2017年5月22日月曜日

記事紹介|「希望職種は大学職員」が意味するもの

「希望職種は大学職員」が意味するもの

「今の若手に人気なのは、大学職員なんですよ」

先日、ある転職エージェントのキャリアアドバイザーから聞いた話です。第二新卒の人たちは、どんな求人に興味を持つのか、という話になった時に真っ先に出てきたのがこのセリフでした。多くの若手社員が、今の会社を辞めて、大学職員になりたいと思っているのだそうです。

かつての若手社員の人気職種といえば、「新3K」が思い起こされます。企画、広報、国際の頭文字をとった用語です。バブル時の80年代後半から2000年代中頃までは、こうした華やかな職種、舞台で働きたい、と考える若手が主流を占めていました。外資系企業や急成長しているメガベンチャー企業も人気を博していました。大きな舞台やビジネスの最前線で、自分の持てる力を使って活躍したい、という意識がはっきりと感じられました。

しかし、少しずつ様相は変わっていきました。バリバリと働き、前向きに挑戦していく志向が減退し、ほどほどの無難な生き方を志向する若手が増えてきたのです。世界を舞台に働きたいという人が激減し、地元で職を得たい、という人が増えたのは好例です。

その典型は、公務員志望の増加でしょう。昔から、不況時には安定志向が高まり、公務員志望が増える、という傾向が顕著にありましたが、リーマンショック前の好景気の時から、公務員志望はじわじわと増え始めていました。大手企業志向も高まりました。

こうした変化を考えれば、若手の中で、大学職員が人気というのも頷ける話です。大学は公共財に近い存在ですから、公務員同様に雇用が安定していると考えているでしょうし、公務員のように試験があるわけではありませんので、ハードルも低いと感じているのでしょう。大学は全国にありますから、地元志向にもかなっています。

さらに、第二新卒たちが大学職員の仕事に惹かれるのは、「残業がなさそうだから」「定時に帰ることができるから」なのだそうです。自身のプライベートな時間を大切にしたい、という意識の表れでしょう。

若手は、「生き生きと働いている」か?

ここまでをお読みいただいて、何を思われたでしょうか? 「これが、今の若手のホンネなのか」と、ショックを受けられたでしょうか。「やる気が感じられない」「今の若手が使えないわけだ」と思われたでしょうか。

確かに、若者らしい前向きさのようなものは、ここからは感じられないかもしれませんが、実は彼らは、やる気がないわけではありません。自分がやる気を出せる場所を、真剣に探しています。

しかし、今働いている会社、職場では、やる気になれてはいません。むしろ彼らは、今いる会社、職場でのやりがいや成長といったものを、最初から放棄しているように見えます。やる気はあるのに、やりがいや成長を放棄している―これは一体どういうことなのでしょうか。

私は、現代の若手社員を、高い可能性を秘めた貴重な人材だと考えています。意欲、能力が低いとは、まったく思っていません。しかし、彼らの多くが、残念ながら、「生き生きと働いている」とはいえない状況にあると思っています。

そして、その原因の多くは、彼らの側にあるのではない、と考えています。彼らの中に「希望職種は大学職員」という意向を持つ人が少なからずいる、という実態は、もっと奥深いことを物語っている、と思っています。彼らは、大学職員の仕事を、単に楽な仕事だ、などと考えてはいないのです。大学職員の仕事であれば、「生き生きと働ける」のではないかと思っているのです。

社会は変わる、人も変わる。でも会社は変わっていない

社会人となって以来、私は30年以上にわたって日本の若者たちを見つめてきました。キャリアの前半は、求人広告、就職情報誌を作る仕事に携わり、大学生や若手社員が、会社や仕事に何を期待しているのか、どのような情報を求めているのかを探索してきました。

キャリアの後半は、研究者として、大学生、若手社会人の就業意識や行動をリサーチしてきました。多くの若手社会人、大学生にインタビューし、対話を重ねてきました。講演・講義という形での接点も、数多くありました。

多くの日本企業も、見つめてきました。従業員数十万を超える超大手企業から社員3人の超零細企業まで、数百の企業の実態を見てきましたし、採用や育成にかかわる人事の方々との出会いの数は、数千人に及んでいると思います。

そうした探索を続ける中で、ある時から、大きな問題意識が生まれました。それは「多くの若手社員が、職場で活かされていない」「企業が、若手社員を潰している」という想いです。

いつの時代も、新たに社会にデビューする若者は、「今どきの若者は……」と、批判されてきました。最近であれば、「これだから、ゆとりは……」と、ゆとり世代を非難する言説が繰り広げられています。そして、そのように問題を抱えた若者が、社会に適応できるように対策を講じる、ということが繰り返されてきました。

会社という舞台においては、仕事ができる人材になるように、上司や先輩が指導したり、研修を受けさせてきました。会社の中で、「使える人材」となるために、能力を高めたり、大切なものの考え方、仕事に対する姿勢を植え付けてきました。

「組織社会化」という言葉があります。会社などの組織に、新たな人材が入ってきた時に、その人材に、組織の一員として必要な意識、行動などを身につけさせていくプロセスを指す言葉です。新入社員研修を実施する、新人にインストラクターやメンターをつける、先輩に同行させて仕事を覚えてもらう、上司が面談する、職場のメンバーで飲み会をする……こうしたことすべてが、組織社会化のプロセスです。

この構図は、今日的な言い方でいえば、「上から目線」です。変わらなくてはならないのは新人・若手であり、会社が彼らにあわせて変わる必要はない、という図式の上に成り立っています。

私も、ある時までは、そのようなとらえ方をしていました。会社の側にも、いろいろと問題はあるけれど、そうはいっても、新人・若手の側に、大きな問題があるのだから、そちら側を変えなくては、と考えていました。

しかし、ある時から、「会社の側にある、いろいろな問題」のほうが、実は大きな問題なのだと考えるようになりました。社会は変わる、人の意識・行動も変わる、なのに、会社は変わっていない。その変化のずれが、特に新しく会社に入ってくる人たちとの間で、大きな問題になっているのではないかと、考えるようになりました。

会社は「今どきの新人・若手は、どうにも使えない」と見ています。しかし、新人・若手は「こんなところでは、生き生きと働くことができない」と、息苦しさを覚えているのです。彼らは今の仕事で「力を持て余している」のです。それは、若手社員の問題なのでしょうか。それとも、彼らの職場や上司が抱える問題なのでしょうか。

変わるべきは、どちらか一方ではないでしょう。双方が変わる必要があります。しかし、先に変わらなくてはいけないのは、会社の側です。特に、新人・若手を預かるマネジャーが、考え方や行動を変えることが急務です。

変わるべきは社員か? 会社か? 成長を放棄する若手社員たち|2017年5月16日 PHP人材開発 から