるとき。

大きく飛び立つ前には、その分、膝を曲げて沈みこむことが必要なように、力を蓄える時期というのが人生には必ず訪れるのでしょう。

片目では遠くを見据えつつ、もう一方の目では目の前のことを見つめて、全力を注いでいれば、その蓄えは非常に大きなものとなるでしょう。

2017年9月24日日曜日

記事紹介|私たちは沖縄戦犠牲者の魂が鎮まる社会を築いてないのではないか

沖縄戦で住民らが「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた洞窟「チビチリガマ」で、9月12日、犠牲者の遺品などが壊される事件が起きた。沖縄県警嘉手納署は15日、地元の16~19歳の少年ら4人を器物損壊容疑で逮捕した。取り調べに対して、少年らが「肝試し」で洞窟に入り、「悪ふざけで壊した」と話していることが20日までに分かった。琉球新報が報じた。

事件を受けて、沖縄県民の間に波紋が広がっている。

琉球新報によると、遺族会の与那覇徳雄会長は16日、「少年たちの気持ちが分からない。肝試しで遺品を壊すなんて、どう受け止めたらいいか」と言葉を詰まらせて話したという。また、翁長雄志沖縄県知事は19日、「沖縄の持ついろいろな平和に対する思いが若い人たちに伝わっておらず、その中での出来事なのかなと危惧している。とても残念だ」と話した。

80人以上が死に追い込まれた洞窟

チビチリガマは、沖縄県西海岸の読谷村波平区に位置する自然壕(ごう)。1945年4月1日、アメリカ軍が西海岸から沖縄本島に上陸した当時、波平区の住民ら約140人がチビチリガマに逃げ込んでいた。

4月2日、米兵に虐殺されるとの恐怖心などから、壕の中で83人が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた。読谷村史によると、犠牲者のおよそ6割が18歳以下の子どもだったという。

村史は、壕の中に、中国戦線を経験して日本軍の蛮行を知る男がいたとしている。男は、米軍が、中国で日本軍がしていたような虐殺をしに来ると思い込み、「自決」を覚悟して毛布などに火を付けた。燃え広がる炎と煙が、多くの住民らを死に追いやった。当時、壕の中は「自決」の賛否を巡り激しく混乱していたという。

平和認識の揺らぎに危機感の声も

チビチリガマは、遺族らにとっては墓場に当たる。悲惨な沖縄戦を象徴する洞窟として、市民らが平和を祈る場でもあった。

少年らが「肝試し」で壕を訪れていたことについて、沖縄市に住む20代の男性は、沖縄が積み上げてきた平和思想が弱くなっていると指摘し、次のように話した。

戦争に対する絶対的否定の気持ちが緩み始めている。これまで沖縄には、沖縄戦に関係するものをバカにしてはならないという共通認識があった。悪さをする少年らにも、そういう認識があったはず。

今回は、肝試しという幼稚な動機が、沖縄戦をバカにしてはいけないという一線を、簡単に超えてしまった。沖縄で市民権を得ていたはずの平和思想が揺らぎ始めていることに、強い危機を感じる。

チビチリガマが破壊の被害を受けるのは今回が2度目。1987年11月に、右翼団体の若い構成員が、壕の入り口にある彫刻家金城実さんの「世代を結ぶ平和の像」を破壊した。10月に読谷村の海邦国体ソフトボール会場で起きた、日の丸焼却事件への報復が動機だった。

自問自答する沖縄

事件について、沖縄の地元紙は次のように論じている。

少年を非難する声がある。生い立ちや環境を見詰める人がいる。平和教育の欠落を指摘する人もいる。それらに耳を傾けながら自問する。私たちはチビチリガマを含む沖縄戦犠牲者の魂が鎮まる社会を築いてないのではないか(琉球新報、9月20日)

現場に居合わせた別の少年たちは「やるな」と犯行を制止したという。そこに希望がある。逮捕された4少年に届く言葉を、愚直に探していくしかない。(沖縄タイムス、9月19日)

なぜ事件が起きたのか。これからどうすればよいのか。事件に衝撃を受け、鎮魂を祈る沖縄の人々の自問自答が始まっている。

戦争の歴史と隣り合わせの沖縄県民。チビチリガマ荒らしから見えてくるもの|Huffington Post から

2017年9月15日金曜日

記事紹介|絶対に失敗しない人というのは、何も挑戦しない人のこと

小惑星探査機「はやぶさ」プロジェクトリーダーの川口氏が自らの失敗経験を語られている中で、切羽詰まるような状況下でのチャレンジの大切さを説かれています。

「それは、いま見ているページの理解度は関係がありません。ページを開いて先に進まないことのほうがリスクがある。不完全でボコボコの穴だらけのページでもいい。自分が楽しんでチャレンジを続けることに意義があるのです。」

何でも安全にコントロールできる状態の中で物事を考えていては、新しいものは生まれてこない。

米女優のイルカ・チェース氏も『絶対に失敗しない人というのは、何も挑戦しない人のことです。』と語っているように。

開く|今日の言葉 から

2017年9月12日火曜日

記事紹介|叱る、叱られるということ

人はだれでも、厳しく叱られたり、注意を受けたりするということは、あまり気持ちのよいものではありません。

当然叱られるだけの理由があった場合でも、上司に呼びつけられて叱られるというようなことがあれば、その日一日中、なんとなくわだかまってすっきりしない。それがいわば人情で、叱られるより叱られないほうを好むのは、人間だれしもの思いでしょう。

それは叱るほうにしても同じです。部下を叱ったあとの、あのなんともやりきれない気持ちは、管理職の人であれば、たいてい経験していると思います。

しかし、人情としてはそうだからといって、その叱られたくない、叱りたくないという人情がからみあって、当然叱り、叱られなければならないことでも、うやむやのうちに過ごされてしまったならば、どういうことになるでしょうか。一度でもそのような考えで物事が処理されると、あとのけじめがまったくつかなくなってきます。仕事や職場に対する厳しさというものが失われ、ものの見方、考え方が甘くなり、知らず識らずのうちに人間の弱い面だけが出てきて、人も育たず成果もあがらず、極端にいえば会社がつぶれるということにも結びつきかねません。

もとより今日よくいわれるように、個人の自主性を重んじ、自発的にのびのびと仕事に取り組むことは大切です。しかしそれは、厳しく叱られることが不必要だということではないと思います。むしろお互いの自主性なり個性というものは、厳しく叱られるということがあってこそ、よりたくましく発揮され、その人の能力もいちだんと伸びるのだと思います。

私も、まだ若くて第一線で仕事をしていたころは、よく社員を叱ったものです。それも血気盛んな時分ですから、一人だけ呼んでそっと注意をするといったなまやさしいものでなく、みんなの前で机を叩き、声を大にして叱るというようなことがたびたびでした。

ところが、私からそのように目の玉がとび出るほどに叱られた社員が、それで意気消沈していたかというと、そうではありません。むしろそのことを喜び、いわば誇りとするといった姿でした。

それはどういうことかといいますと、創業当初はともかく、会社がしだいに大きくなり、社員の数も増えてきますと、私のほうも社員一人ひとりにいちいち注意を与え、叱るということができなくなりました。そうなると、どうしても限られた、責任ある立場にいる人を叱るということになりますから、社員のあいだにはいつとはなしに「大将に叱られたら一人前や」というような雰囲気が生まれてきたのです。ですから、叱られると本人も喜び、またまわりの者も「よかったなあ、おまえもやっと一人前に叱られるようになった」ということで、ともに喜び、励ましあうといった姿が見られるようになったというわけです。そして、そういうことが、社員の成長なり会社の発展の一つの大きな原動力になっていたように思います。

人間というものは、黙ってほうっておかれたのでは、慣れによる多少の上達はあっても、まあこんなことでいいだろうと自分を甘やかしてしまいがちです。そこからは進歩、発展は生まれず、その人のためにも、ひいては会社や社会のためにもなりません。やはり叱られるべきときには厳しく叱られ、それを素直に受け入れて謙虚に反省するとともに、そこで大いに奮起し、みずから勉励していってこそ成長し、実力が養われるのです。

そのことを、若い人も責任者も肝に銘じて仕事にあたってほしいと思いますし、特に若い人たちは、そこからさらに進んで、叱ってもらうことをみずから求める心境、態度を培うことが大切ではないかと思うのです。

2017年9月10日日曜日

記事紹介|ポジティブに生きる

かつてシェイクスピアは「いいとか悪いというのはなく、そのように考えるからそうなるのだ」と言った。

これは名言である。

どんなに悪く見える経験でも、その中に隠されたいいことを探し求めよう。

いかなる状況でも悲観主義に陥らず、つねにいいことを見つける習慣を確立すれば、人生の質を飛躍的に高めることができる。

経験それ自体は中立的だが、それに対する物の見方がそれをよいことにしたり悪いことにしたりするのだ。

物の見方を改善する1つの方法は、ポジティブな表現を使うことである。

たとえば、「失敗」を「学習経験」と言い換えるのがそうだ。

ポジティブな表現を使って、自分が置かれている状況に対する解釈を変える具体例を紹介しよう。

私は失業者だ。→ 私は自分に合う仕事を見つけるために時間をとっている。

私は病人だ。→ 私は健康を取り戻すためにしばらく休養を必要としている。

私は問題を抱えている。→ 私は成長するための機会に恵まれている。

私は失敗してしまった。→ 私はこの素晴らしい学習経験を今後に生かす。

私は何をしてもダメだ。→ 私はこれから飛躍を遂げるために全力を尽くす。

■楽観主義者はドーナツを見て喜び、悲観主義者はドーナツの穴を見て悲しむ(オスカー・ワイルド)

■悲観主義者とは、チャンスがドアをノックしても「うるさい」と嘆く人のことだ。(オスカー・ワイルド)


「過去は変えられるが、未来は変えられない」

過去に起きた出来事が「不幸だった」「つらい経験だった」と思えばそうなるし、あのおかげで「自分は成長した」「今の自分がある」「だからすべてがよかった」と思えばそうなる。

つまり、見方一つ、考え方一つで、過去は変えられるということ。

「幸福は、不幸の顔をしてあらわれる」という言葉がある。

何かが起きたその時は、「嫌なことが起きてしまった」と一瞬思う。

しかし、少したってみてそれを考えると「あのことが幸せを運んでくれたんだ」と思えることは多い。

ただし、「不幸の顔」があらわれたときに、文句や不平不満、グチ、泣き言を言ってしまうと、後から「幸福」はあらわれない。

なぜなら、口から発した言葉は現実化するからだ。

つまり、文句や不平不満、グチ、泣き言をいえば言うほど、もっと言いたくなるような現象があらわれる。

その悪い循環を断ち切る言葉はたった一つ、「ありがとう」という感謝の言葉。

嫌なことがあったとき、はじめに「ありがとう」と言ってから言葉を続けると、後の言葉はすべてポジティブに変わってくる。

「そのように考えるからそうなる」

どんなときも、よき言葉を発したい。

2017年9月5日火曜日

記事紹介|研究は人間の営みそのもの

人の営みであれば、形而上学的な洞察が不可欠である。数値が無意味というつもりはない。もとより、科学界が客観かつ正確な計量、数値解析を尊び、また世はデータ駆動の時代であることは間違いない。しかし、対象はあくまで明確な物理的単位、科学的意義をもつものに限定される。適正な評価を得るには、あらゆる意味ある指標(入手可能な、ではない)を総合すべきはずであるので、将来は、人工知能(AI)による徹底した総合的ご託宣を望む向きがいるかもしれない。しかしその時、果たして科学は精神高揚の営みであり続けるであろうか。多くの研究者の挙動が画一的に誘導され、AI判断におもねることになりはしまいか。

なぜ数量化を好むのか

数値偏重が研究評価における問題の原点ともいえるが、その病理の根底には、現世代の多数決民主主義、なぜか意味を問うことなく、一票でも多い方が正しいとの信仰がある。わが国の悪名高い入学試験の呪縛のまん延が、主観を疎み、一点刻み、総点の0.1%程度に過ぎない無効数字であっても、客観比較こそが最も公平とする価値観を醸成している。

18歳時の入試勝者たちは、総じてスコア化を好み、この「厳密かつ公正な」仕分け判定で、人生が決定、安定した地位を得たとの勘違いさえする大学入試が青年たちの将来性を占う仕組みであれば、1、2割の違いがあってもほぼ同等であろう。かつての勝者の集団たる教員組織は後継者の選抜に多大のエネルギーを傾注するが、その分解能はいかほどのものか。もっと人事専門家の力を借りて教科以外の要素を十分勘案すべきであろうが、あるいは「松竹梅」と格付けした上で、「竹」をくじ引きして合否決定してはどうか。悲しいかな、100点満点と0点の間の規格化された、あるいは秀才にとっては100点と80点位の狭い評価空間を右往左往する習性のために、世界の桁違いの存在、ましてや「負の存在」に出合う機会に乏しく、価値の相対化能力を喪失する結果となっている。

この傲慢が、長じて科学社会における他を顧みない「勝者総取り(winner-takes-all)」文化を醸成することにもなる。競争的資金の獲得はたまさか幸運であっても、最高の研究を意味するとは限らない。過去の採択課題を追跡すれば明白である。米国ではトップ20%を選び、あとはくじ引きにする方が合理的との主張もある。

研究者に降り掛かる災難

研究分野が拡大する中で、引用件数も急速に増大しているが、また研究分野の規模や性質によって数値は大きく異なるも明らかである。私は2000年代の初めまで有機化学の研究に携わっていたが、現役から身を引いたのちも、クラリベイト・アナリティック社のWeb of Scienceは本人に断りもなく、時々刻々過去の行為を計測、公開し続ける。2017年8月の同社の統計によると、私は487報の論文を書き、総被引用数は50,705回、1論文あたりの被引用数は104回、1,000回以上の論文は5編で、h指標は116(116回以上引用された論文が116報あるとの意味)とのことである。これは研究者として蓄えた資産を銀行に預けて、利子を蓄積していくようなものであり、元本は一定、総利子額は増えていく。この果てしなき機械的追跡、執拗なプライバシーの監視、公開は数多ある職業の中で研究者だけが被る災難であり、不快の念をもつ人は少なくない。

内容についてあえて振り返れば、正に凡人の営みである。確かに良質の論文も含まれるが、粗製乱造の極みで、著作、論文リストのうち、おそらく半数ほどはほとんど意味がなく、いわば「研究廃棄物」と言われても仕方がない。あまりに断片的に過ぎ、多くは「論文」に値しない。また、初期のものには、自らの稚拙さのみならず、その時代の測定機器など技術水準の問題もあり、記述を修正すべきものもある。若気の至り、未熟な思い込み、時々の衝動に駆られて実験し、一応新しい事実だからと発表した結果であり、恥じ入るばかりである。それでもコンピュータはたゆまず集計に励み、数値を積算していくのである。

もっと謙虚に質の維持に配慮すべきであり、これでいいわけがない。自己中心の恣意的な発表は学会や査読者にも多大な迷惑、負担をかけるからで、科学の進展への貢献は乏しく、むしろ科学界の名誉を損じるものでもあった。各方面から頂いた貴重な研究費を浪費したことも、遅きに失するが詫びなければならない。研究者人口、研究費が増大した現代では、自らの意図や力量だけでなく、様々な外的要素が関わるため、研究廃棄物生産は「負の外部効果」をもたらすことにもなる。

研究の営みは直線でありえない

私自身は鈍感なせいか、評価に圧迫感をもった経験がない。私の研究は、一点集中ではなく、興味分散型であった。今様の制度であれば「焦点が明確でないので、もう一度計画を練り直してこい」と厳しいであろうが、おおらかな時代で、先輩たちから激励を受け、文部省、科学技術庁(当時の新技術開発事業団)、産業界からも、温かい財政支援を得た。様々に手を広げ、決してノーベル化学賞の対象となった「不斉水素化反応の研究」がすべてではない。

ところが近年、行政は何の目的か、おそらく「自己責任説明」担保のためと推察するが、獲得研究費(しばしば使途目的同定が不適切)や論文引用数値の経年変化をもとに、特定個人の研究活動の消長を測り、研究費配分施策の合理性を論じる。社会が受容しやすいとして「客観的データ」を偏重し、あえて研究の経緯を唯一把握する研究者自身との直接対話を避けようとしているようにさえ見える。まだ評価手法の研究中というのであろうが、この無神経な行為と経緯実態の乖離が、しばしば研究者の誇りを損なう。研究の意義は時代背景や人間社会とは隔絶した公的研究費投入や論文成果だけでは理解できない。創造への動機、伏線、流れを多次元的に理解しないために実態把握を歪め、むしろ研究現場、若者たちへ誤ったメッセージを発することになる。

創造者たちへの寛容

行政はなぜか自らがつくった研究体制の有効性を顧みることなく、様々な関係職種の中から研究者だけ、また論文成果に限って評価対象とするのだろうか。是非彼らの立場に立ち、誠意をもってその意図をくみ取るべきである。特に若い人の置かれた状況には特段の配慮が必要である。創造の担い手の多くはか弱い人間であり、寛容と忍耐をもって育てなければならない。

人の営みに評価は容易でない。科学技術の持続的発展を望むならば、個々の研究者ではなく、創造を育む教育研究環境の整備こそが評価対象であろう。極めて個性的な「独創」もあるが、多くの研究成果は多様な同僚との「共創」の結果である。また見識ある先人の訓えに導かれることも少なくない。私自身長い研究人生の中で、多くの碩学に出会ったことは幸せである。知の府を先導する大学教授は優れた研究者、合わせて立派な教育者である「学者」であって欲しい。自分のことは棚に上げた上で、近年は素晴らしい研究をする人はいても、若者が仰ぎ見る畏敬の対象がまれになったことが、寂しい限りである。世界的傾向であり、その根源を深く考えてみる必要がある。

2017年8月31日木曜日

記事紹介|定型の沖縄論の空疎さ

世上の沖縄論は「平和の島」「癒(いや)しの島」などの定型句が目立つ。かたやネット上には「基地で潤っている」「補助金泥棒」といった偏見もある。この種の沖縄論は、なぜかくも空疎なのか。

理由の一つは、単なる知識不足だ。米軍基地の7割が集中する沖縄だが、県民総所得に占める基地関連収入は5%にすぎない。基地返還跡地を再開発した地区では、直接経済効果が返還前の平均28倍であり、基地はむしろ発展を阻害している〈1〉。国からの財政移転は都道府県中12位で、特段に高くはない〈2〉。

一方で沖縄の貧困は深刻だ。1人当たり県民所得は最下位、非正規雇用は45%で全国一。沖縄に多いコールセンターや観光業、飲食業は一般に賃金が低い。本土労働者の典型像は「年収300万~400万」の製造業従事者だが、沖縄のそれは「年収55万~99万」の飲食・宿泊業だ〈3〉。沖縄在住の作家である仲村清司は、「子どもの貧困率が全国平均の2倍に達し、3人に1人が貧困状態」と述べ、貧困に起因する家庭内暴力や不登校、いじめの頻発を指摘する〈4〉。

また沖縄戦で住民の4分の1が死に、1972年まで米軍の軍政下で基地が膨張した。多くの沖縄論は、これが単なる歴史ではなく、現在でも癒えない生傷であることを踏まえていない。

新聞記者の木村司が2015年に取材した女性は、高校2年生の1984年に米兵3人に乱暴された〈5〉。「被害を家族にも話せなかった。事件を再現させられると聞き、警察に被害届も出せないまま、原因不明の体の痛みに耐えてきた」。95年に女子小学生が米兵に暴行された事件をニュースで知ったこの女性は、「明かりをつけるのも忘れ、真っ暗な部屋で泣き続けた」。そして「こんな幼い子が犠牲になったのは、私があのとき黙っていたから」と考え、抗議集会に参加した。

木村はこのほか「人知れずアメリカ兵の子どもを産んだ知人がいる」「苦しみが癒えてきたと思う頃にまた事件が起きる。忘れたくても忘れられない」といった声も紹介している。こういう事例は沖縄では珍しくなく、「現場を歩けば、驚くほど、何らかの『経験』を身辺にもつ人に出会う」と木村はいう。こうした事情が、思想信条を超えた反基地感情の背景にあることは、いうまでもない。

だが一方で、沖縄の現実は、「平和の島」という定型句には収まらない。

前述の仲村は、沖縄の若い世代の関心事は貧困問題なのに、年長論者は基地問題に傾斜しており、そのギャップが「沖縄問題を語る大人への無関心と無視」を招いているという。国仲瞬は、沖縄の若者にみられる基地容認論の背景に、形骸化した平和学習への反感があると指摘する〈6〉。もっとも仲村は、そうした世代間対立の背景は「莫大(ばくだい)な金と利権をばらまくことによって沖縄の不満を抑え込み、沖縄内に既得権益層とそうでない層の間に著しい経済格差を作りだしている政府の存在」だとも述べているのだが。

外部の来訪者は、こうした状況に戸惑うことも多い。ネットニュース編集者の中川淳一郎は、沖縄の訪問体験を記している〈7〉。基地反対を明確に唱える人もいるが、「昔から基地のある生活が普通でした」と語る人もいる。本土から基地建設への抗議にくる人を「なんでナイチャー(本土の人間)が来て、混乱させているんだ」と否定的に見る人もいる。

以前の中川はネット上の言説を読み、「沖縄に対しては右派的論調を取っていた」。それは単なる偏見だったが、「平和の島」というだけでもない。今では、「本土の人間は本当に沖縄のことを知らずに勝手なことを言っていた」「この問題は複雑すぎて生半可な気持ちでは取り組めない」と思うようになったという。

定型の沖縄論の空疎さを脱しようとする姿勢は評価できる。だが、私は思う。沖縄の状況は複雑だろうか。

考えてみよう。貧困、性暴力、平和学習の形骸化、迷惑施設をめぐる葛藤などは、各地でみられる現象だ。沖縄も自分と同じ生身の人間が生きている土地だと考えれば、理解可能なはずだ。それが複雑に見えるとすれば、沖縄に関する知識不足以前に、もともと社会の現実に向きあう姿勢が欠けているのではないか。

そもそも私たちは、沖縄以前に、「本土」や「東京」を知っているか。20代単身転入者の平均年収が241万円にすぎない豊島区や、地上戦の遺骨が何千も残る硫黄島も「東京」だ。東京を含む空襲被害者救済法も止まっている〈8〉。米軍基地も60年代より前は本土の方が多かった。沖縄まで行かずとも、類似の問題は「本土」や「東京」にすでにあるのだ。

こうした問題以外でも、理不尽な抑圧や不本意な沈黙には、誰もが直面している。だが、自らの現実に向きあい、それを打開する努力を無意識に避けようとする人間は、他者の苦痛にも目を閉ざしたり、抑圧的にふるまったりするものだ。それこそ、沖縄の現実にも想像力が及ばず、定型句に流れる原因ではないか。

親川志奈子は、沖縄問題が伝わらないのはなぜかと問い、「ひとえに『当事者性の欠如』だと考える」という〈9〉。自分の現実に向きあう勇気がないとき、人は他者を語ることに逃避し、安易な期待や勝手な偏見をその他者に投影する。それこそ、多くの沖縄論が空疎である最大の理由だ。まず、自らの現実の当事者になること。それが「沖縄」と「本土」の境界を壊すことにつながるはずだ。

〈1〉照屋剛志「欠かせない『基地依存』誤解の解消」(Journalism8月号)
〈2〉「(よくある質問)沖縄振興予算について」(沖縄県庁ホームページから)
〈3〉前泊博盛「四〇年にわたる政府の沖縄振興は何をもたらしたか」(世界2012年6月号)
〈4〉仲村清司「埋めるべき溝、沖縄内部に」(Journalism8月号)
〈5〉木村司「本土に広がる『沖縄疲れ』の空気」(同)
〈6〉国仲瞬・インタビュー「修学旅行生と平和教育」(同)
〈7〉中川淳一郎「『本土の人間』として反省を込めて思う」(同)
〈8〉NHKスペシャル取材班『縮小ニッポンの衝撃』/栗原俊雄『遺骨』(15年5月刊)/記事「全国空襲連のつどい 救済法の早期実現を」(本紙8月15日〈都内版〉、http://digital.asahi.com/articles/ASK8G447PK8GUTIL018.html?rm=415#Continuation)
〈9〉親川志奈子「植民地・沖縄を前に、日本人の選択は?」(Journalism8月号)

2017年8月30日水曜日

記事紹介|すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなる

「即戦力」となる人材がほしいと大学に迫る財界人らに対して気骨ある教育者はこう切り返した。「すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなる」。明治生まれの工学者・谷村豊太郎の言葉だ。

海軍の技術将校を経て1939年、藤原工業大(慶応大理工学部の前身)の初代工学部長に就いた谷村は、基礎の徹底と人格向上を工学教育の柱に据えた。

時流を追うだけの知識や技術はすぐに色あせる。時代に左右されない基礎理論を習得してこそ応用力が生まれる。同時に工学が兵器を生む怖さも忘れてはならない-という精神だった。

当時、慶応義塾塾長だった小泉信三は50年に著した「読書論」の中で、谷村の言葉を「至言」と振り返り、読書でも時代を超えて読み継がれる「古典的名著」に親しむことが大切と説いた。

志願者増を狙った学部・学科の改廃、短絡的な文系学部不要論、相次ぐ入試制度の見直し…と現代の大学教育は迷走気味。政府は東京一極集中の是正に向け都心の大学の定員を抑制するとも言いだした。

これがどこまで「役に立つ」のか。そもそも学問の自由や大学の自立精神が揺らいでないか。肝心の議論が聞こえてこない。目先の利に走らず、地道に人を育て、時代の変化にも耐えうる技術や製品を生み出していく‐。谷村の戒めを“応用”することは企業経営の要諦(ようてい)でもあろう。小泉の「読書論」は岩波新書版で今なお読み継がれている。

「即戦力」となる人材がほしいと大学に迫る財界人らに対して気骨ある教育者はこう切り返した…|西日本新聞 から

2017年8月23日水曜日

記事紹介|ヤジロベエのように

人生の真実とは、理想ばかり追い求めたり、現状に甘んじることではない。鈴木秀子

知り合いの70歳の女性の話です。

彼女は戦争で父親を失い、母親と祖父母の手で育てられました。

家は貧しく中学を卒業すると働きに出ました。

社会に巣立つ日の朝、お祖母さんが彼女を座らせて社会で生きる心構えを諭しました。

「中学を出たばかりのおまえは、これから様々な辛い経験をするかもしれない。でも決して羨ましがってはいけないよ」

すると、それを聞いていたお祖父さんが「いや、この若さで、人を羨ましがらないですむことはあり得ないな」とまるで独り言のように呟いたといいます。

少し間をおいてお祖母さんが「あなたより物質的に豊かな人が沢山いるけれども、人の物を欲しがるような気持ちは起こしてはならない」と話します。

するとまたお祖父さんが「こんな若い子が、人が良い物を持っていたら欲しがるのは当たり前じゃないか」とポツンと囁くのです。

お祖母さんが「何があっても、決して人に迷惑を掛けてはいけないよ」と三つ目の心得を話した時も、「だけど、人間というものは迷惑をかけながら、お互いに支え合って生きていくものだ」とお祖父さんの独り言が続きました。

彼女は2人の餞(はなむけ)の言葉を常に心の支えにしながら、生きてきました。

そして70歳のいま、過去を振り返りながら「もしお祖母さんの言葉しか聞いていなかったら、"こうあらねば"という思いに縛られて精神的に行き詰まっていたでしょう。お祖父さんの言葉だけで生きていたら怠け者になっていたかもしれない。2人が共に人生の真実を伝えてくれたからこそ、ここまでくることができました。」としみじみ語ってくれたことがあります。

「こうあるべき」というべき思考が強すぎてもいけない。でも怠けすぎてもいけない。

人生には場面に応じてどちらもあるという中庸さを知っていることが大事なのですね。

ヤジロベエが左右に振れながら真ん中に戻って来るように。

2017年8月22日火曜日

記事紹介|変化対応能力を磨くこと

《高校生諸君へ》

君たちは親と違う人生を歩むと言うけれど、どこが決定的に違うのか?

大きく3点あります。

ものすごく大きな違いがね。

1つめは、君たちが社会人になる2020年代の半ばには、多くの親が体験した「標準的な人生モデル」は追求できないということ。

会社で正社員にはなれないかもしれないし、大手企業に入社したとしても一生そこで働くのは珍しくなるでしょう。

新卒の一括採用が残っているかどうかさえ怪しい。

結婚して子育てし、マイホームを持つかどうかもわかりませんよね。

だから、親の人生モデルを前提として君たちに説教しても通じない。

2つめは、言わずと知れたスマホと、それにつながったネット世界の広がりです。

いまの高校生は1998年以降の生まれになりますが、グーグルも1998年生まれなんです。

グーグル以前とグーグル以降は人種が違うと思ったほうがいいでしょう。

君たちの世代は、人生の半分をネット上で暮らすことになるでしょう。

ネットゲームの中毒患者でなくても、社会人としてちゃんと仕事をしようとすれば、そうなるんです。

たとえば、SNSで仲間を募る「魔法の杖(つえ)」は最強ですよね。

親世代には、学校の枠を超えて仲間を集めようとすれば、駅の伝言板くらいしかなかったんです。

自分の存在の半分は、ネットのなかで広がりながら他人とつながりを持つことになります。

そして、その存在を評価されることで、自分の居場所が保障される感覚がある。

ネット世界から個人がクレジット(信用と共感)を与えられることになるからです。

リアルかバーチャルかは関係ありません。

リアルな場はますます複雑怪奇になり、居場所がなかったり、存在を脅かされることも増えるでしょう。

だから、仮にフェイスブックやツイッターが衰退することがあっても、新しいSNS的なサービスは次々と現れる。

グーグル以降の人間は、ネット上で自己肯定感を得られる気持ちの良さからもはや逃れられないと思います。

3つめは、人生の長さ(ライフスパン)が決定的に異なること。

明治・大正を生きた世代と比較すると、君たちの世代は平均寿命が2倍に延びることになります。

いまの親世代もあと40~50年の人生が残っているから、十分に長いんだけどね。

親世代が生きている昭和・平成の時代は、1997年までは高度成長期でした。

子ども時代には掃除や洗濯機をロボットがやってはくれませんでしたから、面倒なことや手間のかかる仕事がまだまだ多かった。

不便な社会を知っている世代なんです。

でも、君たちは違います。

そうした面倒な手間を人工知能(AI)やロボットがやってしまう時代を生きているんです。

切符を買って改札で駅員さんにハサミを入れてもらっていた時代から、カードやスマホで自動改札を素通りできる時代へ。

世間話や値段交渉をしながら肉屋さんや八百屋さんでいちいち買い物をしていた社会から、加工食品を黙ってレジへもっていきレンジでチンしてもらえばすぐに食べられる社会へ。

そんな、なにかと便利な「コンビニ社会」に生まれてきたから、好きなことでもして時間をつぶさなければ暇で困ってしまう。

「人生とはいかに時間をつぶすか」という感覚が強くなるはずです。

だからこそ、君たちの世代が成熟社会を進化させ、日本のスポーツ・文化・芸術を花開かせる可能性は高いと思います。

このように、世界観、自分観、人生観が、親の世代とは決定的に異なることになるのです。

だから、理解されなかったとしても安心していいんですよ(笑)。

2020年に開催される東京五輪。

アテネ五輪のあとのギリシャや北京五輪のあとの中国など、世界の歴史を振り返れば、オリンピックを大々的に開催するために競技場や道路整備などに投資しすぎた国は、閉幕後、景気が大幅に落ち込むことが予想できるからです。

これらの理由から、2020年代にはおそらく求人も半減することになるでしょう。


この文章は、高校生に向けて書かれているが、このことは、そっくりそのまま親世代にも通じる大事な事実。

ITやAI、ロボットなどの大きな変化に対して、生きていくための方策は同じだからだ。

10年後、多くの仕事が消滅していくかもしれない中で、どんな勉強をしたらいいのか、何を身につけたらいいのか。

未来はもうすでに始まっている。

働き方改革。

SNSによるつながりの世界。

人生100年時代の生き方。

「10年後、君に仕事はあるのか?」

時代の変化に対して、変化対応能力を磨きたい。

2017年8月21日月曜日

記事紹介|憲法から取り残されてきた沖縄

日本国憲法から最も遠い地。それは間違いなく沖縄だ。

「憲法施行70年」の最初の25年間、沖縄はその憲法の効力が及ばない米軍統治下にあった。沖縄戦を生き抜き、6月に亡くなった元知事の大田昌秀氏は、戦後の苦難の日々、憲法の条文を書き写して希望をつないだ。

それほどにあこがれた「平和憲法のある日本」。だが本土復帰から45年が経ったいま、沖縄と憲法との間の距離は、どこまで縮まっただろうか。

重なりあう不条理

米軍嘉手納基地で今年4月と5月に、パラシュート降下訓練が強行された。過去に住民を巻き込む死亡事故があり、訓練は別の基地に集約されたはずだった。米軍は嘉手納での訓練を例外だというが、何がどう例外なのか納得ゆく説明は一切ない。

同じ4月、恩納村キャンプ・ハンセン内の洪水調整ダム建設現場で、民間業者の車に米軍の流れ弾が当たる事故が起きた。演習で木々は倒れ、山火事も頻発して森の保水力が低下。近くの集落でしばしば川が氾濫(はんらん)するため始まった工事だった。

航空機の騒音、墜落の恐怖、米軍関係者による犯罪、不十分な処罰、環境破壊と、これほどの不条理にさらされているところは、沖縄の他にない。

普天間飛行場の移設問題でも、本土ではおよそ考えられない事態が続く。一連の選挙で県民がくり返し「辺野古ノー」の意思を表明しても、政府は一向に立ち止まろうとしない。

平和のうちに生存する権利、法の下の平等、地方自治――。憲法の理念はかき消され、代わりに背負いきれないほどの荷が、沖縄に重くのしかかる。

制定時からかやの外

敗戦直後の1945年12月の帝国議会で、当時の衆院議員選挙法が改正された。女性の参政権を認める一方で、沖縄県民の選挙権を剥奪(はくだつ)する内容だった。交通の途絶を理由に「勅令を以(もつ)て定める」まで選挙をしないとする政府に、沖縄選出の漢那憲和(かんなけんわ)議員は「沖縄県に対する主権の放棄だ」と激しく反発した。

だが、連合国軍総司令部の同意が得られないとして、異議は通らなかった。翌年、沖縄選出の議員がいない国会で、憲法草案が審議され成立した。

52年4月には、サンフランシスコ講和条約の発効により沖縄は本土から切り離される。「銃剣とブルドーザー」で強制接収した土地に、米軍は広大な基地を造った。日本国憲法下であれば許されない行為である。

そして72年の復帰後も基地を存続できるよう、国は5年間の時限つきで「沖縄における公用地暫定使用法」を制定(その後5年延長)。続いて、本土では61年以降適用されず死文化していた駐留軍用地特別措置法を沖縄だけに発動し、さらに収用を強化する立法をくり返した。

「特定の自治体のみに適用される特別法は、その自治体の住民投票で過半数の同意を得なければ、制定できない」

憲法95条はそう定める。ある自治体を国が狙い撃ちし、不利益な扱いをしたり、自治権に介入したりするのを防ぐ規定だ。

この条文に基づき、住民投票が行われてしかるべきだった。だが国は「ここでいう特別法にあたらない」「沖縄だけに適用されるものではない」として、民意を問うのを避け続けた。

復帰後も沖縄は憲法の枠外なのか。そう言わざるを得ない、理不尽な行いだった。

軍用地の使用が憲法に違反するかが争われた96年の代理署名訴訟で、最高裁が国側の主張をあっさり追認したのも、歴史に刻まれた汚点である。

フロンティアに挑む

それでも95条、そして「自治体の運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて法律で定める」とする92条をてこに、沖縄が直面する課題に答えを見いだそうという提案がある。

基地の存立は国政の重要事項であるとともに、住民の権利を脅かし、立地自治体の自治権を大幅に制限する。まさに「自治体の運営」に深くかかわるのだから、自治権を制限される範囲や代償措置を「法律で定める」必要がある。辺野古についても立法と住民投票の手続きを踏むべきだ――という議論だ。

状況によっては、原発や放射性廃棄物処理施設などの立地に通じる可能性もある話で、国会でも質疑がかわされた。

憲法の地方自治の規定に関しては、人権をめぐる条項などと違って、学説や裁判例の積みあげが十分とはいえない。見方を変えれば、70年の歩みを重ねた憲法の前に広がるフロンティア(未開拓地)ともいえる。

憲法から長い間取り残されてきた沖縄が、いまこの国に突きつけている問題を正面から受けとめ、それを手がかりに、憲法の新たな可能性を探りたい。

その営みは、沖縄にとどまらず、中央と地方の関係を憲法の視点からとらえ直し、あすの日本を切りひらく契機にもなるだろう。

2017年8月19日土曜日

記事紹介|人と違うことをすることを恐れない

天皇陛下の心臓手術は東京大学と順天堂大学の合同チームにより行われた、「異例のケース」といわれた。

その手術を執刀して以来、私の生い立ちや、これまでの歩みをたくさんの記事にしていただいた。

過分なおほめの言葉も頂戴し、テレビでも、「天野篤」というひとりの医師が、どのようにして陛下の手術に携わるようになったのかを幾度も紹介していただいた。

そこでの「人となり」を数行に要約すると、天野篤という人間はだいたい次のようなことになる。

「落ちこぼれだった高校生が、心臓病で闘病する父親を助けようと医師を志し、三浪して日大の医学部に入った。

やがて心臓外科医になるが、自分も立ち会った3度目の手術で父親を失う。

自分にもっと力があればと、一念発起し、ひたすら腕を磨いていき、6000例を超える心臓手術を行うまでになった」

三浪という不名誉なことも含めて、たしかに事実はそのとおりだ。

今は順天堂大学医学部の心臓血管外科教授というポジションに押し上げていただいたが、もともとは出身大学の医局にも属さずに、一匹狼ともいえるような道のりを歩いてきたノンエリートだ。

ここに私の原点がある。

生来、人と同じことをするのが嫌いな反骨精神もある。

だが、30年医者をやってきて、本音でいいたい思いもある。

たとえば、受験難関校から旧帝大医学部に合格した秀才だけが医師になって本当によいのだろうか?

手術するのは学者ではない。

組織で偉くなる人でもない。

今後の医療現場では、かつての医師と現代の医師とでは求められる力が違うということもある。

最先端の医療現場では、医師が「ダヴィンチ」という手術支援ロボットを操作して、出血の少ない外科手術を行う時代にもなった。

つまり、小さい頃からコンピーターゲームの得意だった子が、優秀な外科医になりうる時代になっている。

私のように、小さい頃、プラモデル作りが得意だった子どもが患者さんのために役立つような時代だ。

プラモデルでは、部品のはがし方だって相当に集中してやった。

ひとつひとつの部品は、ニッパーできれいにはがさないとうまく仕上がらない。

1個部品を壊すだけで台無しになり、後戻りしなければならない。

そういうことが、熱中してきたことを通じてわかる。

だから、若い人のいろいろな経験を否定しないことが大切だ。

お母さんが我が子に、「ゲームばっかりして」と怒ることもあるだろうが、私は否定してはいけないと思う。

「ダヴィンチ」以上の手術支援機器が登場してくると、その技術的な進歩が、これまでの不可能を可能にするきっかけになったりする。

実際、医学部で教授という立場で、意思を育てるという側に立つと、弾力性ある若い力を、そのまましなやかに伸ばすには、どうしたらいいのかと、日々考えさせられる。

次世代のそれぞれの「思い」をどのように磨いていき、未来を切り拓(ひら)いていくのか…これからサポートしたいことでもある。


「禍福(かふく)は糾(あざな)える縄(なわ)の如(ごと)し」ということわざがある。

災いと幸福はまるで、より合わせた縄のように、かわるがわるやってくる、という意味。

失敗だと思っていたことが、成功する原因になったり、子どものころの無駄だと思っていた経験が、大人になって役に立つ、というようなことは多い。

これからの世の中はすさまじい勢いで変化する。

今までの技術が一瞬にして役に立たなくなるような、新技術も登場するだろう。

大事なことは、これからは、暗記したり、それを再生するというようなデジカメ的能力はまちがいなく必要なくなってくるということだ。

つまりたとえば、受験勉強で必要な記憶再生能力のようなこと。

現在は、それがスマホ一つでこと足りるからだ。

みんながやるから、自分もやる、というような生き方では、確実に取り残される。

人と違うことをすることを恐れない人でありたい。

生き方|人の心に灯をともす から

2017年8月18日金曜日

記事紹介|行政が学問の成果を評価するということ

「評価は主観である」とする私の主張に対して、客観的な数値をもってなすべきとする人がいる。そこで力を得るのが「論文至上主義」で、かつては発表論文数、近年では「論文被引用数」の比較である。しかし、マックス・ウェーバーが唱えたように「科学は進歩し続ける宿命にある」。従って、成果の評価にあたっては、まだ見ぬ将来への波及可能性が最重要な視点となる。論文が全てではないことは当然であるが、ましてや認識論や総合的批判による洞察を避けて、過去の成果発表の分析の一軸に過ぎない論文被引用数を唯一の評価手段として用いることは、あまりに安易である。運動競技とは異なり、むしろ芸術におけると同じく、まずは創造性を尊ぶべきであり、個人の論文生産能力、優勝劣敗を決めることではない。論文指標偏重の評価システムは明らかに不見識、かつ若い世代の価値観を拘束し、生き方を誤った方向に導くため、強く再考を求めたい。全体統計的にも、また個々の評価についてはなおさら問題は大きい。実は、研究社会が自らの見識をもって評価することを怠ってきたことが、規格化された評価制度への過度な依存を引き起こし、その結果、自らを疲弊に追い込んでいる。

「自治の府」としての研究社会における評価

この数値の背後にある理性、科学的意味は何か。今日では米国のクラリベイト・アナリティック社のWeb of Science(旧トムソン・ロイターズ社の時価35.5億ドルの事業)、オランダのエルセビア社のScopusなどの商業的情報提供事業がコンピュータ技術を駆使し、引用データを集計する。そして多様複雑に加工した数値結果を高価に売りつけ、個人評価や組織の格付けなどに最大限活用すべく促す。もう60年以上も昔に「研究成果の計測」を試みたユージン・ガーフィールドの創造性は特筆に値する。しかし現状は、この創始者自身による「その内在的価値を評価するのが科学的知性」との戒めにもとるものである。

アカデミアは自治の府であり、人間疎外のソフトウエアが一義的に規定する社会(Software-defined Society)ではない。学術、科学技術の実践のみならず、成果の評価についても、自らの判断基準を設定すべきであり、自己決定権を安易に情報企業に売り渡すことがあってはならない。優れた研究者を効率的な論文製造機と定義することは不適切である。科学的批判力をもって断固対峙すべき学術会議、学協会、大学や公的研究機関などの甚だしい怠慢、無責任は目に余る。営利目的の商業出版社が由々しき論文引用数至上主義を喧伝し続ける結果、有力ジャーナルのImpact Factor(IF)神話が、若い研究者に学問の本来の価値を見失わせ、せっかくの精神高揚の機会を損なわせていることは、甚だ残念である。

加えて、行政機関、研究費配分機関の安易な追従が、この非人間的独善の横暴を許している。大学には教員人事制度があり、また社会には研究に対するさまざまな顕彰の仕組みがあるが、かつて評価はアカデミアの主観的かつ多様な判断に委ねられていた。旧文部省が非公式に研究評価を考え始めたのは1980年代初頭である。当時、学術行政に尽力された誇り高い碩学が、ある内輪の集会で「行政が学問の成果を評価するという」と気色ばんでいらしたことを思い出す。科学への期待が変容する中で、ことの是非はともかく、識者による研究の独自性、希少性、多様性の尊重の風土は薄れ、容赦なき画一的数値比較主義へ傾きつつあることは間違いない。今や、この評価制度化により成果報告提出ごとに精神的圧迫を感じる若い研究者たちは、まことに気の毒である。さらに、大学組織の活動評価を一律に所属教員の論文指標の集計、総和でもって行うことも、好ましくない。それぞれに特色ある教育研究理念に沿う大学の自律的統治を損なうことになるからである。

大学教員人事も研究費配分も未来の科学を開くためにある。行政とその委嘱を受けた人たちは、単に権限を行使するのではなく、むしろ自らが評価主体者であることを再認識して欲しい。30年かけてつくり上げた現行システムの実践結果が、如何にわが国の科学者たちを鼓舞し、研究の質を向上させたか、あるいはその逆であったかを検証すべきではなかろうか。

本当に研究の質を問うているか

国民の問うところは、分かり易い論文被引用数などの数値の大小ではなく、わが国の研究活動全体の質である。そして質の向上を図る鍵は、研究者たちの自己肯定感を堅持しながら、制度を総点検し問題点を明らかにした上で、旧態依然の研究教育体制(コラム5、6など)を変革することにある。にもかかわらず、第5期科学技術基本計画は問題を棚上げした上で、論文数と被引用回数上位10%論文の増加を目標に掲げた。いかなる権力であれ自らの責任説明のために研究現場の組織や個人に数値向上の努力を強いれば、大きな負の効果を生む。この便宜的手段が目的化することは明らかで、恣意的な数値操作がまん延、アカデミアが本質にもとる「衆愚(ポピュリズム)研究の府」と化すことは必定である。一方で、研究社会が自らの信念をもとに編み出した合理的提案を行政府に届ければ、聡明な官僚たちは、必ず真摯に耳を傾けるはずである。

良い論文とは、読者にとって読み応えがあり、腑に落ちるものである。その上で研究の礎のなった先行論文こそが、高く評価されるべきである。被引用数は各分野における発表論文のいわばエコー(反響)の度合いにすぎず、決して科学的創造や進歩への貢献を反映しない。視聴率の高いテレビ番組、入場者の多い催し物、人が溢れる喧騒の都市繁華街が他に比べて質が高いとは限らない。

統計によれば、記録が維持されている5,800万論文のうち、44%が一度も引用されず、32%が9回以下であり、1,000回以上引用されるのは、僅か0.025%の1万4千論文に過ぎないという。しかし、この「民主平等的」研究社会では、この大多数を占める「低評価論文」にもやはり対等の引用権利が与えられ、その反映が被引用総数として現れる。被引用数評価の信奉者たちは、ここに自己矛盾、この増幅の仕組みを負のスパイラルとは認識しないのだろうか。逆にトップ0.1%被引用論文の特別扱いも価値偏向を助長し、好ましくないことは当然である。

もとより、巨大なエコーにそれなりの意味はあるが、せめて被引用数は対数(log)比較に止めてはどうか。桁を論じる「格」に意味はあっても、平凡な数値を「順番」に並べてみても、全く意味を見出す事は出来ないではないか。

引用行為は信頼できるか

そもそも、論文著者たちは適切な引用をしているであろうか。引用文献の選択が適切でなければ、データベースそのものの信頼性が損なわれる。仮に一論文に、関連課題論文50編を引用するとしよう。ならば、著者は前もってその5-10倍、すなわち250-500編の論文を読破しなければならないはずである。昨今、論文数を問われる研究者たちは年間に複数の論文を発表するが、実際、彼らに先行文献の検索、通読、選択の時間が十分に確保されているのか、と心配になる。

世界中で年間220万報以上の科学論文が発表され、さらに毎年累積していく。誠実な著者たちは、この溢れる情報の渦の中で、いかに適切に先行文献を選択しているのだろうか。最近米国では一人の研究者が年間に読む論文は、平均して264報に過ぎず、一報に費やす時間は32分という。進展著しい分野では、5年前の論文はすでに古くて役に立たないので読まないというが、それでも結構引用されている。ならば引用文献の選択を他人に、あるいは機械に託しているのではないかと懸念している。一般に英文読書速度が低く、また多忙で自由時間に乏しいとされる日本人研究者たちの現状はどうであろうか。

引用されなければ意味はないのか

引用数を評価指標にするならば、実際に比較対象となる具体的数値には公平性が担保されなければならない。まずは「早すぎた発見」は無視されがちで、「眠れる美女」が少なくないことである。1906年発表のH.Freundlichによる溶液中の吸着の研究は、96年後の2002年に初めて日の目を見たし、1935年の有名なEinstein-Podolsky-Rosen論文も2003年頃にようやく広く認知されたという。私は過去を振り返りながら「事実の発見」はもちろん大事だが「価値の発見」がさらに大切としてきた。科学的事実の発見の本当の意義は、当事者によってさえ認識されないこともある。創造性を洞察する目利きが必要な所以でもある。

一方で、真実との評価が定着した物理学の相対論の提唱や、分子生物学を開いたDNA二重らせん構造発見も、引用の対象外である。それほど偉大でなくとも、たとえば化学分野では、しばしば高性能な触媒や有用な材料が発明、発表される。しかし、もしもその実用性が認められ試薬会社から販売、汎用され始めるとなれば、もはや原著論文は急激に引用されなくなる傾向がある。論文誌の規定により商業行為を行う供給会社名は確実に記載されるが、恩恵に預かる利用者の多くは、科学上の発明者に対して敬意、感謝はおろか、関心さえ払わないのである。これらの「不公平な」現象を、引用数値主義者や情報販売機関はどう説明するのか。あるいは未熟な研究者たちの振る舞いを正してくれるのだろうか。

幸いにも、私は「フロンテイア分子軌道論」を創始し1981年にノーベル化学賞を受けられた福井謙一先生から「論文が引用されているうちは本物ではない」と習い、さすがと感心した覚えがある。

分野によって被引用数はもとより、論文発表そのものの価値さえ異なるので、専門家たちの意見も聞かねばならない。数学理論の評価には、論文被引用数集計よりも特別の目利きの判断がぜひとも必要で、しかも優れたものでも十分認知されるには10年近くの時間を要するものも少なくない由である。また、中国の急激な伸長に比べて、わが国の計算機科学の論文数、被引用数シェアの低さがしばしば話題になるが、指導者たちにはこの評価が気に入らない。「この分野は日進月歩なので、過去の仕事をまとめるよりも、斬新な発想の提案が大切であり、その披露は論文誌ではなく、有力な国際会議で行う。その講演録(proceeding)が大切なのだが、これは被引用数の対象とならない」という。もし優秀な研究者の多くが、本当に新規性に注力しているのであれば、心配は無用である。

かつてわが国の強みであった工学も分散的傾向が強く、論文よりも特許や実用新案などに関心が大きいのでなかろうか。先人が綿々と紡いできた「匠の技」は現代の科学技術、産業技術にいかに貢献しているのか。日本語で書かれた数多くの技術論文の実社会における評価も気になっている。

なお、爆発的な勢いで生産される中国発の高被引用数論文の相当数が、中国語で書かれている。これが何を意味するのか、中国語を読めない私には、今しばらく様子を見なければ判断できない。

野依良治の視点|研究の評価、研究者の評価 論文引用数は信頼できる評価指標か から

2017年8月17日木曜日

総理、あなたはどこの国の総理ですか

「ノーモア ヒバクシャ」

この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。

核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122か国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。

私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。

しかし、これはゴールではありません。今も世界には、15,000発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。

核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。

安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。

日本政府に訴えます。

核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。

また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。

私たちは決して忘れません。1945年8月9日午前11時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15万人もの人々が死傷した事実を。

あの日、原爆の凄まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼野原となりました。皮ふが垂れ下がりながらも、家族を探し、さ迷い歩く人々。黒焦げの子どもの傍らで、茫然と立ちすくむ母親。街のあちこちに地獄のような光景がありました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。そして72年経った今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。原爆は、いつも側にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたのです。

世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。 遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。

人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。

世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。

今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。世界の7,400の都市が参加するこのネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。被爆者が私たちに示してくれたように、小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを、ここ長崎から、平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。そして、被爆者が声をからして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します。

被爆者の平均年齢は81歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救済を求めます。

福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い、応援します。

原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

平成29年長崎平和宣言|2017年(平成29年)8月9日 から

2017年8月16日水曜日

記事紹介|平和な社会を築くために

私はこの任務を誇りを持って旅立ちます。

お父さんお母さん先立つことをお許し下さい。

私は戦争のない世界を、未来の子ども達が創ってくれることを信じて飛び立ちます。


18歳で特攻隊に志願して飛び立った少年の手紙から紹介します。

今日の長崎原爆の日を含め8月は先の大戦について思いを馳せる月です。

政治判断の過ち、正しい考えを持った人がいても

大きな流れに抗えなかった組織の過ちを反省して参考にするとともに、

名もなき多くの市民の犠牲と、未来を信じる心の上に、

我々の今の生活があること、平和があることを忘れないようにする。

『善きことのみを念ぜよ。必ず善きことくる。命よりも大切なものがある。それは徳を貫くこと。』

とは特攻隊員の母として慕われた鳥濱トメさんの言葉です。

トメさんは鹿児島県の知覧飛行場のそばで富屋食堂を営み、多くの若き特攻隊員の出撃前の面倒を見られました。

『平和な社会を築くために、必要なものが三つあると私は思っています。

「勇気」と「行動」と「愛情」です。

「勇気」と「行動」だけでは、戦争に結びついてしまうことがある。

「行動」と「愛情」だけでは、物事を変革するのに怖気づいてしまうことがある。

「勇気」と「愛情」だけでは、きれいごとを言うだけで終わってしまうことがある。

この三つが揃って、初めて物事をなしていくことができるでしょう。』

これは被爆者の笹森恵子(しげこ)さんの言葉です。

日々徳を積み、「勇気」と「行動」と「愛情」の3つをセットにして、

挑戦していきましょう。

平和|今日の言葉 から

2017年8月7日月曜日

記事紹介|競争相手は時代の変化

社会が成熟する中、企業は非連続の成長をせざるを得ない状況です。そこに必要なのは、イノベーションです。

しかし残念ながら、従来型のリーダーシップでは、イノベーションを起こし続けるのは難しくなってきているのです。

これから企業に求められるイノベーションのためには、顧客インサイトをいかに捉えるか、しかも、1人の天才ではなく、集団天才型のチームで「顧客共創」をすることが極めて重要になってくる、というポイントです。

社会実験と市場テストを繰り返すことで、あるいは越境して離れた領域をつなぐことで、顧客の洞察、市場の洞察、社会の洞察を引き出していく。

多様な異能の能力を組み合わせて、顧客も巻き込みながら、既存のバイアスを壊し、新しい顧客価値を共創していく。

そうでなければ、見えてこないニーズ、サービス、プロダクトがあるからです。

それは、デジタル革命の経営に対する影響力が非常に高まっているためです。

ビジネスにも、企業経営にも、テクノロジー理解が欠かせないものになっている中、コンピュータやスマートフォン、インターネット、ビッグデータ、AI(人工知能)、ロボット、自動運転、EV(電気自動車)、ドローン、ブロックチェーンといったテクノロジーをいかに自社の事業開発・組織開発に活かせるかが、企業の稼ぐ力を左右するようになってきています。

こうしたテクノロジーに若い頃から自然に触れている、「デジタル・ネイティブ」世代が、すでに活躍を始めているのです。

この世代こそ、次世代を担うにふさわしいスキルと感性を持っているのです。

これ以外にも「40歳社長が必要である」理由がいくつもあります。

さらにもうひとつ、日々、多くのビジネスパーソンと触れ合う中で伝えなければいけないと感じていたのが、新しい時代のキャリアづくりです。

リンダ・グラットン教授による『ライフ・シフト』でも言及されている通り、現在、50歳未満の人は100歳を超えて生きるだろうと予測されています。

つまり、「人生100年時代」が訪れるわけですが、これはすなわち働く期間も長くなっていくことを意味します。

日本ではこれから、人口減とともに労働人口の減少が進んでいきます。

一方で、テクノロジーの進化や顧客ニーズの高速変化から、ビジネスモデル寿命はどんどん短くなっていきます。

私たちを取り巻く働く環境は激変していくのです。

つまり、これまでのようなキャリアの考え方では、もうやっていけなくなる可能性が高いのです。

それに加えて、すでに日本でも流行語となっている「ダイバーシティ推進」や「働き方改革」も、働く環境を大きく変えていくでしょう。

学生の大企業人気は相変わらずですが、これからは「安定」の意味が変わっていきます。

本当の「安定」とは、安定した会社に勤めることではなく、「いつでもどこでも自分で稼げる人間」になっておく、ということです。

おそらくこれから、新しい時代の「安定的な働き方」をする人、そいう働き方を求める人が増えていくでしょう。

AIの登場も相まって、これまでになかった職種や職業が生まれてくるでしょう。

となれば、リーダーも経営も変わることは必然です。

未来のことは不確実で誰にもわからない、と言われます。

しかし、「これから数年で大変な変化が起きる」ことだけは確かです。

これからの時代に、何が起きるのか。

何が必要になってくるのか。

とりわけリーダーにとって、これからリーダーを目指す人にとって何が重要になるのか。

今は顧客インサイトをつかむのが難しい時代です。

しかも、ニーズは高速変化していきます。


人は大きく分けると、「現状打破」の姿勢の人と、「現状維持」の姿勢の人がいる。

現状打破の姿勢の人は、変化できるが、現状維持の姿勢の人は、変化に乗り遅れてしまう。

なぜなら、自分だけ現状維持しているつもりでも、その間に世間が変わってしまうからだ。

つまり、「競争相手は時代の変化」と言われる所以(ゆえん)だ。

そして、インターネットなどの新しいテクノロジーの登場により、その変化は加速している。

「次の時代は30代から40代の人たちが創っていく」

新たな時代の変化に対応していきたい。

どうして若い人材が抜擢される必要があるのか|人の心に灯をともす から

2017年7月31日月曜日

記事紹介|民意の衣

横浜市長選で与党が推薦する現職の林文子氏が3選を果たした。しかし安倍首相が姿勢を改めたことが奏功したとは想像しづらい辛勝であった。更なる悪化を押しとどめたとは言えるかもしれなが。

変化をもたらしたのは、何といっても1日の東京都議選での自民党惨敗と、内閣支持率の急落だ。それがなければ安倍首相が閉会中審査に出席することも、「丁寧な説明」をすることもなかったろう。

4日に発表された11日付の文部科学省人事では、初等中等教育局長が官房長に、高等教育局長が生涯学習振興局長に異動した。慣例からいえば屈辱的だ。しかし噂では他省庁から局長をあてがう内示が都議選前にあったというから、同省にとって最悪の事態は逃れたというべきかもしれない。

安倍首相に席上からヤジを飛ばさせたのも、低姿勢に一変させたのも、選挙結果や支持率という民意の衣である。就任以来、アベノミクスによる景気回復への期待が続いてきたが、その幻想も幻滅に変わったということか。

政権交代後、とりわけ「お友達」の下村博文氏が文部科学相になって以来、不可解な動きが省内に感じられた。端々に出てきたのは学習指導要領の「解釈改訂」、教科書検定の見直しなどだが、「ミサイル教育」は果たして教職課程コアカリキュラムにとどまらず次期指導要領解説の総則に「国民保護」を明記させるに至った。

森友・加計両学園の問題によって、ようやく不可解さに「忖度」という名が付いた。前川喜平・前事務次官に対しては「なぜ在任中に言わなかったか」という批判があるが、当時とてもそのような雰囲気になかったことは端目に見ても分かる。

首相が裸だと明らかになった7月が終わる。内閣改造後の残暑は過ごしやすいのか、はたまた止まらない汗が衆目にさらされることになるのか。

2017年7月29日土曜日

記事紹介|難の有る人生が、有り難い人生

難の無い人生が、無難な人生。難の有る人生が、有り難い人生

パッと見ると、難を避けて無難な方がいいかなと思ってしまうかもしれませんが、

「有り難い」と漢字で書くことで、困難が有ることも悪くないと思えるようになる。

エジソンもこう語っています。

『ほとんどの人が機会を逃してしまうのは、その機会が作業服をまとって、いかにもありきたりの仕事に見えるからだ。』

自分を育ててくれるものは、自分にとって都合が良かったり、すぐにありがたいと思えるような格好をしていないということ。

砥石は滑らかではないから、刃物を磨くことが出来るのと同じですね。

難|今日の言葉 から

2017年7月28日金曜日

記事紹介|足るを知る者は富む

ブッダは「嫉妬することで満足することがないから、明らかな智慧(ちえ)をもって満足するほうが優れている。明らかな智慧をもって満足している人を、嫉妬が支配することはできない」と述べておられます。

もしあなたが「足(た)る」を知る、つまり自分のもっているものの大切さを知り、ひとをうらやんでも意味がないという智慧をもつなら、もはや嫉妬があなたを支配することはないと語っているのです。

「足るを知る」ということは、「いま自分のもっているものを大切にせよ」ということです。

もともと「足るを知る」という言葉は老子(ろうし)の「足るを知れば辱(はずかし)められず」から来ています。

そして「足るを知れば辱められず」に続けて「止まるを知れば殆(あや)うからず(限度を知れば危険はさけられる)、もって長久なるべし」と語っています。

老子はこの説明として「名誉と身体とどちらが大切か、健康と財産はどちらが大切か、得ることと失うことはどちらが苦しいか、ひどく欲しいものがあれば、大いに散財する、たくさん持てばたくさん失う」といっているのです。

他人が何かをもっていても、それは健康に比べれば意味がない、もっているものは必ず失うようになるのだ、だからうらやんでも仕方がないといっているのです。

連合艦隊司令長官を経て、昭和天皇の侍従長として二・二六事件の際にあわや一命を落とすばかりの経験をし、天皇に請われて終戦時の総理大臣になった鈴木貫太郎(かんたろう)大将の座右の銘は「足るを知る者は富む」でした。

あれほどの名声地位をもつ鈴木貫太郎大将がこれを座右の銘にしていたということに深い感慨を覚えます。

堀口大学という詩人がいます。

芸術院会員で文化勲章をもらい、功成り名遂げたこの詩人に「座右銘」という詩があります。

「暮らしは分が大事です

気楽が何より薬です

そねむ心は自分より

以外のものは傷つけぬ」

人をそねみ、うらやんでも、結局うらやむ自分が傷つくのだという詩です。

これはほんとうにわたしたちの心を動かす詩です。

さらに「気楽が何より薬です」という言葉には「気楽になることが人生の目的だ」という意味も含まれているように思えます。

江戸時代の禅僧で書画をよくして博多の仙厓(せんがい)和尚は「寡欲(かよく)なれば即ち心おのずから安らかなり」と書いています。

つまり自分のもっているものに満足し、多くを望まない、うらやまない、他人のもっているものを欲しがらないということを実践すれば、心は自然に楽になると教えているのです。

「皆さぁ、自分が賢いとか、できる人間だとか思っちゃダメだよ。

私も含めて、皆バカなんだから早くバカに気付かないと。

バカだってわかれば人間慎重になるから」(所ジョージ)

自分は大(たい)した者じゃない、と思うことができるなら、分をわきまえることができる。

分をわきまえるとは、「身の程(ほど)を知る」ことであり「背伸びしない」、「我を張らない」ことであるが、それが「足るを知る」ことにつながる。

また、自分に良い意味でのプライドや誇りを持つことは大事だが、それが前面に出てしまい、鼻につくようになったら人から嫌われる。

「さらに、もっともっと欲しい」と、足るを知らない人や欲深い人は、不平不満や文句が多い。

「足るを知る者は富む」

人と比較をせず、今ある幸福に気づきたい。

足るを知る者は富む|人の心に灯をともす から

2017年7月27日木曜日

記事紹介|日本の大学が国際化するには

日本の大学の国際化がなかなか進まない。世界大学ランキングで上位に顔を出すのは一握りで、留学生の受け入れ比率なども世界的に低い水準だ。東京大学で正規職の外国人教員として32年間教え、今春退官したロバート・ゲラー名誉教授は「日本の大学が国際化するにはガバナンス(統治)改革が不可欠」と訴える。

▶外国人の目に日本の大学はどう映りますか。

「私は1984年、東大の任期なし外国人教員第1号として米スタンフォード大から招かれた。恩師が東大出身だったので、オファーを受けたときに迷いはなかった。だが当時も今も、外国人が移籍したいと思う日本の大学はほとんどない。大学運営も世界標準から大きく外れている」

外国人教員5%

「なかでも奇異に感じたのが2011年、東大が秋入学への移行を検討し始めたときだ。欧米の多くの国が秋入学なので、日本もそれに合わせれば国際化が進むという単純な発想だったようだが、議論は紛糾し、結局先送りになった」

「学内討論会が開かれたとき、私は『なぜそんなマイナーな問題にこだわるのか』と当時の学長に問いただした。国際化を目指すなら、もっとやるべきことがあると」

▶それは何ですか。

「最も大事なのは優れた外国人教員を任期なしで多く採用することだ。英米の一流大では外国人比率が3~4割に達し、多様性の高さが研究や教育の質を高めている」

「一方、日本では外国人教員は5%程度しかおらず、大半が3~5年の任期付きだ。せっかく日本に来ても任期中から次の就職先を探さねばならず、日本語を学ぶ余裕すらない。結局定着できず日本を去ってしまう」

▶なぜ外国人を増やせないのでしょうか。

「ひとつの理由は日本では各専攻で少人数の教授たちが人事権を実質的に独占していることだ。教授会で審査されるが、覆ることはほぼない。しかも採用基準が曖昧で、自分の弟子や仲間だけが条件に当てはまるようにしている。外部に優れた人材がいても確保できず、大学がタコツボ化している。自治に名を借りた悪平等だ」

「一方、欧米の有力大では教員を採用するとき、一流学術誌に掲載された論文数や引用数といった定量的評価と学外の第三者による定性的な評価を併用し、大学が本当に必要とする人材を国内外から選んでいる」

▶何を改めるべきですか。

「米国の大学には学長に次ぐ『プロボスト』という職があり、学務全般や人事で強い権限をもっている。プロボストが外部人材を交えた諮問委員会をもち、運営方針や人事を諮ることもある。日本の大学も同様のポストを設け、ガバナンスを改革することが不可欠だ」

「米スタンフォード大が運営理念として『Steeples of excellence』を掲げ、実行しているのは参考になる。Steepleとは尖塔(せんとう)のことで、戦略的に強化すべき分野を決め、世界トップの研究者や学生が集まるように採用も戦略的に行っている」

「もしも研究や教育の水準が下がってきたら、諮問委員会が再生委員会のように機能し、立て直しに何が必要か、外部からどんな人材を招くべきかを学長に助言する。日本の大学にもこうした組織が欠かせない」

英語教育に欠陥

▶日本の学生の学力に問題はありませんか。

「学生の英語力が足りないので英語で授業ができず、外国人教員を呼べないという悪循環は確かにある」

「東大は大学院入試に英語能力テストTOEFLを取り入れているが、米国の一流大の合格水準に達する学生はほとんどいない。日本人は中学から大学まで8年間も英語を学び、トップクラスの東大でもこの程度というのでは、日本の英語教育全体に重大な欠陥があると言わざるを得ない」

「ただ英語力をつけるのは大学入学後でも遅くない。私の専攻で約10年前、英語で話す力、聞く力を伸ばすため、週2回、年90時間程度の特別講義を始めたら、TOEFLの点数が目に見えて伸びた。例えば夏休み中に集中的に特訓すれば英語力はかなり伸ばせる。こうした授業にこそ予算をつけるべきだ」

▶安倍政権は高等教育の無償化を検討するとしています。

「政権の求心力が低下するなか、場当たり的に言っている印象が強い。日本の大学の国際化の遅れは、既に競争力の低下を招いている。教育格差を解消できるなら悪いことではないが、無償化と引き換えに大学の予算や人員が削られることになれば、大学は瓦解する。それでは本末転倒だ」

大学国際化の課題 東大名誉教授 ロバート・ゲラー氏 タコツボ排し統治改革を|日本経済新聞 から

2017年7月26日水曜日

記事紹介|組織の動かし方、仕事の進め方(2)

(続き)
知識の深さと広がりが判断の的確性と柔軟性を育む

次に、仕事の進め方について、主として大学職員を前提に考えてみたい。

近年、業務の多様化や高度化を背景に、教職協働、より高い専門性や企画・立案力等を大学職員に求める傾向が強まっている。このこと自体、決して間違いではないが、高度な専門性も企画・立案力も、的確かつ効率的に仕事を進める能力の上に積み上がっていくものであり、このような能力を持続的に高められる環境が整っているか、個々の大学の実情も含めて厳しく点検する必要がある。

下図は、仕事を進める上で必要な能力を、学士力や社会人基礎力を含むこれまでの議論も踏まえつつ、整理したものである。白地は、主として学校教育段階でその基礎を身につけるべき能力であり、網かけは、仕事や職場での経験を通して養われる部分が大きいと思われる能力である。以下では後者を中心に論じることとする。


図は、下から上に向かう構造となっており、土台としての自己管理能力から始まり、組織内で信頼を蓄積し、それに基づいてリーダーシップを発揮できる状態に到達するまでに、求められる能力要素を整理している。ここでいうリーダーシップは、役職等の地位に関係なく発揮できる能力を意味する。

自己管理能力は課外活動を含む学校教育段階で一定程度身につけることができるが、職業生活においては、職場規律、チームワーク、生産性等に影響することもあり、格段に厳しくその能力が問われることになる。就職直後に関わり合う上司・先輩の影響はとりわけ大きい。

知識については、学校教育で得るものに加えて、職務上の知識をOJTまたはOff-JTで身につけなければならない。

ここで重要なのは、表層的な知識にとどまることなく、その本質まで掘り下げるとともに、周辺領域や関係領域まで広げて知識を習得する必要があるという点である。

職務上必要な知識に深さと広がりを持たせることで、正確な理解に基づいた的確な判断が行えるようになるだけでなく、根本的な原理・原則を押さえた上で、より柔軟な判断や創意工夫を行う余地も広がる。

どのようにすればこのような深さと広がりのある知識を身につけることができるかは、育成上重要な課題である。

価値観や考え方を組織文化として定着させる

中段右側の要領、手順、段取りは、生産性に直結する要素である。仕事の優先順位づけもこれに含まれる。特に、上位者の段取りの巧拙は、部下の働きやすさや職務満足感に大きな影響を与える。

組織全体の生産性を高めたいならば、これらの能力に長けた人材を一人でも多く育成すべきであるが、座学でノウハウを伝えても、仕事の経験を積ませても、容易に身につくものではない。

このような能力に長けた上司や先輩が周囲におり、その仕事ぶりを見ながら、職場学習を重ねていくことが最良の方法である。

中段左側の信念、価値観、考え方も、生産性や仕事の質に関わる重要な要素である。誰のために、何を重視して仕事をするかは価値観の問題であり、「日々改善」、「良い品(しな)、良い考(かんがえ)」等に代表されるトヨタ生産方式の思想等は、本稿でいう考え方に相当する。

学ぶべき事例は大学にもある。坂田昌一教授率いる名古屋大学の物理学教室が、全ての教員と大学院生が対等な立場で自由に議論する体制を憲章に定め、定着させてきたことが、今日の研究水準の高さに繋がっていると言われている。小林誠・益川敏英両教授のノーベル物理学賞受賞はその象徴である。

要領・手順・段取りも信念・価値観・考え方も促成栽培に馴染まない能力であるが、一度身についた能力や定着した組織文化は容易に廃れない。これらの能力を培うための息の長い取り組みを展開すべきである。

誠意ある仕事の積み重ねで信頼を蓄積する

説明能力は、学校教育段階でも養われるが、仕事においては多様なシチュエーションで、その時々に応じた説明が求められる。説明を受ける相手の状況を踏まえた工夫や配慮も必要である。

要旨をA4一枚にまとめ、ざっと目を通しただけで内容を把握できる文書を作成し、短時間に簡潔に説明する能力も養っていく必要がある。

あまりに具体的で細かすぎる話ではあるが、実際の仕事はこのようなことの積み重ねでもある。相手の立場やニーズに配慮しながら、互いにストレスを感じないように、誠意を持って仕事をする。その繰り返しの中で、コミュニケーション能力が磨かれ、チームワークや協働する力が身についてくる。

それが信頼に繋がり、信頼が蓄積されることで、他者に対する働きかけが有効に機能するようになる。リーダーシップの発揮とはこのような状況を意味する。

実践的で体系的なプログラムの開発が不可欠

最後に、組織の動かし方と仕事の進め方の基礎となる能力を身につけるための方策について考えてみたい。

前者については、学長、副学長、学部長、事務局長等を対象とする組織の動かし方に焦点をあてた体系的な教育プログラムを開発し、一定期間集中して受講できる形で開講することを提案したい。

そのプログラムでは、経営学の基礎的な知識を体系的に学んだ後、実際に組織を動かしてきた企業経営者の話を聴き、それらを踏まえて、ワークショップ形式で大学組織を動かすために何が必要かを徹底的に話し合う。

このような体験を通して、組織を動かすための考え方や方法が理解できれば、あとは経験を重ねることで能力が身についてくるはずである。組織を動かすための何の準備もなく、マネジメントを行えるほど、大学が置かれた環境は甘くない。

仕事の進め方については、上司・先輩の仕事ぶりに学ぶことができれば、それが最良の方法だが、恵まれた育成環境にある職場ばかりではないだろう。そのためにも、実践的な知をベースにした教育プログラムを開発し、座学とワークショップを組み合わせた学びの機会を準備する必要がある。

大学をより良い方向に導くためにも、組織の動かし方、仕事の進め方のそれぞれに関する実践的能力を有した人材の育成に、設置形態を超えて早急に取り組む必要がある。

組織の動かし方と仕事の進め方に関する実践的能力をどのようにして高めるか|吉武博通  公立大学法人首都大学東京理事|リクルート カレッジマネジメント から

2017年7月25日火曜日

記事紹介|組織の動かし方、仕事の進め方(1)

「ハード」の変革から「ソフト」の工夫へ

「改革」を通して大学はより良き方向に向かっているのだろうか。組織や制度を変えることは改革の手段であり、目的ではない。また、組織や制度を変えたからといって、それが直ちに教育研究の高度化や経営力の強化に結びつくわけではない。

組織が目指す目的・目標を構成員が十分に理解し、その達成に向けて個々の能力を高め、最大限に発揮しつつ協働する。そして、組織内の至る所で自発的かつ持続的な改善が展開される。このような状態を創り上げることこそ改革の究極の目的である。

組織・制度の見直しは、そのための「ハード」の変革と言えるが、実際に組織をどう動かし、仕事をどう進めるかという「ソフト」とも呼ぶべき要素を重視し、その能力を高めることも極めて重要である。

例えば、学長が決定する事項と学部または学部長に委ねる事項を見直すことは、組織・制度に係るハードの問題であるが、学長が必要な情報を集め、如何なる判断を行い、下した決定をどう伝え、実行を促すかはソフトの問題と言える。近年のガバナンス改革は前者を中心としたものであり、後者は学長個人の能力や経験に委ねられたままである。

次に、職員の業務を考えてみたい。教員組織と職員組織の間の機能・権限分担、職員組織における部署間の機能分担や職階間の権限関係等はハードの問題であるが、実際の仕事をどう進めるかは、ソフトの問題である。教育研究に対する効果的な支援、学生サービスの質、業務全体の生産性等は、ハード面のみならずソフト面に左右される部分が大きい。

働き方改革や生産性向上は我が国全体の課題とされている。リーダーシップ、人材育成、仕事術、データ分析、プレゼンテーション等、組織の動かし方や仕事の進め方を扱った啓蒙書や雑誌の特集も多く、ビジネスの現場における関心の高さが窺われる。

これまで、合意プロセスや規則・前例に則った手続き的側面が重視されてきた大学においても、教育研究の質の高度化や経営力の強化を進める上で、組織の動かし方と仕事の進め方に関する実践的能力が、より求められるようになってきた。

本稿では、組織を動かすという観点から「会議」のあり方を根本的に見直すことを提案した後、仕事を進める場合の工夫・改善点を、具体的な場面に即して検討する。その上で、それらの基礎となる考え方やスキルを如何にして身につければ良いのか、大学組織の特質を踏まえながら考えてみたい。

「会議」は組織を動かす最大の手段

大学において組織を動かすために重要な役割を果たしてきたのは、「会議」、「規則」、「資源配分」であろう。その中でも、規則や資源配分が会議によって決定されることを考えると、「会議」の役割はとりわけ大きく、組織を動かす最大の手段と言える。

そのことを象徴するように、教員か職員かを問わず、上位役職になるほど会議に時間が取られ、実務を担う職員は、日程調整、資料作成、事前説明、会議の設営、議事録作成等に多大な労力と時間を費やすことになる。

学長、副学長、学部長等会議を主宰する立場の役職者は、事務局が作成した議事次第と進行メモに沿って会議を運営し、その事務局も前任者から引き継ぐ形で、期限を切って各部署から審議事項や報告事項を提出させ、決まった手順に従って会議の準備をする。

仮にこのような状態であれば、当事者意識を持って会議に臨む者が不在のまま、型通りの会議が繰り返されることになる。「会議を活かす」という主宰者や事務局の能動的な姿勢が不可欠である。

既に、種々の改善に取り組んでいる大学もあるだろうが、単に会議数を減らしたり、会議時間を短縮したりするだけでは、学内コミュニケーションの密度を低下させることになりかねない。

会議の本来の目的を再確認し、目的にふさわしい形に組み替えるとともに、それに沿って運営方法を改善することで、組織の動かし方が大きく変わり、大学運営が飛躍的に活性化する可能性がある。

中長期的な方向づけに関する課題を重点審議

会議には、①意思決定、②方針伝達、③コミットメント、④進捗管理、⑤情報共有、⑥問題発見、⑦アイデア創出、等の目的があり、通常は複数の目的を兼ねて開催されることが多い。

そのうちの「意思決定」については、大学の場合、各組織の代表者が参画し、適正なプロセスを経て決定がなされたことを明確にすることで、構成員の納得を得るという意味合いが強い。しかしながら、それだけで教員組織や職員組織の第一線まで方針通りに動かせるかといえば、それほど容易ではない。

組織を動かすために最も重要なことは、組織が向かう方向、目指す姿を明確に示すことであり、なぜそれを目指すのか、その背景にある現状認識や考え方を広く共有することである。

そのためにも、付議事項を真に重要なものに絞り込む必要がある。国立大学法人の役員会や経営協議会、学校法人の理事会等は、中長期的な方向付けに関する審議に重点を置き、短期的または日常的な事項の決定については、理事長・学長や担当理事等の執行に委ねるべきであろう。

また、審議資料は結論のみを記すのではなく、結論に至る背景や考え方が理解できるように工夫する必要がある。実際の資料作成は職員が担うことが多いと思われるが、資料を作成するプロセス自体が、情報収集力、企画構想力、論理的説明能力等を鍛える。また、検討にあたっては教員とも他部門の職員とも話し合わなければならない。サイロ化と呼ばれる自部門だけに閉じがちな意識を払拭し、教職間や部門間が連携・協働する契機ともなり得る。

さらに加えるならば、重要な戦略課題をどのタイミングで付議するか、年間スケジュールの中で予め決めておくことで、問題を先送りすることなく、検討を促進することができる。

会議を変えれば組織が変わる

2つ目の目的である「方針伝達」については、会議で説明すれば第一線まで伝わると安易に考えるべきではない。

全学的な方針に対する教員の関心は、自らの利害に関わらない限り、総じて低い。伝えるべきことがあれば、確実に伝わるように、説明会を設けたり、学長・副学長が学部・研究科に出向いて直接説明したりする等、最良の手段を講じるべきである。

会議は、計画や予算を決定する場であると同時に、決定に基づく実行を約束し合う場でもある。これが目的の 3つ目に挙げた「コミットメント」である。その上で、節目ごとに「進捗管理」を行い、問題があれば新たなアクションを打つことになる。

5つ目の「情報共有」とは、大学を取り巻く諸情勢や政策動向、志願者・入学者、教育・研究・学生に関する状況、進路状況等であり、会議報告を通じて共有することを目的とするものである。IR機能の充実と一体となって取り組む必要がある。

進捗管理や情報共有を行う中で、解決すべき問題を見つけるのが 6つ目の「問題発見」である。会議に報告される種々の実績データは、当該年度だけか、前年度との比較を加えたものにとどまることが多い。これを 5年ないし10年程度の時系列データとして眺めてみると、気づくことが増え、解決すべき問題がより鮮明に浮かび上がってくる。

「アイデア創出」も会議の重要な目的の一つだが、通常の全学的な会議にこの機能を期待することは難しい。フランクに話し合い、豊かな知恵を出し合える規模や構成を工夫する必要がある。

既に述べた通り、大学において会議は組織を動かすための最大の手段である。これらの目的に沿う形で会議のあり方を変えることができれば、大学組織は大きく変わるはずである。(続く)

組織の動かし方と仕事の進め方に関する実践的能力をどのようにして高めるか|吉武博通  公立大学法人首都大学東京理事|リクルート カレッジマネジメント から

2017年7月24日月曜日

記事紹介|心を届ける

土砂降りの中、濡れないように配達した郵便物をお渡しすると、おばあさんはびっくりしたように私のことを見ました。

「あらあら。すごい降りで、頭からビッチョリだね。大丈夫かい?」

優しい一言が、どんなに嬉しいか。

我々が届けているものは郵便でも荷物でもなくて、人の心だと思っているので、心の言葉をいただけると何より元気になります。


郵便局の方が届ける手紙や小包はそのものの価値よりも、そこに込められている送り手の気持ちが本当の届けたい物。

松下幸之助氏のこんな話も有名です。

『ある日、幸之助氏が、工場でつまらなそうな顔をして電球を磨いている従業員に、「あんた、良い仕事してるで~」と言ったそうです。

「毎日、同じように電球を磨く退屈な仕事ですよ。」と愚痴を言う従業員に、幸之助氏は、「本読んで勉強してる子どもらがおるやろ。そんな子どもらが、夜になって暗くなったら、字が読めなくなって勉強したいのにできなくなる。そこであんたの磨いた電球をつけるんや。そうしたら夜でも明るくなって、子どもらは夜でも読みたい本を読んで勉強できるんやで。あんたの磨いているのは電球やない。子どもの夢を磨いてるんや。暗い夜道があるやろ、女の子が怖くて通れなかった道に、あんたが磨いた電球がついたら、安心して笑顔で通れるんや。もの作りはものを作ったらあかん。その先にある笑顔を作るんや。』

皆さんが扱っているものには、誰の、どんな心が乗っていますか。

心を届ける|今日の言葉 から

2017年7月23日日曜日

記事紹介|「協働型研究開発コモンズ」がイノベーション効果をもたらす

科学技術への多岐にわたる期待とは裏腹に、世界的に人材育成、研究活動は財政難にあえいでいる。実際、わが国も厳しい財政情勢の中で、現実に可能な経済支援は、局所的対症治療ないし現体制の延命措置を施すに過ぎない。今日のみならず次世代社会にも持続的に適合する科学技術の経営基盤を築くためには、根本的な発想の転換が求められる。あらゆる知恵を結集して、学術的、社会的目的達成のために、現状打開を図らねばならない。

わが国の研究生産性の低迷

わが国は、研究費総額18.9兆円(うち国費は3.5兆円で19%、民間資金が72%)、研究人口68万人(うち大学教員18万人で、民間が7割を超す)を投入する。生産性の一指標である科学論文数約7万5千本は世界5位であるが、残念ながら、被引用数トップ10%論文が10位、トップ1%論文は12位と低調で、ここ10年間、全分野について下振れ傾向にある。米国、中国など大国のみならず、研究開発費、研究人口の少ない国々の後塵を拝する惨状にある。これらは主に大学、公的研究機関が関わる活動状況を示すが、その充実、改善のためには、既成の体制への単純な資金の拡大、人頭の増加ではなく、当然資金配分法の改革、研究人材の内容向上が求められる。しかし、不振の主たる原因は、大学の教育研究に関わる守旧的価値観の岩盤、それがもたらすイノベーション効果の欠如であり、ぜひともこのシステム・クライシスを克服しなければならない。

新たな目標に対応すべく既存組織は戦略的に縮小すべし

今世紀に入り、わが国のみならず、世界の高等教育、研究開発システムは、社会の要請に十分に応えられていない。とりわけわが国ではその理由を公的財政支援の不足とする意見は多く、筆者も理解はするが、単なる資金増だけでは問題解決には至らない。急激に経済発展する中国を例外として、10年後の各国の公的研究開発費は、楽観的に見ても現在の2倍には届くまい。しかし、総額の制限にもかかわらず、科学技術界には現行の活動に加え、新たに「知の共創・再構成」、「第4次産業革命」、COP21の主題であった「地球温暖化問題」、国連で採択された「仙台防災枠組み2015-2030」、「持続可能な開発のための2030アジェンダ(SDGs)」などの巨大な国内的、国際的諸問題への早急な対応が求められている。

ものづくり産業に例えれば、一定量の資金と人材の投入下に、高品質製品の継続的生産と並行して、既存技術では困難な多種の新製品の開発が要求される状況とでも形容できよう。このような一見理不尽とも言える要請に立ち向かうには、自ずと科学技術研究開発の全体制の見直し、大学組織の再編と刷新、そして新たな仕組みの創出が不可避となる。おそらく「社会総がかり」の整合的協働を促すエコシステムの構築が必要となろうが、このシステム・イノベーションのみが、生産性の向上と質的大転換の双方を矛盾なく実現しうる。困難でも挑戦しなければ、国家のみならず文明社会の存続が危うい。

現行の研究教育体制は、20世紀社会の繁栄に大きく貢献してきた。しかし、もし研究社会がこの価値観を是とし、自らの努力でその維持、存続を目指すならば、関連する多くの経済的要素を所定のものとして活動していく(いわゆる「内部化」)ことが絶対に不可欠である。主たる例をあげれば、現在は外部要素として扱う国家財政負担の拡大への期待はほとんど現実的でない。大学や研究機関は目標の如何を問わず、真の戦略性をもって人件費はじめ固定費を変動費化して、規模を可変化、時には思い切って縮減して変化に対応していかなければならない。

そして「協働型コモンズ」の形成へ

いかなる変革も、質の劣化と活動度の低下を招いてはならない。国立大学は、現体制温存により巨大な累積資本価値の維持に固執するが、ひとたび環境変化への対応を誤れば、一挙に経営破綻を招く。世界は技術革新の波を受けて、あらゆる観点から、共有社会(sharing society)に移行しつつある。そうであれば、研究開発においても必要なあらゆる資源、例えば、資金、人材、モノ、基盤、情報を個々の専有から、組織の壁を越えてより効果的な共有、共同利用に移行すべきである。

もとより一定の初期投資、固定費は必要であるが、多様な共有型の仕組みを縦横に駆使することが「限界費用(marginal cost)」、つまり物やサービスを1単位追加して提供するために要する費用を、実質的にゼロに向かわせる。このパラダイムシフトが、世界が共通に遭遇する難題、すなわち研究開発費の過大な社会負担の軽減に大きく寄与することは間違いない。いかなる国においても、国内資源は限定的であり、不足分は国際連携、協力で補うことになる。さらに、旧来のアカデミアの価値観を超えて、より積極的に多様な社会的知的資産の創出を通して「外部効果の拡大」を目指すべきである。筆者はジェレミー・リフキンが唱える「協働型コモンズ」の形成こそが、疲弊した現行の研究教育組織の「戦略的縮小」による真の合理化と高度化を促し、さらに本質的なことは、そこに生まれる余剰資源の活用による社会的存在意義の拡張への道であると考えている。行政も大学現場も、既存体制への公的資金投入量の多寡を案ずる前に、協働型コモンズ形成による巨大な社会経済効果に目を向けてほしい。

過去の社会の変化、特にサービス部門の変遷を振り返れば、資金、人材投入の低減は、しばしば組織の合理化、高度化を促してきた。常に負の効果をもたらすとは限らない。価値観を変換したい。近年台頭する共有型経済(sharing economy)、例えばUber(企業価値6兆円のライドシェア)やAirbnb(短期滞在の共同宿舎)などの繁栄も、すでに頂点を極め成熟期にある市場資本主義経済からの、合理性ある転換かもしれない。

情報技術革新を背景とするこの改革こそが、研究教育の質の抜本的向上の切り札ではないか。キャンパス拠点型、ネットワーク型を問わず、多様な高度専門家の自律的な分散、統合による「協働型コモンズ」が「価値の共創」を可能にする。かつての独創に加え、共創の積極的推進が、将来の科学技術発展を約束する。研究者たちは、自らが目指す課題の解決に、従来とは異なる共同活動で向かう。既成の専門性を超えた国内外のあらゆるセクターとの関与が可能となる。

この新たな自律的統治の舞台は、既存の大学組織の研究科や学部の存在意義を極度に薄れさせよう。伝統的な専門分野閉鎖的、垂直統合型アカデミアの崩壊を促すが、社会全体から見れば、決して悪いことではない。

研究教育のオープン化へ

高等教育のオープン化については、大規模公開講座を無料でインターネット受講できるMOOC(massive online open course) プラットフォームである米国のCourseraやedXなどが、すでに成功を収めている。著名な教授と世界の広範な学生たちが一体的、双方向に教育に参画する。わが国では使用言語の問題もあろうが、自然科学のみならず、人文学、社会科学でもまずは日本語で試みてはどうか。学生たちの視野と教養の幅は格段に広がるはずである。

1980年以降に生まれたディジタル・ネイティブの思考力と実行力は、我々には計り知れない。新領域開拓に挑む若者は、感性にあふれ極めて優秀であり、必ずこの合理性へ挑戦してくれよう。科学技術界に長く続く慣習の壁が、先見性ある彼らの道を阻んではならない。

高度測定機器の共用プラットフォーム

再度、わが国研究社会が直面する現実問題に戻りたい。公的研究開発費の投入は、国全体の学術の発展、科学技術力の強化に資するべきである。現在の大学の個々の研究者への分散的資金配分は創造的成果の生産を促すものの、とかく単発の学術論文生産のための「経費の供給」にとどまる。これだけでは、国全体として研究への「投資効果」が最大化されているとは言い難い。さらに近年の競争的研究資金の特定大学寡占化は、大多数の大学における研究を甚だしく困難にしている。汎用性ある高価な先端測定機器の活用について「限界費用」をゼロに近づけるべく、可能な限り多くの研究者が共用できる「協働型コモンズ」を戦略的に整備してほしい。

国が建設する巨大な加速器やスーパーコンピュータなどの国家基幹技術については、法的に共同利用の取り決めがなされている。数々の特色ある大学共同利用機関の施設の活用もなされている。米国では人工知能の普及を目指し、民間のグーグル社が理化学研究所の「京」の18倍の計算能力を持つスーパーコンピュータを研究者向けにクラウドで無料開放するという。

さらに多種の高価な中規模計測・分析装置についても、個々の大学や研究者が占有することなく、地域ごとに集積、あるいはネットワーク型に管理して、利用の最大化を図るべきである。そこには大学人のみならず、産官学さらに外国からも多様な人たちが集い、迅速な研究が促され、その結果幅広い知の共創、新技術開発、ビジネス・イノベーションが生まれるはずである。2012年発足の文部科学省のナノテクプラットフォームには全国26法人40機関が参画するが、その行方に期待するところ大である。

このような高度測定機器の共用プラットフォームは単なるサービス提供者ではなく、研究実践の場でもある。共同組織の健全な存続、発展のためには、大学と同様、公共的自立心が不可欠である。まず多様な専門家の確保、利用者たちに対する存在意義の説得、そして安定経営のための国、自治体、研究機関、大学、産業界等による応分の財政負担が必要である。既に売り上げが1800億円に達する受託分析企業との連携も円滑な運営に寄与するであろう。測定機器の集積、共用のみならず、生体材料や化学薬品の大規模在庫管理、活用についても、効果的な仕組みが必要と考える。

「協働型研究開発コモンズ」がイノベーション効果をもたらす|野依良治の視点|研究開発戦略センター(CRDS) から

2017年6月29日木曜日

記事紹介丨モラールアップ

モラールアップ経営とは、たんなるテクニックで成りたつものではありません。

いわば、社長の考え方や生きざまそのものです。

ここで肝心なのは、社長の考え方や生きざまを、どうやったら社員すべてに浸透させるかということです。

一人で威張っているだけでは、社員たちに理解させ、行動につなげることはできません。

そこで、「知らしめること」の重要さが出てきます。

たとえば、会社を訪れたお客様から、職場の環境が「きれいだね」、「美しいわね」というお褒めのことばをいただいた場合、一部の関係者だけが喜ぶのではなく、全員にこの事実が伝わる仕組みができていることが、大切なのです。

社員旅行に出かけたときに、当社の社員がバスのなかにピーナツ一つ落とさないので、バスガイドさんから「これだけ騒いで、これだけバスをきれいに使う団体さんはほかにない」と褒められる、といったことも同様です。

褒められたことを、全員が知ることが大切だと思います。

こうしたことの積みかさねが、社員自身のなかに誇りを育てていきます。

社員一人ひとりの日々の言動が向上し洗練されていくと、幸福感が高まり、やがて結果的に業績にも反映されていくように思います。

私は、経営とは「知らしめること」であると思います。

経営者は、話し上手、伝え上手でなければなりません。

伝えることがうまくいかないと、経営はうまくいきません。

経営とは伝えることであると言ってもよいでしょう。

どんなに高い志も、話が下手では伝わりません。

古今東西、人間は、伝えることにどれほどのエネルギーを費やしてきたことでしょう。

企業も行政も、「伝える」ために大きな費用を使い、情報産業は巨大なものに育っています。

会社として、お客様に向けては多大な費用と労力を使って伝えていますが、それと比較して会社の内部に伝えることに重きをおいている経営者は少ないのではないでしょうか。

トップの理念や考え、指示やその目的を社員に伝え知らせることは、モラールアップの最大の手段であると思います。

組織のトップは、組織を構成する人たちに徹底して自分の考えを知らせる努力をしたいものです。

情報を、バラバラでなく系統立てて伝え、それを必要とする社員が等しく共有するということをきちんとやっていれば、おのずから社員の行動様式はまとまり、モラールも向上していきます。

ガラス張りで隠しごとをしないことも、情報伝達を円滑に行うためには大事だと思います。


トヨタの元社長、張富士夫氏の素晴らしい言葉がある。

『私は「人づくり」のキーワードは、「価値観の伝承」だと思います。

つまり「ものの見方」を伝えること。

「これがいいこと」「これが大切」ということを、「現地現物」で後輩に理解させ、伝えていくこと』

どんなに高邁(こうまい)な夢や理念があろうと、それが誰にも伝わらなかったら、それは無いのと一緒。

また、素晴らしいアイデア、すぐれた商品、抜きん出た発想、なども同じこと。

価値観とは、何(どこ)に価値があるかという判断をするときの、根本となる考え方や見方のこと。

だから、価値観を伝えるということは、考え方や見方を伝えること。

「知らしめること」に全力で取り組みたい。

知らしめること|2017年6月28日人の心に灯をともす から

2017年6月28日水曜日

記事紹介|僕たちができることがあるはずだ

前回はフェイスブックの創設者であるマーク・ザッカーバーグ氏が5月末に米ハーバード大学の卒業式で行った祝辞を取り上げました。

彼は祝辞の中で「目的」の大切さを強調し、次のように語りかけました。心にとまった表現の一部を、私なりの解釈でご紹介します。


僕らは、大きな目的に向かって進むことが必要だ。大きな目的に進もうとすると、狂人扱いをされてしまう。「何をやっているのかわかっていない」と非難される。でも、事前に全部わかっているなんてことは不可能だ。ミスを恐れるあまり、何もしないでいたら、結局何もできなくなる。

僕らは僕らの世代の課題に取り組むべきだ。気候変動問題(温暖化問題)に取り組むのも、すべての病気に関する遺伝子データを集めるのも、オンラインで投票できるようにして民主主義を現代化することも、やる価値がある。みなが目的を持って取り組むこと。みなが目的を持てるようにすること。それが大切なのだ。

そして、誰もがその目的に参加する自由を持てるようにすることだ。

しかし今日、僕らの社会は深刻な格差の問題を抱えている。その格差のために、誰かがアイデアを実行に移すことができなかったら、それはみんなにとっての損失になる。

僕は大学を中退して何十億ドルも稼げたけれど、その間に何百万もの学生が学費ローンの支払いに困り、自分たちのビジネスを始めることができないでいる。そんな社会は間違っている。

よいアイデアを持ち、頑張って働いたからといって、誰もが成功するわけではない。運も必要になる。新しい挑戦を始められるような余地がなければ、起業は成功しない。人々が安心して起業に取り組めるような余裕が社会に必要なのだ。

誰もがミスをする。だからこそ、一度失敗したら、それで社会的に抹殺されることがない社会が必要だ。

ミレニアル世代(1980~2000年ごろに生まれた世代)にアイデンティティーを問うと、一番多い回答は国籍でも民族でもなく、「世界市民」だという調査結果があるという。

世界の人々と協力して、僕たちは世界から貧困や病気を終わらせることができる世代でもある。気候変動問題や世界的な感染症の拡散について、どの国も一国だけでは対処できない。グローバルな協力関係が必要なのだ。

人々が自分自身の人生に目的と安定を感じて生きられるとしたら、人類は、他の地域の人たちの問題について手を差し伸べることが可能になる。だからこそ、そのために僕たちができることがあるはずだ。

スピーチの秘訣とは 言葉は力強く、理想堂々と|2017年6月19日日本経済新聞 から

2017年6月23日金曜日

記事紹介|今日は、記憶の継承「慰霊の日」

沖縄は今日(6月23日)、20万人を超える人が亡くなった沖縄戦から72年となる「慰霊の日」を迎えました。関連記事をご紹介します。

沖縄 あす慰霊の日 大田元知事を偲んで|2017年6月22日東京新聞

沖縄県の大田昌秀元知事が亡くなりました。鉄血勤皇隊として激烈な沖縄戦を体験し、戦後は一貫して平和を希求した生涯でした。沖縄はあす慰霊の日。

人懐っこい笑顔の中に、不屈の闘志を感じさせる生涯でした。

今月12日、92歳の誕生日当日に亡くなった大田さん。琉球大学教授を経て1990年から沖縄県知事を8年間、2001年から参院議員を6年間務めました。

ジャーナリズム研究の学者として沖縄戦の実相究明に取り組み、知事時代には「絶対に二度と同じ悲劇を繰り返させてはならない」との決意から、平和行政を県政運営の柱に位置付けます。

「平和の使徒」として

敵味方や国籍を問わず戦没者の名前を刻んだ「平和の礎(いしじ)」を建立し、沖縄県に集中する在日米軍基地の撤去も訴えました。

「全ての人々に、戦争の愚かさや平和の尊さを認識させるために生涯を送った『平和の使徒』だった」。長年親交のあった比嘉幹郎元県副知事は告別式の弔辞で、大田さんの生涯を振り返りました。

大田さんはなぜ、学者として、そして政治家として一貫して平和の大切さを訴えたのでしょうか。

その原点は、大田さんが「鉄血勤皇隊」として、凄惨(せいさん)な沖縄戦を体験したことにあります。

太平洋戦争末期、沖縄県は日本国内で唯一、住民を巻き込んだ大規模な地上戦の舞台と化します。当時、40万県民の3分の1が亡くなったとされる激烈な戦闘でした。

鉄血勤皇隊は、兵力不足を補うために沖縄県内の師範学校や中学校から駆り出された男子学徒らで編成された学徒隊です。

旧日本軍部隊に学校ごとに配属され、通信、情報伝達などの業務のほか、戦闘も命じられました。女子学徒も看護要員として動員され、学校別に「ひめゆり学徒隊」などと呼ばれます。

醜さの極致の戦場で

沖縄県の資料によると、生徒と教師の男女合わせて1987人が動員され、1018人が亡くなりました。動員された半数以上が犠牲を強いられたのです。

沖縄師範学校2年に在学していた大田さんも鉄血勤皇隊の一員として動員され、沖縄守備軍の情報宣伝部隊に配属されました。大本営発表や戦況を地下壕(ごう)に潜む兵士や住民に知らせる役割です。

当初は首里が拠点でしたが、後に「鉄の暴風」と呼ばれる米軍の激しい空襲や艦砲射撃による戦況の悪化とともに本島南部へと追い詰められます。そこで見たのは凄惨な戦場の光景でした。

最後の編著となった「鉄血勤皇隊」(高文研)にこう記します。

「いくつもの地獄を同時に一個所に集めたかのような、悲惨極まる沖縄戦」で「無数の学友たちが人生の蕾(つぼみ)のままあたら尊い命を無残に戦野で奪い去られてしまう姿を目撃した」と。

多くの住民が戦場をさまよい、追い詰められ、命を落とす。味方であるべき日本兵が、住民を壕から追い出し、食料を奪う。

「沖縄戦は、戦争の醜さの極致だ」。大田さんが自著の中で繰り返し引用する、米紙ニューヨーク・タイムズの従軍記者ハンソン・ボールドウィンの言葉です。

その沖縄戦は72年前のあす23日、日本軍による組織的な戦闘の終結で終わります。大田さんも米軍の捕虜となりました。

戦後、大学教授から県知事となった大田さんが強く訴えたのが沖縄からの米軍基地撤去です。

背景には「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦からの教訓に加え、なぜ沖縄だけが過重な基地負担を強いられているのか、という問い掛けがあります。

沖縄県には今もなお、在日米軍専用施設の約70%が集中しています。事故や騒音、米兵による事件や事故は後を絶ちません。基地周辺の住民にとっては、平穏な暮らしを脅かす存在です。

72年の本土復帰後を見ても、本土の米軍施設は60%縮小されましたが、沖縄では35%。日米安全保障条約体制による恩恵を受けながら、その負担は沖縄県民により多く押し付ける構図です。

進まぬ米軍基地縮小

95年の少女暴行事件を契機に合意された米軍普天間飛行場の返還でも、県外移設を求める県民の声は安倍政権によって封殺され、県内移設が強行されています。

そこにあるのは、沖縄県民の苦悩をくみとろうとしない政権と、それを選挙で支える私たち有権者の姿です。大田さんはそれを「醜い日本人」と断じました。

耳の痛い話ですが、沖縄からの異議申し立てに、私たちは誠実に答えているでしょうか。

慰霊の日に当たり、大田さんを偲(しの)ぶとともに、その問い掛けへの答えを、私たち全員で探さねばならないと思うのです。

(天声人語)沖縄から届いた手紙|2017年6月23日朝日新聞

釣りや演芸会を楽しみ、満開のアンズに見ほれ、内地から届く週刊誌「サンデー毎日」を回し読みする-。ある日本兵が旧満州から家族へ送った膨大な絵手紙を、那覇市歴史博物館で開催中の企画展で見た(27日まで)。

福岡市出身で陸軍野戦重砲隊員だった伊藤半次(はんじ)氏の遺品である。絵を愛する提灯(ちょうちん)職人だった。「雄大な大陸にいると短気な俺でも気が長くなる」。おどけた絵からゆったりとした兵営の日常が浮かぶ。

その数、3年間で約400通。妻をいたわり、3人の子を励ました。だが転戦した沖縄で音信状況は一変する。「少尉殿外(ほか)班長諸氏も皆元気」「お手紙を下さい」「サヨーナラ」。8カ月で3通。自慢の絵は1通もなかった。

「家族思いで筆まめな人。米軍上陸への備えや空襲、戦闘で手紙どころじゃなかったのだと思います」。孫の博文(ひろふみ)さん(48)は推理する。

沖縄戦では、特に司令部が南部に撤退した後、住民を洞窟から追い出し、食糧を奪った兵がいた。外間(ほかま)政明学芸員(49)によると、半次氏の部隊はそれ以前に首里近辺で壊滅的な打撃を受けていた。生き残った兵は雨と泥に耐えて南下し、糸満市の摩文仁(まぶに)の丘付近で戦死したとみられる。

今年もまた、沖縄慰霊の日を迎えた。摩文仁の丘を訪ねると、戦没者の名を刻んだ「平和の礎(いしじ)」に伊藤半次の刻銘があった。最期に目にしたのは砲弾の嵐か、それとも焼き払われたサトウキビ畑だったか。愛する家族のもとに戻れなかった天性の画家の無念をかみしめた。

(社説)沖縄慰霊の日 遺骨が映す戦争の実相|2017年6月23日朝日新聞

沖縄はきょう、先の大戦で亡くなった人たちを悼む「慰霊の日」を迎える。

米軍を含めて約20万人が命を落とした。うち一般県民9万4千人の犠牲者とその遺族にとって、ささやかな、しかし意義深い政策の見直しがあった。

厚生労働省が、死者の身元を特定するための遺骨のDNA型鑑定を、今年度から民間人にも広げると発表したのだ。塩崎厚労相は4月の国会で、「できるだけ多くの方にDNA鑑定に参加をいただいて、一柱でも多くご遺族のもとにご遺骨をお返しできるように最大限の努力をしたい」と答弁した。

遅すぎた感は否めないが、この方針変更を歓迎したい。

DNA型鑑定は2003年度に導入された。しかし、遺骨の発見場所や埋葬記録などがある程度わかっていることが条件とされたため、対象は組織的に行動していた軍人・軍属らに事実上限られてきた。

事情はわからないでもない。だが「軍関係者限り」とは沖縄戦の実相からかけ離れた、心ない対応と言わざるを得ない。

沖縄ではいまも、工事現場や「ガマ」と呼ばれる洞窟などから、多くの遺骨が見つかる。それは県土、とりわけ中部から南部にかけての広い範囲が戦場になったことの証しである。

72年前の4月1日の米軍の本島上陸以来、凄惨(せいさん)な地上戦が繰り広げられた。兵士と市民が入り乱れ、各地を転々とし、追いつめられ、亡くなった。親族がどこで命を落としたのか分からないと話す県民は多い。

長年、遺骨収集を続けてきたボランティアたちが「国はすべての遺骨と希望者について鑑定を行うべきだ」という声を上げるのは当然である。

もっとも、焼かれてしまった骨からDNAを検出するのは難しいとされ、糸満市摩文仁(まぶに)の国立戦没者墓苑に眠る18万5千柱の多くは対象にならない。当面は、13年度以降に見つかった600柱余の未焼骨のうち、10地域の84柱について鑑定を進めるという。希望する遺族からDNAを提供してもらい、骨と比較する手法をとる。

大臣答弁のとおり、少しでも多くの遺骨を返すため、厚労省をはじめ関係機関は幅広く遺族に呼びかけ、対象地域も順次拡大していってほしい。その営みが、戦争の真の姿を次世代に伝えることにもつながる。

沖縄はいまも米軍基地の重い負担にあえぐ。沖縄戦を知り、考え、犠牲者に思いを致すことは、将来に向けて状況を変えていくための土台となる。

きょう沖縄慰霊の日 「不戦の誓い」を語り継ぐ|2017年6月23日毎日新聞

沖縄はきょう「慰霊の日」を迎えた。太平洋戦争末期、沖縄に上陸した米軍と日本軍との組織的な戦闘が終結した日である。

日本軍が本土防衛の時間稼ぎのために持久戦を展開し、日米の軍人と民間人約20万人が犠牲になった。

それから72年。今年も最後の激戦地となった糸満市の平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が開かれる。

嵐のような砲爆撃や住民の集団自決など「ありったけの地獄を集めた」と表現された沖縄戦の惨劇を記憶にとどめ、語り継ぐ糧にしたい。

「二度と戦争をさせない、沖縄を戦場にさせない、と誓った」。12日に92歳で亡くなった大田昌秀(まさひで)・元沖縄県知事は生前こう語っていた。

学徒動員で鉄血勤皇隊(てっけつきんのうたい)に加わり、壮絶な地上戦を目の当たりにする。米軍は猛烈な砲撃を浴びせ、日本兵が住民に銃を突きつけた。

知事時代の1995年、沖縄戦犠牲者の名を刻んだ「平和の礎(いしじ)」を平和祈念公園に建立した。

軍民や国籍を問わず戦没者を慰霊するのは、戦争に勝者はいないという思いからだ。その原点は、沖縄戦の経験にある。

沖縄戦には未解決の課題もある。遺族が高齢化するなか、戦没者遺骨の特定が進んでいない。

厚生労働省は軍人・軍属に限ってきたDNA鑑定を今夏から戦没者の半数を占める民間人にも広げる。

戦没者遺骨の収集を「国の責任」と位置付けた法制定を受けた対応だ。戦後70年余を経ての方針転換であり、遅すぎた感は否めない。

もともとDNA鑑定による特定には困難が伴う。沖縄県内では18万柱超の遺骨が収集されたが、身元が判明したのはごくわずかだ。

対象区域も限定されている。戦没者には朝鮮や台湾の人も含まれるという。将来は希望するすべての遺族を対象とすべきだ。

過重な米軍基地負担は沖縄戦の痕跡だ。27年間の米統治後も基地の返還は進まず、今に至っている。

政府が「反基地」の県民感情を直視する姿勢を示さなければ、対立は先鋭化するばかりだろう。

沖縄戦の記憶は原爆投下とともに日本の平和主義の立脚点の一つになっている。その認識を改めて国民全体で共有したい。

「これってホント!? 誤解だらけの沖縄基地」|2017年6月23日山陽新聞

題名は軽妙だが、その問いの意味は重い。沖縄の地方紙・沖縄タイムスがこの春出版した「これってホント!? 誤解だらけの沖縄基地」である。

沖縄に偏っている米軍基地はなかなか縮小されない。「とはいえ、基地のおかげで経済が成り立っているでしょ」「でもね、中国の脅威とは切り離せないよ」。縮小を阻む、そんな「とはいえ」「でもね」に対して反証している。

例えば基地経済はどうか。従業員の所得や軍用地料、米軍関係者の消費など関連収入は県民所得の50%を占めたころもあったが、1972年の本土復帰時は15%、今は5%に低下している。代わりに観光収入が伸びているが、基地はその拡大やまちづくりの足かせになっているという。

そうした現状はあまり知られていないだろう。基地問題が進展しない背景には、本土の理解、関心のなさもあるに違いない。

沖縄県が早期返還を求める普天間飛行場(宜野湾市)の場所にはかつて集落や畑、役場があった。それを太平洋戦争末期、沖縄に上陸した米軍が占領して基地を建設し「銃剣とブルドーザー」で拡張していった。その歴史もどれだけ受け止められているだろうか。

きょうは、72年前の沖縄戦で組織的な戦闘が終わったとされる慰霊の日だ。失われた命を追悼するとともに、沖縄が戦後味わった不条理に思いをはせたい。

<金口木舌>事実は伝わる|2017年6月23日琉球新報

「カンポウシャゲキがね」-。幼い頃、沖縄戦を体験した家族や先生から話を聞く機会があった。言葉の意味も知らなかったが、暗く恐ろしいイメージは心に刻まれた。

戦後72年がたち体験者が減る中、沖縄戦の継承が課題となっている。伝える難しさはもちろんのこと、平和教育への無理解や“圧力”もある。沖縄戦の授業を記事で紹介した際、ネット上で取り組みへの中傷の書き込みを目にしたこともある。

別の機会に「命の尊さを伝えたい」という園長の姿勢に共感し、保育園の平和学習を取材した。園児がヘルメットをかぶり、ガマ(壕)を見学する記事と写真を見た人から園に「危ない。園児がかわいそう」との電話があったという。

果たして「かわいそう」なのだろうか。くすぬち平和文化館(沖縄市)で読み聞かせを続ける真栄城栄子さんは「大切なのは、残酷でも事実を伝えること」と強調する(9日付12面)

7歳の子の沖縄戦体験を描いた「つるちゃん」の紙芝居を見せ、恐怖感でいっぱいの子どもたちにこう言うそうだ。「大丈夫。最後は親が子を守ってくれる。みんなが平和に生きられるように、大人は頑張るからね」

4歳児から「戦争は勝ってもだめ、負けてもだめ」の言葉があったという。きょうは「慰霊の日」。子どもたちの力を信じ、平和をつないでいこう。事実はきっと心に届く。

沖縄慰霊の日 憲法は届いているのか|2017年6月23日北海道新聞

沖縄はきょう、戦没者を追悼する慰霊の日を迎える。

72年前、「鉄の暴風」と呼ばれた壮絶な地上戦で日米合わせて20万人を超す命が失われた。このうち沖縄の住民の死者は9万4千人といわれている。

平和への誓いを新たにするこの日を前に、沖縄の米軍基地問題を全国に訴え続けた元県知事の大田昌秀氏が92歳で死去した。

大田氏は、平和主義や基本的人権の尊重をうたう憲法の理念が沖縄に届いているのかという憤りを、常に語っていた。

平和憲法の下にある日本へ復帰したはずの沖縄には、今も米軍基地が集中している。

返還される普天間飛行場の移設先とされてしまった名護市辺野古では、政府による力ずくの新基地建設が始まった。

憲法より日米安保体制が優先されるかのような現実が、この島にある。全ての国民がそこに目を向けなければならない。

国土面積の0.6%しかない沖縄には、全国の米軍専用施設面積の70%が存在している。

昨年12月の北部訓練場約4千ヘクタールの返還によって、それ以前の74%からはわずかに減少した。

政府はそれを、基地負担の軽減が進んだとして「成果」を誇っている。

だが、返還条件として訓練場の残る区域に6カ所のヘリパッドを建設し、新型輸送機オスプレイを運用させる。騒音被害や事故の懸念はむしろ深刻化するだろう。

オスプレイは半年前、名護の海岸に落ちる事故を起こしたが、日本側の捜査は日米地位協定の壁に阻まれた。

「自分の空でありながら、自分の海でありながら、自分の土地でありながら自由に使えない」

大田氏が講演でこう語ったのは、知事在任中の1994年のことである。

沖縄を取り巻く状況はその後も基本的には変わらず、国への異議申し立ての声は強まっている。

普天間の辺野古移設を巡り、政府は4月に護岸工事を強行した。これに対し翁長雄志(おながたけし)知事は、新たに国を相手取り工事差し止めの訴訟を起こす方針を表明した。

基地をたらい回しするなという主張を真摯(しんし)に聴こうとしない政府に対抗するための、やむにやまれぬ措置だろう。

追悼式典には安倍晋三首相も出席する。負担は軽減されていないという事実を直視し、沖縄の声に耳を傾ける機会とすべきである。

沖縄慰霊の日 本土も痛みを共有したい|2017年6月23日徳島新聞

多くの犠牲者を出した太平洋戦争末期の沖縄戦が終結して72年を迎えた。

沖縄戦では、上陸した米軍と日本軍が住民を巻き込んで激戦を展開し、日米双方で計20万人以上が死亡した。

沖縄県民の4人に1人が亡くなるという悲惨な戦いで、日本軍は住民に対し、集団自決を強制したり、スパイ容疑をかけて虐殺したりした。この惨禍を決して忘れてはなるまい。

きょうは沖縄慰霊の日だ。日本軍の組織的戦闘が終わった日とされる。

最後の激戦地となった糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園では「沖縄全戦没者追悼式」が開かれる。犠牲者の冥福を祈り、平和への誓いを新たにしたい。

公園にある平和の礎(いしじ)には、国籍や軍人、民間人の区別なく沖縄戦などで亡くなった人の名が刻まれている。建立したのは、沖縄県知事を2期8年務め、米軍基地問題の解決を訴え続けた大田昌秀氏だ。

大田氏は12日に92歳で亡くなったが、沖縄戦での体験を原点に、沖縄から平和の重要性を発信し続けた。遺志をしっかりと受け継いでいかなければならない。

しかし、大田氏が尽力した基地問題は、いまだ解決の糸口すら見いだせない。

沖縄では、在日米軍専用施設の約70%が集中している。普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設を巡り、さらなる基地負担に反発する県や住民と、それらの声に耳を貸さずに工事を進める国との対立は先鋭化している。

沖縄県は20日、移設工事で国が県規則に定められた翁長雄志(おながたけし)知事の許可を得ずに「岩礁破砕」を行うのは違法だとして、工事の差し止め訴訟を起こすための関連議案を県議会定例会に提出した。

「世界一危険」とされる普天間飛行場の移設は欠かせないとはいえ、移設先は沖縄しかないのか。

反対を強く訴え続けても、聞き入れてもらえない。その不条理に県民が怒るのは当然である。

沖縄の民意は明らかなのに犠牲と負担をいつまで強いるのか。政府は県民の声を真摯(しんし)に受け止めるべきだ。

本土復帰から45年が経過したが、復帰後も県民が求めた「本土並み」には程遠い。それどころか、基地絡みの事件事故が続発している。

1995年に米兵が女子小学生を集団で暴行し、2004年には沖縄国際大に米軍ヘリコプターが墜落した。

戦争中、沖縄は本土の「捨て石」とされたが、今の状況はどうか。

翁長氏は、きょうの式典で読み上げる平和宣言に、昨年末の米軍新型輸送機オスプレイ事故などを引き合いに米軍訓練の在り方を批判する内容や、大田氏の功績をたたえる文言を盛り込む方針だ。

沖縄の現状を、本土で暮らす私たちの問題として深く考える必要がある。痛みを共有したい。

沖縄慰霊の日 大田元知事が残した問い|2017年6月23日西日本新聞

6月23日は沖縄の「慰霊の日」である。沖縄戦の組織的戦闘が終結したこの日にちなみ、沖縄県糸満市の平和祈念公園できょう、沖縄全戦没者追悼式が開かれる。

慰霊の日に先立つ今月12日、沖縄の戦争と戦後を体現する人物がこの世を去った。沖縄県知事を務めた大田昌秀さんである。

大田さんは沖縄県久米島に生まれ、学徒でつくる「鉄血勤皇隊」に動員された。情報伝達のため戦場を駆け回り、多くの学友が命を失う中で、九死に一生を得た。

大田さんは沖縄戦のさなか、日本兵が守るべき沖縄の住民を壕(ごう)から追い出すのを目撃したという。「(食い下がる住民を)下士官たちは、軍刀で突き飛ばさんばかりに押しのけ『うるさい、勝手にしろ』とわめき立てるのであった」(著書「沖縄のこころ」より)

戦争の醜さ、軍への不信、そして沖縄が本土の「捨て石」にされる理不尽-。沖縄戦の経験が、大田さんの活動の原点となった。

研究者から知事に転身し、米兵による少女暴行事件が起きると、知事権限を駆使して政府に基地縮小を迫った。国籍を問わず沖縄戦で命を落とした人々の名を刻む「平和の礎(いしじ)」建設にも尽力した。沖縄を「基地のない平和な島」にするのが大田さんの目標だった。

残念ながら今なお沖縄には全国の米軍専用施設の約70%が集中する。政府は普天間飛行場の名護市辺野古への移設に向け、県民の反対を押し切って工事を進めている。北朝鮮のミサイルや中国の海洋進出もあり、地理的要衝の沖縄に展開する米軍の抑止力維持は重要-というのが政府の論理だ。

しかし、基地の集中はそれだけ沖縄が相手から攻撃される可能性を高める。大田さんは辺野古移設を「政府は沖縄を捨て石にし、今日に至っている」と批判した。

晩年の大田さんは、戦争体験のない議員が安全保障問題を議論することに懸念を抱いていた。沖縄戦から何を学び、将来にどう生かすか。大田さんが残した問いを受け止め、考え続けたい。鎮魂の日に改めてそう思う。

<社説>慰霊の日 新たな「戦前」にさせない|2017年6月23日琉球新報

糸満市摩文仁の沖縄師範健児之塔に向かう約150メートルの通路は階段が続き、お年寄りには長く険しい。子や孫に両脇を支えられながら、つえを突きながら、慰霊祭へ一歩一歩足を運ぶ光景も、年を追うごとに少なくなってきた。

師範鉄血勤皇隊の生存者として、一昨年、昨年と出席していた大田昌秀元知事の姿も今年はもう見られない。

沖縄戦体験者は県人口の1割を切ったとされる。激烈な地上戦から生き延びた方々から証言を聞ける時間は、確実に残り少なくなっている。

沖縄戦から72年、慰霊の日が巡ってきた。体験者が年々減る中、次世代へどう継承していくか模索が続く。一方で政府は世論の反対をよそに戦争ができる国づくりへと法整備を進める。多くの国民の命を奪った国策の誤りを二度と繰り返させてはいけない。

今年は沖縄戦継承に大いに貢献する「沖縄県史各論編6 沖縄戦」が発刊された。1970年代刊行の旧県史は、それまでの軍人中心の記録を住民史観に転換させた。新県史は「障がい者」や「ハンセン病」「戦争トラウマ」など弱者にも光を当て、「基地建設」など今日的課題にも言及した。沖縄戦研究の集大成であり、大田氏ら第一世代から中堅若手の研究者に引き継がれていることは頼もしい。

沖縄戦は決して歴史上の出来事だけではない。今につながる米軍基地問題の原点であり、不発弾や遺骨収集、戦争トラウマなど、今を生きる私たちにも影響する問題だ。

今年の慰霊の日は「共謀罪」法が強行成立した中で迎えた。民主主義の手続きを放棄し、数の力で押し切るやり方は権力の暴走だ。

2012年の第2次安倍政権発足以降、国家主義の色濃い政策が推進されている。

13年の国家安全保障会議(日本版NSC)創設、特定秘密保護法成立、14年の武器輸出三原則の見直し、集団的自衛権の行使容認、15年の日米防衛協力指針(ガイドライン)再改定、安全保障関連法成立と、日米同盟強化や政府権限拡大につながる政策だ。

最終目標は憲法9条見直しだろう。軍隊と警察を強くし国家権力を強める。個人の権利を制限し、国益を優先させることを許してはならない。

沖縄戦の目的は沖縄の住民を守ることではなく、国体護持、本土防衛のための捨て石作戦だった。多数の住民を根こそぎ動員で国策に協力させた末に、軍民混在となった戦場で死に追いやった。

政府は今も、沖縄で国策優先の辺野古新基地建設を強行している。大のために小を切り捨て、沖縄に犠牲を強いる構図は当時と変わらない。

戦前の空気が漂う中、戦争につながるあらゆるものを拒否し、今を新たな「戦前」にはさせないと改めて決意する日としたい。「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓を胸に刻み、この地を二度と戦場にさせてはいけない。

社説「きょう慰霊の日」聴くことから始めよう|2017年6月23日沖縄タイムス

それぞれの場から「沖縄戦」を発信し続けた偉大な先輩たちが、ことし相次いで泉下の人となった。

戦争の惨禍や平和への思いをうちなーぐちによる一人芝居で表現した女優の北島角子さん。土着の視点で、戦争のおぞましさや民衆のたくましさを描いた版画家の儀間比呂志さん。沖縄戦で級友を失った体験を原点に、平和行政と基地問題解決に心血を注いだ元知事の大田昌秀さん。

戦前・戦中・戦後と激動の沖縄現代史を生き抜いた人たちが一人また一人と旅立っていく。時代の変わり目だけに喪失感は深い。

沖縄戦は記憶の継承という点から大きな曲がり角に差し掛かっている。

現実に子どもたちが戦争を学ぶ機会も減りつつある。

戦争の被害や生き残った人たちの証言などを伝える県平和祈念資料館。県内小中高校の利用は、2000年度の368校から16年度は224校に減った。

ひめゆり学徒の体験を伝えるひめゆり平和祈念資料館も県内小中高校の来館数が、16年度は72校とピーク時の半分まで落ち込んでいる。

ここ数年、学校現場では学力向上の取り組みが優先され、校外学習行事を減らす傾向にあるのだという。

この世代は、親だけでなく祖父母もほとんどが戦争を知らない。身近に体験を語る人がなく、学校も平和学習に時間が割けないとしたら、沖縄戦体験は風化し、平和への意識は希薄化する。

鉄血勤皇隊として戦場をさまよった大田さんは、「おもろさうし」研究の第一人者・故外間守善さんとともに、終戦から8年後の1953年「沖縄健児隊」を世に問うた。

外間さんは同著の序文で「彼等は永遠に黙している。しかし彼等は永遠に語っているのだ。その声を取りつぐのが私たち生かされたもののただ一つの義務」と記す。

大田さんの訃報に接してあらためて感じたのは、10代の多感な年頃に戦場に動員された「学徒隊」の人々の語り部としての存在の大きさである。

戦前、沖縄には師範学校や中等学校が21校あり、全ての学校の生徒が戦場に駆り出され、多くの命を失った。大田さんらは犠牲となった級友に代わって沖縄戦の実相を伝えてきたのだ。

しかしその語り部たちも一人、二人と鬼籍に入り、沖縄戦継承は非体験者のバトンリレーという新たな段階を迎えつつある。

アーティスト・山城知佳子さんの「あなたの声は私の喉を通った」は、戦争を体験した高齢者の語りを、自身の姿に重ね、再現した映像作品である。証言の持つ重みを引き受け、他者の感覚に近づこうとする試みだ。

ひめゆり資料館が進める戦後世代による語りも、継承の課題に真正面から取り組む。海外の平和博物館を訪ねるなど在り方の模索も続く。

きょうは「慰霊の日」。

戦争を学ぶ努力を放棄すれば風化は加速する。体験者から話を聴くことができる最後の世代として、歴史を伝達する重みを胸に刻みたい。

「沖縄慰霊の日」 残された深い傷跡|2017年6月23日NEWS SALT

沖縄には、8月15日とは別の終戦記念日がある。「沖縄慰霊の日」。

6月23日は沖縄で、第2次世界大戦の組織的戦闘が終結した日だ。沖縄戦の司令官として赴任していた牛島満(1887~1945)が参謀とともに1945年6月23日未明に自決したとされ、戦後この日が慰霊の日と定められた。沖縄県では1991年から正式な祝日となっている。

沖縄は第2次世界大戦下の日本において、国内唯一の地上戦があった場所だ。沖縄戦は1945年3月26日に始まり、6月23日に組織的戦闘が不可能になるまで約3カ月に渡って米軍との死闘が繰り広げられた。この戦闘で一般住民10万人を含む約20数万人が亡くなったとされている。1940年の国勢調査では沖縄の人口は約57万5000人だったという記録から、およそ5人に1人が亡くなっている計算になる。

沖縄戦の中でも特に悲惨なこととして語られるのは、「集団自決」だ。日本軍は「生きて捕虜の辱めを受けず」という言葉を広め、沖縄の人々に捕虜になる前に自決するよう働きかけた。住民には日本軍から手榴弾が配布され、民間人も家族や近しい人たちとともに自決を強いられるという悲劇が沖縄各地で起き、そのことが戦死者の数を押し上げている。さらに戦後、1945年から1972年までの27年間、沖縄は米軍の統治下におかれることになる。もともと旧日本軍の施設のあった土地を利用して駐屯していた米軍は、朝鮮戦争やベトナム戦争の際に沖縄を利用し、民間の土地も強制的に接収していくようになった。72年に沖縄の日本返還は実現するが、返還協定に基地撤去は盛り込まれなかった。現在も多くの米軍兵が沖縄に駐屯しており、在日米軍基地の7割以上は沖縄にある。

沖縄本島の南端にある糸満市いとまんし摩文仁まぶにに、沖縄平和祈念資料館がある。ここは日本軍が追い詰められ、沖縄戦最後の砦となった場所だ。牛島が自決した摩文仁の丘もここにある。この場所に、「平和の礎」と呼ばれる記念碑があり、国籍、そして軍人か民間人かの区別なく、沖縄戦で亡くなったすべての人の名前が刻まれている。メインの通路は慰霊の日の日の出の方位に合わせられている。平和の礎には今も、訪れる人が手向ける生花が後を絶たない。戦争の深い傷跡とその痛みとともに今も生きる沖縄。6月23日が「終戦の日」と呼ばれず「慰霊の日」であることからも分かるように、沖縄の「戦争」はまだ終わっていない。

鎮 魂