2017年6月3日土曜日

記事紹介|アジアの関心は日本にあらず

大学ランキングをはじめとした日本の大学の評価あるいは評判について、日本の大学のことが世界に知られていず、十分な評価が得られていないと嘆く人が多い。だが、私は最近のいくつかの経験で、日本の大学が自分たちのことを知ってもらうための努力を十分しているのだろうかと疑問を持った。

先日ベトナムの大学に行ったとき、日本の大学の財政状況について講演してほしいとの依頼があった。そこで、英文の講演資料を作ろうと思い文科省や各大学の英文HPをいろいろ見たのだが、学生向けの学部案内などはあるものの、大学の経営や財政に関する英文資料は大変不十分だと感じた。財政状況の記述は多少あるものの、難しい行政用語を直訳したような記述ばかりで、何が課題でどうしようとしているか分からない。

これは考えてみると、日本語のHPにも同じ問題があり、財務諸表などの資料は公開しているものの、それがどのような状態であり、これからどうなるかは一般の人にはまるで分らない。素人にはわからないのは当然だと言わんばかりの対応だが、予算の獲得にせよ寄付金の獲得にせよ、一般市民の理解と支援が必要なのにその努力をしているとは思えないHPの記述となっている。

このように、日本の大学は、海外はもちろん国内でも、自分たちを理解してもらうための努力をあまりにもしていないと感じた。

次にマレーシアの大学へ行った。マレーシアの大学の国際交流のパンフレットを見ると、交流相手で大きく取り上げられているのはアメリカ、ヨーロッパ、中国、オーストラリアなどで、JAPANは資料のどこにも出てこない。説明してくれる幹部も気にして、申し訳なさそうに口頭で補ってくれたが、日本の扱いはその程度である。これは扱いが小さいのではなく、実績が小さいのでそれに応じた扱いをされているのだ。

日本の大学関係者には、日本はアジアの先進国であり、アジア各国は日本に大きな関心を持っているはずだとの思い込みがあるかもしれない。しかしアジア各国の視野は、グローバルに交流の良い相手を探しているのであり、日本はその中でどういう魅力を提供できるかが問われているのではないか。

このままでは日本の大学は、アジア各国の大学からの関心も持たれなくなってしまうのではないかと心配になった。これに対する対策は、日本の大学がこれからどうしようとしているかを明確に打ち出し、それを分かりやすい英文と日本文で公表していくことだと考える。日本の大学はそれをやれるだろうか。

外から見えない日本の大学|IDE 2017年4月号 から