2017年7月31日月曜日

記事紹介|民意の衣

横浜市長選で与党が推薦する現職の林文子氏が3選を果たした。しかし安倍首相が姿勢を改めたことが奏功したとは想像しづらい辛勝であった。更なる悪化を押しとどめたとは言えるかもしれなが。

変化をもたらしたのは、何といっても1日の東京都議選での自民党惨敗と、内閣支持率の急落だ。それがなければ安倍首相が閉会中審査に出席することも、「丁寧な説明」をすることもなかったろう。

4日に発表された11日付の文部科学省人事では、初等中等教育局長が官房長に、高等教育局長が生涯学習振興局長に異動した。慣例からいえば屈辱的だ。しかし噂では他省庁から局長をあてがう内示が都議選前にあったというから、同省にとって最悪の事態は逃れたというべきかもしれない。

安倍首相に席上からヤジを飛ばさせたのも、低姿勢に一変させたのも、選挙結果や支持率という民意の衣である。就任以来、アベノミクスによる景気回復への期待が続いてきたが、その幻想も幻滅に変わったということか。

政権交代後、とりわけ「お友達」の下村博文氏が文部科学相になって以来、不可解な動きが省内に感じられた。端々に出てきたのは学習指導要領の「解釈改訂」、教科書検定の見直しなどだが、「ミサイル教育」は果たして教職課程コアカリキュラムにとどまらず次期指導要領解説の総則に「国民保護」を明記させるに至った。

森友・加計両学園の問題によって、ようやく不可解さに「忖度」という名が付いた。前川喜平・前事務次官に対しては「なぜ在任中に言わなかったか」という批判があるが、当時とてもそのような雰囲気になかったことは端目に見ても分かる。

首相が裸だと明らかになった7月が終わる。内閣改造後の残暑は過ごしやすいのか、はたまた止まらない汗が衆目にさらされることになるのか。

2017年7月29日土曜日

記事紹介|難の有る人生が、有り難い人生

難の無い人生が、無難な人生。難の有る人生が、有り難い人生

パッと見ると、難を避けて無難な方がいいかなと思ってしまうかもしれませんが、

「有り難い」と漢字で書くことで、困難が有ることも悪くないと思えるようになる。

エジソンもこう語っています。

『ほとんどの人が機会を逃してしまうのは、その機会が作業服をまとって、いかにもありきたりの仕事に見えるからだ。』

自分を育ててくれるものは、自分にとって都合が良かったり、すぐにありがたいと思えるような格好をしていないということ。

砥石は滑らかではないから、刃物を磨くことが出来るのと同じですね。

難|今日の言葉 から

2017年7月28日金曜日

記事紹介|足るを知る者は富む

ブッダは「嫉妬することで満足することがないから、明らかな智慧(ちえ)をもって満足するほうが優れている。明らかな智慧をもって満足している人を、嫉妬が支配することはできない」と述べておられます。

もしあなたが「足(た)る」を知る、つまり自分のもっているものの大切さを知り、ひとをうらやんでも意味がないという智慧をもつなら、もはや嫉妬があなたを支配することはないと語っているのです。

「足るを知る」ということは、「いま自分のもっているものを大切にせよ」ということです。

もともと「足るを知る」という言葉は老子(ろうし)の「足るを知れば辱(はずかし)められず」から来ています。

そして「足るを知れば辱められず」に続けて「止まるを知れば殆(あや)うからず(限度を知れば危険はさけられる)、もって長久なるべし」と語っています。

老子はこの説明として「名誉と身体とどちらが大切か、健康と財産はどちらが大切か、得ることと失うことはどちらが苦しいか、ひどく欲しいものがあれば、大いに散財する、たくさん持てばたくさん失う」といっているのです。

他人が何かをもっていても、それは健康に比べれば意味がない、もっているものは必ず失うようになるのだ、だからうらやんでも仕方がないといっているのです。

連合艦隊司令長官を経て、昭和天皇の侍従長として二・二六事件の際にあわや一命を落とすばかりの経験をし、天皇に請われて終戦時の総理大臣になった鈴木貫太郎(かんたろう)大将の座右の銘は「足るを知る者は富む」でした。

あれほどの名声地位をもつ鈴木貫太郎大将がこれを座右の銘にしていたということに深い感慨を覚えます。

堀口大学という詩人がいます。

芸術院会員で文化勲章をもらい、功成り名遂げたこの詩人に「座右銘」という詩があります。

「暮らしは分が大事です

気楽が何より薬です

そねむ心は自分より

以外のものは傷つけぬ」

人をそねみ、うらやんでも、結局うらやむ自分が傷つくのだという詩です。

これはほんとうにわたしたちの心を動かす詩です。

さらに「気楽が何より薬です」という言葉には「気楽になることが人生の目的だ」という意味も含まれているように思えます。

江戸時代の禅僧で書画をよくして博多の仙厓(せんがい)和尚は「寡欲(かよく)なれば即ち心おのずから安らかなり」と書いています。

つまり自分のもっているものに満足し、多くを望まない、うらやまない、他人のもっているものを欲しがらないということを実践すれば、心は自然に楽になると教えているのです。

「皆さぁ、自分が賢いとか、できる人間だとか思っちゃダメだよ。

私も含めて、皆バカなんだから早くバカに気付かないと。

バカだってわかれば人間慎重になるから」(所ジョージ)

自分は大(たい)した者じゃない、と思うことができるなら、分をわきまえることができる。

分をわきまえるとは、「身の程(ほど)を知る」ことであり「背伸びしない」、「我を張らない」ことであるが、それが「足るを知る」ことにつながる。

また、自分に良い意味でのプライドや誇りを持つことは大事だが、それが前面に出てしまい、鼻につくようになったら人から嫌われる。

「さらに、もっともっと欲しい」と、足るを知らない人や欲深い人は、不平不満や文句が多い。

「足るを知る者は富む」

人と比較をせず、今ある幸福に気づきたい。

足るを知る者は富む|人の心に灯をともす から

2017年7月27日木曜日

記事紹介|日本の大学が国際化するには

日本の大学の国際化がなかなか進まない。世界大学ランキングで上位に顔を出すのは一握りで、留学生の受け入れ比率なども世界的に低い水準だ。東京大学で正規職の外国人教員として32年間教え、今春退官したロバート・ゲラー名誉教授は「日本の大学が国際化するにはガバナンス(統治)改革が不可欠」と訴える。

▶外国人の目に日本の大学はどう映りますか。

「私は1984年、東大の任期なし外国人教員第1号として米スタンフォード大から招かれた。恩師が東大出身だったので、オファーを受けたときに迷いはなかった。だが当時も今も、外国人が移籍したいと思う日本の大学はほとんどない。大学運営も世界標準から大きく外れている」

外国人教員5%

「なかでも奇異に感じたのが2011年、東大が秋入学への移行を検討し始めたときだ。欧米の多くの国が秋入学なので、日本もそれに合わせれば国際化が進むという単純な発想だったようだが、議論は紛糾し、結局先送りになった」

「学内討論会が開かれたとき、私は『なぜそんなマイナーな問題にこだわるのか』と当時の学長に問いただした。国際化を目指すなら、もっとやるべきことがあると」

▶それは何ですか。

「最も大事なのは優れた外国人教員を任期なしで多く採用することだ。英米の一流大では外国人比率が3~4割に達し、多様性の高さが研究や教育の質を高めている」

「一方、日本では外国人教員は5%程度しかおらず、大半が3~5年の任期付きだ。せっかく日本に来ても任期中から次の就職先を探さねばならず、日本語を学ぶ余裕すらない。結局定着できず日本を去ってしまう」

▶なぜ外国人を増やせないのでしょうか。

「ひとつの理由は日本では各専攻で少人数の教授たちが人事権を実質的に独占していることだ。教授会で審査されるが、覆ることはほぼない。しかも採用基準が曖昧で、自分の弟子や仲間だけが条件に当てはまるようにしている。外部に優れた人材がいても確保できず、大学がタコツボ化している。自治に名を借りた悪平等だ」

「一方、欧米の有力大では教員を採用するとき、一流学術誌に掲載された論文数や引用数といった定量的評価と学外の第三者による定性的な評価を併用し、大学が本当に必要とする人材を国内外から選んでいる」

▶何を改めるべきですか。

「米国の大学には学長に次ぐ『プロボスト』という職があり、学務全般や人事で強い権限をもっている。プロボストが外部人材を交えた諮問委員会をもち、運営方針や人事を諮ることもある。日本の大学も同様のポストを設け、ガバナンスを改革することが不可欠だ」

「米スタンフォード大が運営理念として『Steeples of excellence』を掲げ、実行しているのは参考になる。Steepleとは尖塔(せんとう)のことで、戦略的に強化すべき分野を決め、世界トップの研究者や学生が集まるように採用も戦略的に行っている」

「もしも研究や教育の水準が下がってきたら、諮問委員会が再生委員会のように機能し、立て直しに何が必要か、外部からどんな人材を招くべきかを学長に助言する。日本の大学にもこうした組織が欠かせない」

英語教育に欠陥

▶日本の学生の学力に問題はありませんか。

「学生の英語力が足りないので英語で授業ができず、外国人教員を呼べないという悪循環は確かにある」

「東大は大学院入試に英語能力テストTOEFLを取り入れているが、米国の一流大の合格水準に達する学生はほとんどいない。日本人は中学から大学まで8年間も英語を学び、トップクラスの東大でもこの程度というのでは、日本の英語教育全体に重大な欠陥があると言わざるを得ない」

「ただ英語力をつけるのは大学入学後でも遅くない。私の専攻で約10年前、英語で話す力、聞く力を伸ばすため、週2回、年90時間程度の特別講義を始めたら、TOEFLの点数が目に見えて伸びた。例えば夏休み中に集中的に特訓すれば英語力はかなり伸ばせる。こうした授業にこそ予算をつけるべきだ」

▶安倍政権は高等教育の無償化を検討するとしています。

「政権の求心力が低下するなか、場当たり的に言っている印象が強い。日本の大学の国際化の遅れは、既に競争力の低下を招いている。教育格差を解消できるなら悪いことではないが、無償化と引き換えに大学の予算や人員が削られることになれば、大学は瓦解する。それでは本末転倒だ」

大学国際化の課題 東大名誉教授 ロバート・ゲラー氏 タコツボ排し統治改革を|日本経済新聞 から

2017年7月26日水曜日

記事紹介|組織の動かし方、仕事の進め方(2)

(続き)
知識の深さと広がりが判断の的確性と柔軟性を育む

次に、仕事の進め方について、主として大学職員を前提に考えてみたい。

近年、業務の多様化や高度化を背景に、教職協働、より高い専門性や企画・立案力等を大学職員に求める傾向が強まっている。このこと自体、決して間違いではないが、高度な専門性も企画・立案力も、的確かつ効率的に仕事を進める能力の上に積み上がっていくものであり、このような能力を持続的に高められる環境が整っているか、個々の大学の実情も含めて厳しく点検する必要がある。

下図は、仕事を進める上で必要な能力を、学士力や社会人基礎力を含むこれまでの議論も踏まえつつ、整理したものである。白地は、主として学校教育段階でその基礎を身につけるべき能力であり、網かけは、仕事や職場での経験を通して養われる部分が大きいと思われる能力である。以下では後者を中心に論じることとする。


図は、下から上に向かう構造となっており、土台としての自己管理能力から始まり、組織内で信頼を蓄積し、それに基づいてリーダーシップを発揮できる状態に到達するまでに、求められる能力要素を整理している。ここでいうリーダーシップは、役職等の地位に関係なく発揮できる能力を意味する。

自己管理能力は課外活動を含む学校教育段階で一定程度身につけることができるが、職業生活においては、職場規律、チームワーク、生産性等に影響することもあり、格段に厳しくその能力が問われることになる。就職直後に関わり合う上司・先輩の影響はとりわけ大きい。

知識については、学校教育で得るものに加えて、職務上の知識をOJTまたはOff-JTで身につけなければならない。

ここで重要なのは、表層的な知識にとどまることなく、その本質まで掘り下げるとともに、周辺領域や関係領域まで広げて知識を習得する必要があるという点である。

職務上必要な知識に深さと広がりを持たせることで、正確な理解に基づいた的確な判断が行えるようになるだけでなく、根本的な原理・原則を押さえた上で、より柔軟な判断や創意工夫を行う余地も広がる。

どのようにすればこのような深さと広がりのある知識を身につけることができるかは、育成上重要な課題である。

価値観や考え方を組織文化として定着させる

中段右側の要領、手順、段取りは、生産性に直結する要素である。仕事の優先順位づけもこれに含まれる。特に、上位者の段取りの巧拙は、部下の働きやすさや職務満足感に大きな影響を与える。

組織全体の生産性を高めたいならば、これらの能力に長けた人材を一人でも多く育成すべきであるが、座学でノウハウを伝えても、仕事の経験を積ませても、容易に身につくものではない。

このような能力に長けた上司や先輩が周囲におり、その仕事ぶりを見ながら、職場学習を重ねていくことが最良の方法である。

中段左側の信念、価値観、考え方も、生産性や仕事の質に関わる重要な要素である。誰のために、何を重視して仕事をするかは価値観の問題であり、「日々改善」、「良い品(しな)、良い考(かんがえ)」等に代表されるトヨタ生産方式の思想等は、本稿でいう考え方に相当する。

学ぶべき事例は大学にもある。坂田昌一教授率いる名古屋大学の物理学教室が、全ての教員と大学院生が対等な立場で自由に議論する体制を憲章に定め、定着させてきたことが、今日の研究水準の高さに繋がっていると言われている。小林誠・益川敏英両教授のノーベル物理学賞受賞はその象徴である。

要領・手順・段取りも信念・価値観・考え方も促成栽培に馴染まない能力であるが、一度身についた能力や定着した組織文化は容易に廃れない。これらの能力を培うための息の長い取り組みを展開すべきである。

誠意ある仕事の積み重ねで信頼を蓄積する

説明能力は、学校教育段階でも養われるが、仕事においては多様なシチュエーションで、その時々に応じた説明が求められる。説明を受ける相手の状況を踏まえた工夫や配慮も必要である。

要旨をA4一枚にまとめ、ざっと目を通しただけで内容を把握できる文書を作成し、短時間に簡潔に説明する能力も養っていく必要がある。

あまりに具体的で細かすぎる話ではあるが、実際の仕事はこのようなことの積み重ねでもある。相手の立場やニーズに配慮しながら、互いにストレスを感じないように、誠意を持って仕事をする。その繰り返しの中で、コミュニケーション能力が磨かれ、チームワークや協働する力が身についてくる。

それが信頼に繋がり、信頼が蓄積されることで、他者に対する働きかけが有効に機能するようになる。リーダーシップの発揮とはこのような状況を意味する。

実践的で体系的なプログラムの開発が不可欠

最後に、組織の動かし方と仕事の進め方の基礎となる能力を身につけるための方策について考えてみたい。

前者については、学長、副学長、学部長、事務局長等を対象とする組織の動かし方に焦点をあてた体系的な教育プログラムを開発し、一定期間集中して受講できる形で開講することを提案したい。

そのプログラムでは、経営学の基礎的な知識を体系的に学んだ後、実際に組織を動かしてきた企業経営者の話を聴き、それらを踏まえて、ワークショップ形式で大学組織を動かすために何が必要かを徹底的に話し合う。

このような体験を通して、組織を動かすための考え方や方法が理解できれば、あとは経験を重ねることで能力が身についてくるはずである。組織を動かすための何の準備もなく、マネジメントを行えるほど、大学が置かれた環境は甘くない。

仕事の進め方については、上司・先輩の仕事ぶりに学ぶことができれば、それが最良の方法だが、恵まれた育成環境にある職場ばかりではないだろう。そのためにも、実践的な知をベースにした教育プログラムを開発し、座学とワークショップを組み合わせた学びの機会を準備する必要がある。

大学をより良い方向に導くためにも、組織の動かし方、仕事の進め方のそれぞれに関する実践的能力を有した人材の育成に、設置形態を超えて早急に取り組む必要がある。

組織の動かし方と仕事の進め方に関する実践的能力をどのようにして高めるか|吉武博通  公立大学法人首都大学東京理事|リクルート カレッジマネジメント から

2017年7月25日火曜日

記事紹介|組織の動かし方、仕事の進め方(1)

「ハード」の変革から「ソフト」の工夫へ

「改革」を通して大学はより良き方向に向かっているのだろうか。組織や制度を変えることは改革の手段であり、目的ではない。また、組織や制度を変えたからといって、それが直ちに教育研究の高度化や経営力の強化に結びつくわけではない。

組織が目指す目的・目標を構成員が十分に理解し、その達成に向けて個々の能力を高め、最大限に発揮しつつ協働する。そして、組織内の至る所で自発的かつ持続的な改善が展開される。このような状態を創り上げることこそ改革の究極の目的である。

組織・制度の見直しは、そのための「ハード」の変革と言えるが、実際に組織をどう動かし、仕事をどう進めるかという「ソフト」とも呼ぶべき要素を重視し、その能力を高めることも極めて重要である。

例えば、学長が決定する事項と学部または学部長に委ねる事項を見直すことは、組織・制度に係るハードの問題であるが、学長が必要な情報を集め、如何なる判断を行い、下した決定をどう伝え、実行を促すかはソフトの問題と言える。近年のガバナンス改革は前者を中心としたものであり、後者は学長個人の能力や経験に委ねられたままである。

次に、職員の業務を考えてみたい。教員組織と職員組織の間の機能・権限分担、職員組織における部署間の機能分担や職階間の権限関係等はハードの問題であるが、実際の仕事をどう進めるかは、ソフトの問題である。教育研究に対する効果的な支援、学生サービスの質、業務全体の生産性等は、ハード面のみならずソフト面に左右される部分が大きい。

働き方改革や生産性向上は我が国全体の課題とされている。リーダーシップ、人材育成、仕事術、データ分析、プレゼンテーション等、組織の動かし方や仕事の進め方を扱った啓蒙書や雑誌の特集も多く、ビジネスの現場における関心の高さが窺われる。

これまで、合意プロセスや規則・前例に則った手続き的側面が重視されてきた大学においても、教育研究の質の高度化や経営力の強化を進める上で、組織の動かし方と仕事の進め方に関する実践的能力が、より求められるようになってきた。

本稿では、組織を動かすという観点から「会議」のあり方を根本的に見直すことを提案した後、仕事を進める場合の工夫・改善点を、具体的な場面に即して検討する。その上で、それらの基礎となる考え方やスキルを如何にして身につければ良いのか、大学組織の特質を踏まえながら考えてみたい。

「会議」は組織を動かす最大の手段

大学において組織を動かすために重要な役割を果たしてきたのは、「会議」、「規則」、「資源配分」であろう。その中でも、規則や資源配分が会議によって決定されることを考えると、「会議」の役割はとりわけ大きく、組織を動かす最大の手段と言える。

そのことを象徴するように、教員か職員かを問わず、上位役職になるほど会議に時間が取られ、実務を担う職員は、日程調整、資料作成、事前説明、会議の設営、議事録作成等に多大な労力と時間を費やすことになる。

学長、副学長、学部長等会議を主宰する立場の役職者は、事務局が作成した議事次第と進行メモに沿って会議を運営し、その事務局も前任者から引き継ぐ形で、期限を切って各部署から審議事項や報告事項を提出させ、決まった手順に従って会議の準備をする。

仮にこのような状態であれば、当事者意識を持って会議に臨む者が不在のまま、型通りの会議が繰り返されることになる。「会議を活かす」という主宰者や事務局の能動的な姿勢が不可欠である。

既に、種々の改善に取り組んでいる大学もあるだろうが、単に会議数を減らしたり、会議時間を短縮したりするだけでは、学内コミュニケーションの密度を低下させることになりかねない。

会議の本来の目的を再確認し、目的にふさわしい形に組み替えるとともに、それに沿って運営方法を改善することで、組織の動かし方が大きく変わり、大学運営が飛躍的に活性化する可能性がある。

中長期的な方向づけに関する課題を重点審議

会議には、①意思決定、②方針伝達、③コミットメント、④進捗管理、⑤情報共有、⑥問題発見、⑦アイデア創出、等の目的があり、通常は複数の目的を兼ねて開催されることが多い。

そのうちの「意思決定」については、大学の場合、各組織の代表者が参画し、適正なプロセスを経て決定がなされたことを明確にすることで、構成員の納得を得るという意味合いが強い。しかしながら、それだけで教員組織や職員組織の第一線まで方針通りに動かせるかといえば、それほど容易ではない。

組織を動かすために最も重要なことは、組織が向かう方向、目指す姿を明確に示すことであり、なぜそれを目指すのか、その背景にある現状認識や考え方を広く共有することである。

そのためにも、付議事項を真に重要なものに絞り込む必要がある。国立大学法人の役員会や経営協議会、学校法人の理事会等は、中長期的な方向付けに関する審議に重点を置き、短期的または日常的な事項の決定については、理事長・学長や担当理事等の執行に委ねるべきであろう。

また、審議資料は結論のみを記すのではなく、結論に至る背景や考え方が理解できるように工夫する必要がある。実際の資料作成は職員が担うことが多いと思われるが、資料を作成するプロセス自体が、情報収集力、企画構想力、論理的説明能力等を鍛える。また、検討にあたっては教員とも他部門の職員とも話し合わなければならない。サイロ化と呼ばれる自部門だけに閉じがちな意識を払拭し、教職間や部門間が連携・協働する契機ともなり得る。

さらに加えるならば、重要な戦略課題をどのタイミングで付議するか、年間スケジュールの中で予め決めておくことで、問題を先送りすることなく、検討を促進することができる。

会議を変えれば組織が変わる

2つ目の目的である「方針伝達」については、会議で説明すれば第一線まで伝わると安易に考えるべきではない。

全学的な方針に対する教員の関心は、自らの利害に関わらない限り、総じて低い。伝えるべきことがあれば、確実に伝わるように、説明会を設けたり、学長・副学長が学部・研究科に出向いて直接説明したりする等、最良の手段を講じるべきである。

会議は、計画や予算を決定する場であると同時に、決定に基づく実行を約束し合う場でもある。これが目的の 3つ目に挙げた「コミットメント」である。その上で、節目ごとに「進捗管理」を行い、問題があれば新たなアクションを打つことになる。

5つ目の「情報共有」とは、大学を取り巻く諸情勢や政策動向、志願者・入学者、教育・研究・学生に関する状況、進路状況等であり、会議報告を通じて共有することを目的とするものである。IR機能の充実と一体となって取り組む必要がある。

進捗管理や情報共有を行う中で、解決すべき問題を見つけるのが 6つ目の「問題発見」である。会議に報告される種々の実績データは、当該年度だけか、前年度との比較を加えたものにとどまることが多い。これを 5年ないし10年程度の時系列データとして眺めてみると、気づくことが増え、解決すべき問題がより鮮明に浮かび上がってくる。

「アイデア創出」も会議の重要な目的の一つだが、通常の全学的な会議にこの機能を期待することは難しい。フランクに話し合い、豊かな知恵を出し合える規模や構成を工夫する必要がある。

既に述べた通り、大学において会議は組織を動かすための最大の手段である。これらの目的に沿う形で会議のあり方を変えることができれば、大学組織は大きく変わるはずである。(続く)

組織の動かし方と仕事の進め方に関する実践的能力をどのようにして高めるか|吉武博通  公立大学法人首都大学東京理事|リクルート カレッジマネジメント から

2017年7月24日月曜日

記事紹介|心を届ける

土砂降りの中、濡れないように配達した郵便物をお渡しすると、おばあさんはびっくりしたように私のことを見ました。

「あらあら。すごい降りで、頭からビッチョリだね。大丈夫かい?」

優しい一言が、どんなに嬉しいか。

我々が届けているものは郵便でも荷物でもなくて、人の心だと思っているので、心の言葉をいただけると何より元気になります。


郵便局の方が届ける手紙や小包はそのものの価値よりも、そこに込められている送り手の気持ちが本当の届けたい物。

松下幸之助氏のこんな話も有名です。

『ある日、幸之助氏が、工場でつまらなそうな顔をして電球を磨いている従業員に、「あんた、良い仕事してるで~」と言ったそうです。

「毎日、同じように電球を磨く退屈な仕事ですよ。」と愚痴を言う従業員に、幸之助氏は、「本読んで勉強してる子どもらがおるやろ。そんな子どもらが、夜になって暗くなったら、字が読めなくなって勉強したいのにできなくなる。そこであんたの磨いた電球をつけるんや。そうしたら夜でも明るくなって、子どもらは夜でも読みたい本を読んで勉強できるんやで。あんたの磨いているのは電球やない。子どもの夢を磨いてるんや。暗い夜道があるやろ、女の子が怖くて通れなかった道に、あんたが磨いた電球がついたら、安心して笑顔で通れるんや。もの作りはものを作ったらあかん。その先にある笑顔を作るんや。』

皆さんが扱っているものには、誰の、どんな心が乗っていますか。

心を届ける|今日の言葉 から

2017年7月23日日曜日

記事紹介|「協働型研究開発コモンズ」がイノベーション効果をもたらす

科学技術への多岐にわたる期待とは裏腹に、世界的に人材育成、研究活動は財政難にあえいでいる。実際、わが国も厳しい財政情勢の中で、現実に可能な経済支援は、局所的対症治療ないし現体制の延命措置を施すに過ぎない。今日のみならず次世代社会にも持続的に適合する科学技術の経営基盤を築くためには、根本的な発想の転換が求められる。あらゆる知恵を結集して、学術的、社会的目的達成のために、現状打開を図らねばならない。

わが国の研究生産性の低迷

わが国は、研究費総額18.9兆円(うち国費は3.5兆円で19%、民間資金が72%)、研究人口68万人(うち大学教員18万人で、民間が7割を超す)を投入する。生産性の一指標である科学論文数約7万5千本は世界5位であるが、残念ながら、被引用数トップ10%論文が10位、トップ1%論文は12位と低調で、ここ10年間、全分野について下振れ傾向にある。米国、中国など大国のみならず、研究開発費、研究人口の少ない国々の後塵を拝する惨状にある。これらは主に大学、公的研究機関が関わる活動状況を示すが、その充実、改善のためには、既成の体制への単純な資金の拡大、人頭の増加ではなく、当然資金配分法の改革、研究人材の内容向上が求められる。しかし、不振の主たる原因は、大学の教育研究に関わる守旧的価値観の岩盤、それがもたらすイノベーション効果の欠如であり、ぜひともこのシステム・クライシスを克服しなければならない。

新たな目標に対応すべく既存組織は戦略的に縮小すべし

今世紀に入り、わが国のみならず、世界の高等教育、研究開発システムは、社会の要請に十分に応えられていない。とりわけわが国ではその理由を公的財政支援の不足とする意見は多く、筆者も理解はするが、単なる資金増だけでは問題解決には至らない。急激に経済発展する中国を例外として、10年後の各国の公的研究開発費は、楽観的に見ても現在の2倍には届くまい。しかし、総額の制限にもかかわらず、科学技術界には現行の活動に加え、新たに「知の共創・再構成」、「第4次産業革命」、COP21の主題であった「地球温暖化問題」、国連で採択された「仙台防災枠組み2015-2030」、「持続可能な開発のための2030アジェンダ(SDGs)」などの巨大な国内的、国際的諸問題への早急な対応が求められている。

ものづくり産業に例えれば、一定量の資金と人材の投入下に、高品質製品の継続的生産と並行して、既存技術では困難な多種の新製品の開発が要求される状況とでも形容できよう。このような一見理不尽とも言える要請に立ち向かうには、自ずと科学技術研究開発の全体制の見直し、大学組織の再編と刷新、そして新たな仕組みの創出が不可避となる。おそらく「社会総がかり」の整合的協働を促すエコシステムの構築が必要となろうが、このシステム・イノベーションのみが、生産性の向上と質的大転換の双方を矛盾なく実現しうる。困難でも挑戦しなければ、国家のみならず文明社会の存続が危うい。

現行の研究教育体制は、20世紀社会の繁栄に大きく貢献してきた。しかし、もし研究社会がこの価値観を是とし、自らの努力でその維持、存続を目指すならば、関連する多くの経済的要素を所定のものとして活動していく(いわゆる「内部化」)ことが絶対に不可欠である。主たる例をあげれば、現在は外部要素として扱う国家財政負担の拡大への期待はほとんど現実的でない。大学や研究機関は目標の如何を問わず、真の戦略性をもって人件費はじめ固定費を変動費化して、規模を可変化、時には思い切って縮減して変化に対応していかなければならない。

そして「協働型コモンズ」の形成へ

いかなる変革も、質の劣化と活動度の低下を招いてはならない。国立大学は、現体制温存により巨大な累積資本価値の維持に固執するが、ひとたび環境変化への対応を誤れば、一挙に経営破綻を招く。世界は技術革新の波を受けて、あらゆる観点から、共有社会(sharing society)に移行しつつある。そうであれば、研究開発においても必要なあらゆる資源、例えば、資金、人材、モノ、基盤、情報を個々の専有から、組織の壁を越えてより効果的な共有、共同利用に移行すべきである。

もとより一定の初期投資、固定費は必要であるが、多様な共有型の仕組みを縦横に駆使することが「限界費用(marginal cost)」、つまり物やサービスを1単位追加して提供するために要する費用を、実質的にゼロに向かわせる。このパラダイムシフトが、世界が共通に遭遇する難題、すなわち研究開発費の過大な社会負担の軽減に大きく寄与することは間違いない。いかなる国においても、国内資源は限定的であり、不足分は国際連携、協力で補うことになる。さらに、旧来のアカデミアの価値観を超えて、より積極的に多様な社会的知的資産の創出を通して「外部効果の拡大」を目指すべきである。筆者はジェレミー・リフキンが唱える「協働型コモンズ」の形成こそが、疲弊した現行の研究教育組織の「戦略的縮小」による真の合理化と高度化を促し、さらに本質的なことは、そこに生まれる余剰資源の活用による社会的存在意義の拡張への道であると考えている。行政も大学現場も、既存体制への公的資金投入量の多寡を案ずる前に、協働型コモンズ形成による巨大な社会経済効果に目を向けてほしい。

過去の社会の変化、特にサービス部門の変遷を振り返れば、資金、人材投入の低減は、しばしば組織の合理化、高度化を促してきた。常に負の効果をもたらすとは限らない。価値観を変換したい。近年台頭する共有型経済(sharing economy)、例えばUber(企業価値6兆円のライドシェア)やAirbnb(短期滞在の共同宿舎)などの繁栄も、すでに頂点を極め成熟期にある市場資本主義経済からの、合理性ある転換かもしれない。

情報技術革新を背景とするこの改革こそが、研究教育の質の抜本的向上の切り札ではないか。キャンパス拠点型、ネットワーク型を問わず、多様な高度専門家の自律的な分散、統合による「協働型コモンズ」が「価値の共創」を可能にする。かつての独創に加え、共創の積極的推進が、将来の科学技術発展を約束する。研究者たちは、自らが目指す課題の解決に、従来とは異なる共同活動で向かう。既成の専門性を超えた国内外のあらゆるセクターとの関与が可能となる。

この新たな自律的統治の舞台は、既存の大学組織の研究科や学部の存在意義を極度に薄れさせよう。伝統的な専門分野閉鎖的、垂直統合型アカデミアの崩壊を促すが、社会全体から見れば、決して悪いことではない。

研究教育のオープン化へ

高等教育のオープン化については、大規模公開講座を無料でインターネット受講できるMOOC(massive online open course) プラットフォームである米国のCourseraやedXなどが、すでに成功を収めている。著名な教授と世界の広範な学生たちが一体的、双方向に教育に参画する。わが国では使用言語の問題もあろうが、自然科学のみならず、人文学、社会科学でもまずは日本語で試みてはどうか。学生たちの視野と教養の幅は格段に広がるはずである。

1980年以降に生まれたディジタル・ネイティブの思考力と実行力は、我々には計り知れない。新領域開拓に挑む若者は、感性にあふれ極めて優秀であり、必ずこの合理性へ挑戦してくれよう。科学技術界に長く続く慣習の壁が、先見性ある彼らの道を阻んではならない。

高度測定機器の共用プラットフォーム

再度、わが国研究社会が直面する現実問題に戻りたい。公的研究開発費の投入は、国全体の学術の発展、科学技術力の強化に資するべきである。現在の大学の個々の研究者への分散的資金配分は創造的成果の生産を促すものの、とかく単発の学術論文生産のための「経費の供給」にとどまる。これだけでは、国全体として研究への「投資効果」が最大化されているとは言い難い。さらに近年の競争的研究資金の特定大学寡占化は、大多数の大学における研究を甚だしく困難にしている。汎用性ある高価な先端測定機器の活用について「限界費用」をゼロに近づけるべく、可能な限り多くの研究者が共用できる「協働型コモンズ」を戦略的に整備してほしい。

国が建設する巨大な加速器やスーパーコンピュータなどの国家基幹技術については、法的に共同利用の取り決めがなされている。数々の特色ある大学共同利用機関の施設の活用もなされている。米国では人工知能の普及を目指し、民間のグーグル社が理化学研究所の「京」の18倍の計算能力を持つスーパーコンピュータを研究者向けにクラウドで無料開放するという。

さらに多種の高価な中規模計測・分析装置についても、個々の大学や研究者が占有することなく、地域ごとに集積、あるいはネットワーク型に管理して、利用の最大化を図るべきである。そこには大学人のみならず、産官学さらに外国からも多様な人たちが集い、迅速な研究が促され、その結果幅広い知の共創、新技術開発、ビジネス・イノベーションが生まれるはずである。2012年発足の文部科学省のナノテクプラットフォームには全国26法人40機関が参画するが、その行方に期待するところ大である。

このような高度測定機器の共用プラットフォームは単なるサービス提供者ではなく、研究実践の場でもある。共同組織の健全な存続、発展のためには、大学と同様、公共的自立心が不可欠である。まず多様な専門家の確保、利用者たちに対する存在意義の説得、そして安定経営のための国、自治体、研究機関、大学、産業界等による応分の財政負担が必要である。既に売り上げが1800億円に達する受託分析企業との連携も円滑な運営に寄与するであろう。測定機器の集積、共用のみならず、生体材料や化学薬品の大規模在庫管理、活用についても、効果的な仕組みが必要と考える。

「協働型研究開発コモンズ」がイノベーション効果をもたらす|野依良治の視点|研究開発戦略センター(CRDS) から