2018年5月7日月曜日

記事紹介|未来を生きる子どもたちのため

たとえばウミガメがなぜ泣いているのか。子どもたちは知っています。ウミガメの未来は子どもたちの未来。未来を生きるのは、子どもたちなのだから。

リサイクルの“最終走者”といわれたその都市が「ごみ非常事態」を宣言したのは、1999年2月のことでした。名古屋市です。

ごみの処理量が年間百万トンを超え、市と市民はそれまでにない勢いで、分別や、リサイクルに取り組みました。その結果、二十世紀最後の二年で、処理量を23%、埋め立て量を47%、減らすことができました。

ここ数年の処理量は約60万トンで推移、安定しています。

でもそれで、ごみ問題が終わったわけではありません。

あれから20年、「次世代へつなぐ思い」というタイトルのDVDを制作し、今月、市内のすべての小、中、高校に環境教育の教材として配布する予定です。

オリジナルのエコソングやエコダンス…。とりわけ印象的なのが、市内の小学校で収録された4年生のモデル授業の模様です。

最初は国語。テーマは「海の環境」です。教科書は閉じたまま。先生がクラスに問い掛けます。

「ウミガメは絶滅の恐れがある生き物です。なぜでしょう」

一斉に手が挙がり、一人の男子が答えます。

「人間が海にレジ袋なんかを捨てて、ウミガメが、それをクラゲと思って食べちゃって、のどにつかえて死んじゃう可能性もある」。正解です。先生が解説します。

「ここからあまり遠くない遠州灘の砂浜に、ある年一頭のオサガメの死体が打ち寄せられました。おなかを開くと、プラスチックのごみが34枚も…」

年間8百万トンのプラごみが海に捨てられると知って、みんな、「えー」と驚き、「かわいそう」と同情し、「ひどいよ」と怒ります。

環境に共感するチカラ

続いて体育、表現運動の時間です。ウミガメの生態を全身で表現します。体育館の中を所狭しと泳ぎ回る子どもたち。そこへ先生が本物のレジ袋をばらまいて「食べてみよう」と告げるのです。

子どもたちは「いやだ」「苦しい」と言いながら、表情をゆがめ、もがいて、悲鳴を上げる-。

「かわいそう」から「苦しい」へ、ウミガメになりきって、いつの間にか一人称に、傍観者ではなく当事者になっています。

小学4年の環境や命に対する想像力、共感力には脱帽です。

授業を終えてみんなで「思い」をしたためました。「どんな海でも30年後はきれいにする!」と。彼らはきっと、その約束を守ってくれることでしょう。

映像を見ながら思い出していたのが、あの伝説のスピーチです。

1992年6月、ブラジル・リオデジャネイロで開かれた国連環境開発会議(地球サミット)の本会議場。当時12歳の少女だった日系カナダ人四世のセバン・スズキさんが、世界の指導者を沈黙させた珠玉の言葉。

今日の私の話には裏も表もありません。なぜって、私が環境運動をしているのは私自身の未来のため。自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損をしたりするのとはわけが違うんですから。私がここに立って話をしているのは、未来を生きる子どもたちのためなのです-

今ごみを出し続ければ、そこに埋もれてしまうのは、未来を生きる子どもたち。資源をむさぼり続ければ、貧困や飢えにあえぐのは、子どもたち。今原発を減らさなければ、ふるさとを再び失う恐れがあるのは、子どもたち。この国が戦争のできる国になったら、戦場へ行くのは、子どもたち…。

私たち、大人ではありません。

いらかの波と雲の波

どうやら政治家の皆さんは、今を取り繕うのに忙しく、未来を語る余裕がありません。私たちには未来への想像力が足りません。

ウミガメ同様、こいのぼりが少なくなったといわれます。

もし押し入れにでも眠っていれば、今から揚げてみませんか。

そして想像してみてほしい。一番下の「小さいヒゴイ」が、何を夢見て、どこへ泳いで行こうとしているか。たまには、ゆったり。