2017年1月29日日曜日

記事紹介|給付型奨学金

長年望まれてきた給付型奨学金については、文科省の検討チームによる制度設計が昨年12月19日付けで公表され、予算案にも盛り込まれたので、29年度からの先行実施が確実となっている。制度がスタートすることには大きな意義があると思うが、見切り発車的な制度設計には、種々の異論があるだろう。全体規模、給付額については、既に不十分だとする意見がある。29年度は、私立大学に入学する自宅外の学生のみが対象になっている点も、経済的に恵まれない学生が負担の大きな私立・自宅外を選択する場合のみに支援対象をわざわざ絞る理由が分かりにくい。国が用意した財源が限られており、高校推薦(最低1名は保証)による選考を採用したことから、月4万円(私立・自宅外の場合)という単価が導かれたのではないか?私立・自宅外の学生にとって、月4万円の持つ意味が、データに基づいて説明されていないために、財源からの逆算としか考えにくい。全体規模や給付額に関しては、あくまで暫定的な意味しかないと受け取るとして、制度設計の根本について、考えてみたい。

第1に、給付型の導入で、結局のところ何を実現したいのか、施策の想定成果が理解しにくい。かりに経済的困難な学生が進学するための後押しだとすれば、学生納付金のすべてと生活費(少なくとも家計からの仕送り分)を十分に支援すべきではないか?あるいは、同程度の条件に該当する学生には、すべて公平に支援を行うシステムにすべきではないか?施策の成功基準自体が不明確である。どのようにデータを取り、成功を証明して、施策の充実に持っていくのだろうか?今の制度設計では、小額を多数にばらまく形になっているので、確たる成果を立証するのは困難である。この程度の給付を受けられるからといって、就職から進学に進路を変更するような劇的な例はあまり期待できないのではないか?そうであれば、少しでも金をもらえるならば助かるという程度の話になる。国立大学法人さえも財政難で困窮してきている中で、効果の疑わしいことに予算を振り向ける余裕があるのだろうか?

第2に、高校推薦という選考方法は公平性の点で問題がある。同じ経済状態で、同じ大学学部に入学した者の間で公平が保たれる保障がない。大学入学後の成績チェックなど、人材育成の効果を担保する仕組みが不十分である。私学でも成績最優秀者への学生納付金無償等の優遇措置が行われており、国の財源と大学独自の財源をミックスして、最も効果的な支援を行う方が、はるかに公平性、効率性で優れた制度設計である。少なくとも、こうした大学等の機関による選考・配分システムを国が支援する形も実験するべきであろう。先行実施する29年度は、そのような実験をするチャンスだったにも拘わらず、高校推薦に決め打ちしているのは、理解できない。世界各国の給付型奨学金制度も一律ではないが、高等教育機関において選考・配分している例が多いのも、選考の公平性、予算執行の効率性の観点を重視しているからであろう。遠くない将来、高校推薦は見直すことになるのではないか?

第3に、給付型奨学金の制度設計を単体で検討するのではなく、国公私立の大学、高等専門学校、専門学校を通じて、公財政支出による機関・個人への種々の援助を全体として見直して、施策の効果・効率性を吟味したうえで、再構築する必要があるということである。種々の援助は一つ一つ意味があり、利害関係者があり、経緯もあるので、個別的には議論が進みにくいが、既存の制度をきちんと整理しないで、給付型について更なる妥協の産物のような設計が行われたのでは、瓦礫の上に急ごしらえの建物を新築するようなものである。個々の高等教育機関も高校も、人材育成機能は多様であり、制度設計上、一律に全てを対象にするのは、無理があるのではないか?国の予算を投入する以上、人材育成上の優先順位を判断して、重点的な配分を行っていく必要がある。そうした価値判断を避けていれば、給付型奨学金を充実する一方で、他の高等教育予算が削減されてもおかしくない。今回の制度設計は、そんな危惧を抱かせる内容である。