2017年4月12日水曜日

記事紹介|Vision and Work Hard

つんく♂さんからの前回の手紙

同じ(大阪府の)東大阪出身で親近感を抱いておりました。シャ乱Qで数々のヒット曲を出したのち、「モーニング娘。」のプロデューサーも始めました。人生を変える出来事がありました。喉頭(こうとう)がんと診断されたことです。声は失いましたが、エンターテインメント界で世界に役に立つことはできないだろうかと考えています。教授はどんな志のもとに、誰のために、今の研究を始めたのか。教えてください。


つんく♂さん、ご無沙汰しております。山中伸弥です。異分野の私たちが同じ東大阪出身で、お手紙を交わしていることに特別なご縁を感じ、大変光栄です。

私はミシンの部品工場を営む家で生まれ、機械いじりが好きな少年でした。長男として後継ぎを期待されてもよいのに、父は「医者になれ」と。

中学・高校時代に柔道、大学時代にラグビーをして何回も骨折したこともあり、スポーツ選手のケガを治したいと整形外科医になりました。患者さんが元気になるのにやりがいを感じる一方、治療の手立てがない患者さんの症状が悪化していくのを見て、悔しさが込み上げました。

「今治せない病気やケガを将来治せないか」。その頃、父を病気で亡くしたこともあり、思いは強くなっていきました。父が「医者になれ」といった真意は聞けずじまいでしたが、その医師が今できる限界を超えるには研究しかない――。そう思い、研究者への道を歩み始めました。

ときに、実験が予想外の結果に行き着くこともありました。「失敗」と残念がってもおかしくないことに、私はワクワクしました。医師の世界で失敗は許されませんが、研究は違う。新たな発見につながっていきます。研究の楽しさにのめり込んでいきました。

米国留学中に、一生のモットーに出会いました。留学先の当時の研究所長から教えてもらった「VW(Vision and Work Hard)」です。研究、いや人生で成功するには「VW」が大切なんだと。

まだ若かった私は、寝る間も惜しみ研究に没頭していました。多くの日本人は勤勉で、「Work Hard」では世界で負けていない。だからこそ、日本製品は存在感を放ってきたのだと思います。ただ同時に気づかされました。私の「Vision」は研究論文を多く書くことではなかったはず。「今治せない病気やケガを将来治せるようにする」。昔も今も私の「Vision」はこれなのです。

帰国後は周囲に自分の研究の意義がなかなか理解されませんでした。また、米国では研究者をサポートする環境が整っていましたが、日本では全て自分の仕事。実験に使うネズミの世話に明け暮れる日々に、研究者としてのキャリアを幾度となく挫折しかけました。

それでも、学生らにも恵まれ、2006年にマウスiPS細胞の開発成功を報告。私の人生を変えたのは翌年に発表したヒトiPS細胞の誕生です。iPS細胞技術が医療に貢献できる可能性が開かれたのです。それから10年。世界中でiPS細胞を活用して再生医療や病気のしくみの解明、そして薬の開発に向けた研究が進められています。

私の役割も大きく変わりました。今は毎月渡米し研究をしながら、京都の研究所で所長を務めています。研究者らが「iPS細胞技術で新たな治療法に貢献する」という使命のもと、最大のパフォーマンスを発揮できる環境を作ることが仕事です。

米国では研究を支えるしくみの一つに寄付があり、寄付募集活動は学長や所長の大切な役割です。私も米国の良いところを取り入れようと、マラソンを走ったりしながら寄付を募っています。

つんく♂さんは、多くの方をプロデュースしてこられましたよね。私も若い研究者を育てる立場となり、どこか通じるものがあるような気がします。「人を育てる」秘訣(ひけつ)、ぜひ教えてください。