2018年8月9日木曜日

記事紹介|倒産危機を迎えている文科省

文部科学省が組織としての危機を迎えている。収賄で複数の逮捕者が出ている点は、個人の責任であるとともに、組織としての倫理観の喪失、コンプライアンスの失敗にある。

公務員試験を経て同じように採用された人間が運営しているにもかかわらず、なぜ文部科学省だけが、こうまでみじめな失態を演じているのだろうか?

結論から言えば、組織の病理現象という意味では、倒産危機を迎えている大企業と同じ要因がある。また、中央官庁としての政策立案機能の劣化がある。大きなターニングポイントになったのが、国立大学の法人化である。

文部科学省は、文部省と科学技術庁が統合されて誕生した役所である。文部省は、管理業務こそが行政である、つつがなく任期を全うすればよいという意識が強かった。一方、科学技術庁は政策の立案・実行こそが行政であるというスタンスであった。

文部系では、何を成し遂げたのかわからない役人がなぜか偉くなっていく。本省の仕事が満足にできないノンキャリアも、50代で国立大学の部長くらいにはしてもらっていた。科技系では政策的に何かを成し遂げた人が出世していく。ただし、手柄のためには手段を選ばずという倫理観のない人間もいた。

今でも人事は2系統で行われている。今回の不祥事は科技系の問題であり、文部系のOBには科技系への怒りを隠さない人もいる。しかし、文部系には、人材マネジメントへの理解もなく、組織変革の手法に関する知識もなく、時代の変化に応じた政策を創出する力量もないという重大な欠陥があったのではないか? 悪く言えば、変革を先送りし、危機意識が薄く、人材が育っていない。もしも企業ならば、文部科学省は、とっくにつぶれていたのではないか?

国立大学の法人化から約15年だが、法人化以前は、文部省と国立大学の職員は国家公務員の身分を共有しており、通常の人事で組織間の異動が可能だった。

法人化後は、個々の大学法人が学長の下で独立して人事を行っており、法人化で、文部科学省は、若手の人材供給源と大学の管理職ポストの保証を同時に失ったのである。これを契機に、本省の人事政策は大きく転換すべきだった。

しかし、官房人事課は自らの組織を守り、何ら変革に着手しなかった。文部系の人事担当は、水面下では、これまで通りにやれるという幻想を抱いたまま、変化する現実を直視しなかったのである。しかも、文部系の上層部は、そうした変革への不作為の責任を取ることが、まったくなかったのである。

本省に勤務していた身としては、当時の危機感のかけらもない対応に、唖然とした記憶が残っている。私以外にも、組織の転落が始まったことを、強く意識した人間もいた。その予感は、今や現実そのものになった。

一般に、文部系の職員は、政策を創出するという面では、他省庁の職員に比べて能力が低いと言ってよい。霞が関でも、そうした評価が通り相場である。たまたま、その基準に合致しない人間がいれば、文部系らしくないと褒められる。

文部系は、能力が低くても上司に忠実ならば出世できるので、勉強してセンスを磨いたり、政策でリスクをとったりする必要がなかったのである。国際経験がなく、他省庁等への出向も経験していない人が、組織の出世頭になっているので、時代の流れに応じた政策転換の幅は、大きくなりようがない。

人口減少の時代にも大学の縮小・撤退が推進できないのも、大学の海外への進出や海外からの受け入れの機会を逸したのも、ICTを活用した大学の教育改革への取り組みが遅れているのも、大規模私学のガバナンスが異常な状態であるにもかかわらず放置してきたのも、大学院博士課程での人材育成が世界の落ちこぼれに甘んじているのも、すべて、上層部の勉強不足とリスクを取らない体質を、組織として温存してきたことが原因である。

今や文部系の職員が本省で身に着けられる知識・能力は、大学の現場ではほぼ価値がなく、管理職になって、その改革をリードすることは期待できない。法人化への対応の遅れは、結果として、人材マネジメントにおける両者のギャップを拡大してしまったのである。今やもう取り返しがつかない。

組織の自己改革ができず、内閣府等から政策転換を求められても守旧の姿勢でかたくなに拒否することが繰り返されてきた。

国立大学におけるコンピタンシーがない者は、役に立たないとしても本省に定年まで居てもらうしかなかろう。文部系では、行政分野の専門知識を持たない人間が、主役として舵を握っているのだから、国民に対しても無責任である。いくら学識者を集めて審議会を開いても、行政官が主体性を発揮しなければ、真に創造的な変革にはつながらない。

今後、検討が本格化する省庁再編の中で、文部科学省は、本当に解体されるかもしれない。されるにしても、されないにしても、教育・科学技術・スポーツ・文化の分野において、組織変革への取組み、創造的な政策の立案で、しっかりと成果を上げられることを、心から祈るばかりである。しかしながら、15年以上も眠り続けた組織には、もはや自己改革を成し遂げる力はないのではないか?誠に残念なことである。

なぜ文部科学省は危機を迎えているのか?|NUPSパンダのブログ から