2017年4月27日木曜日

記事紹介|危機打開のためには意識変革とともに、根本的な研究体制改革の工夫がいる

創造の源は研究者の多様性と流動性

大学は未知に挑む研究を行い、明日の社会を担う若者を育む。そして、近年の社会情勢を鑑み、さらに移り変わる将来を見据えれば、教員、学生の画一化が研究教育の停滞を招くことは当然である。背景の多様性こそが想像力を刺激し、創造に向かう活力の源となる。意図して、教員と学生の多様化を図るとともに、教員の内部昇進は一定割合にとどめて、格段に流動化を促進しなければならない。

有能な教員は流動する。ドイツでは、21世紀初頭までは学内昇進は禁止されており、現在でも特例的に許容されているに過ぎない。この国では有名大学からの招聘は大きな名誉とされ、受諾しなくても履歴書にその事実を載せる人は多い。周知のごとく米国の有名大学では、一学科内の教員の出身大学は様々で、母校の学位取得者は非常に少ない。わが国でも岡崎の分子科学研究所は創設以来、内部昇格を禁止して国内の人事流動に大きく貢献してきた。

大学、研究機関は外部者を、礼を尽くして招聘するのであり、有名機関であっても「採用してあげる」のではない。実は、多くの大学にとって、外部、とくに外国籍の有力候補者に対して就任を要請し、受諾を取りつけることは容易でない。すでに魅力ある環境で相当の処遇を受けていることが多いからである。彼らが新たな環境で、家族とともに日々誇りをもって活動できるか否か、研究環境と生活環境の双方が大切で、俸給や研究費は条件の一部でしかない。大学所在の地域社会を含め、わが国全体で総合的に克服すべき課題である。

もとより学閥や年功序列は避け、広く若者に挑戦の機会を与えるべきである。私が長じて、いささかなりとも評価される業績を残せたのは、学位取得後間もなく29歳で、母校である京都大学の工学部を後にし、全く縁のなかった名古屋大学の理学部に転じ、新たな独立の場を得たからである。決して優秀だからと選ばれたのではない。まだ年功を重んじる時代であったが、名古屋大学がある種の直観により、実績ある年配者ではなく、若く未知数な私に賭けたにすぎない。あとは最大限に自由を与え、適宜支援をしつつ、幸運を待つだけであった。ハーバード大学の名学長であったジェームス・B・コナントの方針にも通じるが、海外では、外部の若手の登用は、ごく当たり前で特別な出来事ではない。

テニュア・トラック制度とは

しかし、いかに慎重であれ、若手の採用は大学にとってリスクが伴う。もちろん若手教員自身にも責任が伴う。そこで、多くの国の大学がテニュア(終身在職権)制度をとる。例えば米国では、教授(Professor)と相当割合の准教授(Associate Professor)にテニュアが与えられるが、30歳前後の新採用の助教授(Assistant Professor)に、いきなりテニュアが与えられることはほとんどない。独立裁量権をもつPIとしてテニュア・トラックに乗り5~7年後に業績審査を受ける(有能者には途中で外部招聘がかかる)。審査後の処遇は「Up or Out」で、合格すればテニュア付きの准教授、時には一挙に教授に昇格し、不合格ならば転出する。問題先送りの助教授留任はない。もとより外部の評価意見も含め判断は主観であり、不合格は決して失格を意味しない。創造的であれば、他大学に転じて成功する機会は少なくない。また教育重視の小規模大学への転職を望む人も多く、大学も当人の意向を支援する。まことに明快な制度ではないか。

研究社会は基本的に競争的である。わが国でも、若者は自立して自らの活動に責任を取らねばならない。テニュア・トラック制度は、適切な条件のもと評価を経た上で、内部昇格を認めるものである。公正かつ躍動感あるこの制度を全国的に徹底させるべきである。

ポストをめぐる激しい競争

自然科学系の多くの博士号取得者は、研究分野の幅を広げるため、また新たな技術を獲得するために博士研究員として、国内外に武者修行に出かける。分野によっては不可欠条件のようである。しかし、彼らの多くが望む大学、公的研究機関のポストは限定され、世界的に需給バランスの乖離が深刻な状況にある。分野により開きが大きく、多機関を歩く人も少なくない。最近では、新しい遺伝子編集技術CRISPR-Cas9システムの発見者の一人として注目されるエマニュエル・シャルペンテイエ女史(現マックスプランク感染生物学研究所長)が、25年間にわたり5カ国9機関移動してきたことが話題になっている。

近年の米国では、環境工学が最も競争が厳しく19人に一人、多くの人数を抱える生物医学系では、6分の1以下しかテニュア・トラック雇用の機会はない。通常の工学分野では2分の1以下程度とされるが、MIT(マサチューセッツ工科大学)の助教授職には400名の応募者が殺到する。日本の自然科学分野においては、約15,000名の博士研究員、ほぼ同数の新規博士号取得者たち、そして潜在的には相当数の海外研究者を候補者として、年間推定8,000程度の大学・公的機関雇用のポストが用意される。うち、テニュア職は3,000程度にとどまる。厳しい競争率を緩和すべしとの声は大きいが、公的資金で維持するアカデミアの現体制が続く限り、大幅な改善は望めない。若手研究者もぜひこの統計値を直視してほしい。危機打開のためには意識変革とともに、何らかの根本的な研究体制改革の工夫がいる。

社会流動性が不可欠である

多大の資金を投入して特別に育てた知性を、「社会総掛かり」で有効活用することが、唯一の抜本解決への道である。若者の救済雇用のためではなく、国力の維持、向上のためである。研究界はスポーツや芸術界と同じく、精神の解放に向けて若者にとって魅力的ではあるが、同時に極めて選択的、厳しい世界でもある。博士研究員たちには、これまでの公的支援に感謝しつつ、政府、産業経済、教育界などに広く目を見開き、社会のリーダーとして活躍する気概をもって、そのための研さんを積んで欲しい。他に魅力ある職業は多い。一方で、科学を先導するPIは博士研究員を単なる労働力として消耗し、使い捨ててはならない。アカデミアに留まる者がごく少数派であることを再認識のうえ、採用時から責任をもって指導し、有為の人材として社会に送り出す義務を負う。「学学流動性」だけでなく、より開かれた「社会流動性」の実現が待たれよう。もとより、先立つ大学院教育は分割細分化を避け、彼らの幅広い社会適応能力を培わねばならない。

研究者の多様性と流動性、そして若手の機会|2017年1月10日野依良治の視点 から